ブリリアント・チーティング(2) |
もしも私が神様だったら、まず明日を殺し、そして次に夕方を殺す。
そのくらい、私は明日へと続くものが大嫌いだった。
「送って頂いてありがとうございました」
私とゆかりで、上様のお父さんに頭を下げる。
上様のお父さんは、すまなそうな顔で会釈をすると、百メートルほど離れた上様の家へと車を走らせ帰って行く。
私たちの家は、中之島グラウンドから十キロほど離れた、和島という町にある。
町というよりは、村といった方がいいかもしれない。
田んぼしかないし、一番近い駅もJR越後線という単線の小島谷駅というちっぽけな駅だ。
その小島谷駅から、県道六九号線を南に下ると、田畑の中にでんと置いてあるのが、ゆかりの家である宝塚家だ。
そして、私の居候先でもある。
私の両親は、娘である私に猫ちゃんなどというくだらなく浅はかさ丸出しの名前をつけてしまうような世紀の愚か者なので、めでたく借金を抱えに抱えて行方をくらませてしまったのだ。
親戚の家である宝塚家に引き取ってもらえなかったら、今頃私は本物の猫のように道路で惹かれて死んでいたかもしれない。
その家の前で下ろしてもらった私たち二人は、しばらくのあいだ呆然と田んぼを見ていた。
「上ちゃん、本当に辞めちゃうのかな」
ゆかりが呟く。その声に、夕立みたいな匂いが混じっている気がした。
夕焼けめ、私のゆかりを物憂げにさせるとは良い度胸だ。
死んでしまえ。
私たちは女子小学生のくせに、いつの間にか野球が好きになっていて、ユニフォームを着てスパイクを履いて帽子をかぶると、もう、私たちは真夏の熱されたコンクリートのような気分になるのだ。
上様の告白は、そのコンクリートの上に降り注いだ雨のようだった。
私たちの心を、押し流した。
帰りの車の中で、上様のお父さんが言ったのはつまり、こういうことだった。
私たちは今五年生で、来年は六年生で、その次は中学生になるのだ、と。
上様のお母さんは上様が野球をやっているのをよく思っていなくて、女の子らしくなるように、私立の女子校にいれて、いっぱい勉強して欲しいと思っているのだとか。
そのためには今から勉強をしなくちゃいけなくて、そのためには塾にも通わなくちゃいけなくて、そうなると、野球なんかをしている場合ではないのだ、と。
そういう野球漫画があったな、と私は思い出した。
それとも小説だっただろうか。
映画でもあった気がする、というか絶対ある。
全国にこういう話は山ほどあるだろうし、絶対誰かが「泣ける話」とか言って、フィクションの題材に使ってる。
私は考える――自分なんて、田舎に住むちっぽけな、何もできない女子小学生で、私たちと同じような人が全国にわんさといるのだと。
そういうことを考えると、少し将来が恐くなる。
将来を考えたくない人の気持ちが、少しだけ分かるような気がする。
というか少なくとも私は明日以降のことを考えるのが嫌いだし。
でも私は、将来のこととか、先のことをよく考える。
嫌いだから――屈したりなんかしたくないから、先のことをよく考えて行動しようとする。
嫌いな夏休みの宿題を、できないで無力感を味わうのはもっと嫌だから、必死こいてやるみたいに。
けれどやっぱり明日とか将来ってものは恐くて、いつかゆかりや上様と離ればなれになってしまうのではないかということが脳裏にちらついて、私は夜も眠れないほど恐くなる。
恐くて、――けれど私は、怒りたかった。
「そんなの、間違ってる」
上様のお父さんいわく――上様には才能なんてないのだ、ということらしかった。
仮に才能があったとしても、百人が百人プロになれるわけじゃない。
どうしてみんなが勉強するのかというと、それが一番簡単に、幸せになれる方法なのだと、上様のお父さんは私たちに言った。
野球を否定するつもりはない、と。けれど、スポーツ選手になるのと、大学に行って勉強して会社に入ってお金をもらうのと、どっちが簡単か考えてごらん、と言われた。
