巫女の歩んだプロローグ
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―お父さん、お父さん―

―おや、どうしたね、涼―

―あのね、お父さん、どうしてすずには……―

 

 

「…涼、には……」

ゆっくりと目を開き、まだ幾分寝ぼけた頭で障子から透ける光を見つけた。

「……夢……」

昔の夢。自分には母親がいないことを疑問に思った幼い涼が、宮司に問いかけたときの光景。

その時の宮司様の表情が、未だに目に焼き付いている。申し訳なさそうな、さみしそうな、そんな表情。

思えば、あの頃からだっただろうか。「お父さん」ではなくて、「宮司様」と呼ぶようになったのは。

 

 

物心ついたころには、私はすでにこの忍社で生活していた。宮司様を父と慕って後をついて回り、祈祷の真似ごとをしたり。近くの村に出かけるときはついていき、そこで同い年の子と毬遊びやお手玉やわらべ歌を歌って遊んでいた。

普通の子と何も変わらない、そんな日々だった。

 

「すずちゃんは、おとうさんしかいないの?」

「うん、そうだよ。私はお父さんだけ」

「なんでいないの?」

別段片親であることは珍しくもないが、理由を知らないことを、友達と話していて気付いた。なんでだろう、なんでだろう。お母さんはどんな人だったんだろう。

そんな思いで、神社に帰ってから聞いたのだった。

返ってきたのは、予想とは違う、悲しい話だった。

 

「涼や、私は本当の父親ではないんだ」

宮司様が教えてくださったのは、本当の両親はこの辺りの村に暮らしていたが、戦に巻き込まれて村から逃げ出したこと。その時に運よくこの忍社にたどりつき、まだ赤子だった私を預けて息を引き取ったこと。

両親の持ち物から「魚住」という姓だけはわかったが、名前がわからなかったために宮司様が付けたということ。

 それをどこか他人事のように聞いていたのは、実感がわかなかったからだろう。しかし、その後どうやって食事をとり、床に就いたのかは全く思い出せなかった。

 

 形見の品も見せてもらったが、顔も思い出せないことが辛く、すぐにしまいこんでしまった。それに、身に着けていると宮司様と本当の親子ではないのだと思い知らされるような気がして……

髪飾りもあったが、巫女として伸ばしていた髪は十三のときに賽銭泥棒を追い払う時に掴まれて、あわや、となってからは…肩につく程度に切ってしまったため、つけてはいない。

 

 

「いけない、そろそろ起きなくちゃ。掃除と、お供えの準備と…朝ごはんも作らないと!」

 いつまでも布団でぼんやりしているわけにはいかない。夏の始まりで陽が長いとはいえ、神社で巫女として行う仕事は多いのだ。

大急ぎで夜着を脱ぎ単衣と緋袴を身につけ、簡単に髪に櫛を通し、常より少しあわただしく部屋を出た。

 

 

 

宮司様はあまり昔のことを話さない。

聞いてみても、「私はただの宮司ですよ」としか言わないうえに、村の人も宮司様の名前を知らないと言っていた。

私に教えてくださる武術がそれなりに高度なものであることは、賽銭泥棒を追い払っているうちに気付きました。忍社の蔵書は童話、「ここのつ」に関係する物を始め、民話や神話、神道に渡る。その中にひっそりと、戦術や策の練り方、薬や医療、天候の知り方、人の心理など、到底神主には結びつかない蔵書もあった。もちろんまだすべてを読んだ訳ではないが、それらの本は比較的新しいから、おそらく宮司様の持ち物だったのでしょう。

 宮司様は只者ではない。しかし、「どういう筋の人だったのか」どころか、名前すら当てられないのでは、私が知るのはまだ先なのでしょう。

 

徐々に陽が昇り、初夏の日差しが境内を照らしていく。廊下の手すりを拭き終わり、朝食の支度にとりかかるべく、台所へ向かう。確かネギがあったから、お味噌汁に入れようか。

