あの日の笑顔、熊の咆哮<後> |
生まれてすぐ、母親は死んだ。
母は元々貧しい家の者で、その白い髪と赤い目で随分と周りの者に迫害されていたらしい。
ここいらの地域では、幼い頃に赤い目を見ると呪われるとされていたから。
そんな母親と、ある日ひょんなことで出会った父は当時の当主様に何度も頭を下げ、結婚まで至ったらしい。
そして自分を生んだ、だが元々体が弱かった母は、それに耐えることができずに、力尽きたらしい。
その話を父親から聞かされたのは7歳の時だった。
自分が何の為に生まれたのかも聞かされた。
自分が「石ころ」だとも、言われた。
その日から毎日護るためだけの技術を叩きこまれた。
基本的な格闘術も棒術も、毒への耐性もつけさせられた。
苦痛には感じなかった、それが必要なことだとわかっていたから。
それが毎日続いて、13歳になった時、まず当主様と会い、五年間口をきかないこと、目隠しをすること、石らしく生きる事、そして自分にとっての主をただ護り続けろと命じられた。
ただ「はい」とだけ答えた。
父と最後になるであろう会話をした後、目を布で覆い、自分の主と初めて対面した。
その時彼女は7歳だった。
まだ幼いとは聞いていたが、本当に何も知らないような無垢な顔をしていた。
彼女は五年間口を開かない事実を聞いた途端にとても悲しそうな顔をした。
気付けば口が開いていた、しまったと思ったが彼女は嬉しそうに笑った、そして一方的に約束してきた。
「私の熊染」
その名はまだ自分の名ではないのに、とても嬉しかった。
そこから五年間、石として当然の扱いを受けた。
主様の父上様が食事をくれた、ありがたいことにわざわざ地面に投げてくれた。
体の洗い方も教えて下さった、そのまま川に入ればいいらしい。
たまに蹴られたりしたが「石だろ?お前」と言われて成程たしかにそうだと思った。
主様も良くしてくれた。
もう話しかけないでください、と言った筈なのに、彼女は飽きもしないで毎日話しかけてくれた。
何の取り留めもない話だった。
だが石ころに話すにしては少し豪華すぎやしないか、と思った。
話している間彼女はずっと笑顔だった。
布で視界を覆っているから、暗い筈なのに、彼女の笑顔は眩しく見えた。
石であっても、彼女を護るための最低限のことはした。
時々屋敷内に何かが投げられてくることがあった。近所の子供のいたずららしい。
自分がしたことはそれらを主から避けさせ、大きな岩を投げ返した。以来何も投げられてこなくなった。
そして五年経った。
主様の母上様が指示をだしてぼさぼさにのびた髪は整えられた、ボロボロになっていた服も新しいものに変えられた。
その優しさは今まで感じたことのなかったものだった。有難さで体が震えてしまった。
主様は13歳になっていた。
主様は声を聞いた途端に笑った。
これまでよりもいっそう眩しく、笑ってくれた。
◆◆◆
「それで、熊染。目隠しはとらないん?」
話せるようになった途端に彼女、熊染の主である奏匡院入鹿は顔をずいとよせて尋ねた。
熊染と呼ばれた彼女よりも随分背が大きい男は、彼女と目線をあわせるように片膝を地面についた。
「………オイの目隠しは…当主様からの…命じゃき…こいばかりは…」
五年間口を開かなかったせいで言葉を言いにくいのか途切れ途切れに、特徴的な安芸弁で答える。
「じゃあいつになったら目隠しとるん」
「……………主様が、当主様になりゃぁ……えぇんじゃ……あるまぁか……」
「成程!で、私っていつ当主になれるん」
「………齢が…18になられた…とき…じゃと……思いますけぇの……」
「えっ、じゃあ今から…五年?……また五年待つのかぁ…」
貴方が当主になる理由は自分のことしかないのだろうか、熊染は心の中でそう呟いた。
どうにも当主になるという自覚が少ない気がする。自身がいかに価値のある人間かをわかっていない気がする。
