黄泉姫夢幻W
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 〜創られしモノたちの叛逆〜

 

プロローグ

 

 † † †

 

「……わたしは第二次七年期の限界……十四歳を過ぎてしまっています。もう〈黄泉姫〉としての完成は望めません。でも、まだ第二次七年期の終わりを迎えていない貴女になら、まだ決して高くないまでも、きっと可能性があるはずです、リリス」

「姉さん……」

「わたしはこの身体のもともとの人格と切り離されたまま、多重人格のような形でしか肉体に結び付けられませんでした。だから、この身体の主の人格が眠っている間しか表に出ることが叶いません。また、貴女は、すでに一度死んだ肉体に受肉させられたため、〈黄泉姫〉とは呼べない純粋な非―人間として、やはり計画の失敗作という烙印を押されて生みだされてしまいました。根本夜見子……わたしたちの知る限り、彼女だけが、ふたつの魂がひとつの人格としてほぼ完璧に融合され、〈黄泉姫〉として完成されているのです。それは何故なのか……そして、リリス、貴女の身体の元々の人格である〈洋子〉の魂を彼女から切り離し、ふたたび貴女の身体に結び付け、貴女を真の〈黄泉姫〉とすることが果たして可能なのか……」

「わかっていますわ、姉さん。それでも……やらなくては。こんな風にして受肉させられてしまった私たちが存在する意味を、世界に知らしめてやらなくては」

「ごめんね……リリス」

「気にしないでください。これは、私の意志でもあるんですから。だから、姉さんは、私が無事成し遂げられることだけを祈っていてください」

「ええ、祈っているわ、リリス……」

 

 † † †

 

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第一章

 

 HIRASAKA

 

「おう、仕事だぞー」

 あの、リリス襲撃事件のしばらく後の日曜日。下宿の部屋で久々にのんびりと過ごしていた俺は、そう言いながら入ってきた大家さんのその一言で、一瞬にして気を引き締める。一秒だけ目を閉じ、自分の心に余計な動揺のないことを確かめると、

「わかりました。それで、今回はどういった内容なんでしょうか?」

 と尋ねた。

 

 俺が密かに就いている〈仕事〉。

 依頼によって、常識では考えられないような不可解な事件、幽霊が出ただの怪音に悩まされているだの、……あるいは、何者かに霊的攻撃を受けている、だの。そういった事件を解決する仕事。

 言うなれば、〈オカルト探偵〉とでもいったところだろうか。といっても、まだ高校生の身である俺が直接正式に依頼を受けられるわけではなく、本来の探偵であるところの大家さん―俺の遠縁の親戚で、長めの黒髪を無造作に結って、赤いアンダーリムの眼鏡をかけた二十代半ばの女性だ―が、受けた依頼のなかで、俺程度でも大丈夫であろう依頼を選んで、実地訓練を兼ねて任されているというわけだ。まァ正式な探偵ではなく、見習いあるいは助手、とでも付けるのがより正確なところだろうな。

 それでも言うまでも無いが、依頼料を受け取っている仕事である以上、甘えは許されない。

 大家さんの業界での信用にもかかわってくるため、難度のさほど高くないであろうと見立てを受けた件とはいえ、緻密な調査と完璧な解決は絶対条件となる。それに、大家さんの見立ては基本的には確かだが、それでも実際に携わってみないと事件の全容はわからない以上、俺程度の手に負えなくなる可能性は常に残されている。これまでは幸い、どうにか俺の手で始末をつけられない程にはならずに済んでいるが。

 ちなみに、報酬の方は、内容によってピンキリだが、危険手当て込みでまあそれなりにはなる。なにぶん不定期なので生活のためには普通のバイトも必要だが。

 俺は、適度な緊張感を保ちつつ、心をプレーンな状態に置いて大家さんの説明を受ける。

 

「今回は、お前の高校で起こった事件だ」

 そう言われ、ちらりと前回のリリスの黒犬獣に教室が破壊された件を思い出したが、そのこととは関係無いらしい。

「正直、今回はいままでお前に任せて来た事件より少々厄介かもしれん。だが、お前の高校が現場だけに、あたしよりお前の方が動きやすいだろうと思う。だから、今回はどうしてもお前に主に動いてもらうことにはなるが、あたしも何かあったらすぐ動けるようにしておくつもりだ」

 そう聞いて、俺は少々驚いた。大家さんがここまで言うってことは、相当本気で厄介である可能性が高いってことだ。実際俺の高校で起きたことでなければ、恐らく大家さん自身が直接手掛けていただろうか。

 

「最初はな、よくある心霊写真の話だったワケだ」

「心霊写真……ですか」

「まぁ大したことはないと思ったんだが、ところが似たような細かい話が続々と持ちこまれて来やがる」

「その写真は見せて頂けるんですか?」

「ああ、あるよ」

 ほら、と大家さんがちゃぶ台の上にどん、と音を立てて放り出したのは、束にまとめられた写真だった。まさかこんなにあるとは。俺は、写真の束を解き一枚一枚じっくりと吟味するように見る。

 見始めるそばから、俺は思わず眉をひそめる。

「なんだこりゃ……」

「ふむ、お前なら判るだろうとは思ったが」

「判りますよ。なんでこんな酷い代物がこんな束になって……」

 俺は呆れ果てたと言っていい。なにしろこれだけある束が。

 

 全 部 ト リ ッ ク

 

 だとは思いもしなかったですョいやマジで。

 ただ、そうであるならそうであるで、これまた違う問題が出て来る。

 つまり、これらは〈トリック写真〉であり、決して繁みの影が顔みたいに見える、などといった〈勘違い〉〈見間違い〉写真ではない、ということ。つまり、誰かしらが、少なくない労力を割いてわざわざでっち上げたものだということだ。ここにあるだけでさえ優に1センチ以上の分厚さの……ぜんぶ違う写真を、だ。

「思うに、これはほとんど別々に持ち込まれたものだと見ていいんでしょうかね」

「ああ」

「つまり、この写真群の出どころを探るのが今回の仕事……いや、それだけじゃないですね」

「お前は察しが良くて助かる。時どき良過ぎてムカつくがな」

 大家さんが苦笑しながら言う。

「単に悪戯でやるには大掛かりすぎる。見たところ印画紙は全部同じ用紙……サイズも全部キャビネ、うん、印画紙だ。インクジェットプリンターの写真用紙じゃない」

 俺は写真を裏返したり透かしたり、あるいは紙に残る薬品臭を嗅いだり、裏面の用紙のロゴなどを吟味してそう判断する。

「そういうの詳しいよなお前」

「そもそもの写ってるモノはどれも統一性があるようには一見みられない……記念写真風のバックにうっすらと顔、肩から居ないハズの人の手、茂みが人の顔っぽく見える、こっちは下半身が透けて背景が見えてる、これは光跡……むしろ、心霊写真のバリエーションを網羅しているかのよう……」

「そうだな。わざとらしいくらいにバリエーションを揃えていやがる」

「これ、多分同じラボで焼かれた写真でしょうね?」

 どうやら全て同じ用紙、同じサイズで焼かれたものであることからしてもそう見ていいだろう。

「その辺はもう調べてある。二丁目のふたば写真館って店だ」

「従業員が犯人ってことは……」

「あたしの調べでは……全員シロだな」

「ということは、誰か……従業員以外の内部の人間? それとも外部からの侵入者? が勝手に使ったか……カラー現像のスキルを持っているとしたら内部の可能性の方が高いだろうか」

「恐らくは、だな」

「そうなると容疑者はずいぶん絞られると思うんですが?」

「ところが、経営者の家族もどうやらシロとしか思えんのだこれが」

「それは……厄介ですね。そうなると、まず知っておきたいのはこの写真の出回り方ですね。誰かがネガやデジタルデータを勝手に加工して作ったものではあるんでしょうが……ラボに現像頼んだときの同時プリントなら普通サービス判でキャビネにはならないですから、その線は除外できるとして……この写真を大家さんのとこへ持ちこんだのはこの写真を撮ったか写された人たちなんでしょうか?」

「いいや、その辺がどうもな。持ちこんだのは高校の生徒たち、それもバラバラになんだが、どいつもこいつもまとまった量を持ちこんできやがった。まあ、あたしのこと知ってるやつらが高校生の中でどんだけいるかっつーたら人数が少ないのは当然なんだが、一人最低でも十枚以上は持って来たな。しかも出所を揃って言いたがらない。言ってもらわんと調べようがないとも言ったんだが、それでもろくすっぽ話そうとしない」

「言うと祟られる……とかそういう話ですかね?」

「ビンゴだ」

「ということは、まずそこんとこから調べないといけないわけですね」

「ちと面倒だが、頼むわ」

「写真を持ってきた依頼者のデータと、この写真をどうしたいのか、そして最終的、根本的に何をしてほしいのかを教えてください」

「ああ、これがその一覧だ」

 大家さんは数枚のプリントアウトを渡してくれた。俺はそれをざっと見ると、必要と思われる部分を記憶し、とりあえずファイルケースに仕舞った。

「ていうか、一番の問題はどうしてこんな訳のわからないことをやらかしたか……ですね」

「そうだな」

「大体、こんなことをして何の得になるんだろう?」

「そこだ」

 大家さんはぴっ、と俺を指差して言う。

「まァ可能性は色々考えられるでしょうが、現状の情報量じゃどうにも足りませんね」

「そうだ。だから、お前には校内の噂や写真に関係した生徒たちの情報を集めてもらいたい」

「わかりました。流石に数日とかじゃとても無理でしょうから、数週間くらいは見て貰わないといけませんが」

「そりゃそうだな。だがあまりのんびりし過ぎるのも考えものだ。写真をばら撒いたヤツが何を企んでるか判らんからな。後手に回って手遅れになっちまっちゃ話にならん」

「もちろんです」

 俺はそう頷いて答える。

「ああ。そこいらは信用してるがな。念は入れておかにゃならんからな」

 そこで、俺はふと思い出す。

「ええ。しかし、それにしても、ふたば写真館……って、たしか俺と同じ図書委員の双葉香織の家じゃなかったっけか?」

「……なんだお前の知り合いの家かよ。だったら調べもお前に行かせれば良かったな」

「……どこまでサボりたいんですか大家さん」

 なんにせよ、この件は急ぎたくともそう簡単にはいかなさそうだ。いざとなれば即座に動ける用意はしつつも、じっくりと腰を据えてかかる必要がありそうだった。

 

 YOMIKO

 

「……って、そういえば夜見子さん、前と同じ服なんですね」

 いつものよーに学校から帰ってからすぐ着替えて、お兄ちゃんの帰りを迎えに行く途中、先に行きあったカメ子と雑談してるときにそう言われた。

 カメ子……ってのはもちろんあたしが勝手に呼んでるあだ名で、本名は亀井三千代さん。お兄ちゃんには〈カメちゃん〉って呼ばれてる。

 あたしに負けないくらい長い黒髪を一本の三つ編みにまとめて、向かって右側の前髪を髪留めで留めて、残りを大きく左側に流してる。優しげなたれ目で、一見地味で大人しい感じだが、じっくり見ると驚くほどの美人。かなりの近視らしく、小さめのレンズの眼鏡をかけている。あたしよか三つ上の高一だけど、その割にはやや小柄で胸も控えめ……まァそんでもあたしよかずっと立派だけどネ……。

 彼女がそんなコトを言いだしたンも、前回の事件のとき、あたしの中の、これまで眠っていた力が一部解放され、その余波でそんとき着てた普段着がすっかり焼けおちてしまったのに、今日も前と同じ服を着ているせいだ。

 一緒にいたお兄ちゃんに裸を見られちゃったのは、今思い出しても頬が熱くなってしまうくらい恥ずかしいけど、まァお兄ちゃんだけにだからいい……とまでは言わないけど彼にだったらまァダメじゃない。他の男になんか見られたら絶対耐えられないだろーけど、大好きなお兄ちゃんにだったらむにゃむにゃ……とか妙な方向に連想が進むと別の意味で頬が熱くなるのでこんくらいにしとくァね。

