call my name(DMC・ND/腐向け) |
一人寝が寂しいなど、年嵩の男の口から言えたものか。
もう随分といい年だ。落ち着いて子供が一人二人いても可笑しくない彼だが、生憎と特定の相手もいなければその当てもない。人好きでありながら他者の好意をのらりくらりとかわしてきた男は気付けばとうに青年期を終えてしまっていた。
それらに至るまでの時間を無為に過ごしてきたわけではないが、後に残すものがあったかといえばそうでもない。そういう生き方をしているのだと言ってしまうのは簡単なことだろう。詮索をせず、深入りをせず。ある種の大人としてのマナーであると男は思っている。
しかし、それは彼の言い分であり、彼の生き方に過ぎない。
それはひとえに若さといっていいものか。性格もあるだろうが、男に似て非なる少年はこれまでのダンテの生活をいい意味でも悪い意味でも壊してくれた。それこそ、自然災害の域だが、それはけして心を破壊するではなく、降り注ぐ雨が地に水たまりを作り吸い込まれていくのと同じ原理で自然と浸透した。それほど厄介な物はないだろう。
もぞりと、シーツの塊が蠢く。
体躯のいい男一人の体を受け止めるベッドは老朽から脚が痛んでいるのか、みしりと軋む音を立てたが木製のそれが同じく木製の床を削ることはあったとて突き破ることはない。
無造作な寝がえりに捲れたシーツがはらりと床に落ちたのを男の無骨な指が拾い上げる。気だるげな、それでいて色香のある指先は怠惰を思わせながらも見る者を魅了した。
小さな吐息に混じるのは微かな音だ。口腔で声として発せられながらもきちんとした音とならなかったのは男が寝ぼけているからだろう。とろんと蕩けた瞳は目元の小さな皺を緩ませ、ベッドの中の彼は子供のようなあどけなさを見せる。
「まだニ時か……」
吐き出した音は今度こそしっかりとした音となり虚空を舞った。
ベッドサイドのチェストに無造作に置かれていた時計を横目に、ダンテは眠りについた時間を振り返る。幾分か前か。まだ二時間も経っていないような気がする。昨夜は珍しく早く床についたのだが、酒の力を借りるには慣れ過ぎていたために不意の目覚めに抗う術はなく、覚醒してしまった。
眠くないかといえばそうでもないが、眠りにつくには隣がやけに涼しい。
もうすでに時期は夏を間近に控えているとはいえ、やはりシーツ一枚では心もとない。抱き締める重みが足りないとでもいうべきか。不意に訪れた人恋しさは外気に冷えた肌を自覚させる。
「久しぶりだったな、夢を見たわけでもないのに」
覚醒する前の呟きを、ダンテは覚えていた。
否、それとはもう数十年つきあってきたのだ。隣に誰が居ようと構わず無意識に紡がれるそれは夢を見たからなどという漠然としたものではない。己の深層心理の中にある言霊を掘り起こしたにすぎないのだ。
『母さん』
年を重ねたところで過去の記憶は遠ざかってはくれないらしい。
これが稀に兄の名に取って変わるのだからまた厄介なものだ。幼いころの記憶でしかない、それこそ一人でいた時間の方がよほど長いというのにいまだに過去から解放されずに贖罪のよう紡がれる名はダンテを苦い気持ちにさせた。
不思議と父の名が紡がれないのは、その名があまりにも聞き飽きてしまったせいか。それとも行方不明の父がどこかで生きていると淡い希望でも抱いているというのか。とにかくとして散々迷惑をかけられ、この年になっても尻拭いをさせられているのだ。口をついて出ないのも仕方のないことなのだろう。
しかし、ここ最近はこの癖のようなものもめっきり出てこなくなっていたようだったと、自身では自覚していたようだがどうやら気のせいのようだ。よもや同衾する少年に聞かれてしまってはいなかっただろうか。また苦い気持ちが胸からせり上げ、ダンテは口許を吊り上げ損ねた。
「坊やがいないとベッドが広いもんだな」
どこぞの陳腐なドラマの方がよほど気の利いた台詞を乗せ、自分より一回りは小さい少年の代わりに頭に敷いていた枕を胸に寄せた。『坊や』の代わりにするには随分と頼りないが。
思いがけず褥を共にするようになった少年は自分が思っていた以上に心の内に入り込んでいたらしい。彼が居なくて寂しいなどと思うなど、自分でも考えてみなかった事態だ。それが久しく呟いていなかった母の名を寝言で口にするに至ったのだろう。
そうして自覚させられる。彼が居ないことが寂しいのだと。
大の男が息子と称して何ら違和感のない子供が居ないだけでこうも弱ってしまうものか。自分でも自身を笑い飛ばすには十分の情けなさにダンテはただ眉尻を下げるのみだ。
一週間。そう、たった一週間ほど彼が居ない。
本来ならばその依頼を受けるのはダンテであり、一人さびしく寝ているのは彼の恋人とも言える少年、ネロだった。