だからこそ自分が護らねば。また深くそう思った熊染であった。
熊染が石と扱われていたとき、彼は入鹿のそばから離れることは許されていなかった。
だが人間として扱われて以降、少しばかり離れることは許されるようになった。
熊染は今入鹿のそばを離れていた。
辺りは暗く、月と星が空の中でただ輝いていた。子の刻である。
彼は新しくもらった自分の身の丈をゆうにこえる6尺あまりの棒を握っていた。
当主様が護衛の時に使えと与えてくれたものだった。
棒術は幼いころ父から教わっていたが五年間握ってもいなかったのだ、正直なまっていてもおかしくない。
そうして熊染はあたりが明るくなるまで棒を振り回した。
全てはあの眩しい笑顔を護るために……。
◆◆◆
熊染という名を貰ってから一週間あまりが経った。
「なぁ、名前はないん?」
また唐突に彼女は熊染に尋ねた。
「………熊染…じ「そうじゃなくて!」
自分の名を答えようとしたのに遮られて首を傾げる。
その動作に少し呆れながら入鹿は再び尋ねた。
「そうじゃなくて、名前、下の名前! 熊染って名字でしょう?名前ないの?」
「あぁ………」
「名……は…当主様から…与えられるんじゃ……」
「えっ?じゃあ母様からもらったの?なんて?」
「いや……現当主様は…主様から…名ぁもらえ…と…」
「…!!」
嬉しそうに顔をあげた。
「本当?じゃあ私が当主になったら熊染の名前決めていいん?」
「………」
黙ってうなずく。
「本当?本当に? ふふ、やった!また当主になった時の楽しみが増えた!」
目を輝かせながら大きく笑った。
「ふふ〜ん今から考えとこ〜、どんな名前にしようかな……」
「………」
彼女につけられるならどんな名前でも構わないと、熊染は思った。
入鹿が外へ行きたいと言ってきた、彼女はこれまで外へ行ったことがあっても自由が許されておらず、退屈だった。と文句をたらしていた。
熊染が一緒なら構わないと当主の許しをもらい、彼女は熊染と共に近くの市場へとでかけた。
市場は人で賑わい、活気であふれていた。入鹿はそれが初めて見た光景のようできゃぴきゃぴと小走りしながら市場をすすんでいった。熊染はただそんな彼女の後ろをついていった。
「すごい!すごいね!こんなたくさん人がいるなんて!ふふっ色んなものがたくさんある!」
「…………」
はしゃぐ入鹿をよそに、熊染はひたと周りの殺気を感じていた。
はたから見れば豪華な服を着た幼い女子と、身の丈を超える棒を担いだ大男だ、不審にだって思うだろう。だが市場にいる一部の人間は不審に思うだけではなく、妬ましさを彼女らに感じていた。
その妬ましさの視線を熊染は殺気に感じていた。
「あ!あそこん店服売っとるって!ちょぉ行ってくるね!」
「………おう」
店の前に綺麗な服がたくさん並べられているのを見て入鹿は呉服屋へと走って向かった。
熊染は入鹿が走って行ったあとゆっくりと彼女が向かった呉服屋へと進み、中で彼女が店の男と仲良く話しているのを見届けてから店の外に立ち、周りの人間へと視線を向けた。
明らかに好意の目ではなかった。どう見ても敵視してきている。
「………」
熊染は攻撃されるまで自分から攻撃する気はないが、入鹿の前である、なるべく野蛮なことは見せたくなかった。
そして熊染は目隠しをとった。
彼が目隠しを命じられているのは入鹿の前だけだ、今入鹿は呉服屋の中で楽しそうに品物を見ている。目隠しを外しても入鹿は気付かないだろう。
目隠しをとったその状態で、熊染は再び周りの人間へと視線を向けた。
「ひっ………」
「何だあの目……」
「………」
今までこちらに訝しい視線を送ってきた人間たちが、熊染と目が合った途端に小さな悲鳴をあげ、そそくさとその場を離れて行った。
熊染が周りを見渡し終わった頃には、呉服屋の周りから人は消えていた。
