誰かの不幸は誰かの幸福
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 最近、失敗続きだ。

 この一週間の出来事を纏めるとしたら、その言葉に尽きる。自分は思ったより不幸な星のもとに生まれたのではないかとネガティブに考えてしまう。

 寝坊をして高校に遅刻するのは自分のせいだから仕方ないとしても、その三日後に交通事故である。右足を骨折する程度で済んだのは、不幸中の幸いだ。幸いと言っても、不幸なものは不幸なのだ。

「はあ……」

 今日はその関係で提出することが叶わなかった課題をやるために教室に残ってこなしている。会社だったら残業みたいなものだ。勿論、手当など出ない。サービス残業だ。

「なにため息吐いてんのよ」

 この声はきっと、ナオミだろう。

「そりゃ、出るだろ……理由は言わなくても分かんだろ」

 机の上に並べられたプリントから視線を外すと、やはりナオミが目の前に立っていた。

「暗いねえ。コウジくん」

 こいつは、人を君付けするようなタイプではない。おちょくりの意味での、この呼び方だ。

「そりゃ、こんな足になった上で、課題出せって急かされりゃそうなりますよ、ナオミさん」

「うわっ。コウジが丁寧語とか似合わんねえ……」

「分かってんなら最初からやんなよ。お前もだぞ」

「あらら。親しみを込めて呼んであげたのに、コウジくん?」

 ナオミは『にひひ』という擬音が似合いそうに笑いかけてきた。

「ナオミさん、そんなことより課題を手つだ――」

「それは嫌です」

 即答だった。

「じゃあ、何の用なんだよ」

「ん? 帰る時大変だろうと思って、一緒に帰ってあげようと」

 わざわざそんなことを? と思ったが、それを口には出さなかった。

「ありがたいけど、お前に悪いだろ。課題終わんのも時間掛かりそうだし、天気もそこまで良くないんだ。雨が降ってくる前に帰っとけって」

「……ふーん。なら私が飽きる前に、コウジがささーっと課題を終わらせてしまえばいいんじゃない?」

「あのなあ、簡単に言うけど俺は授業出られない日もあったんだぞ。復習からやんねえと課題にすら移れねえの」

「はいはい、なら復習の部分だけは手伝ってあげるわよ。課題は自力、これでいいでしょ?」

「……いいのか?」

「クラス二位ぐらいの実力を持つ私に二言はない」

「一位と言わない当たりが謙虚だよな」

 まあね、とナオミはしたり顔で微笑むと、俺に遅れていた部分を教えてくれた。分かりやすく、自分一人では大分時間が掛かっていただろう。

「あっ、結局お前帰ってねえじゃん」

「今更気付いたの?」

 語尾に馬鹿なの、とでも付きそうな表情をしていた。

「ナオミの教え方が上手かったからな。そっちに考えがいってたよ」

「ふふふ、もっと褒めてもいいのだよ」

「なんだか悪そうな顔してるなあ。教えてくれたのはありがたかったけど、そろそろ帰っとけよ。暗く――」

「もうなってるんだよねー」

 外を眺めながらナオミはそう言っていた。天気の悪さも助長してのことだろうが、すでに薄闇になりつつある。このまま一人で帰れというのは流石に配慮が無さ過ぎるだろう。

「これはまずいな。すぐに終わらせるから一緒に帰ろう」

「初めからそのつもりだったしー。あとは頑張ってね」

 決まり文句だとしても、応援されるのはどこか嬉しいものだった。

 

 

 課題はあっさりと終わった。提出をしに行ったらすぐに採点をされ、いつもより出来がいいと褒められた。ナオミに帰りに何か奢ってやらないとなあと思いながら教室へと帰る。怪我人を一人で帰すわけにはいかないと言いつつも、職員室には着いてこないらしい。

