フェイタルルーラー 第二十一話・黎明節(最終話)
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一 ・ 黎明節

 

 秋も深まり、本格的な冬が訪れる前に、ガレリオンでは宣布が執り行われる運びとなった。

 日程が公示された事によって機運は最高潮となり、民衆は新たなる時代の潮流に沸き返っている。

 大陸の統一によって、人同士の争いは無くなるのだと彼らは思っていた。王族であった三公爵の調印式もつつがなく終了し、後は皇帝の宣布と発令を待つだけとなっている。

 

 裁判の翌日、自由の身となったエレナスは荷物をまとめ、王都を出る支度をした。

 あらかたの段取りが整うとその足で王城へ向かい、世話になった人々へ暇を告げに回った。

 フラスニエルに面会を求めると、統一王は彼をシェイローエが使っていた部屋へ案内した。王はシェイローエの所持品をエレナスに託そうとしたが、彼はそれを断り、遺品として一冊の本だけを手に取った。

 

「……それだけで良いのかね。君は彼女のたった一人の身内なのに」

 

 シェイローエの痕跡を見るのも辛いのか、フラスニエルは俯きながら呟いた。その言葉にエレナスは小さく、はいとだけ答えた。

 

「持って帰るにも量が多くて……。陛下には本当に御世話になりました。姉に代わり、御礼と御詫びを申し上げます」

 

 エレナスは深々と頭を下げた。俯いた瞬間フラスニエルの左手が視界に入り、その薬指に未だ指輪がはめられているのを見て、エレナスは唇を噛んだ。

 もし姉がフラスニエルと出会っていなければ、エレナスがセレスと出会っていなければ、彼らにはまた異なる未来があったのかも知れない。

 だが彼らは出会い、それぞれの刻を紡いで来た。その結果が別れであったとしても、それまでの全てが消え失せる訳ではない。

 

 フラスニエルはこれ以上シェイローエの部屋には留まりたくなかったのか、一言告げると足早にその場から立ち去った。

 その背を見送ったエレナスも本を片手に部屋を出ると、静かに扉を閉めた。

 

「一緒に家へ帰ろう……姉さん」

 

 姉が愛用していた術書を抱き締め、エレナスはそっと囁いた。

 フラスニエルがその場を去ってしまったために、エレナスはそのまま一人で城内を歩いた。後ろ暗い事は何もないものの風貌が目立つのか、遠巻きに彼へ向ける視線もいくつかあった。

 裁判沙汰にまでなれば、誰でも噂くらいはするだろう。だが十年の追放刑を受けていてもエレナスは気にするどころか、むしろ心は懐かしい故郷へと飛んでいた。

 

 王城から離れ、仮邸宅の執務室を訪れると、室内からはぶっきらぼうな応答があった。

 恐る恐る扉を開けてみると、そこには相変わらず神経質そうな表情をした男が執務机に向かっている。声の主はエレナスへ目も向けずに、椅子へ掛けるよう促した。

 

「ここを訪れたという事は、それなりの覚悟が出来ているようだな、エレナス」

 

 机から顔を上げエレナスを見る猛禽の目は、いつもと何ら変わりはない。

 

「はい。これからノアに会って、話をしようと思っています」

「……本人の意思をまだ訊いていないのか。仕方のない奴だな」

 

 カミオはため息をつくと立ち上がり、棚から細長い包みを取り出した。それを机の上に置くと包みを解き、エレナスへ差し出した。

 

「神器の剣ですね。本物の……」

「父がノアのために持たせた剣だ。あれを護り続ける意志がお前にあるなら、持って行けばいい」

 

 新調された革の握りに惹かれ、エレナスは神器の剣を手に取った。鞘から抜き放って刃を陽光に翳してみると、目に映る白い輝きにエレナスは懐かしさを覚えた。

 

「ありがとうございます。先日の裁判でも、カミオ様には御力添え頂きました。この御恩は……一生忘れません」

「……以前も言ったが、お前のためではない。礼などいらん」

 

