バイオハザード〜2. 消失 〜 |
走れ走れ走れ走れ…!
彼女は自分の身体に鞭を打って走った。
早く逃れなくては…早く早く早く……
息は上がり、心臓は悲鳴を上げる。鼓動と呼吸の音が耳を支配する。だが、足を止めることは出来ない。
走ることを念頭に置いていない登山靴を怨みながら、必死に彼女は駆けた。
――何なのだ。あれは……あの生き物は…!?
走ることに集中せねばならないのに、疑念が頭を占める。
荒い息遣いが聞こえた気がした。身体に怖気が走る。冷たい汗が背中を濡らす。
――嫌だ嫌だ嫌だ……嫌だ!
儚い月が映し出した黒い獣。彼女の友人に喰らいつき、その身体を貪った悪魔の群れ。
ふと川のせせらぎが聞こえた。
この川を下っていけば街に出る。
そんな一抹の希望が気を緩ませた。
限界の来ていた足が縺れ、彼女は転倒した。
背後で獣の唸り声がした。
はっと振り返ると、奴等はいた。
少しでも離れようとしたが、酷使した体は指一本たりと動きそうになかった。
歯の根が噛み合わず、ガチガチと耳障りな音を鳴らす。
口元から嗚咽にも似た悲鳴が微かに漏れる。
黒い影が動く。血臭と腐臭、その二つが場を包む。下草を踏みしめる音が、やたらと大きく聞こえた。
月に照らし出されたその身体は、まさしく地獄から甦った獣だった。暗闇から――暗い森から同様の獣が姿を現す。闇そのものが固まったような漆黒の獣。
血と同じ色の、幾つもの紅い眼。その中に自分が写っているのが――分かった。ただただ荒い呼吸。それは自分のものか、それとも獣のものか。それも分からなくなる。
乾いた音が鳴る。自分の履いていた登山靴が動き、小枝を踏んだのだ。
それが合図だった。
獣は一斉に彼女に向かって駆け出した。
顎(あぎと)が眼前を覆った……
どんよりとした曇り空と、その下に延々と広がる暗い森。気象予報では夜には晴れるということだが、その兆しはまだない。
ラクーンシティの北に位置するアークレイ山地。
その上空をヘリが一台飛んでいた。
中には六人の男と、まだ二十歳に届くか届かないかの少女が座っていた。
彼等が揃って着ている防弾ジャケットとシャツには『S.T.A.R.S.』という文字が入っている。彼等がR.P.D.(ラクーン市警)所属の特殊救助部隊の一員であることを示す文字だ。
ラクーンシティはアメリカ中西部に位置する小さな街だ。
世界有数の製薬企業「アンブレラ」の工場が誘致され、最近になって大きく発展したこの街も、元々は森林地帯に周りを囲まれた小さな田舎町である。
ここ最近街は、このアークレイ山地付近で発生した連続猟奇殺人によって暗い影を落としていた。二ヶ月ほど前マーブル河岸で発見された女性の惨殺死体を皮切りに遭難者、行方不明者が多発。獣に喰いちぎられたような、損傷の激しい死体も多く見つかっている。それらの損傷には人間の歯形も混じっている場合があった。つまり、獣による偶発的なものではなく、人の手によるもの――恐るべき喰人鬼がいるということだった。
そして相次ぐ、アークレイ山地での犬のような怪物の目撃談。
市議会と市警はついに夜間における外出を禁じ、市民にアークレイ山地全域への侵入を自粛するように注意を呼び掛けた。
だが本日十九時ごろに、他市の大学から来ていたサークルが帰宅予定時刻を一時間以上過ぎても帰らないと、宿泊先の宿から通報があった。そのサークルが各州の生態系を調査することを目的としたものであることから、立ち入りの禁止されているアークレイ山地に足を踏み入れた可能性が出てきた。その三十分後、『S.T.A.R.S.』の出動と相成ったのである。
窓際に座る少女が小さく溜息をついた。彼女は、この『S.T.A.R.S.』に今月配属された訓練生だった。大学を卒業したあと、特に化学関係に明るいことを買われ、『S.T.A.R.S.』の衛生士としてスカウトされたのである。
