バイオハザード〜7. 前兆 〜
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 二人しか居ないホールは、やたらと広く感じられた。

 

 レベッカは床に敷かれた地図に眼を馳せた。

 

 もう何度目か、憶えていなかった。地図を確認する、それぐらいしかすることがないのだ。地図には三人が出て行った後、フォレストが書き込んだ情報が加えられている。

 

 そのフォレストは、大きな玄関扉に背を預け瞑想していた。時折包帯の上から腕を掻いていた。先ほどまでの無駄口が嘘のように口を閉じている。

 

 レベッカはフォレストのことを何も知らない。いや、フォレストだけではない。『S.T.A.R.S.』のメンバーのことはほぼ全く知らないのだ。ケネスやバリーなどの教官を除いたメンバーとは、今日が初めての顔合わせだったのだから。

 

 レベッカは額に巻かれたバンダナを撫でた。汗を吸った布の感触が指先から伝わる。これをくれた人間は――既にこの世に居ない。

 

 それは分かっていても、実感が湧かなかった。死体を眼にしていないせいだろうか。

 

もう言葉を交わすことの出来ない人間の顔が次々に浮ぶ。これまで何度も言葉を交わした人間、今日初めて顔を合わせた人間――

 

 時たま吹き荒ぶ風の音に、一々心臓が跳ねる。

 

 今にも扉を破って、ゾンビが入ってくるのではないかと、想像だけが増長していく。顔を伏せた。できることなら目を閉じ、耳を塞ぎ――総てを自分から切り離したかった。

 

 三人が帰還し、クリスの声が聞けることを唯々願った。

 

 クリスは無事なのか。もう会えないのではないか。

 

 不安だけが胸に募る。

 

「あの三人を心配するのは愚行ってもんだぞ」

 

 フォレストの声がかかった。レベッカは内心を読まれたことに驚いたが、それを懸命に隠した。平然を装って答える。

 

「心配して何がいけないんですか」

 

「疲れる。体力の無駄。デメリットばかりだなあ」

 

 フォレストは惚けたように言い、そのまま、調子をつけて続けた。

 

「だいじょうぶ。クリスくんは無事に絶対帰ってくる。クリスくんは大活躍している。だから心配するな。な?」

 

「……なんでクリスさんだけ強調するんですか」

 

 口を尖らせたレベッカに、フォレストは意地の悪い笑みを向けた。

 

「おまえさんが心配しているのはクリスだけだろ?」

 

「そんなことありません」

 

 落ち着いた声で返答することに成功した。が、フォレストは失笑した。

 

「隠すなよ。顔に余計出るぞ」

 

 咄嗟にレベッカは顔に手を当てた。この行為でフォレストの言葉を肯定してしまったことに気付き――レベッカは諦めた。

 

「出てますか?」

 

「そりゃあもう、はっきりと。それ以前に、ずっと見つめているンだからなあ。多分、見つめられた当人以外は気付いてる」

 

 断言するフォレストを、レベッカは恨めしげに見やったが、吐息と共に、すぐに視線を逸らした。

 

「前にも言われて、ポーカーフェイスを保つ努力を積んだんですけどね……」

 

「無駄な努力を…………前にも言われてンのか」

 

「小さい頃、姉に言われました」

 

 ――嘘付いても分かるんだよ。あんたは顔にね、全部書いてあるんだから。

 

 姉――アンジェラの声を思い出し、穴の奥がツンとするような懐かしさがレベッカを覆った。

 

 姉と喧嘩した記憶はなかった。十(とお)以上離れて居ては喧嘩になるはずがない。

 

 小さい頃、レベッカはずっと姉に付いて回っていた。

 

 既に年頃であった姉にとっては迷惑だったろうに、邪険に扱われたことは一度もなかったように思う。少なくとも表立っては。

 

 姉が他州の私立大学に行くために家を出ると決まった時、レベッカは姉の裾をずっと離さず、泣きながら駄々を捏ねた。

 

 出立の前夜、姉と一緒のベッドで眠った――あのときの姉の温もりを、昨日のことのように思い出せる。

 

「お姉ちゃんっ子だったんですよね、わたし」

 

 姉を思い出す内に、胸に痞(つか)えていた不安が和らいだのを感じた。

 

「姉ちゃん、美人か?」

 

 問うフォレストに、レベッカは微笑んだ。

 

「美人ですよ。ただ仕事一筋で、父も母も嘆いていますけど」

 

「ラクーン(ここ)で働いているのか?」

 

「いいえ。ロサンゼルスのアンブレラ支社です。有望な出世株みたいです」

 

「自慢の姉さんなんだな」

 

 言われて、レベッカはフォレストに微笑を返した。そして、胸元に手を触れた。シャツの下、地肌に触れる金属の感触に笑みが深まる。去年、姉に貰った、揃いの銀のネックレスだ。

 

 そして、しばらく姉と連絡を取っていないことに気付いた。

 

 大学入学時は頻繁に連絡が会ったが、時を経るごとに少なくなっていった。

 

 それでも月に一度くらいは電話越しに会話をしていたのだが、ここ二ヶ月程は声を聞いていない。

 

 レベッカ自身、その頃色々なことが立て込んでいたために忘れていた。

 

 ――帰ったらまず、姉に電話しよう。

 

 独り頷くレベッカを見て、フォレストが笑いを堪えているのに気付いた。

 

「なんですか?」

 

「いンや、山の天気みたいな娘だと思ってな。怖がっていたと思えば、今は何やら決心固めているようだし。ま、いい性格だ」

 

 煙草に火を付けながら言うフォレストに、レベッカは口を尖らせた。

 

「怖がってなんていません。平気です平常心です」

 

