バイオハザード〜4. 分断 〜
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 ジルは荒い息を整えようと努力しながら、まず仲間を確認した。

 

 隣で座り込んでいるバリーは真っ赤になった顔に大量の汗が噴き出している。

 

 クリスは蒼褪めた表情で両足を床に投げ出していた。

 

 ウェスカーだけは、肩で息こそしているがサングラスの向こうの瞳が落ち着いた光を放っているのが分かった。

 

 改めてジルは自分達が逃げ込んだ場所を見渡した。

 

 高い天井には豪奢なシャンデリアが輝き、中央には二階のバルコニーへと続く、これまた豪華な装飾が施された幅広の階段が据えてある。階段へは赤い絨毯が敷かれ、細微な装飾と貴金属に彩られた台の上には各種美術品が並べられている。床は大理石が敷き詰められ、鏡のような光沢を見せている。風が入ってくるのか、ガス灯の揺らめきが、白い壁に幻想的な、そして不気味な影を作り出している。屋敷は不気味なほど静寂に包まれていた。

 

 徐々に息が整っていくに従い、疑問が湧き上がってくる。

 

 ここは一体何だ?

 

 ブラヴォーチームが行方知れずになり、バケモノに追いかけられて、そして、逃げ込んだ先はシャイニングに出てきたような豪華な洋館だ。S・キングの世界にでも迷い込んだ気分だった。

 

 足元を見ると血が転々と奥に続いているのに気が付いた。それを目で追っていった先――この大玄関の中ほどに人が横たえられていた。

 

 それは『S.T.A.R.S.』のアーマーベストを身に着けていた。

 

 震えの治まらない足を罵倒しながら、ジルは近づいた。仲間達も気付いたらしく、ジルと同じようなペースで後ろから付いてくるのが判った。

 

 その人物は7フィート弱の巨体を持つ青年だった。

 

「エドワード!」

 

 誰からともなく悲痛な声が上がった。

 

 それはブラヴォーチームのエドワード・デゥーイだった。

 

 ジルは彼の傍に膝を着いた。エドワードの両手は胸の上に組み合わされていた。いや、正確にはそうではない。だが、誰かが――もしくはエドワード自身が――それを意図していたことは確かだろう。

 

 彼の右腕には手首から先がなかった。何かに喰いちぎられたかのような傷痕。外の森でジョセフが見つけた拳銃はエドワードのものであったのだ。

 

 切断面からの出血は既に止まっていた。

 

 それでもジルは閉じられた瞼を開き、瞳孔にライトを当てた。次に首に手を当て、脈を調べる。

 

 だが、それは彼の死を確実なものに変えただけであった。

 

 静かに首を振る。バリーの悲痛な声が上がった。その最中で――

 

「ジル、離れろ。さて、これから我々がすべきことだが――」

 

 エドワードの死を悼んでいたジルの後ろで、ウェスカーが平時と変わらぬ口調で話し始めた。まるでエドワードの死に何も感じていないように。いや、ジョセフやケビンにも。

 

「隊長っ」

 

 ジルは怒気を隠さずに荒い声をあげ、振り向いた。

 

 見れば、クリスやバリーも、ジルと似たような、不快さを隠し切れない表情を浮かべている。

 

 ウェスカーはゆっくりとジルを見、そしてクリス、バリーに目を向けた。そして嘆息した。

 

「我々は何だ?何をしに来た?思い出せ。また、言ったはずだな?『今はそんな時間はない』と。あくまで予想だが、エドワードの状態から見て誰かがここに横たえたのだろう。ブラヴォーチームの誰かがだ」

 

 ウェスカーはそこで言葉を切り、もう一度全員を見回した。サングラスの向こうにある表情は読み取れない。

 

「死んでしまった者よりも、今生きている者に気を向けるべきだ。君たちは仲間の死に、状況の判断も付かなくなってしまうような素人集団か? ヴァレンタイン」

 

 嘲る訳でも罵るわけでもないウェスカーの口調。だが、そのひとつひとつはあからさまな皮肉が篭っていた。

 

「……いいえ」

 

