櫟千夜子のちょこっとチョコ考察
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 バレンタインデー。それは二月一四日。

 一般に、女の子が好きな男子にチョコレートを贈る。

 ――だけの日、だったのは昔のこと。昨今では一概にそうではなくなってきている。

 一九七〇年代にバレンタインデーが定着してからほんのしばらく、前述のチョコを本命と称するなら、それ以外を指すのであろう義理チョコが一九八〇年代に現れた。

 本命の照れ隠しにも使われ、また逆に本命との隔絶にも使われることがあるだろうが、基本的には感謝の意が多分に含まれているのがそれであろう。

 二〇〇〇年代からはさらに派生ともいうべきチョコが現れた。仲良しの女の子同士で贈り合う友チョコ。両親や兄弟など家族に贈るファミチョコ、お世話になった人に贈る世話チョコ。などなど。

 そしてついには、自分にご褒美、自分チョコである。

 ……自分へのご褒美、そんなに自分が大好きなのか。

 それは、さておき。相手に対する僅かな好意、親交を理由に贈るのであれば、それらはお中元やお歳暮と特に変わりがないように思える。

 それらとの違いはどこなのだろうか。中身がチョコかそうでないかということだけしか違いがないのではなかろうか?

 数多の名前で、装い、贈る。

 はたして、チョコにはいったい何が込められているのだろうか。

 

「――という事を、さっき考えていたの」

 淡白な声で千夜子は呟く。

「チョコが珍しく机でぼーっとしていると思ったら。そんなこと考えていたの?」

 呆れて愛洒は息を吐く。千夜子はこくりと頷いた。

 二月上旬平日のお昼時、千夜子と愛洒の二人は大学の食堂で昼食を摂っていた。

 櫟千夜子(いちいちよこ)、二一歳、大学三年生。愛称、チョコ。長い黒髪の美人さん。黒の長袖カットソーの上に、ほぼ白に近い淡い青のワンピース。胸元に絞りがあり、全体的にゆったりとした印象。腰回りにはフリルがあり、上下分かれているようなデザインである。下には寒さ対策の黒ストッキングを履いている。と、そこまでは可愛らしいのだが、理系の大学ゆえ、その上に着た白衣が残念である。お洒落には疎く、手持ちの可愛らしい服は全て愛洒が見繕ったものなのだが、常に上に白衣を着たがる千夜子の嗜好がそれを台無しにしている。研究好きで、研究室での実験が楽しみであり、ある意味趣味に近い。

 駒草愛洒(こまくさあいさ)、同じく二一歳、同じく大学三年生。ついでに言うと同じ研究生であり、更にちなみに言うと茶のボブカットのこれまた同じく美人さん。上は薄桃色のチュニックに、下はカーキ色のショートパンツとニーソックス。全体を暖色系で揃えほんわかとした印象を与えつつ、チュニックの丈はショートパンツがぎりぎり見える長さと小悪魔っぷり。今日も今日とて可愛らしい出で立ちである。もちろん白衣は着ていない。千夜子とは高校時代からの友人で、むしろ愛洒の方が千夜子に懐いている所があるため、服装など色々と世話を焼くし、そもそもこの大学を選んだのも千夜子がいるからだったりする。

「研究室でパソコンに向かって何をやっているのか不思議だったのだけど、今日はあまり実験してなかったみたいだけどいいの?」

 言いながら、愛洒はサンドイッチを口にする。

「今日は今までのサンプルをLC/MS/MSにかけることしか特にすることないから。後は勝手に分析が終わるのを待つだけなの」

 言うと、千夜子は手元に視線を落とし、ゆっくりと箸を動かす。

「ふーん。そうなんだ」

「……というか」

「へ?」

 千夜子はすっと目線を上げ、

「あなたこそパソコンに向かって何をしていたの? ここ数日あなたが実験している所を見た記憶がないのだけど」

「あー、えっと、それはぁ……」

「……」

 言い淀む愛洒を千夜子は無表情にじーっと見つめた。

「その〜、何て言うか? 昔の先輩の卒論、とかを、チラ見したり? いちおー、は勉強していたのよ? ……まあそれ以外にファッション関連のサイトやブログとか色々サーフィンしてましたけど」