 嘯(うそぶ)いたレベッカに、腕を掻きながらフォレストが苦笑した。

 

「強情な娘だねえ。俺ゃあ、怖かったよ」

 

「……そんな風には見えませんでしたよ」

 

 レベッカは、寧ろフォレストはこの状況を楽しんでいるような印象すら受けていた。

 

「そりゃあ、オジサンは嘘吐きだからねえ。どっかの小娘みたいに顔には出さんさ」

 

 そう言って、フォレストは煙を吐き出した。

 

「じゃあ、それも嘘かもしれないじゃないですか」

 

「ん……まあ、そうだなあ。嘘かもしれんな。嘘好きだし」

 

 掴み所のない態度に、レベッカは子供っぽく頬を膨らませた。からかわれているのだ。

 

 ふと、リチャードの言葉が思い出された。

 

 ゾンビという単語がピタリと当て嵌まる、ここの住人達。彼らは生きた人間だと言う。

 

 ならば、彼等を殺すことは殺人ということだ。

 

 レベッカはゾンビたちと戦闘を行っていない。

 

 発砲したのは、巨大蜘蛛と……クリスにだけだ。

 

 命を奪うこと――それは、この『S.T.A.R.S.』に配属が決まれば必ず経験することだ。

 

 初めて生命に向けて撃った感触を思い出す。

 

 引き金は軽かった。その軽い引き金に怖気を覚える。

 

 震える指が間違って引いただけで、射線上にいるものを殺しかねない武器――臆病な者を容易に殺人者に仕立て上げてしまう武器――

 

「……エイケンさんは、ゾンビを殺すことは殺人だということを肝に命じろ。と言いたかったのでしょうか」

 

「はあ?」

 

「ここの住人が生きた人間だと、エイケンさんが強調したことです。彼等を撃つことは――命を奪うということですよね」

 

「ああ、なるほど……そういう捉え方をするかね」

 

 フォレストから苦笑が漏れる。その表情は、多感な生徒を見る教師のようだ。

 

「考えすぎだよ。ありゃあ、一番高い可能性から目を逸らして、自分に都合のいい解釈で己を騙そうとしたクリスを一喝しただけだ。あとは自分の憶測に埋没して、視野が狭くなっちまったおまえさんへの忠告。他に意味はねえ。多分な」

 

 フォレストは掛声を上げながら腰を下ろした。そして、彼は前屈みになってレベッカを見つめた。

 

「生きているあいつらを撃つのは、気が咎めるか」

 

 頷くと、フォレストは頭を掻いた。言葉を選んでいるのだろう。

 

「あいつらが生きているならば、俺らを喰らうのは生きるためだろうな。そして俺らがあいつらを撃つのも、これまた生きるためだ。目的は同じだが、方向は真逆だ。ただ在るがままに在るだけ――在り続けることが生命の目的なら、そいつを遂行するだけじゃねえか」

 

「……殺される前に、殺せ。ですか」

 

 上目遣いに言うと、フォレストが手を振って否定する。

 

「生きている兵士の方が、死んだ皇帝よりずっと価値があるってことさ」

 

 一呼吸――フォレストは間を置いた。

 

「俺たちは何がなんでも生き残らなければならない。死んだら全部台無しだ。この世の全ては、生きて居ればこそ意味がある。ここの住人が生きていたにしろ死んでいたにしろ、気にするのはここを脱出してからで遅くない」

 

 煙草の火が一瞬力を増し、すぐに静まる――

 

「結局解決になってませんけど」

 

「そうかい?」

 

 フォレストはにやりとした笑みを刻んだ。

 

 それを見て、レベッカにはもう一つ感じることがあった。

 

 余裕である。

 

 フォレストは「怖かった」と言ったが、それが事実だとしても恐怖に押し潰されていない。感情と身体を切り離している――少なくとも場合によっては一瞬であっても切り離すことが出来るのだ。

 

 余裕と言っても、油断しているわけではない。突発的な緊急事態に陥っても、即座に運動能力を発揮し対処できるように無駄を無くしているだけだ。

 

 彼が状況を楽しんでいるように感じられたのはそのせいかもしれない。

 

 彼は専門家(プロフェッショナル)なのだ。そして、それはレベッカ以外の誰もが。

 

「なんか、わたしだけ場違いですよね。わたしは……素人ですし」

 

 愚痴が毀れた。

 

 ジルを思い出した。強靭で美しい――歴戦の戦乙女のようだった。同性なのに、自分とは天と地ほども差がある。自分の白く細い腕を見下ろす。頼りなく、何も出来そうも無い腕だ。

 

「一通り訓練は受けてるんだろ? 銃の扱いだってまあまあだ。それで満足できないなら――小娘でも当たる、俺なりのコツを教えてやろうか?」

 

「本当ですか? 一インチまで接近して撃てとか、そんなことじゃないんですか?」

 

 勘繰るレベッカに、フォレストは肩を竦めた。

 

「疑り深い娘だねえ」

 

 フォレストは苦笑し、煙草を揉み消した。

 

「簡単に言やあ、直感だな」

 

「直感ですか」

 

「ある種のな」

 

 言いながら、フォレストは右手で銃の形を作った。

 

「銃口と標的が熱い線みたいなもんで繋がるような感じを覚えるとき、引き金を引いてみろ。すると弾丸は狙ったポイントを貫いている。銃口から放たれる銃弾の軌道が完璧に視えるんだな。銃そのものが自分の手足の如く融合して――」

 

「無理です」

 

 レベッカの断言に、フォレストは一瞬きょとんとした表情を浮かべた。すぐに眉根を寄せ、腕を組む。

 

「クリスに言ったら同じ返答だった。なぜだ? 凡人と天才の差か」

 