 ジルは憤懣を腹に仕舞いこみ、言葉を吐いた。クリスも似たような表情であったが、不思議なことに、バリーはジル以上に身を震わせていた。

 

 畳み掛けるようにウェスカーは続けた。

 

「では先ほどの君の激情は不適切なものだな。感情に翻弄された愚かな行動だ」

 

「申し訳ありませんでした」

 

 腹に据えかねていたが、それは飲み込んだ。普段はこの冷静さに頼もしさを覚えるのだが、今は憎らしい。

 

「続けるぞ。仲間がいる可能性がある以上この屋敷を探索する」

 

 ウェスカーの声が朗々と響く。

 

「……隊長、ブラッドに無線が繋がりますか?」

 

 クリスの問いにウェスカーは頭(かぶり)を振った。

 

「圏外に出てしまったらしいな。我々に出来るのは祈ることだな」

 

 ウェスカーは皮肉気に口をゆがめた。

 

 ここで悪い冗談を重ねる声がないことに、ジルは今更ながら寂寞感を覚えた。

 

 ジョセフはもう居ない――

 

 ウェスカーはサングラスを指で押し上げ、クリスを見た。

 

「レッドフィールド、君には二階の偵察をしてもらいたい」

 

「分かりました」

 

「何かあったらすぐ知らせろ。場合によっては発砲も躊躇するな」

 

「? ……了解」

 

 クリスはショットガンを肩に掛けなおし、頷いた。どこか怪訝な表情をしている。

 

「クリス、おまえさんの事だから心配はないと思うが、無理はするな」

 

「ああ」

 

「気をつけなさいよ」

 

「そっちもな」

 

 クリスが絨毯を踏みしめ、階段を上っていった。

 

 クリスの足音が遠ざかっていく。

 

 ジルたちはこの玄関ホールを調べることとなった。

 

 それにしても豪華絢爛な作りだ。状況が状況でなかったら、この風景は夢のような気分を味あわせてくれただろう。並べられている陶器一つとっても、ジルの年収では買えるはずもない一品であることは確かだ。もっともそれらは、今は黒い外套に身を包んだ吸血鬼でも出てきそうな、不気味な雰囲気を醸し出す小道具のようにしか感じられなかった。

 

 階段の袂の小さなテーブルには年代もののタイプライターが置かれている。飾りとしては少々不具合な代物である。

 

 その他には不審な点は見当たらなかった。

 

 ホールの西側に二つ、東側に一つ扉がある。

 

「どちらに?」

 

「東側にしよう」

 

 ウェスカーはジルの方を見た。しばし思案するように口元に手を当てた。

 

「ヴァレンタイン、行ってくれるか」

 

「はい」

 

「俺も行きます」

 

 バリーの声が横から割り込んだ。

 

「わたしだけじゃ心配?」

 

「当たり前だ」

 

 バリーは真剣な面持ちで頷く。『S.T.A.R.S.』に入隊した頃、バリーに手解きを受けていた日々をジルは思い出した。そして、懐かしさと安堵の笑みを浮かべた。

 

 バリーはそんなジルを見る余裕も無いように、せっかちにウェスカーに尋ねた。

 

「隊長、ブラヴォーチームの誰かには繋がりますか?」

 

「いや。電波そのものが悪いようだな。ノイズだけだ」

 

 ウェスカーは通信機を操作しながら続ける。

 

「私は両チームの中継役を務める。君達が捜索している間、マリーニと繋がるよう試しておく」

 

 ジルとバリーはウェスカーに軽く敬礼し、東側のドアをくぐった。

 

 扉を潜ると目の前に縦長のテーブルが目に飛び込んで来た。

 

 近づいて、その表面を指でなぞると指に埃が付いた。それが最近ここで食事を取った者がいないことを物語っている。

 

 食事。

 

 そう、ここは食堂だ。それも、映画の中でしか見られないような豪華絢爛な。玄関ホールと同じく高い天井にはいくつもの明かりが吊り下げられ。二階バルコニーがぐるりと周囲を囲んでいる。壁には数々の芸術品と並んで大きな振り子時計が掛けられ、規則正しく時を刻んでいる。

