アルとナリア二話
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 アレックスとナリアの二人が村へたどり着いたのは、そろそろ日の傾き始める頃だった。

「おお! アル! アルじゃないか! よく戻ってきてくれた。さあ、はやくキザキ先生のところへ」

村の入り口の小屋で見張りをしていた青年が、アレックスに気付くなりそう言った。見た目は精強で声も大きいものの、その声色には蓄積した疲労を伺わせている。

「エーベル、君は大丈夫か?」

それにアレックスも気づいたらしく、心配げに青年……エーベルにそう訊くが、「大丈夫さ。さあ、こっちだ」と簡潔に答え、彼はアレックスの先導をするように早足で歩き出した。

アルだ。アレックスだ。と、医院に向かう途中も村人達が口々にアレックスの帰還を喜ぶ声を上げる。

しかし、どの者にも疲労の色が見え隠れし、流行り病が村に与えた傷跡が見て取れる。

(村自体が疲弊している)

口には出さないものの、ナリアはそう考えながらアレックスの後に続いた。

小走りに近い速度で歩くエーベルが、アレックスの後ろのナリアに気付いた様子はない。

(それほど必死だと言うことか)と再びナリアは内語し、悲痛な思いが去来した。

そう大きい村でもないらしく、そうしているうちに目的の医院らしき建物が見えてきた。癒し手の象徴である光の属性を表す薄黄色に塗られた壁は、近付いてみるとそこここの塗料が剥げている。塗り重ねられた跡から見て、この村の歴史が見て取れるようだった。

「キザキ先生! アレックスが帰ってきました!」

両開きの扉を押し開けて、エーベルが小さく叫ぶようにそう報告した。

「静かにし給え」短く制する言葉とは裏腹に穏やかな声がそれに答える。

すみません。と恐縮する彼の後ろから、アレックスが改めて報告をするため進み出た。

「薬を手に入れて来ました。これを皆に」

と言いながら、時間が惜しいとばかりにアレックスはバックパックを慎重に、しかし出来る限り速く床に置くと、緩衝材の藁を掻き分けて三つの大きな薬の瓶をキザキに手渡した。

「ご苦労だったね。ありがとう」

「よくやった。よくやったぜェ。さすがアレックスだ」

エーベルはアレックスの肩を叩いて、涙を流して喜んでいた。対するアレックスも、知己の者同士であることを伺わせる様子でそれに応える。

にわかに、人の集まり始める気配がした。どうやらアレックスが戻ってきたことが広まり始めているらしい。

あの、先生。とアレックスは再び居住まいを正してキザキの方に向き直り、「妹は大丈夫ですか?」と興奮を押し殺すように尋ねた。

恐らく一番先に訊きたかったことだろうが、敢えて我慢していたらしい。彼の真剣な瞳が、何よりもそれが気がかりだと語っているようだった。

「立場上大丈夫だとは言えないが、今のところ熱は引き気味だし、身体の節々が痛いはずなのによく堪えてくれているよ」

アレックスは、治りますよね? と希望に満ちた目で確認すると、

「……癒し手の私がそういうことは言ってはならんのだろうが、きっと治す。君が命がけで運んでくれたものだからね」

その言葉を聞いて安心したアレックスは、ありがとうございますと一言呟き、張り詰めていたものが切れるように涙を流した。

「さあ、治療を始めるよ。心配だろうが、君は家に帰ってゆっくり休みなさい」

分かりましたと言う代わりにアレックスは頷き、目をこすりながら医院を出た。

扉を押し開けて医院の外に出た途端、「ありがとう。ありがとうねぇ」と泣きながら感謝の言葉を述べる村人に取り囲まれ、アレックスは改めて村の救世主として帰還を歓迎された。

そして、一通り感謝の言葉を言う村人の波が治まった後、エーベルがようやく気付いたとばかりにアレックスに問うた。

「ところで、その女の人は誰だい?」

 

 二人が村にたどり着き、一夜が明けた。

やはり疲れが出たのか、もう昼に近い時間になってからアレックスは目を覚まし、台所の酸っぱいリンゴをかじりつつそのままの格好で医院に足を運んだ。ナリアは隣のギィ婆さんという老女の家で昨夜は泊まったので、今彼女が何処に居るかは知るところではない。