 ともかく、そんとき焼けちゃった普段着とおんなじデニムの上着とミニスカ、赤いTシャツ紺ニーソのいつものあたしスタイルが変わって無かったのにカメ子が気付いたワケよネ。まァ気付くも何も一目で判るコトだけど。

「ん、まァね。同じの何着か持ってっし」

「はあ、でも、こう言ってはなんですけど、折角の機会なんだからイメージチェンジとかしようとか思われませんでした?」

「んー、別に? つーかサ、別に変えなくていーモン無理に変える必要なんて無いでしょ」

「無理にって……べつに焼けちゃった普段着たまには変えてみたらってだけですけど」

「いやまァその辺はほらてーちゃくしたイメージとかそーゆーのがネ?」

 何の話だ。

「それに、べつにさっき言ったみたいに元々おんなじの何着か持ってただけで、わざわざ新しくおんなじの追加して買ったわけでもないのョ。でもまァ……いちばんの理由は、お兄ちゃんがこの格好可愛いって言ってくれたからなんだけどネ」

 あたしは自分でもにやけてるなーと思いながら言った。

「む……そ、それでは仕方ないですね」

 納得するし。あっさり納得するし。

「ホラ、なんてーの? お兄ちゃんの言うコトにはさ、普段着、とくに自分で選んだ普段着って自分の性格の一部みたいなモンだってーのョね。だからサ、そー言ってくれるお兄ちゃんがその普段着がいちばん可愛いってのはさ、つまりあたしの性格含めて可愛いって言ってくれてるワケでさ?」

 うぇへへへ。言いながらもうホントニヤつきが止まンねーのョ。

「うー……羨ましいです……」

 カメ子が指くわえながらそんな風に言う。

「あ、お兄ちゃん!」

「お兄さま」

 そうこうしてるうちに、お兄ちゃんがやってくるのが見えて来た。あたしはおっきく、カメ子はちょっと控えめに手を振ってお兄ちゃんを迎えた。

 

 HIRASAKA

 

 さて、そろそろここいらで俺の最愛にして自慢の妹を紹介せねばなるまい!

 根本夜見子。幼い頃に命を落とした俺の実の妹・平坂洋子の記憶と魂を半分受け継いだ……というのも、とある魔術結社の手によって、夜見子は幼い頃に誘拐され、死亡した直後の洋子の魂を人工的に合一させられた霊的改造体・〈黄泉姫〉とされ、再び家族のもとへ戻されたのだそうだ。つまり、夜見子は俺にとって〈血のつながらない実の妹〉とでもいった存在ということになるのだろうか。

 この〈黄泉姫〉というのが本質的にどのようなものなのか、というのはいまだ謎に包まれているのであるが、少なくとも夜見子に関しては、霊的エネルギーを吸収し、それを体内で〈火〉のエレメントに変換し放出、または使役する能力が現在のところ判明している。

 正直、それが〈黄泉姫〉のすべてだとは思えないのではあるが、今はまだ詳細が判明していない以上、即断は避けるべきだろう。

 

 だが、まァそんなコトは夜見子という子を語るにおいてさして重要ではない(きっぱり)。

 晴れた日の夜空のような長く真っ直ぐな黒髪をひざ裏くらいまで伸ばし、同じ色の瞳を持っている。愛用の赤いカチューシャのあたりからひと房撥ねた髪が愛嬌になっている。ぱっちりくりりっとした仔猫みたいなつり目で、やや幼さを残しながらも小さいがすっと通った鼻筋、小さく可愛い口元、薔薇色をしてやわらかな線を描き、今はまだ幼さを残しつつも将来は細面の綺麗な顔立ちになりそうな素質抜群なほっぺたを持った美少女である。身長は恐らく一三八センチ程度だろうか。全体にほっそりした体つきだが、決してがりがりではなく、すらりとしたしなやかさと少女らしさを兼ね備えたバランスのいい身体つきである。胸は全くぜんぜん一切これっぽっちもふくらんでいない完璧なるぺったんこだがそんなことは全く問題にならないというかむしろだがそれがいいというか我々の業界ではむしろご褒美ですというかげふんげふん。運動神経もとても良いようで、おまけに利発で頭の回転も速い。性格はとても真っ直ぐでさっぱりと気持ちよく、友達思いで情に厚い。ちょっとだけ舌足らず気味になるコトもあるがちゃきちゃきの切れのいい江戸弁しゃべりで思ったコトがすぐ口に出て、ときどき乱暴っぽくなるのは玉にきずだが決して暴力的にはならない一線は守っていると思うよ俺はうん。夜見子の可愛さについて語るべきことはまだまだこんなものではないのではあるが、しかしまァそろそろこの辺にしておかないとまたぞろ俺がシスコンだなどという根も葉もない噂が流れてシマイかねんのでこのあたりにしておこう。全くこんな可愛い妹がいてしかも俺のことを真っ直ぐに慕ってくれているとなればこちらの方も同じくらい真っ直ぐな愛情で返してやるのは人として兄として全くぜんぜんこれっぽっちの問題もなく当然のことであろうに。なあ。

 

「それじゃお兄ちゃん、また明日ね」

 名残惜しそうに、それでも笑顔で夜見子が手を振って帰っていく。

 いつものように放課後俺を待っていてくれた夜見子とカメちゃんだったが、今日は夜見子が用事があって先に帰ったため、久しぶりにカメちゃんと二人きりになっていた。忙しいときでもちょっとでも時間を作って会いに来てくれる夜見子は本当に可愛いと思う。もちろんカメちゃんも俺にとってはとても大事な妹みたいな幼なじみだ。

 夜見子を見送った俺たちは、歩きながら高校でのことについて色々と話した。

「そういえば、図書委員に立候補したんだって?」

「あ、はい。元々本は好きですし、そ、それに、お兄さまもいらっしゃいますし……えへ」

 そういってカメちゃんははにかんだように笑う。小さい頃のことを思い出させる可愛らしい笑顔だ。

「そうか、がんばってな」

「はい、お兄さま」

 と大人しいカメちゃんとしてはとても元気よく返事してくれる。

 ……のはいいんだが。

「……しかし、だな、何だ、その〈お兄さま〉ってのは校内では……だな」

 俺は、カメちゃんを傷つけないよう気をつけながら、校内では呼び方を変えてくれないかと頼んでみる。

「私は気にしませんのに」

「い、いや、まァ色々妙な具合に誤解されたりしてもだな」

「うーん、それじゃ、せんぱい……とかいかがでしょうか?」

「そ、そうだな、その辺が無難かな」

 俺はちょっとホッとして答えた。

「先輩、センパイ、せんぱい……ふふ、なんかちょっと新鮮かもです」

 その〈せんぱい〉という言葉をあまいあまい飴玉を大事に舌の上で転がすように口にして、カメちゃんは甘やかに笑った。正直、その表情はとても愛らしくて、思わず見とれてしまうほどだった。

 

 MICHIYO

 

「あ、あの、亀井三千代っていいます。どうぞよろしくお願いします」

 私は、そういって頭を下げた。

 お兄さま……せんぱいが見ててくださるとはいえ、やっぱりちょっと緊張しちゃいます。

 ここは、高校の図書室。お兄さまとおなじ図書委員に立候補した私は、放課後の委員会活動の初日に他のクラスの子たちと一緒に自己紹介を済ませたところです。

 ホントは、もう少し早い時期になるはずだったんですけど、例のリリスの件で教室ひとつがまるまる全壊、その付近の廊下などにも少なからぬ損害が出たため、その調査とか修理などでかなり学校行事や授業などにも影響が出てしまったとか。

 そのため、新学期から数週間……まだ四月中ではあるんですが……ほど間を空けての初委員会になってしまった、ということだそうです。

 それにしても、一人ひとり自己紹介するたびに、委員会の先輩の皆さんから拍手があったのはいいんですけど、私のときだけ男子の方々から妙な歓声が上がったのはなんなんでしょう。私なんかみたいな地味な子がそんな歓声上げられるとは思わなかったので、申し訳ないんですけど、むしろちょっと怖かったです。

 ともかくも、自己紹介が終わり、委員会のおしごとの説明があります。私は心細かったこともあり、早速お兄さま……せんぱいのとこへ駆け寄ります。

「おにい……こほん、せ、せんぱい」

「やあ、カメちゃん来てくれたな」

 そう言ってにっこりと笑って下さるせんぱい。不安な気持ちがすっと解けていくようです。

「なんだよお前この子知り合いかよ」

「もう新入生に手ぇ出してんのかよ女に興味無いようなツラしてるくせに」

 周りでそんな風にはやし立てられてまたちょっと怖くなっちゃいます。決して険悪な感じじゃなく、親しげにからかうような調子だってのは私にも判りますけど。

「ああ、昔っからの知り合いだよ。ずっと妹みたいにしてた子なんだから、いじめたりしたら勘弁しねーからな」

 せんぱいも笑いながらそう言ってくださいます。でも、妹……ですか。嬉しいような残念なような、ちょっと複雑なきもちです。でも、頭をぽん、ぽん、と軽く叩いてから撫でて下さる優しい手を感じてるだけで、そんなことは些細なことだと思えます。幸せ。

 そんな風に思っていたところで、私は突き刺さるような視線を感じました。何気なく振りかえってみますと、私たちの方を少し眉をひそめた顔で見ている女子生徒がいました。黒縁の眼鏡をかけて、黒髪をかるくふたつに分けて両おさげにして、肩の前に垂らしています。

 身長は私とそんなに変わらないか、ちょっと高いくらい。体格もほっそりとしていて大人しそうな方です。

 ノートを胸の前でぎゅっと抱きしめるように抱えて私たち……ううん、私のことを睨んでいます。

 ちょっと地味な感じですけど、整った顔立ちで結構綺麗な方です。表情だけですと、少し眉をひそめている程度でも、その視線はかなり鋭く私の方を見据えておられます。一体どうしてなんでしょうか。多分、ほぼ間違いなく初めて会った方だと思うのですけれど。彼女の身を包むオーラにも見覚えはありませんし……。

「おーい、双葉、この子にいろいろ説明してやって欲しいんだが」

 せんぱいがその彼女に声をかけられます。

「はい……わかりました。それじゃ、よろしく、亀井さん……双葉、香織……です」

 早足で歩み寄ってきた彼女、双葉香織さんは、そういってぺこり、と頭を下げた。

 

 KAORI

 

 平坂委員長……前の委員長が家庭の事情だとかで転校してしまったため、二年生になったばかりなのに繰り上がりで委員長になった彼が、新入生の亀井三千代さんを私、双葉香織に紹介してくれる。

 大体標準体型くらいだと自分では思っている私より少し……全体的に一回りか半回りくらい小造りな印象の女の子で、ただし、逆に女の子らしい魅力では、私より全体的に一回り(かそれ以上)上回っている感じの子。

 太く一本の三つ編みでまとめた長い黒髪に、ややたれ目気味だけど穏やかで人懐こそうな優しい眼差し。小さめの丸いレンズの眼鏡と、なんだか私の持っている各要素をわざわざ選んで一段魅力的にして組み合わせ、しかも全体的に完成度を高めたような……一見すると地味目な印象だけど、地味なりに〈地味目な女の子として〉の魅力を最大限まで高めたらこうなるんじゃないかって……何て言うか、同じように地味系だと自覚している私のコンプレックスをこれでもか、と刺激してくるような子……とでも言うのかな。

 しかも、そんな子が委員長と親しげにして……彼とは、一年生のとき同じ図書委員になって以来の知り合いだけど、飄々としていて人当たりもそう悪くないものの、どこか人との間に一線を引いている印象のあった彼が、明らかに出会って以来、校内では誰に対しても見せた覚えのないような親密さを感じさせる笑顔を向けている。

 最近、彼が同じクラスの紅光紗さんっていう、校内でも有名なとっても綺麗な人と仲良くなったらしい、って話は聞いたけど、彼女は私と全然違う、同じ生き物と思う気にさえならないくらい華やかで綺麗な人だから、なんだかしょうがないな、って気にさせられていた。