 後半は顔を背け、小声で早口に呟いた。

「はあ、留年しても知らないわよ」

 千夜子は溜め息を吐く。

「その時は助けてね、チョコ」

「嫌よ」

「いいじゃない友達でしょ」

「友人として友人のためにならないことはしないの」

 ぴしゃりと一蹴する。

「応援ぐらいはするわ」

「うぅ、いけず」

 愛洒はがくっと肩を落とす。どうしたものかと呟いていたが、それを横目に千夜子はあまり心配していなかった。千夜子に懐いているとはいえ、かなりレベルの高いこの大学のこの学部に一緒に入学し、更には同じ研究室までついてくる。それほど勉学が得意な方ではない愛洒が、それほどに頑張り屋であることを千夜子が知っているからである。

 ――まあ、それと。

「勉強ぐらいなら、付き合うわ」

「ほんと!? わー、チョコ大好きっ!」

 表情を輝かせ、愛洒は千夜子の手を取り喜びを表す。

 結局の所、友人に甘い千夜子であった。

 一つの問題が解決され、意気揚々とした面持ちで愛洒は話題を変える。

「ところで、さっきの話だけど」

「さっきの?」

 すぐに思い当たらない様子の千夜子に、愛洒は補足する。

「ほら、チョコの話よ」

「私の、話?」

 自分を指差し、千夜子は首を傾げる。

「そっちのチョコじゃないわよっ。バレンタインのチョコの話っ! そういえばもう一週間切ったんだね」

「ああ、そっちか」

 紛らわしいな、と千夜子は思った。

 元々は自分で話を振ったくせに、と少々呆れ気味の愛洒だが、興味がそれを上回っているため身を乗り出して訊く。

「それでそれでー。どうなのよ?」

「何が?」

 心底分からないといった様子の千夜子。

「とぼけないの。毎年バレンタインなんて全く興味ありません、って顔してるチョコがいきなりこんな話題出して来たんだもの」

 わくわくとした表情の愛洒。

「ずばり、チョコをあげたい相手が出来たんじゃないの?」

「……私を? ちょっとそれは大胆すぎない?」

「だから違うわよっ! そのネタ引っ張りすぎっ!」

「冗談よ。ふむ、上げる相手ねぇ……?」

 天井に目を向け、数秒ほど考える。そして、無表情のまま愛洒に目線を戻す。

「いないわね」

 端的な千夜子の言葉に、

「ほ、ほんとはいるんでしょう? 隠さずに言ってみなさいよ」

 脱力しそうになるのをなんとか堪え、食い下がる愛洒であったが、

「いないわね」

「もう〜、照れなくてもいいから〜」

「うん、照れてもいないし、やっぱりいないわ」

「せ、せめて気になっている人とかは?」

「特には」

「……な、なら強いて言うなら誰かいないの?」

「強いて?」

「そう、強いて!」

 こうなれば半ば意地である。何が何でも、とにかく誰でもいいから特定の人物を訊き出さないと収まりがつかない。

「ふむ、そうね」

「どう? どう?」

「強いてあげるなら……」

「あげるなら?」

 急かす愛洒。それでもゆっくりと千夜子は口を開く。

「お父さんとお母さん。かしら?」

「……あ、そうですか」

 模範的なその回答に、愛洒は力を落とした。

(だめだ、この子。早くなんとかしないと)

 このまま実験ばかりしていつの間にかお婆ちゃんになっちゃう。そんな風に愛洒が友人の先行きを危惧しているとも知らず、

「ところで……」

「へ?」

 いつもの調子で今度は千夜子が話題を振る。

「さっきのチョコの話に戻るけど」

「え、あ、うん」

「チョコにはいったい何が含まれているのかしらね?」

「ふ〜む」

 愛洒はあごに指を当てて、

「ほぼ一〇〇パーセント、実験で出来ているんじゃないの?」

「…………」

 ドヤ顔で答える愛洒だが、無反応の千夜子。

「って、あれ? チョコさーん?」

「ごめんなさい、分かりづらい言い方だったわ。私のことではなくて、バレンタインデーのチョコのことよ。いえ、本当にごめんなさい。誤った意味合いで伝わってしまうことを十分に考慮していなかった私が悪かったの。恥ずかしい思いをさせてしまって、本当に申し訳ないと思っているわ」

