My Last Affair
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 太陽が黄色い。

 重い足を引きずるようにしながら、足柄さんはそれでもむしろ日向を選んで大通りを歩いていた。

 朝日が目をくらませる。

 夜のうちにひと雨あったらしい。あちこちにぬかるみができていて、おかげで大寒をひかえた時候にしては寒気が穏やかだ。吐く息もうっすらと白みがかる程度だが、照り返しが厳しくつい顔をしかめさせる。

 それでも、足柄さんは朝のこの通りの雰囲気が好きだった。

 どの店もそろって暖簾を下ろし、戸を堅く閉ざしていて、宵から日付けのかわる時分にかけての賑わいがまるでまぼろしだったかのようだ。その泡沫の名残りは、わずかに掃除夫の抱える屑かごにわだかまっている程度だ。

 静寂のなかを北風が吹き抜けると、まるめられた千代紙が、荒野のタンブルウィードにも似て転々と横切っていく。

 皮相や虚栄なんていう言葉でつい形容したくなるが、むしろ足柄さんはしたたかな生命力の胎動を感じていた。

 もっとも、場所が場所だけに、胎動はあたりまえなのかもしれない。

 非番の前だからということもあり、許可をとって気の置けない面子で飲みに出たのが昨日のまだ夕方頃だった。

 年をまたいで続けられた作戦期間を終え、ずいぶんと気分が昂揚していたこともあり、杯を空けるのがいつにも増して速かった。

 店を出る頃にはすっかりと出来上がり、何人かが場所を変えて飲みなおすというのを辞して、気の向くままに色街にやって来た。

 そこで馴染みの店に登楼し、馴染みの若衆を呼び、先ほどまで同衾していた。

 生来そちらの方には淡泊な性質なおかげで、思い出すと顔にまで血が上ってくる。ところが、同時にその火照りが寒風にさらされて気持ちよくもあった。

 東京などとは異なり、陰間の習俗のなかった当地の色街では、近年艦娘のため一画に専門の妓楼と茶屋を設け商いをはじめた。なかには、非番のたびに足しげく通う娘もいるようだったが、足柄さんは普段なら誘われてもあまり積極的に利用することはない。

 ただ大規模な作戦が終了した後ばかりは、心身の高ぶりに駆られ足を向けた。支払いはよく後にも引かないため、店側からの評判もよく、指名される子もよくなついていて、体の芯のくすぶりが尽きるまで、長ければ昼頃まで務めを果たしてくれる。

 おかげで店を出ると、足もとも覚束ないほどにくたくたになっているのがお定まりであった。ちょうどこの時のように。

 

 もともと男性向けの色街に併設される形で造られた陰間町だから、外と区切る大門は男女共用になっている。

 ここでは、遊女の足抜けを厳しく監視するため、女性客の出入りには特に目を光らせている。

 とはいっても、遊女とそれ以外の女性を隔てるものは木の札一枚だ。入門する際にそれを受け取り、出る時には逆にそれを、それを……。

 なくした。

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 コートの隠し、その下の服、スカート、果ては靴の中、下着の内側など、あるはずのない場所まで手探りで探すが、あるべきはずのものはみつからない。

 面倒なことになった。

 さすがに札がないからといって、即足抜けと勘違いされることはないが、身分の証明、その保証、さらに遊女の数の確認などで、解放されるまで足止めを食うことになる。

 考えただけでもうんざりするが、回避するための光明は射してこない。そうでなくとも門衛の視線がそろそろ痛くなってきた。

 さんざんあちこちに指を這いまわらせたあげく、最後にもう一度コートの内ポケットにつっこんで、いよいよ万事休すだ。

 顎を引き、二、三度目をしばたかせてつぶらな瞳を作り、精いっぱいの上目づかいで、さして年齢の離れていないと思しい門衛を見つめる。

 にわかに相手の顔に動揺が走る。

 それが足柄さんの意図した効果かどうかはひとまず置くとして、蛇ににらまれた蛙のようになってしまった男を見て、チャンスを逃すまいとすかさず声を掛けようとした。

 その時、

「はーい、足柄、これ忘れものじゃない?」

 なにか固いものが頬に押し当てられた。

 目線を声のした方に向ければ、そこにはよく見知った顔が、満面の笑みを浮かべていた。彼女は右腕を長く差し伸べていて、その先を目で追うと、やがてその指先がつまむようにして持つものに行きついた。

