LOVELY HOME COMPLEX
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期末テスト真っ最中の中、ウルトラマンの事を考えている女子高生は変だろうか。

一学期も終わりに近付く7月11日、クラスに色々と苦くて痺れる空気が流れだす頃。

期末テスト最終日を机に座ってする事は、普通ならシャーペン持って問題用紙と睨み合う。ペン先を走らせる。

それが一番の最適解なんだと、この私も頭では思っている。

実際、私の周囲ではペン先と紙のこすれ合う艶めかしい音が先程から絶えないし、私自身も、ほんの5、6、もしくは7分前くらいまでは、回答用紙の回答欄に最も適する記号やら語句を書き込んでいる内の一員でもあった。

でも、でも今の私といえば、回答欄を3分の1くらいスカスカのピカピカにして、買ったばかりのクルトガも、消しゴムも、机の隅に退かし、追いやり、頬杖を突いて考える事といえば、専ら昨日見たウルトラマンの再放送の内容ばっかり。

もう20年近く前に地上波で放送していた半レトロなウルトラマン。

ちなみに私は今年16歳の高校一年生であり、当然ながら放送していた当時は生まれてもいなかった。故にそれの存在自体を知ったのも昨日である。ガール・ミーツ・ウルトラマン。シュールだなぁ。

要するに軽く一目惚れでハマったという訳。2000年代初頭の良作だと素直に思った。

しかし、突然話が曲がるが、その良作のように、私は夢を追い掛けて全てが変わる筈もない。

夢を追い掛けて全てを変えるには、まず前提として夢を持たなければならない。

夢を持つどころか、進級のためのテストすら、赤点回避が出来そうなら回答欄がスカスカでも放り出す。

面倒というのもあるかもしれない、いや、あるのだが、それ以上に頑張ってみる事に意味を見出せないのだ。

スカートもそれなりに短いし、授業も頻繁にサボるし、たまーに出ても教科書やノートを見るフリして呆けているだけだし、まあ典型的な不良なのだ。私は。板書なんて一学期の初期授業以来ずっとノートしていない。

こんな私が夢を持っても持ち腐れになる事確定的だし、そもそも何故に高校受験で頑張れたのだっけ。

つまり吾輩は駄目人間である。名前はあるけどね。美郷っていう、字面だけは立派な名前が。

お父さん、お母さん。私に似合わない立派な名前をありがとうございます。

そう、私は美郷。ほぼクラスから押し付けられた形で副学級委員なんかやっているけど、当たり前のように中身の全く伴っていない、縁日のタコ焼きみたいな女子高生です。

さっきから教室の前方で目をギラリとさせている教師が、やたらとこちらを睨んできます。私はそんな人間です。

何度も授業に出るように説得を受け、その度に私は帰りに好きな漫画の最新刊でも買っていこうかなー、この人そろそろ息切れ間際だなー、とか呑気に考えて、座らせられたパイプ椅子をギシリと鳴らしてみたりして時間を潰しに潰していた。

両親からも怒鳴られる回数が笑い事では済まない領域に入っている、というか半分諦められた状況まで落ちてしまったような惨状まで行っているので、怒られ慣れ、暇慣れの仕方が常人離れしている自覚がハッキリあります。自慢じゃないけど。

今みたいにテストの残り時間がひたすら暇でも全く気にならないし、一日中机に座って黙り込んでいろと命令されればきっと12時間程度なら耐え切る自信があった。根拠は無いし、ひたすら何の役にも立たんけど、多分出来るよ。きっと。

そんなどうしようもない人間です。それが美郷です。

話は戻り、あの特撮に惹かれたのは、結局自分に無い物が沢山と盛り込まれていたからなのだと思う。

自分に無い物に惹かれるという事は、自分でも今の堕落した自分では駄目だと気付いているのだ。その筈なのだ。

それでも、それでも私は、落ちた穴から抜け出す事が出来ず、他と違う路線を走り続けている。

私の皆と変わらない面を上げてみるとすれば、美味しい物を食べれば頬が緩むし、可愛い物を見れば和むし、……きっとテストで満点を取れば破顔する。有り得ないけど。それ以外はまるで他人と別路線。クラスで若干浮き気味だ。

それに、テストの時間が終わった時に妙な解放感に包まれる所も皆と同じ。中には、次のテストに向けて逆に気を引き締める真面目な御方もいるけど、私はテスト終了と同時に気が抜けて脱力する、一般的とされている方だ。

「……はぁー……」

その証拠に、今、テスト終了のベルが全校に鳴り響いた瞬間、全く意識しない溜息が出たから。

ゼンゼンできなかったよーとか、あの問題マジ……とか教室中から聞こえる中、後方から流れてきた問題用紙の束に、自分のスカスカ用紙を潜り込ませて、教卓で偉そうに腕を組むマッチョ教師の元へ届ける。

言っていなかったけど、私の席は最前列の一番右、つまり廊下側の先頭です。

お前、諦め早過ぎだろ。小声でボソリと言われた。うるせえよゴリラ。アフリカの奥さんトコ帰れ。

「…………」

変な意味ではなく、子どもが大好きな怪獣ヤマワラワの事を考えながら、並行作業で帰ったら何するか考える。

といっても帰ったって何もすることなんか無く、しかし寄り道する場所も全く無けりゃ、金も無し。

あー面倒だ。いっそ学校にタクシー呼んで、いつもと違う刺激的な下校風景を演出するのも……、馬鹿みたいだからやめる。

というか、金があるのに使い道が無いのって、見る人から見れば投石モンだと今更気付く。

色めき立つ周囲の方々と同じように、ただしテンションだけは数段下にして、一般的な学生鞄に荷物を纏め、ペンケースなど持っていないので、ポロシャツの胸ポケットにクルトガと消しゴムを収納する。

私ぐらい上半身の凹凸に乏しい身体だと、胸ポケットがより有効的に使えてムカついた。

何となく肩まで伸ばした黒髪を手櫛で何度か梳いて、再び溜息を一つ。幸せが逃げる。

幸せは歩いてこない、歩いていっても見当たらなく、ならば自分の力で作り出す。熱血理論。

湧き上がる虚しさを鼻歌で虚しく誤魔化していると、不意に腰の革製ケースに収納した携帯端末が振動した。メールだ。

どうやら電源を切るのを忘れていたらしく、テスト中に鳴らないでくれた端末の親切心を私は噛み締めた。馬鹿らしい。

学生鞄を右肩に背負いつつ、端末を取って差出人を確認すると、

「……何の用だい」

微かな頭痛を押さえて、後方に振り替える。

そこにはヘラヘラした笑顔と柔らかな雰囲気を振り撒く、私と同じくらいの背丈の女子生徒がいた。

“ばーか”とだけ書かれた、その下らんメールの差出人は、私の真後ろの席のそいつからだった。

「普通に名前呼んだって無視して行っちゃうだろ。お前は」

その小柄な女子は言う。大正解だった。

「私を呼び止めるために無駄な電源を使うなよ……」

「遊びに行こうよ。これから」

「…………」

そいつ、……音乃は、会話を順序立てて成立させる事が出来ないらしい。

音乃、この私よりチビで、私の真後ろの席で、始業式の翌日頃からやたらと私に絡んでくる女子生徒。

私、ゴリラに続く、第三の登場人物。音乃である。

「何でよ」

「テストも終わったから?」

「疑問形で聞き返すなよ……」

高校に入ってから知り合った中で、お互いが何処に住んでいるのかも知らない。誕生日も知らなければ血液型も知らない。

だけど何となく2人の雰囲気を作り上げる事が出来て、やはり何となく友達やっている、そんな仲だ。

「テスト終了の解放感に便乗して、友人と盛大に遊びに行く。女子高生の行動パターンとしては一般的だと認識しているけど」

「一般的認識が万人受けするなんて限らないでしょうよ」

「遊びに行ってくれないの?」

「……いいよ。私も暇だった」

「愛しています」

「うるせーアホ」

よく分からないやつだ。私も大概だと思うけど、こいつは私以上に。

授業には真面目に毎回出ているし、生徒会に所属しているらしいし、友達も沢山いる。

私とはまるで対極の存在だと識別せざるをえない程度には教師受けの良い、友達受けも良い生徒なのに、私みたいな出席数がレンコンの断面状態な不良に、言い方は失礼極まりないが寄って来た。率直に例えて変わりに変わった変わり者だ。

