天の迷い子 第二十一話 |
Side 流騎
袁紹が攻めてきた。
連合軍では思ってたようなものが手に入らなかった。
だから今度は直接実を取りに来たんだろう。
大陸制覇に打って出るのに背後の伯珪の勢力は邪魔だ。
だから最初に後顧の憂いを断ちに来たのか。
「じゃあ、とにかくこれからの方針を決めるぞ。と言っても選択肢は限られてるけどな。負けるのを承知で戦うか、逃げるか…、降伏するか。」
伯珪は公孫範達主立った将を集め軍議を開いた。
もう勝ち目はないと悟っている様で、勝つ為の策なんかは求めなかった。
「私は戦うのは愚策だと思う。本初の軍は今集められる軍の五倍以上だ。しかも幽州の領土の半分が既に奪われている以上戦ったところで負けるのは目に見えてるし、何より民にいらない負担を強いるのは本意じゃない。だから私は降伏するのもありだと思っている。私の頸を差し出して逆らいさえしなければ被害は最小限に抑えられると思う。」
伯珪は集まった将達を見まわした。
「私は反対です。確かに勝ち目の無い戦いに民を巻き込むのは愚かでしょう。だからと言って姉を、主を犠牲にして生き永らえたいと思うほど私達は腰抜けじゃない。」
公孫範の言葉に他の将達も賛同の意を示す。
「だが私一人が犠牲になれば他は助かるんだ!無能な私でもこんな時くらいは役に立てるんだから!」
「我々は貴女を死なせたくないのだ!民に親しまれ、愛され、共に笑い合う事の出来る!そんな貴女を我等は護りたい!」
だが、しかしと問答が繰り返される。
戦うのも降伏も嫌だって言うならもう選択肢は一つしか無いだろ。
「んじゃあ逃げりゃいいじゃないッスか。」
俺が声を上げようとした瞬間、伯がそう言った。
「はっけーさんはこの人等を死なせたくない。んでもってこの人等ははっけーさんを死なせたくないんスよね。戦うのもダメ、降伏もダメならもう逃げるしか無いじゃ無いッスか。」
「姜維…。そうしたら兵達にも犠牲が…。」
「誰も傷つかない方法なんて無いッスよ。はっけーさんが犠牲になってもそれで略奪も何も無く事が終わる保証なんて無いッス。オイラ自己犠牲ってやつは嫌いッス。死んだ後の事を他人に押し付けてるだけの自己満足じゃないッスか。」
キッと伯が伯珪を睨む。
伯珪はその圧力に押されたのか何も言えなかった。
「伯珪、彼等の眼を見ろよ。引く気はないって眼をしてる。ああいう眼をした人間を俺は見た事があるよ。ああいう連中はお前が何て言っても自分が決めた事を貫こうとするぞ。将も、多分兵達もな。彼等を無駄死にさせたくないんなら逃げるが上策だ。」
「流騎…。」
伯珪は俯いて何かを考えているようだ。
しばらくして顔を上げると、
「…わかった。私達はこれより城を捨て幽州から逃げる!範、越、関靖は兵三千を連れて私に付いて来い!他の者はこの城と町の者達を護れ!米一粒さえも略奪なんてさせるな!公孫家の私財は全て置いていく!本初の奴が欲しいと言うなら構わん、一つ残らずくれてやれ!!」
迷いを振り切った伯珪が声を張り上げ指示を出す。
それを受けて皆がすばやく動いていく。
「流騎、姜維すまないな、こんな事になってしまって。取り敢えずお前達はこの町に留まってしばらくして落ち着いた頃に幽州を抜け出してくれ。」
伯珪が俺達を案じて提案をする。
が、
「「はあ?何言ってんだ(スか)?」」
俺と伯は二人で同時に首を傾げた。
「えっ?何って…。」
「オイラ達ははっけーさんと一緒に行くッスよ?当たり前じゃないッスか。」
