祝福 |
祝福
子供を得られなかった夫婦は神にそれを願った。神は賢いが十六年の命しか持たない一人息子と愚かな多くの子供達のどちらが良いかと選ばせなさった。賢い息子を選んだ夫婦に一人息子は生まれた。彼は自らの運命を知ると神に願った。神は死神を追い払い、彼の寿命を書き換えられた。
†
美しい町が有りました。
美しい歌が響く町でした。
町の中心にある公園には、何時も人だかりができていて、その中心はいつも一人の少女でした。
歌は少女が歌っていました。
それは皆が知っている童謡や、古い流行歌ばかりです。
聞き飽きたようなそれは、しかし少女が歌うと人々を牽き付けるのです。
少女の声はそれほどまでに美しく、魅力的なのでした。
ある日の寺院に、その少女がやってきました。
神も彼女の歌が好きでありましたので、少しばかり興奮なされて、少女の前に現れました。
「お前は何を望んで此処にやって来た?」
芸事を好む神はそれを悟られまいとして、常時より増して険しい顔で、決まりの科白をおっしゃいました。
「私は歌を歌いたくないのです」
少女が申した事柄に神はその眉を御顰めになりました。
「人は私の歌しか見てくれない。人は私を見るといつだって、歌ってくれと言うばかり。私の価値はそれ以外になく、また、私が歌う度に私はそれを知ら強められるのです」
「ならば歌わねば良かろう」
「いいえ、人は、私の顔を見れば歌えと申します。私が歌いたくないと申し上げれば、何故だ、体調でも悪いのかと訊ねて来る。私には唯歌いたくないから歌わないと言う権利が無いのです」
「では、お前は私にどうしてほしいと望むのか?」
「人々に、私の歌を忘れさせてほしいのです。そうすれば、誰も私に歌えとは言ってこない」
「分かった。お前の望みを叶えよう」
少女が帰って行った後、神は「はぁ」と溜息を吐かれました。
少女が入って来た時、実は神は、この少女が帰る前に自分の為に歌を一曲歌ってもらおう、とお考えになっていたのです。出来る事ならばその歌に合わせて踊ってみたいとさえも。
もう二度と彼女の歌は聞けないのであろうかと、神は少女の願いを叶えた事を後悔すらなさっておいででした。
少女は身が軽くなったような気持ちで寺院を出、町中を走って行きました。
誰も少女に歌えと強いる事はありません。誰も彼女に目を留める事はありません。
誰も彼女の事を特別扱いしなくなって、彼女は普通の少女として見られるようになりました。
美しい街が有りました。
美しい歌の響く町でした。
町の中心にある公園には、何時も人だかりができていて、その中心はいつも一人の少女でした。
歌は少女が歌っていました。
†
神々の元に願いが届いた。人の世に現れた悪鬼を滅ぼしてくれと。破壊の力を持つ大神を始めとした、様々の神が戦いに挑んだが、悪鬼が疵付くことはなかった。悪鬼には、神にも人にも獣にもどんな丈夫にも殺されないという力が有った。
悪鬼が出たのだと教えられて、私はすぐに立ち上がりました。彼等と戦うのは私の唯一の楽しみであり、生甲斐であったのです。
神が私の部屋の前に来て、鍵を開けました。
「西の町だ。すでに何人か殺されている」
私は頷いて、翼を広げました。
私は人ではありません。神でも獣でもありません。
神にも人にも獣にもどんな丈夫にも殺せない悪鬼達を殺す為に神々が私を作りました。私は神々の力で作られた、人の知能を持ち、鳥の羽と犬の耳鼻、熊の怪力を持つ女です。
悪鬼と戦うための力はそれ以外のときにはあまりに強過ぎると、神々は普段私を小さな部屋に幽閉しています。そして悪鬼が現れた時、今のように私を解放するのです。
昔の英雄に仕えた、猿神と並ぶ速さで飛べる私はすぐにその現場に駆けつけました。
私に気付いた悪鬼はにやりと醜く広がった岩のような唇の端を持ち上げて、今までの玩具にしていた人間の体を後方へ投げました。
人間はぐにゃり、と軟らかく地面に叩きつけられました。
鎮魂や次なる生への祈りは私の役目ではありません。命の失われるのを悲しんだり、それに怒りを感じる事も。
ですから、私は只、地上に降り、悪鬼と向き合いました。
「私は貴方を殺すのです」
悪鬼は私の言葉を理解したのでしょうか、できるものならやってみろ、とでも言うように、大きな腕を振り回してこちらに向かって来ました。私はその左腕を、私の腕を数倍大きくする小手というには大き過ぎる小手に覆われた右手で捕まえました。
「このまま、握り潰してしまいましょうか」