以来、何となく休み時間に2人で話してみたり、イラストの描き合いっこしたり、一回だけ一緒に授業をサボってみたりした。

お互い様だろうけど、何だかんだ校内では最も気兼ね無しに話せる相手だったりする。それが音乃さん。

これまでにも、一緒に帰る途中でコンビニに寄る程度に親しく接してはいたが、ところが具体的に帰り道を逸れて、何処かへ遊びに行こうと音乃から誘われたのは初めての事だった。

一応注釈すると、友達と遊びに行った事なんて小学生時代以来だったと記憶している。

「金は余り無いけど、別に何処でも良いよ」

「いいよ、私が誘うんだから支払いも私で。……つっても、何処に行くかまでは考えてないよ。私も」

「何それ」

暫くの間、頭から抜け落ちてすっかり忘れていたけど、これは友達と話す感覚だった。

理由なんて改めて考えるのも面倒くさいけど、何か音乃は私と親しくなってくれた。

付き合うのってなかなか疲れを感じる事も多いし、気を遣うのも面倒だ。

今この場で音乃の頬を殴っただけであっさり終わるだろう脆い関係、土壁みたいな強度の関係。

何でこのような面倒事にここまで心血を注ぐ気になったのか、自分でも分からない。多分、いくら考えてみても、湧き上がる知恵熱で無駄に暖かくなるだけ。夏なのに。

でも、何となく感じている。面倒だし、疲れるけど。ああ、こういうのって何かいいなぁって。

それで私が不良から更生するという訳では断じてないのだけど、日々の怠けの傍らでこんなのもありだなぁって。

夢を追って全てを変えるのも諦め、人の上に立つ事も面倒だと蹴り、なのに自分に無い物に何処かで憧れ、素で子ども向けの特撮に目を奪われる。仮にも華の女子高生としては底辺クラスの気質を持った馬鹿な美郷。

面倒くさい、その一言でお片付けを済ませる私だけど、……何なのだろうな、音乃という子は。

彼女は多分、こんな私に誰かの気紛れで用意された、チャンスなのだと思う。何のチャンスかは言わずもがな。

面倒くさい彼女と話す。その時間が一日の中にあるからこそ。……まあせめて学校には来てみるか。

私の中のそんな気紛れが動いてくれるのだろうと素直に認められる。

夢なんて持てない。人の上になんて立ちたくもない。更生なんて一生出来ない。

でも、小さい事から始めてみて、自分に完全敗退だけは決してしない。そう強く誓う。

 

結局、その日は駅前の小さな喫茶店にて2人で過ごす事に決定した。

どんな時間が待っているのか知らないし、面倒という気持ちも嘘じゃない。

でも、思う。

「あんたさ、碌にテスト解かないで赤点が怖くないの? ってか、暇じゃないの?」

「赤点を回避出来る分だけは解いているから問題無し。ついでに言うなら今までずっと忙しかったから。思考するのに」

「えー信じられん。何を考えればあの空虚な暇を吹き飛ばせる訳よ」

「ウルトラマンについて。さっきまで考えてた」

「馬鹿だなお前」

「知っているよ。ああ」

きっと、楽しみにしているからこそ、今はウルトラマンについて考える暇が無いのだろう、と。

後日、返されたテストの点数は、全て赤点より2、3点くらい上だった。

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季節、夏と秋を通り越して冬の始め。

澄み渡るような凍て空の下で体育の授業を行うため、薄っぺらい体操着の上から着るジャージは、例え石垣島の学校だろうが、海外は知らんけど何処の学校だろうと、指定品が存在していると思う。言うまでもなく、私の通う市立高校にも、だ。

それは当たり障りの無い青色の上下セットで、上着は前部をジッパーで開閉可能なジャケットタイプ。着心地もこれといった文句が浮かばない程度に良好なので、私こと美郷も、今日みたいな息の白くなる日には重宝している。

主に、通学時に制服の上から着る、という形で。

「うおぉ、寒ぃサミィ……」

流石に上下とも着るのはアレなので、というか下を紛失したので、重ね着するのは上着の方だけ。下は生意気にミニスカ生足なので、余計な脂肪が無い私としては地獄でしかありません。疲れてないのに足が棒になりそうだ。

通学路、私の周りを歩いている女子生徒は、ロングコートに身を包むなり、ストッキングを穿くなり、男子生徒でもマフラーを仮面ライダーみたく装着しているので、私と違って対策は万の全。

というか、殆ど皆が友達のグループで一緒に登下校して、忙しなく喋るのに夢中で、寒さに鈍感になっているのかもね。

そもそも余り大勢で群れたりしない私には分からない事だ。授業も頻繁にサボる程だし。ついでにテストの回答も。

突飛な話だが、私みたいに色々あって家族と冷戦状態だと、親にコートを強請るのも結構気まずい。

(家族には黙って)バイトはしているし、金のアテが無い訳ではないけど、生憎と先月の中旬頃に採用されたばかりで、コート購入の打撃に耐えられる額は未だ溜まっていないのだ。残念だけど、少なくとも年内は制服とジャージで1人不毛な我慢大会をするしかないのだ。ストッキングくらい買っておこうかな。

そんな私が今、身に着けている物。

下着は除いて、冬用ワイシャツ、ジャージの上着、スカート、紺のソックス、白のカーディガン、ネクタイ、安物の腕時計、スッカスカの学生鞄(携帯電話、漫画入り)、胸ポケットにシャーペンと消しゴム。後はローファー。

12月初頭の街中を歩くには、まあ寒いわな。

ってか、本来なら学校指定のブレザーも来ている筈なのだけど、ジャージの下と同様に入学式から目にしていない。

卒業式に着ていかないのは致命的なので、帰ったら暇な時にゆるゆると探してみましょう。

……あ、それと、頭に黒いカチューシャも着けていた。本当に意味無いけど。

「空は灰色なり……。おや」

余りの寒さに降雪の可能性を疑いながら歩いていると、何やら前方に見覚えある後ろ姿が。

私と同じくらいの身長、私より若干長いスカート、長くも短くもない垂らした黒髪と、気だるそうな歩き方、ついでに派手な柄の入ったエナメルのショルダーバッグ。どう見ても音乃さんだけれど、気のせいだろうか、何となくその足取りが重そうに見えた。そんな一目見て分かるくらい、いつも一緒にいる事は無いけれど、私の考え、持ち合わせる一般的な観念から見て。

何か気分の沈むような出来事があったのだろうか。

「おー、美郷太郎じゃん」

「人の名前で遊ぶなよ」

音乃、と、背後から気安く名前を呼ぶと、彼女はクルリと私に振り返った。何その3秒と掛けないで編み出したような渾名。

「音乃、何か嫌な事でも……」

「昨日さぁ、やっと買った高級プラモの組上げに失敗してさー。って、美郷? どうしたん?」

さながら漫画のワンシーンみたく額を押さえた私に、隠れプラモマニアな音乃さんが心配そうな声を上げなすった。

数秒で起こった純なる優しさの盛大な空周りに、割と本気で頭に衝撃が来たけど、大人なので黙っておく。

それどころかお子様の話に乗ってやる。確信した。私って優しいんだね。

「カウンタックだけど、諭吉と送別会開いてまで買ったのにセメント零してさ。ただでさえ寒い今日が更に虚しい……」

「あっそ、じゃあアンタも授業サボっておけば?」

何か怒ってないか? と聞かれたので、自分に怒っている、と返しておいた。

全然知らんが、外国の凄い車らしい。カウンタックというのは。車なんて、乗れるならリヤカーでも構わんね。牽引する係は隣を歩くアホに決定するとして。

燃料? 使い捨てだから給油の必要は無いのだ。

 

 

 

 

 

