バイオハザード〜5. 再会 〜
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「隊長っ! ウェスカー隊長!」

 

 

 バリーの声がホールに響く。

 

 

 ジルは階上のバルコニーを回りながら思考に没していた。

 

 

 不可解だった。

 

 

 ホールに争いの形跡はない。薬莢はもちろんのこと、何も変化がないように思える。

 

 

 だとするならば、クリスの身に何かあったのだろうか。それでウェスカーがそこに向かった――。

 

 

 クリスがホールに戻ってきたなら、まず自分たちに報せに来るだろう。それがなかったと言うことは、自分達に報せに走る時間も惜しい状況になったということだ。銃声でも聞こえたか。

 

 

 あの喰人鬼に襲われた時、自分達は酷い興奮状態だった。そのせいで気付かなかったのかもしれない。

 

 

 だが、コルトパイソンの咆哮は決してベレッタのように小さいものではない。ウェスカーやクリスの耳にも届いたはずだ。

 

 

 だというのに、彼らは戻ってきていない。

 

 

 何よりも奇妙なのは、エドワードの遺体も消えていることだ。

 

 

「――ジル。何か見つかったか?」

 

 

 バリーの声にジルは思考を止めた。彼の声色には焦りが表れていた。

 

 

「真新しい足跡が幾つか。支給品のブーツの跡だけど、隊長の物かどうかは分からない」

 

 

 階段を駆け下りながらジルは口早に言った。

 

 

 だが、ウェスカーがどこかに行ったことは確かだ。

 

 

「クリスとウェスカーに何かあったってことだな。問題はどっちに行ったかだが……」

 

 

「分かれて捜索するしかないでしょう」

 

 

 ジルの提案に、バリーは軽く眉を上げた。

 

 

「捜索の効率を考えればそうするべきだ。しかし、一人になるが大丈夫か?」

 

 

「もう新人じゃないわ。二人単位(ツーマンセル)じゃなくても自分の身は守れる」

 

 

「そうかい。それじゃ、西側を任せる。無理はするなよ」

 

 

 ジルは頷いた。

 

 

「ここのホールを集合場所としよう。誰かと合流できたら、ここに戻って待機だ。何もない場合でも一時間に一回はホールへ様子見に戻ってくる。どうだ?」

 

 

「了解よ」

 

 

「それとだ」

 

 

 バリーはニヤリと口の端を上げた。

 

 

「危なくなったら助けを呼べ。いつでも駆けつけてやる」

 

 

 ジルを安心させようとバリーが無理をして余裕を見せているのが分かったが、ジルはそれに気づかない振りをした。

 

 

「頼りにしてるわ。サー」

 

 

 バリーは苦笑し、ジルの肩を叩いて背を向けた。

 

 

 東側――食堂の扉が閉まるのを背に聞きながら、ジルは深呼吸した。銃把を握り締める。この硬い鉄の塊が唯一の、喰人鬼への直接の対抗手段だ。

 

 

 ジルはドアノブを回した。

 

 

 扉の隙間からライトで部屋を照らし、喰人鬼の仲間が潜んでいないかを確認する。

 

 

 目に付く所には居ないが、一応扉を開けっぱなしにして入る。

 

 

 美術室なのだろうか。部屋の中央には水瓶を担いだ女神像が設置され、ライトに照らされ乳白色の光を放っている。

 

 

 他にもいろいろな骨董品が並び、または無造作に床に転がっている。ここが何のための建物なのか、見当がつきにくい。無難なのは、大金持ちの別荘だろうか。壁には面白くもない風景画や裸婦画が飾られていた。

 

 

 何か手がかりになるものはないか、棚を調べる。次々と引き出しを開けていく。ライトを口に挟み、両手で中身を取り出して目を通していく。

 

 

 幾つかめの引き出しの底に、四つ折にされた紙があった。広げてみると、見取り図のようである。床に敷いてじっくり見ていると、さきほど自分たちが居た玄関ホールにあたる図を見つけた。これはこの屋敷の見取り図らしい。

 

 

 思わぬ掘り出し物にジルは微笑んだ。

 

 