 でも、目の前の彼女、亀井さんは……なまじ私に、少なくともタイプとしては近い気がする存在だけに、彼女に対する劣等感を覚えさせずにはいられない。そして、そんな風に劣等感を覚えて、彼女にきつい目線を送ってしまう自分自身に対して、その劣等感以上の自己嫌悪にもまた私は責められていたのだった。

 

 HIRASAKA

 

 俺は、放課後の委員会活動も終わり、解放感もあってとっくに誰も居なくなった教室で携帯の待ちうけにした夜見子の写真をぼーっと眺めていた。

 隠し撮りとかじゃなく、ちゃんと頼んで撮らせてもらったもので、今見ているこれは、最初の一枚だったせいもあってかちょっと緊張気味だが、それでもはにかんだような愛らしい笑顔で写っている。

 俺のことを信頼しすべてを委ねてくれている可愛い笑顔。ああもうどんだけ見てても飽きないなァ。夜見子かわいいよ夜見子。まったく夜見子は最高だぜ。この笑顔を見ているだけで表情が緩むのを自覚せずにはおれないなぁ。ああ傍から見たらさぞかしだらしない顔してんだろうなァ俺うぇへへ。

「……ったく、なに見てんのよあんた」

「ぅわァっとお」

 俺は慌てて携帯を懐にしまう。

「今さら隠したって遅いって」

「ナ、ナンノコトカナ」

 呆れたような顔で俺を見ているのはクラスメイトの紅・エリサベタ・光紗だった。

 ルーマニア貴族とのクォーターで、陽に透かすときらきらと金色に輝くふんわりとしたくせっ毛を背中まで長く伸ばし、ちょっとつり目気味だがほぼ完璧に近いんじゃないか、というくらいの美貌を持っている。そして、その完璧さを一寸だけ崩しながらも、そのことがかえって愛嬌と魅力を加えている八重歯が目立つ女の子だ。

 プロポーションの方も出るところは出、ひっこむところは引っ込み、しかもそちらの方のバランスも完璧という反則スペックの持ち主でもある。おまけに先日の事件で先祖の吸血鬼の血に目覚めて夜間限定スーパーパワーを身に付けたりどうしたことかてっきり今までクラス内でいがみ合っていたと思っていた俺に告白してきたりと色々忙しいことになった奴だ。

「……はぁ、あんたがどーしよーもないシスコンなのは別に今に始まったことじゃないからいいんだけどね……」

 む、失敬な。俺のどこがシスコンだというのか。死んだはずの可愛い妹が別人の肉体に合一されたとはいえ俺の前に帰って来てくれてなおかつ俺のコトを素直に慕ってくれてるとあれば(まァ夜見子がいつも言ってるお嫁さんがどうとかはこの際あえて置いておくとしても)愛用のデジタル一眼レフカメラでポートレートを実は写真部の幽霊部員でもあったりするところのこの俺の持つ撮影技術の粋を尽くしてガチ本気撮りした上大伸ばしして部屋に飾ったり携帯の待ちうけにして常時見られるようにしたりするくらいのことは兄としてしごく全然当たり前の行動だと思うのだがどうか。

 もちろん携帯のメモリーには日替わりで一カ月分くらい余裕で替えられるくらいの夜見子ベストショット写真のデータは入っているし、今後も絶賛追加予定ではあるが、たかがそんな程度のことでシスコン扱いとは甚だ不本意であると言えよう。

 まあそれは置いとくとして、あれ以来紅……こほん、光紗は教室でもこれまでよりは親しげな態度で話してきてくれるようになった。

 こっそり危惧していたように、やたら積極的に迫ってくるようなことはなくて安心……いやほんとマジで安心したものの、俺には〈光紗〉と名前て呼ばせるようになって、しかも呼ぶたびに嬉しそうな顔を隠そうともしないのは、そりゃそういう嬉しそうな顔は本当に魅力的だとは思うが、今後の校内での身の安全と心の平穏を思うとちと気がかりなところ……とそんな風に思っていた時期が俺にもありました。告白された直後、少しの間は。

 ……どうして俺らのそんな様子がクラス内で男女問わず当たり前のように受け入れられてて、しかも生温かい目でにやにやされながら見られているんだろう。ワケわかんねぇよ……。

 まさか……本当にまさかとは思うけどアレなのか? ラブコメとかでよくあるような実は俺ら当人たちだけが知らなかっただけで光紗の気持ちとかクラス内でバレバレで、今俺ら付き合い始めたとか思われてニヤニヤされてるとかなのか?

 いや……そりゃ光紗は魅力的な女の子だとは思うし、俺のコト好きだって言ってくれたのも嬉しくないワケがないし。もちろん吸血鬼の血がどうとかは光紗というひとりの女の子の本質にとってはどうでもいいことだし。

 だがなァ……かといって俺が光紗のことを好きかって言われるとだな……いやもちろん、しばらく前まで、俺の意識としては成り行き上天敵同士みたいな関係ではあったものの、真っ直ぐでいいヤツだってのはずっと判ってたし、友人としてなら最大限の好意を抱いていると言っても問題ないんだが。しかし、俺が光紗に対して恋愛感情を抱いているかどうかってことになると、よくわからないってのが正直なとこなのだ。

 

 さて、そんな当人としてはそう気楽とも言い難いが傍からはリア充爆発しろとか言われそうな(これでも自覚はあるんだよ一応)日々を過ごしつつも俺は調査を進めていた。

 写真の出所を探るのはもちろんだが、写真そのものについても更に徹底的に調べるべきであろう。そう俺は考え、加工前の写真を見る術はほとんどないにせよ、可能な、そして判明する限り写された場所にも足を運び、実際の光景と見比べ、さらに自分でもカメラを持ちだして撮り比べてみる。

 やがて、奇妙なことが判って来た。写真の光景の中に、実際にはない印形が刻まれているのを発見したのだ。例えば、偽造写真の中の木の一本の幹に、俺が撮ってきた写真にはない逆五芒星などのマークが〈心霊写真部分とは別に〉加工され刻まれているといった風に。

 はっきりと見てとるにはルーペで拡大してみる必要はあるものの、そこにそれがある、といった程度ならば、じっくり見れば判る程度だ。また、調査を進めるにつれ、ごく一部だが、実際の場所にも印形が刻まれている箇所がわずかながら存在することも判明した。

 俺は、まず判明している部分だけでもと、その写真の位置と刻まれていた印形とを地図の上に再現してみることを考え、試みてみた。それは、数日やそこらでは到底不可能なことだったし、手元にある写真のごく一部についてしか出来なかったことではあったが、それでも興味深い事実を得ることが出来た。

 ともあれ、これに気付くことが出来たことで、少なくともこの仕掛けを行った者が、西洋魔術の技法に通じていることがはっきりした。

 やがて、俺の頭の中になにかが……本当に薄ぼんやりとしたイメージではあるが、この事件の全体像が、何重のヴェールの向こうの影のように見えて来た。それは、恐らくはたった一人か二人の手による……だが、緻密で壮大な構想によって企まれ、ブロックをひとつひとつ積み上げて永い年月を費やし大伽藍を構築するかのように、地道な手段で実行された信じがたいような大掛かりな陰謀であるように思われた。

 もちろん、その最終目的が判ったわけではない。そこまでは今の段階では全くの闇の中だ。わかりかけたのは、あくまでそいつのやろうとしている〈仕掛け〉の青写真の、もやで覆われたような全体像とその一部のディテールが関の山というところだ。

 それにしても、理性的に考えるのならば、こんなバカなことはないとさえ思えるのだが、俺の直観はあくまでこの考えを支持していた。それならば、俺はこの直観に従って調査を進めることにしようと思った。なぜなら俺は、これまでにも幾度となくこの直観に従うことで道を切り開いてきたのだから。

 ちなみにいえば、この〈直観〉はよくいう〈直感〉とは違い、〈一目で全体を概観する〉方の直観の方だ。これは、俺がこれまで魔術、神秘学等のオカルティズムの知識とその背後の法則性とでもいうようなことを、いささかながら学んできたからこそ得られたもので、決して無根拠な思い込みではない。

 一例を挙げるなら、すぐれた考古学者は遺跡の基礎を見るだけで、そこにどんな様式と規模の建築物が建てられていたかをたちどころに知ることが出来るというが、これは学んできた知識や経験から、部分的な要素からでもそこに足りないモノを補完し、その全体像を思考によらず一瞬に見通すという心的能力のことだ。もちろん俺の場合、例に挙げた考古学者レベルよりは数段落ちるにせよ、基本的には同じことである。

 また、大家さんに話すべきかどうか迷ったが、俺自身の直観においては確信に近いものの、その根拠があまりに茫漠としており、他人を納得させられる体をなしていない、いや、それどころか今の段階では他人に説明をすることさえ困難なため、俺はせめて概略を裏付けられるだけの材料を調べ出すことを優先することとした。

 この判断が果たしてどのような結果をもたらすか不安もあるが、説明しても納得させられず却下されたのでは如何ともしがたいのでやむを得ない。せめて一刻でもはやく、少しでも多くの証拠を集めることだ。

 

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第二章

 

 YOMIKO

 

「にょわー夜見ちゃーん」

「ぬぉわッ!?」

 あたしがお昼休み、お弁当を食べ終えて気分転換に校舎内をぶらぶらしていると、今日も今日とて奇行の絶えない我が悪友こと沢村明音という女がいきなり後ろっからあたしに抱きついて来る。

 中一とは思えないくらいデカく(背も、その……む、胸も)、いつも細いたれ目をさらに細めてぽやぽやと笑っている。恐らくは天然にやや色素の薄い髪を、肩くらいまでの長さにしてふんわりと広げている。とにかくひたすらいたずら好きで、あたしンことを気に入っているらしく、いつもこーして構ってくるのだ。まァ……そりゃあたしンこと好いてくれてンなー有り難いとは思うんだけどネ。

 つーかなんだそのにょわーとかゆー奇声は。大方またなんかのアニメかマンガかゲームにハマりやがったなコイツ。

「今熱いんは大柄っ娘と小柄っ娘のカプやねんでー夜見ちゃんにょわー、だが夜見ちゃんはイくー」

「ぴゃああああーッ! 振りまわすなー!」

 明音のヴォケはその巨体とパゥワーを無駄に活かしやがってあたしのコトをぶんぶん振りまわし始めやがったのだ。このバカヲタ女今度はなんのネタにハマりやがった。こーゆーネタは時期外すとイタいだけになりがちだから程ほどにしとけョなどチクショー!

 などと頭の片隅では妙な冷静な思考も断片的には流れているが、目下のトコあたしはいまだに明音にブン回されていた。

「やーめーろーバーカ〜〜〜!」

 うぁあマジで目が回ってきたわョ……。

「うぁあー、いーかげん放しやが……れれっ!?」

 そう言おうとしたあたしは不意におっぽり出される。

「はりゃほろひりぇはれー」

「……ねえ、ひょっとしてあんた本物のバカ?」

 あたしは放り出されてころころりんと転がったンのを少し頭を振って立ち上がり、目ェ回して床にツブれた明音の傍らに戻ってしゃがみ込んでそう言ってやる。

 バカみたいにあたしを振りまわしまくりながら、結局自分が先に目ェ回してひっくり返りやがった明音をこーして目の前で見てたらさ、そう言いたくなるのも無理も無いわよネ?

「ううーヒドいやんなー夜見ちゃんー……」

 そう言いながら身を起こすバカ。

「いやいきなり人のコトブン回しやがンのはヒドくないのかョ」

 そうツッコミながらもあたしは思う。バカは復活も速い……。

「……お前らホント飽きねーよなー」

「あたしァ飽きあきしてるっつーのョ。あとお前〈ら〉ゆーな」

 そう言ってきたのは偶々通りすがったらしい、あたしが小学生の頃クラスメイトだったたくろーこと大岩卓郎。運動部らしく短めに刈り込んだ髪をつんつんに立たせてる、この中学のサッカー部目当てで入学してきたヤツ。

 男子としちゃ普通の背丈だけど、明音よか背が低いんのを気にしているみたい。あたしと同じ小学校から来たンはこいつ一人だったんし、元々そこそこ仲は良かった方なんで、クラスは違うけど割とよく話す方かしらネ。と、それァいーんだけど、どうも最近あたしと話すとき微妙に挙動不審になるのは一体なんなンかしら?