「はぁ!?ちょっと待て、確かに配下の奴らは仕方ないと思ったけどお前達を巻き込むなんて絶対許容できないぞ!?」
「そんなの知らないッスよ。そもそもオイラ達は今日出ていくって決めてたッスし、何より流騎は絶対引かないッスよ?それこそ将軍さん達よりも頑固ッス。」
「なっ!?おい、流騎まさかお前も!」
伯珪は驚いた様な焦った様な顔でこっちを振り向く。
ってかおいおい、何を当たり前の事を。
「友達ほっとける訳ないだろ?」
「うあ…(何を当たり前の事聞いてんだって言う様なきょとんとした顔してるじゃないか。それが当然って思ってる奴に説得は通用しないのは本初の奴で身に染みて分かってるし、ああもう!)わかったよ!お前等も一緒に来い!」
伯珪はヤケクソ気味に叫び、俺は刀を伯は槍を手に、馬に飛び乗った。
Side 顔良
「お〜〜ほっほっほっ!お〜〜ほっほっほっ!」
麗羽様がいつもの高笑いをしてる。
はぁ、なんだか気が重いなあ。
こんな不意打ちみたいなやり方で公孫賛様に剣を向けるの。
麗羽様は袁家という力とご自身の性格のせいで、近くにいるほとんどの人がただ従うだけの人か利用しようとする人しかいない。
そんな中で公孫賛様はため息を吐きながらもきちんと麗羽様の話を聞いてくれて、付き合ってくれて、時に注意(麗羽様は全く聞かないけど)してくれる数少ない人。
そんな人を討ち取るのは嫌だし、麗羽様にとっても良い事にはならないと思う。
「あの、麗羽様。本当に公孫賛様を討ち取るおつもりですか?」
「当たり前じゃありませんの。まあ、伯珪さんが泣いて頭を下げるなら助けてあげない事もありませんけど!お〜〜ほっほっほっ!流石は慈悲深いわたくしですわ!!」
私の質問に答えると、麗羽様はまた高笑いをし始めた。
いつもながらあれだけ笑い続けて喉とか腹筋がよく痛くならないものだと思う。
文ちゃんなんかは馬の上でぐったりしてる。
でもよかった、麗羽様は本気で公孫賛様を討ち取る気は無いみたい。
公孫賛様を私が説得して頭を下げてもらえれば公孫賛様を死なせなくて済む。
そんな事を考えていると伝令がやってきた。
「どうかしたんですか?」
「はっ!先行していた部隊からの報告によりますと、遼東の城の門は開け放たれ抵抗の意志も無いようです!しかし城に公孫賛将軍の姿は無いと!」
ええっ!公孫賛様が居ないって事はもしかして逃げたのかな?
「おそらく民を戦いに巻き込ませない為に公孫賛殿は逃げたのではないでしょうか?私がもし公孫賛殿の軍師だったとしてもその選択をすると思いますので。」
「あ、田豊さん。そうするとこの戦は私達の勝ちって事ですよね。」
「はい。ですがそれを袁紹様が納得するかどうか。」
うぅ、それはそうかも。
「なぁ〜〜んですってぇ〜〜!!伯珪さんがこの私に恐れをなして逃げてしまいましたの!!?全く民を放って逃げるなんて州牧の風上にも置けませんわ!!捕まえてわたくし自らお仕置きして差し上げますわ!!」
なんでこんな時だけ反論しづらい理屈を言うんですか、麗羽様。
でも主の意向を無視するわけにはいかないし。
「では袁紹様、ここから東に二・三千程の部隊なら通る事の出来る程度の道があります。恐らく公孫賛殿はそこを通ったと見ていいでしょう。ならば私達は兵八万のうち騎兵のみ二万を率いて南下し、この道の出口を目指すべきかと。この道であればこのまま一直線に南下すれば抜け道を使った公孫賛殿よりも距離的には近いはずです。残りの六万で公孫賛の居城は制圧できるでしょうし。」