 それは、探しに探した足柄さんの入場許可証がわりの木の札だった。

 

 高雄型重巡洋艦二番艦愛宕。

 さらりと流れるまとまりのよいやわらかなストレートヘアは透明感のあるブロンドで、同性でも息をのむほど豊満な胸にまで伸びている。その髪に負けぬほど白く透きとおりそうな肌に碧い眼が映える。ふくよかな肉体は曲線を描いて輪郭をかたどっている。

 軽くパーマのかかった黒髪に栗色の瞳、若干地黒で精悍な肉体の持ち主である足柄さんとはどこまでも正反対な人物だった。

 けれども、にもかかわらず、というよりはむしろ、そのおかげで、よくいえば個性派ぞろいわるくいえばまとまりに欠ける重巡洋艦の面々のうちで、積極的に交遊を深めている間柄だ。

 同じ艦隊に同時期に入った同じ艦種の一員ということもあり、どちらも斟酌なく冗談を言い合える仲になっていた。

 とはいえ、さすがに限度というものがある。その手の方面に免疫の薄い足柄さんは、まさか遊郭の入り口で気心の知れ過ぎた相手と出会うとは思ってもいず、大きく飛び跳ねるように後ずさってしまった。

 なんとか言葉を探そうとするが、あせって口をつくのは、意味のない短音節の掛け声ばかり。朝の静けさを破るほどのものではないにもかかわらず、その分を補おうとする身振り手振りが激しく、遠目からでもわかるほどにやかましい。

「あっ、傷ついちゃうなあ。せっかく落し物を届けにきてあげたのに」

 状況を顧みずに、いいわけを取り繕おうとする姿勢は、相手の厚意を無にすることにもなりかねない。

 もっとも、唇をとがらせて拗ねた風を装う愛宕も、いたずらっぽい笑みを消す気配は一向にない。

 そんな表情を見せつけられていると、周章している方が馬鹿らしくなってくる。

 足柄さんが落ち着きを取り戻しはじめたと見たのか、愛宕はそっと木札を差し出してきた。

 今度はさして狼狽することもなく、両手でそれを受け取ると、それまでの姿態などまったくどこ吹く風と、澄まして足柄さんは門衛に木札を差し出した。

 そうしてあっけにとられている大門の人々をさしおいて、重巡洋艦コンビは並んで遊郭の外へ出た。

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「それでさ、彼ったらずっとちゅうちゅうしてるんだ。はじめはおっかなびっくりだったのにね。いざ口をつけたら、もう赤ちゃんみたいなんだから。腫れちゃうからやめてっていったんだけど、小さく首を振るだけでやめてくれないの」