「学年に1人くらい、冬でもサマールックな奴はいるだろ?」

自分の教室の席に座ってジャージを脱ぎ、音乃に何でそんな寒そうな格好をしているのか聞いてみたら、そう返答が来た。

確かに私のいた学校にもそういう子はいた。雪が降っているってのに、平然と半袖短パンで街中を闊歩する猛者が。その子は男の子で、しかもそれ私が砂場で“おかーさんごっこ”していた頃の話だけどね。

音乃が今、身に着けている物。

七分袖風に捲られた冬用ワイシャツと、フリース素材っぽい、やたら長い黒ソックス、ネクタイ、上履き、左手首にリストバンド、以上。私みたいにジャージすら見に着けず、それどころかカーディガンにすら頼らずに、今まで寒天の中を歩いていたのだ。馬鹿、これ以外にどんな言葉を掛ければいいと言うのか。

見ているだけで寒いという意味では、音乃の格好は果てしなく目の毒であった。

夏か秋なら、キャラメルラテを積んだスターバックスの容器でも持たせれば画になったかもしれないが、今は冬だ。

一方、私より少し遅れて机の椅子に腰掛けた音乃は、

「私としちゃ、美郷の方が寒そうだったけど。主に脚とか、周りからのドン引いた視線とか」

「あん?」

「……あ、まさか自覚なかったの? あっても困るけど」

何か音乃が妙な事を口走ってきた。まあ確かに脚は凍えそうだったけど、それは音乃から言われる筋合いは無い。

それにドン引きな視線とか、自覚とか、こいつは一体何を……。

「美郷、ジャージもっかい着て」

「……はいはい」

訳が分からないので、取り敢えず言われた通りに椅子に掛けておいたジャージを取り、再び袖に腕を通す。着た。

「はい、こっち向いてー」

「は、……ちょっと、何勝手に」

「いいからいいから」

音乃はいつの間にか携帯端末をカメラモードにしていて、あろうことか私にレンズを向けていた。え、何これ。

「はい、いぇーい」

「い、いぇーい……」

おそらくネットから落としたと思しき、聞き覚えの無いシャッター音が鳴った。咄嗟にポーズを取った私の順応性に驚くが、音乃の意図は相変わらず理解に追い付かない。カウンタックと走りで勝負しているみたい。カウンタックが如何ほど速いかは知らないけど、曲がりなりにも車だし。

「括目しな」

生意気な口調ながら、音乃は撮れた私の艶姿(大嘘)を見せてきた。自分の写真なんて見たいとは思わなかったが、音乃の方がしつこく見るように言うので目を通してみる。

「…………」

見て、すぐに目を逸らす私。写真鑑賞時間、僅か6秒程度。

「括目したかい?」

「うるせえ」

私は額を押さえながら吐き捨てるようにして言った。

端末の画面の中にいた私、自分では何となく防寒のつもりで着ていたジャージなのだが、……何というか、スカートをやたら短くし過ぎていたせいか、その……。丈の長いジャージ、丈の短いスカートのコンボ攻撃を、私自身は知らぬ間に受ける事になっていて、つまるところ、下に何も穿いていないみたいだった。なんじゃこりゃあ。

「ずっと思ったけど、ジャージの上1枚で出歩いている変態みたいだったよ。美郷容疑者ってば」

「んだとこら」

写真に写ったピースしている自分が、まさしく下に何も着ないで出歩く変態に見えた分、ムカつきが割り増しとなった。

音乃、言われても怒らないから、頼むから通学している時点で言ってほしかった。

もう気まずいとか知った事か。何が何でも今日、コートを買ってくれるよう、親に強請りに行こう。

そこで真っ先に、スカートを少し長くしようと思わない辺り、私も女子高生の端くれなんだなと、しみじみ実感した。

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時期、冬休みが近いよ12月中旬。

高校1年生の私こと美郷は、相変わらず碌に授業にも出ず、教師や生徒と顔も合わさず、省エネな日々を過ごしていた。

前世が猫だったか、南国人の血を持っているのか、私は人よりも3倍くらい寒さが苦手だったので、本心をぶっちゃければ、今日1日は自宅でTVでも見ながら燻っていたい所だった。のだが、何やらいつもは保育士の仕事のため、朝早くからいなくなってくれる筈の母上が、急な休暇が入ったとかで家のリビングでアザラシ状態になっていた。態度、体型、共に。

会話どころか、普段から冷え切った仲な分、私が家にいても怒られもせず、余計な気まずさが生まれることぐらいは分かり切っていたのだ。そういった意味があって、この私としても、流石に冷戦状態な母親がいる前で堂々と、はなまるマーケットにチャンネルを回す訳にはいかなかったのである。

母親が家にいる事に正直な不快感を覚えたし、産んでくれた親に対して不快感を抱く自分に対しても不快感を覚えた。

ちなみに私の家にTVは1台、1階のリビングにしか無い。親がいると視聴するのにも気まずくなるので、私の使う情報源は殆どが携帯端末と昔の知り合いである。流行のドラマとかバラエティー程度なら普通に知っているけれど。

そんな訳で、朝のホームルームを終えたら鞄とコートを置いて速攻で雲隠れ。今日もクラスメイトと顔を合わせるのは、朝のホームルームと掃除の時間、あと巡り合わせがあれば廊下を歩いている時にすれ違ったり。

朝と掃除の時間だけでも学校に顔を出すのは、完全に悪者には成り切れない、私の中途半端な性質の表れなのだろう。

不良みたいな事はしていても、進級、卒業は落とさないようにする。及第出来れば万事良し、なのだ。

ところで、そんな今日の私がサボりの舞台として選んだのは、ここ、私の教室がある本館と渡り廊下で繋がって奥の方にある準館、その1階にある図書室だ。この準館は、私の入学する少し前に改装工事で綺麗にされたらしくて、私がいる図書館も、本に使われている紙の匂いと新しい壁紙の匂いが絶妙に混ざり合っていた。その妙な匂いは好きになれるものじゃないけど、1日中暖房が音を立ててくれているこの環境が、寒がりの性質的に私の中で大好評だった。

その上、ここの……、ええと司書? ……さんは、他人に深く干渉したがらない性格をお持ちのようで、カウンターに座って難しそうな書籍に目を落とす彼は、時折私の姿をチラリと見ても、声を掛けてくるような事はしてこない。サボり常習者としては、これが実にやりやすかった。もし授業時間帯にこの場にいる事を咎められようものなら、私が快適と評した場所を自ら手放す羽目になるのだ。そうなっては他に暖かい居場所が失われてしまう。

「……んお」

少し昔に流行った漫画を棚の影に隠れて読みつつ、暖かさからくる眠気に耐えていると、スカートのポケットに仕舞っていた携帯端末が不意に震えた。どうやらメールを受信したようだ。誰から? 今は全校授業中だし……、まさかスパムだろうか。

こみ上げる欠伸を噛み殺して漫画を閉じ、端末を起動、差出人を確認してみると。

「勇気あるなぁ、アイツ……」

受信:音乃

私の後ろの席に座っている友人からだった。今は授業中な訳なんですが、まさかメールしたのかアイツ。私の後ろの席だから、アイツの席って一番廊下側の前から2番目の席なのに、何考えているんだ。むしろ何で教師は気付かんのだ。

万が一にも救難要請なんて事は無いだろうが、何か怖い気もしたので、恐る恐る画面をスクロールさせる。

そこにはたった3文字で、とてもシンプルに、こう書かれていた。

《今どこ》

それだけだった。漫画だったら脚を投げ出して転んでいたであろう、無味乾燥な拍子抜け展開だった。

「これを送って、私にどうしろと……」

いや、どうしろにも返信しろと言いたいのだろうが、繰り返すが、今は授業の時間な訳で、果たして返信していいものか少々判断に困る。……いや、別に構わないよな。困るのは私じゃないし、音乃が怒られても自業自得だし、それも面白そうだし。