私は右手に力を込めました。
悪鬼は自由の利く右腕で私の首を薙ごうとしました。
私は右手で悪鬼の左腕を潰し、引き千切るのと、彼の右手を払うのとを、偶然ですが、同時に行いました。彼の右腕は人間の関節とは反対の向きにぐにゃりと曲がりました。
私は右手の力を緩め、悪鬼の左腕だったものを投げると、そのまま手を伸ばして、彼の左目に親指を刺して、その状態で再び飛び上がりました。
破裂した眼球の入っていた頭蓋骨の穴を支点として、彼の巨躯を持ち上げたという事です。
流石に重くて、翼を動かすのが苦痛でした。左腕を失い、右腕も動かない状態でなお、彼は両の足を使って暴れました。ですが、彼がどんなに短い足を振り回したところで、私にはとても届きません。私も自分の足を彼の腹部に思いっきりぶつけてみました。足先がめり込んで、悪鬼は静かになりました。
ある程度の高さまで昇ったところで私は右手の力を抜きました。
悪鬼は彼が先に投げた人間と同じように、ぺちょりと地面に落ちました。
私は寺院へと引き返しました。
大神に何事もなく征伐を終えたと報告し終えると、いつもの通り小部屋に入れられました。
「ご苦労だった、アーカーシャ」
大神の腰巾着の七のリシの一人がそう言って扉を閉め、外から鍵を閉めました。
食事も排泄も休息も必要のない私の部屋は壁以外に何も無い空間です。
そしてそれは私自身とも共通するところが有りました。
暇を感じる事もなく、何もせずに時間の経過を待ちました。
そのうちまた部屋の前にリシがやって来て、鍵を開けました。
「アーカーシャ、大神がお呼びだ」
私は部屋を出て大神の元へ向かいます。
「ハルドワールに悪鬼が現れた」
ハルドワールは大神の聖地の一つ、御膝元と言ってもよい場所です。
「これを制圧しろ。数は四十余り。残された勢力が結集したと見える」
これまで戦いは一対一が基本でした。しかし私に不安は起らず、
「分かりました」
と了承して、飛び立ちました。
戦いはすぐに終わりました。
私が弓を持てば、一の矢が七の悪鬼の首を射ぬきました。
六の矢が尽きて、その時に残っていた悪鬼の数は二。先に向かってきた一体の首を掴んで、もう一方に向かって投げつけました。
二体の悪鬼はまるで肥えた蚊のように潰れました。
私はその死骸の一つを戦利品として持ったまま、立ち去りました。
寺院に帰ると、大神の元へと連れて行こうとするリシを振り払いました。何とも容易な事でした。
私は人がするように礼拝所へ入りました。寺院に住んでいるというのに、私がここに来るのは初めてのことでした。
私は、他に居た人間がするのを真似て、プージャーを行います。
水を差しだして、先程の悪鬼の死骸を供え、神に香油を注ぎました。
「どうか私に、戦うための敵を与えてください。私にしか殺せぬ悪鬼を再び野に放って下さい」
そして私はそう願いました。
†
空から駄目人間が降って来た。
寺院の屋根から落ちたようだ。
奇跡的に怪我は掠り傷のみだった。
見える範囲は。
医者にも診せたがやはり答えは同じだった。
私の家の私の寝台の上に気絶…というか、眠ってる。
何故降ってきたのか訊きたいんですけど…。
彼が目を覚ましたのは私が彼を拾ってから三日後の昼頃だった、らしい。
仕事に出かけて、夕方に帰ってきたら、目だけ開けてた。
「呆けてるの?」
って訊いたら、
「いや、何をしていいのか解らなかった」
と答えた。
やっぱり呆けてる。
「名前は?」
「マールカンデーヤ」
「何で降って来たの?」
「上に居た」
呆けてるとゆうか、惚けてるのか?こいつ。
「私は貴方の好みの女性ですか?」
冗談で訊いてみたら真顔で首を横に振られた。
御免なさい、貴方は私のど真ん中的中ですよ。
「そういう意味じゃなかった」
「別に良いけど、…で、いつ起きたの?」
「昼頃だった。暑くて寝苦しかった」
三日も寝ててよく言うことだ。
「そんで、それからずっと先刻みたいに眼見開いてぼっとしてたの?」
マールカンデーヤは頷いた。
はあ、と私は溜息をついた。
「んで、これからあんたどうする訳よ」
「此処にもう少し居ても良かった」
家主が許可してないでしょうが!何勝手に言ってんのよ。しかもなんだか上から目線だし…。
「寝具が一組しかない訳ですが」
「無いのは寝台だけだった。俺が此処に居る間お前は何処に寝てたんだよ?」
私が横の長椅子を指差すと、
「じゃあ、そこで寝れば良かっただろ」
とか言って来やがった。
居候が何、寝台占領予告出してんだ?
