Back Door Woman
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 非番の日、一通り洗濯物をかたづけ終えた足柄さんは、一人こたつにもぐりこみ大の字で、午後のひと時を過ごしていた。

 窓辺に設えられただるまストーブは火を絶やさず、掛けられたやかんはモクモクと湯気を吐き出して、ガラスをくもらせている。その向こうの空は広く、冬の日には珍しい雲一つない上天気が広がっている。

 夕方も近くなれば差し込んでくる日の光に温かみはないが、それでも風が凪いで、穏やかに立っている中庭の木をながめていると、なんとも心地よいまどろみが降りてくる。

 ぐう……

 寝息ではない。

 腹の虫の鳴き声だ。

 女ばかり四人の所帯だと、何かと家事が滞りがちだ。休みだからと一念発起して、溜まりに溜まっていた洗濯やら洗い物やらと格闘して、考えてみたら今日は朝からなにも口にしていない。

 知らないうちはよかったが、一度意識してしまえば、胃の軽さがこたえてきて、昼寝どころでなくなってしまった。

 しかし、時間は中途半端だ。外出許可をとって、町に食べに行くほど大袈裟にもしたくない。しかたなく台所をあさってみるものの、ほんの数時間前にかたづけたばかりだから、たいした期待もなかった。

 けれども、腹具合を気にしなかった際には、さして注意もひかなかったものが、空きっ腹を抱えてみると別の輝きを持つようになる。

 それは、おみおつけの具にと買い置きして、紙の小袋に包まれたまま積まれていた。

 途端、足柄さんの目には星が舞いきらめき、胸は思春期を迎えたての少女のよう高鳴りはじめた。

 

 裏口から姿を現した足柄さんは、完全武装に身を固めていた。

 全身を覆う割烹着は吹きこぼれや油はねは無論、散弾のように撒かれる魚の鱗や想定外の火の粉ですら寄せつけない万能装甲である。反面背後よりの奇襲にはほぼ耐性を持たないという短所を持つものの、そこはベテランの瞬発力でカバーが可能となる。割烹着の保護範囲の及ばない頭部には手拭いをあねさんかぶりで装着済みだ。部位を極度に限定する装甲ではあるが、信頼度という点では割烹着に優るとも劣らない。特筆すべきポテンシャルは、頭髪の抜け落ちという、大規模な作戦となれば対策を迫られるフレンドリーファイアの問題も未然に防ぎ得る点にあり、コック帽など特殊部隊にのみ配給される専用装備と同じ程度の効果が期待できる。

 ただ、守りを厚くしただけでは、一時の攻勢を凌ぐ事しかできず、片手落ちの誹りは免れない。だが、その心配は早計で杞憂である。勝利を刻む事のみを念頭に置く彼女は、既に最高の主砲を携えている。即ち、右手に提げられた二十五センチ内燃式熱線照射砲、通称木炭コンロ、所謂七輪である。同じ手には団扇を握り、燃焼効率を高めるための智謀にも巧みだ。さらに左手には紙袋を忍ばせ、中に仕込まれた兵器が外見からは窺い知れないのが不気味ではあるが、装備スロットが極限まで拡大された状態にあるのは論を俟たないところである。

 重々しい響きとともに、七輪が大地に爪を喰い込ませる。風の影響を考慮に入れ、建物の陰を陣取り、さらに通風口の位置に繊細な調整を施す。このあたり、歴戦の経験と勘が如何なく発揮され、慎重さと大胆さを併せ持った手の動きが、ドンピシャの配置を引き当てる。