 見取り図を元に畳み、ズボンのポケットに仕舞う。これで少なくとも迷うことはない。

 

 

 バリーにこの発見のことを知らせようかと思ったが、先に進むことを選んだ。

 

 

 部屋の左側に布が掛けられている。捲ると奥に続く通路であった。

 

 

 地図を開き確かめると、どうやら袋小路らしい。

 

 

「ブラヴォーチーム、いるなら返事をして」

 

 

 呼び掛けたが返事はない。いや、遅れて空気を掠らせるような怨嗟の声が返ってきた。先ほどの喰人鬼の仲間か。

 

 

 この先に仲間が居たとしても生存は絶望的だろう。

 

 

 だが確認しなくてはならない。呼び掛けてもしなくても、やるべきことは同じだった。

 

 

 銃を構え、そろりそろりと摺り足で進んでいく。

 

 

 曲がり角に影が見えないか。音は、匂いは――

 

 

 そのとき、突如として左足のブーツを掴まれた。小さく悲鳴を上げ、ジルは尻餅をついてしまった。見れば、あの腐った喰人鬼の同類が寝そべった体勢で彼女の足首を掴んでいた。凄まじい力で。前方に気をとられ、足元に注意を向けていなかったので倒れているのに気付かなかったのだ。足が使えないのか――壊死してしまったのか――這うように空いた手を伸ばしてくる。

 

 

 ジルは宙を彷徨う手に踵を振り下ろし、そして頭部を蹴りつけた。しかし、怯む様子はない。何度も蹴りつけたが意味は無かった。ジルはようやく手に持った銃を思い出し、頭部を撃った。

 

 

 後頭部からビシャリと頭蓋の内容物が飛び散るのが聞こえた。

 

 

 足首を掴む力が緩み、ジルは立ち上がって喰人鬼の手を振り落とした。

 

 

 警戒しながら喰人鬼の脇を通り抜け、角を曲がった。

 

 

 ライトで照らすも、何も無い。まったくの無駄足だ。貴重な銃弾を消費してしまった。

 

 

 女神像のある部屋に戻り、息を整える意味も込めてもう一度地図を開いた。

 

 

 右側にある扉。そこからは廊下が延び、西棟の各所へと続いていくらしい。

 

 

 立ち上がり、扉に手をかける。先ほどと同様に隙間からライトで照らす。

 

 

 何も無い。

 

 

 廊下を仄かな電灯が照らしている。廊下の中ほどに棚とショーケースがあり、それと窓があるのだろう。ジルの顔ぐらいの位置にカーテンが二箇所にかかっている。

 

 

 ジルはライトを仕舞い、踏み入れた。ここの屋敷で人間が生活しなくなってどのぐらい経つのか。電力は供給されているようであるし、点けっぱなしであると言うのが気になる。

 

 

 あの喰人鬼が一々点けていったとは考えられない。

 

 

 廊下にはジルの足音と風が窓に吹き付ける音だけが聞こえる。ショーケースの中には人骨やら動物の剥製が展示されている。この館の主は好ましい趣味の持ち主ではなかったようだ。

 

 

 廊下を中程まで進んだときだ。ふいに背後の窓ガラスが砕け散った。床に散らばったガラスが不協和音を奏でた。そして廊下のタイルを爪が引っ掻く音と唸り声――

 

 

 あの犬だ。

 

 

 外の森での出来事。暗がりの中で見た、あの醜悪な姿が甦る。

 

 

 振り返りたい衝動を必死で押さえ込み、ジルは走った。

 

 

 角を曲がろうとしたとき、すぐ後ろの窓も砕け散った。

 

 

 すぐ近くで咆え声が背にかかる。怖気が体中を駆け巡った。

 

 

 角を曲がると、夢遊病者のような喰人鬼が二人、緩慢な動きでジルの方を振り向くのが目に入った。両の手を上げ、歓喜とも鬼哭ともつかない声を上げる。

 

 

 立ち止まって撃っている時間はない。すぐ背後には犬の顎が迫っている。そのままここを突破するしかない。

 

 

 喰人鬼たちの向こうに扉が見えた。この廊下は広くはないが、幸いにも喰人鬼たちは鈍い。

 

