アルとナリア
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 深緑の森の中を貫いて細く伸びる道に、蛇が顔だけ突き出していた。

 人の背丈の倍ほどの、巨大な頭である。

「なんで会ってしまうかな……!」

少しばかり滑稽な光景であるが、それに出会ってしまった旅人らしい格好の青年にとっては生命の危機である。

彼は短く罵ると、なぜか後ろではなく、その蛇の方向へと駆け出した。

どうやらその蛇の前を突っ切り、そのまま逃げるつもりらしい。

護身用の剣や野宿するための装備、そして重く肩に食い込んでいるバックパック。

相当な負担が脚に掛かるが、道を外れて湿った暗闇を湛える森の中へ飛び込む事は、緩慢な自殺行為以外の何物でもない。

「早く帰らなきゃいけないのに……くそっ!」

必死で脚を動かし、一歩ごとに身体を前に進める。が、彼の意識は足元には無く、もっぱら背負ったバックパックに注がれていた。

――まるでその中に自分の命が入っているような――

それほど注意し、肩紐をしっかりと押さえている。

「ヴァララララララララララ!」

一方巨大な蛇は、目の前を横切って行った小さい餌に威嚇の声を上げた。臓腑を突き上げ、頭の中身をかき回すような騒音が彼を苛む。

その巨大な蛇は、モントラス・スネークと呼ばれていた。

その名の示すとおり怪物としか言い表しようのない巨大な体躯を持ち、顎関節の変形でその胴体より大きく開く口であらゆる動物を捕食する、森の生態系の頂点である。

ただし、天敵の居ない環境と一匹に必要なテリトリーの広さの所為か繁殖周期はかなり長く、数は多くない。

その青年が、相当に"ついて"いないのだった。

 

 怪物は体躯をうねらせて森から道に這い出て、午後のおやつを食べるべく青年を追い始めた。

尚も続く不快な鳴き声で軽い吐き気を催しながら、青年はちらりとそちらを見てみる。

そこには、衝撃的な……予想以上に衝撃的な光景が有った。

(荷馬車も通れる道だぞ、ここは……!)

焼き菓子を割るような勢いで敷石を破壊しながら、モントラス・スネークは突き進んでいたのだった。

あまりの巨体ゆえに特別速いという訳ではないが、旅の荷物を身に付けているために、青年の脚でも決定的に突き放すことが出来なかった。

今は少しずつ差を開かせているが、体力が無くなればやがては追いつかれるに違いない。

(どうする……どうする!?)

焦燥感が頭一杯に広がり、内心で自問する。

(戦うか……?)

一瞬そんな考えが浮かぶが、すぐさま、(勝てるわけが無い)と自答した。

多少剣の腕に覚えはあるが、相手が悪すぎる。

残念な事に、魔法の修練もしていないので活路を開くことは無理だろう。

(とにかく、一秒でも長く……)

――しかし、青年はその考えをすぐさま消し去った。

(一秒ではダメだ)

逃げ切らなければならないと、自分に強く課す。

(俺を待っている、人がいるんだ)

「俺は、帰らなきゃいけないんだよぉぉ!」

――村まで帰れれば、もう走れなくなってもいい。

――それまでもてば、命だっていらない。

激しく、怒りにも似たそんな感情が彼の中に沸き上がった途端、必死で身体を前に運ぶ脚に力が漲った。

後方の蛇の如く、敷石も踏み割れんばかりに、一層力強く道を踏みしめた。

――死ねない。絶対に死ぬわけには行かない!

そんな思いを、呪文の様に心の中で唱えて。

 