「あんたがあっちだからね!」
言ったらマールカンデーヤは怪訝な顔をして頷いた。それから長椅子に移ろうとした。
「っていうか、散々寝といて、また寝るの?起きて夕飯の支度位手伝え!」
強い香辛料で保存しておいた豆と芋と少量の鶏肉を乳酒で煮て御数にし、チャパティを食べた。
「ねえ、何で空から降って来たの?」
はぐらかされた質問が、気になり過ぎて訊きた過ぎて聞きた過ぎて、でも、問い詰めちゃいけない事かなって思って我慢するけど、頭ん中はいっぱいで、そんな感じで眠りに就いたら、夢にまで見た。
夢の中のマールカンデーヤは何やら答えてくれたんだけど、起きたら完全に忘れてた。
悔しい。いや、別にそれが正解かどうかは判らないっていうか、きっと確実に違うんだろうけど。
「何で生きてんのか解んなくなった。急に、つまんなくなったから、止めようと思って、飛び降りた」
寝起きの私にこんな言葉が飛んできた。
「寝言。ずーーーっとどうして、どうして、ってうっさかった。昨日答えたのじゃ満足してないみたいだったから」
や、あれで納得する人はいないだろうけどね。
「そんな事で死ぬんだ」
「失敗した。打ちどころが好ければ死んでたはずだった」
好ければ、ね。
「体が痛かっただけだった」
「何故あんたはそう、常に過去形で話すの?」
「何時が今で、何が今の事だか解らなかった」
やばい、こいつ本物だ。
「君は考えなかった?今は何処にあったか、自分は何の為に生きてたかって」
「私は進行形で生きてる、から。――そんなに、人生つまんない?」
こくり。
「思い通りにならないことばっかりで」
ぶんぶん。
「逆だった。何でも思い通りになった」
「何?あんた王様かむっちゃくちゃなお金持ち?」
ぶんぶんぶん。
「違かった。でも、そうもなれた」
意味が分からない。
「何で、それなのに死にたいの?」
「俺は俺じゃなかったから」
「何故?」
「神が願いを聞いてくれた。何でも」
ああ、と私は手を打った。
「あんた、一つっきりの願いを変な事に使っちゃったんだ。それで、別の事にしとけばよかったって、後悔してる」
ぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶん。
「何個でも、俺の望む限り叶えてくれた。代償も無しに」
「じゃあ、何故よ、何故死にたくなるのよ?」
問答に疲れて、夢みたいな話に羨ましくなって、苛々してる。
「欲しい物は実際に手に入ったら今までの魅力が消えた。自分が欲しい物を注文する人形のようになってた事に気付いた。神は暇潰しの為に俺の願いを叶えてるんじゃないかって思った。あいつらのために次の願いを考えるのが面倒になった」
「世の中には欲しい物、必要な物が手に入らない人もいるんだよ」
よく子供の私が物を粗末にした時に母さんが言ったような言葉を吐く。
「知ってた。俺がそうだった。死が目前にあった。だから神に願った。他にもそれで欲しかったもの、憬れてたものは全部手に入れた。でも、美味しい食べ物は、人の食べかすの腐りかかった芥と区別がつかなかった。只賢い子が欲しいとのみ考える親の代わりに、いきなり優しい人達が出てきて私達が貴方の両親ですって言われても、彼等は俺の願いから生まれた人達で、親なんかとは思えなかった。温かい家族を手に入れた俺は家出した。欲しい物が無くなったから、生きててもこれ以上良い事無いんだって思って、健康な体も捨てる事にした。自分の力で手に入れないと何も価値が無いのなら、死だけはそうしようと思った」
「でも、死ななかったのは、きっと神様がいけないって止めてるんだよ。マールカンデーヤにそれだけ力を使ってくれる神様だもん、マールカンデーヤを特別に思ってくれて…」
呆れた眼でマールカンデーヤは私を見た。
「本気で願えば誰の願いもを神は叶えた。他の奴等が気付いてないだけ。俺は何も特別なんかじゃなかった。もしも神が俺が死ぬのを止めたんだとしたら、願う人間が居なくなるとあいつらが暇になって困るってだけだった。――ああ…」
マールカンデーヤは天井を見上げた。
「こうしろっていうことだったのか」
言うなり形相を変えて、外へ駈け出した。私も追いかけるけど、こういうとき男には敵わないって思う。どんどん引き離される。
でも、走って行った方向には民家が幾つかの先に寺院が有る。会話の流れから其処に向かったのだろうと考えて、一心に私は走った。
「――神様、お願いします。痛みも苦痛も無く、俺を死に導いて下さい」
礼拝所に入った時、マールカンデーヤは膝を床に付けて顔の前で手を合わせていた。その言葉が終った次の瞬間マールカンデーヤはその場に崩れた。口を薄く開いたままだった。手は右と左がかろうじて触れている状態で投げ出されてた。
死んでた。
彼と話したのはたった一日にも満たない時間で、あいつは紛れもない駄目人間だったけど、私はマールカンデーヤに本気で惚れてたと思う。
そうじゃなくても人の死は悲しいし、止められなかったことを悔やむし、無かった事にしたい。
きっと、神様に願えばマールカンデーヤを生き返らせることは簡単に出来るんだろう。
あいつは怒るだろうけど。
でも、そうするのをやめた。
急に何だか面倒くさくなったからだ。
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一人の人間がやって参りました
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シヴァ神の神殿に集まる願いの物語。 インド? |
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