「馬鹿にしているでしょう?」

 

「まさか。全力でからかっているだけだ」

 

 睨むレベッカに、フォレストは道化の如く両手を挙げた。

 

「言ったこと自体は本当。俺はその感覚が来ない限り撃たない。たとえ撃っても外すだろうな。だから、急所を逸らすなんて器用な芸当は苦手だ。まあ、少なくとも訓練していけば、自分の当たる距離ってのは分かるようになるもんだ」

 

 言葉は本当なのかもしれないが、フォレストの表情は意地の悪さが大部分を占めていた。

 

 返答を待っていたようだが、それがないのでフォレストは続けた。

 

「重要なのは距離だ。おまえさんが言った『一インチまで近づく』ってのは的外れじゃねえ。絶対に外さない距離まで接近する――こいつが大事だ。拳銃で遠距離射撃するぐらいなら、誘導ミサイルでアリの巣でも撃ち抜いていればいい」

 

 しょり…と音が加わる。フォレストが顎を掻いたのだろう。そんな些細な音が耳に入るほど、静寂が満ちていた。銃声も何も聞こえてこない。

 

「射撃は、ここではスパイヤーさんが一番上手いんでしょうね」

 

 間を繋ぐために、レベッカは言葉を紡いだ。フォレストは小さく笑みを浮かべた。

 

「その通り――と言いたいがねえ。狙撃ならエドワードは勿論、近い内にジェームズにも抜かれるだろうな。拳銃射撃ならば……今じゃクリスの方が上だろう。本人は、そうは思っちゃいないようだが」

 

「謙虚なんですね」

 

「モノは言いようだな。あいつは、昔から自分を過小評価しがちなんだよ。自信がねえってわけじゃないンだろうがな」

 

 フォレストの口調は苦いものを含んでいた。

 

「クリスさんとは古いんですか?」

 

 新しい煙草を取り出していたフォレストに訊く。

 

「まあ……な。同僚だよ、『S.O.F.(米国空軍特殊部隊)』でな」

 

 紫煙が吐き出され、天井に達する前にかき消える。それを眼で追いながら、レベッカは続けて訊いた。

 

「訊いていいものか迷いますけど……なんで警察に?」

 

「何、知りたいの?」

 

 フォレストの口調は悪戯めいていたが、瞳には影があった。少し気圧されるものを感じたが、レベッカは頷いた。

 

 フォレストの瞳から影は消え、そして彼は遠くを見るような目をした。

 

「俺は自主的に退役したんだが、クリスは――悪い。俺の口からは言っていいことじゃねえな。どうしても気になるなら本人に訊け。だが、愉快な話じゃねえぞ」

 

 フォレストの口調は静かで、どこか心が冷えるような響きまであった。

 

「あいつは優秀だったよ。着実に任務をこなす。部隊への、上官への忠義も他に類を見ないほど厚かった」

 

 言葉の内容に反し、フォレストは唾棄するようにこぼした。

 

「良いことでしょう?その……部隊に忠義を尽くすことは」

 

 フォレストの真意が読めず、困惑するレベッカをフォレストはちらりと見た。

 

「違うな。兵士が忠義を尽くすべきは国だ。上官を信じるのは、上官の向こうに国があるからさ。上官や部隊そのものにじゃない」

 

「…………」

 

「ま、愛国心の欠片もない俺にゃどうこう言えた義理じゃないがね。そいつを弁えていないと、視野は狭くなる」

 

「簡単に騙されてしまうと?」

 

 直感だが、部隊内で起こった争いにクリスは巻き込まれたのだろう。それで割を食って除隊されたのだと、レベッカは当たりをつけた。

 

 しかし、レベッカの言葉にフォレストは憐れむような笑みを浮かべた。

 

「違うよ。組織に依存してしまう人間ってのがいるんだ。組織に身を置くということに安らぎを感じちまうのさ。組織が自分の一部になっちまう。そうなっちまったら、組織のために身を投げ出すことに躊躇いはないな。それが一度安住の地を失った者ならば、入れ込むのも尋常じゃねえさな。そこが例え泡沫のようなもんであってもな」

 

「それは分かります」

 

「そうかい」

 

 分かるものか。と、レベッカには聞こえた。だが、フォレストは笑った。

 

「それからだな、俺の退役を待っていたかのようにアンブレラ社から『S.T.A.R.S.』のスカウトが来てね。あいつを誘って、地元に帰ってきたのさ」

 

 フォレストは額を押さえた。光の加減か、うっすらと汗ばんでいる様に見えた。

 

「だが、あのお馬鹿は、今度は『S.T.A.R.S.』に依存しちまっている……これまたまずい」

 

「別に心配することじゃ……」

 

「そう楽観もできんのさ」

 

 フォレストは深く息を吐いた。疲労が一気に表に出てきたような、倦怠感のある吐息だった。

 

「おまえさんは知らないかもしれんが、『S.T.A.R.S.』はまだ確固たる組織じゃない。元『S.R.U.』とウェスカーとの折り合いが、どうも上手く行ってないようだ。この先、内部で真っ二つになっちまうことだってありえる」

 

「そんな、考えすぎですよ」

 

 レベッカは曖昧に笑った。知りたくない話だった。今日は知りたくもないことばかり、知ってしまった。

 

 なんとなくレベッカは周囲を見渡した。

 

 灯りはホール全体を遍く照らしている。だが足りない。そう感じてしまう。照らされても消えない闇が潜んでいるようだった。

 

 思わず身震いをし、自分を抱きしめた。

 

「俺が見張っているから、おまえさんは寝てろ。少しでも体力を回復させたほうがいい」

 