目的のキザキは、入り口近くの長椅子で横になり、目を閉じて身体を休めていた。徹夜で診療をしていたのだろう。随分とくたびれた様子である。

「先生、起きてらっしゃいますか?」

経験から、仮眠を取っているわけではなく、目を休めているだけである場合を想定し、そう呼びかけてみる。

「ああ……お早う。目を休めるつもりが一寸眠っていたようだ」

そう言って体を起こすと、大きく伸びをしてから聞かれる前に話し出した。

「ほとんど皆の熱は引き始めているよ。残りも心配はないはずだ。薬が効いたらしい」

そうですか。よかった。とアレックスが胸をなでおろすと、

ナリア君は? そうキザキは訊いてきた。

「お隣のギィ小母さんのとこに泊まってもらいました。あそこは女所帯ですから」

あぁ、まだ合流していないのか。とキザキは頷くと、なんとなしに話し始めた。

「彼女の事なんだが、何処かで見た記憶があるんだ。まあ、頭の隅に留めておいてくれ給え」

はぁ。とアレックスは首肯するしかなかった。

どうやら朝のうちに一度会っているらしい。

「それとな、君の妹さんなのだが」

その疑問をアレックスが口にする暇無く、キザキは矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。

「ソノに何か有りましたか……!?」

その様子にアレックスは慌てるが、キザキは青年に与えてしまった誤解を正すべく、まあまあと抑えた。

「逆だ。早くも全快したと言っていい状態になっている。不思議なことにね」

その嬉しくも意外な事実に、え? とアレックスは呆気にとられ、どういうことかとキザキに聞き返そうとする。しかし、キザキが口を開く前に、「アル、ここに居るのか?」どこかで行き違いになったらしいナリアがアレックスの後ろからやってきた。

そしてナリアに気を取られているうちに、「あ、兄さん! お帰りなさい。ありがとう。もう治ったみたい!」今度は兄の声を聞きつけたらしい妹、ソノが履物も履かず、寝間着に裸足といった格好でやってきた。

アレックスより四つ五つ年が離れているだろうか。十三か四の見た目に似合わぬ稚気に満ちた様子で、兄さん兄さんと久しぶりに会うアレックスに彼女はじゃれていった。しかし、彼の後ろに居る見知らぬ女性に気付くと、あわてて離れて「兄さん、その人だあれ?」と尋ねた。

昨日から数えて何度目か分からない彼女の武勇伝を、アレックスは喜んで語った。

 

幕間

 美しくも凛々しい女戦士、ナリア=ベイリーは、アレックスの説明により快く村の者に受け入れられていた。

曰く、第二の救世主。

或いはアレックスの言葉によれば、真の救世主として。

「狭いけど辛抱してくださいねぇ」

ナリアは、ギィという老女達の暮らす家に泊まることとなっていた。

アレックスの親類は妹のソノ一人だけで、つまり彼女が医院にいるので、家にはアレックス一人と言う事になる。

親類でもないのに一つ屋根の下男一人女一人というのは道徳的に問題がある。そう言ったのはアレックス自身で、「世間の目がありますから」とナリアに言い、母親とも祖母とも慕う隣家のギィ達に頼んだのであった。

「いやぁ、ばあさんの私も惚れ惚れするような別嬪さんだねぇ」

ギィの同居人の一人であるジルがそう言って朗らかに笑った。もう一人の同居人のシェナもそれに合わせて笑い、「何を言ってるんだか」とギィも苦笑いしている。

女性ばかり三人で暮らしているからか、その家の空気は独特のものがある。ギィが年長で、ジルは一回り若い。と言っても、二人とも同様に婆様と村の者達から尊敬をもって接せられているようだ。

そしてシェナはジルよりもう一回り若く、家の中で主な家事を受け持っていた。

と言っても、家政婦のような仕事をするために居る訳ではなく、やはり彼女も何か暗い過去があるらしい。

ナリアは断片的にそう聞いていた。

三人が三人とも理由あって独り身であり、けして明るいことばかりでない過去を背負っているはずなのだ。それにも関わらずその暗さを微塵も感じさせない姿に、ナリアは感銘をすら受けていた。