田豊さんも同じように思ったのかすぐに案を出してくれた。
でもそれだと私が追手の方に入らなきゃいけないし、そうなると制圧部隊の指揮をする人が…。
「なお、制圧部隊の指揮は沮授殿に任せればよろしいかと存じます。」
そうか、沮授さんなら経験豊富だし町の人達を傷つけるような事も無い。
流石田豊さん、的確な人選だ。
「そんなちまちまとした作戦を考えるのはわたくしのする事ではありませんわ。何でもいいからさっさと伯珪さんを泣かしに行きますわよ。」
よかったぁ、今日の麗羽様は割と機嫌が良いみたいで。
不機嫌な時は何を言っても聞いてくれないしなぁ。
「うっしゃあ!公孫賛様に付いてったんなら精鋭の白馬義従の奴らだろ?やっとまともに戦えるぜ!」
文ちゃんが無駄に盛り上がってる。
これじゃあ本当に他の人が見つける前に私が公孫賛様を見つけないと少なくとも大怪我をさせちゃうかもしれないよぉ。
「それじゃあ、沮授さんはこのまま城まで行軍して下さい。出来る限り一般の人達には危害を加えない様に。」
「了解した。」
「私達は騎兵二万を率いて南下します。田豊さんも付いて来て下さい。文ちゃんは麗羽様の傍にいて。私が偵察とか他の細かい仕事を請け負うから。」
「お〜、任せたぜ〜斗詩。」
「分かりました。」
早く公孫賛様を見つけて降伏してもらわないと。
私は少し焦りながら馬の腹を蹴った。
「ここです。」
「全軍止まって下さい!!」
公孫賛様を追っていた私達は抜け道の終点に到着した。
到着するとすぐに田豊さんが偵察を出し、辺りを捜索。
すると馬の蹄の跡が見つかった。
…二方向に。
「これは、どちらかが囮という事でしょうか?」
「はい、恐らくは。ただどちらが囮なのか、ですが。」
「え?普通少ない方が囮なんじゃないのか?」
そう、分かれた蹄の跡は明らかに左右で数が違っていた。
田豊さんが言う様に、問題はどっちが囮なのか。
「確かに文醜殿の言う通り、普通に考えれば少ない方が囮と考えても良いでしょう。ただ、囮としては数が少なすぎる気がするのです。」
少なすぎる…。
確かに残された蹄の跡は多い方は二千程の数なのに対して普通なら囮と思われる方は精々数百。
これじゃあ見破ってくれと言っている様な物だと私も思う。
「う〜ん、あたいは難しい事は良く分かんないけどさ〜、それならいっそ両方追っかけりゃ良いんじゃね?」
「…ふむ、確かにそれは一理ありますね。」
うんうんと悩んでいた事を至極あっさり文ちゃんは解決した。
普段は的を外した事ばかり言うくせにこういう時さらっと答えを出すんだよね。
「分かりました。じゃあ部隊を二つに分けます。兵二万の内、一万五千を東側へ。残りの五千で西側の足跡を追います。部隊の指揮は…。」
「あたいが多い方だ!!」
「…文ちゃんが東、私が西に行きます。麗羽様は…。」
「飽きましたわ。」
「へ?」
「猪々子、斗詩、二人でさっさと伯珪さんを捕まえて来なさいな。わたくしはここで優雅にお茶でも楽しんでいますわ。」
「え、えぇ〜〜〜〜?」
「さあ!さっさと捕まえてくるのですわ!!」
あ、飽きたとか。麗羽様めちゃくちゃだよぅ。
「わ、分かりました。じゃあ文ちゃん、お願いね。」
「おう!まっかせとけ!!」
ドン、と胸を叩いて答える文ちゃん。
張り切ってる時の文ちゃんってよくポカをやらかすからなあ。
でも不安だけど行くしかないよね。
「文醜隊!いっくぜぇ!!」
「顔良隊出ます!」
そう言えば麗羽様、こんな所で長い時間待ってられるのかなぁ?