お味噌汁とご飯と漬物と、昨夜の残りの煮物を小さな茶卓に並べる。少なくとも朝と夕は二人で食べることになっているため、準備を整えて箸を並べ、履き掃除をしていた宮司に声をかけた。

あまり凝ったものは作らないため、食事は質素なものになるが、宮司様はいつもおいしそうに食べてくれる。温かいご飯、汁物、誰かと一緒に食事をとれることがとてもうれしいんだそうだ。私も、誰かと一緒に食べる方が好きだ、と答えると、「私と」と言ってくれた方がうれしいなと言って宮司様はおどけた。

「涼や、今日はあまり雑務もないから、町にでも行って遊んでくるといい。買い出しに行かなくてはいけないものもあるだろう?」

「……そうですね…お札も足りていますし、祈祷の依頼も来ていませんし……行ってきます」

洗い物をやっておくと言って下った宮司様に甘え、部屋で巫女装束から私服に着替える。…といっても、青の袴に変えて薄物を羽織るだけなのだが。

 

それなりに整えられた参道を通ってふもとの村まで出ると、やはり神社よりも気温が高いのか、汗がにじみ始めた。

村の人に挨拶をしながら、隣町まで行くことを告げた。小さな村の一番近くにある神社だから顔見知りの方が多い。というか、他所の人がいたらまず神社に参拝に来た人が教えてくれるくらいに。野菜や卵を持って行くように勧められたが、今から出かけるのだと伝えたら、帰りに寄るように言われた。

ついでに、町に行くなら少し遠回りになるけれど、との前置きの後に峠のお茶屋さんのことも教えてもらった。今まで通っていなかった道だったせいで知らなかったが、それなりに繁盛していて、いきなり団子が美味しいらしい。

 

 

「ここ……ですね。」

買い物を入れた布袋を提げ教わった峠の茶屋に辿り着いた。満員というほどではないが、それなりに繁盛しているようで、楽しそうな談笑の声も聞こえた。

のれんを潜って店内に入ると、奥の席で団子を頬張る黒髪の男性や、楽しそうにおしゃべりする同じくらいの年の少女たちが見えた。

注文をとりにきた店主に、お勧めらしい、いきなり団子を注文し、一口かじる。うん、おいしい。

今まで知らなかったのが勿体ないくらいだ。神社からそう遠くもないから、たまにはここに通おうか。知らず、顔がほころんだ。もちもちの皮は甘さが控えめで、中に入ったサツマイモの甘さが際立っている。これは人気が出るのも頷ける。

食べ終わって休憩もして、そろそろ帰ろうかと席を立とうとしたその時だった。

「誰か話を聞いてくれる人いないでやんすかー居ないなら居ないって言って下さいでやんすー?」

声のする方を振り向けば、赤布を被った少年が困り顔でうろうろしているのが見えた。

すぐに、少年の近くの席でおしゃべりをしていた少女たちが立ち上がって話しかけた。

涼の後ろで椅子を引く音が聞こえたから、奥の席にいた黒服の男性もこちらに来るのだろう。

茶屋ののれんの向こうから、話を聞いていたのか赤茶髪の少年がかけてくるのが見えた。

 

もう少し後で実感することになるのだが、今日この日、この茶屋で、この少年の頼みをきくことで、涼の因果が少し変化したのだった。

この時点では知る由もなく、涼は十八歳のこの夏の日を迎えたのだった。

 

「私でよければ、話を聞かせてください」

 

 

説明
ここのつ者、魚住涼の過去のような、プロローグのような。
case1に至るまでの彼女の生活を振り返ってみたお話です。

登場するここのつ者:魚住涼 (名前は出ませんが、匂わせるていどにcase1の参加者が登場しています)
宮司様にも名前はかんがえたのですが、出す機会がないままです。そ、そのうちに。
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小説 ここのつ者 

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