 

 ジルを捉えようとする腕を掻い潜り、喰人鬼の脇を駆け抜けた。皮膚の剥離した指先がショルダーパッドを引っ掻いたのを感じ、ジルは肝を冷やした。辿り着いた扉は押し戸であった。

 

 

 ノブを下げ、扉の向こうに滑り込む。扉を閉め、その閉じた扉を前にして一息ついた。あの喰人鬼たちに扉を開けるような知能があるとは思えない。何かのきっかけでノブに手が触れたりしないことを祈るだけだ。

 

 

 ふいに背後で呻き声が上がった。

 

 

 肩越しに振り向くと、また喰人鬼が一人、すぐ背後に迫っていた。

 

 

 喰人鬼は道を塞ぐ形で立っており、先ほどのようには行かない。おぼつかない足取りで喰人鬼は一歩一歩近づいてくる。

 

 

 ジルは手に持った銃を構え、発砲した。喰人鬼の胸にドロリとした血の花が咲き、喰人鬼は仰向けに倒れていった。

 

 

 しばし痙攣した後、喰人鬼は動かなくなった。完全に動かなくなるまでジルは喰人鬼を凝視していた。背後の扉からは咆え声と爪の音が聞こえる。冷や汗で濡れた額を拭い、ジルは慎重に喰人鬼の死体を跨いだ。曲がりくねった廊下を進むと、右手に扉が見えた。

 

 

 一応ノックしたが、反応はない。

 

 

 廊下の奥には扉があり、喰人鬼の仲間達が侵入してくることはなさそうだ。

 

 

 扉を開けると、灯りが廊下へと伸びた。

 

 

 その部屋は応接間のようであった。ソファと火の灯っていない暖炉が出迎え、室内灯は暖かい色合いのものが用いられていた。テーブルの上にはコーヒーポッドが置かれている。

 

 

 何か気が抜ける光景だった。

 

 

 この館の持ち主のものだろう、奥の壁にはショットガンが飾られている。

 

 

 使えるかもしれないと、淡い期待を胸に抱いてジルはショットガンへと近づいた。

 

 

 トサッとジル背後に何かが落ちてきた。

 

 

 喰人鬼よりも大きい、だが体重そのものは軽そうな音。入ってきた扉付近であろうか。

 

 

 ジルは銃を構え振り向いた。だが、そこで固まってしまった。

 

 

 そこに居たのは蜘蛛であった。とても大きな、それこそ仔牛大の。

 

 

 男性の腕ほどの太さの四対の足と腹部にはびっしりと剛毛が生え、五つの大きな単眼は部屋の明かりを受け黒光りしている。足と同様に太く毛に覆われた触肢と鋏角を摺り合わせるように、忙しなく動かしている。腹部の毒々しい紋様までがはっきりと見て取れた。

 

 

 天井の片隅には大きな穴があり、室内灯の光を拒絶していた。その闇から、この蜘蛛が侵入したことは明らかだった。

 

 

 ジルは我に返り、その蜘蛛が襲ってくる前に発砲した。

 

 

 弾丸は触肢や足を吹き飛ばし、頭部に穴を穿った。

 

 

 体液を撒き散らしながら、蜘蛛は怒ったように残った前足を振り上げ、迫ってきた。次々に着弾させるが怯む様子がない。

 

 

 後ろに下がりながら撃ち続けたが、背中が壁に付いた。蜘蛛とジルとの距離はもう幾許もない。

 

 

「誰か居るのか!?」

 

 

 扉の向こうでバリーの声が聞こえた気がした。空耳か。だが、ジルは構わず叫んだ。

 

 

「助けて!バリー」

 

 

 扉が勢いよく開けられ、見慣れた髭面が顔を出した。

 

 

 バリーは巨大蜘蛛に驚愕を隠せないようだったが、すぐに自前のコルトパイソンを構え、蜘蛛に発砲した。

 

 

 マグナム弾は蜘蛛の腹部に着弾した。腹部は水風船を破裂させるように爆発し、内容物を辺りにばら撒いた。体液の一部はジルにも降り掛かった。

 

 