 興味なさげに再び書類に目を落としたカミオを見て、エレナスは静かに会釈をして執務室を後にした。

 そのまま仮邸宅を出ると、エレナスは王城の中庭へ向かった。ヒイラギの植え込みに囲まれた一角は比較的人気が少なく、小さな噴水と白いベンチとを内包していた。

 植え込みごしに中を覗いて見れば、そこには青灰の髪を結い上げた一人の少女がいた。普段とは雰囲気の異なる薄紅色の長いスカートは、彼女の隠れた気品を引き立てている。そわそわと落ち着きがないように見えるのは、待ち人が未だ現れないせいだろうか。

 

 呼び出したのはエレナス自身なのだが、何と声を掛けていいか分からず彼は戸惑った。

 植え込みの前で考え込んでいると目前の茂みが微かに揺れ、ベンチに座っていたはずの少女がいつの間にか顔を出してエレナスを見つめていた。

 

「うわっ! ノア! びっくりするじゃないか……」

「だって、気配がうろうろしてたら気になるじゃない。敵だったら今頃死んでるわよ」

 

 思えばとんでもない『殺し文句』ではあるが、ノアは少なくとも十年近く軍人として諜報活動をこなして来たのだ。人知れず息の根を止める技術を持ち合わせていても、何ら不思議はない。

 

「俺は敵じゃないって思われていると考えていいのかな」

「今更、何を言ってるのよ。当たり前じゃない……」

 

 俯き加減で顔をそむけるノアの頬は、赤みが差して驚くほど美しく映えた。

 盛装をすれば、社交場にいるどんな美姫にも負けないだろう。世が世なら高嶺の花なのだから、運命の道行きは恐ろしいほどに気まぐれだ。

 今まで言えなかった思いを伝えなければとエレナスは心を決め、ゆっくりと彼女の顔を見た。

 

「ノア。君に聞いて欲しい事があるんだ。まずはこの生垣から出てくれるかな。ヒイラギの葉は鋭すぎて、指を切ってしまうから」

 

 エレナスの言葉にノアは素直に頷いて、植え込みを離れた。二人はベンチまで行くと並んで座り、揃って黙り込んだ。

 長い沈黙に二人は同時に顔を上げ、何かを言い掛けてお互いの顔を見合わせた。ノアの潤む瞳に映る自分の顔を見て、エレナスは今しかないと口を開いた。

 

「俺は……明日の明け方には王都を出ようと思っている。追放刑を受けた十年間を、故郷で暮らそうと思っているんだ。だからもし、君さえよかったら……一緒に来てくれないか。故郷の森を、君にも見せたいんだ」

 

 エレナスは自分の顔が熱くなるのを感じた。気恥ずかしさに俯きたくなったが必死に堪え、じっとノアの目を見つめた。

 笑い飛ばされたり、茶化されたりするのではないかと彼は思っていたが、予想に反してノアは何も言わず、俯いて黙りこくった。

 エレナスが息を呑み身を固くしている中、スカートの裾を握り締め俯いたノアは、ゆっくりと彼女の言葉を紡ぎだした。

 

「……いきなり何言ってるのよ。言われなくたって……ついて行くつもりだったんだから」

 

 思いがけない返事に、エレナスは一瞬言葉を失った。まじまじとノアを見つめていると彼女は赤面し、急にベンチから立ち上がった。

 

「出発……明日の朝なんでしょ。カミオ様に出立の報告をして来る。明日の朝、門の前で待ってるから!」

 

 そのまま勢いよく駆け出すと、彼女の姿はたちまち見えなくなった。

 立ち居振る舞いさえ淑やかであれば、ノアは貴族の姫もかくやと思わせるほどの優雅さを垣間見せる。スカートの裾を持ち上げたまま走り去るのは、お世辞にもたおやかとは言えないが、そんなノアだからこそエレナスの心に深く想いを刻み込んだのかも知れない。

 ノアの姿が完全に見えなくなると、エレナスもゆっくりと立ち上がった。彼はそのまま王城の中央回廊に戻り、最後の挨拶をするために階段を昇り始めた。

 