 

 TAKURO

 

 俺が昼飯食って腹ごなしがてら外で運動でもしてくっかなー、とか思って歩いていた所、廊下のど真ん中で小五んときから小六までの二年間、俺と同じクラスだった根本夜見子と、その中学入ってからの友達の沢村明音ってヤツが相も変わらず漫才を繰り広げていやがった。

 中学になってからそんなに経ってるワケでもないっつーのに、こいつらの漫才は既に校内名物のひとつに限りなく近いものになっていたりする。全く沢村のヤツの無駄なテンションの高さはある意味感心するやら呆れるやらだ。根本も苦労するワケだ。

 それにしても、こうして目立ってることも相まって、この二人は早くも校内で人気になりつつある。校内一の大柄女子と小柄女子のコンビは、いつもの漫才抜きで並んで立ってるだけでも目立つことこの上ない。

 沢村は中一とは思えないようなデカさ……身長だけじゃなく、その……なんだ、む、胸、とか……に加え、なんだかんだで外見だって悪くない。その上あのバカみたいな明るさもあり、特に男子連中に人気があるようだ。俺はコイツ苦手だけどな……。

 根本の方はっていうと、小学校のときもそうだったが、マスコットみたいなちっこさの上、とにかく性格が真っ直ぐで裏表がない。

 おまけに情にも厚くて一旦友達になった奴からは全面的に信頼されるから、女子受けがとにかく良いのだ。

 かといって男子受けが悪いってこともない。沢村みたいな発育が良いヤツが好きな奴らからは流石に受けないにせよ、極めて……そうだな、うん、非常に客観的な意見を述べさせてもらえば、根本は一般的な、極めて一般的な評価として、かなり可愛い方だと言わざるを得ないので、当然のように男子人気の方も相当高かったりする。

 つーことで、早くも根本も沢村も、そこそこ仲のいい友達を何人も作ってるようだ。さすがに女子が中心のようだが。

 な、なに? 根本の仲のいいヤツに男がいなくてホッとしてるだぁ? な、ななな何言ってやがんだよそんなワケねーだろははは。で、ついでながら俺の方もまぁ、クラスの連中はもとより、サッカー部のみんなとも結構打ち解けてる方じゃないかなと思う。

 なんだかんだで俺たちは、そう悪くない形で中学生活のスタートを切れたんじゃないかな、とそう思ってる。

 

 YOMIKO

 

「あれ、お兄ちゃん、何やってンの?」

 あたしが久しぶりにお兄ちゃんトコ直行せず放課後学校の友達とわいわい遊んで、すこし帰りが遅くなった日。お兄ちゃんが街中じゃ割と景色のいい公園の入り口近くで、カメラ持ってぶらぶら歩いてるのに出会った。

「ああ、夜見子か。どうだ、たまには友達と遊んでくるのもいいだろ?」

 そう言って笑いかけてくれる。まァ、お兄ちゃんには今日お迎え出来なくてゴメンねって通話入れたンだけどネ。そーしたら、なんかヤケに嬉しそうに「友達と思い切り遊んでこい」だって。

「うん、楽しかったわョ。でも、お兄ちゃんと一緒が一番嬉しいンは変わんないもん」

 そう言って、あたしはちょっとほっぺふくらましてお兄ちゃんの腕を取る。

「ああ、俺だって夜見子が迎えに来られなくて寂しかったぞ。でも、お前が学校でちゃんとみんなと仲良くしてくれてるのはもっと嬉しいんだからな」

 お兄ちゃんは、そう優しく髪を撫でてくれる。ううー、そう言われちゃうとなにも言い返せないじゃないのョ。あたしのコト想っていてくれてるのが幸せ過ぎて……はぅ。

「っと、そーいえば、何やってんの? カメラなんか持って」

 この前あたしのコト撮ってくれたときのおっきなカメラ。

 あのトキのコト思いだすと恥ずかしくてまだちょっと顔が赤くなっちゃう。

 ……って変なコト考えンじゃないわョ? ま、間違っても、え……えっちな写真とかなんてそんなのァ撮ってねーんだかンね?

 その……あくまでお兄ちゃんに可愛く撮ってもらったのが嬉し恥ずかしいだけなんだかンね! 念のため!

「ああ、ちょっと調べ物でな……この辺かな」

 そんな風に手に持った写真と見比べるようにしてぱしゃ、ぱしゃ、とその辺の景色を撮っている。あたしは、なんだろ、とお兄ちゃんの手にした写真を覗きこんで見……ぴゃ!?

「お、お兄ちゃん、こ、コレって……」

 ぴゃああああん、コレ、コレ……こ、こここの公園の、あ、あの辺のあのへんの木の下に明らかに下半身の透き通った女の人が立って……? う、浮かんで……? いるおしゃしん……つ、つまり端的に言えば心霊写真ってヤツよネ……?

「え? ああ、コレはトリック写真だから心配しなくていいよ」

 とお兄ちゃん。

「へ? そ、そうなんだ……と、トリックかァ……」

 あたしはホッと胸をなでおろす。でも、そろそろ薄暗くなってきた今じぶん、人気も少ないし、トリックとはいえゆ、幽霊が立って(?)いた木が現にすぐそこにあって……ぴゃああああ……怖いもんは怖いのョぉ……。

「俺はもう少しだけここで資料写真を撮っていくんだけど……夜見子はどうする?」

「で、できれば……お兄ちゃんと一緒に帰りたいナ……」

 だって! ひとりで帰るの怖いもん!

「……いいのか? 終わる頃はもっと暗くなってるはずだけど……俺はコレ仕事だから、終わらせないと帰れないし」

「うう……い、いいもん、ちょっと暗くなっても一人よりいいもん」

 そう言ってあたしはお兄ちゃんの背中に顔をうずめてぎゅっと抱き付いた。

 

 それから数十分くらい、お兄ちゃんは写真撮ったり、木の根元にあったなんかの印みたいなのを記録したり、いろいろ調べていた。

「ふむ……ここには現物の印形が刻んである……かなり新しいな。現物が刻まれていたのは、判っている限りではここと……たしか四か所か」

 なんて言葉が切れ切れに聞こえて来るけど何のことかはよくわかんない。

 あたしはベンチに座ってそんなお兄ちゃんの真剣な様子を見守っていた。彼のそんな姿を見てたら、怖さもずいぶん薄らいでくる。はぅ……カッコいいよぉお兄ちゃん。と、ようやく調べ物が終わった様子のお兄ちゃんがあたしの方へと歩いてきたそのとき。

 がさり、とあたしの後ろの繁みが音を立てる。

「ぴゃああああっ!?」

 あたしは、思わず大きく声を上げてしまう。

「にゃー……」

 ごそごそと繁みから出て来たのは、何のことは無い小さめの三毛だった。

「び、びっくりさせないでョ……」

「怖いか?」

 駆け寄ってきたお兄ちゃんがいたわるように尋ねてくる。強がり言うのは簡単だけど、もう誤魔化せるよーなコトでもないので正直に言っちゃうコトにする。

「う、うん……」

「前から何となく思ってたんだが、夜見子が怖いのは単にオカルト的なもの、ってことじゃなく、ピンポイントで〈幽霊〉なのか?」

 あたしの横に腰かけたお兄ちゃんがそう尋ねて来る。

「え……う、うん、そうなの」

 流石お兄ちゃん、ちゃんと言ったコトなかったのに、あたしのコト良く見ててくれてる。そのことが怖いなかでもちょっとだけ嬉しかったりもして。

「幽霊は怖いものじゃないよ」

「うう……そんなコト言われてもぉ」

 怖がるあたしにお兄ちゃんはそう言ってなだめてくれるけど、いくらお兄ちゃんが言ってくれたってこればっかりはそー簡単に直るわけじゃないのョ。ふぇえ……。

「幽霊は影のようなものだからね。怖がりさえしなければ怖くないのが幽霊ってヤツだ。逆に怖がれば怖がるほど怖くなるのが幽霊でもある」

「ど……どゆコト?」

 なんか禅問答みたいなお話?

「幽霊っていうのは、ある意味人の心の中の恐怖感や罪悪感といった感情を映し出す鏡みたいなもの、ってことだ。たとえばあの辺の何の変哲もない繁みが風でざわめく。怖い怖いと思っているとそこに何かがいるからざわめいたような〈気になる〉」

「う、うん」

「そして、たとえば〈だれか内心罪悪感を感じている相手がいたりする〉場合、そういうときにその人の姿が脳裏に浮かんでいたりするだろう。すると、人の脳はその人の面影をその繁みに投影してしまったりするワケだな」

「つ、つまり……」

「特にその人が既に亡くなっていたような場合、風にざわめいただけの繁みの中に、誰々さんの幽霊が立っていた……ような気がする、となるワケだ」

「うう……わかったよーなそうでないよーな……」

「更に、普通だったらなんの力も無いような霊的な影……たとえばそこで起こった出来事」

「れ!?」

 お兄ちゃんの合理的説明でさすがのあたしもちょっと怖さが薄らいできた……と思ったのにれ、霊って……ぴゃああん……、お、お兄ちゃんの、お兄ちゃんの……うううううー。

「そういったものも、基本的になんら怖いもんじゃない。ただし、必要以上に恐怖心を抱くことで、心に隙が生じると、そういったものどもが付け込んでくる余地が発生してしまう。あるいは、本人が勝手に惑う」

「勝手……に?」

「そう。普通ならそういったものは人を躓かせる力さえないようなものだ。基本的に大抵は、〈誰かの霊〉本体なんてものでも何でもない、なんの力もないような、そこに刻み込まれ、あるいは染みついた、そこで発せられた強い感情の残滓のようなものだが、当人が心乱れていれば別だ。慌て、足が乱れ放っておいても転びかねないようなとき、ほんの僅か、そう、それこそ、転ぶ確率をほんの少し高める程度の力を加えられれば、あるいは何かを〈見て〉普通より余計にバランスを崩したりすれば、場合によっては転ぶ〈かもしれない〉」

「そんなもんなん?」

「そう。そんなもんだ。だが、それで転んでしまえばそれはそれでひとつの結果だ。そのとき乱れた心がさっき言ったような〈影〉を見ればそれはその〈影〉のせい、ってことになる。つまりは勝手に惑う」

「そう、自分が、勝手に……」

 あたしは、お兄ちゃんの顔を見上げる。あたしのことを想ってくれているお兄ちゃん。その顔を見つめているうちに、ふと思いが口をつく。とりたてて秘密にしていたってコトじゃないけど、なんとなく言えなかった? それとも言わなかった? コト。

「お兄ちゃん、お話聞いてくれても……いい?」

「ああ。夜見子のことならなんでも聞くよ」

「その……ね、あたしが、幽霊苦手な、理由……」

「ん……?」

 お兄ちゃんは、いつものように優しい目で見おろしてくれる。あたしは、ちょっと上目づかいでその瞳を見返して言葉を続ける。

「ほら、あたしが小さい頃さらわれて、〈ふたり〉になった後」

「うん」

「お兄ちゃんにはちょっと話したことあると思うんだけど、ほら、あたし、両親も親戚もほとんどいなくて、ほとんどたった一人だけの叔父さん……お父さんの弟さんにお世話になってるって」

「うん、そうだってな」

「……あのね、お父さんもお母さんも、おばあちゃんも。あたしの家族が亡くなったのって、みんなあのことがあった後だったの」

「……うん」

 お兄ちゃんは最低限の相槌で、でも、その声の調子と表情、まなざしであたしの言葉をしっかり受け取ってくれてるって伝わってくる。だから、あたしも言い辛いコトだけど、お兄ちゃんに話すことが出来る。

