coffee please |
手袋を忘れたと気付いたのは、寒さに耐えきれず駆けだした時だった。
花陽は、はっとして立ち止まり、一度家の方を振り返る。すでに見えない自宅と時計とを見比べ、諦めてまた歩き出した。
今日はやけに寒いと思ってはいたのだ。しかし晴れたら朝練、という連絡があったのを忘れて、いつもどおりの時間に起きてしまった。あわてて支度をし、ごはんも食べずに家を出たというのに、忘れ物をして遅れたのでは割に合わない。
鞄から、母親が作ってくれたおにぎりを取り出して、食べる。歩きながら食事なんて行儀が悪い、と分かっていても、お腹の虫を黙らせなければ恥ずかしくて死んでしまう。いつもより早く咀嚼して飲み込む。でもこれがハンバーガーやクレープなら、多分きっと許される行為なのだから、おにぎりだって胸を張っていいはずだ。もとより人通りのほとんどない早朝の通学路で、気に病むことはなかったかもしれない。
一息つくと、やはり素手をひっかいていくような冷たい風を恨めしく思い出す。さっきまでは走れば寒さも消し飛ぶだろうと思っていたが、食べた直後だとその気も起きない。おそらく玄関先で靴を履くとき横に置いたであろう、その毛糸の手袋を思い浮かべ、ため息をついた。
花陽は後ろめたい気持ちを抱えたまま、コートのポケットに手を入れた。
子供の頃に散々だめだと言われたからだろうか、その行為はとても悪いことのように思えてならなかった。今でもよく転ぶのだから、危険な振る舞いには違いない。こんなことは不良のすることだという小さい頃の感覚が鮮明に蘇ってくる。
それに両手をポケットに入れたまま歩くというのは、とても歩きづらかった。不良とは歩きづらい存在なのだろう。しかしそれも繰り返していれば慣れてしまうはずだ。
朝から自分がとんでもないワルモノへと変わってしまったようで、花陽は少し悲しくなる。その辛い気持ちから逃げるように、結局走り出してしまった。
少し脇腹を痛くしながら朝練の場所へとたどり着き、それから放課後の練習を終えて帰るまで、手袋の存在は忘れていた。
帰り道は、真姫とふたりきりだ。みんな気を遣って、そうしてくれている。
「なんかわざとらしいのよね」
下校間際になると、ふたりをよそに小芝居が始まり、最終的に花陽たちが先に学校を出ることになる。今日は凛が「あーそうだった今日は海未ちゃんたちに宿題を見てもらう約束をしてたんだー」と感情のこもっていない台詞を残し、どこかへ消えた。それを見ていた真姫の冷え切った目は、あきれて物も言えない状態を体現していた。
「でもおかげでこうしてふたりきりで帰れるんだし、ね?」
「それは分かってるけど」
あれは秋の終わりだったか、真姫がみんなにカミングアウトをしたのだ。一応の相談はあったが、花陽は答えを真姫にゆだねた。結果、彼女は皆に自分たちが付き合ってると告白し、それ以来生暖かい気遣いがふたりの周りに生まれている。
そのとき、「隠し事って性に合わないのよ」と言った真姫の目を、花陽は忘れられずにいた。真剣に全員のことを思っているからこそ、あんな辛そうな表情をしていたのだ。もしかしたらふたり揃って、敬遠されるようになるかもしれなかったのに、真姫の正義はそれを許さなかった。
「何かあったら、私が守るから」
そう言って花陽の手を取った真姫は、少し震えていた。こんなに素敵な人を恋人にしている自分は、分不相応な幸せ者だと今も思っている。
「寒いし、コンビニでコーヒー買って帰りましょ」
その程度の寄り道ならば、お互いに問題は無かった。
通り道にあるコンビニに入り、レジでコーヒーをふたつ頼む。店先でそれをゆっくり飲んだ。
「あ、お金」
「別にいいわよ。百五十円くらい」
財布からぴったり出して、突きつけたものの、押し返される。
「ダメだよ、こういうのちゃんとしないと」
「……はぁ、今ならよくドラマとかで色々おごってる男の気持ちが分かるわ」
花陽に小銭を握らされた真姫は、諦めてそれを財布にしまった。
「だってたった百五十円で、あなたの気持ちを少しでも手に入れられるなら、安すぎるものね」
「そんなことしなくたって、真姫ちゃんのこと好きなのに」