それに、余りに拍子抜けで、それどころか一周回ってムカついてきたので、少しからかってみる事にした。

返信を選んで、私は文面の入力を始める。そうして、このような内容を作ってみた。

《アンタの後ろにいるじゃん》

もう三週間前ぐらいにネットで見たホラー映画のネタをぶち込んでみた。

映画では、メールを受け取った女の子が振り返ってみても誰もいなくて、悪戯かとウンザリ気味に再び向き直った瞬間……、ってベタな展開だった。今時あんなのは怖くもなかったが、BGMも無い静かな中にいきなり恐怖サウンドを鳴らされたので、不覚にもビクッてなったのが悔しい、と言えば、まあ悔しかった。ホラー映画に悔しいって、何だそれ。

すると、何と今度は1分と経たない内にまた端末のバイブレーションが起動した。

おわ、こんな早く来たよ。これはもう、教師は居眠りでもしていると考えても差し支えないのではないか。

再び読もうと開き掛けた漫画を閉じ、また端末のメール確認に入る。サボっているのに忙しいな、私。

さあて、音乃ちゃんは怖がってくれたかな。タウリン1000mgくらい微量な期待感と共にメールを見ると、

《美郷って男だったの? 気付かなかった》

「…………」

一人相撲だって事は分かっていたが、余りに真顔な回答で、しかし何処かで、仕方ないからボケに乗ってやろうとした音乃の無駄な優しさの痕跡が垣間見えて、私は猛烈な羞恥心に頭を垂れ、額を押さえた。何これ、超絶的に切ないぞ。

そういや音乃の後ろの席は男子生徒だったかな。名前は忘れたけど。そもそも聞いてもいないけど。

無様に頭を抱える私を、カウンターの司書さんが不思議そうに見ている。……ような気がした。

 

 

 

流石に面倒になったので「ふいぃ……」、気の抜けた溜息を最後に、以降の返信はしないでおいた。

マジメに授業を受けなさい、それと私の胸はお前よりもある、と返したい気もしたが、お前がゆーな、あと死に腐れ、と再度メールされる事必至だし、友人の授業態度のために自重するのが正しいのだろう。そうに決まっているのだ。なはは。

「む……。また思い出したぜ」

あー、そういえば。この前の夜に見た夢でそんな事があったなと、メールをトリガーに、私は唐突に思い出す。

それは先週末の、きっと夜中。寝ている時に見た夢で、一体どのような脈絡の末に、私があんな夢を見る事になるのか理解が出来ない。そもそも夢に脈絡も何も無いのだろうが、実に奇妙、そんな夢だった。

まず、最大の問題点として何よりも優先して話しておきたいのは、私という存在が男性になっていた事。何故だ神よ。

暖房はしっかりと天井から暖気を吐き出し、図書室を巡っているというのに、その時の事を思い出すだけでも変な震えがした。

流石に見たのが先週なので、そこまで詳細に夢の内容を覚えている訳ではない。けれど、男になった私は飛行機みたいな物に乗って眼下に広がる街みたいな何かを見下ろしていて、……その後どうしたんだっけ。思い出せん。

印象も薄くて断片的だけど、起きた時に信じられない程に身体中が汗だくと化していて始末に苦労したので、嫌だというのに記憶として、頭の中に油汚れよろしくこびり付いている。脳みそのクリーナーがあるなら実に欲しい所だ。

冬の汗まみれ。何とも気を削がれる寝起きで、窓から差し込む朝日に当たって、1人虚しく全身を乾かした。

何度目になるだろう、あの夢をこうして不意に思い出すのは。恋などした事も無いが、片思いで好きな人と何気なく交わした会話を後々まで覚えているような感じだろうかね。どうだろうね。

まあ、私の夢の話なんて他のどんな話よりも詮無い話、生産性の無い話だ。さて。

「そろそろ終わる、か」

結局、最後まで読み終わる事の無かったAKIRAを棚に戻して壁に掛かった時計へ目を遣ると、丁度4限終了のチャイムが、もう少しで鳴りそうな所だった。おう、ナイスタイミング。

後は空いたお腹に何かチャージして、残りの5、6限をエンヤコラと乗り切れば今日は終わり。なのだが、何か小耳に挟んだ話によると、今日の5、6限は予定を変更して体育館で偉い人の講演会を開くらしい。それも全校ぐるみで。

あれだ。若い学生に人生の先輩が道を示す。とは名ばかりの我が校は地域社会と密接ですアピール、及び大規模睡眠導入装置。

「帰ろう、かなぁ」

思考を巡らせた私が、そういう結論に至るのは必然だった。歯を全裸にして言うなら、面倒だから。そういうイベントに私は意味が見出せないし、見出そうとも思わない。私に偉い人の言葉なんて勿体無い。そういう風にも純粋に思っている。

昼休みになってしまえば、この図書室も人口密度が増して、一気に居心地の悪い空間となる事は確定的だ。だから、教室へと戻って帰り支度をするなら今が最も良いタイミングだろう。そして遂にチャイムは鳴った。

何も言ってこないのは分かっていたけど、何となく、私は司書さんの目を避けるようにして隠れつつ、図書室の真新しい扉を閉めて鞄と防寒用のロングコートの置いてある教室へと小走りで向かった。

きっとこの肌を貫く廊下の寒さは、5.6限を捨てて帰ろうとする私への罰なのだろう。

 

 

昨日の5限、講演のために来ていた人が全校生徒、及び教員の前で激昂する騒ぎがあったらしい。

らしい、というのは、私が5限の始まる前にサッサカと荷物を纏めて勝手に早退し、近所の書店へ立ち読みしに行っていた。故に私は現場にいなかったから人伝に聞いただけなので、そういう意味での“らしい”だ。

「5限が終わる頃だったかな。何か、いきなり2年生の誰かが騒ぎ出してさ。余りにうるさくて、講演に来ていた人の堪忍袋が堪え切ってくれなかったと。いやぁ、壮観だったよ。なかなか」

その人伝の人、友人の音乃が言うに、そういう事らしい。壮観、個人的にその皮肉は嫌いじゃない。

音乃さん曰く、その講演に来ていた人に噛み付いた人(数人とかではなく個人だったらしい)は、基本的にクラスメイトの名字すらも頭に入っていない私も、これまた人伝だが何となく知っている程度に、校内では有名な人だった。

いわゆる、何処の集団、友人グループにも属さず、……属せず、自分の空気の中で生きているタイプ。性質は何処か私と似ているな、でも私はあそこまで自分を主張しようとは思わないな、誰かと喧嘩になったりしないのかな。とか、前々から薄ーく印象は持っていた人だけれど、今回、とうとうやらかしたらしい。よりによって校外の人に向かって。

私は講演への出席すら拒否して真っすぐに帰宅した立場なのだが、いやはや音乃の話を聞いてみてしまうと、何とも、まるで昨日の5限に繰り広げられたであろう修羅の光景を空高くから、まるで俯瞰で見下ろさせてもらっているような感覚に……、……あ、また例の夢の話を思い出してしまった。踏んだり蹴ったりだよ。もう。

「結局、講演は中止になって、5限が終わった辺りで解散になったんだ。あんな事になるなら美郷と一緒にサボればよかった」

「講演会って意外と出欠確認があるでしょ。私は別として、アンタみたいな優等生が出なかったら問題よ」

音乃は暫し考えるように首を傾げ、やがて何か閃いたように手を打った。

「……あぁ、そういや確認していたね」

「でしょ。だから、お嬢さんはおじさんみたいに汚れちゃいかんのです」

「何さ偉そうに。でも、流石にそういう事は熟知しているな。美郷」

「最低でも及第出来る程度に最大限サボるからね。そういう情報は必須だよ」

その直後すぐにバインダーを抱えた担任が教室に入ってきて、会話はそこで打ち切りになった。

「あー、皆も分かっている事だと思うが……」

担任は教卓にバインダーを置くと同時、まあ低い声でクラスの面々に話しだす。

担任のゴリラは、それ自体がギャグな顔に似合わず深刻な表情を浮かべていたので、まず間違いなく昨日の騒ぎの事について話すのだろうと、私も、多分クラスの皆も直感していた。

先生、私は昨日の講演会に参加していません。私は無関係です。後で言っておきたい所だったが、本校に籍を置いている以上、私が不良認識されている以上、あと人道的に考えて、その意見は地雷になるのだろうなぁ。