 だが、蜘蛛は死ななかった。恐るべき生命力でジルへと足を蠢かし迫る。

 

 

「ジル!眼を狙え!」

 

 

 バリーの声に、ジルは無我夢中で五つある単眼の中央部を打ち抜いた。

 

 

 蜘蛛は仰向けになり、しばし足を蠢かしていたが段々と痙攣は小さくなり、動かなくなった。

 

 

「ジル、大丈夫か?」

 

 

 蜘蛛の死骸の脇を通りながらバリーが近づいた。

 

 

「大丈夫よ、ありがとう。助かった」

 

 

 笑みを返したジルの鼻を異臭が貫いた。

 

 

 アーマーベストの、蜘蛛の体液が付着した部位が煙を上げていた。

 

 

 ジルは急いで、ショルダーパッドを外し、ベストを脱ぎ捨てた。

 

 

 幸いにも体液はベストにしか付着していなかった。

 

 

 死骸の下のカーペットが同様の煙を上げている。

 

 

「大丈夫か?」

 

 

「……最悪」

 

 

 確認するバリーの声に、憮然としてジルは応えた。アンダーシャツの上にショルダーパッドを固定する。心細いが仕方ない。

 

 

「とんでもない生き物ね。蜘蛛なんて大っ嫌い。夢にみるわ、絶対」

 

 

「蟹も似た様なもんだろ」

 

 

「止めてよ、好物なんだから」

 

 

 言いながらジルは振り返り、ショットガンを手に取った。

 

 

 手に加わる重みに安心感を覚えた。『S.T.A.R.S.』で使用しているものと違い、フォアグリップを前後させてショットシェルを装填する、一般的なスタイルのものだ。銃身は長く、住人たちの狩猟(レジャー)に用いられていたのだろう。

 

 

「レミントンM870だな。使えそうか?」

 

 

 銃器マニアであるバリーの声を背中に聞きながら、ジルは飾られていた壁の下の棚を調べた。開けると、弾薬の入った箱が置いてある。開封されていたが、弾はまだ残っていた。

 

 

「こういうことがあると神様を信じてみたくなるわね」

 

 

 小さく笑みを浮かべながらチューブマガジンに弾を込める。薬室を含めて五発装填し、残りの銃弾は全てポーチに仕舞った。

 

 

 そして、ジルはベルトを外して、ショットガンのストックにある金具に通し、肩に掛けられるようにした。

 

 

「毎週教会に行っていた甲斐があったか?」

 

 

「残念。もう丸十年行ってないわ。そのせいかもね」

 

 

 バリーに手を振りながら応える。悪魔の情けかもしれない。と胸中で付け加えた。

 

 

 ジルはショットガンを肩に掛け、バリーに部屋を出ようと促した。正直なところ、異臭が満ちていてこの部屋には一秒と居たくなかったのだ。

 

 

「この先にある扉は開けないで。あの犬を閉じ込めているから」

 

 

 部屋を出、ジルは来た道を指差して告げた。

 

 

 バリーが頷くのを横目に、ジルはベレー帽から毀れた髪を指で弄びながら、とある質問を口にするか迷っていた。

 

 

「誰か見つかった?」

 

 

 とりあえず、ジルは無難な質問で場を繋いだ。バリーは首を振った。

 

 

「わたしもよ」

 

 

「そうか」

 

 

 バリーの返事には、心此処に在らずといった響きがあった。

 

 

 そのことで、ジルは躊躇っていた質問を口に出すことに決めた。

 

 

「バリー、あなたが助けてくれたことに大いに感謝しているし、こんなことを訊くのは気が引けるのだけど――」

 

 

 そう、断ってからジルは疑問を口に出した。

 

 

「バリー、あなた東側を調べるって言っていたでしょ?どうして西側に……?」

 

 

 バリーは軽く目を見開いた。そして、それを隠すように彼はジルから顔を背けた。

 

 

「なに、ちと気になることがあってな」

 

 

 さらにバリーはそうはぐらかすように答えた。口髭を弄くっているのが分かる。彼が困ったときに出る癖だ。

 

 

「では捜索に戻るよ」

 

 