――私たちのためなのだ、と。まるで私たちの将来を見てきたような口ぶりで。
「間違ってるよね」
私はゆかりを見た。ゆかりも私を見ていた。
そのゆかりの目は、いつの間にか涙を忘れて力強く光っていた。
この目だ、と私は思う。
些細なことで泣いてしまうゆかりだったけれど、私は知ってる。
マウンドの上でだけは、ゆかりは絶対に泣いたことがない。
私がどんなに厳しいコースを要求しても。
ゆかりは必ずそこに投げ込もうと全力を尽くしてくれる。
ゆかりは、ピッチャーでいるときだけは、絶対に泣いたりしない。
「うん」
ゆかりが頷く。何が間違っているのか? ――簡単だ。
上様に才能がないなんて、あり得ない。
私たちの通う島田小学校の歴代女子児童たちの中で、上様は短距離も長距離も、最速の記録を保持している。
身体能力は抜群で、大人のピッチャーの球は打ち返せないけれど、目がよくて器用だから、確実にバントでランナーを送るその堅実さから、社会人チームの草野球であるにも関わらず二番に起用されている。
足の速さだって、ビールで太ったおっさんどもよりも、上様のほうがよほど早い。
実を言えば、ピッチャーをやらせてもゆかりよりも上様のほうが球は速いのだ。
ただコントロールはゆかりの方がいいので、上様はピッチングよりもバッティングを練習しているのだ。
つまり、上様は私たち三人の中では、期待の星なのだ。
それをなにか――私たちの将来を見てきたわけでもないのに、才能がない?
そもそも、上様のお父さんはともかく、上様のお母さんなんて、一度も試合を見に来たことなんてないじゃないか。
上様がどんなにすごい女の子か、上様のお母さんがどれだけ知っているというのだ。
あーあ、よくいるんだよな。
自分が少し先を見通してるからって、そこに達していない奴のことをなんでも知った気になって喋る奴。
全くもって心外だった。
許せない、と私は思った。
上様のことを知りもしないで、上様の人生を語るなと思った。
「ねえ、才能って、何だと思う」
私はゆかりに尋ねた。
ゆかりは私の問いかけの意図がつかめずに、「えっ」と口をもごもごとさせてまごついた。
「ねえ、ゆかり」
「なあに」
「勝ち続けたらさ、それは、才能があるってことだよね」
「え? ……うーん、そう、かもしれない」
「ゆかり」
「ん?」
「鞄、見てて
私は――駆けだした。
「え!? ね、ねえ、猫ちゃん!?」
そう――私の名前は、榛名猫だ。
私は猫みたいにめんどくさがりで怠惰で性格が悪くて――だけど、諦めが悪いのだ。
上様の家――松城家まで、およそ百メートル。
上様のように十五秒を切るような速度では走れないけれど、それでも私は、一秒でも早く上様のところに行きたいと思った。
車の中では、上様のお父さんが繰り広げる圧倒的にアダルトでおセンチでクソみたいな世界講話に耳が麻痺して、なんにも言い返せなかった。
だけど、コシヒカリの田植えを目前に控えたいつもの田んぼの姿を見ていたら、頭が冷静になった。
そして、急速に冷たく燃え盛り始めた。
なんだよ――なんだよなんだよなんだよっ!
私たちの上様を、バカにするなッ!
肺が激痛であえぐのもかまわずに、私は上様の家のインターホンを連打した。
田舎なのでそんなものが用をなさないことは知っている。
門扉をくぐると先ほどまで私たちを運んでいた車の脇をすり抜けて、鍵のかかっていない引き戸に、餌を見つけた猿みたいにかじりついた。
それを力尽くで開いた。
驚いた顔の上様が玄関に駆けてきて、目が合った。
私は叫んでいた。
説明 | ||
――私は今日も昨日が恋しい。 オリジナル短編小説二話目です。ライブドアブログ主催の『ライトなラノベコンテスト』応募作品になります。最新話は(http://brilliant-cheat.blog.jp/)にて毎日更新予定しております。 |
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