「………」
彼らの反応は予想通りであったが、何もあそこまで怖がらなくても…。
自分からやった行為ながら少し傷つきながら熊染はまた目隠しを自分へと施した。
「お待たせ〜…ってあれ?何か人少なくなったね」
「………」
手に赤紫の着物をもちながら呉服屋の中からでてきた入鹿は先ほどまで熊染が目隠しを外していたなんて知りもせず、彼に首を傾げた。
「あっ、はいこれ!熊染に!」
「………?」
「あぁほら屈んで!」
何の事だと首を傾げる熊染に屈めと要求し、膝をついた熊染の頭に持っていた赤紫の着物をかけた。
「ほら!やっぱり! 熊染にはこの色が似合うと思った!」
きょとんと顔をあげる熊染に笑顔で飛びつく。
「…?オイに……か…?」
「うん!似合ってるよ!」
「そ……こ、こがぁなこつ……当主様に……怒られ…っと…」
「もうっ、熊染は私の贈り物が受け取れん言うんか?」
「い、いや………」
そりゃあ貴方からの贈り物なんてとても嬉しいですが、ですが自分みたいな人間のためにわざわざこんなことは。
言おうとした言葉は頬を膨らませて睨んでくる入鹿相手には中々言えるものではなく、熊染はただ黙って顔を俯けさせた。
それをどう受け取ったのか、入鹿はまた笑って熊染に抱き着くのだった。
屋敷に戻った後、熊染は当主にその赤紫の着物は何だと聞かれた。主様に貰ったものですと答え、何か言われるかと思ったが、ただ「そう」とだけ言われた。
その時当主が笑っていたとは、熊染も入鹿も気付かなかった。
◆◆◆
そうして二年が過ぎた。
「あっ!ほらあっち!何か湖っぽいの見える!」
「あ……主様…そがぁにずいずい行かんといてつかぁさい…危険じゃき……!」
「なに言ってるの大丈夫大丈夫…てうわっ」
「っ!」
「えへへ、冗談冗談、もう心配しすぎだよ…」
「……主様が怪我してしもたら……オイは…」
「わかってるよも〜、はいはいゆっくり行けばいいんしょ!」
入鹿と熊染は今山道を二人で歩いていた。
季節が夏のせいか周りは緑が生い茂って蝉の鳴き声が幾つも聞こえる。
山道の向こうにある里のとある人物に会いに行ってこいと当主から命を受けたのだ。
しかも入鹿と熊染と、二人だけで行けとのことだった。
入鹿は籠などを使っていくのが苦手だったので喜んで山に入った。熊染はといえば、何故当主様がそのような指示を出されたのか理解できぬまま黙って入鹿へとついて行った。
(山道の奥に里なんてあったのじゃろか…、ここいらは山賊もおらんし安全じゃとは思うが…なして…)
「………」
物思いにふけていた熊染は草のこすれる音に反応し、うつむけていた顔を上げる。
「?どうしたの?」
「いや……」
入鹿のそばにたちながら音のした方へ視線を向ける。
がさがさと何かが暴れる音が今度は確かに聞こえた。
「えっ何?蛇?」
蛇ならまだ良いが…。
警戒しながら音のする方へと近づく熊染、だがそこにいたのは蛇などではなく……。
キュゥ…。
「狸……?」
「えっなに狸?」
猟師か誰かが仕掛けたのであろう罠に小さな狸がかかっていた。
何とか罠を解こうとしているが余計に罠に絡み抜け出せなくなっていた。
熊染と入鹿の存在に気付いた子狸は怯えた表情で彼ら二人を見た。
「………」
熊染は黙って子狸の方へと手を伸ばす、何をされるのかと怯えた子狸は少しびくっと体を震わせた。だが、熊染が手を伸ばしたのは罠の方だった。
少し金具がこすれる音がしたあと、子狸は罠から解放された。
「……もう……捕まっちゃいけんぞ……」
そして熊染は懐から白い包帯を取り出して、子狸の足へと巻き付けた。罠のせいで痛々しく腫れ上がっていたのだ。先ほどまで震えていた子狸は今度はおとなしくしていた。
罠から解かれ、手当てまでしてもらった子狸は少しの間熊染と入鹿を見上げ、まるでお礼を言うかのように頭を下げて木々の向こうへと消えて行った。