 そうして暫く走ると、湧き出るように道の向こうに人影が現れた。

天気としては晴れてはいるが、この森の所為だろうか、それほど遠くはないはずなのに姿がぼやけている。

「おーい! 主だ! 逃げて!」

走りながら切れ切れに青年はそう叫んだ。

モントラス・スネークの大きさから言えば、青年が見えるより早くモントラス・スネークが見え始めていたはずだが、その人影はむしろ足を止めてこちらを見ているようだ。

主……あまりに大きな蛇の姿を見て固まっているのだろうか。

首根っこを掴んで一緒に逃げてやる程青年はお人好しではないので、そのまま逃げないでいてくれれば"都合がいい"とすら考えながら、走った。

そして、果たしてその人影まで近付くと、大体の輪郭が見え始めた。

青年より少し背が高く、髪はシルバーブロンドの女性らしい。上半身の直線的なシルエットから、鎧でも着ているのだろうかと推測する。

「聞こえないんですか、逃げて!」

と、もう一度叫ぶが、彼女は微動だにしない。

或いは物取りか。そう考えつつ、盾代わりに装着している鉄のグローブを握り締めた。

また数歩分近付いてみると、彼女が何事かを呟いている事に気付く。

「……アーマン<水神>の水よ……冬の静けさよ……」

それは魔法詠唱だった。

口から出でて、人の声ではない、独特の耳障り。

修練を積んでいない青年でも、その位は分かる。

「……凍てつき砕けろ!」

避けて! と、詠唱の関係からか、彼女は撃った後になってから青年に警告した。

冷気で空気中の水分を氷結させて輝く、涙滴型の魔法弾が青年の顔面に向けて接近する。

(しょうが無いとは思うけど……!)

そう内語しつつ彼は斜めに跳び、盛大に腹や胸を草に擦り付けながら、寸での処で避けた。

詠唱に気付いていたお陰で反応が間に合い、かする事もしていなかったが、魔法の効果か恐怖か、それでもひんやりとした感覚が頬にある。

そして、そのまま飛んだ魔法弾は、「ぱしゃり」とか弱い音を立てて、大蛇の鼻先に命中した。

(あんな小さな魔法で大丈夫なのか?)

その着弾音は聞かなかったものの、怪しみながら彼は振り向くと、一瞬の後に響いた筆舌尽くしがたい叫び声がその問いに答えていた。

 当たったらしい箇所から急激に凍結して、けして早くないものの、確実なスピードで顔を凍らせてゆき、モントラス・スネークに耐え難い激痛を与えていた。

その叫び声はさっきの威嚇音と比べても、非常に大きい。

青年の鼓膜を、いや、身体をビリビリと振るわせ、一瞬考えることを無理矢理止めさせる。

そして、もう一度頭に考える力が戻ってきたのは、その叫びが突如として止まったからであった。

「……どうしたんだ?」

「喉まで凍った」

いぶかしむ独り言を疑問と捉えたらしい。変わった所といえば、左右の脚の配置程度だろうか。魔法を放った女性が青年の言葉に答えた。

 確かに、青年が見直してみると、凍結が顔全体を包み、胴にまで達していた。

「仕上げだ」

そう女性は呟くと、背負っていた長柄の鎚を手にし、叫んだまま哀れに凍り付いている蛇の顔まで跳躍した。

あまりの低温のため、筋肉が収縮する前に水分が凍りついてしまったらしい。発生した氷の微細な棘でずたずたになった蛇の身体組織は、彼女の鉄槌の一振りで砕け散った。

 遭遇と同様、あまりにもあっけない幕切れだった。

 

 青年と女性はさっきの場所から少しした所に開けた場所を発見し、今日の宿をそこに決め、とりあえず一休みしていた。

馬車ならば、この道は森を抜ける最短距離であるので、一日でこの森を抜けられるだろうが、人の足では一晩挟まなければ無理な相談だった。

二人で共同して、まだ日があるうちに夜の準備をする心積もりだ。

「私の名はナリア。ナリア=ベイリーだ。さっきはすまなかった」

ナリアは自分の放った魔法が危うく青年の顔に当たりそうだったことを謝り、ソーサルファイター……自然魔法も武器も扱える冒険者だと自己紹介をした。

「こちらこそ助けてもらってありがとうございました。俺はアレックス……苗字があるなんて凄いですね」

村で用心棒的なことをしてますが、人食い狼を倒すくらいがやっとで。と謙遜気味に青年も自己紹介をした。

「出身地の名を名乗ってるだけさ。それで、君が人食い狼程度? ふふ、嘘をつくな」

それを聞くなり、彼女はおかしそうに笑った。

「そこそこ遣えるのだろう?」

探るような眼でアルを見て、ハスキーな声でそう指摘した。

「いや、そんな……」

アルが口ごもるとナリアはそれ以上追求しようとはしなかったが、その反応に確信は得たようだ。

「まあ、後で他のこともゆっくり聞こうかな」

そう言って立ち上がると、彼女は荷物を広げ、調理器具を出した。

「アル、水を汲んできてくれ。あっちに川があるはずだ」

皮袋を三つ手渡され、アルは素直に水を汲みに行った。

 

 ナリアはその辺りの森に散らばる枯れ木を調達し、いつの間に回収していたのか、さっきモントラス・スネークが盛大に踏み割った敷石を円形に並べて、簡易かまどを製作した。

一度使うならばこれで十分だろう。

鍋の"座り"を見てから、ナリアは外した鍋の蓋をまな板にして、野草をそれぞれ半分ほどに裁断し鍋に入れ、先のモントラス・スネークから調達した肉を切った所で、アルが帰ってきた。

