バイオハザード〜6. 合流 〜
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 ジルとリチャードを壁に足を床に投げ出し、壁に寄り掛かっていた。

 

 あれから二人は大きな柱のあった部屋に戻った。

 

 ジルはリチャードが持っていた保存食を貰い、黙々と齧っていた。あの後、安堵からか、非常に空腹感を覚えたのだ。思い起こせば、まだ夕食を取っていなかった。

 

 その横でリチャードは煙草を燻らせていた。

 

 部屋に差し込む穏やかな月光は、まるでこの館の出来事全てが夢であったのではないかと思わせた。

 

 木々が風に揺れ、その影が微かにざわめく位しか動くものがない。静かだった。

 

 目を閉じ開いた時、目の前に自分部屋の壁が目に映り、暖かな朝日が顔を照らして居てくれていたらどんなに幸せだろうか。

 

 だが、それを試すほど現実を見失っていなかったし、もうそれほど気は滅入っていなかった。

 

 ビスケットを食べ終わり、包みは丸めて放り捨てた。包みは影に消え、微かな音を立てる。

 

 ジルは肩に掛けたままだったリチャードのアーマーベストに袖を通した。彼はアンダーウェアだけのジルの身を按じ、渡してくれたのだ。

 

 最初に行った情報交換以外、会話はほとんど無かった。話したいことは勿論ある。だが、言葉に出す気になれなかった。この時間を少しでも長く続けておきたいという欲求が言葉を阻んだ。

 

 リチャードが煙草をもみ消したのが、床の埃が焦げる微かな臭いで分かった。

 

「行こう」

 

 立ち上がりながらリチャードが短く言った。

 

「ええ」

 

 ジルも立ち上がり、やはり短く応えた。

 

「ホールに戻りましょう。バリーと合流しないと」

 

 

 靴越しに、踏みしめた絨毯がヌチャリと不快な感触を帯びていることが伝わってくる。その原因が何であるかを分かっているだけ、余計に不愉快だった。

 

 廊下は先ほどと変わらない。ただ床に数体の腐乱死体が転がっている点だけが違う。この死体の状態を見て、つい十分前は動いていたと言われても誰も信じはしないだろう。冗談だと思われるか、頭の状態を疑われるか。そのどちらかだ。

 

 フォレストの合流した後、レベッカの元へと戻った。フォレストの治療をレベッカに任せ、クリスは彼と情報の交換を行った。たが、それで分かったのはフォレストとケネスが同時に屋敷に入り、それはレベッカたちの後だということ。そしてケネスと別行動に入り、誰とも出会っていないということだけだった。何も進展がないに等しい。せめてジルたちの行動が推測できるだけの材料が欲しかったが仕方ない。

 

 また、フォレストが受けた傷はカラスによるものだった。あの扉の向こうはちょっとしたテラスとなっており、そこで襲われたらしい。巣があるのかもしれないとのことだ。

 

「フォレスト、後ろを頼む」

 

 クリスはショットガンを前方に構えた。

 

 扉が閉まる音を背中で聞く。死に損ないの亡者たちの怨嗟の声が聞こえないことに安堵した。

 

「クリスさん、わたしは?」

 

「何もせず、ただついてきてくれ」

 

 扉を閉め、こちらに駆け寄ってきたレベッカに、クリスは鰾膠もなく告げた。後ろでフォレストが溜息をついたのが分かった。他に言い方が無いのか、とでも言いたいのだろう。

 

 実際、レベッカは傷ついた様だった。

 

 だが、今のクリスにはこの少女を気遣うだけの余裕がなかったし、彼女への命令も間違ってはいないと判断した。

 

 睨むように見つめているレベッカにクリスは嘆息交じりに言葉をかけた。

 

「君は訓練生だ。一人前じゃない。何処にどう飛ぶか分からない銃弾で援護してもらうわけにはいかない」

 

 無論、クリスは彼女が受けた訓練が一流のものであり、彼女自身その訓練をものにしていることは知っている。だが、あえてそう言った。

 

「それに、俺には君のフォローをしてやれる余裕もない。それと銃弾は節約しなくてはならない。ここにあと何人のゾンビが居るか……使っていいのは君自身に危険が迫ったときのみだ。俺やフォレストの援護をしようなんて思わないでくれ」

 

 唇を噛み締めているレベッカの様子に罪悪感を覚えなかったわけではないが、クリスはこれが彼女の命を守れる最善策だと信じていた。

 

 最悪、自分に注意を引きつけ逃がすことが出来る。

 

それに銃弾の残量は差し迫った問題だった。銃がなければ無力だ。そのことを痛感していた。

 

 ここに戻る途中、クリスとフォレストはケネスの死体を見つけていた。ケネスには三人のゾンビが群がり、肉を咀嚼していた。

 

 ケネスの亡骸は直視できないほど酷い状態だった。まず、首と胴が離れ離れになっていた。頭蓋は砕かれ、頭皮や眼球、頬肉は剥がされ、顎骨は?がれ、原型はほとんど残っていなかった。身体の方も腹と胸郭を割かれ、内臓は引きずり出され、ほとんどの肉が食い荒らされていた。ケネスだと判断できたのも『S.T.A.R.S.』の装備と残った皮膚の色からだ。

 

 ケネスは銃を持っていなかった。傍にもなかった。おそらく弾が尽き、捨てたのだろう。そして為す術もなく、食い殺されたのだ。

 

生きながら喰われる苦痛は想像するには度を越していた。

 

 クリスの中で、ケネスは隊内の腕利きとして筆頭に挙がる男だった。そのケネスの無残な姿を目の当たりにし、未だ動揺が治まらないでいた。

 

 『S.T.A.R.S.』の中で、クリスはケネスにある種の親しみを持っていた。寡黙で頑固だが面倒見は良く、何よりもチーム全体を常に念頭に置いている。最年長ということもあり、ケネスは『S.T.A.R.S.』の大黒柱のような存在だった。そんなケネスに、クリスは十代の半ばのときに早世した父親を重ねていた。

 

 父親と母親は旅先で事故死した。クリスと幼い妹を残して。

 

 親戚の援助もありハイスクールまでは行かせてもらえたが、卒業後、クリスは空軍へと入隊した。親戚は親切ではあったが、自分達兄妹が厄介者であることは痛いほど感じていた。

 

 だから、独りで妹を養っていこうと決めた。訓練は厳しかったが、それ以上に人間関係で悩むことが多かった。一人で居ることの方が多く、戦闘機のコックピットぐらいしか落ち着ける場所がなかった。それでも空軍を自分の居場所にするのだと、胸に刻んでいた。あの頃、脳裏を掠めるのは決まって父の大きな背中だった。

 

 だが、空軍に居続けることは叶わなかった。軍に居た五年間は無駄に終わった。いや、完全に無駄ではない。あそこでフォレストと出会っていなければ、今自分は『S.T.A.R.S.』にはいない。

 

 『S.T.A.R.S.』は居心地が良かった。そして自分が欲していたのは安息できる居場所だったのだということに気付いた。隊という壁に囲まれた小さな城だ。

 

 だが、それも今日見事に崩された。

 

 ケビン、ジョセフ、エドワード、ケネス。既に四人が死んだ。いや、四人で済んではいないかもしれない。姿の見えない五人。既に誰かが新たに死体と成って転がり、食い荒らされているかもしれないのだ。

 

 ケビンの残骸――死体とはどうしても認識できなかったのだ――を見たときは、ただ信じられないという感情だけだった。酷く裏切られたような気持ちもあった。

 

 ジョセフが死んだ時、血が逆流するような憤怒が全身を駆け巡った。

 

 しかし、エドワード、ケネスの亡骸を見た今、クリスの胸にあるのは恐怖だった。ただ怖いのだ。幼い子供のように慄いていた。世界は自分の希望になど、何も頓着してくれはしない。今更だ。既に経験したことだ。だが、それを忘れていた。十年前に嗅いだものと同様の臭いが胸に蟠(わだかま)っている。

 

 死だ。死がこの館を――自分達を包み込み、押し潰そうとしている。

 

 だが、考えてみれば既に街には死の影が堕ちていたのだ。

 

 既に犠牲者は二十人を超えている。行方不明者を入れれば四十名近い。

 