 

 二十人以上が食事を取れる縦長のテーブルの向こうには嵌め込み式の暖炉も見えた。

 

「まったく信じられない、隊長の奴」

 

 ウェスカーが見えなくなって、溜まっていた憤懣をジルは吐き出した。バリーの苦笑が漏れる。

 

「たしかにな。だがありゃあ大したタマだよ」

 

「……肩持つのね」

 

「感情を押さえ込んでいるにしろ、本当に何も感じていないにしろ、この状況であの無感情な冷静さは真似できんよ。後者は望ましくないけれどな」

 

 バリーは肩をすくめた。

 

「そう苛々するな。恋人が心配でじっとしていられないか?」

 

「そういうわけじゃない――!」

 

「心配するな。奴は生きてるよ、絶対にな」

 

 そのとき――

 

「血だ」

 

 暖炉付近まで進んだジルたちの目に、灰色の絨毯を赤黒く染める染みが飛び込んだ。バリーが駆け寄り、そこにしゃがむ。ふとジルのブーツに何かが当たり、乾いた音をたてた。しゃがんで拾うと、それは薬莢だった。

 

「……この屋敷も安心は出来ないみたいね」

 

 小声で呟く。

 

「バリー、薬莢を見つけた。それは……人間の血?」

 

「分からんよ。そうでないことを望むがね」

 

 まだ血は乾ききっていない状態だった。

 

 その時、ゴトリと重い物が倒れる鈍い音が聞こえた。

 

 ジルとバリーは弾かれる様に顔を上げ、音のした方をみる。それは食堂の南側にある扉の向こうからだった。

 

 バリーは拳銃を抜き、銃口を上にして構えた。バリーは扉の左側、ジルは右側に、それぞれ陣取る。バリーがドアノブに手をかけ、ジルを見た。ジルは頷くのを見て、バリーはドアノブを下げ、そして押し開ける。

 

 ドアの向こうは狭く、暗い通路だった。異臭が同時に侵入してくる。最近、嗅いだ匂いだ。臭いを元に記憶が繋がる。あの娘が発見された時、連日の猛暑と湿気と微生物の豊富な森の中に放置されていたために遺体は凄まじい臭気を放つようになっていた。

 

 腐敗臭。

 

 それが鼻腔に侵入してくる。

 

 バリーが前後の安全を確認し、ジルを手招きした。

 

 廊下の東側。ちょうど曲がり角の向こうから何か、柔らかく水気のあるもの裂く音がする。そして、何かを噛み砕き、咀嚼する音。

 

 バリーとジルはそれぞれ左右に分かれて壁伝いに進んだ。

 

 鼓動が早まる。心臓の音が大きく廊下に響き渡っているような気がした。

 

 曲がり角のすぐ傍まで行き、ジルはバリーと視線を交わした。

 

 まず、バリーが飛び出し、ジルがその後方から銃を構える。

 

「俺はラクーン市警の――」

 

 バリーの台詞は途中で途切れた。

 

 曲がり角の先は電灯とソファーが置かれ、ちょっとした休憩スペースとなっている。染みと解れ(ほぐ)でズタボロになった背広を着た中背の男がこちらに背を向け、屈みこみ、何かに齧り付いている。疎らに生えた頭髪と緩慢な動き――

 

 床には湯気を立てる鮮血がカーペットの上に広がり、血臭が鼻腔を塞ぐ。

 

 男が動くたびに痙攣する、ブーツに包まれた二本の足――

 

 男が動くのを止め、ゆっくりと立ち上がり、そして振り向いた。

 

 落ち窪んだ眼窩に鈍い光を灯し、所々皮膚が剥げ落ち、皮膚片が揺れる。そして、鮮血で真っ赤に染まった口元。

 

 男の足元に見えるのは『S.T.A.R.S.』のアーマーベスト。

 

 ジルは言葉が出なかった。

 

 こいつが殺人鬼――いや、喰人鬼の一人に違いない。

 

 そいつが、自分達の仲間の一人を殺し喰った。

 