「だからネ、なんだか、あたしの家族が死んだのって、あたしが〈ふたり〉になった……されたコトとなんか関係があるんじゃないかって、そんなコトがずっと頭から離れなくて……もちろん、きっとそれは偶然なんだろうって……頭では判ってるの。だけど、気持ちはそれを否定しきれなくて……さっきのお兄ちゃんの説明してくれたこと、とってもよく判る。きっと、あたしはそういうモノにお父さんやお母さん、おばあちゃんたちの〈影〉を見てるんだって。だから、あたしはずっと幽霊が怖くて仕方がないの」

 あたしは、そう、ゆっくりと、だけど途切れることなくお兄ちゃんに語った。お兄ちゃんは、その間ずっとあたしのことを優しい目で包み込むように見ていてくれた。

 やがて、あたしの話が終わったと知ったお兄ちゃんは、あたしの頭に手を置き、そっと髪を撫でてくれる。とっても安らいだ気持ちにさせてくれる手。そして、その手を肩に置き、ふわり、とあたしを引き寄せ、ぎゅっと抱きしめたりするのでなく、あたしの身体を自分の身体にもたせかけてくれるようにして、ただただ優しく髪や背中を撫でてくれる。あたしの中で、なにかが決壊する。

「う、うう……ひっく、うぁあああ……」

 きっと、自分でもはっきりとは気づいていなかった気持ちが、あたしの声を震わせ、瞳を溢れさせた。

 あたしは、そうやってしばらくの間、お兄ちゃんに今まで自分でも知らず背負ってきた気持ちをちょっとだけ預かってもらい、泣き続けていた。

 

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第三章

 

 HIRASAKA

 

「これは……?」

 数日後の放課後。今日は委員会活動はないが、別のちょっとした用事で少し残り、一緒に帰ろうと待っていてくれたカメちゃんと、さて帰ろうかと外を見た俺は、信じがたい光景をそこに見た。

 空が……赤黒いまだら模様が渦を巻いたような異様な状態になっている。しかも、ゆっくりとその渦が反時計回りに回転している。窓から見える校庭は、途中までですっぱり断ち切られたようにその先が見えない。まるで学校全体が赤黒まだら模様のドームに覆われてでもいるかのようだった。

 校内が得体の知れない空間に閉じ込められているのか?

 あの〈心霊写真〉に仕掛けられた術と関係しているのだろうか。

 あれは、恐らく写真に写し込まれた印形を見たものの無意識下に刷りこみ、写真に写された場所を集合的無意識のアストラル界に描き出し、その中において、薄い鉛筆のラフな線が次第に像を描いてゆくデッサン画のように、アストラル的地図に大掛かりな図形を描き出し、何らかの儀式を行おうとしたものだと俺は考えている。そして、これまで調べた過程からみたところ、その図形の中心点はどうやらこの学校のようなのだ。

 これがその儀式の結果なのだろうか? 無関係か? それとも影響はあるが半ばアクシデントのようなものなのだろうか。

 俺の印象では、この仕掛けはまだ完成していない……これだけの規模で、かつ点滴岩を穿つような僅かな影響を累積させることで、時間も手間もかかるが、重層的かつ容易に破れない厚みを持たせようとしたこの仕掛けは、〈心霊写真〉が出回り始めたであろう時期を考えればその本来の目的のためには充分な影響力を得られていないように考えている。

 とはいえ、本来の目的が大掛かりであるならば、それには足りなくとも、一定レベルの累積があれば、何らかの効果が生ずるだけの影響力はあるのかも知れない。これは、その未完成な仕掛けの影響による副次的な効果によるものなのではないだろうか。どちらかというならば、俺の直観はそちらの方だと告げていた。

 だが、それだけだろうか? もし、それに対してなんらかの〈もうひと押し〉があったとしたならば……。

「お兄さま……」

 カメちゃんが思わず俺に普段の呼び方で呼びかけるが、さすがにそれを咎めようという気は起きない。

 ふと窓の外を見ると、何かの影……のようなものが俺たちを覗いているのに気付く。〈影〉は俺の視線に気付いたのか、あっという間に霧散するが、それより、俺はその〈影〉に見覚えがあった。だが、今はそれを訝しく思うよりカメちゃんの安全が最重要だ。

 カメちゃんを連れて、とりあえず勝手知ったる図書室に向かおうとした俺は、その途中でひとりの女生徒に行き会った。

「双葉?」

 そこにいたのは、同じ図書委員の双葉香織だった。

「あ、委員長……」

 双葉は不安げに俺を見ると、ととと、と歩み寄ってくる。

「怪我とかしてないか? あと他に誰かに会わなかったか?」

 俺は彼女にそう尋ねる。

「いいえ……誰にも。こんなことになってからは誰かに会えたのは委員長たちが初めてです」

「そうか……今くらいとなれば校内に残ってる人数自体が少ないんだろうけど、それでも普段なら多少の人数はいてもおかしくないんだがな」

「そう……ですよね」

 そのとき、ばちっと音を立てて、頭上の蛍光灯が消える。

「ふゃあん!」

「きゃあっ!?」

 それに驚いてカメちゃんと双葉が悲鳴をあげる。太陽は見えないものの、窓の外も真っ暗なわけではないので、それほど暗くなったわけではないが。

「だいじょうぶか、カメちゃん、双葉」

「は、はい……」

 双葉は怯えたように自らの肩を抱いて震えているが、精いっぱいの勇気を奮い起したようにそう答えた。

「とにかく、ここを脱出するのが先決だろう」

 俺はみんなに言うと、彼女たちを先導するように歩き出した。

 

 階段のところまでたどり着いたとき、下の階から聞き覚えのある声が響いてきた。

「ぴゃああああっ! こ、こん……にゃろー!」

「とりゃーそりゃー」

 その声とともに、爆音となにかが砕けるような音。

 そうして煙を突っ切るように階段を上ってやってきたのは。

「お兄ちゃん!」

「やほーお兄さんー」

 珍しく制服姿のままの夜見子たちだった。

「……夜見子? どうしてここに……それに明音まで」

「だって、お兄ちゃんに何か悪いコトが起きそうな胸騒ぎがして……あの冬のときみたいに」

「で、いざ高校まで来てみたら、妙な結界に校舎全体が覆われてるやあらへんかー。せやからー、ウチがこーして結界破って助けに来たんやあらへんのー」

「そうだったのか……ありがとう、ふたりとも」

「それにしてもー、こーして来てみたら校内化け物の巣みたいやんー。一体どないなってるんやろなー?」

「俺が聞きたいっつーの……化け物の巣?」

「う、うん。お兄ちゃんも聞いたでしょ、爆発する音とか、ひ、悲鳴……とか。校舎に入った途端、なんかお化けみたいなンが何人も襲いかかって来て、思わずブッ放してやっちゃったんだけどネ」

「せやせやー。こう、でろでろりーん、って感じでやなー」

「ぴゃ、マネしなくってもいーってのョ!」

 そんなことを言いあう俺たちだが。

「……っ、双葉、後ろだ!」

「……え?」

 俺たちから少し間をおいた場所に立っていた彼女の背後から出現した、狼を思わせるような〈怪物〉が、振り返った双葉に鉤爪を振りおろそうとする。間にあわない……と思った瞬間、〈怪物〉を見上げる双葉の瞳から光が消える。そして、奇妙に落ちついた動作ですっ、と左手を〈怪物〉に向け……。

「ブルグ=ドン!」

 彼女の口から発せられた力ある言葉……呪句は、双葉香織のものでありながら、彼女のものではなく……。

「グギャアッ」

 双葉の掲げた左手から発せられた衝撃を喰らい、叫びを上げて〈怪物〉が吹き飛ぶ。〈怪物〉は、そのまま壁に溶けるように消えて行った。

「双……葉?」

「全く……仕方……ありませんね、こんな……ところで、私を……出させる……なんて、香織……って……ばぁ……ん……ふぁっ!」

 彼女の髪が……両おさげにした髪が見る間に伸びてゆく。それとともに、綺麗な黒髪が、だんだん淡い色へと変化してゆく。顔立ちそれ自体はそのままだが、その印象が大きく変わってゆくのが手に取るようにわかる。そう、まるで、肉体はそのままで、中身だけが入れ換わってゆくように。

 変貌したその姿に、俺は……俺たちは見覚えがあった。

 あの女だった。あのリリス再襲撃の晩、俺たちの前に現れたあの女。リリスの背後にいて、その前夜に大ダメージを負ったリリスを、わずか半日後の再襲撃に耐えるまで恢復させた女魔術師。そして、リリスが〈姉さん〉と呼んだ女。まさか、双葉がそうだったなんて。

「あん……ふぅ」

〈変身〉を完了させた双葉が眼鏡をはずし、取りだしたケースにぱちり、としまう。顔かたちは変わらないはずなのに、その表情と髪の色と長さが変わることでまるで印象を変えている。

「あ、アンタ……あんときの」

 夜見子が目を剥いて呻く。

「多重人格……ってやつか?」

「ふふ……そのようなものです」

「まさか……お前がそうだったとはな、双葉、香織……」

「沙織、です」

「なんだって?」

「私のことは、双葉、沙織と呼んでください」

 双葉〈沙織〉はうすく微笑んでそう名乗った。

「別人格だから名前も別ってことか……」

「そう思って下さって結構よ。全く、よりによって貴方たちの前で出て来る破目になるなんて……この場合、止むを得ませんでしたけどね」

 だが、そのこととは別に、俺の思っていたことがもう一つあった。さっき窓から俺たちを覗いていた〈影〉それは、例の偽心霊写真に〈写っていた〉モノだったのだ。

 あの写真の出所であるふたば写真館のひとり娘、双葉香織。その肉体を共有する別人格であり、西洋魔術師でもある双葉沙織。つまりは、彼女こそが、恐らくあの偽心霊写真の仕掛け人なのであろう。

 しかし、双葉沙織……彼女もこの状況に〈巻き込まれた〉ように思われるのはどう考えるべきか。

 さっき考えたように、この状況は本来の沙織の目的ではなく、例の〈仕掛け〉の副次的な効果によりイレギュラー的に発生した状況だということなのだろうか。そもそも、〈沙織〉が俺たちの前に出てこざるを得なかった原因であるあの〈怪物〉。あれは、写真群のなかにはその姿を見出すことは出来ないものだ。あんな人狼のような怪物の姿は心霊写真にはそぐわないだろう。

 俺の感覚としては、この状況はこれはこれで大事であるには違いないが、沙織の企んだ……あの〈仕掛け〉の規模と構想からすると、あまりに企図の性格が違いすぎる。

 たかだか、放課後のほとんど無人に近い校舎を異空間に巻き込んで、それを一体どうしようというのか。そんなことが沙織の目的とも思われない。

 だが、ともかくも、何より重要なのはこの状況を脱する……解決することであるのは言うまでも無いが、俺が沙織の企図に気付きかけていることは、彼女に知られてはならない。俺はそう直感する。

 とはいえ、もし彼女もまた〈巻き込まれた〉のであるなら、この場だけに関しては彼女と俺たちの利害は一致するかもしれない。

「この状況はお前のせいじゃないのか?」

「……違うわ。だったらこんなところで貴方たちに正体をさらしたりなんかしませんし」

 うん、それは判る。双葉……沙織にとってはさぞかし不本意なアクシデントだっただろう。

「そりゃそうだな。だったら、ここは協力して当たった方がいいと思うんだがどうだ?」

 そう俺は沙織に対し切り出してみる。

「協力? 私と?」

「ああそうだ。どの道お前も巻き込まれたんなら、とりあえずこの場を切り抜けるまでは協力するのが手っ取り早いだろう」

「この前は私を殴っておきながら、ずいぶん虫のいいことね」

 沙織は俺を憎々しげに睨みつける。まァ無理はない。俺も彼女が申し出を受けるかどうかはせいぜい五分以下だろうと思ってダメ元で言ってみただけだしな。

 

 YOMIKO

 