 職員室の雰囲気が苦手とは言っていたから、それが理由だろう。

「あ、おかえり」

「なんで俺の机に座ってるんだよ」

「おかえりって言ったら、ただいまって言うものでしょ?」

「ただいま。なぜ場所を……」

「コウジが出て行って暇だったから机を漁ってやろうかなーって。面白いものはなかったけど」

「面白いものってなんだよ」

「ちょっとチョメチョメな感じの本とか?」

「学校に持ってくるわけあるかっ」

「……あー家にはあるんだ……」

 これまで生きてきた中で一番冷ややかな目線を浴びている気がした。

「そうは言ってないだろう。要件も済んだし、帰ろうぜ」

 こういう時は、冷静に流すことが重要だ。否定も肯定もしないで置くのがいい。

「……まあ、いいけど」

 ナオミはそう言うと床に置いてあった鞄を持ち上げる。俺も机に置いてあった鞄を手に持とうとしたが、それをナオミは掴んでしまった。

「帰るの手伝うって言ったでしょ?」

「……サンキュー」

 なんだか照れくさくなってしまったので、ナオミより先に教室を出ようとする。

「コウジー」

「なんだよ。って……」

「アハハ、引っかかった」

 振り向きざまに、ほっぺたに指が刺さるアレだった。

「久しぶりにやられた気がするな、それ」

 ナオミは俺の頬に刺さった指をこちらに向けて指鉄砲を作っていた。

 

 

「バーン! ってやると、大阪の人はリアクション取ってくれるらしいじゃん?」

 俺に向けて連発しているような動作をする。

「怪我人だからな。その期待には答えられそうにないな」

 会話を返しながら、二人で下駄箱のほうへと歩いて行く。

「怪我してなくてもやらないでしょー」

「分かってるならやんなよ」

「それでもなんか楽しくてね。そういえば傘は持ってる?」

「ああ、鞄の中に入ってるよ。雨降ってきたら出してくれると助かる」

「降ってきたら私も入れてね」

「お前傘持ってこなかったのかよっ」

 朝の天気予報の降水確率は九十%を示していた。

「持ってこようとしたけど、忘れたの。仕方ないでしょ」

「珍しいなあ。ナオミが忘れ物するって」

「か、完璧超人っぽい私でもそりゃ忘れるわよ」

 なんだか不意打ちを喰らったような表情をしていた。

「謙虚さが今度は無くなったな」

 そんなナオミに追撃をしてみる。

「傲慢さをマシマシにしてみました」

 目論見は外れて、いつも通りの返答だった。

「性格的には、そこまで変わってないように思える」

「なにそれー私の評価低くない?」

「ナオミの場合、別格だからな、ある意味」

「じゃあ、私もコウジは別格ってことにしといてあげよう」

 嫌なリストの別格に入ってそうだなあ、とつい言いそうになる。

「それはそれは、光栄なことで」

 皮肉には皮肉で答えておいた。

 下駄箱に着いたので、外履きに履き替える。靴は学校指定のもので、どこにも同じものが並んでいる。別の靴を履いてこようとする生徒もいるようだが、デザイン自体は悪くないのでそこまで不評ではないように思う。

「しっかし、毎回同じ靴だと飽きるよね」

 苦言を呈するのは、ナオミのように様々な靴を履きたいと思っている生徒ぐらいだ。

「女子は靴に拘るらしいけど、どうしてなんだ?」

「なんでって、拘らないってことは杜撰ってことじゃん。女性の拘りを理解できないとか言いつつ、一定以上の身なりを要求する男っているけど、それ矛盾だよねってこと」

「制服に合わせるのに、そんなたくさんはいらないと思うんだけど」

「……まあそれはそうだと、思うけどさ。気分的に、この靴じゃなくて、別の靴がっていう感覚……? なんかそういうのない?」

「昨日の晩飯がハンバーグだったから今日は魚がいいみたいな感じ?」

「そうそれ! そんな感じ! いい喩え思いつくじゃん。コウジにしては」

「一言余計なナオミさん、傘開きますよ」

 校舎の玄関を出て、傘を開いた。

「私が持つってことでいいよね?」

「……そのほうが助かるからな」

 松葉杖があるから、どうしても傘を持つとバランスが悪くなる。

「憎むべきは雨だね」

 空を指さしながらナオミはそう言った。雨脚はそこそこ強かった。

「全くだな。バス停まで行けば大丈夫だから、頼むよ」

「バス停からコウジの家ってそんなに遠くないんだっけ?」

「大体だけど十分ぐらいかな」

「バスの料金は?」

「定期だけど」

「普通に使ったらの話」

「たしか三百二十円だったと思うけど、それがどうかしたのか」

「暇だからついてこうと思って」

「は? いやいや、お前。外暗いって分かってんだろ。バス停まで着いてきてくれるだけで充分だよ。また今度なんか奢ってやっから」

「コウジの家まで行って、傘を借りて帰れば、私は濡れずに帰ることが出来る。合理的じゃない? 費用に六四〇円掛かるけど」

「コンビニで傘でも買ったほうが安上がりだろう」

「遠いし、コウジっていう荷物を考えると面倒でしょ」

 ご尤もな事だった。

「分かったよ。家に着いたら傘貸してやっから」

「コウジは家に帰った後、私のメール相手になってね、帰る時暇だから」

「まあそのぐらいならお安いご用だけど」

「よしっ、それじゃ帰ろー帰ろーおうちに帰ろー」

「まず帰るのは、俺の家だけどな」

「そのツッコミ待ちだったもん」

 