走って走って何百かの兵が脱落していた。
それでも緩めず走り続けてようやく…。
「追いついた。」
公孫賛様の部隊は徐々に兵を切り離し、身軽にしようとしたのか数十騎程しか連れていない。
それでも疲労と緊張で速度は落ち、とうとう私達に追いつかれてしまったのだろう。
僅かに残った兵を蹴散らし、公孫賛様に肉薄する。
「公孫賛様!ここまでです!大人しく投降してください!!」
「お前は顔良か!?悪いがここで死ぬわけにはいかないんだ!」
私の呼びかけに公孫賛様が答える。
「投降して下されば命を取るまではしません!」
「私一人だったら投降していたかもな。でも…。」
「友人を敵に渡す訳にはいかない!」
声を張り上げて公孫賛様の前に立ちはだかる男性。
「貴方は何者ですか!?そこをどいて、公孫賛様を渡して下さい!」
「俺は流騎!伯珪の友人だ!俺はこいつを護るぞ!」
「そういう訳で私は捕まってやる事は出来ないんだ。それにこのまま本初の奴が勢力を広げればいずれ桃香…劉備達と戦う事になるだろう。せっかく出世して頑張ってる友人の脚を引っ張る片棒を担ぐ事は出来ない。」
「伯珪様…。」
気持ちは良く分かる。
友達の邪魔になんてきっと誰もなりたくない。
「顔良様!!」
ふと考えてしまった一瞬の隙に流騎と名乗った男性が槍を投擲してきた。
でも避けられない速度じゃない。
「舐めないでください!!」
僅かに横にずれて槍を躱すと兵達がざわめいた。
背後でパシッ、という音。
途端右の太腿に熱が走る。
「油断大敵っスよ。」
背後には流騎よりも少し若い少年が、投げられた槍を受け取り私の太腿に突き刺していた。
「うっ、ぐっ!!」
私は金光鉄槌を横に薙ぎ、牽制しつつ僅かに後ろに下がった。
その脇を少年は駆け抜ける。
そして流騎が前に出た。
「二人とも行け!部隊を混乱させてすぐに追いつく!!」
「馬鹿野郎!お前の馬はこの中で一番遅いだろうが!!」
「信じろ!こいつとならいける!!」
「だが!」
「はっけーさん!!」
「姜維…。」
「流騎、信じて良いんスね?」
「おう。」
「了解ッス!はっけーさん!」
「くそ!分かった!良いな!!信じるぞ!!」
ギリッ、と歯を食いしばって公孫賛様と姜維と言う少年は戦線から離脱した。
「すぐに公孫賛様を…!!」
私が指示を出す前に流騎は距離を詰め、私の部隊の中へ突っ込んでいた。
一人で五千を相手にするつもりなのかと私は驚愕する。
それ程の武を持ってるようには見えないけど。
結論、私の読みは半分当たりで半分はずれだった。
彼の武自体は大した事は無い。
確かに兵達とは比べられない程に高い練度ではあるし、長い刀身の剣は見た目こそ細く頼りないが切れ味も強度もすごかった。
でも何より驚いたのは馬。
移動、回避、攻撃の三つをこなしていた。
すばやく移動し、流騎が対応できない攻撃を躱し、反撃する。
流騎も馬を信頼しているのか、目の前の敵だけを見据えている。
なんて息の合いようだろう。
たった一騎の騎兵に陣形は完全に崩されてしまっていた。
元から練度はたいして高くは無かったけど、それよりも流騎のやり方が上手くはまったみたいだった。
多分戦術にも多少通じているんだろう。
それでも無傷とはいかなかったみたいで、浅く切り裂かれた傷口から血が滴っていた。
ぶうんっ、と剣を大きく振り、相手を牽制してから踵を返し一気に駆ける。
私は脚の怪我で満足に動けず、ただそれを見送るしかなかった。
ただすれ違う一瞬、彼はこちらをチラリと窺っていたように見えた。
Side 流騎
走る、走る。
伯珪達に追いつく為に。
けれどやっぱりあまり速度が出ない。
やっぱりこの子は…。