本当、連帯責任というのは面倒くさいものだ。同じ境遇なら、部屋を違えていたって責任の火の粉が飛んでくるのだから。

自分が勝手に見た夢で苛立ちを覚えるより、たった1人の他人の奇行のせいで巻き添えを食らう事は、自分でも驚く事だが、まるで苛立ちの度合いが違う。本日は無駄に勉強になった。

「……チッ」

この時に私は、自分の盛大な舌打ちでクラスの空気を一瞬止めた事に、全く気付いていなかった。

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いやはや、色々と幼い女の子というのは凄いものだと思った。

それは珍しく私が定刻通りに、規則正しく早起きして、朝のホームルームに間に合う時間に家を出た、夏休みの本格的に近い7月の始め辺りの事。いつもよりも数段は早い時刻に最寄り駅を出発する、快速電車に乗った時だった。

いつも乗る準急電車よりも、比較的空いていた快速電車に乗り込んだ私は、爺さん婆さんが傍に来たら適当に譲ればいいか、程度の適当な気分で、あからさまに空いていた車両隅の優先席に腰掛け、少し前に謎の紫色の髪の毛のオバちゃんから注意を受けた事を思い出して、携帯端末の電源を切っておいた。自他を問わず認められる不良学生にしては、中々に出来た事をしていると思う。一体どうしたというだろう、今日の私は。

私こと、今日の美郷は、別段として近所の野良猫が擦り寄ってきただとか、駅前の商店街の福引きが当たったとか、そういう幸運に恵まれたりした訳でもないのに、機嫌指数で言うと33、当たり付きアイスの当たり1本分くらいに気分が良かった。

ちなみに普段なら機嫌指数14〜17、よくても22くらいまでが良い所である。

朝御飯は苺ジャム乗っけた食パンが1枚のみだったけど、不思議と身体が軽いような気がするんだ。

そう些かルンルン気分で、中学1年の頃から使っている年代物のiPodで昔のゲーム音楽を聴いていた所、次の停車駅にて、私の向かい側の優先席に3人の親子連れが、優先席の1台分を丸ごと占拠する形で座ってきた。

恐らくは母親と思しき、30代半ばくらいの女性が中央に座り、私から見て母親の右側に小学校1年生かそこら程度の男の子。母親の左側に、男の子よりも少し、本当に少しだけ大人びた印象の持てる女の子が、それぞれ座った。

母親は席に腰掛けると同時、派手なシャンパンゴールドのカバーを取り付けた携帯端末を取り出し、って何してんだコラ。

男の子の方は元々眠かったのか、座って母親と少し遣り取りした後、すぐに船を漕ぎ始めた。

女の子は、持っていた可愛らしいピンク色のバッグから最新型の携帯ゲーム機を取り出して遊び始める。……問題だったのは、何を隠そう、その女の子だ。いや、優先席で携帯端末を弄り始める親も大概だけど。

解説しておくと、彼女が身に着けているのは半袖のポロシャツの裾を膝上まで延長したような紺色のワンピース、下は素足にサンダル、左手首にラバー製の赤いリストバンド、柔らかそうなサラサラの髪を肩まで伸ばした、至って普通の子だ。

その女の子、本人は無自覚なのだろうが(狙ってやっていたら怖いわ)、……何というのか、端から見ていると非常に悩ましいポーズをお取りあそばれている。携帯ゲーム機で何かのゲームをプレイしており、殊勝な事に音量も制限を掛けているみたいだから、それはいいのだが、問題は彼女のお腹より下。有り体に言うなら、下半身の方だった。

……本当なら同性のあられもない状態をこういう場で説明するのも嫌なのだが、席に余りにもたれ掛かるものだから、彼女のワンピースの裾が徐々にずり上がり、そこから伸びる真っ白なふとももが存分に露出されているのだ。……そりゃもう。

股下で言うと……、ええと2、3pくらいにずり上がっていて、前方へ無防備に投げ出された2本の肌色の架け橋が、優先席とその付近一帯に微妙な空気を振り撒いている。ちなみにその空気の色は薄い桃色だ。

当然と言うべきなのか言わない方がいいのか、それは皆さんの一存にお任せして、女の子はゲームに夢中で、自分の生足が盛大な事になっているなど気付く様子は皆目無し。弟さんと思しき男の子は完璧なるマジ寝に入っているので、この状況に於いて希望の星と私が視線を向けた女の子の母親は。

(この役立たずが……)

わーお、娘さんの惨状など何処吹く風、いや台風。手に持った端末の画面に釘付けですね。私は心の中で舌打ちした。

ていうか、ここは優先席であって、必要性が感じられなくても電源は落とすものだと思うよ。私みたいな不良に思われちゃ、落ちる所まで落ちているね、母親さん。……アンタもだよ、私の隣に座ってメールを打っているサラリーマン。

頻繁に足を組んだり、組んだ足を組み変えたり、膝を折ったと思えば内股を擦り合わせてみたり……。無自覚にやっているとしても、狙っているのでは、という疑念を禁じえない程に、いやらしい意味で官能的で、しかし仕草の主が主だけに、何処かやるせなさみたいなものを湧き上がらせるが、そんな事を女の子が気付く筈もない。

すると、不意に女の子は履いていたサンダルを器用に足だけでモソモソ脱ぎ始め、脱ぎ終わると、その両足を上に……。

あーあー、そんな所で体育座り始めちゃって。もう純白の下着がえらく大胆な角度で丸見えですよ、女の子。丸見え。

何やっているか、隣で携帯端末と睨み合っているそこの母親ぁ。私の……、ええと、父親だったか母親だったか忘れたけど、私がそういうはしたない格好したらゲンコツ振りかざされてやめさせられた記憶があるぞ。しっかり躾けろよぉ。そうやって躾けられた結果として、私がこんな不良になっている事は取り敢えず置いておくとして。

まあ、周囲の人達を見てみなさい。先程のサラリーマンなんか親と娘を交互に見て苦笑いだよ。気が合うね、おじさん。

その後、親子連れが乗ってきたよりも3つ後の停車駅で、その親子連れは、何事も無かったかのように降車していった。

音楽を聴いていたから声も聞かなかったけれど、寝ていた弟を可愛らしく繰り出したパンチで起こしている女の子は、とても今の今まで、優先席付近に居心地の悪い雰囲気を振り撒いていた子だとは思えない無邪気さを露見させていた。

一介の女子高生、この私が遭遇した、早朝のちょっとだけ桃色な事件、これにて終了。

ああいう子、将来になって今日みたいな日を、公衆の面前でスカート全開、子どもとはいえセクシャルな体勢を、無自覚でも大サービスしていた日の事を、大きくなってから万一にも思い出したとしたら、一体どれほどの遅発性の羞恥に襲われる事か。

いや、せめて、仮に今日の出来事を思い出した時に、少なくとも羞恥心に襲われる事の出来るような女性へと育ってほしい。私は人生の少しだけ先輩として、電車を降りていく女の子の背中に小さく祈りを投げた。不良なのに、偉そうに。

まったく、変に調子が良いと思えば途端にこれだ。珍しく早起きして快速電車の恩恵を受けられ、その直後に子どもパンツに脳を埋め尽くされて、これで微妙な憂鬱が襲ってこない女子高生なんて、多分いないぜ。そう信じたい。

結局、私は高校の最寄り駅よりも1つ手前の停車駅にて途中下車し、憂鬱を紛らわす意味でも、碌に食べていなかった朝食の仕切り直しのために、美味い本格的な朝餉を求めて、制服のまま朝の静かな繁華街の中へと、その脚を運んでいった。

私の気を察したか、シャッフルしていたiPodが次に流した曲は2000年代初頭に放送したウルトラマンのEDテーマだった。

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一学期末テストが近いので、本日5、6限の総合学習は自習になりました。

先程、担任のゴリラが教室に入ってきて、恐ろしく似合わない丁寧な口調で言い残し、また教室を去っていった。

教室を出ていく前、私へと凄んだ視線を向けてきたゴリラだが、どうやら私が真面目に自習するか疑っているらしい。可愛い生徒を疑いおってからに。いつかミキサー車のドラム内にセメント共々放り込んで、最高速で回してやる。