 ジルの言及を避けるように口早に告げ、バリーは早足で、ジルがまだ開けていなかった扉の向こうへと去っていった。

 

 

 その背中を見送り、ジルはバリーに地図を見つけたことを言い忘れたことに気付いた。

 

 

 急いで扉を開けたが、もうバリーの姿は何処にもなかった。

 

 

 仕方なく、ジルは自分も捜査に戻ることにした。

 

 

 バリーが倒したのだろう、床に頭部を破砕された喰人鬼が一人転がっていた。汚れたカーペットにさらにどす黒い染みが広がっている。

 

 

 扉を抜けてすぐ右手に扉、そして奥の両側に一つずつ扉がある。

 

 

 手前の扉を開けると、二階へと続く階段が見えた。

 

 

 ジルは扉を閉め、奥の扉へと向かった。右側の部屋は私室なのか、施錠されていた。ピッキングしてまでわざわざ開ける気にはなれず、ジルは左側の扉の前に立った。

 

 

 開けると、そこは長い「コ」の字型の廊下が伸びていた。壁には幾枚もの絵が飾ってあるギャラリーだった。肖像画のようだ。赤ん坊から、奥にあるにつれ段々と絵の中の男が成長していっている。人一人の人生が刻まれていた。ここに描かれている男が今の館の主なのだろうか。絵は老年に差し掛かったところまでしか描かれていない。

 

 

 カァーッと甲高い声が天井から降ってきた。

 

 

 上を見ると、十数羽のカラスが、絵の上にある金属棒に止まっている。黒い光沢を放つ羽毛に覆われた影が幾つも連なっていた。

 

 

 ここにきて初めて普通の姿の生物を眼にしたことに安堵が浮びそうになったが、それはすぐに霧消した。

 

 

 カラスの瞳に常ならぬ光を感じたからだ。ジルを監視するように見つめる幾つもの瞳。

 

 

 ジルは彼等を刺激しないように、だがいつでも撃てるように銃器をショットガンに持ち替え進んだ。

 

 

 餌箱があるので、ギャラリーを後々カラスの飼育室にしたらしかった。床には大量の糞が敷かれている。よほどカラスが好きだったのか、別の理由があったのか。

 

 

 角を曲がった廊下の奥には死体が転がっていた。傍へしゃがみ込み、調べる。仲間達ではない。そのことにまず安堵した。随分と古い、少なくとも死後数ヶ月は経過しているだろう。ほとんど白骨化している。

 

 

 数ヶ月……

 

 

 自分の判断に疑問が浮かんだ。

 

 

 この死体、服装もなにも分からないため素性はおろか、性別も不明だが、この屋敷の使用人か何かだったのだろう。

 

 

 数ヶ月も経過しているということは、ここ最近は確実にこの屋敷には管理する人間がいなかったということだ。

 

 

 では、このカラスたちの世話は一体誰がやっていたというのだ。

 

 

 あの腐った喰人鬼たちがやっていたというのは論外だ。

 

 

 あのカラスたちは何を食べて生き永らえて来たというのだ。

 

 

 普通に白骨化するには一夏は必要だ。この館では腐食動物による分解は期待できない。

 

 

 あのカラスたちの目。あの目は、獲物を見る目だ。

 

 

 そのとき一際甲高くカラスが啼いた。同時に幾つもの羽音が轟音となり耳朶を打った。

 

 

 ジルは振り向き様にショットガンを撃った。

 

 

 事前に武器を持ち替えていたことが幸いした。拳銃では対処しきれなかっただろう。散弾の向こうに黒羽が幾枚も宙を舞った。

 

 

 ジルは元来た道を駆け戻った。このカラスたちには牽制が効く。もう一発威嚇の為に撃ち、扉へと駆け込んだ。

 

 

 元の廊下に出て一息を吐く。掠り傷一つ負わなかった。僥倖だ。

 

 

 あのカラスたちは人肉を啄ばんで飢えを凌いでいたのだろう。飼われていたペットに哀れみを覚えないでもなかったが、あの鋭い嘴で自分の二の腕の肉を食い千切られていたかもしれないことを思えば、そうも言っていられない。

 

 