 だが市民はそこまで被害が広がっているとは知らないだろう。だからこそ、紙面に踊る喰人鬼の文字をゴシップ宜しく話の種に出来たのだ。死に対し無頓着で居られたのもそのせいだ。

 

 だが、クリスは被害を把握できる立場に居た。それでも市民同様、死に無頓着だったのは近しい人間を奪われていなかったからだ。

 

 仲間内でも、ジルやジェームズなどは親しかった人間を失っていた。彼女らにクリスは悔やみの言葉を掛けたりしていたが、やはり他人事だったのだ。

 

 自分の周りは大丈夫だという、根拠のない自信が何処かにあった。

 

 だが現実は容赦がなかった。たった数時間。その間に四人が死んだ。死は現実だった。クリスが他人事と決め込み、目を逸らしていただけで。

 

 早く消えた仲間たちと合流しなければ。合流したい。それだけを胸に、クリスは足を踏み出した。少し離れてレベッカとフォレストが続く。

 

 もう自分たち三人しか生きていないかもしれない。そんな不安が胸を過ぎる。ありなくはない。ならば、なんとしてでも生還して、街に危険を知らせなくてはならない。それが警官としての自分の義務であり、目を逸らしていたことへの贖罪だ。

 

 会話はほとんどなく、三人分の微かな足音が会話のように場を占める。

 

 白熱灯に照らされた床に三人の影が不気味に伸びている。銃口の先にゾンビの影が見えないか。額からの汗が眼に入るのも構わず、全霊を前方への警戒に向けた。死角に潜む敵影への恐怖が全身に広まりつつあった。

 

 ふと足音とは違う、微かな音が聞こえた気がした。同時に怖気が走る。だが、前方には何もなく、フォレストの警告もない。

 

「上です!」

 

 レベッカの警鐘と銃声はほぼ同時だった。そして天井から何かがクリスの後ろに落ちてきた。

 

 振り返ると、そこには逆さになって四対の足を蠢かす巨大な蜘蛛が居た。クリスは嫌悪感と驚愕に目を見開いた。だが、身体は冷静に反応した。銃口を蜘蛛の目に向け、引き金を引いた。

 

 顔面と、その奥にある脳を破壊され、蜘蛛は動きを止めた。

 

 子牛ほどもある死体から視線を上げると、白煙を上げる銃を上に向けつつも恐怖に顔が引きつったレベッカと目が合った。

 

 目が合うとレベッカは弾かれるように銃をホルスターに仕舞った。

 

 口笛の音が響いた。フォレストからだ。

 

「レヴィが撃ってなかったらやられたな」

 

 言いながら、手にした拳銃――キンバー社の45口径を片手にフォレストは蜘蛛の死骸に近づいた。フォレストはベレッタM92Fではなく、ガバメントの最新軍用モデルを使用していた。現在、『S.T.A.R.S.』で新たに採用を検討されている拳銃である。装弾数や整備の容易さでこそ多少劣るが、威力と安全性はベレッタを遥かに凌ぐ。制圧任務に携わることの多い『S.T.A.R.S.』にこれ以上適した銃はないという評価が下され、エンリコなど数人によってテストされている状態であった。

 

 レベッカに目を向けると、彼女は頷いた。

 

「天井からクリスさんを捕らえようと前足を上げていたのが見えて……」

 

 レベッカも目の前の巨大生物に混乱しているようだ。だが、そこで金縛りにあったように棒立ちするのではなく、即座に撃って見せたというのは中々出来るものではない。あまりに予想外の事態には人は反応できないのだ。

 

 未熟な小娘。その認識を改めねばならない。技術はどうであれ、もっと精神的なものは自分よりも彼女の方が上のようだ。

 

 蜘蛛の傍ではフォレストがしゃがんでしげしげと蜘蛛を眺めている。

 

「ていうか、なんで平気で見てるんですか?今にも触りそうな――触ろうとしないでください」

 

「凄いだろ? こんなデカイのはそう拝めるものじゃない。カメラ、持ってくるんだったなあ」

 

 手を引っ込めたフォレストは事無げに言葉を返した。レベッカは蜘蛛自体苦手なのか、壁を這うようにしてクリスの近くに移った。

 

「普通は驚きませんか? こんな……大きいの」

 

「いや、腐敗しても動く人間や犬からしたら普通だろ。たかだか子牛ぐらいの蜘蛛」

 

「普通じゃありません。子牛大って時点で蜘蛛っぽくありません」

 

「人間の適応力にはそんな些細なことも看破できる寛容さが――」

 

「発揮しないで下さいそんな大雑把な適応能力」

 

「むぅ。クリス、おまえも言ってやれ。こんなの普通だぜ。お嬢ちゃんとかそういうの」

 

「いやレベッカが正しい」

 

「クソなんら事前通告もなく一方的に同盟を破棄しやがって裏切り者め」

 

「どんな同盟だ!」

 

「おお見ろ。この蜘蛛、体液で絨毯焼いてるぞ」

 

「頼むから冷静にコメントするな無視するな」

 

「寂しがり屋か」

 

「何でだ!?」

 

 フォレストの言葉どおり、蜘蛛の周りから化学反応の時に起こる煙が上がっている。異臭が鼻を衝いた。おそらく毒だろう。足早に煙を上げる蜘蛛から離れた。これで、この蜘蛛は見つけても無闇に攻撃はできないということが分かった。この屋敷の異常さは身に沁みていたが、現実は想像を遥かに超えていく。周囲を警戒し、危険がないことを確認して足を止めた。

 

 無我夢中だったのか、レベッカがクリスの背中にぶつかった。

 

 クリスは一つ溜息を吐いた。

 

「レベッカ。前言を撤回する。周囲の警戒を任せてもいいかな?」

 

 多少息を上げているレベッカにそう告げると、彼女は満面の笑みを浮かべて敬礼して返した。

 

 フォレストはその後ろで、いつもの皮肉気な笑みを浮かべた。

 

「おまえの勘違いはいつものことだが。いいか?おまえは主役って器じゃねえ。いいところピーター・マクニコルだ」

 

 フォレストの言葉に図星を指され、クリスは言葉に詰まった。

 

「一人で思いつめた顔しやがって。てめえ一人で全員救うつもりかよ?」

 

 からかうような口調のフォレストにクリスはばつの悪い笑みを浮かべた。フォレストは親指でレベッカを指した。

 

「彼女だってたかが訓練生だが、昨日の今日でなったわけじゃない。侮るなよ? なあレヴェッカ」

 

 嵩にかかったように力強くレベッカは頷いた。

 

 クリスは、参ったと両手を挙げた。

 

 その時、屋敷が揺れた。パラパラと天井から埃が落ちて舞う。

 

 クリスは二人と目配せをし、小走りで先を急いだ。

 

 照明の間隔は長く、また切れているものもあり、所々薄く闇が落ちている。

 

 その闇を裂いて、床に光が伸びていた。部屋の室内灯だろう。扉が開け放たれている。そこに近づくにつれ、強烈な腐敗臭が漂ってくる。

 

 レベッカが唾液を飲み込む音が聞こえた。

 

ゾンビがいる。

 

クリスはライトで廊下の先々までを照らし、目に見える範囲に異常がないことを確認した。

 

 部屋の入り口の前で立ち止まる。クリスの脇を、フォレストが身を低くして駆け抜け、入り口を挟んでクリスと向かい合う形に陣取った。

 

 居ると分かっている所に足を踏み入れることへの抵抗感。間近で感じたゾンビの吐息、腐汁の滴り――それらが脳裏を過(よ)ぎる。少しずつ激しくなる鼓動を抑えるのに深呼吸したい所だが、臭いが酷く、それも出来そうにない。

 

 後ろにいるレベッカを肩越しに確認し、クリスは部屋へ銃を向けた。注意深く窺い、中へ入る。予想に反し、ゾンビは居なかった。

 

 そこは私室のようだ。ベッドに机、棚、箪笥にテレビなどの電化製品――の残骸が散らばっている。残骸の中に、扉であったものも見て取れた。そして――この部屋で腐敗臭を放つ主。

 

 レベッカが息を呑む。クリスも、その惨状に目を釘付けにされた。

 