「この中に?」

ああ。とナリアが言い、アルは水を注いだ。

「火は?」

アルが尋ねる。確かに枯れ木は有っても、火打石も火口箱も無い。

「私の職業は?」

そう逆に問われ、なるほど。とアレックスは頷いた。

ナリアが指を鳴らした途端に炎が湧き上がり、たちまち枯れ木に火がついた。

「さて、秘密兵器を入れよう」

そう言うと、強い匂いを放つ丸薬を鍋に投入した。

「これは香辛料を出汁でこねて、固めたやつなんだ」

さっきの探るような笑みとは違う、稚気に満ちた笑顔だ。

基本的に料理が好きなようで、その説明する口ぶりは楽しそうである。

 そして、ひと煮立ちした鍋をお玉で混ぜつつ、暫くしたところで肉を入れた。

あとは蓋をして、待つだけである。

「さて、さっきの続きをしようか」

待つ間にな。と、ナリアは荷物をクッションに座り込んだ。

「君は、何を背負っているんだ?」

 

 くつくつとスープが煮える音が二人の間に響いた。

アル……アレックスは、言うべきか考えていた。

一人よりは二人の方が、野外泊には便利だから共にしているが、まだナリアを信用しきってはいないのだ。

荷物の如何によっては、彼女がそれを奪い取ろうと思わないと保証するものはない。

――彼が彼女に勝てないことは、もう既に証明されているも同然なのだから。

「……話したくないならいいのだが、逃げて来た時の君の顔には、なにかこう、鬼気迫るものを感じてな。

金が惜しいとか、命が惜しいとか、そんなレベルではなく、もっとなにか大きなものを背負っている様に見えたんだ」

しかし、そう疑心暗鬼に捉われるアルとは対照的に、ナリアは出会って以来の長いセリフを吐いて、心配そうに彼の方を見つめた。

――話してもいいだろうか。

――この心配そうな顔に、応えてみようか。

蛇から逃走していた時の堅い決意が、揺らいでしまう。

なぜならナリアは美しかった。

その瞳に見つめられて、頭の中身をかき回されてしまう。

「分かりました。命の恩人のあなたですから、正直に言いましょう」

蛇肉の臭みとスパイスの香りが混ざり、芳しい匂いを発生させ始めていた。

 

 「俺の村は、流行り病に侵されています」

アルはゆっくりと話し始めた。

「ヒーラーの治癒魔法では治せない、厄介なものです。

あなた程の冒険者ならご存知でしょうが、ナルガ<火神>熱病……火の神の名が付いてしまっているのはなんとも不信心ですが、媒介する生物がそういう名前だからしようがないですね。

……それで、この森を越えて街まで行き、薬を貰ったというわけです。

病に罹っていない中で、一番俺が適任だったので」

そこで一旦言葉を切ると、一つため息をつき、

「しかし、この熱病は他のところでも流行っているらしく、全員に回るかどうか……」

アルは悔しそうにそう言った。

その合間合間に、ナリアは頷いている。

「ですから、せめて有る分は全て届けられるようにと、必死で逃げられたんです。

蛇に殺される訳にも、人に奪われる訳にもいかないんです」

堅い決意を瞳に写し、

「あなたは、奪ったりしませんよね?」

とアルは言った。

「まさか、私はただの旅の者さ」

その言葉にナリアは落ち着いて返し、そして、意外な言葉を続けた。

「それより、もしかしたら、更に病がこじれる者がいるかもしれないぞ」

「……なんですって?」

突然切り返されたアルは、半ば睨むような形で聞き返した。

「患者の中に、その薬では完全に治らない者がいるかもしれない」

その非礼を咎める事無く、ナリアはそう言い換えた。

「……どうしてそう思うんです?」

ほんの少し黙りこくって、アルは改めて問うた。

薬が行き渡らないばかりか、治らない者がいるかもしれないと言われたのだ。

その理由を聞かないことには納得できないと、言葉の裏に篭めて。

 その言葉に、ナリアは簡潔な言葉で答えた。

「……私がそうだからさ」

と。

 

 「は?」

アレックスは、今日起こった様々な出来事の重なりで、未曾有の混乱に見舞われていた。

討伐のための部隊が願っても遭遇しないような怪物……モントラス・スネークに追われ、それをほぼ一瞬で倒す女性……ナリアと出会い、夕食を準備していたかと思えば、自分の目的を聞き出され、挙句の果てには今までの努力が水泡に帰すかもしれないと伝えられたのだ。