 石造りの階段を昇り切ると、四階に位置する王族たちの居住区域に到着した。

 衛兵に案内され王太子の居室前へ来ると、エレナスは静かにノックをした。室内からはすぐに声が掛かり、彼はゆっくりと扉を開いた。

 

「エレナス。来てくれたんだね」

 

 小さな体に豪奢な衣装を身につけ、セレスは彼を見上げながら微笑んだ。応接室にはもう一人、ローゼルの姿もある。彼女も今は王族の一人として豪華なドレスを纏っているが、よく見かけた軍服の方が似合っているようにエレナスは感じた。

 

「ああ。二人には本当に世話になった。感謝の言葉も無いくらいだ。しばらく王都へは来れなくなるけど、またいつか……会おう」

 

 エレナスの言葉にローゼルは泣き出しそうな顔をして俯いた。

 

「そんな顔をしないで下さい。俺はセレスや皆に助けてもらった。生きていればきっと……また会えるから」

「……エレナス様。あの……」

 

 ローゼルは口ごもりながら、伏せ目がちに訊いた。

 

「どちらにおいでですの? やはりご自宅ですか?」

「はい。故郷の森へ戻ろうと思います。王家の狩猟場からも割と近い位置なので、それほど遠くはありません」

 

 何か言いたげに俯く叔母を見て、セレスはふと口を開いた。

 

「ねえエレナス。一人で帰るのなら、馬があった方がいいよね。必要なら用意させるよ」

「いや、一人ではないから大丈夫だよ。ノアと二人で歩いていくつもりだったから」

 

 その言葉にローゼルは唇を固く引き結び、セレスは得心したように頷いた。

 

「南へ向かうなら、徒歩でも問題ないね。まだ本格的な冬は来ないけど、そろそろ朝晩は冷え込むから気をつけてね」

 

 エレナスも頷き会釈をすると二人に別れを告げた。

 

「きっとまた会えるよね……だから大丈夫」

 

 静かに扉が閉じられると、涙をこぼすローゼルにセレスはそう言葉を掛けた。

 うずくまって泣く叔母を抱き締めながら、いつの間にか自分も涙を流している事に、彼はしばらく気付かなかった。

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二 ・ 再会の日

 

 エレナスが森へ戻ってから十年は、何事も無く穏やかな月日が流れた。

 姉が遺してくれた屋敷には小さな畑もあり、鶏などを飼育しながら野菜を作って彼らは日々を過ごした。

 雨の日は本を読み、晴れの日は畑の手入れをする生活は、思っていた以上にエレナスの心を癒した。だが長命種であろうとも十年は長く、遷都の噂や公路新設の話を人づてに聞くと、一瞬にして懐かしい日々を想起した。

 

 ある晴れた日に庭で薪割りをしていると、急に空が翳って大きな羽音がした。

 驚いて見上げると、一瞬目の端に巨大なカラスが見えた気がした。羽音が舞い上がるのと同時にどさりと何かが落ちる音がして、エレナスは振り返った。

 

 見ればそこには、黒髪の若い男が一人転がっている。

 気絶しているのか身動きひとつしないが服装は整っており、身分の高い者なのだと見受けられる。ただ、彼がいきなり空から降って来た理由がエレナスには分からなかった。

 再び空を仰いでも、すでにそこには何も無い。雲がうっすらとたなびく青空は、ただ初夏の訪れを示していた。

 

「う……あ……いたたた」

 

 目が覚めたのか、男はいきなりうめき声を上げた。エレナスは驚いて飛び退ったが、男に見覚えがある気がして、その顔をまじまじと見つめた。

 頭をさすりながら起き上がり座り込んだ男は、成人して間もないと思われた。髪や服が泥で汚れているが、どこか気品のある風体だ。

 ここがどこなのか得心いかない様子で、男は辺りを何度も見回していたが、エレナスを見つけると急にスミレ色の瞳を輝かせて声を上げた。

 

「あっ! お久しぶりです。あれっ……少し背丈が縮みました?」

 

 立ち上がりながら嬉しそうに微笑む男を見上げ、エレナスは目を見開いた。

 

