四月一日の愚か者 |
「どうして四月一日は、春休みになるんだろうね?」
「意味が分からん。一億年後に掛けなおせ」
「いやんっ、そんなに長い間も俺と関わっていたいなんてっ」
「滅べ」
通話を切ろうとした携帯から、ぎゃーやめてーなどという悲鳴が上がる。だが知ったことでは無い、容赦なく切る。
ぷつっ――。通話は切れて携帯の画面には、味気ないカレンダーが映る。その画面を数秒眺めて、彼女は携帯を閉じようとした――のだが。
ルールールル、ルールー。
「…………」
この能天気な着信音は、間違いなく先程の男だ。仕方ないので、出る。
「実は俺……、大富豪の息子だったんだ……。ほら、野摘財閥の」
「嘘だろう」
「うん」
悪びれる事も無く、電話の向こうの男は軽薄そうに笑った――ような気がした。詳しい事は分からない、実際に遭って話しているわけではないからだ。会ってではない、遭って、だ。
「ねー、里枝。暇だし駅前まで来てよ。あーそーぼっ」
無垢な笑顔が脳裏に浮かぶ。今日は四月馬鹿の日だ。信用ならない。
「そうやって私を騙す気か。どうせお前は駅に来ないんだろう?」
「もー。どんだけ俺悪いヤツよ? そんなことするわけ無いだろ」
ほんとに疑い深いよねー里枝、としみじみと語り始めたヤツのペースに乗せられてはならない。その手口に騙された男女は数知れなさそうだ。詳しくは、やはり知らない。
「じゃ、駅前で待ってるから。財布は……まあ、こっちで全部持つから別に持ってこなくてもいいかな」
「そういって私を何駅か先で置いてけぼりにするつもりだな」
沈黙。
「ねえ、里枝。本当に、疑うの止めてよ」
「否定しないのか」
「いや、違うよ。純粋に、里枝と遊びたいだけだよ」
電話越しの声が沈んでいるのがよく分かる。呆れているのか、落ち込んでいるのか、それは分からない。四月馬鹿の日だから仕方ないと言っても、さすがに悪い気がする。
「……まあ、少しだけなら時間が無いわけでもない」
「本当!?」
ぱあああ、と相手の表情が明るくなるのが目に見えた。これは、ほぼ確信。
「じゃあ十時に駅ね!」
「え後六分しかな」
ぷつ――。通話は無情にも切られた。
約束してしまっては仕方ない、少しでも折れてしまった自身が悪い。もう少し粘っていれば何か状況が変わっていたかもしれないが、後の祭り。同じ轍を踏まないよう、今後の課題とすればいい。
「さて、」
とりあえずパジャマの姿をどうにかせねば。
「りーえー!」
駅の看板近くでヤツは楽しそうに手を振った。背後の看板には波の打ち寄せる浜辺の写真に決め台詞、『君と夏、××××』。
ヤツの周りの大人たちが、いぶかしんでこちらを見る。そこで微笑んだサラリーマン、これが殺意が湧く瞬間と言うものだろうか?
「ちょっと黙れ」
「酷い……。今に始まったことじゃないけど」
何気に暴言を吐いたヤツの懐に拳を一発。それでも平然としているところは、さすがヤツと言うべきか。何十年も付き合ってきたわけだが、未だにヤツの性格はいまいち掴めない。
「じゃ、行こっか?」
ヤツは少し屈んで、俯いた私の顔を見上げてくる。こういう仕草は、少しだけ可愛いかもしれない。
「少し隈できてるね。お化けみたい」
……前言撤回。とりあえず頭を数発殴る。
それでも飄々としているところが、ヤツの長所であり、短所。
「切符はもう買っておいたから、行こ。里枝」
直接聞く声は、やけに静かで心地がいい。ヤツの声だけは、割と好きだった。
込み合った車内で、残念ながら席は空いていない。
「大丈夫? 吊り革に手ぇ届く?」
「大丈夫だ」
少し蒸し暑い車内、周りは自分達よりも背の高い大人たちばかりで、全てに押し潰されてしまいそうだった。手の届く範囲に吊り革があった事は、不幸中の幸いと言うべきか。
「一駅だけだし、ちょっとだけ我慢しててね」
・
・
・
がたん、ごとん。窓から見える景色が、ゆっくりと流れていく。車内には、他の客がいなかった。橋を渡りきり、がたんっと少し大きめの揺れ。
彼はその長い髪を揺らしながら、傍らの人物に顔を向けた。
「……続き、もう書かないんですか?」
「厭きたからね。結末が思いつかない。未完、という完成だよ」
「それは残念です」
B5のノートを閉じて、長い髪の男子はそれを相手の鞄の中にしまった。その様子をちらりと見て、それからすぐに興味をなくして、茶髪の彼は流れていく景色を見た。暖かな日差しが車内に入り込んで、言葉を溶かす。
「有理は、どうしてこの物語を書き始めたんですか? 恋愛ものを書くなんて、珍しい」
髪の長い男子は、前を見たまま隣の茶髪に話しかける。その問いかけに、素っ気無く有理は答えた。
「気まぐれ。……実はその物語、実話に基づいているって言ったら、どうする」
口元を哂うように歪ませて、彼は髪の長い男子に問いかけ返す。向かい側の窓に、その表情が映っていた。
「さあ。今日は四月一日ですからね」
「嘘吐きたちの日だしね。――で、榧雪は信じる?」
ふふ、と榧雪は髪を小刻みに揺らしながら小さく笑った。その仕草は何処までも優雅で、声は静かで心地がいい。
「どちらでも。……実話であろうと無かろうと、私には関係ありませんから」
「ふうん、何気に冷たい奴だね。別にどうでも良いんだけれど」
車内のアナウンスが、終着駅の名を告げる。もうすぐ、この電車は帰路に着くのだろう。車内の二人だけの客が、立ち上がった。すぐに、左側の扉が開く。
「これを信じるのも信じないのも君の勝手だからね。違いなんて信じた愚か者だったか、疑い深い愚か者だったか、だけだ」
二人は、誰も居ない寂れたホームに降り立った。
説明 | ||
せっかく四月一日なので、短くても物語を。 不完全燃焼な感じは、……仕様ですよ? |
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