 喰人鬼は皮が剥げ、筋肉繊維がむき出しの両腕を前方に掲げ、高熱に侵された重病人の如く、ゆらりゆらりと覚束無(おぼつかな)い足取りでこちらに近づいてきた。

 

「おい、止まれ! 止まらんと撃つ!」

 

 バリーが銃口を向けたまま、叫ぶ。だが、男は自分に向けられた銃口を意に介す様子はなかった。

 

 轟音が通路を反響し、男のすぐ傍の壁に穴を穿つ。

 

「次は当てるぞ。最後の警告だ。止まれ!」

 

 だが、男は止まらない。

 

 この男は自分が銃口を向けられていることも、耳元を弾丸が通過したことも気付いていないのではないか。そんな考えがジルの脳裏に浮かんだ。

 

「くそっ」

 

 バリーは引き金を引き、銃弾は男の膝を撃ち抜いた。

 

 男は前のめりに倒れ、呻き声を上げた。だが、男はすぐに顔を上げると、腕を使ってこちらに這ってきた。痛みを感じている様子はない。

 

 三度目の轟音。マグナム弾が背中に撃ち込まれ、血の花が咲いた。

 

 男はしばし痙攣した後、動きを止めた。

 

 バリーは荒い息を吐き、ジルの背は冷たい汗で濡れている。

 

「何なんだこいつは……」

 

 バリーが独り言のように呟いた。

 

 バリーとジルは銃を仕舞い、『S.T.A.R.S』の死体に近寄った。

 

 死体には首がなかった。袖にはブラヴォーチームのワッペンがついている。

 

 頭部はすぐ近くに転がっていた。黒い肌と髭に覆われた口元。そして、生前は理知的な風貌を浮かべていた顔は血に染まっている。

 

 ケネス・J・サリヴァンだ。

 

 ジルはしゃがみ込み、ライトで照らした。

 

 ケネスの胸郭は無残に切り開かれ、臓器が辺りに散らばっている。

 

 頸部は噛み砕かれ――そう、噛み砕かれたのだ――、そこから迸(ほとばし)ったであろう血しぶきが壁を赤々と染めている。

 

 誰が見ても、そこにケネスの命が消えているのは明白だった。

 

「自殺だな」

 

 ケネスの首の傍で膝を付いていたバリーが呟いた。

 

 転がった側頭部に小さく深い穴があった。反対側には大穴が空いていることだろう。この灯りでは見えないし、ライトで照らしたいとも思わないが、周囲には脳漿が毀れているだろう。

 

 バリーはしばしケネスの遺体を見つめた後、拳で床を叩いた。埃が舞い上がる。

 

 バリーの表情は幾つ物の感情――総じれば怒りだろう――に歪められていた。ケネスには娘が一人いたはずだ。

 

 家族持ちで、同様に二人の娘を溺愛しているバリーには、彼の行為が理解できないのだ。

 

 ケネスの左手首に血で染まった布が巻かれていた。自分で応急処置したらしい。彼も犬に噛まれたのであろうか。

 

 ジルはケネスの拳銃を、彼の指を一本一本丁寧に外しながら回収した。弾倉を抜くと半分装填されたままだった。ポーチを探ると未使用のマガジンが一本見つかった。

 

 それらをまとめて、悲嘆に暮れるバリーに差しだした。

 

 バリーはそれを見て意外そうな顔をする。

 

「残弾、少ないでしょ。あなたが使って」

 

「しかしな」

 

「わたしたちには武器が必要よ、バリー。喰人鬼は……まだ他にいるかもしれない」

 

 それでも抵抗の意思を見せるバリーにジルは苛立った。

 

「バリー、この状況で自分の好みを主張する気?」

 

 言葉にも自然と険が篭る。戸惑うような、怒りと苦痛が混じったような表情をバリーは見せた。しかしそれは一瞬のことで、すぐに苦笑にかき消された。

 

「自動拳銃は信用ならねえからなあ。前に酷え目にあったことがあってよ」

 

 誤魔化すような口調だが、言った内容がそのための方便ではなさそうだった。酷い目とは『S.R.U.』の件か。

 

