銀河の中で |
星がまたたいていた。
赤や青、白といった光が無数に浮かんでおり、その光が寄り集まって、これまた無数の星雲をつくっていた。
そんな幻灯のような空間に、少年は独り、ぽつねんとしていた。
少年はうつむき、両手で顔をおおっている。指の間から流れ落ちる涙は、足元ではじけて新しい星となった。
低い嗚咽をもらし、頼りなく肩を震わしている。まぶたの裏には、自分のことを探す友の姿がしっかりと焼き付いていた。
――ああ、ああ。
少年は泣いていた。湧き上がる罪の意識が、少年を責め立てる。
――僕は、彼を裏切った。
流れる涙はとどまるところを知らない。
そんな時だった。
「何を泣いているのだね」
やさしい声がした。
顔を上げると、いつの間にか、目の前に男が立っていた。あご髭を蓄えた、初老にさしかかった感のある男であった。身につけているものはすべてだぶついていたが、そのだぶつきが、妙に男にあっていた。
「何を泣いているのだね」
男は、やはりやさしい声で再び訊ねた。
「僕は――」弱々しい、消え去りそうな声。「僕は彼を、友だちを裏切ってしまいました」
男の少年を見つめるまなざしは、どこまでも深く、限りなく蒼い。
「みんな汽車を降りてしまって、ふたりだけになってしまって……その時誓ったんです。ふたりで何処までも行こうと。いつまでも一緒にいようと――」
次の瞬間、少年はわっと泣き出した。
「でも、でも――僕はすでに彼とは別の存在で……僕は、彼とは違う処で汽車を降りなければならなかった。一緒にいたかった、一緒に行きたかった……でも、僕は彼を裏切ってしまった」
しっかりとついた涙の跡の上を、新しい涙がそれに沿って流れてゆく。
ふいによろめき、少年は男の胸に抱き止められた。自分からもたれかかったのか、男が促したのか、そんなことはどうでも良かった。
あたたかかった。悲しみも罪悪感も、すべて包み込んでくれる。
「君は間違っちゃあいない。君は正しいことをしたんだ」
男は少年の瞳を見つめて言った。
「本当ですか?」
少年の問いに、男はほほ笑みを持って応えた。
「ああ、本当だとも。君の友だちもわかっている。君は彼から離れ、遠くへ行かなければならない。わかっているはずだよ」
「わかっています。でも、僕は彼と一緒に行きたかった」
「誰もがそう願う。しかし、それはかなわぬものなのだ。人は、それぞれに進むべき道がある。行かなければならない道がある。人生は、言うなれば糸だ。糸と糸が交わる、絡みあう――それが出逢いであり、別れなのだよ。出逢えば、いつかかならず別れがやってくる。それを恐れてはいけない。悲しくても、悲しみに沈んでしまってはいけない。自分の道をしっかりと見て、何処までも進むんだ」
「――僕の、道……」
男はにこりとしてうなずいた。
「君は友だちを裏切ってはいない。ここで泣いている方が、むしろ裏切りにつながるのではないかね? 君はもうひとつ約束をしただろう?」
――ああ、そうだ。
こくりと少年はうなずく。
「君はその約束を守ることで、はじめて彼と一緒にいることができるのだよ。君は汽車の中で、いろんな人に逢っただろう? 彼らはいつも、君の中にいる。彼らのために、君の友だちのために、そして自分のために、君は約束を守らなければいけない」
思い出される言葉。約束。
――僕は本当の幸せを探さなくてはいけない。
「空を見てごらん」
男は大きく手を拡げた。少年が天を仰ぐと、無数の星がいっせいに輝き出す。
「美しい世界だろう。ほら、あれはアンドロメダ星雲だ。あっちにはマジェラン星雲がある」ひと息入れて、「星はすべて、互いに輝きあっているんだ。お互いのために、輝いているんだよ」
ふたりはしばらく、無言で星を眺めた。
お互いに輝きあう星々――少年の胸に、何かやさしいあたたかいものが宿っていた。
――僕はこの宇宙の星のひとつでありたい。
さそりの話を思い出していた。みんなのために、自分の身体を燃やしたさそり。
ふと、少年は自分のポケットにリンゴが入っているのを思い出した。
「ありがとうございます。僕は僕の道を行きます。これはお礼です」
そう言って、少年はリンゴを差し出した。すると男はかぶりをふって、
「わたしはその気持ちだけ受け取ろう。そのリンゴは持ってお行きなさい。そして、多くの人に分け与えなさい」
少年の視線はリンゴに注がれた。
――そうだ。このリンゴはひとつだけど、すべての人に分け与えることができる。
少年はリンゴをしまうと男を見上げた。男は笑っている。
「悲しくても苦しくても、けっして立ち止まってはいけない。進みなさい! 今までに逢ったすべての人たちのために、そして、これから逢う人たちのために!」
「はい!」
少年が力強くうなずくと、男は少年の後ろを指差した。ふり向くと、光があった。その中に、笑顔があった。
青年がいた。ふたりの姉弟がいた。鳥とりも、とがった帽子もそこにいた。
みんな、笑っている。
「ああ」
少年の顔がぱっと輝いた。
「さあ、お行き」
男はささやくと、少年の背中をぽんとたたいた。
それを合図に、少年は駆け出した。
光に、笑顔に近づいてゆく。
少年は一度だけ、後ろをふり返った。見えたのは、丘を走る友だちの姿だった。
――さよなら、僕の友だち。
少年はもうふり向かない代わりに、心の中で叫んだ。
さよなら、僕の友だち
さよなら
さよなら
ジョバンニ!
さあ、キップをしっかり持っておいで。
おまえはもう夢の鉄道の中でなしに、
ほんとうの世界の火や、はげしい波の中を、
大またにまっすぐ歩いて行かなければいけない。
天の川のなかでたった一つの、
ほんとうのそのキップを、
けっしておまえはなくしてはいけない。
―― 『銀河鉄道の夜』/宮沢賢治
説明 | ||
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の、カンパネルラ側のエンディングを描いたものです。かれこれ15年近く前に書いたものですが、気に入ったものなのでアップしてみました。『銀河鉄道の夜』を読んでいることが前提となりますので、あしからず。 | ||
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