揺る灯 |
俯いた顔に汗が伝う。
天下を目指すのであればそれに最も近しい人物と交流を持っておくべきだと、確かに言った。
愚鈍な者を連れ不興を買うよりも口のたつ者が事に当たるべきだ、というのも理解できるし、その任に自分が相応しいとも思っていたが。
『僕はあの方に好かれていなくてね、君一人の方が都合がいいだろう』
いつもの微笑みを浮かべた片割れの言葉を反芻する。
あの知らぬ顔め、と毒づきたくもなるがそれどころではない。
「…黒田官兵衛、余に与したいと申すか」
「左様、秀吉も貴軍に従ずると、書状は勿論言伝も預かっている」
「フン、猿め。使いを寄越すなど小賢しい真似を」
伏せた頭上から掛けられる高圧的な声にまた汗が伝う。
よくもまあそんな言葉が出たものだ、秀吉の信頼とて得られている自信はないというのに。
そんな内心を押し隠し懐の書状をさも大事そうに取り出す。
元より秀吉と信長の関係は悪くはない。これを見せれば話も進むだろう。
しかし信長は官兵衛の手の中にあるままのそれを一瞥すると一閃、刀を振り下ろした。
予想だにしない突然の挙動に硬直したのは幸か不幸か、はらりと落ちる紙片に我に返る。
真っ二つになってしまった書状に何を、と顔を上げるも眉間に銃を突きつけられ言葉を続けられない。
「是非もなし。余に歯向かう事無くば使うもよし。猿にそう伝えい」
言葉と共に銃を逸らされ安心しかけるが、そのまま顔先で発砲され言葉を失う。
歯向かう事無くば、という言葉の体現なのだろう。
潔白とは言い難い官兵衛には重くのしかかるようで、揺れる外套が広がり遠ざかって行くまで口を開くことができなかった。
暗い廊下は人の気配が薄く、灯火の少なさが視界の端から闇に染めていく。
闇の恐ろしさは何度となく体験しているがそれとはまるで違う…思惑の分からない何者かに纏わり付かれているような不気味な雰囲気。
第六天魔王と呼ばれているのはその性格からだけではないと聞き及んでいたが、あまりに濃厚な”何か”の気配に息が詰まりそうで、先導する女へ意識を向ける。
結い上げられた黒髪は闇の中でも輝き、大きく開いた後ろ襟から覗くうなじや肩口の白さは男を誘っているようだ。
しかし後ろ姿からでも分かる強い敵意を当てられればそんな気も萎んでしまう。
加えて光差さぬ闇夜を燃やし上げるような特徴的な着物。
「なぁ、お前さんは魔王の妻じゃないのか?」
目の前を歩く女は言葉に応えるようにぴたり、と足を止めると疑うような探るような視線を投げてきた。
太腿までさらけ出された足に羽ばたく青蝶。
都でも見たことがない妖艶な美しさとは裏腹に手元の明かりに照らされ浮かぶ横顔、鋭い瞳には不快感が露骨に表れている。
「そう睨まんでくれるか、せっかくの美人が台無しだ」
「口のきき方に気をつけなさい、黒田官兵衛」
にべもない。が、否定しないところを見ると間違ってはいないのだろう。
「すまないね、これでも田舎出身なもんでな」
申し訳など当然の如く存在しない不躾な態度に濃姫の視線が鋭くなるが構わずに官兵衛は言葉を続ける。
「訪問者の取り次ぎなど小姓や女中がすることだろう。何でお前さんが」
「お前のような気持ちの悪い笑みを浮かべる男を知っているからよ。お前は信用できないわ」
変わらない棘のある口調でぴしゃりと言い切られ今度こそ肩をすくめた。
自分の目で見張るのが一番安全だという理屈は分かるが天下の魔王軍・織田軍において監視役に適した人材が居ない訳でも抱えている忍が居ない訳でもあるまいに。
女の身で戦に身を置き『殿』に忠誠を誓うか。
「気持ち悪いとは言ってくれるな。まあ、高く買ってもらえて光栄だがね」
今にも武器を出しそうな濃姫に軽く両手を上げ降参を示すと改めて帰路へと促す濃姫に倣い後に続く。
敵意剥き出しの視線が逸らされたのをいいことに改めて城内の様子に目を向けてみた。
「さっきから誰ともすれ違わないが…不用心だとは思わんか?」
「無駄口を叩いていないでさっさと歩きなさい、上様のご厚意を無下にして帰ると言ったのはお前よ。猿は部下の躾もできないようね」
「交渉がどうだったか知らん訳でもないだろう、あれで安らかに眠れるほど鈍くはないんだよ」
書状を切り落とされ向けられた視線を思い出し思わず息を吐く。
あの闇を塗り込めたような目は確かに魔王と呼ぶに相応しいだろう。
思えばこの城内の淀み濁る空気は魔王信長の視線によく似ている。
重苦しく息苦しい、だが先程よりはましに思える。理由もわかっている。
「まぁ、お前さんのような女がいるなら一晩くらい泊まるのもよかったかもな」
いかにも言外に含ませるような言葉を放てば鈍い金属音と共に銃が突き付けられた。
本日二度目の生命の危機、だがやはり先程よりも恐怖感が違う。
「口のきき方に気をつけなさい、というのが分からないようね。お前のような下種な男を相手にするつもりなどないわ」
不快感極まりないと如実に伝えてくる声の響きにまた両手を上げるが、官兵衛の笑む口元もまた感情を如実に伝える。
「こんなこの世ともつかん空気の中、闇に染まらん女は希少だろう」
女の衣装のように、手に握られた灯火のように弱くとも落ちず照る炎。
明かりに照らされた瞳が一瞬揺らいだように見え笑みを深めると、構えていた銃が振りかざされ顎に打ち付けられた。
「ぐあっ!?」
鈍い音と共に走る衝撃に思わず蹲りかけるが、構わずに濃姫はくるりと背を向けた。
「早くついてきなさい。お前といると頭が痛くなるわ」
言葉とは裏腹に先程よりも幾分か棘が抜けたような呆れたような声音。
修羅になりきれぬこの女と戦場でまみえることがないよう祈りたいもんだな、とは口に出さなかった。
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官兵衛総攻めNL合同誌の官濃 凛とした濃姫さまが好きです | ||
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