 それも残骸だった。パーツから予想するに人間だろう。肉片が部屋中に散らばり、壁にもへばり付いている。血潮の後が赤茶色く壁を汚している。腐敗も相成って、元の形状を止めているものはないといっていい。あくまで腕のようなもの、足のようなものという状態だ。それらが多少薄暗い灯りに照らされ、吐き気のするような色彩を放っていた。

 

 クリスは死骸に近づき、惨状を把握しようと試みた。レベッカもそれに習う。フォレストは室内を調べていた。

 

「共食いでしょうか?」

 

「かもな。だが、こいつが喰われた後で腐ったのか、喰われる前から腐っていたのかは判断しようがないな」

 

 レベッカはハンカチで口元を覆っているため、声がくぐもっていた。

 

「……共食いじゃなさそうだぞ」

 

 否定の声に振り返ると、フォレストは顎で天井を示した。

 

 見れば、天井には床と同じぐらい、血と肉片で汚れている。

 

 血が迸ったにしても範囲が広すぎるし、肉片の説明は付かない。

 

 灯りが暗く感じたのも、血で電灯自体が汚れていたからだ。

 

「予想を言わせて貰うなら、死体を――生きたままかもしれんが、そいつを天井に何度も叩きつけたってところか。多分、放り投げて」

 

 総じて見れば、確かに汚れは人型を幾つも重ね合わせたように見える。

 

「ゾンビが?」

 

「ここまでアグレッシブな奴なら見てみたいね。走るゾンビとか、傑作だ」

 

 レベッカにフォレストが苦笑を返す。

 

「違うだろうな。だからといって犬でもないし、蜘蛛でもない。まだ遭遇していない化物の仕業だと考えるのが無難かな」

 

 喋りながらフォレストはしゃがみ、扉の残骸を拾い上げた。

 

「しかも、だ。そのザ・四種目はゴリラ並の腕力と鋭い爪を持っているらしい」

 

 木片には鋭い爪痕が残り、その痕から扉が破壊されたらしいのが見て取れる。

 

 また、見渡せば壁にも爪痕と取れる痕跡が幾つか刻まれている。

 

 この部屋の住人は屋敷で高い位置に居たのだろう――上質の重い絹のカーテンも無残に裂かれている。

 

 この惨状を起こした犯人はフォレストが述べた通りの物を持っていることは確かだ。

 

 引っ掛かりがあった。それはフォレストの説へのものではなく、また別のものへの――だからといって無関係でもない。

 

「……カラスはどうなのかな?」

 

 その自問に、耳聡くフォレストが聞きつけ、呆れたような声を出した。

 

「本気で言ってるのか?ンなカラ――」

 

「そういう意味じゃない。あんたはカラスが襲ってきたのは巣があるからだと言った。だが、本当にそうかな?」

 

 フォレストは僅かに眉を顰め、自分の首筋を撫でた。クリスの言葉に、もう一度状況を分析し直しているらしい。

 

「カラスもバケモノだってことですか?」

 

 悪臭漂う部屋から出たいのだろう、レベッカは落ち着きがなく入り口を何度も見ている。

 

「そうだ」

 

「だが、襲ってきたカラスは腐っていたわけでも異常に巨大化していたわけでもなかったがな。そこらに居るカラスだ」

 

 フォレストの言葉にクリスは首を振った。

 

「形状が普通だからといってマトモとは限らないだろ?ここは狂ってる。ここに居た連中も狂ってる。カラスだって例外じゃない」

 

「まあ、そうかもしれんが。仮にカラスが化け物の一種だとしてもだ、そう差し迫った状況になるとは思えんな。俺は苦戦したが、おまえさんのショットガンならすぐに片が付く」

 

 フォレストはカラスについては何の懸念も持っていないらしい。

 

 フォレストは見ていなかったのかもしれない。ヘリの破損した後部ローター付近の地面に散らばった黒い羽――あのときはクリスも気にも留めなかった。だが今は――

 

 あのカラスが致命的な事態を引き起こすような、そんな予感がしていた。

 

 しかし、予感は予感すぎない。口に出し、レベッカの不安感を煽ることもないだろう。そう判断し、話を切り上げることにした。

 

「こういう時はベレッタの方がいいと思わないか?弾数が多いから」

 

「馬鹿撃ちしたいなら機関拳銃でも使え。大体、そう頻繁にこんな状況に遭遇してたまるか。そんな稀有な機会を与え給(たも)うたファッキン・クライストには感謝感激だ」

 

 指で外に出ようと促した。レベッカが安堵の域を吐くのが見えた。

 

外に出るだけで幾分空気が居心地よく感じた。

 

 先ほどと同じ編成で廊下を進んでいく。

 

 ドンと脇の扉が叩かれた。呼び掛けると、言葉を紡がぬ呻きが帰ってきた。

 

 ゾンビが扉を開けられず、閉じ込められているらしい。抉じ開けられ、背後から追ってきたとしたら面白くない。今ここで扉ごと撃ち抜くべきか。

 

 だが――と思い直す。背中を守っているのはフォレストだ。彼の判断に任せておけば心配は無いだろう。少なくとも自分が対処するよりはずっとマシだ。

 

 扉は幾つも並び、事務所にあるようなルームプレートの跡がある。

 

 ここが一般人の私有地で別荘ならば、こんなことはしないだろう。

 

 そもそも、この洋館に至るための道はあっただろうか。

 

 ずっと背の高い草が生茂っていた気がする。ならば、今のこの館で放浪するゾンビの前身たちはどうやって来たのだろうか。

 

 視界の隅に白い影が映り、クリスは思考を中断した。

 

 銃口の先――通路の突き当たりに、白いシャツを着たゾンビがよろついている。こちらには気付いていないらしい

 

「撃つな、クリス。やりすごせるなら、その方が良い」

 

 小声の提案に同意を返した。ゾンビがいるあたりは、左右に通路が分かれているようだ。ゾンビの動向を見定めた上で行動を決める。

 

 ゾンビは右へと消えた。

 

 出来るだけ足音を立てずに進む。薄いとはいえ、絨毯が敷いているだけ効果はある。だが、それは同時に音からゾンビの動きを判断できないということだ。

 

 壁が途絶え、そこから様子を見る。左には何も居らず、進行方向の右側に扉が見えた。右を見ると、灯りに照らされたシャツの背中が十メートルほど先に見える。

 

 レベッカとフォレストを扉の方に行かせ、その間クリスはゾンビへ銃口を向け続けた。ゾンビは気付かず、そのまま薄闇に消えた。いずれ戻ってくるだろう。

 

 クリスは小走りに仲間達の元に向かう。

 

 フォレストがノブに手を空け、ゆっくりと扉を押し開けた。

 

 蝶番が軋む音を立てる。夜気が風となって、静かに吹き込んできた。

 

 床の絨毯に、外の蒼い光の線が引かれ、太くなる。

 

 外だ。この扉は外へと繋がっている。この扉は裏口なのだ。

 

 新鮮な空気は実に魅力的だった。先程のゾンビの動きに注意を向けるも、気は扉の向こうにある世界へと横に逸れていく。

 

 扉が開ききった。二人に続いて出ると、夜気が頬を撫でた。

 

 そこは中庭だった。月明かりを跳ね返す白い石畳がずっと両脇奥の闇まで敷かれ、右手側の真ん中辺りには噴水がある。流石に水は出ていないようだった。

 

 左へ続く石畳は右へ行くものよりも細い。その少し先には二部屋ほどしかないように思える、小さな小屋が建っていた。

 

 周囲を一通りライトで照らす。木々以外に動く影はない。

 

「連中は居ないみたいだな。俺は小屋の方を調べる」

 

 フォレストはそう言うが早いか、銃を仕舞って小屋の方へと向かって行った。

 

 フォレストのライトが小屋を照らすのを見ながら、クリスは肩を竦めた。

 

「レベッカ。離れるなよ」

 

 見惚れたように立っていたレベッカに念を押し、クリスは噴水のある方へと足を進めた。

 

 石畳を挟むようにキャラボクなどの低い木々が茂り、少し奥には中程度の木々が整然と並び、風に枝を揺らしていた。その掠れる音が微かに耳に届いた。だが、その音も石畳をブーツが叩く音で消されてしまった。