「今がよっぽど恥ずかしいわよっ! 分かってるわよ、ただの冗談よ。うぅ、悪かったわよ、ちゃんと考えます」

 んもぅ、と顔を赤らめた愛洒は、今度は頬に指を当てて思案する。いちいち可愛く見える動作をするのが癖になっているなと千夜子が思うなか、愛洒はさほど悩むことなく答えを出していた。

「チョコに込めるものって言ったら、やっぱり愛する気持ち、なんじゃないの?」

「…………え?」

 僅かに驚きの表情を見せ、ポロッと(狙い澄ましたように)お盆の上に箸を落とす千夜子。それに対して愛洒は心外そうな面持ちである。

「え、なんで? 私、今絶対まともなこと言ったよね?」

「いや、ちょっと意外だったから」

「どうしてよ!?」

「愛洒のことだから、チョコには毒を仕込んでいるものだと思っていたの」

「私そんなに腹黒くないわよっ!?」

 頬を膨らませてぷんすか怒る。よほど予想外の言われ様だったらしい。ただ、千夜子としてはその様子も溜め息を吐く要因にしかならなかった。

「でも、去年のあなたの行動を知っている身としてはね」

「うっ。そ、それは……」

 口ごもる。正直反論のしようがない愛洒であった。

 ――それは去年のバレンタインデーのことである。

「あなた、去年の二月一四日、学内の知り合いの男子にチョコレート配りまくっていたわね。……三倍返しを期待して」

「……はい」

「巧みな話術を駆使して三倍返しの意図を確実に伝えつつも、決してそれを故意にやっているとは悟らせなかった。見事だったわ。ある意味尊敬してしまうわ」

 無論、皮肉です。

「うぅ……」

「唯一の失敗は、あまりにも上手く立ち回りすぎたせいで、愛洒の好意を勘違いをする人が何人か出てきたことね」

「……ごめんなさい、でした」

「あの後愛洒をド天然ということにして、何とか誤魔化した苦労。今でも容易く思い出せるわ」

「本当に申し訳ありません。私が悪うございました」

 返す言葉のない愛洒は、千夜子にただただ平謝りするしかなかった。

「それで、今年はどうするの? また、三倍返し? それとも一〇倍?」

「流石にしないわよっ!? いくら私でも反省してるんだもん」

「そう」

 ほっとする千夜子だが、

「――だから今年は」

「?」

 愛洒の言葉に、今一瞬ほっとした時間を返して欲しいと、千夜子は早くも不安になった。

「今年は逆チョコ狙いでいこうと思うの」

「逆チョコ?」

 言葉の意味が分からず、千夜子はおうむ返しに答える。

「あれ、調べたんじゃなかったの? 逆チョコっていうのは、簡単に言うと男子が女子にチョコをあげるのよ。あげる側と貰う側が逆転しているから、逆チョコね。割と前からあるわよ」

「ふむ、なるほど」

 そういえば、そういうのもあるとネットで見かけた気がする。得心いった様子で千夜子が頷く。――それにしても、

(あげる相手のみならず。渡す側の人間まで選ばないのね。本当に何でもありだわ、この行事)

 と、千夜子は心中で呆れていた。そしてまた、

「根回しはだいぶ済んでいるからね。後は、果報は寝て待て。どれくらい貰えるかは相手次第だけど、三倍返しと違ってリスクが少ない分、こっちのがお得だよ〜」

(だめだ、この子。早くなんとかしないと)

 嬉々として語る小悪魔を見ながら、将来悪女になる前に、今の内に手を打っておかないと。千夜子は友人の行く末を案じ、深く溜め息を吐いた。

「チョコの種類までは流石に指定できなかったなぁ、最近トリュフが好きなのだけどこっちの意図を悟られたらアウトだからねぇ、加減が難しいのよね。……って、どうしたの?」