――人肉って美味しいらしいから。

 

 

 まったく心臓が休まる暇がない屋敷だ。

 

 

 廊下はまだ奥へと伸びている。地図で確認すると中庭へと続いているらしい。外に例の番犬がいる可能性のことを考えれば、一人で行くのは避けたい。

 

 

 ジルは階段へと続く扉を開けた。

 

 

 階段を、五つの電球が連なった電灯が照らしている。

 

 

 上層から呻き声が上がる。

 

 

 階段を中ほどまで上がると、喰人鬼が上がり口付近を徘徊しているのが眼に入った。

 

 

 残弾を考えると戦闘は避けたかった。もうマガジンは二つを切っている。階段の影から喰人鬼に気付かれぬよう、動向を観察した。

 

 

 喰人鬼はふらふらと右側の影へと消えていった。その隙をついてジルは階段を駆け上がった。

 

 

 上がった先は左右に道が分かれていた。ジルは喰人鬼とは逆の、左に行った。すぐに曲がり角があり、先には扉が見える。床のカーペットは血とも付かない汚れがこびり付いていた。壁にも、腐汁がついている。先ほどの喰人鬼のものだろう。

 

 

 あの喰人鬼が戻ってくる前に先に進まなければ回避した意味がない。扉を抜け、周囲を確認する。

 

 

 電灯が通路を照らすだけで、喰人鬼の影はない。ほっと息をつき、歩みを進める。ここはカーペットが厚く、足音がほとんど聞こえない。左右にまた廊下が伸びる。座り込みたい衝動に駆られるが、必死に押さえ込んだ。

 

 

 左側に延びた通路はすぐに行き止まりで、右手側の壁に一つの扉。

 

 

 開けると、幾つもの棚に薬瓶がズラリと並んでいた。他にも厚いファイルが何十冊も整然と並べられ、二つほどの机とスタンドがある。医療用具のようなものもある。床はタイル張りだ。

 

 

 誰も部屋に居ないことがすぐに分かる。

 

 

 ファイルの中身に興味を惹かれたが、仲間を見つけたいという気持ちに直ぐに押し潰された。

 

 

 名前を呼ぶべきだろうか。だが、あの喰人鬼たちを呼び寄せてしまいそうな気がする。

 

 

 それでも呼ぶべきだ。呼ぶべきなのだ。しかし躊躇は消えなかった。

 

 

 部屋を出たとき、何か大きなものが壁にぶつかる音が響いた。

 

 

 ここよりも更に奥だと見当をつける。

 

 

 音はまだ続いている。先に進むにつれ、音がもっと西側だということが分かった。

 

 

 曲がりくねった通路を進み、幾つかの角を曲がったとき、床に喰人鬼の一人が倒れているのが眼に入った。一階で足首を掴まれたことを思い出し、思わず足を止めた。だが、すぐにその喰人鬼が頭を吹っ飛ばされていることが分かった。

 

 

 『S.T.A.R.S.』の誰かの仕業に違いない。

 

 

 歓喜に心が震えた。ここに仲間が居たのだ。ならば、この壁を叩いているのは仲間の誰かだろうか。もしかして、彼だろうか。喰人鬼がそういう行動はしないだろう。まだあの巨大蜘蛛が居たとしても違うだろう。人間に違いない。または、この館の生き残りかもしれない。ならば状況を知ることが出来よう。

 

 

 冷静に考えれば在り得ないことだった。その音は人間が出せるものを超えていた。だが、今のジルにはその冷静さが欠けていた。

 

 

 地図を見て、すぐ脇の扉から最も西側の部屋へと行けることを確認した。

 

 

 扉に手を掛ける。

 

 

 雲が晴れたのだろう。月明かりがカーテン越しに差し込んでいる。窓枠の影が床に長く延びていた。青々と室内が浮かび上がっている。

 

 

 大きな柱が部屋の中央にあり、床と天井を繋いでいる。その他には別段変わったところは無い。

 

 

 一応、用心してライトで辺りを見渡すが何もない。音はまだ続いている。この先だ。

 

 

 逸る気持ちを抑え、ジルはゆっくりと歩を進めた。

 