 バス亭までの道のりは下り坂となっている。登校する時は大変だった。この坂には日頃から憎悪していたが、今日ほどその想いが強まった日もないだろう。帰りは楽だから帰りにはその気持ちも失せる。今は気恥ずかしさのが上だった。

 ナオミはそこまで気にしてないように見えるけれど、肩がぶつかるくらい引っ付いて同じ傘に入っている。ナオミははっきり言って美人だった。外見の良し悪しで人への対処が変わるのはおかしいから、気にしていなかったけれど、ここまで近くなると少し意識する。

「――聞いてる?」

「ちゃんと聞いてるよ。それで、どうなるんだ」

「えっとねー。実は――」

 楽しそうに喋るナオミの話に耳を傾けておく。それだけでなぜだか楽しいものだった。

 バス停からバスに乗り、俺が朝乗ってきた停留所まで向かって降りる。そこからはまた徒歩だった。

「こんなとこに住んでるんだね。コウジ」

「まあな。ナオミはどの辺だっけ」

「ここよりはちょっとうるさそうなところだよ。マンションだしね」

「マンションかー。景色は良い所なのか?」

「どちらかと言えば高い階のほうだけど、見渡せるのはこの町だし、想像の通りってところだよ」

「うちは一軒家だからマンションってどんなもんか気になるなあ」

「私の家に来たいってアピール?」

「ち、ちげえよ! そういうことじゃないっての」

 急に何を言い出すんだコイツは。

「ちなみに、私の部屋にはコウジが前から読みたいと言っていた『リアルサイキッカー』がある」

 サイキックを使う主人公の英雄譚の漫画だ。噂は聞いているが、読んだことはない。

「……初耳だぞ」

「全部で二十巻あるし、持ち運ぶのは面倒である」

「詰みじゃねえか……」

「コウジが取りに来ればいいじゃない」

「お前んち行ってもいいのかよ」

「別にいいけど? おあいこってやつじゃん。私も今からコウジの家に行くわけだし」

「なら足が治ったらお邪魔させてもらうわ」

「ふふふ。うちに来るからにはうちのルールに従ってもらうわよ……」

「どんなルールなんだよ」

「え? 特に無いけど、言ってみただけ」

 ハッタリかよ。何かあるのかと勘ぐって損をした。

「ちなみに、俺んちは至って平凡だぞ」

「超豪華でも貧乏でも反応に困るからそっちのほうが気が楽だね」

「確かに。そっちはマンションだからウチよりは凄そうな気がする」

「どうなんだろ? でもまあ一軒家のほうが凄いんじゃないかな。庭とかあるなら」

「あるけど、花壇とかでスペースないし、そんなだいそれたものじゃないぞ」

「花壇とかあるのは羨ましいなあ。朝起きたら花に水やりとか、優雅そう」

「優雅って……ナオミの口から出る言葉とはとても思えないな」

「失礼ね。柄に合ってないことは分かってるけど、やってみたいことだってあるの」

「やってみたいこと、ねえ」

「コウジにはなんかあるの?」

「リアルサイキッカーが読みたいかな」

「あはは、そりゃそうだね」

「それ以外なー。まあナオミの家に行くんだったら、どんな部屋か見てやりたいっていう気持ちは勿論あるぞ」

「物事には対価を支払う義務があるのだよ。コウジくん」

「俺の部屋見たって何もないと思うが……」

「チョメチョメな本があるんじゃないの?」

 ここでその話を掘り返してくるとは思わなかった。

「……そんなものはないですよ」

「なら、見ても大丈夫だね!」

「まあ部屋なら別にいいけどさあ。つまんないぞ。漫画とゲームが散らばってるだけだ」

「いいの、いいの。楽しみなんだから」

 ちらりとナオミの表情を伺うと、本当に楽しそうに笑っていた。

 