「協力を求めるなら謝れとでも?」

 お兄ちゃんが鼻で笑うように言う。

「……とまでは言いませんけどね。頼みごとをしようというんでしたら、そのくらいしてもバチは当たらないんじゃないかとは思いますけど?」

「あのときのあれは、敵対している相手に対しての妥当な行動だと俺は思っているからな。結果、お前の脱出を許したとはいえ、そのことも含めて、それはあのときの俺自身の意志による行動の帰結だ。生憎だが、妥当な行為を謝罪しようとは思わないよ」

「……ッ」

 お兄ちゃんの身も蓋も無いまでの言葉に鼻白む沙織。

「ああ、気に入らないようなら、そっちはそっちでやってくれていいぜ。俺だってダメ元で言ってみただけだ。俺たちの邪魔さえしてくれなければ、こっちもこっちなりに何とか考えるだけだし、俺もそっちが脱出するのを妨害するつもりもない」

 憎々しげに言った沙織だけど、この状況下だというのに暢気とさえ言えるほどのお兄ちゃんのその返事に毒気を抜かれたような顔になる。

「……なんですかその言い草は。ふぅ、要するにあるがままの事態を受け入れてその状況なりに全力を尽くすってことですか。わかりました、まあ私だって困ってはいることですし、気にはいりませんけど、この場だけは協力しましょう」

「ああ、そう言ってもらえると助かる」

 お兄ちゃんと沙織は、とりあえずの休戦の印にかるく握手を交わす。まァ沙織の方は嫌そうな顔してたけどネ。

 

「……っと」

 一時休戦は取り付けたものの、なんか一緒に行動してて、妙に手つきや足取りが危なっかしい気がする沙織。教室の内部を調べようとしては扉の取っ手を取り損ねたり、足元も軽く躓いたりすることが妙に多いような。

「……なあ、眼鏡、かけないのか?」

 お兄ちゃんが訝しげに聞く。

「な、なんでですか?」

 なに動揺してんのョ。

「人格が入れ換わっても、近視が直るわけじゃないんだろ? 双葉……少なくとも〈香織〉の方はかなりの近視だったはずだし……第一、お前、今目つき悪くなってるの、人格がどうとか以前によく見えないからだろ?」

「ど、どどどうしてそんなこと」

「まァ、カメちゃんも相当の近視だし、その辺のとこ昔から見てるせいか、なんとなくな」

「むぅー……」

 そう唸り声を上げながら沙織はさっきしまった眼鏡をかける。ちょっと目をぱちくりさせると、さっきまでのしかめっ面がウソのように柔らかな表情になる。

「……ほら、よく見えるようになるとしかめっ面が直るんだよ。いいからずっとかけとけよ眼鏡、な?」

 お兄ちゃんがそう勧める。安全のためにもそれが賢明ョね。

「……眼鏡って、あんまり好きじゃないんですが」

「そうか? そりゃ不便なことも多いだろうが、そもそもまともに見えないよりはずっといいだろう?」

「……だって、眼鏡なんて、可愛くない……ですし」

 そうぼそりと聞こえるか聞こえないかの声で言う沙織。なんだかんだでこいつも女の子ってワケなんかネ?

「ンなことないだろ。第一、お前眼鏡かける前のしかめっ面より、眼鏡かけた今の顔の方がよっぽど可愛い表情になってっぞ?」

「ふ、ふぇ!?」

 がたん。

 あ、今のは動揺してコケたな。

「よく見えないと、眉が寄って目つき悪くなるんだよ。だったら素直に眼鏡かけて自然な表情になってた方がずっと可愛いだろーが……元は良いんだし」

「な、ななななな何言ってやがんですか貴方」

 なにそこまで動揺してんのョ。

「あ、いや、気に障ったんなら謝るが」

「い、いやべつに気に障ったとかじゃないですけど……てゆーかそーゆーことは香織に言ったげなさいよぶつぶつ……」

「……なんか言ったか?」

「言ってないです!」

 ……なんかあたし的には微妙に不穏な気配がしてる気がすんだけど?

 

 MISA

 

 なによなによこの状況!

 突然窓の外がおかしな色になったと思ったら、校舎内がお化け屋敷みたいになってるじゃないのよ!

 私は、太陽光が遮断されたせいなのか、この時刻にもかかわらずほぼ全開まで発揮できるようになったヴァンパイアパワーで、お化けどもを蹴散らかしながら校内を巡る。

 とにかく誰かに会いたいとゆーか、多分このくらいの時刻ならさっき聞いた用事で残ってるハズのアイツに……というかごにょごにょ。

 ちなみに、私の身に付けたヴァンパイアパワーなんだけど、基本的に日光の有無と、あとそれ以上に時刻……太陽の位置? に左右されるみたい。具体的には、最も力が弱まるのが日中真っ昼間の太陽の下。

 もっとも、吸血鬼の血っていっても、結構薄まってるので太陽の下に出ても身体はほとんど平気なのよ。しいて言えば、若干日焼けに弱くなったかもって程度ね。体感的には、まだ春って言っていい今頃でも、長時間陽の下にいるときは日焼け止めがあった方がいいかも知れないって程度。

 で、どんくらい弱まるかって言うと、自分の感じとしては、最低ラインで全く普通の人間並の力になる感じ。直射日光の下では、〈吸血鬼の力〉だけが完全に眠って普通の人間とほぼ同じ状態になるってのが私の感覚ね。

 これが、屋内に入るとすこし力が出て、あんまり日差しが入って来なくて、かつ直射日光を浴びていないなら、普通の大人の男性程度かちょい上程度みたい。で、日光がほぼ完全に遮断されると、多分、プロレスラーとどっちが強いかくらいにはなるのかな。たとえ日光が完全に遮断されてても、日中の時間帯だと経験上はこのくらいが上限みたい。

 ところが、時刻……っていうか、陽が完全に落ちると途端にパワーが跳ね上がる。この前の事件で、私が公園のジャングルジムを、簡単にコンクリで固めた土台から引っこ抜いたの覚えてるかしら。普通の人間なら絶対にあり得ないくらい……それこそ大型重機クラスのパワーが出せるみたいね。

 しかも、夜が深まるにつれ発揮できるパワーが上がっていき、深夜〇〜二時くらいが最大になるっぽい。あ、べつに意識的に出そうと思わなければ出ないんで、夜になると周りのもの壊しまくっちゃったりなんてことはないけど。もっとも、このへんの時刻でのフルパワーを出したことって今までは無かったんだけど。

 ……今日、このときになるまでは。

 すごい。この前のときもとんでもないと思ったけど、さらにすごい。

 パワーだけじゃなく、運動能力の方にも底上げがかなり来てるのか、身体が軽く、まるで重さを感じない。それでいて、私が振るう力にはとてつもない重さが乗っている感じ。

 私の周囲に次々とわいて出て来るお化けたちが、片手を振るえば半身がけし飛び、蹴っ飛ばせば全身がけし飛ぶ。私がひょいと跳べば簡単に壁や天井を蹴ってやつらの頭上だって越えていける。むしろ、壁や天井を蹴破らないようなるべく軽く跳ぶように気を付けないといけない感じ。

 いっぺん、あまりに多く湧いてたもので、それ避けようと思って、できるかなー、と思って勢い付けて壁面を走ってみたら出来ちゃった。だいたい校舎のいちばん長いところの半分くらいの距離。とんでもないわよねー。

 

 そんなこんなで駆けずり回ってるうちに、渡り廊下の向かい側にそれらしき一団……多分アレは三千代ちゃん? あと違う制服着た高い子と低い子……多分あれは!

 それに気づいた私は、全力ダッシュでその一団に追いついた。

「見……つけたー……はぁ、はぁ」

 息を切らした私に、誰よりも聞きたかった人の声が届く。

「くれ……光紗! お前も残ってたのか!」

「そ……そう、よ、はぁ、はぁ……ふう、やっと追いついたぁ」

「落ちつけって、俺たちは逃げたりしないから、な」

 そんだけ必死で走ってきたの! ただでさえさっきから駆けまわってたことでもあるし、いくらヴァンパイアパワー持ってるからって、あたしだって女の子なんだから、これでもとっても心細かったんだから……。

 と、見上げた私の視界にいる面々は……アイツ、夜見子ちゃん、明音ちゃん、三千代ちゃんに……もう一人の女の子。……はぁ?

「……って、なんでまた女の子増えちゃってんのよーっ!」

 そう私はほとんど反射的に魂の叫びを上げた。

「……たのむから俺に聞かんでくれ」

 

「……話は判りましたけどね」

 事情を聞いた私はため息をついて言った。

「しかし、こう人数が多くなると、これからの方針も考え直さないといかんだろうな」

「というと?」

「まず脱出を優先すべきか、この状態を解決するべきか、ってコトよネ」

 夜見子ちゃんが言葉を続ける。

「そういうことだ。そもそも、夜見子と明音はこの状況に外部から入ってきたわけだが、外から見てここは今どうなってる?」

 彼は夜見子ちゃんと明音ちゃんに尋ねる。

「せやなー……外から見ただけやと、全く普段と変わりあらへんよに見えるやんなー。ただし、人の姿は一切見えへんけどなー。加えて、結界のせいで誰もそれに違和感覚えへんようにもなってるでー」

「さっきも言ったケド、あたしがとにかくお兄ちゃんの身になにか起こってるって感じてなけでれば、明音でさえ言われないと判んないくらいだったわネ」

「ホンマやねー。夜見ちゃんのお兄さんのピンチ感知能力マジパネェやねんなー」

「やーそれほどでもえへへー」

 てれてれと嬉しそうな夜見子ちゃん。

「まァこうして来てくれたのは嬉しいが、ここから出るか、この状況を解消する手段か手掛かりはあるのか?」

「うーん、出るっちゅーだけやったら、入ってきた校門に行ければー、ウチが魔術的タグを用意しとったから、それたどってどーにか出来るハズやでー。けどー、ウチらが出られればええっちゅーもんでもないやろこの状況はー……」

 流石というべきか、明音ちゃんは脱出の手段をここに入ってきた時点で用意していてくれてたみたい。でもまあ、確かに……単に私たちが出られればいいってワケには……いかないわよねえ。この学校がいつまでこの妙な空間に閉じ込められてるのか判らないし。

「そうだな……この空間……ブリガドーンみたいなものだろうか? このままじゃたとえ脱出出来たところで明日から登校も出来やしない」

「そうよねえ。ところで、その、ぶ、ぶりがどーんってなに?」

 いきなり彼の口から飛び出て来た妙な単語のことを私は彼に尋ねる。

「確か、スコットランドの民話にある、百年に一度だけ出現する幻の村……やったっけー?」

 明音ちゃんがそれに答えて言う。

「そう、それだ。日本で言うなら隠れ里とかそんな感じだろうか? そこにあるのにそこにない……非在の街とでも言うのか……」

「も、もうすこしわかりやすく……」

 頭がパンクしそうになりながら私は訊き直す。

「多分、ここは場所そのものは元々の学校であり、校舎内なんだろう。実際に目にしている通りにな」

「そ、それはまあ、何となくわかるけど」

「ただし、場所は同じでも、次元……ヒエラルキー……階層……振動率……ううん、何て言ったらいいんだろうな、重なっている層が違うとでも言うのか」

「層……?」

「言うなれば、俺たちがいまいるこの校舎は、元々の校舎と次元の位相の異なるもうひとつの校舎……同じ場所に、同じように重なって存在しているが、存在する次元の階層が違うんだろう」

「じ、次元の位相?」

 なんかまたわけのわかんない話になってきたわね。

「うーん、PCでイラストを描いたり画像処理とかしている人になら、〈レイヤーが違う〉とでも言えば感覚が掴めるかもしれないが……」

 いやその例えも私にはちょっと。

 

「……って、ぴゃああああああっ!」

 夜見子ちゃんがいきなり悲鳴を上げる。

「どうした、夜見子!?」

 彼が飛びついて来た夜見子ちゃんを抱きとめて聞く。

「ぴゃう……う、うしろからつめたい手がほっぺたにぃ……」

 半泣きになってべそをかく夜見子ちゃん。こんなこの子初めて見るわね……。可愛いけど。

「……気をつけろ、どうやら囲まれたようだ」

 彼は夜見子ちゃんを庇うように両腕でガードしながら周囲をゆっくりと見渡す。私たちも、互いに背中合わせになりながら襲撃に備える。見たところなにもいないけど、誰も油断していない。もちろん私も。