「………」
「逃がして良かったの?」
「……ここいらん山は当主様が狩猟を禁じとる…あん狸は逃げてもえぇんじゃ…」
「ふぅん…でもなんか新鮮だな」
「?…何がじゃ…?」
「熊染っていつも命令されてから行動してたから、自分からあの狸助けて、何かそういうこともできるんだって思って」
「ほう…じゃったか…?」
確かに熊染は『主を護る』という事に関さなければ自分から事をすることは無かった。
いつも当主様か主様から命令があってから、動いていた。
「別に良いんだよ、それは人間として当たり前の行動なんだから。熊染は何故だか自己主張しない傾向があるから、私としては熊染のそういう行動は、とても嬉しい」
そうして入鹿はまたいつものように笑った。
山道をそのまま進んで行ったら当主が言っていたであろう里についた。
「ここ…だよね」
「お待ちしておりました、奏匡院入鹿様、熊染様」
「ふぇっ」
単に小さくて気が付かなかっただけなのか、いつの間にか入鹿と熊染の前に髭を伸ばした小柄な老人が立っていた。
「い、いつの間に……」
「お話は聞いております、さぁこちらに」
そう言って老人は入鹿と熊染に背を向け里の奥へ進んで行った。
入鹿と熊染は黙ってその老人へとついて行った。
「あれ…あの二人…」
「あぁ、ほら大長様に用がある人間だってよ、前に言っただろ?…あの二人がどうかしたのか?」
「い、いや…さっき…」
家の影から入鹿と熊染を覗く二人の子供、そのうちの一人は足に包帯を巻いており、ただじっと入鹿と熊染を見つめているのだった。
「大長さん…何か変わった人だったね…」
「……そう……じゃの……」
大長との対面を果たし里から帰っている山道の途中、入鹿は苦笑い気味に先ほどの大長を思い出す。やけに挙動が不審であった。しかも大長に会ってしたことといえばたわいのない会話だ、一体何故わざわざ出向かせたのか、その意図がどうにもよめない。
「なんだったんだろうね…母様との知り合いらしいけど、昔良くしてもらったとか言ってたし」
「……………」
日は少し沈みかけている。完全に暗くなる前に早く山から抜けなければ、目隠しをしている熊染にとって夜はすこし動きづらい環境であったので彼はいっそうに眉をひそめた。
「…ちぃと…えぇじゃろぉか……」
「えっ何うわぁっ」
キョトンと振り向いた入鹿を軽々しく持ち上げ、熊染はそのまま両腕で入鹿を抱えるようにして山を下って行った。彼なりにどうしたら一番早いかを考えた結果であろう。
今で言うお姫様抱っこなるものをされた入鹿は顔を赤くして熊染に抱き着いた。熊染はそれが照れ隠しだとは気付かないままであった……。
◆◆◆
おおよそ三年が経った。
夏を迎えて熊染は22歳に、入鹿は当主を引き継ぐ18歳になった。
蝉がうるさく鳴く朝、奏匡院の家はやけにせわしい雰囲気が感じられていた。
「ふふっ!!ようやく待ちわびとった日がやってきたわ!」
華々しい服に身を包んだ入鹿が縁側に座っていた熊染に飛びついてきた。
「やっとよ!やっとこん日がきたわ!!」
「あっ……主様……今日私語は……」
「ええんよ!!熊染には、特別っ!!」
「…………んぅ……」
あなたは今日奏匡院家を継ぐことになるというのに、そう心の中で参りながら熊染は素直に入鹿に抱き着かれる。
屋敷内は継承の儀式の準備でお祭り騒ぎだった。そして入鹿はといえばこのはしゃぎようである。熊染は今日一日入鹿の傍を離れるなと命じられ、緊張で一杯だったというのに…。
(なんじゃろなぁ……)
まるで自分の緊張が下らないことに感じられて、ふと笑ってしまう熊染だった。
「ほー外からでもわかるぐれぇにせわしいのぉ」
「ホンマじゃ、やけに広いから人も多ぃんじゃろうの」
「山ん上から見てもでかいからなぁ、こりゃぁ蔵の方も期待できそうじゃの」