 そう言われて初めて身体が疲労を認識したのか、急にひどい眠気が襲ってきた。フォレストの助言には従わず、レベッカは重くなりつつある目を拳で揉み解した。眠りに落ちたくなかった。三人が無事帰ってくるまでは。

 

 また大きく窓枠が揺れた。

 

 

 フローリングもされていない、木材そのものが貼られただけの汚い床。

 

 埃も混じったどす黒い染み――もう乾いているが、異臭は消えていなかった。

 

 染みは床だけでなく、近くの壁や備えつきのテーブルにも広がっていた。

 

 異臭の主は床に転がっている。

 

 仲間の死体ではない。細身の男――分かるのはそれだけだ。

 

 ハエが集り、肉に蛆が群れている。吐き気を催す汚臭が鼻腔を攻めてくる。柔らかい腹部は引き裂かれ、首にも大きな傷がある。壁を汚しているものは此処から迸ったのだろう。

 

 この転がっている男はゾンビだったのか、普通の人間だったのか……

 

 眼窩は暗く、中に溜まった蛆が蠢いているのがわかる。

 

 開けられた口腔と、辛うじて残る顔の肉。それが表しているのは断末魔だ。襲われ、喰われた人間だ。

 

 クリスは十字を切った。

 

 クリスはもう一度、自分の居る場所を見渡した。

 

 裏口を出て、横道の奥にあった小屋にクリスは居る。

 

 入り口から入ってすぐのダイニングルームだが、あるのは古びた冷蔵庫とガスコンロ、楕円形のテーブルに四脚の椅子だ。

 

 冷蔵庫にはビールとバター程度しかない。流し台の脇には、汚れたコーヒーメーカーとインスタントコーヒーの粉があった。

 

 食器も皿が二枚、後はフォークとスプーン、カップが二つ三つといった程度で、包丁などの調理器具はひとつもない。

 

 ここの住人は料理には興味がなかったらしい。目の端で、クリスは転がった死体を見た。

 

 床は汚れており、散乱したドライフードに混じって、腐った肉片も散らばっている。

 

 吊るされた裸電球には蛾が集り、耳障りな羽音を立てていた。

 

 壁にある窓は煙草のヤニで汚れ、昼間であっても外の光を遮断してしまいそうだった。

 

 窓のすぐ横にはガラス戸の棚がある。中には、消毒用のアルコールなどの多少の薬品があるだけだった。戸を開け、手に取ってみる。全てアンブレラ社で作られているものであった。こんな所にまでアンブレラ社の勢力が浸透していることに妙な感心を覚えた。それを戻し、戸を閉めた。ガラスが木枠を擦り、きいきいと音を立てる。

 

 リチャードは小屋の外で見張りをしている。ジルは小屋の奥、寝室と思われる部屋に入ったまま、出てきていない。

 

「ジル!何か見つかったか?」

 

 ここに得るものは無いと判断し、クリスは声を上げた。

 

 ジルからの返事は無かった。それを不審に思い、クリスは寝室に入った。

 

 寝室は狭い。ベッドで部屋の大部分が占められている。壁に向き合う形で小さい机が配置され、あとは折りたたみ式のハンガーラックがあるだけだ。二着ほどジャケットが掛けられている。

 

 小さいスタンドの光に照らされながら、ジルはベッドに腰掛け、真剣な表情でノートのようなものを読み耽っている。クリスが入ってきたことにも気付かない様子だ。

 

 開けた扉を手の甲で叩く。その音で、ジルは顔を上げた。彼女の顔は強張っていた。

 

「なんだ、それ」

 

 問うと、ジルは力なく笑った。彼女はノートを閉じ、差し出した。

 

「とんでもないものよ……読んだ方が早いわ」

 

 クリスは手渡されたノートを捲った。そこには犬のことや愚痴など、他愛も無い日常の風景が綴られていた。どうやら日記のようだ。

 

「最後の方を読んでみて」

 

 言われるがまま、クリスは最後の方を適当に開いた。

 

 

『May 9. 1998

 

夜、警備員のスコットとエリアス、研究員のスティーブとポーカーをやった。スティーブの奴、やたらついてやがったが、きっといかさまにちがいねェ。俺たちをばかにしやがって』

 

 研究員という言葉に目が留まる。ここは何か研究所だということだ。この日記の主も、実験動物の世話係のように読み取ることが出来る。

 

 次のページを開いた時、手が止まった。

 

 

『May 10. 1998

 

今日、研究員のおえら方から、新しい化け物の世話を頼まれた。皮をひんむいたゴリラのような奴だ。生きたエサがいいってんで、豚を投げこんだら、奴ら、足をもぎ取ったり、内臓を引き出したり遊んだあげく、やっと食いやがる』

 

 

 館の一室で見た光景が思い出された。あれをやったモノのことだろうか。

 

 クリスは次の記事へと目を移した。

 

 

『May 11. 1998

 

 今朝の五時頃、宇宙服みてえな防護衣を着たスコットに、突然たたき起こされて、俺も宇宙服を着せられた。なんでも、研究所で事故があったらしい。研究員の連中ときたら夜も寝ないで実験ばかりやってるから、こんな事になるんだ』

 

 

 事故。禍々しい雰囲気を、その一言が放っていた。

 

 悪寒が身体を駆け巡り、動悸が激しくなっていく。

 

 

『May 12. 1998

 

 昨日から、このいまいましい宇宙服をつけたままなんで、背中がむれちまって、妙に、かゆい。いらいらするんで、腹いせにあの犬どもの飯を抜きにしてやった。いい気味だ。

 

May 13. 1998

 

 あまりに背中がかゆいんで医務室にいったら、背中にでっけえバンソウコウを貼られた。それから、もう俺は宇宙服を着なくていいと医者がいった。おかげで今夜はよく眠れそうだぜ。