「……負のオーラが周囲に集まってきています。多分……廊下の両側からくるはずです」

 三千代ちゃんが身構えながら言う。

 と、そう言ったそばから。廊下の、私たちを両側から挟み打ちにするように、何も無かった空間に、じわり、と浸み出してくるように、〈幽霊〉たちの……それこそ数十、へたをすると百体を超えるんじゃないかってくらいの〈幽霊〉が出現し、私たちに襲いかかってきたのだった。

 

HIRASAKA

 

「この、また!」

 なし崩しに〈幽霊〉どもと戦闘状態に突入してしまい、夜見子が半分泣きそうになりながら新たな〈幽霊〉をひっさつパンチ・シスターグレネード(自称・マキシマムドライヴバージョン)でブッ飛ばすが、そうしている間にまたも新たな奴が現れる。

 ちなみにこれは夜見子がその〈火〉のエレメントの力を拳に乗せて叩き込む技で、夜見子自身のパンチ力としては普通の中学生女子レベルながら、インパクトの瞬間に炸裂される〈火〉のエレメントのパワーにより、結構シャレにならん威力を持っていたりする。ほら、また一体跡形も無くフッ飛んだ。

 とはいうものの、一撃一体だし、一発の消耗もそれなりにあるようで、次第に夜見子の息が上がってきているのが傍目にも判る。

「ノワ!」

 その声とともに、カメちゃんが三つ編みを解く。

 彼女の頭からぴょこん、とネコミミが撥ね、小さな黒猫が跳び出て来る。彼女がその綺麗な黒髪の中に飼う〈人工的精霊〉ノワだった。

「にゃー!」

 ノワはその小さな体にふさわしく、そう可愛らしく一声鳴くと、その小さな体に似合わぬ攻撃力とパワーで、続々出現してくる〈幽霊〉どもを引き裂いてゆく。で、当のカメちゃん本人は、というと。

「ふゃああん、ひゃああん」

 とか言いながら危なっかしげな足取りで逃げ回っていたりするワケですが。

「ほら、カメちゃんこっち来るんだ」

「ふゃあん、お、お兄さまありがとうございますぅ」

 俺は、逃げ回っていたカメちゃんの手を掴まえて引き寄せ、俺の背後に庇ってやる。

「あー! カメ子てめーナニお兄ちゃんに庇ってもらっちゃってンのョー!」

 大の苦手である〈幽霊〉に涙目になりながらも必死で抵抗している夜見子がそれを見咎めて叫ぶ。うう、ごめんな夜見子。さすがにお前と違ってカメちゃんには当人に抵抗するだけの力がないんだからしょうがないんだ。

 俺も、カメちゃんを庇いつつ〈サマエル〉のタリスマンを握りこんだ拳で〈幽霊〉どもを殴り倒す。どうやら、こいつらはなんだかんだで〈本物の〉幽霊ってワケじゃなく、幽霊の姿をした一種の霊的な自然発生型自動人形みたいなもののようなので、大した力もないし、こうしてある程度霊的な補助を用いたり、気合いを入れれば殴り倒すことさえ不可能ではない。

 例の心霊写真に写っていたのと同じ姿をしているのは、沙織の仕掛けの副産物だろうか。

 光紗はというと、この面子の中ではノワ以上の大活躍で、どうやら全開になっているらしいヴァンパイアパワーを振るって八面六臂の奮闘を見せている。

 まさにちぎっては投げちぎっては投げ。無造作に腕を振るうだけで群がってくる〈幽霊〉どもがまとめて数体吹っ飛び、それが他の奴らまで巻き込んで砕け、周囲に溶けてゆく。

 で、沙織だが、こちらは意外というべきかそうでもないのか身を守るのに必死な様子。自らの周囲に卵型の霊的なバリヤーを張り、なかば涙目で身を縮っこませて〈幽霊〉どもがその中に入って来れないよう防御している。

 まァ、この前のときに霊的中枢である太陽神経叢に俺が〈サマエル〉のタリスマンのパワーによるダメージを打ち込んでやって、あれがまだ充分に恢復してないんじゃないか、という気はするのであえてどうこうは言うまい。〈幽霊〉どもがバリヤーを叩きつけるたびに不安げにびくっ、とするあの様子を見ると流石に少々悪いことしたような気にもなってくるが。やっぱり彼女は、前面で戦うのには向いてないようだ。

 で、ある意味わざわざ言うまでも無いくらいに、この面子の中で最も大活躍していると言えるのが明音だった。

 右手に生成した数本の氷のナイフを一気に投擲したかと思えば左手で〈幽霊〉に掌底を当ててアストラル・パンチで数体まとめて吹き飛ばす。その上俺やカメちゃん、沙織など戦闘能力の低い面々のフォローまで気をまわしてくれてるんだから流石としか言いようがない。

 それでも、一向に数を減らした様子のない無数の〈幽霊〉どもを相手にするには、いかに彼女でも一人では押されがちになってしまう。

 このままではじり貧だ、と俺たちみんなが焦りを隠せなくなってきたそのとき。

「ぴゃあああっ!」

 夜見子の悲鳴が俺の耳を切り裂くように震わせる。

 振り向くと、夜見子が〈幽霊〉どもに襟首を掴まえられ、制服の上着をはぎ取られていた。

「夜見子!」

「な、ナニしやがンのョ!」

 夜見子の声が震え、膝ががくがくになっているのが少し離れたここからでも判るほどになっている。ただでさえ怖さのなかで必死で抵抗していたというのに、身を鎧うべき衣服をはぎ取られ、恐怖が限界近くに達してしまったようだ。俺は、なんとか夜見子のもとへと行こうとするものの、〈幽霊〉どもに阻まれて思うようにいかない。

「くそっ、夜見子! 手前ェら邪魔だ! 夜見子!」

 なまじ戦えるからって夜見子のことを充分に見ていてやれなかったことを一瞬悔やむが、いまはそんなことを考えている場合じゃない。取り返しのつかなくなってから本当に悔やまなくて済むように、取り返しのつかなくなる前に、夜見子のもとへ……!

「サマエルよ!」

 俺は、サマエルのタリスマンのパワーを全開にして目の前の道を切り開くべく、精神を集中してゆく。

「エロヒム・ゲェボォオル! うぉおおおおおーッ!」

 俺は肚の底からの叫び声をあげてタリスマンを投擲する。爆発的なまでの威力でタリスマンは夜見子のもとへと飛び、そこに至るまでの〈幽霊〉どもを悉く弾け飛ばして行った。

 これは……想像以上の威力だ。

 無論、元の普通の空間ではこんな威力は逆立ちしたって出やしない。

 昼間とまでは言わないにせよ、日の出ている時刻にもかかわらず潜在能力を全開にすることが可能になった光紗や、よく観察すると〈吸収〉の手順をほとんど踏まずに相当量のエネルギーを放出している夜見子。さっきまで俺がタリスマンを握りこんで打っていたパンチでさえ、通常空間では出せないレベルだった。この空間内においては、霊的エネルギーの現出の仕方が明らかに違う。

 要は通常より数倍から十数倍は大きな力が発揮されるようだ。まァ、俺たちの力だけではなく……恐らくはわらわらと際限なく襲ってくる〈幽霊〉どもも同様に……な。

 ともかく、夜見子の方へ投擲したタリスマンは、その方角の〈幽霊〉どもをあらかた吹き飛ばし、まだ空中にあるうちにぱりん、と音を立てて砕け散った。苦労して自作したもの(魔術武器というのは自作が基本となる)だけに若干惜しいが、当然ながら夜見子の無事には代えられるものじゃない。

「夜見子、大丈夫か?」

「ふぇえ……怖かったよぉ……」

 ぺたんと床に座り込みながらも、駆けよった俺に泣いてしがみついてくる夜見子。上着はもちろん、ブラウスまでほとんど引き裂かれて原型をとどめないまでになり、これまた半ば引き裂かれた下着の上に布切れだけを身体に引っかけたような惨状になっている。

 夜見子はまだブラを着けていないようなので、下着といってもスリップだけだ。何とも目のやり場に困る格好だが、それでも、身体だけは無事のようで、かろうじて俺はほっと胸をなでおろす。

「怪我は……ないか?」

「う、うん……一応……あ痛」

 立ち上がろうとして右足に体重をかけた夜見子が顔をしかめる。

「くじいたのか? 歩けるか?」

 俺は夜見子を支えながら座らせ、右足首を取って靴下を脱がせながら訊く。襲われてもみ合っているうちに変な風に体重がかかってしまったのだろうか。果たして、夜見子の足首が見る間に青黒く腫れあがってゆく。

「これは……よくないな」

 幸い、俺の投擲したタリスマンの威力を見た〈幽霊〉どもは波が引くように俺たちの周りから居なくなっている。とはいえ、恐らくは一時的な事だろう。再び奴らが襲撃してくる前に、体勢を立て直さないとならない。

 

〈幽霊〉どもが撤退したため、他のみんなも俺たちのところへと集まってくる。

「よ、夜見ちゃん大丈夫やねんなー?」

 明音が流石に慌てたように真っ先に夜見子に駆け寄ってくる。

「うん、まァ足くじいちゃった以外は何とかネ……服は酷いコトになっちゃったけど」

 引き裂かれた制服の布を胸元に集めてぎゅっと抱きながら夜見子が気丈に答える。

「診せてごらんなさい、黄泉姫」

 次に心配げに夜見子の傍らにしゃがんで、俺の手から夜見子の素足の右足首を取ったのは、意外にも沙織だった。

「あ痛……」

「……よくないですね。骨にもちょっとヒビが入っているかもしれません。このままではちゃんと歩けないでしょう。また襲われたりしたとき逃げられなくなってしまいます」

 思いのほか真剣な表情で夜見子の足を診察する沙織。

「だ、大丈夫なんですか?」

 カメちゃんも心配げにその横にやってくる。流石に夜見子の周りが一杯になってしまったので、光紗は立ったままだが、それでも心配そうな顔を向けてくれている。

「それにしても意外やなー。アンタが夜見ちゃんのことそないに心配してくれるやなんてー」

 明音が沙織に言う。敵意はさすがに抑えてあるが、やや不審かつ皮肉げなニュアンスは隠せないようだ。

「それは……まあ、ですね。私たちの〈計画〉にはなんだかんだで黄泉姫が必要なことに変わりありませんもの。少なくとも、こんなところで彼女を失っては、私たちだって困りますからね。ともかくここを脱出するまでは、彼女のことは全力で守りますよ」

「……計画?」

「それは言えませんがね。それにしても、ソロール・ウンディーネ、まさか、彼女……〈黄泉姫〉が一体なんなのか、本当には判っていないのではないですか?」

「……何が言いたいねんなー?」

 明音と沙織の間に微妙に火花が散ったような緊張感が走る。

「根本夜見子……彼女は、たまたま単発的に行われた霊的合一実験に成功して〈黄泉姫〉と呼ばれているわけじゃありません。彼女こそ……そして、彼女だけが、私たち、恐らく数百、数千人にのぼるであろう、すべての失敗作と呼ばれた少女たちの礎の上に完成させられた、唯一の〈黄泉姫〉、即ち〈黄泉姫計画〉の成功例なのよ」

「〈黄泉姫計画〉……やてー? なんやそれー、ウチはそんなん知らんでー!?」

「事実よ、ソロール・ウンディーネ。この私……当の失敗作の一人である私自身……そして、私の〈妹〉リリスがその生き証人よ。〈黄泉姫計画〉唯一の成功例である根本夜見子のことしか知らない貴女には想像も出来ないのかしら? その成功例たった一人の背後にどれだけの数の〈黄泉姫になれなかった子たち〉がいたのかってくらい、少しくらい想像がつきませんか?」