「そうね。誤作動があるかもしれない。でも、この銃はケネスの銃よ。彼が戦友を裏切るとは思えないけど」

 

 言ってから失言に気づいた。自殺こそ裏切りではないのか。しかし、バリーは銃を受け取った。ジルの説得が功を奏したわけではないだろうが。

 

 一方で、不思議と落ち着いている自分に違和感を覚えた。

 

 だが、同行者が狼狽している場合、意外と落ち着いてしまうものなのかもしれない。

 

 バリーは明らかに狼狽していた。顔色も青ざめて見える。彼の目は別のものを見ているような、危うい光がある。

 

 銃をポーチに仕舞うバリーに、ジルは呼びかけた。

 

「とにかく、戻りましょう」

 

「……そうだな」

 

 つい十分ほど前、似たやり取りをしたことをジルは思い出した。

 

 ジルとバリーは先ほどの男の死骸の傍を駆け抜け、通路を通り、食堂に出た。食堂は湿っぽく、カビ臭い空気だったが、それでも廊下の臭気から解放されて気持ちよかった。

 

 食堂の扉を閉め、そして、玄関ホールへと出た。

 

 そして――

 

「おい、こいつは何の冗談だ?」

 

 ジルもそう思った。

 

 犬のバケモノ、仲間達の死、そして腐敗しても動く人間。

 

 そして、追い討ちを掛ける事態がこれか。

 

 ホールには誰もいなかった。

 

 アルバート・ウェスカー隊長は、玄関ホールから姿を消していた。

 

 

「――くそったれ!」

 

 クリスは罵声と同時に血の混じった唾を吐き捨てた。

 

 クリスは洋館の一室にいた。ドアを背に、左手の傷跡の治療をしていた。治療といっても、傷口を吸出し唾液で消毒し、布で止血することしかできない。シャツの裾を破き、傷口に巻きつける。

 

 部屋に充満する異臭に、クリスは顔を顰めた。

 

 目の前に転がる『それ』が発する臭気。

 

 クリスは事の顛末を思い返した。

 

 あの後、クリスは食堂上のバルコニーを抜け、奥の通路に入った。通路の奥で人影を見、それに声をかけたのだ。だが、相手は気付いた様子はなかった。影からしてブラヴォーチームの誰とも似つかない。この館の住人かと想像し、自分の身分を告げながら近づいたのだ。段々と腐敗臭のようなものが濃くなっていくのに訝しんだのを覚えている。だが、影の正体を見たときの衝撃に比べれば小さい物だった。

 

 腐汁が溜まった口腔、腐った粘膜……そして肉体。おそらく、肥満した男だったと思われる。

 

 ゾンビ――

 

 姿形は、まさしく映画のソレだった。

 

 そいつはクリスに緩慢な動きで襲い掛かった。

 

 クリスは軽い錯乱状態に陥っていたが、どうにか銃を抜き、男の腹に二発叩き込んだ。嫌悪感からの発砲――殺害だった。警官として有るまじき行為だ。

 

 ――いや殺害にはならなかった。

 

 男は着弾の衝撃で数歩後退しただけで、倒れる様子もなかった。

 

 映画のように、頭部を破壊せねばならないのか……

 

 そして、頭部に狙いを移したとき、左手側の扉が跳ね開けられたのだ。中から覆い被さってきた、別の男――先と同様、ゾンビといって良い容姿だった――と揉み合いになり、部屋へと倒れ込んだのだ。

 

 腐臭を放つ息がかかる嫌悪感と、左手を噛み付かれたことによる痛み。クリスはゾンビの腹部を何度も蹴り付け、引き離すと、転がったゾンビの頭部に銃弾を叩き込んだのだ。ゾンビは腐った脳漿と血液を床にぶちまけて、数度痙攣すると動かなくなった。

 

 その時、下で轟音が三発鳴った。仲間も、これに遭遇したらしい。

 

 先のゾンビは部屋の扉を通り過ぎ、食堂側の扉へと移動していた。おそらく、視界から消えた自分を探しているのだろう。ゾンビの知能や知覚は極めて劣弱であることが予想できた。

 

 クリスはホールドオープンしていたベレッタのマガジンを交換し、背中を向けているゾンビの頭部に向け発砲した。瞬間、左手に鋭い痛みが走る。壁が体液によって染められるのを見て、クリスは部屋に戻り、左手の治療を始めたのだ。

 

 そして、今の状況に至るのである。

 

 揉み合った際に手や首やアーマーベストに付着した腐汁に辟易しながら、クリスは立ち上がった。ついでに手をズボンで拭き、銃を抜いたまま、部屋を出た。

 

 一度、ホールに戻るべきだろうか?