私は若干ながら汗を吸い込んだ夏用ポロシャツの胸部分をパタパタするという非常冷却手段を何度か繰り返すと、ゆっくりと周りの様子を窺い、そして新幹線よりも速い速度で、その意を決する。

……さて、早速ここから退去させてもらうとしましょう。という意を。

私は、これは不良に似合わない事だと印象を抱くかもしれないが、期末テストに関しては既に赤点を回避出来る程度の勉強は済ませている。意味が分かりかねるかもしれないが、私は、高得点を目指す勉強など端からする気はない。

全教科を50点くらい確実に獲得出来る分だけを、毎日繰り返し、繰り返し覚える。無駄な労力は使いたくないので。

高校の先生って、人にもよるけど大抵はテストに出すだろう所はサインを送ってくれるから。問題予想に苦労は無い。

つまり、今も私の周囲ではクラスの皆が静かに勉強したり、教え合ったりしている訳だが、ノート類を広げようという気すら持たない私が教室にいた所で邪魔にしかならないので、私は音を立てないように留意しながら机を立った。

(……ど、何処に行くのさ、美郷……)

後ろの席から、数少ない友人の音乃が小声で話し掛けてきたけど、それを予想していた私は、彼女へとノートを破いて作った紙切れを渡すと、そのまま、すぐ目の前の扉を静かにカラカラと開き、痺れるような視線を背中に受けつつ教室を出た。

別に、渡した紙切れには、この場で改めて言うようなカッコいい事なんて書いていないからね? 帰りのホームルーム辺りに戻ってくる旨を短く書いただけで。

 

 

自他が認める不良、その私こと美郷。

テスト前の高校生に与えられた貴重な自習時間を、クラスの全員が見ている前で遠慮無くボイコットした私は、取り敢えず、私達の教室がある本館から離れた準館へと向かって、冷房の効いた図書室の恩恵に与る事にしようとしたのだが、残念ながら昼休みが終わって以降は室を閉める規則があったようで、図書室への入り口となる引き戸には、“本日は閉室いたしました”と時代錯誤な筆文字で書かれた木製の板がフックで吊り下げられていた。

一抹の悔しさ、やるせなさを浮かばせつつ、今更トイレへ行っていた事にしてノコノコと教室へ戻っていくのも癪な気がした。なので、特に目的すら抱かずに学校の、なるべく人目に着かないような場所をウロウロと歩いてみる。そうしてここは1階、本館と準館を繋ぐ、長い渡り廊下の途中にあるダイドーの自販機の前。……うーん、何だか奇妙な敗北感が。

この後、私はどうすればいいんだろうか。少し頭を使って考えてみましょう。

「選択肢、A」

学校でこう手持無沙汰な状態に陥ると、私が何よりも先に思い浮かべるのは、学校の敷地内に自分の身を置いておく事すらも放棄して、さっさとこの場を御暇して家に帰って自室のベッドへ飛び込み、おやすみグーグーする事だ。

しかし、それには当然ながら荷物を取りに教室まで戻る必要がある訳で……。

「あの沈黙の視線地獄は、もう勘弁だよな……」

教室から出ていく際に背中へと浴びせ掛けられ、内心ではやや戦慄を押さえられなかった事を改めて思い出すと、この私とて決意が鈍る。鈍って、やがて止まる。決意の破損事故のため、この電車は思考〜実行間で運転を見合わせます。

最初から帰りのホームルームを捨てて、さっさと帰るべきだったかも。一学期の出席日数は足りているし。

「選択肢、B」

いっそ、旅の道連れとして音乃をこちら側に誘い出すっていうのは……、駄目ですか。そうですか。……仕方がないでしょ。堂々と授業放棄した私が言うのもアレだけど、まあ、……寂しいもん。家で人と話さないし、寂しがり屋にもなるさ。

「……?」

気を取り直して、選択肢Cを考えてみようとした所、プリーツスカートのポケットへと丁寧に仕舞い込んでいた携帯端末が、必殺・バイブレーションを繰り出す。美郷はHP+10回復した。……音乃からメールかな?

順当に思考をすれば、教室の音乃が私に警告のようなメールを送ってきた、と考えて然るべきなのだが。……どうしよう。

どうしよう、と考えてもメールの確認はするけど、また視線に晒されるのは出来るだけは避けたい難儀な不良だった。というか、テスト勉強だっつってんのに勝手に教室を出ていった私が、完全に悪者なんだけどね。今回の場合は。

私は自業自得を背負う覚悟で端末を起動させ、音乃からと思しきメールの中身を確認……。

受信:兄

“今すぐに荷物を持って校門前まで来てほしい”

「……おや」

意外、完全に意識の外側を行っていた。

今まで私が言う機会も無かったので忘れていたが、この美郷には9歳上の兄がいる。ちなみに実家を離れて暮らしている。

何処で遺伝子の変異があったのか、私は父親似で不良、兄は父親にも、まして母親にも似ず、彼は社名を出せば誰もが何らかの反応を示すと思って間違いない、そんな超有名IT企業に勤務する、漫画のキャラみたいなエリートサラリーマンなのだが、中学の頃に私が携帯を持ってアドレスを交換してからメールを遣り取りした事など殆ど無くて、最後に兄とメールしたのは、確か中学校を卒業する少し前だと思ったが……。

「校門前って、……何でさ」

久しくメールしてきたと思えば何だ。もしかして自分に会えなくて妹が寂しがっているだろう。そうに違いないとか考えて、もしかして以前見たオープンカーで私をドライブにでも連れていってくれるというのか? 当然だが私はサボるつもりだけど、まだバリバリ授業時間が残っているのに?

そう心の中で滲み出てきそうな笑いを抑え、メールに続きがある事に気付いた私は更に画面をスクロールさせ、

“ついさっき容体が変わって、親父が死んだ”

この時、普通なら、ここで頭の中が真っ白になったメールの受信者、つまり私は、そのまま無様に膝から地面へと崩れ落ち、力を失った手から端末も取り落とし、意思とは無関係に流れ出てきた涙に、頬と地面を濡らす。……のだろう。

確かに、私は呆然とした。本当に驚いたし、ついでに人間が本当に驚くと言葉も出なくなる。というのを証明もした。

しかし、私はそこで、私の考える普通とは少し、……いや、かなり曲がった行動を取るんだ。それは。

「く、……ふふ」

それは、笑うという行動。口を開いて大きく喜びの声を上げる。人の持つ喜怒哀楽の内の1つ。

「はは、あはあははは、く、くふははあははははひひ……」

笑った。私は笑い続けた。何処かから容赦無く溢れ出す愉快極まりない感覚に、笑いが止まらない。弾けて、爆発するような、今まで自分の頭を埋めていたものが一斉に取り払われたかの如き解放感を抑えられない。

死んだのだ、私の父親が。末期の癌に掛かって職を失い、病院に入りっきりだった私の父親が。……悲しい? そんな訳無い。誰だって腫れものが消えたら喜ぶだろう。これは私にとって、それと同等の事態なのだから。

分かっている。今の私はきっと端から見れば狂っている。自分の育ての親が死んだのに悲しむ素振りすら見せない、それ所か笑ってすらいる、冷徹で残忍な娘。そう見えるだろう、分かっているとも。

「はぁ、……、はぁ……。……ぅ……く、ぅ」

ひとしきり父親の死を笑った後、私は泣いた。勘違いしないでもらいたいのは、これは父親の死を悲しんでの涙ではない。

これは、あの人でなしに復讐の一つすら成し遂げられずに病気で自然死させてしまった、無力な自分が悔しいのだ。

今、私の頬に平手打ちを叩き込みたくなった人、その手を一旦下ろして、まあ聞いてほしい。

あの胸糞悪いでは済まない事件が起きたのは、私が中学に上がって暫くした、冬の事だ。

ある切っ掛けから末期癌に掛かっている事が判明した父親は、直ちに病院に運び込まれ、延命措置を受ける事になった。

延命措置、治療ではなく、延命。その時には、既に治る見込み無し。父親は遅かれ速かれ、死ぬ運命だったのだ。

父親は既に知っていたようで、下を向くだけだったが、私達家族の受ける衝撃、特に母親の受けたそれは凄まじいものだったようで、中学校から兄に連れられて病院に駆け込んだ私が見たのは、何やらうわ言を呟く惨めな母親と、俯いて沈んだ父親。