(強い人たちだ)ほんの僅かのい間だけの付き合いだとしても、ナリアは確実に影響を受けていた。

そして夕食の後は一番に湯を頂き、並んだベッドの端で枕を貸してもらった。

翌朝。

「……ん……」とナリアはくぐもった声を出し、布団の上で寝ていることを思い出す。まどろむ意識は、鼻が探知した匂いで覚醒させられた。

「寝坊した……!」

その匂いは、朝食の準備の匂い。

彼女は想像以上に気を抜いてしまったらしい。跳ね起きるようにベッドから抜け出すと、急いで台所に向かった。

「あぁ、おはようナリアさん。よく眠れました?」

ベーコンの盛られた皿を持つシェナがナリアにそう声をかけた。他の二人もテーブルをセッティングして席についている。

「すみません。何もかもして頂いて」いそいそとナリアも席に着くと、「いやいや、お客さんなんだからいいのいいの!」とジルが言い放った。

それに 対して「そうそう。ジルなんかはこの家の一員なのに、いつも食べてばかりでこんな具合なんだからねぇ」ギィがいじわる気にそう言うと、それは言わないでおくれよとジルは困ったように笑った。

そうして賑やかな朝は過ぎていった。

 

 「つまり、この人のおかげでお兄ちゃんはここにいるわけなの?」

アレックスが一通りの事情を話し終えると、ソノはそう合点して、「ありがとうございます」とナリアに丁寧に頭を下げた。

「まさかと思いましたけど、そんなまさかでしたね」彼女は兄の方をちらりと見て、イタズラっぽい笑みを浮かべてそう言った。

「そ、そんなわけないだろう」

魅入られてしまった一昨日の夜のことがあるからか、少し戸惑い気味にアレックスは否定する。しかしソノは、そんな兄の事は無視して、今度はキザキに向き直り話し始めた。

「ところで先生、もう、こんなに元気ですから、うちに帰っちゃいけませんか?」

「ううむ、しかしなぁ」

どうやら、体調が良くなったから早く兄との家に帰りたいと言うことらしい。確かにアレックスはその姿を見て、むしろ前より元気な位だと苦笑した。

(なんだか最近は昔のお転婆がなりを潜めていたからなぁ)

そう思うと、改めて自分が届けた、届けられたものを思ってアレックスは嬉しくなった。

しかし、その時である。

「ちょっと待ってください。彼女は昨日薬を打って、もう快復したと言うのですか?」

和やかな雰囲気を眺めていたナリアは、そこに割って入って、慌てた様子でキザキにそう確認する。

その勢いに驚きながらも、表面上は微動だにせずキザキは答えた。

「ああ、そうだ。もしかして、彼女が?」

ナリアはステージ2……懸念していた極稀に起こる病の変異についてキザキに話していたらしい。その事に思い至った彼も急激に顔を険しくさせた。

「まだ決まりと言うわけでは。……ソノさん、ちょっとこっちへ」アレックスも話の向きを飲み込み始め、唯一事情がわからず戸惑うソノを促し、ナリアの方へ妹を押し遣る。そのままナリアがソノの背後に回り込み、

「首筋……髪を上げるよ?」そう言うと肩口辺りで整えられた髪を持ち上げ、首筋……背骨の突起が緩やかに盛り上がる首の付け根付近を確認すると、暫くして残念そうに言った。

「ステージ2の証がある。……なんてことだ。発症している」

未だ話の飲み込めないソノは、突如として訪れた周りの陰鬱な沈黙に戸惑いの度合いを深めるばかりであった。

兄と再会した浮かれた喜びは。既にどこかに行ってしまっていた。

 

 「もう快復した人他にいないか、調べて下さいますか」

まずナリアはキザキにそう頼んでから、自身はソノに向き直った。

ソノはいつの間にかサンダルを履き、アレックスがどこかからか持ってきた上着を羽織っていた。

「どういうことですか? 何が起きているんですか?」

戻ってきたナリアが話し始める前に、ソノは畳み掛けるようにそう訊く。

「落ち着いて。落ち着いて聞いて欲しい。

君の病気は、違うモノに変化した」

戸惑うソノに対し、極力落ち着いた口調でそう話し始めた。

同じ説明を、以前にもしたのかもしれない。

自然とうつむき加減になるナリアの姿を見て、アレックスはそう思った。

「熱も痛みも無くなったが、君の身体の中にはまったく違う変化がおきている。そのアザが進行し、首を一回りして首飾りのような形になると、内側から君の身体は灼かれ、命を落とす」