「なんでもないわ」

 溜め息が目に留まった愛洒が尋ねるが、千夜子はそれ以上何も答えなかった。

「ふーん?」

「気にしなくていいわ。それはともかく、ごちそうさまでした」

 前触れなく手を合わせる千夜子。実は箸を落としたときにはすでに食べ終わっていたのである。その動きに、まだまだ食事の済んでいない愛洒は慌てる。

「えっ、もう食べ終わったの!? ちょっと待って、すぐに食べるから。もぐもぐ、んんっ!? ケホッ、ケホッ!」

 むせてしまった。

「終わるまで待っているから落ち着いて食べたら。はい、お茶」

「あ、ありがと。……ふぅ」

 受け取ったお茶を飲んで一息ついた愛洒は、ゆっくりと食事を再開する。その合間にもやっぱり会話する。

「ところでチョコは今日これからどうするの? 私はこの後一コマ授業に出て、それからサークルに顔出すつもりなのだけど」

「私は授業もないし、図書館に寄ってそのまま帰るわ。LC/MS/MSの分析も終わるの夜だから、明日まで放置するつもりだったしね」

 ――それから、と千夜子は続ける。

「帰る前にショッピングモールにも寄るつもり」

「買い物―?」

「ええ、チョコを買いに」

「ん? 結局買うんだ」

 不思議そうに訊く愛洒。

「ええ、お父さんとお母さんに」

「……ま、やっぱりか」

 分かり切っていたことだが、愛洒は力が抜ける思いがした。

「あー、えっと、喜んでもらえるといいね」

「そうね」

 微笑む千夜子を見て、愛洒は友人として誇らしかった。

「あっ、そういえば」

 ふいに何か思い出した千夜子。

「どうしたの?」

「冷蔵庫の中が空に近い状態だったの。食品コーナーの方にも寄らないと」

「あっ、今日のご飯は何?」

 当然のように訊く愛洒に、これまた慣れた様子で呆れる千夜子。

「……あなたまた食べに来るつもりなの? いつものことだけど」

「いいじゃない。私のお陰でいつも可愛くてまともな格好でいられるわけだし、チョコの部屋だって綺麗な状態を保てているわけでしょ。ごはんぐらい作ってくれても罰は当たらないわよ」

 服の選定だけでなく、一人暮らしをする千夜子の服の洗濯や部屋の掃除など家事全般(料理以外)は、ルームシェアをしているわけでもないのに完全に愛洒任せなのである。健康維持の必要性だけは弁えているため(あと真面目な性格上、友達と外食するなど特別な理由がない限り無駄遣いはしたくないため)、千夜子も料理だけはするのである。まあそれも体調崩せば実験が出来なくなる、という理由が最たるもので、愛洒からすれば身の回りの生活環境作りもそれと同等であるべきだと思うのだが。

 ――と、料理だけはさぼらないから愛洒も千夜子に任せている。……というわけではない。

「愛洒、料理だけは壊滅的だものね」

 一度だけ愛洒の手料理を食べたことのある千夜子は、まずその見た目に驚き、一口目で思わず咳き込んでしまった。

「うっ。だってフライパンもお鍋も炊飯器もガスコンロも。それからお米もパンもお肉もお魚もお野菜も。全部私と相性最悪なのだから仕方ないじゃない!」

「後半のラインナップ。あなた餓死するわよ」

 涙目の愛洒を、友人でもあるし、色々と世話を焼いてもらっているのも事実であるし、千夜子も見捨てられないのであった。まあ、持ちつ持たれつということで。

「リクエストでもある?」

「えっ? えと……」

 ちょっと考え、愛洒は手元に目をやる。

「サンドイッチ?」

「はいはい、お腹いっぱいで考えられないのね。買い物しながら決めるつもりよ」

「そっか、なら楽しみにしてる」

 サンドイッチの最後のひとかけらを口に入れ、ニッと楽しそうに笑う。

「……ええ」

 そのあまりに可愛らしい笑顔に、……つい裏を疑いたくなる千夜子であった。

「うん?」

 歯切れの悪い千夜子に、天然の小悪魔さんはやはり可愛らしく首を傾げた。

 