『S.T.A.R.S.』は都市化され、より凶悪になった都市犯罪に対応するために、主なスポンサーとしてアンブレラ社が資金を出し、九五年に発足された特殊部隊である。いうなれば、他市の『S.W.A.T.』と同様の組織だ。『S.T.A.R.S.』は二チームに分かれて活動している。突入及び偵察部隊としてのブラヴォーチーム、後方支援部隊としてのアルファチームだ。『S.T.A.R.S.』の主な任務として、街の治安維持、要人警護、対テロリズム、人命救助の四つがある。そのため、資格審査は厳しく、実力本意による選別である。候補は主にスカウトと、ラクーン市警からの有志で集められていた。
この少女もその審査に合格した後、学生時代よりも忙しい日々を送っていた。
仕事を覚えることは勿論のこと、自分には縁がないと思っていた銃の射撃訓練や格闘訓練を連日受けてきている。
訓練の甲斐あってか、最近では拳銃による射撃も五ヤードまでなら外すことは少なくなった。もっとも、格闘の方はてんで自信が持てないが。
今回、彼女は実地での感覚を養うという名目でブラヴォーチームに同行したのだった。
胸を締めるアーマーベストが、少女の不安を増長させていた。嫌な感じがする。形の見えない漠然とした恐怖感が広がる。
「レベッカ、大丈夫か?」
隣に座っていた青年が、少女――レベッカに声をかけた。この青年は、他の屈強な男たちと違って優しげな風貌の持ち主だが、一方で精悍な雰囲気も持ち合わせていた。
「何でもないです、エイケンさん」
レベッカは無理に笑顔を作って頭(かぶり)を振った。内心の不安を隠して。
だが、青年――エイケンはそんなレベッカをじっと見つめて、
「実地訓練に緊張し、不安を覚える。別に恥ずかしいことじゃない。寧ろ当然――これで微塵も緊張していなかったら、逆に心配する」
そう言ってエイケンは微笑んだ。
心を見透かされ、レベッカは赤くなってしまった。
「それに遭難者の救出だから、そんなに心配することはないさ。勿論、例の喰人鬼に遭遇する可能性はないとはいえないから、絶対に一人にはなってはいけないけれどね」
「そいつはどうかねえ」
後ろに座っていた長髪の男が身を乗り出して割り込んだ。口元に意地悪気な笑みを浮かべて。
「レヴィ、二人だからって安心するな。二人っきりになると本性表す奴もいるからな」
「そうだな。忘れていた。レベッカ、このフォレストには近づくな。非常に危険だ」
長髪の男――フォレストは笑みを浮かべたまま、無精髭の生えた顎を撫でながら、
「ほう、リチャード。なにが、どう危険なんだ?俺が何をすると?」
「いいのか? あることないこと言いふらして」
肩越しにリチャード・エイケンは半眼でフォレストを見た。
そこにまた違う人間の声が入った。
「まあ、油断はするなということだよ。もっとも、それは彼女よりもフォレスト、おまえに言った方が良さそうだが?」
発したのはリチャードの左隣に座っていた、黒人の男だ。
フォレストはおどけて、大仰に肩をすくめた。
「隊長、一旦何処かに着陸しましょうか?少し霧も出てきましたし」
操縦席からの声にフォレストの隣に座っていた髭面の男が応える。
「そうだな。ケビン、開けた場所を見つけ次第――」
その時だった。機体を激しい揺れが襲った。
「どうした!?」
髭面の男が操縦士に叫ぶ。
「後部ローター破損……停止!」
機体が回転しだし、ぐんぐんと森が迫ってくる。
「何とか制御できないのか!」
「駄目です!」
「こちらブラヴォーチーム! 聞こえるか!? トラブルだ! 場所はアークレイ山地の南――!」
補助操縦席に座っていた巨漢が無線に叫ぶ。
もう木々の枝葉まではっきりと見えるような距離だ。
そして――
説明 | ||
PS版「バイオハザード」をベースにした小説です。 | ||
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