「遠慮するな。」
ポン、と馬の首を撫でる。
どことなく不安そうな目で見返された。
「少し調べた。お前は俺と同じだったんだな。護りたかった人を護れなかった。俺は自分の非力さで。お前はその高すぎる力の所為で。」
この子は初陣の時主を亡くしていた。
負け戦だった当時の戦場で、敵に囲まれたこの子は全力で戦線を離脱しようとした。
元々他の馬をはるかに凌駕する脚力を持つこの子の加速に当時の主は対応できず落馬した。
そこを敵に囲まれて…。
その場で佇んでいた所を馬商に拾われ、幽州に来た。
だからこの子は全力を出す事を恐れているんだ。
「大丈夫。二度もお前に悲しい思いはさせない。俺はずっとお前と走り続けるよ、約束する。」
彼は俺の眼をのぞき込んできた。
俺は目をそらさずに告げる。
「信じろ。」
その時、目に力が宿った気がした。
ぐんっ、と速度が一気に上がる。
手綱を思いっきり握り、前傾姿勢になる。
振り落とされまいと力を込めた。
どんどん速くなる。
「ははっ、すごいなお前は!!これは誰もついて来れないぞ!…そうだな、いつまでもお前じゃ可哀想だよな。お前の名前は、え〜と、う〜ん、そうだ!縁(えにし)!縁にしよう!」
仲頴達や伯珪達、洛陽や幽州で世話になった人達。
そんなたくさんの縁を俺は大事にしたい。
何よりも素晴らしい宝物だと思うから。
この子と出会った事も、たくさんの縁の中の一つだから。
そんな想いを込めて“縁”だ。
「〈コクリ〉」
縁が頷いた。
「よかった。よし、行くぞ縁!!」
俺は縁の腹を蹴る。
縁は力強く嘶き、疾風の様に荒野を駆け抜けた。
時は同じくして場所は徐州に移る。
徐州近辺ではとある噂が流れていた。
大斧の悪魔。
徐州に存在した大規模な盗賊達が大斧を持った美丈夫に次々と壊滅させられているらしい。
その武人は無言で斧を振るい、盗賊達を蹂躙した後去っていく。
ただ戦う事が目的であるかのように。
「えいっ!やっ!たっ!へうっ!!」
早朝、中庭で剣を振るう月。
気合の掛け声の中にいつもの口癖が混じるのは、まあご愛嬌と言ったところか。
侍女の仕事もある為、早朝と夜ぐらいにしか出来ない鍛錬に励む。
見張りの兵達も慣れたもので、鍛錬が終わる頃にスッと水と手拭いを差し出す。
月はにっこりと微笑み、「ありがとうございます。」と会釈を返す。
その笑顔が夜中から早朝にかけての辛い仕事の清涼剤になっている。
その日の水と手拭いを渡しに行く役を勝ち取るために、男達の真剣勝負が日夜繰り返されているのはまた別の話。
「くぁああ、かふ。少々早く起き過ぎたか。」
渡り廊下を歩き欠伸をかみ殺すのは趙雲。
眠気を堪えながら散歩がてらに中庭を横切った。
「おや?あれは…。」
視線の先に東屋で何かの作業をしている月を発見した。
暇だったのも手伝い、ふらふらと寄っていく趙雲。
そこであまり馴染みの無い、それでいて感慨深い物を見た。
「あ、趙雲さん。お早うございます。」
「うむ、お早う。月は何をしておったのだ?」
「剣の手入れを。これは大切なお友達に預かってくれって頼まれたものなんです。」
その剣はまるで刃そのものが光を発していると錯覚してしまうほど美しかった。
(見れば見るほど美しい。装飾などはほとんど無いが、完成された芸術品の様な魅力がある。そう、極上のメンマの様な。)
素晴らしい物=メンマという図式は彼女の中で譲れぬものの様だ。
ともあれこの剣の形状は、とある少年を思い出させた。
「連合の時、似たような剣を使う少年と戦った事がある。もしやその剣、流騎と言う者から預かったのでは?」
「え?あの、流騎さんを知ってるんですか!?」