「セレス? ……大きくなったね、分からなかったよ!」

 

 その言葉が余程嬉しかったのか、セレスは小さく笑った。

 

「でしょう? 十二歳を過ぎた頃から急に伸びたんです。十年前のあなたはすごく大きく見えたから、不思議な気分です」

 

 エレナス自身もそれなりには成長していたが、精霊人の十年間は、人間にとっての二、三年程度でしかない。すでに成人を迎えたセレスと比較するのは酷というものだ。

 

「それにしても、君はどうやってここまで来たんだ? 空から降って来たようにも見えたけど」

 

 その言葉にセレスはしばらく考え込んだ。

 

「実はぼくも、途中から記憶が無くて……。最後に覚えているのは、空腹で倒れたところを、旧ネリア軍の軍服を着た人に助けられたあたりかな。夜盗に荷と馬を盗られてしまうなんて、不覚でした」

 

 命があるだけましですけど、と笑うセレスの返答を聞いて、エレナスは確信した。

 先ほどのカラスは、やはりマルファスの眷属なのだろう。普通にセレスを連れてくればいいものを、やり方は手荒なのだと思いエレナスはふと微笑んだ。

 その時、腹の虫の訴えがセレスから聞こえ、彼は腹を押さえて恥ずかしそうにエレナスを見た。

 

「あの……申し訳ないんですが、何か食べさせてもらってもいいですか?」

 

 体ばかり大きくなっても十年前とあまり変わらないセレスを見て、エレナスは笑いながら自宅へ招き入れた。

 セレスが到着したのはちょうど正午前で、台所ではノアが昼食を作っているところだった。思いがけない来客に彼女は驚き、鍋を火に掛けたまま飛び出した。

 

「セレス? 久しぶり! 元気そうね。また会えて嬉しいよ」

 

 ノアは顔を紅潮させてセレスの手をぎゅっと握ると、振り回すように握手をした。

 背後からは鍋が吹き零れる音を立てて彼女を呼び、小さく悲鳴を上げるとノアはそのまま台所へ駆け戻った。

 セレスは居間へ通され、二人の暮らしぶりを見て嬉しそうな表情をした。

 

「何だか楽しそうですね。羨ましいな」

「のんびり自給自足で暮らしている、といったところだよ。でもまあ、料理だけは期待しない方がいいかな」

 

 セレスを食卓に座らせ、エレナスもその向かいに腰掛けた。

 

「今では随分ましになったけど、最初の頃は『焦げた何か』とか『固まった何か』を食べさせられたんだ。スープが吹き零れたくらいなら大丈夫、多分」

「なぁに? エレナス。何か言った?」

「いいえ、何も」

 

 台所から飛んで来る非難の声を、エレナスは適当に受け流した。

 その様子があまりにも可笑しくて、セレスは声を押し殺しながら気付かれないように笑った。

 

「そういえばセレス。何か用があってこんな所まで来たんじゃないのか?」

「ああ……そうでした。会えたのが嬉しくてすっかり忘れてた」

 

 運ばれて来た熱過ぎるスープを前に、セレスは微笑んだ。

 

「もうすぐ遷都から一年が経つんです。遷都を記念して祝賀会が催される事になりました。それでお二人にも是非出席して頂きたいとの陛下からのお言葉です」

「遷都か。都を移転するのに、結構時間が掛かったようだね。やはり大空洞を埋め立てるのは大変だったんだろうな」

「そうですね。陛下があの地を選んだのは、地下に廟を造りたかったからのようです。どうしてもそれを曲げたくなかったらしくて、石工や建築家との衝突も結構ありましたよ」

 

 上品な手つきで匙を扱い、丁寧にスープを口に運ぶ様を見て、セレスが生粋の王族なのだとエレナスは思った。生まれも育ちも、今ではその立場さえ違う。共に旅をした数ヶ月は二人が同じ地に立っていた、たったひとつの思い出だった。

 

「ちょっと熱いけど、すごくおいしいですね。あっ、おかわりいいですか?」

 