だが、日ごろから子供扱いしていることが祟ったとでもいうべきか。無謀な少年はダンテの出発を待たずに勝手に依頼場所へと向かってしまったのだ。置手紙の一つを残して。
一週間という長いとも短いとも言えない期間はネロの実力から考えたら妥当か、最悪はもう少しかかっても可笑しくはない。ダンテとて長期戦になるかもしれないと準備を整えていたところだ。
何も大きな敵が居るわけではないからさしたる心配はしていないが、何分数が多い。十分に準備をしたかも分からない坊やがスタミナ切れを起こしている可能性はなきにしもあらずだ。
心配をしていないわけではないが、駆けつけてしまわないのは彼を信頼しているからだろう。それに、何となくだが彼が危機に陥っている時は察することができると勝手に思い込んでいる。血のつながりが彼の無事を知らせるとでもいうのか、何ともロマンチックなことではないか。
「焦らされるのは嫌いじゃないが、限度ってものをあいつには教えてやらないとな。いくら悪魔相手にうまく踊れるからって他がなっちゃいない」
ああ、自分は寂しいのか。
己の呟きにふたたび自覚させられる寂寥感に虚しくなる。
早く帰ってこいなどいうつもりはない。ただ、一人寝は寂しい。それだけだ。
ダンテは瞼を伏せると長い睫毛を揺らして意識を闇へと沈めるべく眠りにつく。大人という外殻に包まれ、自分が積み上げ隠してきたものが崩れてしまわないように。
逸る気持ちは気分を高揚させ、心臓は爆発しそうなほどに音を立てていた。
煩い。これなら気に入りのロックでも聴いていた方がましだが、そういえば久しくヘッドホンをバッグの奥底に追いやったきりだ。あれらは確かに好いていた筈なのだが、ある男との出会い以来すっかり聴くのもおざなりになってしまった。その男の声を漏らさず聴いていたい。何より、男の声がよほど好みなのかもしれなかった。
久しく、たかが一週間だが耳が枯れて干からびてしまうほど枯渇し、求めるその声。
声だけではない。顔を見たい。触れたい。それだけではない。キスをして、抱いて、嬲るほどに抱きたいのだ。
恋情を募らせれば反応する未成熟な体は痛いくらいに熱を繰り返す。いまこうして地面を蹴って彼の待つ事務所へと急いでいるのもそれを成就させるためでしかなく、幼さを自覚させられるほどに惨めとなるが会いたい気持ちは変わらない。
「っ、はっ……!」
思考を重ねている内にいつの間にか、もう見慣れてしまった建物が見えてきた。
鍵がかかっていないのはいつものことだ。スラム街にあるというのに不用心にも彼は鍵をかけていない。物騒だと訴えたところで取るものなど何もないと返されてしまった。確かに、室内の荒れようを見れば物取りも金目のものはないと逃げていくだろうが、それはまた別の話だろう。
今すぐにでも会いたい。
気持ちは逸る一方だが、気恥かしさからネロは電気も点けないままにキッチンへと向かうと冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルをとってキャップを開けた。気恥かしいのだ。
「ああ、クソッ」
シャワーを浴びた方がいいだろうか。昨夜、安宿を出る際に浴びたきりで汗臭いかもしれない。だがしかし、早く抱きしめたいのだ。
叩きつけるようペットボトルをテーブルに置き、ネロは足早にキッチンを抜け出た。右腕に巻かれた包帯を乱暴に裂いていく。不格好な腕だが、この醜い腕をダンテに触れてもらうのが好きだった。安心する。落ち着くのだ。
階段を登り切ったネロは半ばやけになってダンテの部屋の扉を開けた。ノックすべきだった。あとになって思い出すが今さらだ。
「ダンテ……?」
申し訳程度にかけた一声。反応はない。
暗がりで窓から差し込む突き明かりだけが室内を照らす唯一だが、ベッドの上に人影があるのは見受けられた。
何となしに足音を潜めて歩み寄る。すると、微かな寝息が聞こえてきた。
「寝てるのかよ……チッ、本当に不用心だな」
近付いて起きない男にネロは舌打ちを落としてやった。
稀に、本当に稀に彼は嘘のように目を覚まさない時がある。泥酔している時が多いのだが、突然のように彼は無防備になる時があるのだ。それが誰を相手にしてもそうであるのかネロは知らないが、それでも不用心だと思う。相手が悪魔ならば余計にだ。
「アンタが寝首をかかれるとは思っちゃいないがな」
それは過信ではなく確信だ。たとえ無防備であったとし、相手が殺気を放っていなかったとして、その身に危険が降りかかれば彼は目を覚ますだろう。そもそも彼が死ぬことがあるのだろうか。それすら怪しい。
体を傷つけられ平然としていられる男を忌々しく思ったことは幾度とあるが、ネロの苛立ちはダンテに通じることはない。彼は彼でしかなく、他者に左右されない生き物であることを知っている。
「ああ、嫌な気分だ。最悪だ。クソッ」
