薄暮の告解
[全1ページ]

 夜明けの空気はあまりにも澄み渡り過ぎていて、その中に穢れを放つことは、純白の紙面にインクを落とすのと同義であり、実行することは、はばかられた。

 太陽が高く昇った頃。地には隙間なく光が落とされ、闇をより濃く見せている。今こそが頃合かと思ったが、白昼堂々とすることではない、と自我がセーブをかける。今が頃合ではない。

 陽が落ち、月が我が物顔で闊歩する時間。これは最悪だった。どう考えても相応しくはない。

 では、暁か黄昏か。前者はやはりどこかおかしく、後者が一番、適しているのだと考えられた。

 そこで一人の青年は、ぼつぼつと夕暮れから歩き出した。西空に残るオレンジの光の残滓が、完全に消え去る。その時にこそ計画を実行に移すため。

 

 

 

 罪を懺悔する、という行動はキリスト教に馴染みのない彼にとって、非常な苦痛だった。なぜならば、彼の国には「墓場まで持って行く」という表現があり、罪は決して誰にも打ち明けずにいる、それこそが彼にとっての常識だ。

 だが、今夜。彼は遂にその罪の一切を告白する。水をなみなみと注がれた壷が、いつかはその水を縁から垂れ流すように、彼の気持ちは今にもあふれ出そうとしていた。静かに、細い川を作って。しかし同時に、決して止めることの出来ない確かさを持って。

 場所は教会だった。何十年前に作られたのか、あるいは何百年なのか。とにかく古びていて、ここにいる聖職者もただの一人きり。なぜならば信仰する人間がいないから。また、その唯一の神の徒も、人々に入信を迫るほど、情熱的な信者ではない。それゆえに、今にもこの老建築物は崩れ落ちそうな風情を持っている。

 パイプオルガンの旋律や聖歌の合唱はもちろん、説教の声すら響かない講堂は、黒ずんだステンドグラスだけが唯一の色彩を持っていて、他は黒と茶の汚らしい色ばかり。幽霊が出るといわれれば、子どもは間違いなく信じることだろう。無論、聖霊のような良いものではなく、汚らわしい悪霊の類だ。

 夕闇が迫る今、室内はいよいよ不気味さを醸し出している。この時間にも関わらず、一つも灯りが付けられていない。それはわかっていた。だからこそ、青年はここに足を踏み入れた。

 ほんの一メートル先が見えない暗闇。今、自分がどこにいるのかは目ではわからない。ただ、記憶だけを頼りに前へ前へと歩を進める。何度か、足を机にぶつけた。本来は信者がその上に聖書を広げるのであろうそれ等も、今となってはほんの少し立派な棚程度の扱いしか受けない。しかも今の感じでは、相当に悪くなっている。本気で蹴り上げればへし折れそうだし、火を点ければ一瞬にして赤く燃え上がりそうだ。

 そして、今の彼はそのための道具――ライターを持っている。

 ただし、その予想が真実であるか、試してみる必要もない。それゆえに、火花を散らすことはしない。必要がないからこそしないのであって、理性が自制を利かすのではなかった。朝は彼にとって神聖なものでも、この廃屋はそうではないのだ。

 跪く。

 ここに神父はいないが、神もまたいない。それでもただ、彼は懺悔を始めた。

 一切の罪がこれだけで赦されるならば、神も仏もあったものではない。

 自嘲しながらも、これでなんとなく救われたような気がしていた。

 そうして、それが彼の思い込みであったとしても、青年の体は清らかなものとなった。

 今、この腕を切り付けて流れ出る血は、その赤がなによりも赤く、さらさらと美しい。少なくとも彼はそう考えていて、今、それを証明しようとしている。

 朝日が室内を満たす。白い光は、赤い血を際立たせるのに最上のものだ。

 ゆえに教会はこの朝、最上の美しさに彩られた。

説明
習作です
自分なりの美を書きました
総閲覧数 閲覧ユーザー 支援
258 258 0
タグ

今生康宏さんの作品一覧

PC版
MY メニュー
ログイン
ログインするとコレクションと支援ができます。

<<戻る
携帯アクセス解析
(c)2018 - tinamini.com