2人とも、私がそれまで見た事も無いような様子で、私にはそんな2人は耐えられなかった。

私は、父親に元気を与えようと、必死に声を掛けていたと思う。元気出して、とか、皆が付いているよ、とか。

……その直後、その事件は起きたんだ。

父親は、私に自分の方へ近付くように言った。

父親は私に優しかったし、何も疑う事無く、寧ろ自分の言葉が届いたのでは、という期待すら込めて私は父親に近付いた。

……父親はどうしたか。私の腕を掴んで引き寄せ、腕の点滴の針も気にせず私を強引に押し倒し、……犯そうとしたんだ。

実の娘だ。義理でも大体同じだろうが、私は実の父親に、貞操を破壊される寸前まで追い込まれたのだ。皆の見ている中で。

幸い、その場には、当時新入社員だった兄も、看護師も数人いたので、私は無事に助け出されて事無きを得た。

母親はただその場に呆然と突っ立っているだけで、何もしようとせず、キレた兄に顔を殴られた父親は、私の方をジッと見て、ニヤァ、と、薄く、ひたすら薄く笑い掛けた。あの表情は、忘れたいのに忘れられない。トラウマになったんだと思う。

「お父さんは、……お父さんはっ、悪く、ない!!」

その後、呆然と佇んでいた母親は、そんな醜い叫び声を上げながら病室を飛び出して行った。

以来、私は彼を父親だなんて思った事は、誇張じゃなくて本当に無いし、今日彼が死ぬまで話しもしなかった。

人間は残酷だ。それとも単に私が外道なのかな。人の死、それも自分の父親の死が愉快で笑ってしまうっていうのは。

さて、兄からのメールには、一言、“おめでとう”とだけ返信しておいた。

兄も父にあのような事をされた私の心境自体は分かっているのか、それ以上メールを送ってきたりはしなかった。

考えられないだろう。仮にも自分を養うために金を作ってくれていた父親の死を悼まないなんて。

だが、現実はドラマじゃない。ゴールデンタイムの2時間サスペンスドラマみたく、主人公の熱血女性刑事だかが魂の説得で相手側を泣き落とし、両親との確執を乗り越えるみたいにはいかないのさ。ふざけてんのかって逆上されて、隠し持っていた拳銃で、その場にいた人達全員の身体に風穴が開けられて、はい終了、それが現実。関の山。

さて、ここまで聞けば分かって頂けるかと思うが、これが、私が家族と冷戦状態の理由だ。

兄は私を気遣ってか何も言わないからいい。だけど、母親は私に対して父親に非がある訳じゃないって、父親と兄も見ている前で堂々と言ってくれたのだ。一体どうして、そこまで言った母親と和解なんて出来ると思う。

母は、彼女と兄の目の前で父親が私を犯し掛けた時、既にどうにかしていたのだろうと思う。自分の夫が実の娘にした事を、認めたくなかったんだと思う。今、母親が保育士なんて仕事をやっていけているのは、彼女の中で当時の事が無かった事実にされているからなんだろう。母親は日々の家事だってするし、平常に見えるが、……中身の何処かは壊れているんだ。

彼女の頭の中の当時の忌まわしい記憶は、防音機能付きのシャッターで閉め切られたみたく覆い隠されている訳だ。

無論、私が父親に犯され掛けた事実を見ない振りで通しているのだから、私に遠慮なんか始めからない。……でも。

でも、やっぱり私も人間。何処かで希望が持ちたかったのだと思われる。

「お父さん、早く治って帰ってくるといいね」

ある日、母親のその言葉を聞いた私は、母親の顔を殴り、口を利かなくなった。私が中学1年の3学期に入った時の事だ。

「私に父親なんていないんだよ」

母親からのあの一言に、そう返して拳を振り上げた私だったけど、今なら私は、当時の母親にこう言い直そうと思う。

一体、当時の私は何を考えていたのだろう。元の家族に戻れるかもしれない、と僅かにでも思って、あんな母親に気を遣って“私に父親はいない”等とぼかした言い方を無意識に選んでしまうとは。違うだろう、そうじゃなかっただろう、私。

あの時から、もう分かっていたんだから。私を襲ってきた絶望が、これまでの浅い人生経験に無かったレベルだった事くらい。

「お父さん、早く治って帰ってくるといいね」

「そう。あなたは私が犯される事を望むんだね」

そう言って、父親と同じように、ひたすら薄い笑みを浮かべてやれば、きっと最高だったのに。ああ、勿体無い事をした。

……さて、今回の父親の死で、母親は正気を保っていられるのでしょうか。

 

 

「後で、音乃にコンビニスイーツでも奢ってやろうかな……」

涙を拭って再び校内を彷徨い始めた私の耳が、付近から遠ざかるように徐々に小さくなる、重く低い車のエンジン音を捉えた。

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10月初旬の金曜日、すっかり日常になった合理的なサボりライフを変わらずに過ごしていた私。

そんな女子高生の私は、出席日数が危険区域に迫り始めている古典の授業を仕方がないので受けていたのだが、自分でも思っていた通りというか真面目に板書も写さず、とても私の不良としての評判に合致する、ぼへぇーっとした面持ちで臨んでいた。

念仏の如き単調な棒読みで、先程から話してばかりの古典教師は、渾名が住職。その授業は睡眠導入効果抜群で、しかし彼から授業中の居眠りを怒る事もしない。周囲を見てみれば、後ろの席の友人を含めてクラスの殆どが机に伏せていた。何この光景。

しかも、昼にたらふく腹に詰め込んだばかりだという事も手伝って、特にこの6限の古典は皆の鬼門だ。主に居眠りで。

私は、そんな住職の念仏を、何処かで誰かが何かを延々と話している程度にしか聞いていないので、当然だが眠気は殆ど無い。

今も、ノートにシャーペンの先を走らせる振りをして、これまでの人生で見た映画のタイトルを思い出して書き出す、という、実に不真面目な脳トレの真似事をしたりして、この暇な時間を潰していた。私の席は廊下側の一番前なので、教壇の住職には私が授業に取り組まず落書きに奮闘している事が丸分かりと、普通は思うが、なにぶん彼は生徒のサボりに対して寛容だ。

先週末に借りてきたBlu-rayで鑑賞したフランス映画まで書き出した私は、ふと左隣の席の生徒に目を遣る。

私の左隣の席の男子生徒は、クラスでは明朗な性格が受けて人気のある坊主頭の野球部員なのだが、明るく元気な彼もまた、一番前の席という事もあって何とかマジ寝への転落は回避していたが、時折ガクリと頭を揺らしていた。

いやはや、彼でさえも酷い状況なのだから、後ろの席がどのような事になっているかは言わずもがな、というやつだ。

恐ろしいぜ、高校授業の催眠効果。不眠症の方も一度はおいで。というか、クラス中から寝息が上がっているというのに何で住職先生は怒る素振りすら見せないのか。妙なポリシーでも持っているのか。それとも諦めか。……後者という事にしよう。

さておき、夏を問答無用で通り越して、つい先日までうるさく騒いでいた蝉も、忘れた頃には、つまり今ではすっかり一段落。夏の頃は本当に冬になるのかと疑った程に、暑さに苦しんだけれど、順調に涼しさを増していっている現在は10月の始め。地球は私以上に勝手で気紛れだと頭の中でボヤきながら、私はこうして元気にやっています。美郷でございます。

高校という過程に身を置いた者なら分かるとは思う。昼食を食べた後に眠い授業が来ると、何とも言えない気分である。

退屈でも内容が理解出来なくとも、一度出た以上は最後まで出るというのが日本人の考え方。等と私は考えているが、正直な話をすると私は、何しろ私なので、つまらないのは自分の責任ではないし、勝手に授業を辞退したって良いのではないかな。そんな風に考える方が本音な訳だった。いますぐに荷物を纏めて帰りたいけど、出席日数は欲しいので我慢するのだ。偉い。