――しかも、その根拠は、彼女自身だという。

戸惑うなと言うのは無理な話だった。

「だって……元気そうじゃあないですか、あなた!」

ナルガ熱……アルの憎むべきその病は、焼け付く様な激しい高熱を出し、それが収まっても強い吐き気や節々の痛みで悶え、ベッドに縛り付けられる病気である。

高度な魔法を詠唱し、戦闘するなど出来るわけがない。

「ああ、だから問題なんだ。いつ死ぬか分からん。治療法を見つけるために旅をしているのだ。

……この症状は伝染らないらしいから安心してくれ」

ナルガ熱自体に罹らない様だから大丈夫か。と言う彼女に、嘘をついているような様子は微塵も無い。

しかし、そうすると新しい疑問が沸き起こった。

「なんでそんなことが分かったんですか? 新しい症状とか、伝染しない事とか……?」

語気を荒げても、焦っても何の解決も得ない事に気付き、アルは勤めて落ち着いて尋ねた。

「まあ、腕のいい治療師が……とでも」

だが、彼女が紡いだのは、一転して曖昧な言葉だった。

「とりあえず、君に付いて行かせてくれ。なんとなく、そうだと思ってたんだ」

そう言って、出来上がったスープを食べ始めた。

 

 「あとどれくらいなんだ?」

翌朝、日の出と共に二人は起き出し、旅の準備を整えていた。

謎は多いものの、旅は複数で往く方が良い。

方向が同じと言うのなら、尚更のことだ。

……そう納得させて、アルはナリアと行く事にしたのだった。

「昼を過ぎて一、二刻程で付くはずです」

大体の位置を地図で確認して、アルはそう言った。

早朝の、湿気を含みつつも爽やかな空気が、寝ても完全に取れない疲労感を癒してくれる。

「ふむ。じゃあ、行こうか」

と、ナリアも位置を確認して、先に歩くように促した。

ナリアの方が僅かに背が高いので、歩き出すと足音がずれて奇妙な旋律を奏でた。

「……荷物を少し持とうか?」

沈黙を嫌ってか、ナリアが口を開いた。

「いやいや、そんなこと頼めませんよ」

当然とばかりに断り、逆に聞き返す。

「それにしても、荷物が少ないですね」

薬が詰まっているとはいえ、アルのバックパックと比べるとナリアの荷物はかなり小さかった。

「長く旅することを考えるとな、逆にこうなるんだ」

その言葉に、なるほど。と何となくアルは納得した。

(村の用事で何度か旅をさせられたことが有るけど、全部行って戻るだけの、短いものだったなあ)

――もちろん、短いといっても苦労することには違わないのだが。

「用意しようとすれば持ちきれなくなるからね。

出来る限り現地調達。無ければ工夫する。

どうしても必要になった物は、適宜町で買うしかないから少し高くつくが、荷物が重くて逃げ損ねるよりはいい」

あ、別に君を責めているわけではないがね。とナリアは付け加えた。

 

 ぽつりぽつりと何でもない事を話しながら歩を進め、およそ二刻と半分程。

陽は高くなり、もうすぐ昼時という頃に、二人の視界は一気に開けた。

「久しぶりだな」

ナリアは懐かしそうに、目を細めながらぽつりと呟いた。

「来たことがあるんですか? この辺り」

同行する彼女の、今までの冒険歴が気になりながらアルは尋ねた。

「ん? うん。

一休みしてあそこで昼を食べようか」

アルの言葉に対して肯定の意だけを示し、先に有る大樹の陰を指差してそう提案した。

自分が懐かしんだ事を認識していない風だ。

「あ、はい」

アルはその提案賛成するが、今の懐かしそうな眼が懐かしい以上の何かを映していた様に見えて、心に引っかかる。

が、彼はそれを訊く程の事ではないと判断し、心に仕舞いこんだ。

「あとはもう一息ですね」

昼食の丸パンと干し肉を水で飲み下し、一息ついたアルはそう言った。

「いないといいんだけどな……」

どこで摘んできたのか、甘酸っぱい匂いのする実を食べながらナリアはそう言った。

「ステージ2と言ってたよ。この症状を」

そこまで聞いて、その発言の意図を理解する。

「きっと、きっと大丈夫ですよ」

むしろそれは願いなのだが、アルはそう答えていた。

村はあと少しだ。

 

説明
ファンタジー。
現在所属しているサークルにて連載中。
今年中くらいには終わらせたいなあ……
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タグ
異世界 ファンタジー 

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