 

 この先、通路を挟んで扉があるらしい。部屋を抜けると、また電灯に照らされた廊下が現れた。そして目の前には、目指すべき部屋に続く扉。そこを抜ければ誰かが居る。

 

 

 だが、その期待を裏切り、扉の向こうには誰も居なかった。

 

 

 そこは屋根裏部屋とでもいうべきだろうか。床は板が剥き出しで、壁も同様に壁紙も何も貼っていない。申し訳程度にランタンの光が部屋を照らしている。その長大なスペースには雑多な物が置かれ、完全に物置の体を表していた。中央部まで入り、ライトで照らすも人影はない。節約のためにライトを消す。ジルは落胆を隠せなかった。

 

 

 音はまだ続いていた。音が鳴る度に天井から埃と木片が舞い落ちる。そして木片が砕ける音……この音が人間以上の体重のものが立てていることにようやく気付いた。嫌な予感に動悸が激しくなり、脳内の警報がけたたましく鳴り響く。音があまりにも近いせいか、逆に反響して位置を特定できない。音は部屋全体を揺るがすほどになっていた。

 

 

 この音源は天井からだ。

 

 

 気付いて上を振り向いた時、天井近くの壁が轟音と共に砕け散った。

 

 

 出来た大穴から、その大穴のサイズに見合った巨大なものが音も無く侵入してきた。

 

 

 部屋の朧気な光明に照らされたのは細かくビッシリと敷き詰まった巨大な鱗。蛇腹が微妙な、恐怖を浮かべさせる音を奏でる。

 

 

 蛇だった。巨大な、という言葉では言い足りないくらいの。

 

 

 悲鳴は上げられなかった。いや、そもそもアークレイに来て悲鳴を上げられるほど余裕の持てる事態は一切なかった。

 

 

 胴は大の男一人易々と入ってしまうほど太い。だが、胴と比べると全長そのものは短いように感じた。二十フィートほどか。三十フィートは無いだろう。だからといって、その事実がジルにとって好ましい条件でもなんでもない。

 

 

 蛇はとぐろを巻き、その細い目でジルを見据えた。それこそ蛇の前に差し出された蛙のように、ジルは指一本動かせなかった。迫力とおぞましさに呑まれていたのだ。眼前で巨大な顎が開かれる。二の腕ほどの長さのある毒牙が一対、ぬめりと灯りを反射した。

 

 

 ようやく、ジルはショットガンを構え、撃った。マズルフラッシュが一瞬だけ部屋を照らす。散弾は大蛇の下顎へと突き刺さった。

 

 

 だが、鱗そのものが異常に丈夫なのか傷が付いていない。怯んだだけだ。散弾ではなく、スラッグ弾であれば貫通できるだろう。

 

 

 だが、先ほど手に入れられたのは狩猟用の散弾のみ。それも鳥類を撃つ小粒のものだ。

 

 

 もう一度撃ったが天然の鎧を前に効果は雀の涙程度だ。焦燥で身が焦げ付きそうになる。大蛇は憤怒に彩られた瞳でジルを見据えた。

 

 

 鎌首が持ち上がり、ジルの前に黒い影の塔となって立ちはだかった。あの巨大な顎には、ジルの身体など一口で飲み込まれてしまうだろう。この部屋を逃げ出す時間を、この爬虫の王者はくれそうにない。

 

 

 万事休すか。一発残されたショットガンを構え、ジルは諦めた。

 

 

 そのときだ。入ってきた扉が蹴り開けられた。廊下の明かりで伸びてきた影で、それが人間だと知れた。ショットガンのような、重火器を携えた。

 

 

 轟音とともに大蛇の左側頭部に火花が散った。ほぼ間隙無く、頭部に次々と散弾が叩き込まれていく。オートマチックに可能な芸当だ。弾丸は鱗を抉り、中の肉に潜り込んだ。鮮血が毀れ、床を黒く染める。使われているのは十二番ゲージ以上か。

 

 

 五発目の散弾が大蛇の左目を抉り、大蛇はたまらず元来た穴へと退散していった。

 

 

「おい、大丈夫か!?」

 

 