 二人きりでどんな話題を切り出したらいいものか、足柄さんは頭を痛めていたが、まったくの杞憂だったらしい。

 放っておいても、愛宕がのべつまくなくしゃべり続けていたからだ。

 正直、少なからずほっとしたのは事実だ。自らの逢瀬を、人に喋々する趣味は持ち合わせていない。

「今だって、先っちょがじんじんとしびれてるみたいなんだから」

 もっとも、他人ののろけに耳を傾ける嗜好もない。

 目を細め、頬を染めつつ昨夜の状景を語る愛宕に悪意はもちろんない。ないだけに足柄さんも顔を真っ赤にして、口元をむずがゆく動かしながらも、制止もできずにいた。

 たっぷりしっぽりと情事の説明が続くうち、二人は商店街に足を踏み入れた。

 アーケードもなく一町ほどの通りの両脇に店が並ぶだけではあったが、朝の準備や仕込みにと人が入れ替わり立ち替わり往来する様は活気に溢れていた。

 何回戦目かの模様をしゃべる口がはたと止まったかと思うと、また種類の異なる元気よさで、

「ねえ、おなか空かない?」

 いわれるまでもなく、足柄さんも先ほどから空き腹を抱えている。実は、いつ腹の虫が鳴りだすかと、気が気でなかったほどだ。

 足柄さんは三度三度の食事はきちんととらないとダメだという性質ではない。そもそも、軍に所属している点で、そういう望みは端から持っていない。

 ただ、異性と肌を合わせた後の朝だけは、食欲が旺盛になって抑えきれなくなる。

 離れたぬくもりを埋め合わせるように食い気が襲ってきているのだが、本人まったく自覚的でない。

 豆腐屋の軒先からしきりにわき立つ湯気や、まだ準備中の札を下げためし屋からみそ汁の香りといったものが、通りには溢れていて、まったく空腹によろしくない。

「じゃあさ、軽く食べてかない? そこによく行く天ぷら屋さんがあるの」

 返事も待たず、愛宕は足柄さんの手をとって、そそくさと引っ張っていく。

 つれていかれた先は、天ぷらは天ぷらでも魚のすり身を揚げた、ねりものの天ぷらの店だった。

 軒先の間口を区切って、半分の縄暖簾の向こうのカウンターだけの細長い客席の側は灯が落ちているが、残り半分の露天販売用に設えられた台の奥で主人と思しき六十がらみの老女が、大きな鍋の前でかいがいしく調理を行っている。

 それを目にすると、小走りで近寄り、

「くーださいなっ」

「おやおや、愛宕さんじゃないかえ。今日もアッチの帰りかい?」

「やだもう、おばちゃんたらー」

 顔見知りらしい女主人は、いかにも矍鑠とした笑みまじりで親指を立てつつ軽口を飛ばすと、愛宕も照れてはいるが満更でもない素振りで体をくねらせる。

「おっ、見ない顔だね。そちらは?」

「こっちは足柄。うちの隊のやり手なのよ」

「へえへえ、お初に。どうぞ、これからもご贔屓ください」

 女主人は身軽に鍋のそばを離れて、前にまわるとあねさんかぶりの手拭いを取り、ぺこりと頭を下げてきた。足柄さんも両手を前であわせてお辞儀を返す。

 と、上げた顔の正面に相手の姿はなかった。

「んー、足柄さん、あんた安産型のいい体してんね。大事にしなよ」

 老女は足柄の脇にまわって、しげしげと腰まわりを観察していた。最後に景気づけのようにお尻のあたりを平手で思いきり平手で叩かれた。痛くはなかったものの、あまりに小気味のいい音がしたため、足柄さんはなんとも返答できなかった。

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「さつま揚げと野菜を二枚ずつね。袋とかいらないから。新聞紙で巻いてくれたら、そのまま歩きながら食べるから」

「馬鹿! 歩きもってものを食べるやつがあるかね。店の方まわりな、ほら!」

 一喝されてそそくさと愛宕は足柄さんを押して席の方に向かった。叱られたというのに、その顔はにこにこと笑みがこぼれ、いかにも嬉しそうだ。

「はい、お待ちどう。こっちは好きに使って」

 年季の入った陶製の皿に載って、二枚の揚げものが出されたが、どちらも足柄さんが想像していたよりかなり大きい。もう一つ老女が出してくれたのは、小鉢いっぱいの大根おろしで、淡雪のようにこんもりと盛られていた。

「えへへ、おばちゃん、ありがと。じゃあ、いっただっきまーす」

 足柄さんも早速箸を伸ばす。揚げたてのさつま揚げは、弾力のあるものの、力を入れれば箸でも抵抗なく割り入っていく。たちまち切れ目から、それまでほんのりたっているばかりだった湯気があふれ出す。同時に、揚げた魚の香ばしさと、種々の野菜のみずみずしさが香りになってたちのぼってくる。

 まずは一口、小さめに割ったものを運ぶ。固くはないが、しっかりとした弾力が歯ごたえになって伝わってくる。驚くくらいに生臭さがなく、魚のうまみだけがぎゅっと濃縮されている感じだ。喉を通ったあとに、生姜の味が口にほのかに残り、薬味として混ぜ込まれていたものが功を奏しているのがわかる。

 これは箸が止まらない。今度は大根おろしをたっぷりと乗せて、いっしょにいただく。

 こちらもおいしい。ピンと張るような冷たい大根おろしの辛みと、魚の脂の相性が抜群で、また刻まれた人参の甘みと枝豆の青さと合わさって、噛んでも噛んでも味が平坦にならない。