 というわけで、所変わって大学近くのショッピングモール、更にその一角バレンタインデーフェアコーナーに千夜子はいた。

「…………人、すごい」

 そして、バレンタインデー本番までまだ一週間もあるというのにあまりの盛況っぷりに、この手のエリアに訪れる機会に乏しい千夜子は素直に驚いていた。特設コーナー自体はバレンタインデーの二、三週間前には作られているから、バレンタインデー意識の高まりと本番当日が迫ってきた焦りが合わさり、今が最も人の増える時期だろう。

 日本の年間チョコ消費量。その約二割がバレンタインデーで消費されているだけはある。バレンタインデーチョコの消費期間を二週間としたら、一年五二週のうち残り五〇週で八割を消費しているわけで、週平均は一.六パーセントである。単純計算で、バレンタインデー関連で消費されるチョコの量はなんと普段の六.二五倍である。

 どうでもいいことを頭の中で試算しながら、千夜子は視線を巡らす。見渡す限り女子、女子、女子。あっ、一グループだけ男子がいた。逆チョコ組かな。年齢層も幅広く下は、ませているなぁ、小学生もいる。上は、えっ? お婆さんまでいる。しかし、やはり八割方は女子高生から二〇代の女性だった。

(あの子とあの子、それからあの子は本命チョコね。気合が違うわ、手作りチョコのコーナーにいる子は特に。あっちのグループとかはのんびりしているわ。義理チョコか友チョコを買いに来ているのでしょうね。……それにしても同じようにチョコを買いに来ているというのに、すごい温度差だわ)

 この温度差が同一エリアに混在しているのだから不思議だ。色々なニーズに対応出来ているからこその結果だろうが、そのニーズを生み出したのも製菓会社なわけだから何とも言えない気分の千夜子であった。

「さて」

 人間観察もほどほどに、千夜子は自身の目的を果たすために動き始めた。

「この辺りかしら」

 親に贈るとしたら丁度良さそうなチョコが並ぶコーナーに、千夜子はさほど迷うことなく立っていた。

 価格帯、ハートマークの有無、包装紙の色及びデザイン、そもそものチョコの種類(トリュフ、ガナッシュ、プラリネとか。特にアルコールの有無)などなど。これらの要素のバランスを巧みに偏らせ、見えないパーティションにより客を上手く分散させていた。ここは本命チョコでーす、この辺りは義理チョコ、同級生向けはこっちで職場の同僚向けはあっち、それからそっちは友チョコ、みたいに特にポップが出ているわけではないため、さっき感じた温度差に気づかないだろう。見上げた配慮だ。そこまで考えてやっているのかは知らないけど。

「……本命と義理だけならもっと簡単だったでしょうにね」

 心のこもらない声で、店員の苦労を思い呟く。

 そういえば、バレンタインデーにチョコの贈り物を、という広告が初めてとある英字新聞に掲載されたのは一九三六年二月一二日のこと。最初に書いたがバレンタインデーの定着も一九七〇年代。初の広告からは八〇年、定着してから数えても四〇年余りである。

 それは変わってもいくわ、と千夜子は思った。

「さて、どれがいいかしら?」

 無駄な思考はさておいて、改めて両親に贈るチョコを選ぶことにしたのだが、

「お父さんとお母さんそれぞれで選んだ方がいいのかしら? それとも同じチョコにしようかしら? そういえば――」

 そしてまた雑念が浮かんでくる。これはもう千夜子の癖のようなものであった。

「親へのチョコの平均購入予算も、統計が出ていたわね。確か……」

 調べたところによれば、両親へのチョコ平均予算(大学生)は、父親へは約七〇〇円、母親へは約五〇〇円である。

「……?」

 思い出しながら、不思議そうに千夜子は首を傾げる。

「どうして、父親と母親とで価格差が一.四倍もあるのかしら?」

 千夜子は一つ仮説を立てる。バレンタインデーというイベントの性質上、父親だけに贈る人と両親ともに贈る人とがいるとして、娘さんの経済力が全員同じだとして。前者に対して後者の負担はその倍。そのため父親と母親に同じ物を買おうとした時、少なからず価格を抑えようとする意識が働くはずである。それなら、価格差が出ても不思議ではない、のかな? ……そうであると思いたい。