 家に帰って、母親の面倒くさそうな目線を掻い潜ってナオミを部屋まで連れてきた。その第一声は「平凡だね」だった。だから言ったろとツッコミをしたかったが、そのまま適当に探索をしていたので放っておいた。

 ベッドの下とかを見ていたようだったけれど、そんなところには流石に置いていないし、見つかる道理もないので、一安心だ。気が済んだのか、ナオミは普通に帰ることにしたようだった。玄関まで見送りに行く。

「それじゃあ傘だけど、折り畳み傘のほうがいいのか?」

「大きい傘でもいいけど、こっちのほうが干しやすいし、これそのまま借りてくってことでいいかな」

「オッケー。送ってくれてありがとな」

「いつも行かないところに行くのって結構楽しいからね」

「ナオミの家に行くときは楽しみにしてるよ」

「そういえばそうだった……」

「自分から言い出したことだろ?」

「そうだけどっ……や、なんでもないや。それじゃ気をつけて帰りますんで、心配ご無用ですよ。コウジさん」

「一応心配はしとくから。暇つぶしにもちゃんと付き合うつもりだぞ」

「ちゃんと覚えてたんだ。私の好感度が十分の一ポイントぐらいあがるね」

「ひっくいなー」

「それじゃ、雨が強くなる前に行くよ。バイバイ」

「じゃあな」

 バタリと閉じる玄関を眺めていた。自分がいつも家を出て行く時に使うものだけれど、それをナオミのような他人が使っているのが新鮮だった。自室に戻って携帯を開く。

 ナオミからもうすでにメールは来ていた。

『ところで何をくれるのかな?(ニヤ』

 あいつらしいなあと、なんだか笑ってしまう。

『アイスでも雑貨でもなんでも奢ってやるよ』

 カタカタと入力し、送信する。制服を脱いで、ベッドに横になる。こうすると帰ってきたなって感覚が全身に行き渡る。人間睡眠が一番大事だ。そんな時に耳元の携帯がバイブルをする。ナオミからの返信だ。

『ふーん、なんでもいいの?』

 前文を無視してそこに突っかかって来そうだなあとは思っていたけれど、やっぱりか。

『アホみたいに高くないものじゃなければな』

 ちゃんと釘を刺しておく。それでもナオミのことだからギリギリまで高価なものをせびってきそうではあるが。返信は早かった。

『今って電話でられる……よね?』

『自室で寝転がってるからでられるよ』

 なにかあったのだろうか。横になって、漫画に手を伸ばす。ベッドの近くにはナオミが乱雑だなあとかぼやきながら纏めていた漫画の塊があった。

 それの一番上を手に取り、意味もなくペラペラと捲っていく。そういえばこんなシーンもあったなあと思い返しながら読みなおすのも、漫画の楽しみだ。

 携帯がバイブルする。ナオミから電話だった。

『もしもし?』

『……もしもし、ナオミだけど』

『おう、どうかしたのか』

『えーと、欲しいものって話だったじゃん?』

『そうだったな。決まったのか』

『う……決まってはいる……っていうか、なんていうか』

『なんだよ、ナオミらしくないな』

『うっさいっ。ちょっとどころじゃなく、言いづらいっていうか! とても恥ずかしいの!』

『そんな言いよどむものなのかよ、俺に用意できるのか心配になってきたぞ』

『あー……もう。私が欲しいのは――――』

 

 

 その言葉が発せられた時、きっとお互いに真っ赤だったと思う。あの時のことをナオミに追求すると小突かれる……というよりは本気で抓ってくるし。

 ナオミの欲しいものに俺は応えた。

 ナオミはそれを言うつもりはなかったらしいが、俺の様子と話しているうちにその考えが変わったらしい。

「もう、ボーッとしてないでよ。この部屋の汚さは初めて見た時から気になってたんだから」

「言うほど酷かったっけ……」

「酷い酷い。また不運が舞い降りてくるって、こんなんじゃ」

「それは嫌……嫌でもないかもなあ」

「ええ? 不幸なのが良いっていうの?」

「俺が不幸だったのがきっかけでこうなったんだから、それも良いかなって」

 ナオミはしばらくボーッとした後、理解したのか俺の頬を無言で抓り、

「恥ずかしいでしょうが!」

 と、俺の耳元で叫んでいた。

説明
 コメディチックな文章。
 挿絵は蜂太さんに書いて頂きました。
 マジ感謝、素晴らしい(恍惚
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