ずいっと身を乗り出し趙雲に詰め寄る月。
大人しい月がここまで興奮しているのを見た事が無かった趙雲は少々たじろいだ。
しかし彼についての話をする事はやぶさかでは無い。
趙雲は月に話した。
反董卓連合で戦った少年の事を。
「出来る事なら生きていて欲しいものだ。また手合わせをしてみたいし、語り合ってみたい。おお、そうだ、極上のメンマと酒を振る舞ってやるのも悪くない。使い古された言葉ではあるが出会い方が違えば良き友となっていたやもしれんな。我々があやつの居場所を奪ったようなものだ、もう遅いかもしれんが。」
ふふっと趙雲は笑う。
そんな趙雲に穏やかな表情で月は言う。
「まだ遅くなんてありませんよ。きっと流騎さんは趙雲さんを恨んでなんていません。その人が起こした過ちや、降りかかった理不尽なんかを恨むことはあっても、その事で歩み寄る事をしないなんて事をする人じゃありません。きっかけさえあればどんな人とでも仲良くなれる人ですから。」
「ほほう、良く相手の事を理解しておられるようだ。やはり想いを寄せる相手の事は理解が深いという事ですかな?」
きらりと趙雲の眼が光り、くくくといやらしい笑みを顔に貼り付けからかいモードに移行する。
「へうぅ!?ど、どうして、ちが、ふぇえ、へうぅぅ!?」
「はっはっはっ、月よ、真っ赤な顔で否定しても説得力は無いぞ?」
「うぅ、そんなに分かりやすかったですか?」
「なに、桃香様や愛紗が主を見ている時と通じる表情をしていたのでな。時にきっかけは何だったのかな?ほれ、もうばれておるのだ。全て吐いてしまうがよかろう。」
ほれほれと話を聞き出そうとする趙雲。
完全に楽しんでいる。
「その、頭を…。」
「うん?頭を?」
「…撫でてくれたんです。」
それはあの檄文が出される十数日前。
執務室で私が政務をしていると、
「仲頴!遊びに行こうぜ!!」
扉を勢いよく開け放ち、仁王立ちで流騎さんがそう言ったんです。
でも、しかし、と拒否しようとする私の手を力強く、でも優しく握って流騎さんは私を外へと連れ出しました。
連れてこられたのは河原。
最初は後ろめたい気持ちがありましたけど、草笛の音色を聴いて、十回以上も水を切る石ころに驚いて、二人で釣った魚に舌鼓を打って、はしゃぎ過ぎて川に落ちた流騎さんを見てお腹を抱えて笑いました。
いつしか私の体も心も弛緩していき、これ以上ない程に休まっていたんです。
ほとんど男の子の遊びだったけどとても楽しかった。
最後に流騎さんは花輪を作ってくれました。
お世辞にも上手とは言えなかったけど。
流騎さんはそれを私に手渡すと、ぽんと頭に手を置いてゆっくりと撫でてくれました。
「仲頴はえらいなぁ。」
まるで親が子供を褒めるみたいにすごく柔らかくて優しい声でした。
「仲頴はえらくて、優しくて、強い。仲頴のおかげでたくさんの人達が笑っていられる。だからお前ももっともっと笑って良いんだ。最近張りつめすぎてる感じがするぞ?」
確かにその時の私は政務に追われて追い込まれていました。
どんどん上ってくる飢饉や盗賊の問題などの案件が沢山あって満足に詠ちゃんや流騎さん達とも顔を合わせる事も出来なくなっていたから。
撫でられるたびにじわじわと心が温かくなって、落ちていく夕日が流騎さんに重なって…。
「きっとその時に私は流騎さんが好きだって自覚したんだと思います。そのあと詠ちゃんにこっぴどく叱られましたけどね、ふふっ。」
月は話している内に顔の赤さも引き心も落ち着いたようだった。
「なるほど、良い話を聞いた。やはり流騎は私が思っていた通りの、いやそれ以上の人物だったようだ。」