 

 虫の声がないと、こんなにも世界は静寂なのだろうか。

 

 木々に向けたライトが鈍く反射された。木々の奥に鉄柵が見えた。森とこの庭はちゃんと仕切られているらしい。もっとも、どこに穴が出来ているか分ったものではないが。

 

 管理する者がいれば、この庭は実に壮麗な姿を見せてくれたのだろう。しかし今は、石畳の間から草が伸び、低木も無様に広がっている。

 

 噴水も酷い状態だった。水が溜まり、アオコが大理石で作られた台を汚している。

 

 庭はかなりの広さがあった。そのずっと奥に、木々とは違う人工物の大きな影――館よりは小さいが、結構な大きさのある建築物のようだ。

 

 噴水の周りを歩きながら周囲を照らす。

 

 洋館の窓が幾つか、無残に割られ、空ろな闇が湛えられ、黒い天鵝絨(ビロード)の幕を張ったかのようだ。

 

 視線を噴水に戻すと、その噴水越しに不可思議な物を見つけた。

 

 ライトで照らしながら近づくと、それはワイヤー方式のエレベーターだった。鉱山で使われるようなもので、天井は無く、金網の扉が開閉する簡素な物だ。

 

 リフトは降りたままだ。まだ活きているのかどうかは不明だが。

 

 ボタンを押そうとしたとき、咆え声と短い悲鳴が上がった。

 

 振り向くとレベッカが居ない。彼女は洋館の壁際に立ち、恐怖に顔を引きつらせている。彼女の手の中に拳銃は見えない。そして彼女を囲むように二匹の犬――ジョセフやケビンを殺した犬だ。唾液と腐汁を滴らせ、レベッカの喉笛を食い千切らんとしている。

 

 クリスは回り込み、銃を撃とうとした。が、撃てなかった。

 

 散弾の範囲にレベッカが入っているのだ。撃てば、レベッカの命を奪いかねない。

 

 そして――今から拳銃を抜いても間に合わない。

 

 クリスは走った。間に合わないと分りながらも、じっとしていられなかった。奇跡でも起きてくれれば、間に飛び込んでレベッカを救えるのに。

 

――とりあえず走っておけば、レベッカの死体を前にした時、自分を慰める言い訳が出来るからな。

 

 頭の冷えた部分で、そう自嘲する自分が居た。

 

 銃声が二発響いた。今にも飛び掛らんとしていた二匹の犬が苦鳴も上げずに地に倒れ伏した。

 

 レベッカは尻餅を付き、呆然と死体を眺めている。

 

 裏口の方から早足で靴音が近づいてくる。銃を構えたフォレストだ。

 

 フォレストはレベッカの安否を確認すると、表情を緩め、脇下のホルスターに銃を仕舞った。

 

 クリスはレベッカに駆け寄り、彼女に手を差し伸べた。レベッカは手に掴まり、よろめきながらもどうにか直立する。

 

 脇目で犬の死体を見た。二匹とも側頭部を正確に撃ち抜かれて絶息している。この暗がりで、だ。

 

 また、フォレストの銃であるガバメント・シリーズは、引き金を引けば銃弾が飛び出すというダブルアクションではない。通常、撃鉄を起こした状態でセイフティをかけて携行する。つまり、撃鉄が下がった状態で引き金を引いても弾は発射されないのである。

 

 あの刹那の内にセイフティを外し、照準を定めて発砲。続け様にずれた標準を修正し、二発目を撃つ――この夜闇と、あの距離で。

 

 これは偶然ではないし、奇跡でもない。フォレストに限っては必然だ。

 

 この『S.T.A.R.S.』でフォレストに敵うガンマンはいない。彼の標的になったものは例外なく、急所を一発で撃ち抜かれてきた。訓練でどうにかなるものではない。超人的なセンスからくる技量の問題だ。

 

「すいません――言いつけを守らずに。地面にこれが落ちていたので」

 

 技量の差を再度見せ付けられ押し黙っていたクリスに、レベッカは詫びながら右手を差し出した。

 

 彼女が握っていたのは『S.T.A.R.S.』の小型短波通信機だった。アルファチームは隊長のウェスカー以外はヘリに置いてきてしまっていた。ブラヴォーチームは全員が持っていたらしいが、フォレストとレベッカは襲撃の際に森で落としたと言っていた。

 

 ここにウェスカーかブラヴォーチームの誰かが来たのは確かだ。通信機はビーという受信を知らせるブザーが鳴っていた。

 

 受信ボタンを押し、スピーカーに耳を当てた。雑音混じりだが、男の声だ。

 

『…ちら、リチャー……エイケン。応答を願…。誰か、聞こえ――』

 

(リチャード!)

 

 クリスは即座に発信ボタンを押し、叫ぶように言った。

 

「こちら、クリス!リチャード、聞こえているぞ!」

 

 はぐれた仲間の名を聞き、クリスの正面に立っているレベッカの表情が明るくなった。通信先のリチャードの声にも喜びが混じる。

 

『クリス!?無……か!誰……一緒か?』

 

「レベッカとフォレストがいる。全員無事だ。そっちは?」

 

『ジル…合流した…』

 

 ――ジルと合流した。

 

 その言葉だけがやたら明瞭に聞こえた気がした。多分、同様に雑音混じりだったのだろうが

 

 ジルの無事を確認できたことに心から安堵したが、その一方で純粋に喜べなかった。そういう自分への嫌悪を、リチャードの言葉は掻き消すように響いた。

 

『合流…たい。俺た……館の玄関ホー…に居る。来られ…か?』

 

「了解した。すぐに向かう」

 

 通信を切り、仲間二人を見た。二人ともクリスの言葉を待っているのだろう、言葉を発しない。ただ期待するような目でクリスを見つめている。

 

「ジルとリチャードが玄関ホールで待ってる。行こう」

 

 二人は口々に「オーケイ」や「了解」と呟いた。

 

 この通信機が誰の物か気になるが、合流を急ぐ方を優先した。この機を逃せば、もうジルたちとは会えないかもしれない。

 

 今度はフォレストが先行し、クリスが後方を警戒する構成を取った。

 

 フォレストが裏口の扉を開け、中を窺い――発砲した。

 

 ゾンビが戻ってきていたらしい。

 

「さて、無事に会えるかね?」

 

 縁起でもないことをフォレストは呟いた。

 

 

 眼下の景色が、やっと都市部から木々の生茂る森へと変わった。

 

 月光を受け、木々と空との境界を燐光が彩っていた。

 

 尾根が視界の隅から隅まで広がっている。月の輝く空とは対照的に、森は闇のそのもののように暗く沈んでいた。

 

 焦燥が時間感覚を狂わせる。操縦しているヘリコプターは壊れているのではないか?遅々として進まないじゃないか――と。

 

「ジェームズ! 連絡は取れたか!?」

 

「駄目です。短波通信で呼び掛けていますけれど、誰も出ません」

 

 キャビンから新人の返答が返ってくる。

 

(クソッ!)