 準備は万端整った。後は戦端を開くばかりだ。

 ところが、その矢先、紙袋をまさぐっていた足柄さんの顔に変化が起こった。はじめは些細な違和だったが、やがて驚嘆を経て緊張に移った。

 おそるおそる長年危険物の取り扱いで馴らされた指が、その先につまんだ物を引き上げていく。

 その全貌が明かされた途端、絶望と苦渋が表情に滲んだ。

 握られていたのは、七輪専用の金網であったが、その表面には専任者の使い残しらしい、餅の焼けた残りが無惨にもべったりと付けられていた。

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 正月三が日、特配でまわってきた餅を姉妹で食べた。

 いつになく張り切って、みんなの分まで焼くのを買って出た一つ上の姉に、あとかたづけを手伝おうかと申し出たのだが、

「心配無用。すべて完璧にこなして見せる」

 思えば、不敵な笑みさえ浮かべて見せた、あの自信に満ち溢れた物言いにほだされたのがまちがいだった。

 しかし、いつまでも悲嘆に暮れていても、状況が改善されるでもない。なにより空腹はいや増すばかりだ。

 念のため金属たわしを持ってきておいて正解だった。近くの水場に移動して、糊化した餅に戦いを挑んだ。「やるからには徹底的に」、一般的には長所として取り扱われるモットーだが、時と場合による。

 一つの汚れを落としていると、別の焦げが気にかかり、そこを解決すると、また別の油かすが目に留まる。そうでなくとも相手は手ごわく、なんとか納得いくまで磨き終えると、早くも日は傾きだしていた。

 普段ならこんな時間の間食などもってのほかだが、なかば意地になっていたところもある。それに想定外の労働で、いよいよ空腹が真に迫ったものになってきてきいた。

 紙袋から新聞紙でくるんだ包みを一つ取り出す。開くと、中から出てきたのは豆炭だ。それをひとまずわきに置いて、まずは外を覆っていた新聞紙をまるめて、割烹着の隠しに収めていたマッチで火をつける。たちまち炎をあげて燃えだした新聞紙を、あわてて七輪に放り込む。

 ここからは時間との勝負だ。盛んな火のかたまりに、豆炭をひとつ投入する。なかなか火が燃え移らないが、ここが辛抱のしどころで、手許の団扇でへたにあおげば元も子もなくなる。新聞紙の種火が十分に移ったら、二個三個と残りを重ね入れて、今度こそ灰を撒き散らさないように風を送り入れる。

 すべての豆炭に火がつき、橙色に輝きだせば支度は完了。網を載せて、洗いざしの水気が飛ぶまでの間に材料を用意する。

 とはいっても、持ってきたのは、油揚げに刻みネギ、すりおろした土ショウガ、それと味つけのしょう油くらいなものだ。

 先ほど水屋で発見したのは、年末に買い溜めておいたこの油揚げだった。

 以前空母の面々と飲んでいた時、隼鷹が作ってくれたことがあった。いかにも彼女らしい手間のかからない料理で、

「またそれ? ほんと好きなんだから」

 姉の飛鷹のセリフや、その他のメンバーの表情からも、定番の過ぎた一品となっているのは理解できた。

 油揚げを火で焙って焼く。それだけのもので、理をはかる料理と見るには少々憚りがあり、どちらかといえば理をととのえる調理だった。

 しかし、その手軽さが、今のような小腹の空いた食事の合間には、何より魅力的だった。

 また、唯一覚えている、出された時に嗅覚を刺激したしょう油を焦がした香ばしいにおいの記憶は、軽い歯ごたえや、食べ口から立ちのぼってくる湯気までもよみがえらせるようだった。

 金網の水滴がはぜて音をたてはじめた。そろそろ頃合いだ。あんまり熱し過ぎても、表面が焦げるばかりで中にまで火が通らない。あくまでも理想は、外はバリッ、中はふんわりだ。

 タイミングを見計らっていると、近くの植え込みがガサガサと鳴りはじめた。

「みゃう」

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 去年の秋はさんまが大漁ということで、通常の献立ではもちろん、近在の漁師からもおすそ分けがあり、三日にあげずどころか、ほぼ連日さんまづくしだったことすらある。