共通の人物を知る二人の間に穏やかな空気が流れたその時、城の入口の方から大きな音が響いた。
駆け付けた兵達は動けなかった。
圧倒的な存在感、自軍の将達にもひけは取らないであろう気当たり。
門兵三人を一振りで薙ぎ払った力。
侵入者は言う。
「もう一度言うぞ。雑兵に用は無い。関雲長、張翼徳、趙子龍の三人を呼べ。」
兵を睨み付け言い放つ。
その三人と勝負させろ、と。
「鈴々ならここにいるのだ〜!!」
猛烈な勢いで走りこんできた張飛が蛇矛の一閃を放つ。
それを受け止めた侵入者は三・四歩程後ろに下がった。
遅れて関羽も到着する。
「む!?貴様は…。」
「華雄なのだ!!」
大斧をだらりと下げた灰色の髪の武人。
それは元董卓軍武将・華雄であった。
虎牢関の時と比べて頬はこけ、体は汚れみすぼらしくなっているが、少し伸びた前髪の奥に見える双眸だけはギラギラと輝いていた。
「関羽、張飛か…。我が武を更なる高みに昇華させるための贄になって貰う!」
「やれるものなら、やってみるのだぁああああ!!!」
叫びと共に張飛は華雄に向かって跳躍した。
大きく振りかぶり相手を叩き潰す勢いで蛇矛を振り下ろす。
しかし華雄は腰を落とし、大地を踏みしめ、全身の筋肉と関節を連動させ金剛瀑布を叩き付けた。
本来華雄の実力は張飛に劣る。
膂力においても良くて互角か、分が悪い程である。
だが華雄は虎牢関で連合軍に敗北してから強さだけを求めていた。
まるで他の事は目に入らないかのように。
そして辿り着いたのは動きの効率化と、それによる威力の収束である。
無駄のない動きによって最短距離を走る力を無駄無く相手に叩き付ける。
張飛が跳躍していた事も災いし、大きく弾き飛ばされた。
「〈ドガアッ!!〉あ、っぐ!いったぁい、のだ…!!」
木に強かに背中を打ち付け、苦悶の声を漏らす。
「鈴々!!おのれぇ!華雄、私が相手だ!!」
「望む所!来い!関羽!!」
青龍偃月刀と金剛瀑布の剛撃が何度も打ち交わされる。
関羽が攻めれば華雄がいなし、華雄が攻めれば関羽が弾く。
しかし、終わりは唐突に訪れた。
「〈チカッ〉うっ!?」
「殺った!!!」
「ぐ!しまっ!!?」
不運にも周りを囲んでいた兵達の剣に反射した日の光が関羽の眼に入ってしまったのだ。
華雄がその好機を逃すはずはない。
止めの一撃を上段から振り下ろした。
ズドン!という轟音が辺りに響き渡る。
華雄の一撃は関羽の肩をかすめ、地面にめり込んでいた。
そして華雄と関羽の間には砕けた剣を取り落した月の姿があった。
「え?ゆ、月、か?何故…?」
「〜〜〜っ!良かった、間に合って。そこまでにしてください、華雄さん。いたたた…。」
剣が砕けるほどの一撃を全力で反らしたため、月は手が痺れて動かない様で、ぷらぷらと手を振るっている。
「月!!〈がばっ!〉本当にすまなかった!!」
「えっ!?」
華雄はしばらく呆けていたが、月の事をようやく認識すると地面に額を擦り付けていた。
「流騎達を、洛陽を、何より月を、私は護れなかった!!私の力が足りないばかりに!言い訳のしようも無い!殴られても仕方がない!死ねと言われれば喜んで命を絶とう!私は二度も失敗した!それだけの罪が…!」
そこまで言ったところで華雄の頭をふわりと温かいものが包み込んだ。
「華雄さん。よく生きていてくださいました。私はそれだけでとてもとても嬉しいんです。だから死ぬなんて言わないでください。」
「月…。」
「せやで。」
月が華雄を抱きしめ優しく語りかけると、騒ぎを聞きつけた霞が隣に立っていた。
「それを言うたらうちかて同罪や。うちだけやなく恋も音々も詠も、生き残った人間全員が同じ罪を背負うとる。」