 子供のように催促する声に、ノアは仕方ないわねと呟きながら台所へ戻り、一緒にパンや添え物を追加した。それを見て目を輝かせて喜ぶ様子だけは、あの頃と何も変わらない。

 

「アレリア公爵は女王がお立ちになって、女公爵となったと聞いたよ。レナルドは……あの大公は今でも獄中なのか?」

「いえ。あの方は亡くなりました。ひどく心を病んでいたようで、ある朝誰にも看取られず亡くなっていたそうです。殺人者には違いありませんが、悲しい最期だと思います」

 

 昏く目を伏せるセレスに、エレナスはそうか、とだけ呟いた。

 楽しい思い出、悲しい思い出。何もかもが混ざり合って全てが今に繋がる。そうして積み上げられていった先には、一体何が待つのだろう。

 ふと窓の外を見ると雲はすでに晴れ、初夏の風が木の葉をさざめかせていた。

 

「……ダルダンの石切り場から、光鉱石の鉱床が発見されたんですよ。それがあれば、ランタンなんて無くても灯りが採れて便利なんです。光自体は微弱なんですけど」

 

 セレスはノアと帝都の近況について会話をしている。フラスニエルは未だ独身を貫き、ローゼルはセトラ女侯爵として臣下の位に着いたという。懐かしい人たちの消息に、エレナスは遠くを見つめた。

 恐らくここへセレスが赴いたのも、カミオがそのように仕向けたのだろう。他人には興味が無いように見えて驚くほど心配性なのだから、傍に控える将軍の苦労も絶える事はあるまい。

 二人の会話を聞きながら、エレナスはふと微笑んだ。食事が終わるとそれを片付けて、彼らは旅支度を始めた。その先には、懐かしい人々の顔が待っている。

 

「地下廟は是非お二人にも見て欲しいんです。天井には光鉱石を散りばめて、いつか見たダルダンの星空を再現したんですよ。きっと気に入ってもらえると思います」

 

 厩舎から馬を引き出すと馬具を載せ、三人はそれぞれ馬を駆って走り出した。

 傾く太陽を背に受け、彼らは北へ向けて公路を辿った。懐かしい軌跡に、三人の会話は弾み続けた。

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三 ・ 果てない月日

 

 人が生まれ出でては死に、その生命の環を巡らせ続けては紡ぐ因果の中に彼らはいた。

 

 初夏の昼下がり、砂だらけの大陸公路を行く一人の男を、マルファスは上空から眺めていた。

 白金の髪に湖底のような青い目の青年は、何故かエレナスを思い起こさせる。それは風体だけではなく、彼が今では数少なくなった精霊人であるのも起因しているかも知れない。

 

 あれからすでに数百年は経つ。

 フラスニエルはシェイローエの思い出を抱いたまま独り静かにこの世を去り、三公爵たちも代替わりをしてその息吹は連綿と続いていた。

 

 エレナスに倒され、眠りについていたはずのクルゴスもいつの間にか甦り、気付いた時には皇帝に取り入って宰相の座に収まっていた。主君を操り、思うがままに権力を振りかざすクルゴスは、マルファスにとってはすでに邪魔な存在でしかない。

 クルゴスは思い通りにならなければ皇帝の一族であっても殺し続け、自らを受け入れる皇子だけを残して国を喰んでいく。彼の狂った思考をなぞり続ける帝国は、すでに国としての体を成してはいなかった。

 

「変えられるのか……? この状況を」

 

 多くの命を代償とし、多くの人々を犠牲にして造り上げたこの国も、今では崩壊寸前まで来ている。

 第二代皇帝セレスの時代までは平和を体現したと言える治世だったのに、代行者の存在がそれを全て瓦解させているのだ。

 本来の意味で人の手に大陸を取り戻させるなら、代行者は全て排除しなくてはならない。そしてそれは勿論、マルファス自身にも言えた。

 