 

 胸中で毒づく。操縦桿を握る手に、自然と力が篭もる。

 

「ヴィッカーズ巡査、焦らないでくださいよ。少なくともアルファチームは無事なんですし。たかが、野犬の群れでしょう?」

 

 ジェームズの気楽な言葉に、ブラッドは小さく舌打ちした。

 

 分かっていない。何も分かっていない。

 

 アレを見ていない人間で、分かってくれる人間など居ないだろう。親しい同僚でさえ信じていないのだから。

 

 同僚たちが去ってしばらく後、待機していたヘリコプターを唸り声が取り囲んだ。

 

 最初に目を向けたとき、ヘリのライトの射程から唸り声の主は外れていた。辛うじて足が視え、野犬と判断した。

 

 だが、その主が段々と近づき、全容が目視できるようになるにつれ――先ほどの判断が間違いだと気付いた。

 

 表皮は溶け崩れ、紅い筋肉が剥き出しになっていた。灯りをヌメリとした腐汁が反射した。

 

 明らかにそいつらはヘリコプターを――ブラッドを狙っていた。

 

 ブラッドがスピーカーからの大音で追い払おうとしたとき、ヘリを振動が襲った。すぐに、囲んでいた犬たちがヘリに飛び掛ったのだと知れた。唸り声と咆え声、爪が機体を引っ掻く音――

 

 視線を戻すと、正面で構えていた犬の顔がヘリのフロントガラスに押し付けられていた。鼻息がガラスを曇らせ、汚濁した液体がガラスを汚す。

 

 ブラッドは上げかけた悲鳴を呑み込み、その変わりにエンジンを掛け、操縦桿を握った。左手でスロットルレバーを引き、メインローターの回転を上げていく。訓練を受けていない限り、普通ならこれだけで逃げ出すはずだ。だが、犬たちは離れない。それどころか余計に興奮したようだ。

 

 飛んでいってしまいそうな理性を唇を噛み切って繋ぎ止めた。

 

 レバーを引いて、回転数を更に上げ――機体を宙に浮かせた。

 

 その衝撃で何匹が落下したようだが、まだしつこく齧り付いているものの方が多かった。

 

 木々の頂上が眼下に移動した所でペダルを踏み込み、後部ローターの回転を変えて機体を振り回そうとしたときだ。

 

 犬とは違う鳴き声が加わった。気付いた時、黒い集団が視界を奪い去った――

 

 理性を保っていたのはそこまでだった。

 

 気付くと、もう街の明かりがすぐそこに見えるところまで飛行していた。犬たちは残っておらず、視界を奪い去った鳥もいなかった。

 

 アドレナリンの放出で火照っていた脳が急激に冷めていった。

 

 同僚はどうなったのか。彼等が襲われている可能性は充分にある。そして、彼等には逃げる足が無い。

 

 慌てて踵を返し、ヘッドセットから通信を送ったが返答は無かった。

 

 着陸した地点まで戻ったが状況は変わらなかった。やはり襲われたのだ。

 

 次第に声は高くなり、懇願するように呼びかけを続けた。

 

 飛行していく内に、木々の間から建築物が視えた。たとえ昼間であっても見過ごしたかもしれない。屋根が木々に埋もれるようにして僅かに覗いている程度なのだ。これに気付けたのは僥倖だった。

 

(ここに逃げ込んだのかもしれない)

 

 それは単なる希望だったが、ブラッドを活き返らせるには充分だった。

 

 だがそれも潰えていった。送った通信は返ってくることはなかった。電波が入り難いのかもしれないが、洋館の近くに着陸できるスペースはない。降りれば、あの犬たちに襲われるだろうし、高度を下げただけで鳥たちに襲撃を受けるだろう。鳥は確実にヘリコプターを狙っていた。

 

 ブラッドは自分でどうこう出来る事態を超えていることを悟った。

 

 洋館に逃げ込んでいるとしても、ヘリコプターに乗っているのがブラッド一人だけでは助けようが無い。

 

 後ろ髪を引かれる感触を振り払い、ブラッドは警察署に戻ったのだ。応援を要請するために。

 

 事態を説明し、応援の要請をしたブラッドへの署長からの返答は予想外のものだった。

 

 ――応援は出せない。自分たちで処理しろ。

 

 ただそれだけを告げて、退出を命じられた。

 

 ブラッドには証拠がなかった。単に野犬に驚いて逃げ帰ってきた臆病者としか捉えられなかったのだ。

 

 再度、事態の危険性の説明を試みたが署長の判断は変わらなかった。それどころか、署長はブラッドの過去の過失を持ち出し、如何に自分の発言に現実性と信用性がないかを論じて見せた。

 

 ブラッドは反論出来なかった。ただ耐えるしかなかった。

 

 オフィスに行くと、ジェームズとロイが居た。

 

 ジョーとフランクの姿はまだ無かった。

 

 二人に説明し、多少は事の重大さは伝わったようだった。

 

 必要な機材を運び込み、ロイを残してヘリコプターは再度離陸した。

 

 だがロイもジェームズも、内心では署長の判断に賛同しているのは明らかだった。

 

 過去はいつまでも付いて回る。

 

 この街は過去を忘れない。

 

 街はアンブレラの支社が誘致されてから数年で一気に都市化し、新たな入居者を多数迎えた。だが、それはほとんどがアンブレラ社の関係者であり、彼らは新たに作られた居住区に住まった。彼等の移動範囲は居住地区と中心街の間が主であり、先住者との友好な関係は中々築かれなかった。

 

 アンブレラ支社を中心とした新都市計画が施行されたが、手付かずの地域が周辺に多数残っていた。それは住民の反対運動が少なからず影響を与えた結果だ。

 

 そして、元々の閉鎖的で排他的な気質は変わることはなかった。

 

 彼らは忘れることはなかった。

 

 しかし、それは論点をずらしているだけだ。

 

 ブラッドはそれだけのことを仕出かしたのだ。

 

 そう叱咤する。

 

 ――相棒の足を奪ったのは誰だ。

 

 ――作戦を失敗させたのは誰だ。

 

 ――仲間を窮地に陥れたのは誰だ。

 

 ――――を殺したのは誰だ。

 

 妻の顔が視えた。表情は分からない。視えているはずなのに分からない。いつも同じだ。あれからずっと――顔は無い。

 

 その筈だ。

 

 最後に見た妻は――そういう死体だったのだから。

 

 毎朝、うなされて目が覚める。あのときから続いた。

 

 最近消えたのだ。だが幻影は甦った。

 

 自己への嫌悪の象徴だ。全てを死者に投影し、押し付けている。それを自覚しつつも、自分への――死者への甘えが幻影を生み続けた。

 

 あの事件の後、生き残った何人もの仲間が街を去った。

 

 周囲の目に耐え切れずに。

 

 ブラッドは去らなかった。

 

 ――妻を独り残して行きたくは無い。思い出が残っているから。

 

 理由を人に訊かれたとき、決まってそう答えた。

 

 ――偽りだ。

 

 墓の下の人間は寂しがることは無い。安逸の国――神の御許に行った魂は現世を省みることは無い。

 

 ただの見栄だ。見栄のためだ。

 

 逃げたと、後ろ指を指されることを、ちっぽけな自尊心が拒否した。

 

 『S.T.A.R.S.』設立が決まり、声が掛かったときも断らなかった。

 

 第一線での勤務が果たせないことが分かっていながらも、自尊心を守るためにしがみ付き続けた。

 

 だが。

 

 偽り続けるくらいなら――逃げ出してしまった方が良かったのだ。

 

 全てを投げ出して、別の土地に行っても良かったのだ。止める者は誰も居ない。

 

 さっさ逃げ出していれば、今回逃げ出すことはなかった。

 

 逃げ出していれば、自分とは違う人間がここに座っていた。その人間は、ブラッドのように我を失い、仲間を置いて逃げ出すことなどしなかったに違いない。

 

 そうすれば全てが上手く機能していった。

 

 ちっぽけな自尊心にしがみ付いたために、また誰かを殺したのか。

 

 同僚の安否を気遣うのも、本当に彼等が心配だからではない。

 

 自分の保身だ。自分の心を護るためだ。

 

 浅ましい自分の前に、妻の顔が広がる。

 

幻影をジェームズの質問が打ち消した。

 

「――言われたとおり積みましたが、こんなものが必要なンすか?」

 

 ジェームズは自分の脇にあるモノを手で軽く叩いた。

 

「俺の勘ではな。使わないなら、それはそれで越したことはない」

 

「そう言うなら。でも、これどこで手に入れたんです?」

 

「バリーが手配したらしいが……見本市にもよく顔出しているからな」

 

 ブラッドは唇を舐めた。喋ることで、少し自分を騙すことが出来たようだ。

 

 ヘリコプターは月下を進んでいく。森の表情はまだ静寂を保っていた。

 

 

 戸が開いた音に気付き、床に座りながら睨むように顔を伏せていた二人は顔を上げた。床には大きな紙が一枚広げられている。

 

 リチャードはアーマーベストを着ておらず、ジルは最後に見たときとは別のベストを身に着けていた。

 

 床には二挺のショットガンが置いてある。リチャード側にあるのは『S.T.A.R.S.』のそれだが、ジル側にあるのは違っていた。この館にあったものを拝借しただろう。

 