 

May 14. 1998

 

 朝起きたら、背中だけでなく足にも腫物ができてやがった。犬どものオリがやけに静かなんで、足引きずって見に行ったら数が全然たりねえ。めしを三日抜いたくらいで逃げやがって。おえら方に見つかったら大変だ。

 

May 16. 1998

 

 昨日この屋しきから逃げ出そとした研究いんが一人射さつされた、てはなしだ。

 

 夜、からだ中あついかゆい。胸のはれ物 かきむし たら 肉がくさり落ちやがた。いったいおれ どうな て

 

May 19. 1998

 

やと ねつ ひいた も とてもかゆい

 

今日 はらへったの、いぬ のエサ くう

 

May 21. 1998

 

かゆい かゆい スコット― きた ひどいかおなんで ころし うまかっ です。かゆい うま』

 

 

 

 

 それ以降は文字がのたくり、読み取ることが出来なかった。

 

 自分の口が酷く渇いているのを感じた。

 

 ここに書かれているのは、生きながらゾンビになっていった人間の経過だった。

 

 段々と思考能力が無くなり、感覚も鈍磨していく。そのことに本人は気付かない。気付かないまま、喰人鬼に成り果ててしまう。

 

 ジルがこちらをじっと見つめていた。視線で、どうだと問い掛けている。クリスは頭(かぶり)を振った。これは自分の持つ常識を超えていた。

 

「おそらく……研究していたというのは新種のウィルスかな。もしくは未知の生物兵器――」

 

 感覚の鈍磨などの症状は、脳を海綿状にしてしまうクロイツフェルト・ヤコブ病が代表であるプリオン病に似ている。プリオンは神経細胞に多く含まれる蛋白質だが、これが何らかの要因によって変異し、神経細胞に様々な症状をもたらすことになる。

 

 皮膚の変化はハンセン病か。

 

 確かに似ている。だが、違う。

 

 読み取れる症状と自分の観た現実を細分化すれば、クリスの乏しい知識からでも、それぞれに酷似した病を大体は当て嵌めることができる。

 

 だが、それら総ての症状を発生させるものはなかった。

 

 新種のウィルスか、未知の生物兵器……自分の言葉を反芻する。

 

そいつが――流出したのだ。

 

 掠れた声が漏れる。

 

「バイオハザード……」

 

 クリスは深呼吸をした。嫌な汗が身体を濡らしている。ほぼ確実に、これは空気感染だ。そこにいるだけで感染する。

 

 唾液を、乾いた喉が嚥下する。

 

「俺たちも感染しているのか……」

 

 忘我のまま独りごちる。電灯に照らされる文字の羅列が妙にはっきりとしていた。腐っていった生者がペンを取り、書き記した記録――ここの住人はゾンビではなく、病人だった。

 

「事故が起こったのは二ヶ月以上前よ。もしまだ感染力があるようなら、すでに山を下って街に影響が出ているんじゃない?あくまで希望的な憶測だけど」

 

 クリスの独白にジルは答えた。感染力が残っていればどうしようもない。と言外に含ませて。

 

「潜伏期間は約二十四時間――判断の下しようがないな。レベッカなら、もっと情報をここから読み取れるかもしれないが」

 

 感染者は痒みを訴えている。それが感染しているかどうかの唯一の目安になりそうだった。

 

 クリスは日記をジルに返した。受け取ったジルはバックパックにそれを仕舞った。

 

「そっちは収穫あった?」

 

 背負い直しながら問い掛けるジルにクリスは首を横に振る。

 

 手に入れた情報はあまりに大き過ぎた。そして自分が迎えるかもしれない最期が具体的に予測できるようになってしまった。

 

 自分でも気付かない内に腐り堕ちるか、貪り食われるか。

 

 生還を諦めたわけではない。だが、もし自分が感染していたら。街中で発症し、腐り行く自分に気付かないままだったら。そのまま見知らぬ誰かを――もしくは見知っている誰かを襲ってしまったら。

 

 予想するだけで恐ろしいことだった。生還は叶わない願いのような気がしてならなかった。最悪の未来予想に自分が沈んでいくのを止められなかった。

 

 無意識の内に拳を握り締める。グローブを嵌めているため爪が掌の皮を突き破ることはないが、鈍い痛みが走る。

 

 唐突に首の後ろにジルの腕が掛けられた。そのまま前に引き寄せられる。

 

 クリスは前傾になり、ジルの顔がすぐ横にあることに気付いた。

 

 それでもまだ身長差があるため、ジルはクリスの首に半ばぶら下がるような体勢である。

 

「もしかして、諦めちゃったわけ?」

 

 悪戯めいた声が耳に入る。痛いところを突かれ、別の意味でも頬が紅潮する。

 

「あんたはあれを読んでも動揺しないのか?」

 

 言いながら横目でジルを見る。彼女の目の光は衰えていなかった。何も捨てていない目だ。

 

 ジルの腕が解かれ、クリスは解放された。無理に引っ張られたため、多少首筋に痛みが残った。

 

「あらゆるケースを想定するのは当然だけど、それに一々一喜一憂するのは愚の骨頂よ。ようするに馬鹿」

 

 きっぱりと言い放ちながら――これまた唐突に、ジルはクリスの背を引っ叩いた。小気味のいい音が部屋に響いた。予想以上の強さに呻く。

 

「しっかりしなさいなっ、青年」

 

 背中を押さえるクリスを尻目に、ジルは言い放った。そして彼女のブーツの音は遠ざかっていった。リチャードに情報を伝えに行ったのだろう。

 