「今日は一人娘の継承とか何とかで屋敷に入るんは簡単にできる。蔵に辿り着くまで騙すんじゃ。あん貴族どもはどうせワシらの嘘なんか見破れんよ」
「護衛ん奴はどうするんじゃ、強いらしいが」
「ちゃんと考えとる、安心しとれ」
「あぁそうじゃ、そいやあそこん娘はぶち可愛いと噂で」
「……ほぅ…そいつぁちぃと予定を変えてみたくなったのぉ…」
木々に隠れて会話をするいくつもの影は誰にも気づかれることなく蝉の鳴き声へと溶け込んだ。
◆
一番奥の部屋で熊染と待機させられた入鹿はずっと座って待つということが耐えられないらしく部屋の真ん中で足をのばしくつろいでいた。
「はぁ…待つの退屈…何で儀式なんてあるん……」
「…そがぁなこと……ゆわれ…ましても…………」
「ふふ……楽しみだなぁ、これから色んなことができるようになるんよ」
楽しみで堪らないように足をバタバタ動かして寝転がる。
「……主様……服が………」
「ん〜大丈夫大丈夫」
無邪気な笑顔を浮かべてまた立って部屋の中を歩き回る。
「まだかなぁ」
熊染も内心、当主となる入鹿の姿を想像すると楽しみで堪らなかった。
これから先、入鹿をずっと護る事ができるのかと思うと、無性に嬉しくなった。
『入鹿様、よろしいでしょうか』
「え?どうしたん」
突然戸の向こうから声をかけられてぴたと止まる。
『入鹿様を是非お祝いしたいという方が』
「ほえ、まぁはい、入ってえぇよ」
自分の知らない人から祝われることはよくあったことなので慣れたように入鹿は奥に座り、その客を迎え入れた。
「どうも、お初じゃ奏匡院入鹿様、わしゃ周防・備後・安芸で商売やっとる鞠須といいます」
鞠須、と名乗った男は他にも人を連れており、三人ばかし彼の後ろに控えていた。
意外と名のある商人なのだろうか、熊染は黙って男の様子を見る。
「まりす…様、そいはわざわざありがとうございます。この度私奏匡院入鹿は」
と、入鹿が言いあきてきたあいさつを話しているその途中でその場の全員の耳が痛くなるほどの轟音が響いた。
「っ?!なに?!」
「………爆破音…かの…」
とっさに立ち上がって音のした方向へ視線をやる熊染。
「な、何じゃろうか今んは…様子を見に行った方がえぇんじゃあ?」
鞠須が提案してくる、が。
「し……しかし…主様の傍を……離れるわけにゃあ……」
「それならご安心してつかぁさい、ここにいる三人は腕っぷしが強いんじゃき。もしもん時はお任せを」
「……………」
確かにガタイは良いが…と熊染は入鹿へと視線をやる。
すると入鹿は何かを決意したように小さく頷き、
「行きなさい熊染、私は大丈夫です」
「っ…………はい……」
熊染は入鹿へ小さく頭を下げ、部屋を出ようとする。
「くっ熊染!」
「……? なんじゃ…?」
「ちゃ、ちゃんと…戻ってきてください…ね」
「……………………はい」
そして熊染は爆破音がした方へ走って行った。
「……申し訳ありぁせん、客様の前でこのような」
「いやえぇんじゃ、予定通りじゃき」
「………は」
熊染が走って行ったあと鞠須に頭を下げた入鹿だったが、鞠須の行った言葉の意味がわからずふと頭をあげた。
鞠須と三人の男は満面の笑みを浮かべていた。
走りながら熊染はとある違和感を感じた。
(……音が……人の気配が…せん…)
先程まで儀礼の準備で屋敷内の人間が総動員であわただしく動いていたというのに、今はその音も気配も感じられなかった。
(………?…鉄臭い……)
嫌な予感を覚えながら熊染は匂いのした方へと向かった。
「っ?!」
そこには屋敷につかえていた使用人たちが血まみれで倒れていた。
「っおい…!おい!」
揺さぶってもぴくりともしない、どうやらすでに息絶えているらしい。
腹部や背中に切り傷があることから何者かに殺されたことは間違いないだろう。
(………っ……当主様は…!?)