 大ガラスの上から下界を見下ろすと、眼下の青年が帝都ガレリオンの南門前に到着したのが見えた。

 太陽はすでに西の果てへ没し、辺りを夕闇が包み始めている。上空から帝都の様子を覗き見ると、どうやらクルゴスの命令で衛兵を集結させている最中のようだ。夜明け前ならまだしも、日が落ちた後に兵を集めるなど尋常ではない。

 内部の様子を探ろうにも、クルゴスは帝都中に結界を張り巡らせ、自ら中へ入らない限り確認は不可能だ。

 

「また何か企んでいるのか。肉体を破壊するだけではもう対処出来ないな。消滅させるための状況を作り上げなければ」

 

 見れば精霊人の青年は、開きそうにもない門を術で破ろうとまでしているようだ。

 外側からの術を一切受け付けない結界に対しては、彼の術を持ってしても何の意味も無い。むしろ術を使用した事で居場所を突き止められ、即座に捕らえられてしまうだろう。

 

 青年の意志を見て取り、マルファスは決心をした。

 彼が城門を破ってまで侵入しようとしているのは、たった一人の小さな弟を救うためだ。

 

 生まれながらにして深淵をその身に宿し、侵食を防ぐために鎖に繋がれて生きる小さな少年。彼を鎖から解き放ち、深淵の侵食を抑えるには『封具』が必要なのだと、マルファスは青年に教えた。

 今現在『封具』として機能するものは、かつてシェイローエが護りの術を封じ込めた聖銀の指輪しか残っていない。だが皇帝位継承式にも使用されるその指輪を借り受けようなど、無謀の極みと言える。

 幼い弟のためとはいえ、単独で帝国に挑もうなど正気の沙汰ではない。そこまでの決意を有しているなら、彼を手助けするのが最善の選択だろうとマルファスは考えた。

 

 青年が術を発動させるため精神集中に入った瞬間、マルファスは地上に降り立ち、声を掛けた。

 突然背後に現れた気配に彼は驚いて振り向きざまに跳躍し、真横の木陰に滑り込む。

 

「……そんなに驚かなくてもいいじゃないか、サレオス」

「お前は……マルファス! 何故ここにいる?」

 

 敵意とまではいかなくとも、向けられた視線は好意的なものではない。

 それはそうだろう。彼にとってマルファスは、人間離れした不気味な存在だ。素性や目的を隠して接触したのだから、警戒されても仕方が無い。

 

「僕もここに用があるのさ。結界のせいで内部の全体像が視えない。何かあってからでは手遅れになるからね」

「結界?」

 

 懐疑的なまなざしを向けるサレオスに、マルファスは城門を見上げながら上空を指し示した。

 

「帝都を囲むように、強力な結界が張り巡らされているんだ。外部からの符術は効かないし、内部では術符の発動自体を打ち消される。術を専門としているキミでは、生きて帰れるかも怪しい。それでも行くつもりなのかい」

「訊くまでもない。セアルが深淵に魂を食われて死ぬ運命なのだというなら、私はやれるだけの事をするまでだ」

「……そうか。安心したよ」

 

 マルファスの意味深な言葉に、サレオスはあからさまに眉をしかめた。

 

「今、帝都内部では衛兵が集結しつつある。結界を張った奴が、何か行動を起こそうとしているようだ。僕はそれを阻止しなくてはならない。一緒に来るなら止めはしないよ」

 

 それだけ言うとマルファスは城門に軽く触れた。

 サレオスがどれだけ叩いても開かなかった門は音も無く開き、彼らを静かに暗黒の内部へ招き入れた。

 

「永遠は残酷だ。安息など、どこにもありはしないのだからね」

 

 ぽつりと呟いたマルファスに続き、サレオスも帝都内部へ足を踏み入れた。

 ここから紡がれる運命を知らず、二人は皇帝の間を目指して進んだ。

説明
創作神話を元にした、ダークファンタジー小説です。後日談。9275字。
ページごとに年代が分かれています。最終ページの後はハーフソウル外伝に繋がっています。読んで下さった皆様、ありがとうございました。

あらすじ・王都追放の判決を受け、エレナスは旅立つ前に一人で王城を訪れた。
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ファンタジー ダークファンタジー 架空世界 

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