 戸を開けたフォレストが大股でゆっくりと階段を降りながら二人に手を挙げた。

 

「よぉ、ご無沙汰だな。ジル、老けたか?」

 

「フォレストこそ、白布のアクセサリー素敵ね。今度は口に巻いてみたら?」

 

 フォレストの軽口を涼しい顔で受け流したジルの瞳は悪戯めいた光が見える。

 

「サンフランシスコ行きの車に乗り遅れてさ」

 

「……はぁ?」

 

「……おまえさん。ヒッチコックの『鳥』って観たことないか?」

 

「見たけど……ずいぶんと前に」

 

「あれはサンフランシスコにロッド・テイラーたちが向かう所で終わるだろうが。つまり、『鳥』にやられたってことだ」

 

「……あれだけでそこまで連想しろっていうのは挑戦よ。人類への」

 

「文学の修辞法が分からないとは。文化人と話がしたいもんだ」

 

「文学だったの? それ自体が発見ね」

 

 半眼でジルがフォレストと応酬する一方で、フォレストの後にホールに入ったレベッカに、リチャードが安堵の言葉を掛けていた。

 

「レベッカ! 良かったよ。君が居なくなった時は心底肝が冷えた。危険な目に遭わせて、本当にすまなかった」

 

 頭を下げるリチャードにレベッカが慌てた様子で駆け寄りながら口早に告げる。

 

「そんな、謝らないで下さいよ!わたしこそ、心配をお掛けして申し訳ありません」

 

 歩きながら頭を下げてくるレベッカにリチャードは優しげな笑みを向けた。

 

 クリスは最後尾だった。扉を閉め、ゆっくりと階段を降りるクリスにジルの声が掛かる。

 

「クリス。フォレストじゃないけど、久しぶりね」

 

 笑みを湛えたジルに、クリスも笑みを返した。

 

 ふと、床に広げられている紙に目を移す。紙には直線的な図形が幾つも繋がって描かれている。その大きな纏まりが二つ――

 

「それはもしかして、ここの地図か!?」

 

「ヌードに見える?」

 

 驚きに上擦った声を上げたクリスに、ジルが冗談を交え肯定した。

 

「そ。隣の部屋で見つけたの」

 

 地図を囲むようにクリスたち三人は腰を下ろした。

 

 地図にはペンで真新しい書き込みが加えられている。場所によっては大きくバツ印が付けられていた。

 

 クリスたちを待つ間、二人の情報を纏めていたらしい。

 

「レベッカ。アルファチームのジル・ヴァレンタインだ。ジル。彼女が訓練生のレベッカ・チェンバース。中々優秀だよ」

 

 リチャードが交互に紹介する。

 

「初めまして、ヴァレンタインさん」

 

「ジルで結構。宜しく、レベッカ」

 

 差し出されたレベッカの手を、ジルが力強く握った。

 

「地図、他には無いのか?」

 

 地図に見入っていたフォレストが顔を上げた。

 

「おまえらが来る前にもう一度調べてみたが、これだけだったよ」

 

 リチャードはフォレストに告げ、クリスの持っている通信機に目を向けた。

 

「それ、フォレストのものか?」

 

 クリスは通信機に目を落としながら、頭(かぶり)を振った。

 

「いや。中庭で拾ったんだ。……ここだ。ここから中庭に出られた。描かれていないが、ここの奥に建物がある。それと裏口のすぐ左側に小屋があった。それと庭の中央付近に小さなエレベーターがあった。地下への」

 

 クリスは地図上に指で示した。出張った細い廊下。そこには既に「裏庭?」と書き込みがされている。そこから目でホールまでの道程を辿った。この裏口へ続く通路とホールはドア二つ分挟んだ程度だ。クリスらはとんでもない遠回りをしたらしい。何しろ、裏口まで歩いて来た道程を逆戻りしてきたのだから。

 

「なるほど」

 

 リチャードは地図に情報を書き加えた。

 

「それと……ここでケネスが死んでたよ。ゾンビに殺されて……喰われていた」

 

 押し殺した声音で告げたクリスに、ジルの呟くような声が返ってきた。

 

「知ってるわ。でも、殺されたんじゃない。自殺よ。自分で頭を撃ち抜いたの。分からなかった?」

 

「自殺……?だが拳銃は――」

 

「わたしがバリーに渡したのよ。それで――」

 

 続きは頭に入らなかった。耳には入っているが、聴こえなかった。

 

 自殺。

 

 その言葉がクリスの胸にどす黒い濁りを与えた。

 

「分からなかった。損傷が激しくてな」

 

 押し黙ったクリスの横でフォレストの苦い口調が加わる。

 

 クリスの胸中では今にも沸騰しそうな蟠(わだかま)りが満たしていた。噴出しどころを探し、喘いでいる。

 

 前触れなく――クリスは床を殴りつけた。

 

 拳に痛撃が走って行く――が、無視する。電流のようなものが肘を突き抜けていき、肩から先を無感覚にする。それもすぐに消え、鈍くなった痛みだけが拳に残った。ジルたちの驚いた顔が眼に入ったが、それもどうでもいい。無意識のうちに、クリスの喉は言葉を吐き出していた。言葉ではなかったかもしれない。ただの感情。親類の重大な裏切りを知ってしまったかのような気持ちだった。

 

 ふつふつと滾(たぎ)っていた蟠りは拳と共に吐き出され、後には苦いものだけが残った。沸騰していた感情が急激に冷め、思考が出来なくなる。

 

 乱れた空気を正すように、フォレストが口火を切った。

 

「自殺、ねえ。言われてみりゃ妙だったかな」

 

「妙?」

 

 フォレストの声は遠くの雑踏のように聞こえていた。

 

「ここに逃げ込んでからだな。おっさんは単独行動を執拗に取りたがったんだよ。ただ、今思えばって程度だからなあ」

 

「答えは闇の中――か。死者の詮索は気持ちが良いものじゃない。やめよう」

 

「ええ」

 

 ジルには他人事のような響きがあった。

 

 ジルを見ると、彼女は顎に手を当て考え込んでいるようだった。だが、それはケネスのことではない。

 

 直感だが、そう感じられた。

 

「ジル。バリーとウェスカーはどうした? クリスの話じゃ、てっきり一緒だと思っていたんだがな」

 

 フォレストの言葉に、ジルは驚いたように顔を上げた。

 

 余程思考に沈んでいたらしい。

 

「あ、ああ。クリスが捜索に行った後、わたしとバリーも捜索を命じられたのよ。そして戻ってきたら、隊長が消えてた。エドワードの遺体もね。わたしはクリスと一緒だと思ってたんだけど」

 

 エドワードの遺体を動かしたのはジルたちではなかったのだ。

 

 ならばエドワードの遺体を動かしたのはウェスカーということになる。

 

(だが――)

 

 何の意味があるのだろうか。

 

 一人ホールに帰ってきたときに抱いた疑念がクリスの中で甦った。

 

 ジルは続けていた。

 

「――で、バリーとの待ち合わせ場所が此処なの。一時間に一度此処に戻ってくるってね」

 

「通信機無しで、よく単独行動取る気になったな」

 

「俺も言ったよ。それは」

 

 説明の終わったジルに、フォレストの諌めるような声音が掛かる。

 

 ジルは深く溜息を吐いた。

 

「ここまで異常とは思ってなかったのよ。認識が甘かったわ。少なくともクリスや隊長とはすぐ合流できると思っていたから」

 

 そうジルは苦笑した。

 

「……ウェスカー隊長がデューイをどこかに安置しに行って、ゾンビに襲われたってことか」

 

 クリスは、自分で信じてもいない仮定を口に出した。

 

 案の定、ジルからは否定が返ってきた。だが、口調は明瞭さを欠いていた。

 

「隊長の性格からして違うと思う。でも遺体が消えた理由は、それぐらいしかないのよね」

 

 未だ三人の行方が分からない状況にクリスは閉口した。特にウェスカーに対しての疑念が強まってくる。彼が死体と共に消えた他の可能性はあった。だが、口に出したくなかった。

 

 こういう感じは尻の座りが悪くて仕方が無い。どうしようもない浮遊感が心を包むのだ。ある答えが浮き彫りにされていくのに、信じたくない。それを口に出して肯定することへの恐れだ。