ふと当主の心配をしたが当主は熊染の父が護衛しているはずだ、巻き込まれていてもまだ安心はできるが
(……ともかく爆破音のした方に行かんと…)
屋敷内で何が起こっているのか解らないまま、熊染はまた走り出した。
「っ!蔵が……」
どうやら先ほどの轟音は蔵が爆破された音だったらしい。
大きな蔵の門が破壊されて瓦礫と化していた。
(……強盗か…?派手なことを………)
そこで熊染は蔵の中で人が複数動いていることに気付いた。
「……誰じゃ」
「うぉっ」
「おいおいもう来たのかよ、早くね?」
「まだ全然運び出せてねぇよ」
中では4人ほどの男が蔵の物を持ち出そうとしていた。蔵を爆破した奴らだろう。
熊染は目隠しを外しながら棒を構えた。
「へぇこの人数相手にやるのか?」
「…………」
強盗たちも蔵の物を地面に置き、武器を構えた。
そこで熊染は後ろからまた複数の人間の気配を感じた。
「………お…おまんさぁ…ら…」
先程の商人と一緒に居た三人のうちの二人が走ってやってきていた。
「な……なんでついてきたんじゃ……あ、主様は…き、危険じゃからおまんさぁらは…」
自分の援護に来てくれたのかと思った熊染は二人に近づく、が。
「っ?!」
切り付けられた。
「な、何……」
「随分と騙されやすいんじゃのぉ、ワレ?」
「まぁオイらとしちゃあ楽でえぇんじゃがのぉ」
いきなり切りつけられて動揺しながら熊染は二人を睨みつけた。
「……おまんらも……」
「そっオイら偽り人、鞠須の頭を筆頭になぁ」
「!!」
鞠須を筆頭に、その一言で熊染は硬直した。
「そ……そい…じゃあ……主様…は……」
「あ?あの娘かぁ?俺とこいつはもう済ませてきたけどよぉ、今頃頭ともう一人で可愛がってる筈じゃ」
「…………な………」
男の言葉が頭の中でぐるぐる回る。
体が震えだし、熊染は男どもを睨む。
思わずその眼光の鋭さに怯えた偽り人たちだったが多勢に無勢、怯む必要などないと武器を構える。
「一応皆殺しする必要はないんだけどね、宝がとれりゃ俺たちはそれでいいんだけど」
「………どけきさんら……」
「あ?」
「…オイは………主様を……」
「んだよ命乞いかぁ?ま〜俺らのこと見逃してくれるなら半殺し程度に」
「黙れえええぇぇぇぇぇっ!!!どけえぇぇぇっ!!!」
獣のような勢いで熊染は偽り人たに向かっていった。
◆◆◆
「はぁっ……はぁっ………」
蔵にいた偽り人との戦闘を終わらせて入鹿の部屋へ走る熊染。
間に合え、とひたすら心の中で呟きながら。
「はぁっ……あ…主様………!!」
入鹿の部屋につき戸を開けた、が。
そこにいたのはいつもの、眩しい笑顔を浮かべる入鹿ではなく。
「…あ………あ、あぁ……あ…る……じ…さま……?」
四肢をもがれ、体中が切り傷でいっぱいに、口からは血を、目からは涙を浮かべた入鹿が、そこにはいた。
「あぁ…あああああっ………」
膝から崩れ落ちた後、這うように入鹿の傍へかけよる。
入鹿以外に姿はなく、鞠須たちの姿は見えなかった、恐らく逃げたのだろう。
だが今の熊染に鞠須たちのことなぞどうでも良かった。
「あるじさま、あ、ある…じ…さ」
入鹿の体を抱き寄せる、だが彼女はただ虚ろな目でその体は冷たい。
いつもの笑顔からは想像もできないような、表情だった。
ひどく悲しそうな顔で、熊染を見ていた。
「あぁ……そ……な……」
自分は入鹿の傍を離れるべきじゃなかった。入鹿を連れて行ってでも自分の傍に居させるべきだった。
自分の役割は入鹿を護る事だ、なのに何故自分は入鹿の傍を離れて他の事をしてしまったのだろうか。
体から力が抜けていくのが自分でもわかった。
両目から涙が流れ体が震えだした。
「………あ……あぁ…」
「ああああああああああああぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁっっ!!」
