水色の傘
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 彼女はずっと二階の窓を眺めている。かれこれ半年ほど、毎日眺めている。僕は彼女に見つからないように、わざと遠回りして学校を往復した。

 

 その日は雨だった。

 彼女は水色の傘を差して静かにたたずんでいた。誰もいない二階の窓を、ずっと眺めている。その家は少し前まで僕の家だった。でも家族で引っ越してしまったから、今はもう誰も住んでいない。誰かを待っても、家には誰も帰ってこない。

 

 今日は雨にもかかわらずこの家を取り壊す日だった。

 

「お嬢ちゃん、ここは危ないから下がってくれるかな」

 

 工事現場のおじさんが笑顔で言うと、彼女はそれを無視した。どんなに言ってもきかない。どかない。おじさんは困って仲間のところへ相談に行った。仕方なく、僕は彼女の前に立った。彼女は目を開く。そしてうつむいた。

 

「この家にはもう誰も帰らないよ。引っ越したから」

 

 うつむいたままピクリとも動かない。

 

「今日取り壊されるんだ」

 

 彼女は驚いて顔をあげた。僕は目をそらす。

 

「あ、ひょっとしてお兄さん? 悪いけどその子どかしてくれるかな」

 

 さっきとは違う工事現場のおじさんが強気に話しかけてきた。

 

「おいで」

 

 彼女は首をふった。僕は仕方なく彼女の冷えきった手を取って歩きだす。別れたはずの彼女とまた手を繋ぐとは思わなかった。

 ふと彼女が呟いた。

 

「すき」

 

 ものすごく小さな声だった。声を聞いたのは半年ぶりだと思う。

 

「すき」

「知ってる」

「すき」

「知ってる」

「すき」

「…」

「すき」

 

 胸が締めつけられた。どうすればいいのか分からなかった。

 

 付き合っていた頃の彼女は独占欲が半端じゃなかった。嫌気がさして一方的に別れを告げた。それから家族で大きな家に引っ越した。それを知らない彼女は、僕の住んでいた部屋の窓を見上げるようになった。やっと解放されたと思ったら今度はストーカーかよと最初は腹が立った。彼女は毎日窓を眺め続けた。

 

「さようなら」

「え」

「たのしかった。さようなら」

 

 彼女は笑った。思わず立ち止まる。雨は一層激しくなった。待っていたのかもしれない。最後の言葉を告げるために、待っていたのかもしれない。彼女は繋いだ手を自分から離すと、傘を捨てて雨のなかを走っていった。僕は呆然とその場に立ち尽くした。水色の傘が足元に転がってきて、やがて動かなくなった。

 

 

 

おわり

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短編小説です。
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