とはいえ、この余りに暇な時間を纏めてどうにか出来るほど私は高性能には出来ていないので、どうしても他の事を考えて、どうにか授業終了まで気を紛らわそうとしてしまう。私はこれを心の旅と呼んでいる。元ネタは音乃から借りた漫画から。

 

 

「私さ、今度、授業をふけてみようと思うんだよね」

住職の授業が終わった直後、眠そうに瞼を擦る音乃が、そんな事を言ってきた。これはまた爆弾発言だ。

「私に言われても、一向に構わないと返事するしかないけど、藪から棒だね」

音乃は私の1つ後ろの席に座る、私と同じくらいの背丈の女子生徒で、まあ、一応は、私の友達なのかな。

その音乃が、唐突に私の真似をしてみたいと、そんなニュアンスの発言をしなすった。彼女は私なんて比較にはならない程度に学業面では優秀な女の子であり、間違っても授業をサボりましょう。なんて宣言するような子ではない、と思っていた。

「まさか、私と一緒にサボりたいとか言うの?」

「そんな駆け落ちみたいなんじゃなくってさ、純粋に興味があるんだよ。美郷の見ている世界に」

「私の世界?」

私は唇に人差し指を添え考える。私の世界、そんなの昼寝と週3のアルバイトと自宅の自室くらいしかないけど。学校は除いて。そんなものに興味があるとか、まったく音乃という人物の気が掴みづらいぜ。

「授業時間に外歩いたり、勝手な事したりさ。美郷みたいに何て言うのか、皆と違う事をする背徳みたいな? そんな感じだよ」

背徳ときましたか。道徳に背く、そんな大それた言葉に乗っている気は私自身にも無いんだけどな。実際は。単に自分に必要と思わないものを頭に鞭打って叩き込む事が、実用性の無い努力がしたくないからサボっているってだけで。まあ自由といえば、そうなのかもしれないけれどさ。

「……音乃の好きにすればいいけど。……私は勝手、なのかな」

「まあ言い逃れは不可能だね。義務を投げているんだから」

「ふうん」

さして気にもならなかった。例え私が悪者だとして、それで誰かが困る訳じゃないだろう。担任の評判云々とかは知らんけど。

必要最低限の授業には出ているんだ。説教をされる謂れなんて、無い。

「それで、私と一緒にサボらないとしたら、それって私にわざわざ言う事なの?」

「ん、まあ、少し予定を立てなきゃならないから」

「サボるのに予定を立てなきゃ駄目なの?」

そんなの、サボりなんて出席日数と自分の興味と相談して、後の大体は気分一本勝負でやるものでしょう。優等生だからか?

だとしたら、優等生も難儀なものですな。

「予定は立てておかなきゃ駄目だよ。美郷の友達なんだもん」

「……ともだち」

ここだけの話、友達だと面と向かって言われて、少し照れた。さておき。

「だってさぁ、自慢じゃないけど、私って結構な優等生だよ? サボり病な美郷と違って」

「取り敢えず、“自慢じゃないけど”の部分が全くフォローの意味を失うくらい、ムカッと来た」

「だからさぁ」

音乃は私を制して言う。

「つまり、美郷が不良で、私が優等生だと周囲から見られていて、しかも私達の仲が良い事が問題なの」

「…………」

私こと、美郷は不良生徒。彼女こと、音乃は優良生徒。2人は友達同士。はい、お馬鹿な美郷にも分かります。はい。

どうでもいいけど、音乃さんが最近妙に回りくどい性格だと思えてきた。性格は良い子だけど、何かね。

頭の良い音乃さんは、更に問答の答えへと前進していく。

「仮に、私と美郷が一気に、同時に授業をサボって、果たして先生は最初にどんな印象を持つでしょう。はい美郷君」

……、なるほどね。何となく、残念な私にも音乃の言わんとする事が掴めてきた。

「つまり、あれか? 劣等生が優等生を無理矢理仲間に引き込んだ。これは由々しい。みたいな」

「大正解。飴ちゃんあげる」

「わーい」

パン、と手を叩いた音乃は、自分の机の横に吊った鞄から飴玉の袋を取り出し、私に寄越す。おお、梅味だ。あんまり嬉しくねぇ。

要するに、音乃はサボりというものを興味本位で体験したいとは思うが、「仮に美郷と音乃が、同時に授業を放棄した」場合の、「サボりの常習者で不良である美郷側」に向ける周囲の人々が向ける印象について危惧しているから、だから私とサボる時間が被らないように、私から予定を聞こうとしていると、そういう事らしい。

決定的なのは、私と音乃の席が近い、どころではなくすぐに話し合える距離にある、という事だ。

いつもなら廊下側の一番前だけだった穴が、ある日突然2つに、それも2つ目の穴が1つ目の穴のすぐ後ろで……。

私は、人を殴った事も小学校以前の小さい頃にしかないけれど、あのゴリラ担任に限らず、私の不良としての評判は学年の多くが与り知る所だ。故に、私の校内風評から奴らはこう思うだろう。

“ああ、遂に優等生を悪い方に引きずり込んだな。あいつ”

何となく私は、口に含んだ飴玉に奥歯を突き立てた。

「なるほどね……」

……でも、そんな事、わざわざ気にしなくてもいいのに。軽そうに見えて真面目というか、まあ実際に優等生なのだけど。

元々、私の評判なんて、地に落ち切って、地面にめり込んでいるような状況だというのに、そんな気遣いなんていらないのに。

「私さ、音乃と友達になって得していると思う」

似合わない言葉だとは思ったけれど、このぐらい言っても後悔はしない程度に嬉しかったので、まあ言う事にした。

「へー、私も不良の友達は今まで発見出来なかったし、新鮮な気分に浸からせてもらっている。いい湯だよ」

「……アンタ、私を山奥にある幻の秘湯か何かと思ってない?」

「効能は多分、興味の充足」

源泉かけ流し、美郷の湯へ音乃様1名ご案内。今だけ仄かに梅の香りが漂っております。

しっかし、この飴、本当に梅味なのかってくらい甘いな。

「で、改めて聞くけど、私はいつならサボっていい?」

「すんごい真面目な表情して聞いているけど、蓋を開ければ授業をボイコットする話なんだよね」

「私はいつだってこんな顔だよ。……で、いつならいい?」

「さて、私も半分は気分でサボっているし、真面目に授業に出る日は教えるよ。まあ、その時に私の世界? とやらを、思いっきり観測してみれば良いじゃない? 何が面白いとかは知らないけれど、無味乾燥な解放感はあると思う」

「そりゃ、楽しみだ」

そこで、そろそろ帰りの支度をしなければならない雰囲気になりつつある事に気付いた私。

例の野球部員君も、先程までの平和鳥状態は何処へやら。仲間の男子生徒と喋りながら、既に部活へ行く支度を済ませている。

私も漫画しか入っていない鞄を取り出すと、さっさと帰り仕度を済ませた。音乃私が鞄を取り出したのを見て、教科書を鞄へと仕舞い込み始める。日ごとに教科書持って帰るのって重くないのだろうか。

「でもさ、私が言える事じゃないけれど、ほどほどにしなよ? これで私と同じサボり癖が付いたら、私のせいみたいだから」

恐ろしく自分本位な念押しをすると、音乃は「はっはは」と軽い調子で笑い、

「それはないよ、美郷の友達として、それは美郷のためにも、私のためにもならないと思うから。不合理だから」

「……そーかい」

そんなふうに、そう間違いなく思っているからこそ、真っすぐに物を言える。

その友達は不良だというのに、こんなに律儀。そんな音乃は、やはり真面目というか……。

いや、単純な興味だけで自分で義務と例えた授業をサボろうとするのだから、きっと音乃という人物は真面目なのではないし、優等生というレッテルも何処か噛み合っていないのかもしれない。

「この変人め」

「んだとこら」

単に、私と同じような変わり者なのだろう。だからこそ、私と引かれ合う何かがあったのだと思う。

そうして引かれ合った結果として、美郷と音乃は、友達になった。私は実に素敵な話だと思う。

 

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