 油ものを食べたい、でも油っこいものは遠慮したい。

 足柄さんのこの時の嗜好に、大根おろしと天ぷらはぴったりだった。

「んー、やっぱり、おいしい!」

 隣の愛宕も賛辞を惜しまず声をあげていたが、足柄さんはその皿の上を見て、一瞬ぎょっとなった。

 大根おろしが真っ赤に染まっているのだ。

 隣に置かれた竹製の容器で、唐辛子を振りかけたのだとはすぐにわかったが、それでも大根の白い部分がまったく隠れてしまうほどまでに使うとは。

「足柄も食べてみる? おいしいよ」

 咄嗟に足柄さんは両手を前に出して、首を何度も横に振っていた。

「そう? ピリッとするのにな」

 ピリッというよりは、ビリビリのまちがいじゃ。

 あやうく声に出かけたのを、天ぷらといっしょに飲み込んだ。

 見ているだけでも汗が吹き出しそうになる食べ方は愛宕にまかせて、足柄さんは野菜揚げの方にも挑んでみた。

 魚のすり身が主張を控え、野菜がとってかわっている。人参や枝豆は同じだが、ごぼうはささがきにされて手間を掛けている分味わいも異なっている。それとはじめに目にした時から気にかかっていた、目に鮮やかな赤いものは、なんとパプリカだった。人参とはまた異なる、香り立つ甘みと、奥にある苦みが絶妙だ。さらに細く切られた軽い食感はセロリで、これも意外なほどに鼻に抜ける香気が揚げものに合った。

 失礼な話だが、こういう店でこんなものをたべられるとは思ってもいなかった。だから、足柄さんは驚きと感動を、正直に言葉にした。

「ずっと同じものばっかり作っていたっておもしろくないだろ。だから、いろいろ試してみてるのさ」

 快活な声が返ってくる。

「あんまり、誉めたらひどいめに合うわよ。前なんて、果物が入ってきたことがあったんだから」

 こっそりというには、大きめの声で愛宕が注意を促す。

「安心しとくれ。そんなのは、全部、愛宕さんにおまかせしてるからさ」

「ひっどーい!」

 女主人の豪放な笑いが起こり、眉を怒らせたふりを見せていた愛宕も、それにひかれてすぐにいつもの明るい笑いを合わせた。

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「おばちゃん、お茶もらうわね」

 返事も聞かずに愛宕は調理場から湯呑を二つつまみ出して、近くに置かれていた急須に薬缶から湯をそそぐ。

 片手で二度ほどやや長めに急須をまわして、中身を湯呑に注げかえると、そのまま片方を足柄に差し出してきた。

 においでもそれとわかる濃い目のお茶は、口に含むなり残った油気を洗い流してくれる。

 ほうと小さくため息をついて、すっかりくつろいだ気分で、食後のひと時を味わっていた。

「ねえ、足柄」

 まるで世間話でもするかのように、愛宕が声をかけてきた。

「それで、昨晩のお相手ってどんな子だったの?」

 だから、それはまったくの不意打ちになった。

 お茶を吹き出さなかったのが、せめてもの幸いだった。が、いくらかは気管に入り、盛大にむせることにはなった。

「ちょっとちょっと、わたしそんな変なこと聞いた?」

 あわてて愛宕が背中をさすってくれる。そうして、ようやく落ち着きを取り戻してみても、眼前の友人はまったくあきらめておらず、それどころかなお好奇心を募らせて、足柄さんの話を待っているのがうかがえた。

「だって、まさか、わたしの恥ずかしい話ばかりさせるつもりじゃないわよねー」

 それは愛宕が勝手に、という足柄さんの正当かつもっともな反論も、まったく効果がない。

 前方には主砲を二つもそなえた重巡洋艦がせまり、後方は逃げ場のない壁。地形もまったく足柄さんに不利、いや、その場所に誘い込まれたとは、その時になってようやくわかったことだった。

「うふふふふ。さあ、観念しなさい。ねんねじゃあるまいし」

 指をわきわきと動かしながらにじり寄ってくる愛宕を前に、進退窮まった足柄さんはたまらず悲鳴をあげた。

 けれども、それは天ぷらを揚げる音にかき消されて、賑わいをみせつつある街路にまで届くことはなかった。

 

説明
足柄さんと愛宕さんていいコンビだと思うの。
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足柄 愛宕 艦これ 艦隊これくしょん 

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