「私の問題よ、あるでしょ、そういうの」
自分が好きな気持ちは自覚できても、相手に好かれている気持ちは認識しづらい。だから自分から好きだと言わなくても、彼女には言って欲しいのだから始末が悪い。花陽にもその気持ちはよく分かった。今でも時々、なぜ真姫が自分を好きでいるのか不思議になる。
空になったカップをゴミ箱に捨て、ふたりはコンビニを後にする。ポケットから手袋を出しながら真姫は、ふと花陽の手を見た。
「ん? そういえば手袋は?」
めざとく指摘されて、思い出す。
「あ、家に忘れてきちゃって」
「この冬一番の寒さだって日に、忘れる、普通?」
「だって、寝坊しちゃったから……」
「はぁ……仕方ないわね」
あきれつつも、真姫は左手の手袋を取ると、花陽に渡した。
「はい。こっちつけて」
有無を言わせぬ態度に、素直に従う。
「右手は、こっち」
そして真姫は花陽の右手を握ると、自分のコートのポケットへと導いた。
「これなら暖かいでしょ」
「──うん」
密着する肩は、コート越しでも温もりを感じる。
横目に彼女をのぞき込むと、少し恥ずかしそうに口をへの字に結んで、真正面をじっと見ていた。
花陽は思う。やはり真姫は自分の王子様だと。
「真姫ちゃんって、王子様みたい」
「なにそれ」
口に出してしまう。言わずにはいられなかったのだ。
「だって、すごくカッコイイから」
「別に、そんなかっこよくないわよ、こんなの」
そう謙遜する彼女は、なぜだか悲しそうに見えた。
「あ、真姫ちゃんはお姫様だもんね」
「そんなの、どっちでもいいわ。あなたが王子様なら、私はお姫様になるし」
真姫は繋いだ手をもう一度しっかり握りなおす。
「でも花陽は私のお姫様よ。王子になんてなれてるか分からないけど、結構頑張ってはいるから、その──」
立ち止まった真姫につられて、花陽も足を止める。葉を落とした街路樹が、ふたりを街灯の影に閉じこめていた。
「真姫ちゃん?」
言葉を失ってうつむく彼女を、不安そうに見つめる。
「ダメ、こんなのかっこわるいわ。行くわよ花陽」
「えっちょっと待って」
引きずられるようにして横へ並んだ。
「ご褒美にキスして、とか言いかけちゃったわ、バカみたい」
「え、そんなことなら」
「ダメなの。かっこわるいでしょ。するなら堂々しなきゃ」
お姫様じゃないんだから、と言う真姫に、なら自分がと口を開きかけて、にらまれた。マフラーを口元まで引き上げた真姫は、黙々と歩く。花陽も黙ってそれに並んでついて行った。
今の真姫は、破格のかっこよさだと、彼女は思う。でもそれは黙っておこうと決めた。その代わりに言うべき言葉がある。
「好きだよ」
そして真姫の手を強く握る。真姫もそれに答え、そっと絡める腕を引き寄せた。
「……私、好きよ」
少し躓き、真姫の体へとよろめく。彼女はそれを肩で受け止め、何事もなかったかのようにふたりは歩き続けた。
この半分だけの不良を、いつの日か慣れてしまえるなら、ずっと手袋を忘れ続けてもいいかもしれない、と花陽は思う。
左手にはめた王子様の温もりは、麻薬だ。耳を澄ませば愛のささやきが聞こえてくる。その手袋を頬に当てて、微笑んだ。冬の寒さに心の中で感謝をする。
「何にやついてるのよ」
「真姫ちゃんこそ」
お互いに、同じことを考えている心の内が読める。その照れ笑いが何よりの証拠だ。
ふたりの家の分かれ道まで、まだ少しある。今日は最後まで送っていこうかと、どこで言い出そうか考えながら、ふたりは歩幅を合わせてゆっくりとそこへ向かっていく。
<了>
説明 | ||
最近60分でイラストを描くのが流行っているようなので、SSでやれるのかなと思ってチャレンジしたまきぱなです。 結果は約1時間45分という体たらく。詰まってる時間が長すぎました。 タイトルは今コーヒーが飲みたくて仕方ないので。 |
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西木野真姫 小泉花陽 まきぱな ラブライブ! | ||
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