 

 あれから銃声は聞こえてこない。まさか、やられたということはないだろう。一応の危機は脱したと考えるべきだ。

 

 ならば、自分に与えられた任務を遂行するべきだ。

 

 通路奥――最初のゾンビがいた所の扉は鍵が掛かっていて開かなかった。

 

 入ってきた扉の手前に、一階に降りる階段があった。

 

 クリスはそれを降り、一階に立った。

 

 そこには案の定、ゾンビが徘徊していた。

 

 通路は暗く、狙いが付けづらい。クリスは舌打ちをして、手前のゾンビの頭を撃ち抜いていく。だが、暗がりのせいで狙いが定まらず、尚且つ左手の痛みで銃把を満足に握ることが出来ない。

 

 三体――影が斃れ付し、残数は零になった。

 

 正面には両腕を前に掲げ、クリスに襲い掛からんとするゾンビの群れ。

 

 クリスは銃を仕舞う。肩に掛けているショットガンに手をかけたが、弾を再装填していなかったことに気付き、顔を歪めた。

 

 ゾンビ相手に格闘戦やる気は毛頭ない。

 

 二階に戻るか……

 

 そう思ったとき、踝を物凄い力で掴まれた。

 

 ギョッとして下を見ると倒れたゾンビがクリスの足を掴んでいる。

 

 斃したと思っていたが違っていたらしい。

 

 物凄い力で右手に伸びていた通路に引き倒される。

 

 クリスはショットガンのストック部分でゾンビの頭部を何度も殴りつけた。こうしている間にもゾンビは迫ってきていている。

 

 一体何度殴っただろうか。

 

 ほんの数秒程なのに永遠にも感じられた。

 

 生々しい音とともにゾンビの頭蓋がはぜ割れ、脳漿が床を汚す。

 

 掴んだ手から力が失せ、足が解放される。

 

 ゾンビたちはもう、目の前に迫っていた。

 

 二階に逃れることは不可能――

 

 横を見ると扉があった。

 

 中に先ほどのようにゾンビがいる可能性はある。

 

 だが――

 

 考えるよりも先にクリスはドアノブを下げ、部屋へと飛び込んだ。

 

 その瞬間、冷えた熱いものを感じた。その矛盾した感覚は何度も作戦中に味わったものだ。培われてきた危険を回避するための警鐘。クリスはとっさに頭を下げた。

 

 一瞬後、銃声が二発鳴った。

 

 そして、砕けた壁の欠片が降りかかる。

 

 クリスが顔を上げると、そこには銃を構えた女性――いや、少女と言った方が適切かもしれない――がいた。

 

 ゾンビの呻き声に、クリスは慌てて扉を閉めた。

 

 そして、改めて部屋にいた少女を見た。

 

 部屋の明かりに照らされている少女は呆けた様に口を開け、クリスを凝視している。栗色の髪を止めたバンダナと円らな瞳が必要以上に少女の顔立ちを幼くしているように思える。白い防刃繊維のアーマーを着込み、緑色のアンダーシャツを着ている。顔に見覚えはない。だがブラヴォーチームに同行した訓練生のレベッカ・チェンバースだと容易に想像できた。

 

「……とりあえず、銃を下ろしてくれないか? 君はレベッカ・チェンバースだね?」

 

 少女――レベッカは、クリスの声に我に返ったのか、慌てて銃を下ろし、赤面しながら頷いた。彼女の銃はM92Fよりも一回り小さい、M8000だった。

 

「俺は『S.T.A.R.S.』アルファチーム所属のクリス・レッドフィールドだ。君の仲間だ。助けにきたぞって言いたかったんだけどな」

 

 クリスは苦笑した。

 

 レベッカは赤面した顔を下に向けたまま、もごもごと何かを言っている。

 

「ん? なんだ?」

 

 よく聞き取れなかったためクリスが問うと――

 

「その…すいませんでしたってっきり外にいる化け物が入って来たんじゃないかって思って……よく確認したんですけれど」

 

 レベッカは下を向いたまま、一気に謝罪を告げた。

 

 クリスは一つ、彼女の謝罪の中で気になることがあった。

 

 ――よく確認した……?