ひとりごち、ネロはダンテの眠るベッドに腰掛けた。人の左腕で髪をくしゃりとかき混ぜる。月明かりに照らされる銀色の髪はダンテと同じ色をしていた。
ぼんやりと男の寝顔を見下ろし、今日はどんな寝言を呟くのだろうかとネロはダンテを見守る。
こうして彼が無防備な時、彼は決まって『母』か『兄』の名を呼ぶのだ。
彼に何があったか、ダンテの過去をネロは知らない。伝わるのは、この最強と謳われた男にも血と涙があり、大切な家族が居たということだけだ。
その度に思い知らされる、自分は彼の一番にはなれないのだと。
おそらく彼の家族はもういないのだろう。故人に何を思ったところで勝てるわけがないのは理解できるが、それでも過去を忘れられないダンテを見ていると自分だけが退け者にされたようで悔しいのだ。くだらない、それもダンテを否定するような嫉妬であると分かっていても止められない。
「俺を、見ろよ」
無意識に食い縛った歯がギッと音を立てる。
その拍子に、ダンテが小さく喉を鳴らした。微かなうめき声に乗せられ、小さな音が紡がれる。
「ネロ……」
思わず、耳を疑った。
ぽかんと間抜けな顔をしたのは、なぜ自分が呼ばれたのか理解ができなかったからに過ぎない。動揺に瞳を揺らすが、勘違いと思い込むにはしっかりした音の残響がいまだに鼓膜を支配する。
「っ……卑怯だろ、そんなの」
じわじわと胸に沁み込んでくる感情がどうしようもなく彼をうろたえさせ、同時に愛しさを募らせた。今でも半信半疑だが、ネロは溜まらずにダンテの横に身をねじ入れると、右腕で彼を掻き抱いて久しぶりに堪能する匂いを鼻腔いっぱいに吸い込んだ。
「襲ってやりてえの、我慢してるんだからな」
今は、ただただ気恥かしく、嬉しい。
そんな自分を子供で、馬鹿みたいだと思えど、今日くらいは彼を抱きしめて大人しく寝てやってもいいと思った。何せ、彼は待っていてくれたのだから。勝手に飛び出して行った自分のことを。彼の家族と並ぶことが出来たかは分からないが、確実に心の距離は縮まった気がする。それはうぬぼれなのだろうか。
いつの間に眠ってしまったのだろうか。
今が朝か昼なのか、それすらも分からない光の中でネロは目を覚ました。
「う、ん……」
身じろぎ、手の甲で目を擦ると、感じる視線に思わず体を硬くする。
見られている。それも至近距離からアクアブルーの双眸がネロの顔を余すことなく見つめているのだ。思わず目を見開いて固まった。
「おはよう、ダーリン」
「な、にっ起きてんだよっ」
「俺がお前より早く起きてちゃ悪いか?」
「……悪い」
負け惜しみにいうと、ネロはむしゃくしゃしてダンテの肩に額を強く押し付けた。子供じみた反応だ。ダンテが微かに笑い、背中を軽く叩く、子供扱いされている。
「坊やに会うのも久しぶりだな」
「久しぶりに会ったからって人の顔をガン見すんのかよ」
「ああ、そりゃ会いたかったからな」
普段と変わらない、飄々とした態度を崩さないままダンテはネロの頭をそっと撫でる。
いつものようにからかいを含んだものではない、まるで慈しむよう優しく髪を梳くのだ。それにネロも拍子抜けしてしまう。
「今日のアンタ、素直なのかなんなのか知らねえけど気持ち悪いぜ」
「たまにはいいだろ?」
「……まあな」
悪くはないのは確かだ。親子とはまた違う、恋人のような戯れなのだから。
「それより坊や、俺は眠いんだがもう少しベッドの中でイチャイチャしないか」
「イチャイチャじゃなくて寝るんだろ。俺もまだ眠い」
「賛同を得られたと思っておく。おやすみの時間だな、ネロ。今度はふたりでだ」
柔らかな声音が紡ぐ旋律がネロの鼓膜を優しくくすぐり、眠りを誘うべく後頭部にキスが落とされた。
「起きたらアンタを抱くから覚悟しておけよ。泣いても離さねーし、寝かせもしないからな」
「なんだ、坊や。今日は機嫌が良さそうだな。いいことでもあったのか?」
「さあな。今はアンタと寝たいから案をのんでやってもいい。けど、今度はアンタが俺のお願いを聞く番だ」
「……困った坊やだな」
頭上で落ちる苦笑ごと自分の物にすべく、ネロはダンテの体を掻き抱いた。
『ネロ』と、名を呼んだ彼の声音が甘く耳に残る。子守唄などクソ食らえだが、その声だけはネロを安堵させるには十分なものだ。
離れていた時間を埋めるなどどうでもいい。ただ起きたらダンテを抱いて、滅茶苦茶にしてやりたかった。それまでは穏やかに惰眠を貪るのも悪くないだろう。ふたりでいれば、寂しくなどないのだから。
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ありがちなネタです。寝顔を書くのが好きです。ネロがダンテの拠り所であればいいなぁ。 | ||
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