全てを包み隠さず話す事にしたらしい。ショッキングな内容だが、はぐらかされるより伝えたほうがベターだとナリアは見込んだらしく、手鏡と姿見を組み合わして彼女にそのアザを示した。

ちなみに、具体的な”結末”を知るのはアレックスも同じ事で、「その、アザはどういうことがきっかけで成長するんですか?」直接そのアザを確認し、横合いからナリアにアレックスは尋ねた。

「分からない。進行する理由も分からず、速度も個人差が大きくて一定しないんだ」

一昨日に『いつ死ぬかわからない』と言ったろう? とナリアはアレックスに説明する。

「そんな、何でそんなことが……」

まるで呪いじゃないですか。ソノは吐き出す様に呟き、暫くの間沈黙が三人を支配した。

ソノがまだ落ち着いていられるのは、唯一の肉親であるアレックスが傍に居るからか。

そのアレックスも、よりによってステージ2の罹患者が自分の妹だと言う事に大きく動揺し、ソノとナリアの二人をそわそわと交互に見ていた。

ナリアはしばらく真下を見ていたかと思うと、

「私はこの病気……いや、呪いの治し方を探している」

独り言の様にそう言い、顔を上げた。

「二人とも、暫く私について来ないか?」

「え?」

話の飛躍に思わず聞き返したのはアレックス。

彼はごくりと息を飲み込み、

「直す方法を探しに行くのなら、もちろん僕は行きます。ソノのためならどこまでも行く積もりです。でもなんでソノまで……?」

その疑問の言葉を聴き、ナリアは性急になっていたことを恥じるように、改めて説明をし始めた。

「ああ、すまない。説明をしないと納得できないね。もちろん大陸の果てまで連れまわすような真似はしない。そもそもこの地方に来たのは、ここから西にある街に行くためだったんだ」

「西の……モルデンですか?」

薬を手に入れてきた街とは反対側の街である。

東の街に比べれば距離は半分ほどで規模も僅かに大きいが、あまり縁がなくアレックスは行った事がない。

「ああ、その街にこの呪いを解ける人物が居る可能性がある。私の予想が当たれば治療できるはずなのだが、今の状態でその人をここまで連れてくるのは難しい。だから……」

「ソノの方を連れて行く。というわけですか」

最後を引き継いだアレックスの言葉に、その通りだ。とナリアは頷く。

「今の状態……というのはどう言う事なんですか?」

しかしソノが率直にそう訊くと、ナリアはしばし黙り込み、

「……すまない。彼に危害が及ぶ可能性がある。としか言いようがない」

と言葉を濁した。

「とても信用出来ないとは思うが、どうか信じて付いてきてくれないだろうか」

曖昧な言葉を払拭するように、ナリアは懇願するような言葉を二人に投げかけ、その証とばかりに二人の前に跪いて誠意を示した。

なぜかその瞬間、この世の全てが静止したような静けさが辺りを包んだ。

 いや、それは彼女を見つめるアレックスにだけ訪れたのかもしれない。

助ける側のナリアが頼むという奇妙で予想外の状態のために、アレックスは失語したように言葉が発せずにいた。

(大丈夫なのか? ソノを連れ出して……ただでさえ旅は危険だというのに。大丈夫なのか?)

そう自問し続けるアレックスを、ソノが袖を引っ張って覚醒させた。

何も言わず、ソノはこくりと頷く。覚悟を秘めた金剛石のような瞳が、兄を見つめる。

アレックスは決心した。ソノも決心した。

「私は、兄さんについていきます」

「信じるも何も、頼みの綱はナリアさんだけですから」

二人が同時にそう言うと、ナリアは立ち上がって言った。

「ありがとう。絶対に君たちを護る」

再び旅が始まる。

 

説明
第二話。
少し話の全体像が明らかに?
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