ちょこれいとを渡しに。 |
手元には四つの小さな包み、油紙と和紙で包まれた「ちょこれいと」。
例によって峠の茶屋で行われた異国の催しに便乗したのは良いが、そこでの変わった決まりが涼を悩ませていた。
「友人に渡すのにも数の制限がありますから…困りましたね…」
いつも、様々なことでここのつ者仲間には助けられているし、忍社のお祭りを手伝ってもらったり、楽しい思い出も作ってもらえている。だからこそ、日ごろの感謝も込めて全員にだって渡したいくらいだったのだ。「憐れみチョコ」では名前がなんだか失礼な気がして気が引けてしまった。……憐れみチョコの数を競っているらしい鬼月と十助には憐れみチョコとして渡すつもりだが。
「……いけませんね、優柔不断で」
女性から男性に渡すのが主流なようなので、それに則っていくつもりだが…渡しに行くにしても早めに探して手渡した方が感謝は伝わるだろう。
巾着に四つの包みを入れ、涼は私室を出た。
「音澄さ……」
「涼ちゃーん!私に何か用かにゃ?チョコかにゃ!?」
廊下で見かけた特徴的な頭巾に気付いたこちらが声をかけ終わるより早く、涼に気付いた寧子はパァァと表情を明るくして飛びついて来た。猫耳頭巾がピコピコと揺れ、涼の額にパシパシと当たる。
「ね、音澄さん、耳止めて下さい…妙に…痛いです」
ぴたりと猫耳の猛攻が止み、涼ははたかれ続けて跳ね加減の増した前髪を整えた。毎度の事だが、一体どういう仕組みなのだろう。ちらりと耳をみるが、寧子はどうしたの、とでも言いたげに首をかしげるだけだ。
そうだ、猫耳のヒミツを知りに来たわけではなかったのだった。はたと思い出し、渡すものがあるんです、と言いながら巾着を探る。寧子は楽しみでたまらないといった表情で、今か今かと待っている。
「わ〜、もしかしてチョコレイトかにゃ?涼ちゃん大好き〜!」
「何日も前から催促してきたのはどなたでしたか?」
そうなのだ。バレンタインというイベントがあると聞いてから寧子は「涼ちゃんのチョコレート欲しいにゃー、欲しいにゃー」と、それこそ鰹節を見つけた猫のように甘えてきたのだった。
少し呆れつつも笑顔で渡す。この年上の女性は時折妹のようにも見えて、おまけに自分の性格としてねだられると弱いのだ。いや、もしかしたらこの辺りも全て読んだ上でのおねだりだったのかもしれないが。ここまで喜んで貰えたのなら渡したかいもあるというものだ。
「では、私はこれで。」
「涼ちゃん、もう行っちゃうのにゃ?」
「他にもお渡ししたい方がいるんです。」
「本命かにゃ!?」
「違います!」
「あ、僕にもくれるんですか! ありがとうございます、涼さん」
二人目は思ったより早く見つかった。鶯花は厨房で自身もチョコレートを制作していたらしい。甘くまったりとした香りのする中で、二十歳の男性にしては三角巾に割烹着姿が良く似合っている。
「手作り…なんですが、溶かして混ぜて固めただけなんです。味はあまり期待しないでくださいね」
「そんなことないですって!せっかくですから、今食べてもいいですか?」
「え、えぇ。どうぞ」
甘味作りの腕なら、十中八九鶯花の方が上手なのだ。あまり作る機会の無いお菓子だから、せっかくだから、と手作りをしたが正直に言ってあまり味に自信がない。
眉が下がり、少し不安げに中身を確かめるように包みを揺らしてみる。
鶯花はというと、いったん受け取ろうとした手を止めた。どうしたのかと見ていると何かを探すように視線をさまよわせている。
その手のひらや指先は、作っているうちに付いたのかチョコレートが付いていた。
洗うにしてもこのチョコレートというものは水では落ちにくいし、お湯を沸かすにしても少し時間がかかる。涼自身も、作った後道具に付いていたチョコは指で掬って食べた方が早かったくらいだ。
お湯を沸かそうかと提案する前に、鶯花からもっと合理的な案が出された。
「涼さん涼さん、口に一つ放りこんでもらえませんか?」
あ、その手があったか。
包みを解き、干した杏や砕いたあられを混ぜて、一口大に固めたチョコレートを取りだす。美味しそうです〜と言う鶯花に少しかがんでもらい、口へそっと入れてやる。
笑顔で味わっているのをみて、先ほどのは杞憂だったと分かった。この人が、誰かが頑張って作ったものを、喜ばないはずがなかったのだと。
「お、涼〜。こっちに来るの珍しいな。誰か探してんのか?」
「こんにちは、黒犬さんを探していたんですよ。今、良かったですか?」
縁側を少し進んだ先、少し開けた場所は組み手をするにはちょうど良いらしく武道派の者が良くくる場所だ。涼は頻繁に来ることはないのだが、案の定、黒犬はここで体を動かして居た。
「俺に?…もしかして、俺なんかやったか?」