 

「デューイさんは起き上がったんじゃ……?」

 

 会話に参加せず、傍聴に徹していたレベッカがポツリと独白した。

 

 一瞬、場は水を打ったようになったが誰かから苦笑が漏れた。フォレストからだ。

 

「たしかに馬鹿げていますけど、それぐらいしか他にないじゃないですか」

 

 そのフォレストを睨(ね)め付け、レベッカはむきになったような口調で付け加えた。顔が興奮で赤らんできている。

 

 ――そうだ。エドワードが起き上がったのだと考えれば……

 

 そう胸中で呟いた時、クリスの口から言葉が滑り出ていた。

 

「そう馬鹿にできるものでもないだろう。連中はゾンビだ。ゾンビなら、死体が起き上がることがありえるかもしれない」

 

 クリスが助勢したことでレベッカは勢い付いたようだった。だが、救われたのはクリスの方だった。

 

「そもそも、一連の殺人事件及び失踪事件の犯人は此処の住人でしょう? このことを早く街に知らせて――」

 

「まあ、落ち着きなレヴィ。ウェスカーの野郎がヘタレだってのには大いに賛同したいところだがな。しかし、うちの若ぇの二人がこう言ってるんだが、どうするよ? リチャード」

 

 フォレストは手でレベッカを制止ながら、おどけた口調でリチャードに話しを振った。

 

 振られたリチャードはフォレストとは対照的な真剣な面持ちだった。じっとクリスとレベッカを順に見つめてから、軽く息を吐いた。 

 

「まず、殺人事件の犯人から行こうか。たしかに森の中での失踪事件や流れてきた惨殺体は、犬やここの住人たちの仕業だろう。だが、街中で起きたものには、そうとは言い切れない」

 

「言い切れない?」

 

 クリスを見ずに、リチャードは頷いた。

 

「知っているだろうが、現場は街でも山寄りの地区だ。だから、ここの住人の仕業ということは否定しない。だが、屋内にて殺害されたケースもあった。……妙だろう? ここの住人は、もう扉をろくに開けられないんだ。また、犯行はいずれも夜間だ。腐った人間が、昼夜を気にすると思うか?朝になったら、此処や見つからない場所に隠れると思うか?」

 

 真っ向から否定され、そして信じたくない可能性にクリスは一度目を閉じた。レベッカの声が耳に入る。

 

「つまり……模倣犯が――殺人鬼が街に居て、それは住人の誰かだってことですか?」

 

「そういうこと。殺人鬼って言い方は好きじゃないが」

 

「どうして?」

 

「人殺しは人間じゃない。と言ってるのと同じだからね。自分と同類が殺人を犯すとは思いたくないんだろう。誰もが殺人者の因子を有していることを認めることになるからな」

 

 言い切って、リチャードは腕を組み直した。

 

「ま、脅威としては、どっちも変わりがない。根絶することが容易じゃないことも含めてな」

 

リチャードの深い色の目がクリスを見た。

 

「クリス、おまえは此処の住人を『ゾンビ』と呼んだな。本当に『ゾンビ』だと思っているのか?」

 

 クリスは返答に窮した。リチャードの問いは図星をついている。クリス自身、『ゾンビ』だと信じていたわけではない。

 

 返答に困っているクリスをレベッカが心配そうに見つめているのが分かった。

 

「『ゾンビ』の定義は『呪術的な力で甦った死体』……だったかねえ」

 

 フォレストが煙草を咥えたままで言った。見ると、面白がるような視線をクリスに向けている。

 

 クリスは荒々しく息を吐いた。

 

 嫌な結論に段々と近づいて行っていることを感じたのだ。

 

「……ああ、そうだ。そうだよ。此処の住人は動く死――」

 

「奴等とやり合ったんだろう。なら、分かるだろ。死体が呼吸を必要とするか? 血を流すか? 仮にそうだとしたら、生者と何が違う? そいつは分かっていたはずだな?」

 

 自棄になりかけたクリスの言葉を、淡々としたリチャードの声が遮った。

 

「少なくともあいつらは呪術で甦った死者じゃないよ。呪術なんてものは存在しないと断言できるからな。彼らは生きた人間だ。なぜああなったかは、分からないが」

 

 その口調は怒っているようでも皮肉っているようでもなかった。

 

 ここの住人が、“生きている”のは感じていた。だが、死体が甦ったものではないということはウェスカーが自分の意思でホールから出て行ったというケースしか残らないのだ。

 

 クリスの胸は、ケネスの自殺を知った時のようにざらついていった。

 

 リチャードは視線をレベッカに移した。

 

「レベッカ、君もだ。エドワードの死の確認は君が行ったんだ。さっきの言葉は、君の技量が未熟だということになってしまう。それに死者をも辱めることだ」

 

 多少厳しい言葉に、レベッカは肩を窄(すぼ)めて侘びを口にした。

 

「だが、早くこのことを知らせるというのは賛成だ。彼等の呼び方にも困るし、『ゾンビ』と仮称しよう」

 

 そんなレベッカを見て、リチャードは口調と表情を和らげた。

 

「問題は、隊長が自分の意思で去ったのかどうかってこと。直接、エドワードの遺体の失踪にも関わっているかどうか……」

 

 ずっと黙っていたジルが独りごちた。誰かへ伝えようとしたわけでもなさそうなので、思考が口に出たようだ。

 

 彼女は周りの視線に気付いたのか、小さく自嘲した。

 

「でも、ケネスと同じで当人が居ないんじゃ想像しかできないわね」

 

「そうだな……まあ置いとこう。これからどうするかだが、この別棟に行く必要はあるな」

 

 フォレストが地図の余白を指差した。

 

「マリーニ隊長にしろ、ウェスカーにしろ、ぼさっとしていて通信機を落としたんなてこたぁねえだろ。あの犬に襲われたのだと考えるのが自然だな」

 

「……生きていれば、洋館か、別棟、小屋のどれかに逃げ込むはずだよな」

 

 フォレストはクリスの声に頷いた。

 

「早いところ、合流しないとな。こんな所からはさっさとおさらばしてえし」

 

「だが、脱出方法がないな。おそらくブラッドが救助隊を率いてきてくれると思うが、拾ってもらえる場所がない」

 

 リチャードが呻いた。

 

「そんなこと言っても、ここのことは絶対に知らせなければならないでしょう。なんとしてでも」

 

「……屋根にでも上るかぁ?」

 

「このことを知らせるにしても、すんなり信用するかな」

 

 クリスの言葉に、ジルは思案するような顔を見せた。

 

「証拠があれば……ね」

 

 フォレストとリチャードが同意を含んだ溜息を吐いた。

 

「証拠ですか?」

 

「そう。クリスの言うとおり、わたしたちの証言だけでは信じてもらえないのは確実よ」

 

「四人も死んでいるのに?」

 

「関係ないの。街を恐怖に陥れた犯人が『ゾンビ』でした……なんて答え、誰も期待していないもの」

 

 どこか突き放したような響きが、ジルの声音に表れていた。

 

「期待とか、そういう問題じゃないでしょう」

 

「そういう問題なんだよ、レヴェッカ。人に質問する時、自分なりの答えを用意せずに訊く人間ってのは少ないもんだ。その答えってな、そいつの期待なのさ。特に非常事態に関してはな」

 

 フォレストの口調にも、明確に誰かに向けられたものではない皮肉が篭もっていた。

 

「そして返ってきた答えが、自分のものと同じものだったなら納得する。違っていたら、途端に不安になり理由を迫る。そして理由を聞いていく内に妥協点を見つけるのさ。それで無理やり納得して安心を得る。本当かどうかなんて関係ない。ようは自分が安心するために答えを求めるんだ。実の所、『ゾンビ』の目撃者は既に居たかも知れねえ。だがな、それは求める『答え』じゃないんだ。居てならないもの、あってはならないことが起こり、誰にも信用されないような事柄だったら――忘れるしかない。見なかったことにするんだ。もしくは見間違いだと」

 

 フォレストは短くなった煙草を床で揉み消した。

 