 七輪もフル稼働し、裏庭のあちこちでも、ぼやと見紛う煙がもくもくと上がっていた。

 ところが、困ったことに、それを猫が見ていた。

 もともと漁港のあったこのあたりは野良猫が多く、また海軍施設となってからも、ねずみ除けの習慣から、むしろ大事に扱われていた。

 ただでさえ我が物顔で闊歩している猫が、七輪の存在を知ってしまったのだ。

 以来、海産物を焼くのでなくとも、七輪に火を入れはじめると、どこからともなく猫が姿を現すようになり、時に襲撃の報告すら上がりだした。

「なおう」

 鎮守府と一口にいっても、敷地は広大で、うろついている猫達にもいくつかのグループがある。現れたのはトラ縞柄が印象的な一匹で、毛の模様に相応しく気性は荒いが、口を開くと仔猫のような猫なで声をあげる、宿舎のあたりをなわばりにする集団のボス猫だ。

 足柄さんもこの猫とは昵懇で、あしらい方も心得ている。

 紙袋に手を入れると、この時のために持ってきておいた煮干しをつまみ出し、猫の視線を十分に引きつけたところで遠くへ放り投げる。

 たちまちそちらに駆けつけると、警戒心の強い猫だから、しきりと周囲を気にしながらたいらげて、また七輪のある方へ戻ってくる。

 これを二、三度もくり返すと、満足して立ち去るのが通例だったが、この日ばかりは最初以外煮干しに目を向けようともしなかった。もしかすると、ただならぬ足柄さんの情熱を嗅ぎつけ、よほどの獲物があるに違いないとあたりをつけていたのかもしれない。

 いつにない猫の態度に戸惑っていると、またも植え込みが騒ぎだした。

 困ったことになったと思った。狩猟型の獣は、食事の際、別の個体にテリトリーを侵犯されることを極端に嫌う。特にトラ縞はこのあたりのボスだけに、その縄張り意識が強い。自分の仲間でも強い威嚇で追い払い、外部の猫ならば即座に実力行使に出る。

 それを知るからこそ、足柄さんが七輪を使いはじめても、他の猫は姿を見せなかったというのに。どちらにせよ、そういう事情を知らない仔猫だろう。血なまぐさいことにならなければよいけどと、そっと背後に目をやると、

「猫じゃないにゃ」

 植え込みをくぐり抜けようと、四つん這いになって奮闘している多摩は、足柄さんの視線に真顔でこたえた。

 トラ縞は予想外の闖入者に、はじめのうちこそ敵意むき出しでうなり声をあげていたが、

「にゃー!」

 多摩の、引っ掛かった裾を枝ごともぎ取る気合いの一声で、すっかり縮みあがり、燃え盛っている豆炭もかまわず、七輪を蹴ってその向こうにまで跳び退いてしまった。

 はずみで網が落ちて、しばらくその場でぐるぐると回転していたが、それが敢えて気にならないほどに、この時の多摩の出現は僥倖に思えた。

 早速、近づいてくる猫を寄せつけないようにしてもらえないかと頼んでみた。

「多摩は猫じゃないにゃ。猫と話をつけるなんてできるわけないにゃ」

 煮干しあげるから。

「うにゃ……」

 さすがに多摩は狡猾だった。後日、さらにもう一袋余分の煮干しを要求してきた。

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 改めて網を洗い、土を落として七輪にかけなおす。

 多摩の御利益はてき面で、トラ縞も遠巻きにするうちにとうとうあきらめて、背を向けて去っていってしまった。去り際に、捨てゼリフのように尻尾を一つ打ったのは御愛嬌だ。

 多摩は足柄さんと並んで中腰の姿勢をとり、煮干しをくわえてご満悦だ。いかにも嬉しそうに、外はねの髪がゆらゆらと揺れている。

 ふと、その髪の向こうの服の肩のあたりに目が留まった。あちこちに破けがあるのだ。はじめのうちは、藪を抜けた際のいたみかと思えたが、よくよく見れば別の個所には焼け焦げた痕もある。