 強い女だ。クリスはそう思った。それはクリス自身には無い強さであり、任務中に時折見せるその強さに惹かれている。ただ、それが彼女ゆえの強さなのかどうかは分からなかった。

 

 さっさと部屋を出て行った彼女を追い、クリスは室外へ出た。そのまま、小屋の入り口へと足を進める。

 

 ふとダイニングルームの電球に集まった蛾を見た。虫の声がしなかったのは、ここの事故を知り、いち早く逃げ出したのだ。蛾たちも知っているだろう。だが、光に引き寄せられてしまう。何も得るものは無く、下手をすれば身を焼いてしまいかねないというのに。

 

 自分たちも蛾と同様に引き寄せられてしまったのか。

 

 ――見えない手によって。

 

 不安に同調してか、傷付いた左手が疼いた。

 

「クリス、どうしたんだ?」

 

 小屋の外からリチャードの声が聞こえた。クリスは思考を断ち、早足で小屋を出た。

 

 

 風が出てきたようで、オフィスの窓枠がガタガタと音を立てている

 

 オフィスには本来の主たちの姿はない。『S.T.A.R.S.』のオフィスは他の部署とは少し離れた位置に存在している。それは出動時の利便性を考えてのことらしいが、彼らの警察署内での位置を無言で語っているように思える。

 

 ロイ・ホウナーは手元の書類に目を落とした。文字が少しぼやけている。眼鏡の位置をそっと正す。ここ数年デスクワークばかりだったせいか、視力が一気に下がってしまっていた。最近では少し老眼の兆候も現れていた。

 

 もっとも、もう銃を持つことはないのだから問題はない。そのことに妻は喜んでいた。

 

 『S.T.A.R.S.』に所属している人間を除いて、今もラクーンに残っている元『S.R.U.』はロイ一人だ。それは三年前の事件での生き残りを意味する。今夜、ウェスカー隊長から指名されたのもそのためだろう。

 

 力の入りにくい、麻痺の残る右足。何もしないでいるとき、自然と右手は傷のある辺りを撫でていることが多かった。

 

 あのとき、あの一瞬が自分の現役に終わりを告げた。跳弾が神経を傷付けていった。相棒の銃から乱射された中の一発だ。

 

 相棒は、そのことをまだ気にしている。怨んだことは一度たりとて無かったとは言わない。だが、諦めている。仕方がなかったのだ。寧ろ、右足ひとつで済んだのだから運が良いとも思っている。自分は右足だが、相棒があの事件で失ったものは半身そのものだ。

 

 頭のいかれた――《静寂の丘》という邪教の一団に乗っ取られたショッピングモール。その狭い通路での出来事――血に染まった、暮れ時の店内、転がる死体……鮮明な像が今でも瞼の裏に甦る。

 

 どうも集中できない。書類はアークレイで起きている連続行方不明及び殺人事件についてのものだ。目新しい情報があるわけでもない。

 

 もしかしたらだが、行方不明となっているメンバーたちは事件解決の糸口を見つけているかもしれない。ブラッドが伝えた内容を反芻する。腐った犬の群れ、ヘリコプターを襲うカラス。全て嘘だとは思わない。だが、そのまま信じるわけにもいかない。本人はそう思っていないのかもしれないが、あのときのブラッドは半ば恐慌状態だった。そんな状態で見聞きした事柄に正確性が如何ほど含まれているというのか。

 

 ブラッドは、ロイたちが事の重大性を分かっていないことに苛立っていた。だが、その苛立ちは八つあたりに近いことに本人は気付いているのか。共にアークレイの上空にいるボイドの苦難に、ロイは胸中で労いの言葉をかけた。

 

 ブラッドは元々神経質な人間であったが、三年経ってそれに一層拍車がかかっていた。

 

 だが一方で引っかかることもある。少なくとも、ブラヴォーチームのヘリは墜落した可能性が高い。ブラッドの目撃した物はさて置き、アルファチームとの通信が途絶えたままなのだから何かあったことは確かだ。

 

 応援が出ないのはおかしい。ヘリコプター一台では負傷者を収容するのもままならないし、医療スタッフも必要だ。それが分からないほど、署長のアイアンズは暗愚ではないはずだ。まるでこの件に関わることを避けているようだとロイには思えた。

 

 連絡の付かない二人……フランク・タナーとジョー・ウォーカー。

 

 顔もあやふやで、よく知らない男たちだ。

 

 元合衆国陸軍所属で、それぞれ生物学・化学分野に精通しているらしい。だが、そんな経歴はどうでもいい。こういうときに戦力とならないのでは意味がない。彼らは田舎町の警察ということで職務を舐めているのかもしれない。だとすれば――ウェスカーの、責任者としての資質と選別眼を疑わなければならない。

 

 そして、『S.T.A.R.S.』そのものに感じていた釈然としないものが形になってきた。

 

 一応、『S.T.A.R.S.』は、建前上R.P.D.の一組織ということになっている。しかし、行政委員会からは独立し、隊員はポリスアカデミーを出ている必要も無い。過去の経歴は問わず、採用は隊長に一任されている。銃器や備品その他諸々は総てアンブレラの資金からだ。

 

 警察組織としての色が薄過ぎる。システムだけを見れば『S.T.A.R.S.』はアンブレラの私兵団とそう変わらない。

 

 それに――採用人数が少なすぎる。現在の隊員は十三名であり、二チームしかない。少数精鋭といえば聞こえは良いかもしれないが、つまりは一度に対処できる事件が少ないということだ。同時に三つ以上の事件が発生した場合、『S.T.A.R.S.』は機能できなくなる。

 