少しの逡巡の後、わずかに腰が引けている。自分より七つは年上の男性が、小柄な自分に対してびくつくのも可笑しなことだ。
ビクつかせるほど黒犬に対して怒っただろうか、と小首をかしげる涼は自覚が無いのだろう。自分のお説教が長い事を。ついでに言えば、最初の依頼のときに黒犬の脳天に大幣を振り下ろしたことも。
「何かやった心当たりでもあるんですか?…違いますよ、バレンタインのチョコレートを渡しに来たんです」
お説教ではないことに安心した黒犬は、チョコレートという響きにいつもの笑顔に戻った。涼も、先の二人に渡したものと同じ包みを巾着から取り出す。
「今渡すと、体を動かすのに邪魔になってしまいそうですね…上着の上に置いておきますね」
縁側に置きっぱなしになっている上着の重しにするように包みを置く。
これで残るは後一つなのだが、相手が相手なだけにいつ渡せるのか分かったものではない。さて、何をして過ごそうか。ふわりと流れた風が肌寒く、涼は身を震わせた。
「涼、もし時間あるなら手合わせしねぇか?…なんでか今日は誰も来なくて…」
まだ動かし足りないようだが、一人でやる訓練ほど退屈な物は無い。虚空に向けて蹴りを放ったりしているが、相手がいないのではやりがいもないのだろう。どこか覇気が無い。
それは、今日はバレンタインで渡す相手を探したりで皆がそわそわしているからですよ。わざわざ言いはしないが、確かに、今は時間をもてあましている。最近も本ばかり読んで体を動かしていないし……
「……そうですね、私でよければお相手します。…手加減だけお願いしますね。まともにやったら私、黒犬さんに太刀打ちなんてできませんから」
ここのつ者の中でも武力においては首位を争う一人である黒犬を、まともに相手取れるはずもない。それでもその分自分が全力で打ち込んでも黒犬は怪我をすることもないだろうから、そのことについては気が楽だ。木製の棒を手に取り、中段に構えた。
「よろしくお願いします」
「いつでもいいぜ!」
気が付いたら日が暮れてしまっていた。手加減には慣れているのか、黒犬からの攻撃は全て涼に当たる直前で止められていたため互いに怪我などすることなく手合わせは終了した。ということはもちろん、涼の攻撃もほぼ受けられ避けられたということではあるが。
(陽動のかけ方でも身につければ、少しは実戦でも戦えるようになるでしょうか…)
考え込む涼の耳に、何かが梁にぶつかる音がした。梁にぶつかるような身長の人は限られる。ついでにいえば、ここのつ者の人はもう慣れているのでめったにぶつからない。ここのつ者以外でこの「ここのつ者のいるところ」に来る人は限られている。
「企鵝さん、ぶつけたところは大丈夫ですか?」
「えぇ、大分慣れました。こんばんは、涼さん」
困ったように額をさすりながら現れたのは、予想に違わず企鵝であった。すこし額が赤くなっている。
「こんばんは、今日会えてよかったです。これを渡したかったので」
もう今更いつわりびとである企鵝がここに居ることを気にはしていない。手元の巾着を探って、最後の一つの包みを取りだす。中身はこれまでと同じ、チョコレート。
差し出すと、企鵝の表情が明るくなる。ぱああぁという表現がぴったりだろう。
「チョコレート、いただけるんですか…!?」
「は、はい。忍社の催し物に来ていただいたりで、お世話になっていますし。…杏はお好きですか?チョコの中に、干した杏とあられが混ぜてあるんです。」
よほどいつわりびとに似つかわしくない、純粋という言葉がぴったりな様子で喜ばれ、少々おどろく。そういえば肝試しのときもカステラを後日持ってきていた。異国の甘味が好みなのだろうか。
「わぁ、ありがとうございます!食べるのが楽しみです!」
喜んでもらえて何よりです、と返した。
普段見れない一面が見れて、少し嬉しいと思う。お返しに、と企鵝から貰った包みを大事に胸に抱えた。
他の皆も、渡そうと思った人に渡せただろうか。穏やかな空気や、楽しそうな声が辺りの部屋からも聞こえてくる。楽しい一日になってよかった。
甘い物は幸せな気分にしてくれる、と言ったのは誰だったか。幸せな気分にしてくれる甘いものを送りあうこの催し……
「来年も、こんな風に楽しめたらいいですね」
見上げた寒空は、綺麗な星空だった。
説明 | ||
バレンタインデー企画の小説です。今度は涼が渡しに行きます。 オムニバス的になったので、一人ひとりは短めに…精進します。 登場するここのつ者:音澄寧子 黄詠鶯花 遠山黒犬 魚住涼 登場するいつわりびと:企鵝 |
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