 

 まあ、あの一瞬のことであるから、よくも何もないだろう。

 

 クリスは一人納得した。

 

「……俺ってそんなにゾンビっぽいかなあ。確かにまだシャワー浴びていないけど」

 

 冗談めかして言ったのだが、レベッカは押し黙ってしまった。

 

 クリスは所在無げに頭を掻き、銃痕を確認した。

 

 あのとき、クリスの頭があった場所に二発打ち込まれている。判断が遅ければ、自分はこの少女の前で頭の中身を曝していたに違いない。

 

 射撃はケネスが教官だったか。思い出し、あの髭面が満足そうに笑みを浮かべるのを想像した。

 

 ――素直じゃないから、まだまだだって渋い顔するかもな。

 

 浮んだ笑みを頬を解して隠す。

 

「レベッカ、他の連中は?」

 

 レベッカは俯いて、首を左右に振った。

 

「分かりません。その……逸れちゃって」

 

 クリスは落胆したが、質問を変えた。

 

「君一人でこの屋敷に?」

 

「いえ、来る時はエイケンさんとデゥーイさんと一緒でした。でもデゥーイさんが……」

 

 レベッカは言葉を濁した。口の中で言葉が出てきては消えていくのが端から見て取れた。

 

 この娘はまだ二十歳程度の娘だ。いくら大学を飛び級で卒業しているとはいえ、中身は、そうティーンの少女と変わるまい。

 

 初めて知人が死ぬ所を目にしたのかもしれない。

 

「デゥーイは逃げ込んだ時に見たよ。リチャードは?出来れば、ヘリが不時着したときから教えてもらえるかな」

 

 クリスはレベッカの側に座り、言葉を選びながら、ゆっくりと語りかけた。妹と同じくらいの年代の娘は苦手だった。気持ちの機微が理解できず、三ヶ月前に妹と会った時も大喧嘩して帰ってしまったことを思い出す。

 

「不時着したとき、ヘリの通信機は故障していました。それで、ドゥーリーさんがヘリを直す間、わたし達は遭難者の捜索に出たんです」

 

「そのとき、君が組んでいたのはリチャードかい?」

 

 レベッカは頷いた。

 

「わたしとエイケンさんは少し離れて捜索していたんです。その内、ヘリの方から、たくさんの犬の声と悲鳴と銃声が聞こえて……」

 

 そのときケビンが襲われたのか。クリスは胸中で呟いた。

 

「わたしがヘリの方へ行こうとした時、マリーニ隊長の『逃げろ!』という声が聞こえました。エイケンさんと走り回って……途中、重傷を負ったデゥーイさんに出会いました。エイケンさんがデゥーイさんに肩を貸して……気がつけば、この洋館の前にいたんです。そして逃げ込みました」

 

 森ではぐれたわけではないらしい。

 

「確認するけれど、他に一緒だった奴はいなかった?」

 

「はい。その、すみません」

 

 謝る彼女に、手振りで気にするなと伝える。

 

 他の連中がここに来ているのなら捜しようもあるのだが。少なくともリチャードはこの屋敷にいる。

 

「あ、あの……」

 

「ああ、すまん。続けて」

 

 レベッカの顔色が変わっていた。言い出すか言い出すまいか、迷っているように感じられる。が、決心したのだろう。軽く頷いて、レベッカは口を開いた。

 