 対テロリズムをも視野に入れた多角的な部隊を理想に掲げてはいるが、それは口上だ。『S.T.A.R.S.』はあくまで凶悪犯罪対策及び人命救助部隊として必要とされている。対テロ専門部隊としてではない。生物・化学テロを想定してか、化学方面に秀でているだけの小娘がスカウトされたことも、その勘違いを如実に表しているような気がしてならない。

 

 発足当初の隊員の公募は、あの事件の直後であったせいか、集まった人数そのものが少なかったようだ。また、「すぐに戦力になる人材を」という条件があったために採用されたのは四人だった。

 

 問題は二次公募のときである。採用されたのはたった三人だ。タナー、ボイド、ウォーカー。

 

 あまりに少なすぎる。訓練を施しての結果だ。贔屓目であるかもしれないが、元『S.R.U.』の訓練を受けても使い物にならないような警官はいない。志願する以上、最低限の素養は持っているはずだ。慎重を期しての結果かもしれないが、それでも妙だ。

 

――妙といえば。

 

 ロイは、酒の席でのエンリコの話を思い出した。二ヶ月と少し前、チームの再編成が行われた。例の三人を迎えたためであろうが、エンリコは編成チームに違和感を覚えたらしい。それは、ブラヴォーチームに元『S.R.U.』全員が集められ、ウェスカーの指揮するアルファチームは発足後に採用された人間だけで構成されるというものだった。ただ、その頃にバリーとブラッドが引退を申し出たため、ブラヴォーチームにはフォレストが組み込まれた。

 

 再編成後のブラヴォーチームは、合同作戦の際に前衛を務めることが多くなった。そのために経験豊かで最高のチームワークの取れる人間を集めただけかもしれない。だが、エンリコの違和感は解消できなかったらしい。これでは元『S.R.U.』を煙たがっているとも取れる。だが、ウェスカーという人間が仕事に私情を挟むような人間には、ロイには思えなかった。作戦に支障があるほどの反抗的な態度・行動を示され続けていたなら仕方ないだろうが――これでは要らぬ疑いを持たれかねない。現にエンリコは懸念を抱いている。元『S.R.U.』隊員に問題がなく、それでも煙たがっているのだとすれば――

 

 ――それはアンブレラの意向になるかな。

 

 ロイは首を振って、その可能性を振り払った。

 

 それはない。企業がそこまで口を出す理由がない。

 

 だが、選考の疑問は消えなかった。

 

 考えていても仕方がないと、ロイは席を立った。右足を少し引きずりながら向かう先は警務課だ。エレベーターを降りると、署内にはまだ大分警官が残っているようで、ざわめきがメリウム張りの廊下に反響している。耳に入ってきた彼らの会話から察すると、『S.T.A.R.S.』が消息を絶ったという情報はまだ広まっていないらしい。おそらく署長で止まっているのだろう。懸命な判断だ。

 

 ロイの頭にあるのはタナーとウォーカーのことだった。彼ら二人は元『S.R.U.』たちの会話の中に出てきた記憶がほとんどない。新人だということもあるだろうが、それでもボイドの名は度々出てきた。もっとも、今夜本人と顔合わせしたせいで、記憶が誘引されているのかもしれないが。

 

 警務課の扉を開けると、窓口に座るリタが驚いたように振り返った。とっくに帰ったものだと思っていたのだろう。リタは二十代前半の、ボブカットにした金髪の目立つ婦警だ。暇そうに髪を弄っていたリタは慌てて襟を正した。何事もなかったというようにすました微笑を浮かべている。今夜は他に一人残っていたはずだが、トイレにでも行っているのだろう。

 

 ロイも特に追求はせずに資料室に入った。天井近くまである棚がいくつも並び、寿命の近くなった蛍光灯に無数の書類が照らし出されている。管理室の埃っぽい空気の中で目当ての書類へと歩みを進める。ここはロイにとって庭のようなものだ。なにしろ、『S.R.U.』解散後、回された閑職がここでの書類整理だ。前回の『S.T.A.R.S.』訓練生たちの成績データを抱える。厚紙の表紙に帯出厳禁との旨が書いてあるが無視した。

 

 しかし、部屋を出るとリタがそれを目聡く見つけて口を出した。足早に戻るつもりだったが、少しばかり遅かったようだ。

 

「それ、どうするんです?」

 

「ちょっと調べものをな」

 

「帯出厳禁って書かれているの、見えません?」

 

「俺はここの担当者なんだし、固いこと言うなよ」

 

「ですけど、部外者にはアルバート・ウェスカー隊長か、エンリコ・マリーニ隊長の許可がないと」

 

「俺は今、奴らの留守居役なんだ。部外者じゃねえよ?」

 

「ああ言えば、こう……まったく駄目なものは駄目ですって。私たちが規則破ってどうするんですか」

 

 頑としてリタは譲らなかった。それは彼女の正義感だけでなく、課長のトーマス・コレットを気にしてのことでもあるだろう。トーマスは規則に人一倍厳しく、それを堅守することに偏執的ですらある。それが悪いことではないのだが。

 

「すぐに戻すよ。今、『S.T.A.R.S.』が出払っているのは知っているだろ?」

 

「ええ。捜索任務しては大掛かりですよね」

 

「実はな、その任務に二人ばかり参加していねえ。だから、バリーもブラッドも出てるんだ」

 

「誰ですか、その二人って?」

 

 リタが乗ってきた。基本的に正義感の強い娘である。もう一押しだろう。ロイは口に手を添えて、手招きした。不承不承、リタが傍に寄る。その耳元に、含みを持たせて――まるで重大な秘密の如くロイは語った。

 

「タナーとウォーカーだよ。陸軍出身っていう。連絡が付かんそうだ。警察の特殊部隊に身を置く者として、どう思う?この二人は」

 