 まあ、母の日に対する父の日の存在感の薄さに比べたらまだましなのかもしれない。母の日に比べて、父の日の宣伝は思ったより見かけない気がする。どうしてなのだろうか。やはり母の日のようにその日を象徴するプレゼント、カーネーションのような存在がないから――

「いけない。脱線してしまった」

 雑念を振り払い目的のものと向かい合う。改めて。何度目かは知らないが。

「それぞれの予算を下げたら、やっぱり見劣りしてしまうわね」

 とりあえず価格と見た目を中心にざっと眺めた感想を呟く。どうしようかと考えていると、ふいに妙案が浮かぶ。

「あっ、そうだ。予算を合わせましょう」

 ポン、と手を打つ。それぞれにチョコを贈るという考えを捨てることにした。二人に一つ、小さいチョコが沢山入った商品を贈ることにした。これなら少し高めのチョコにできるため選択肢の幅が広がる。

「二人とも少食だし、丁度いいわ」

 さて、どれにしようか。これまでバレンタインデーに興味のなかった千夜子は、同様にチョコの種類にも詳しくなかった。陳列台を端から端まで眺めるも、見た目と名前が一致しないし、どのチョコが美味しいのか良く分からない。

「一口にチョコとはいえ、やっぱり一つのイベントを代表するお菓子なだけはあるわ。奥が深い。……ん?」

 ふと目に留まる表記があった。

「アルコール含有、か。ふむ。二人ともお酒好きだし、これにしましょうか」

 そう決めた千夜子は、その中でも包装の雰囲気が気に入った一つを選んだ。一五〇〇円程、二人分にしてもやや高めだが。まあこんなものだろうと千夜子は思った。

 そのままレジに向かうと、レジ周りの棚に吊るされたメッセージカードが気になった。電話が苦手な千夜子は、折角だからと書くことにした。

「…………」

 しばらく悩む。千夜子のように考え込むタイプは、話すようにメッセージを書くのが苦手だ。頭に浮かんだ言葉をすぐには外に出さず、脳内で何度も何度も推敲してしまう。その結果、

「お父さん、お母さん。いつもありがとうございます。お体に気をつけてお過ごしください。……少し、硬いかしら?」

 ……とても硬かった。が、ある意味千夜子らしいため、思いは十二分に両親に伝わるだろう。

 そして、会計を済ませる。この場で郵送の手続きが可能なようなので(実家は県内だが遠い。高速バスにしろ電車にしろ、料金が二〇〇〇円近くかかるほどの距離がある)、それも頼んでおくことにした。結局、総額二〇〇〇円を超えてしまった製菓会社の策略にまんまとはまってしまっているなと千夜子は思ったが、損した気はしていなかった。

 ――バレンタインデーとは、そういうものなのだろう。

 

「さて、今日のごはんは何にしようかな。……ん?」

 食品コーナーに向かうため、バレンタインデーコーナーの中を突っ切っていた千夜子は、一つの商品に視線を捉える。ピンク調の可愛らしい包装だったが、気になったのはそこではなかった。丸い形のチョコと、その名前。

「これが、トリュフか。誰かさんが好物だとか言っていたわね」

 無邪気な小悪魔の笑顔を思い出す。

 千夜子はしばし立ち止まり、少々悩んだが、

「まあ、仕方ないわね」

 溜め息を吐きながら、その商品を手に取る。値段は一〇〇〇円近く、奮発しすぎな気もしたが、まともに友人と呼べるのは愛洒ぐらいなので安い買い物だろう。

「友愛もまた、愛かしら? ふふっ」

 腹黒い親友が果たしてどんな顔をするのか、想像すると少し可笑しく思えた。

説明
バレンタインデーの話。なのに恋愛話ではなかったりするのが不思議。
話の中にも出ますけど、あなたはチョコに何を込めますか?
――愛ですか? 毒ですか? それとも?

それはともかく、メインの子が理系で考え事大好きなせいで、現在私の中にバレンタインデー雑学が大量に存在しています。……使い道がないんですけど、どうしよう?

(……1時間の遅刻が情けない)
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