「一階の東側にある食堂で化け物の群れに襲われたんです。エイケンさんは、自分が引き付けておくから先に逃げろって言いました。わたしは食堂奥の扉から通路に出て、南側の扉が開いていたんです。そこに入り込んだら、扉が閉まっちゃって……自動ロックなのか、鍵がかかってしまい、わたしの方からじゃ開かなくて。通路を進んで行ったら、また化け物に襲われて……それで逃げて、そして、この部屋に逃げ込んだんです……」

 

「そうか。ありがとう」

 

 クリスは、かつて幼い妹にしてやったように、右手をレベッカの頭に乗せて、撫でてやった。緊張が途切れたのか、レベッカの嗚咽は大きくなった。

 

 嗚咽が止むまで待ってやり、クリスは立ち上がった。

 

「あ、あの……レッドフィールドさん?」

 

「クリスでいい。なんだ?」

 

「左手の怪我、大丈夫ですか? 出血が酷いようですけれど、治療は……?」

 

 レベッカに言われて、左手を見ると、巻いた布は朱に染まり、血が滴っている。

 

「唾付けただ……かな。道具も余裕もなかったんでね」

 

「あのちょっと座って、布を取ってください。消毒しますから!」

 

 レベッカはバックパックから治療用具を出し始めた。クリスはレベッカに従って座り、布を取った。布は血を吸って傷口に貼り付いていた。剥がした時に痛みが走る。

 

 レベッカは、まず清潔な布で傷口の周りを、消毒液を掛けて拭き、洗浄した。

 

 噛まれた傷は、拭いてもすぐに血が溢れ出す。

 

 けっこう深いですね。と、レベッカが独白した。

 

 傷口を指で押し広げ、内部に消毒液をかけて消毒する。

 

 クリスは痛みに顔を歪めた。

 

 傷口にガーゼを厚めに当て、上から包帯を巻いていく。

 

「すいません。今持っている道具じゃ、これが精々です。本当は専門医に診てもらった方が良いんですけれど……あの化物だと感染症の危険もありますし」

 

「見るからに雑菌だらけだからな。ありがとう」

 

 左手は少し握るだけでも鋭い痛みが走る。さっき、消毒されたときに、さらに傷口が広がった気がしないでもないが、何も言わなかった。

 

 これからどうするか。

 

 そしてレベッカをどうするか……彼女は、はっきり言って足手まといだ。

 

「俺は捜索に戻るよ。レベッカ。君にはすまないと思うけれど、この部屋にいてもらいたい。ここを集合場所として使いたいんだ。君に、ここを確保しておいて貰いたい」

 

 クリスは、さっき以上に言葉を選んで告げた。

 

 レベッカの瞳は一人にしないで欲しいと訴えていたが、クリスは敢えて気付かない振りをした。

 

 レベッカは小さく頷いた。

 

 クリスは床に置いたショットガンを拾い、ポーチから弾を取り出してマガジンに詰めていった。あと六発しかないが、仕方あるまい。

 

「あのクリスさん。もしかして拳銃の弾がないんですか?」

 

 このレベッカという少女、察しが良いのか悪いのか判らない娘だ。

 

「ああ」

 

 そう答えると、レベッカの表情が僅かに明るくなった。

 

 レベッカはポーチを探り、ベレッタのマガジンを一本差し出した。ブラヴォーチームの予備用らしい。

 

「使っていいのかい?」

 

 レベッカが頷く。

 

「それじゃ使わせてもらうよ」

 

 クリスはレベッカから受け取ったマガジンをベルトに差し込んだ。

 

「誰かと合流できたらすぐに戻ってくるよ。俺が出て行ったら扉の前に、重い物を置いてくれ。俺か、または仲間の声があるまで、扉は開けないでくれ。いいね?」

 

「了解です」

 

 健気に敬礼してくる少女の目は不安で揺れていた。

 

「心配するなよ。きっと戻ってくるから」

 

 クリスは明るく言って、扉に近づいた。

 

 ドアノブを下げ、扉を薄く開く。その隙間から覗いたが、動く影は見当たらない。

 

 クリスはショットガンを構え、外に滑り出た。

 

 

説明
PS版「バイオハザード」をベースにした小説です
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タグ
ゲーム ホラー バイオハザード ノベライズ 

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