「……最低ですね。心構えがなっていません。田舎町だからって舐めてるんでしょうねっ絶対そう」

 

 憤慨したリタは語気を荒くした。ただ、この憤慨の度合いからして、あまり二人に良い印象を持っていないのかもしれない。

 

「だろう?だから、どんな成績で通ったのか気になってな。今回の件でクビだと思うが、さらに問題が見つかればウェスカー隊長に提言できるからな。こんな二人に、街の平和を任せられないだろう?」

 

 とどめの一言だったが、リタは思案の表情を崩さなかった。

 

「……でも、中で調べればいいのに」

 

「あいつらから緊急連絡が入るかもしれんから、通信機の前に張り付いてなきゃならんの」

 

 リタは観念したようだ。嘆息を一つ吐くと、ロイの目を見た。

 

「わかりました。どうぞ。でも、なるべく早く返してくださいね。課長がいないときに」

 

 ロイは勿論と頷いて、警務課を出た。そのとき隣家の様子がおかしいとの通報があったと、アナウンスが伝えた。続いて、詳細を述べていく。それを聞き流し、ロイは『S.T.A.R.S.』のオフィスに戻った。

 

 無線機の前に資料を広げる。

 

 前回の訓練生は八人。アーロン・ホーク、ブルック・メイヤー、エリオット・クィール、フランク・タナー、ジェームズ・ボイド、ジョー・ウォーカー、ケビン・ライマン、ニール・カールセン。

 

 それぞれの訓練時の成績、採用試験の結果を見比べていく。だが、例の二人に対して、期待していたものはなかった。能力に問題なく、精神鑑定も平均的だ。いや、能力に関しては図抜けている。銃の扱い、身体能力、状況判断能力、全てが優秀だ。ホークとライマンの成績も突出しているが、二人の横に並べると見劣りすることは否めない。

 

 これでは採用は仕方のないことだ。逃してはならない人材と判断したことだろう。

 

 肩を落としたロイの目にボイドの成績が目に入った。彼の成績は地味だった。年齢を差し引いても、光る物はない。努力の跡は見て取れるが、採用テストの結果も下から二番目だ。目立つところといえば、他の志願署員と比べて従順さが高いという所か。

 

 もっとも、現場で見ていた人間にはボイドに何かを感じたのかもしれないが。

 

 または相性というものもある。先日の編成をみれば、ウェスカーは自分のチームに新人で統一したかったようだ。ならば、自分の部下に置いて扱いやすい性格の者を選んだとしても、おかしくはない。

 

 そう考えれば、落選した五人は曲者だ。ライマンは特に。

 

 だが、連中は緊急時に連絡がつかないという体たらくは見せないだろう。曲者だが、自分の職に矜持を持っている。

 

「データで判断した結果か」

 

 つぶやいた時、廊下を駆け足の音が響いた。

 

 オフィスのドアが開けられ、黒人の青年が顔を出す。捜査課のマービン・ブラナーだ。

 

「ホウナー巡査部長、『S.T.A.R.S.』に至急連絡を取ってください」

 

「どうした?」

 

 ロイはマービンの様子に不安を覚えた。『S.T.A.R.S.』のことが露呈したのかと思ったが違うらしい。

 

「サリヴァン巡査部長の自宅に強盗が押し入り、ご家族が全員亡くなりました」

 

「――!?」

 

 ロイは言葉が出なかった。悪いときに悪いことは重なるものだ。

 

「状況は?俺は管轄外だが、あいつらには詳細を伝えなきゃならねえから」

 

 各課では守秘義務があり、他課の人間には基本的に捜査内容を開示してはならないことになっている。

 

 マービンは一つ頷くと、淀みなく現時点での事件の全容を語った。自分が直接伝えようかと言わなかったのは、『S.T.A.R.S.』が厄介なことになっていると勘付いたのかもしれない。

 

「酷い有様のようです。家族全員が一室に集められ、そこで射殺されていました。おそらく複数犯でしょう。様子がおかしいとの通報で向かった捜査員が四人の遺体を発見しました。通報者は隣家のハンス・ジマーで、帰宅した後、二階からサリヴァン宅の窓が外部から割られているのを発見し、すぐ通報を。彼は怪しい人影は見ていないとのことで、犯行はジマーが帰宅した二十三時四十分より前だと思われます。正確な時刻は検死結果待ちです。不審な点は、それまで銃声を聞いたという通報がないということです。おそらくサプレッサーを使用したということでしょう」

 

「だとしても、本当に物盗りか?」

 

「……周辺住人に気付かれる事なく遂行したなど、手際が良すぎます。それでいて、素人がやったような物色の仕方だったようで」

 

「何が盗まれたんだ?」

 

「今ところ何とも。住人でないと分からないでしょうし。ただ、金庫には手をつけていないそうです」

 

「荒らしただけ……か」

 

「或いは」

 

 ふむとロイは唸った。

 

 物盗りを装った玄人の犯行か。だとすれば、目的はサリヴァン家の住人の殺害だ。

 

 ケネスへの、もしくは家族への怨恨で誰かが玄人を雇ったのか。

 

「わかった。全部伝えておく。戻ってくれ」

 

 ロイの返答を聞き届けて、マービンは出て行った。

 

 残されたロイは無線をヘリコプターに繋いだ。

 

 事件をブラッドに伝えながら、ロイは心臓を鷲掴みにする不安を感じた。何か大変なことが起こりつつある。まだ見つからない『S.T.A.R.S.』メンバー。サリヴァン家での殺人。そして……腐った犬。それを一つの線が繋いでいると、自分の勘が告げていた。

 

 

説明
PS版「バイオハザード」をベースにした小説です。
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