「霞、か?」
「霞の言う通りよ。護りきれなかったのは僕達も一緒。自分一人で背負い込んでかっこいいつもり?全然格好良くなんて無いわよ。」
「詠…。」
次いで詠も歩み出る。
「あの戦いで死んでいった人達。彼等に対する責任は私にももちろんあります。華雄さんだけが背負う事はありません。それに流騎さん達はきっと生きていますよ。ね、霞さん。」
「せやな、徐晃と高順の部隊が離脱したっちゅうのは聞いてるし、流騎の部隊とは李?の部隊が合流しとったらしいからな。あの爺さんは流騎ら若い連中を死なせん為に残った様な節があったから、むざむざ殺させるとは思えん。」
「しかし、私は二度も…。」
「華雄さん。私達は貴女を恨んでも怒ってもいません。もちろん流騎さん達も同じだと思います。そんな事よりも華雄さんが生きていた事が今は何よりも嬉しいんです。」
優しく優しく月は語りかける。
「また、私達と一緒に居てくれますか?」
「…あ。」
スッと抱きしめていた頭を放し、華雄の眼を見る。
優しく、柔らかく微笑み、慈しむような眼差しはまるで聖母の様だった。
そして華雄の心は氷解する。
「も、もちろん、だ…!うっ、くっ!う、うあぁぁあああああああ!!!」
自責の念と自らの無力さに対する怒り。
それによってただただ力を求めた。
あのまま行けば華雄は修羅と呼ばれるものになっていたかも知れない。
地獄へと続く孤独の道だ。
しかし、月は心を溶かし人の道へと連れ戻した。
きっともう華雄は修羅道へと堕ちる事は無いのだろう。
子供の様に泣きじゃくる華雄の頭を月は優しく撫でていた。
彼女が泣き疲れ、眠りにつくまで。
説明 | ||
久しぶりの投稿です。 どうもヘタレど素人です。 ちょっとした暇つぶしにでもなれば幸いです。 |
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コメント | ||
長くなりそうだったので省いたのですが説明不足だったようです。一応そういう背景があると思っておいて頂けると嬉しいです。(杯に注ぐ清酒と浮かぶ月) 禁玉⇒金球さん コメントありがとうございます。 幽州に残った人は白蓮がどれだけ幽州を思ってるか知っています。途中で切り離した武将達に関しては白蓮や公孫範を通じて流騎達は信頼されています。。(杯に注ぐ清酒と浮かぶ月) 他のサイトの方も読みました面白いです、出来れば皆引き連れて独立してもらい処です。所で臣従しないのを白蓮の客将の頃は棚上げで困惑/憤怒する人はいないのかそこら辺も気になってます(禁玉⇒金球) それに月達と一刀達は一応月と星が恋愛話出来る程度には和解してます。ちゃんと書いて無かったので分かりにくかったようで申し訳ありません。月は慈愛の人なので罪を憎んで人を憎まずが出来ます。袁紹は悪人ではないんですよ、自己中なだけで、ね。(杯に注ぐ清酒と浮かぶ月) nakuさん 陸奥守さん コメントありがとうございます。あの姉妹に関しては鈴々はぶっちゃけ難しい事は考えないお子様ですし、愛紗は案外過保護なので鈴々がやられた瞬間ブチ切れちゃってます。(杯に注ぐ清酒と浮かぶ月) 始めまして。なろうで注目してたSSをこちらで見かけたので読んでみたら結構前からあったんですね。これからも頑張ってください。下のコメントにはあまり同意出来ませんが(こうゆう解釈が成立する余地がかなりあるとは思いますが)、一刀達が自分達の行為をどう思っているのか、出来れば書いて欲しいと思います。(陸奥守) |
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