「こ、これはなんでもないにゃ」

 指摘するとあわてて手で隠そうとする。ところが、その手にはすり傷が赤く血をにじませていた。眉をひそめ、目を凝らすと、顔や脚にも似たようなケガが無数にできている。

「どっかで引っかいたんだにゃ。全然いたくないにゃ。平気なんだにゃ」

 強がってはいるものの、生傷の痛々しさは隠せない。足柄さんは、頭の中で一言謝ってから、ショートパンツの裾越しに見えている腿の傷にそっと手を伸ばしてみた。

「ふにゃーっ!」

 けたたましい悲鳴をあげて、その場でうずくまってしまった。

 それでも煮干しの袋だけは握りしめて放そうとしないところはたいしたものだが、このまま放っておくわけにもいくまい。足柄さんが重い腰をあげかけたその時、

「多摩、見つけたクマ!」

 背後からそんな声が響いた。

 多摩の背がしゃんと伸び、にわかに髪が逆立った。

 バニーキャットよろしくぴょんと跳ねて逃げだそうとしたものの、すぐにその前をふさがれた。

「ケガをしたんだったら、すぐにドックに行かなきゃだめクマ!」

 あわてて身を翻そうとした多摩の手をつかんだのは僚友の球磨だった。

「いやにゃ! お風呂は嫌いにゃ!」

 地団駄を踏むように多摩は足もとを蹴りまくるが、砂をかけられても球磨はまったくひるむ気配もない。

「そんな聞き分けないこというんじゃないクマ。バイキンが入ったらどうするクマ」

「大丈夫にゃ! こんなのツバつけとけばなおるにゃ!」

 見れば球磨の姿も多摩と似たり寄ったりで、服のほころびと体の傷にまみれている。

「クマー、埒が明かんクマ!」

 なおも悪あがきを続ける多摩に、いよいよ業を煮やした球磨は、手をつかんでいるのとは別の方の腕を腰にまわすと、そのまま一気に持ち上げて小脇に抱え込んでしまった。多摩と同じような背格好ながら、まったく信じられない膂力だった。

「いやにゃ! お風呂はいやにゃー!」

 必死になって手足をふりまわしてみても、この体勢ではどうにもならない。

 球磨は一度足柄さんに頭を下げると、のっしのっしと来た方向を、獲物を抱え込んだまま帰っていった。

 嵐のような成り行きに、あぜんとしてそれを見送るしかなかった。

 つまるところ、ケガをした多摩が入渠嫌さに逃げまわっていたということなのだろう。

 しばらくして冷静さを取り戻すと、多摩と球磨の大捕物のおかげで、土ぼこりにまみれた七輪を見下ろしながら、空ろな笑いを浮かべつつ足柄さんは状況を理解した。

 

 三度目にもなると、網を洗う自分に少なからず疑問を覚えながらも、再度七輪の前に向かった。

 多摩効果がまだ続いているらしく、あたりに猫もいない。

 今度こそ、どんな妨害にも負けはしない。目的を完遂するまでは邁進あるのみだ。鉄の意志を胸に秘め、油揚げを網へ投下した。その矢先、裏口の扉のあたりから人の気配を感じた。

 固い決意をもって臨みはしたものの、それでも振り返らずにはいられない。自らの悲しい習性に足柄さんは従った。

 すると、戸口から顔だけだしてこちらをうかがう三人と目が合った。姉の妙高に那智、それと妹の羽黒だ。

「部屋にいないと思ってみたら、いいものを作っているじゃないか」

 代表して那智が、いかにも軍人らしい快活で腹蔵ない笑みを浮かべていった。

 その笑顔にあてられれば、足柄さんはただため息をつくよりしかたなかった。

 こうして、その日の夕飯には、おかずが一品加わることになった。

 

説明
足柄さんてなにか食べてるシーンが似合うと思うのです。
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艦これ 艦隊これくしょん 足柄 多摩 

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