蝉の声と共に、悲痛な叫びが響きわたった。
◆◇◆◇◆
「……ん…」
森の中、寒さで目が覚める。
随分と久しぶりに深い眠りに入ったから長い夢を見た気がする。
…それも随分と悪夢を。
夜のせいで薄気味悪さが際立つ暗い森の中、熊染は自分の今の状況を確かめる。
「んっ………?」
身動きがとれない。
ここで熊染はさっきあったことを思い出す。
(そうじゃ…確か休んどったら……主様…の…)
自分の主だった人間の姿が浮かぶ。
「ちっ……違う……主様……は…」
もう死んだ。自分が護りきれずに死んだはずだ。
そこまで考えが及んで何故だか体が震えだす。
寒さか怯えかは自分でもわからなかった。
そこでふと熊染は自身が裸であることに気付いた。
身動きがとれないのは腕が木にくくりつけられて拘束されていたからだ。
自分の荷物も見当たらないことからまた追いはぎにあったのだろう。
武器でもある棒は金にならないからか盗られてはいなかったので、少し安心した熊染だったが、どうもこのままの状況ではマズイ。
いつもならこの程度の拘束であったら抜けられたのだが、どうにも寒さでうまくできない。
(……どうしたものか)
と小さくため息をつき悩んでいたらすぐそこから草が踏まれる音が聞こえた。
つい緊張が走り、音がした方へ視線を向ける、と。
「……?」
知らない男の子が立っていた。
誰だろうと首を傾げた後にはっと今の自分の状況を思い出した熊染は慌てて弁明を口にしようと思った、が
「あ「あのっ!助けて下さいっ」……え……」
突然男の子に頭を下げられる。
正直助けてもらいたいのは自分の方なのだが、キョトンと男の子を見る。
「あっ…ご、ごめんなさい今その縄解きますね」
「……お…おう…」
男の子に拘束を解いてもらい、両手で体をこする。
「あ、服取り返してきましたので!はいこれ」
「お、おう……?あんがとの……」
取り返してきた?
今いち状況がよめないまま服を受け取った、確かに熊染の服であった。
「そ…んで……助けて…ほしい……いうん…は?」
「あっはい…」
「さっき…熊のお兄ちゃんの前に女の人…来たでしょ?」
「………おう」
「ごっごめんなさい!僕お兄ちゃんを気絶させるつもりなんかなくって!!その……」
「?……すまん……よく…わからん…」
「えっと…その、だからさっきの女の人は僕なの」
「?」
「あぅ…えぇっと…その…だからぁ…僕、狸……なの」
「僕…ね…一回でも目が合った人に化けられる能力なの…そ、それであの時女の人と目が合ったから…熊のお兄ちゃんは目隠ししてたから化けれなかったけど……」
「……いまいち…ようわからん…が…あん時の…は…おまんさぁ…だったんか…?」
「うっうん、その…友達が…偽り人に捕まってて…僕……」
成程大方事情は把握できた。
何故自分の名前を知っていてどこで主様と会ったのかは知らないがどうやら困っているようだ。
この子がその偽り人とやらに脅されて騙しの片棒を担がされているという事か。
「お願い!熊のお兄ちゃん…助けて!!」
「……ん……じゃがオイだけじゃ……どうもいかんようじゃ……」
「そんな…」
「安心せ、…………良い仲間らが……おるんじゃ……」
困った人を見つけたらバカ正直に助けてるような、そんな仲間が。
いつも茶屋にいる彼らの姿を脳裏に浮かべながら、熊染は男の子と共に茶屋へ向かう。
悪夢は忘れて、過去は忘れて。
説明 | ||
熊染過去篇後半です。 無駄に長いです誤字脱字あっても優しい目で読んでやってください。 後半にここのつ者と熊さんの出会い書こうかなと思っておりましたが長くなったのでそれはまた別で投稿することにしました。 |
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