「この街の住人が求める犯人像を教えてやろうか? 余所者で、有色人種で、異教徒だ。この三つのどれかが当てはまれば大概納得してくれる。『全員逮捕――もしくは射殺しました。もう大丈夫です』とくれば完璧だ」

 

 新しい煙草を取り出しながら、フォレストは続けた。

 

「だが『犯人はバケモノでした。腐った人間に仲間が殺されました』なんて言ってみろ。どれにも当て嵌まらん。猛反発さ。まぁだ『キューバの支援により核を保有し、スティンガーやゲパードで武装したテロリストが潜んでおり、ヘリもテロリストに落とされた』と報告した方が信用される」

 

「そこまではないと思うけど……とにかく、犯人は人間でなくてはならないのよ。リチャードの言と矛盾するけどね。殺人者は人間であってはならないけど、人間でなくてはならない」

 

「そのまま報告しても、狂ったと思われるのが関の山か。予想はしていたが」

 

「加えて、『S.T.A.R.S.』は信用があるとは言えない。設立されて間もないし……大部分のメンバーが俺たち、元『S.R.U.』だからな」

 

 リチャードは古傷が疼いたような、苦い笑みを浮かべた。

 

「最悪、『S.T.A.R.S.』は過失によるヘリコプターの墜落を隠すために下手な嘘を吐いたなんて言われるかもしれない。それに尾鰭がついて、薬物を乱用している、実は犯人は『S.T.A.R.S.』の一員で、それを隠そうとしている――といった風聞が立つかもな」

 

「そんな無茶な――」

 

「『ゾンビ』よりは幾分現実的さ。勿論、薬物云々はすぐに潔白が証明できる。大体、仮にそんな説が出てきても、誰も本気で支持はしないさ。だが、この手のゴシップはすぐに広まっていく。まず、俺たちが捜査員に加えられることは無いだろう。俺たちの報告は面白おかしく脚色され、誌面を賑わし――そうされていく内に『ゾンビ』などといった話はさらに現実性を失い、消えていく。もっとも、目撃者が増えていけば話は別だ。でもそれまでに、さらに犠牲者は増え続ける」

 

 リチャードがそこで一旦言葉を切った。ふいに静寂が戻る。どうやら風が出てきたらしい。耳を済ますと、窓枠が揺れる音が聞こえた。

 

「だからこそ、決定的な証拠が必要だ」

 

「一番良いのは、ここの住人を生きたまま捕縛することだな」

 

「そうだな。だが無理だ。装備がない。せめて此処が誰の私有地か分かれば、脱出後にも調べようがあるんだがな」

 

「そういう資料でも残っているといいがねえ……」

 

「あんたら、ここが何なのか知っていたんじゃないのか?」

 

 驚きで、クリスの声は高くなった。『S.T.A.R.S.』は、クリス、ジル、ウェスカー、ジョー、フランクの五人を除いて、全員がラクーンシティで生まれ育った人間だった。少なくとも、ここの存在は知っているものだと思っていたのだ。

 

 リチャードとフォレストは顔を見合わせた。

 

「ここにこういう場所があるって分かっていたら、すでに捜査の手が伸びているだろうが」

 

「となると、地図にも載っていないってことよね。少なくとも、わたしは地図上で気付いたこと無いし」

 

 ジルの言葉通り、クリスも見たことはなかった。そもそも、署を飛び立つ前にブラッドと地図を広げてポイントを確認していたのである。もっとも、この館は建てられて数十年の年月を迎えているように感じられた。移築ならそうともいえないが、それならば何かしら噂として残っているだろう。古くは載っていたものの、何らかのミスで地図上から消えたのかもしれない。

 

 だが、逃げ込んだ時に道らしい道はなかった。ずっと木々と背の高い草が生茂っていたと記憶している。

 

 車両での来訪は無理だ。

 

 しかしながら、この館に居る人間が徒歩で来たというのも変な話だ。第一、これだけの人数を養う物資の調達を人力だけで補うのはあまりにも非効率的過ぎる。

 

 残るは空からだ。だが、この館の地図にはヘリポートらしいものは記入されていない。

 

 あるとすれば別棟か――

 

 クリスの目は“エレベーター”という文字で止まった。

 

「なあ、この敷地以外に別の建物があるんじゃないか? ヘリポートを有するような」

 

 クリスは指で「エレベーター」の文字を叩いた。このエレベーターが単に地下へと続くだけではなく、別の場所へと続く地下道への入り口だとすれば人間の移動の説明はつく。

 

「なるほど」

 

 リチャードがクリスに笑みを向けた。

 

「冴えてるな」

 

 そう言ったあと、リチャードは全員の顔を見渡した。

 

「通信機もあることだ、二手に分かれよう。別棟の捜索か、ここに残ってバリーを待つか。俺は捜索の方に向かおうと思う」

 

「わたしも同行するわ」

 

 間髪入れずにジルの声が続いた。その声には、同行は当然だというような響きがあった。

 

 今のジルの声には活き活きとした張りがある。ヘリコプターの中では無かったものだ。今のジルは、何かから解放されているようであった。

 

 彼女はリチャードを見つめていた。その瞳には絶対の信頼と――それ以上に深い何かが宿っていた。口元にはとても自然な笑みが微かに浮んでいた。

 

 このようなジルを、クリスは観たことがなかった。同じチームとして行動している時は、ただの一度も見せなかった表情だ。

 

「俺も行こう」

 

 クリスはジルから目を逸らしながら言った。彼女を正視することが出来なかったのだ。

 

「わたしも行きます!」

 

 レベッカの勢い込んだ声。律儀に手も挙げている。

 

 そのレベッカの腕をフォレストが下ろさせた。

 

「だーめ。おまえさんは俺と留守番だ。ここでバリーを待つの」

 

「なんでですか!?」

 

「……なんか嫌そーな響きが気になるが……最年長者と最年少者は留守番と決まってるもんだ」

 

「何かあった場合、一人だと動きが取りづらい。レベッカ、君はフォレストと残ってくれ。……気持ちは分かる。身の危険を感じたら、容赦なく撃っていいから」

 

「なんだ? 俺への非難か挑戦か? 闘うぞ、とことんまで」

 

 ファイティングポーズを取るフォレストを無視し、クリスはショットガンを手に取った。

 

 レベッカはクリスの言葉で了承したようだ。何処となく肩を落としているようにも見えた。

 

「クリス、ショットガンの弾は十分か?」

 

 既に腰を上げていたリチャードにクリスは首を振った。

 

「あと五発だ」

 

「なら、これを使え」

 

 リチャードはポーチからショットシェルを七発分取り出し、クリスに向けた。

 

「あんたの分は大丈夫なのか」

 

 受け取りながら訊くと、リチャードは苦笑を浮かべた。

 

「ああ。余分に持ってきたからな。多めに持って出ないと不安なんだ」

 

 クリスは礼を述べ、弾倉に一発込めた後の残りはポーチに仕舞った。

 

「地図、置いていくわ」

 

「迷わないか?」

 

「裏口までの道程ぐらい、覚えたわよ」

 

 ジルは立ち、ショットガンを肩に掛けながら笑った。

 

「リチャード、どデカイ蜘蛛に気をつけろ。それと遭遇はしてはいないんだが、長い爪を持ったゴリラみたいなバケモノもいるようだ」

 

 フォレストの忠告にリチャードは力強く頷いた。疲れた笑みを浮かべる。

 

「まったくウンザリだ。ここには恐竜サイズの大蛇までいるんだからな。そっちも用心してくれ。何かあったら――ないことを祈るが、報告を忘れるなよ」

 

「あいよ。バリーと合流できたら一報入れるからな。つーか、それ用心しようがあるのか?」

 

「気を付けてくださいね」

 

 フォレストとレベッカに返事を返し、三人は奥の扉に向かった。

 

 リチャードが先頭に立ち、ジル、クリスと続く。

 

 クリスはホールへと続く扉を後ろ手で閉めた。絨毯を踏みしめ、 素早く深呼吸した。

 

 漠然とした不安はまだ蟠(わだかま)っている。それを吐息とともに吐き出し、クリスはリチャードとジルを追った。

 

説明
PS版「バイオハザード」をベースにした小説です。
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タグ
ゲーム ホラー バイオハザード ノベライズ 

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