 光の加減でこちらがよく見えないらしい。男の声だった。とても聴き慣れた、そして最も聴きたかった声だ。

 

 

 ジルは振り向いた。廊下の光に、男の姿が黒い影となる。だが、その姿は脳内で鮮明に浮かび上がった。

 

 

「ジルか!」

 

 

 ようやく気付き、男は声を上げた。ブラヴォーチームのワッペンが縫い付けられたアンダーシャツに、アーマーベスト。『S.T.A.R.S.』のショットガンを携えた、短髪の男。

 

 

「ディック……」

 

 

 リチャード・エイケンの姿に、安堵とともに膝の力が抜けていき、ジルは床に膝を着いた。

 

 

 慌てて駆け寄ってきたリチャードの裾を掴み、ジルは彼の腹に顔を押し付けた。言いたいことがあるが、上手く言葉が出てこない。縦しんば出てきたとしても、震えて声が出せそうに無かった。

 

 

「よかった……無事で」

 

 

 ようやく搾り出した言葉は、安堵の涙に掠れていた。

 

 

 

 

 クリスは玄関ホールに戻っていた。一緒に来たアルファチームの姿は影も形も無い。自分を探しているのだとしたら、途中で会ってもいいはずだ。入った扉は分かっているのだから。

 

 

 それにエドワードの亡骸が消えていることも気になる。三人揃って、どこか安置する適当な場所を見つけ葬っているのだろうか。

 

 

 莫迦らしいと、クリスは頭(かぶり)を振った。

 

 

 エドワードの亡骸に対する処置のことではない。

 

 

 わざわざ混乱させる状況を彼等がするはずがない。特に隊長のウェスカーがいるのだから。

 

 

 あの言動は腹に据えかねたが、間違ったことは言っていない。

 

 

 一度でも、あの隊長が焦る姿を見たことがあっただろうか?

 

 

 残る可能性として、自分を待っていられないほどの事態が彼等を襲ったということだ。だとすれば、あのゾンビのことだし、それ以外はないだろう。もしくは、それに輪を掛けて悪いことかだ。

 

 

 拳銃にはもう十発しか、残っていない。マガジンは残り一つ。

 

 

 平時であれば十分に感じる弾薬も、この状況では非常に心許ない。

 

 

 仲間達の名前を叫ぶが、返事は無い。唯虚しく、ホールを反響するだけだ。

 

 

 そのとき、割と近くで銃声が響いた。反響で分からないが、上層のほうだとクリスは見当をつけた。

 

 

 降りてきた中央階段をもう一度駆け上り、西側へと続く階段を上がる。

 

 

 銃声は続いている。

 

 

 立ち止まり、聴覚に神経を総動員して音源を探る。

 

 

 南側か。察し、クリスは全力で走った。

 

 

 音源の主は交戦中だ。

 

 

 脳裏にジョセフの姿が過(よ)ぎる。なんとしてでも間に合い、加勢しなくてはならない。もう仲間の死は見たくない。

 

 

 左手に扉が見えた。その先だ。

 

 

 ドアノブに手を掛けようとした時、クリスが手を触れる前にノブが回った。

 

 

 扉が開き、長身の男が姿を現した。鼻に皺を寄せ、辟易した様に中を見つけている。

 

 

 気配を感じたのか、男はハッとしたようにクリスの方に拳銃を向けた。だが、すぐに銃口を下ろした。

 

 

 男は傷だらけだった。むき出しの腕に幾つもの引っ掻き傷がある。左腕にある刺青を赤い血が彩っていた。撫で付けた肩までの長髪はぼさぼさに乱れ、堀の深い端整な顔にも赤い筋が走っていた。

 

 

「クリス、どうしたんだ?」

 

 

 ブラヴォーチームのフォレスト・スパイヤーは空いた左手で顔の血をぬぐいながら言った。

 

 

「あんまり遅いんで迎えに来たんだよ、相棒」

 

 

 疲労を押し隠し、ニヤリとクリスは笑みを浮かべた。

 

 

説明
PS版「バイオハザード」をベースにした小説です。
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タグ
ゲーム ホラー バイオハザード ノベライズ 

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