「ぐ……」

 明音はその言葉に反論出来ずに黙り込んだ。これまで信じて来たことにひびが入る音を彼女は聴いているのかも知れない。

「信じられませんか、ソロール・ウンディーネ。現に根本夜見子という〈黄泉姫〉を造り出した貴女の結社が、そんなにお綺麗な人道的な結社だと、お思いですか?」

 沙織はそう明音に対してたたみかける。

「……そ」

「そ?」

「……そないなコトはウチにはもうどうでもええねんなー。夜見ちゃんは夜見ちゃんやー。ウチは夜見ちゃん自身が大事やから守りたいねんなー」

 迷いを振り切るようにして明音はそう答える。

「あ、明音……」

 夜見子がちょっと照れたように明音の顔を見上げる。

「ふ……うん、まあそれならそれでいいでしょう。この話はまた今度にしておきましょう」

「……せやなー。今はそないな場合でもあらへんしー」

「今は、夜見子の手当てをしてやらないと。保健室に行きたいところだが……ちょっと遠いしな」

 俺は保健室の方角を見ながら言う。実際、保健室までは階層も、校舎も違うので普通に行っても最短五分はかかる。それに、湿布と添え木で足を固めたところでまともに歩けないことには変わりない。

「それなら……」

 少し考え込みながら沙織が一同の顔を見渡す。

「貴女」

 やがて、カメちゃんに目を止めた沙織はそう呼び掛ける。

「ふ、ふぇ?」

「貴女は治癒能力の適性が高そうだわ。手伝いなさい」

「わ、わたし……ですか?」

 カメちゃんが目を丸くする。

「私も治癒能力はありますが、正直完調ではありませんし(と俺の方を皮肉げに見る)、もう一人サポートしてくれる人が必要です。貴女の発している波動は穏やかで治癒に向いていそうですから」

「わ、わかりました……」

 カメちゃんが決意したように答え、彼女とともに両手を患部に当てる。

「そう……横隔膜のあたりに精神を集中なさい……光が集まって、暖かくなるのをイメージするのよ……そうしたら、ゆっくりと身体の中を移動させ、両腕を通して手のひらから放射するイメージを……」

「こ、こう……ですね」

「そう……そうよ。やっぱり貴女は適性があるわ。そのままそれを継続的に行うの」

「あう……う」

 夜見子がうめき声を上げる。だが、その怪我がみるみる癒されてきていることは傍目にも明らかだった。

 

 YOMIKO

 

「すげーわネー」

 あたしは、さっきまであれだけ痛かった足首に体重をかけてみるが、もう全然痛みを感じない。

「一応、あんまり無理はしないでね、黄泉姫」

「あ、うん、わーったわ。沙織……さん。その……ありがとうネ」

 そういってぺこり、と頭を下げる。動機はともかく、怪我したあたしを治療してくれたんだからきちんとお礼は言わないとネ。

「……っ」

 あたしのお礼にちょっと赤くなる沙織。ちっとは可愛げあるみたいなのョねこのヒトも。

「あと、カメ子もありがと……ネ」

「……いえ、私は手伝っただけですし。痛みも引いたみたいでよかったです」

 カメ子はいつもの穏やかな笑顔で言ってくれる。ったく、この顔見るとこのヒトには敵わないなーとか思わされちゃう。

「保健室には行かなくても済みそうだが……ともかく表に出よう。このまま出られるかどうかは判らないが、外部との境界の様子くらいは見ておかないと」

 お兄ちゃんがあたしたちにそう呼びかける。

「そうね。賛成だわ」

「お兄さまの言う通りだと思います」

「わーったでー。それじゃ行こうかー」

 というコトで、全員の意見が一致したところで、あたしたちは校庭へ出ることにしたのだった。

 

 SAORI

 

「申し訳ない!」

 私の眼下には、あの憎ったらしい男が平身低頭していた。

 ……といっても、べつに私がヤツを屈服させてあの件を謝らせたとかそういうことじゃなくて……。

 

 あの後、校庭に出るまでに数度繰り返された小襲撃のとき。

「っ、きゃああっ」

 低い位置から出現した〈幽霊〉に足元をすくわれ、バランスを崩した私を、偶々すぐ横にいたヤツが、私の手首を取って支えてくれた。

「あ、ありがと」

「ああ。今のは下からか?」

「……そうね。っ、この!」

 再び私の足元を狙ってくる、床から肩から上だけをぬっ、と伸ばしてくる〈幽霊〉の腕を避けながら、まるでゴム飛びでもやっているようにぴょんぴょん飛び跳ねる。

「お、おい、足元だけに気を取られてても……って、危ないって!」

 ヤツはまだ私の手を取ったまま、なかば飛び跳ねる私に振りまわされるような形になってしまっていた。

「って、おゎあっ!」

「お兄ちゃん!?」

 見ると、私の足をすくおうとしていた〈幽霊〉が、今度はヤツの方に標的を変更したところだった。

「……っ、きゃああっ!」

 いきなりの標的変更に私たちは二人揃って転倒してしまう。

「こンのぉ!」

 視界の隅に、黄泉姫が思い切り〈幽霊〉の頭を蹴っ飛ばしているのが見える。そのままそいつは床に沈んで行ったが……。

「あ痛たた……」

「……」

 床に尻餅をついてしまった私、それを、なんだか妙な顔で見ている周りの連中。なに?

 そこで、私は妙な違和感を覚える。

 少しして、私はその理由に気付く。

 ……転倒した私の両足の間に、なにか丸い大きなものが挟まっていたのだった。

 手で触れてみると、堅くて、長い毛が生えていて……。ていうか、更にその上に私のスカートの布地が被さっていて……いて……。

「ぁん……」

 下腹部に微妙な刺激が伝わり、私は思わず変な声を上げてしまう。

「も、もが、もがー!」

「ひゃ……ん」

「ちょ、何やってやがンのョ!」

「こ、こらー!」

「お、お兄さま……」

 こ、この状況ってば、ま、まさか……。

 ようやく状況を理解した私は、なんか厭な汗が出るのを抑えることは出来なかった。だって。

 転倒したはずみとはいえ、ヤツが、私の、スカートの中に頭を突っ込んで、しかも……間を遮る物はぱんつの布地だけで、私の下腹部に、顔を押しつけて……い、いや、違う、そうじゃない。押しつけていたのはヤツの方じゃない。トンデモナイことに、状況を探るためだったとはいえ、誰あろう私自身の手が、ヤツの顔を、私の……アソコに……押しつけて……いた……の……だった。

「うひゃああああああーっ!」

 ……当然、三秒後、私の喉から、香織の方含めて生まれてから一度も上げた覚えがないくらいの悲鳴が発せられ、校舎内に轟き渡ったことであったのでした。

 

「……べ、べつに、不可抗力なのですし、もう結構です」

「い、いや、それでもだな、流石にこういう場合は男の立場としては謝らざるをだな……マジでスマン」

 ……これがコトの真相なのでした。うう、穴があったら入りたいです。

 

 

-5ページ-

第四章

 

 YOMIKO

 

 校庭の隅の方は、本来の校庭と、別の空間との境目みたいな不安定な状況で、外部からのいろんなガラクタだのワケのわかんないものだのが散乱してガレキの山を築いていた。

 お兄ちゃんは、それを眺めていたが、あたしたちをこの場にとどめ、慎重にその境界近くを調べ始める。

「この辺に何かの手がかりか……それとも役に立つものでもあればな……」

 そう言いながらお兄ちゃんは慎重にガレキの山を探ってゆく。

「あ、あたしも何か手伝わなくていい?」

 あたしはそう言ってお兄ちゃんの手伝いをしようとする。

「……いや、この辺は境界に近いせいか、空間自体が不安定気味みたいだ。俺ひとりで探せるとこだけ無理しないでやってみるよ」

「そ、そう……」

 言葉は柔らかいけど、断固としてあたしを近寄らせまいとする。たしかに、見てるだけで不安になるような……空間の波打ち際、とでも言いたくなるような不安定さがある。

「お兄ちゃんこそ、気を付けてネ……」

 あたしもそう声をかけるのが精いっぱいだった。

 

 しばらく調べて、いくつか手掛かりになりそうなものを拾ってきたお兄ちゃんに沙織が憎々しげに言う。

「ふ、ふん、探偵ごっこで良い気になって……」

 沙織もお兄ちゃんには流石にまだ敵愾心隠せないみたいネ。さっきのコトもあるだろーし。

「探偵ごっこ……ね。まァ見習いみたいなもんだから大きなことは言えんがな。どうにか生計立てられるくらいは何とかなってるよ」

 沙織の憎まれ口にお兄ちゃんはさらり、と言い捨ててガレキをあさる作業に戻る。

「……え?」

 なんか今すっごく聞き捨てならないコト聞いたような気がしたケド……?

「……その探偵ごっこさんに前回してやられたんは誰やったかなー」

「……ぐ」

 明音がさっきのお返しとばかりに言う。

「それに、あの人をナメるとエラい目に遭うでー。ウチら〈高天原〉の腕っこきが今までどんだけ酷い目に遭わされとったと思ってるねんなー」

 そこだけ明音のいつもの笑みが消える。お兄ちゃんと明音(の関係者)との間に一体何があったんかしら……。

「別に……ナメてなんかいませんけどね……この前だって酷い目に遭わされましたし」

「あの程度で済んで良かったって言うべきやなー。〈高天原〉じゃ何人かは魔術師として再起不能になってんねんでー……ウチらがあの人が夜見ちゃんのお兄さんやて当初判らへんかったんも、ヤられた連中がそれほどまでに徹底的にツブされて、相手の情報がほとんど入らへんかったからやねんからなー」

「……(ごくり)」

 目の笑ってない明音の言葉に、言葉も無く唾を呑む沙織。い、いったい何が……。

 

 HIRASAKA

 

 そうして探していると、本当に様々なモノがある。空き缶、ブロックだのの本当にゴミみたいなものから、車のパーツ、本、食器、それに……ここに迷い込んで命を落とした人たちのものだろうか、人骨と思しきモノ。こんなもん、女の子たちに見せられるワケがない。やがて、俺はそんなモノの中に、あるモノを見つけた。

 さっき見たモノとは別の人骨がまとっている衣服……警官の制服の一部……ホルスター、これは拳銃?

 こんなものがあるとは思いもしなかったが、これは僥倖というべきだろう。俺は一瞬黙祷してそれを拾い上げ、破損や錆、不具合がないか手早く確認する。どうやらざっと見た限りは問題はないように思われる。弾丸も五発、ちゃんと装填されていた。

 俺は、その拳銃を女の子たちから見えないように、ポケットにしまい込む。

「お、お兄ちゃん、あ、あいつらまた襲ってきたわョ!」

 その背後に、夜見子の上ずった声が届く。俺は、夜見子たちのもとへと急いで駆けもどる。果たして、校舎の方からぞろぞろと〈幽霊〉どもの行列が俺たちのもとへとやってくるところだった。俺は、さっきから少し疑問に思っていたことを口に出す。

「……どうも、あいつらの行動は妙に統制が取れている気がするんだが、どう思う?」

 待ち構える間、そう俺はみんなに問いかけてみる。

「せやなー。ウチもなんか奴らはひとつの意志のもとに動かされてる気がするでー」

「私もそう感じますね」

「あー、えっと」

「ふぇええ」

「ゴメン、よくわかんない」

 明音と沙織から同意の返事がくる。能力はともかく実戦経験の少ない残り三人からはっきりした返事がないのは想定済みなので問題ない。

「ともかく、さっきみたいにここで迎え撃ったところでじり貧になるだけだ。奴らを指揮している主体をツブすことを考えないと」

「ど、どうやってそいつを探すの?」

 夜見子が俺の上着の裾を掴みながら尋ねて来る。

「……そいつの狙いは一体何かを考えるべきだろうな」

 校舎の昇降口からぞろぞろとこちらへやってくる〈幽霊〉ども。今いるのは校庭の端の方なので、このスピードのままならまだ遭遇まで数分はあるだろうか?

「ウチと夜見ちゃんは今回に関しては除外してええやろなー」

「後から入ってきたワケだしネ」

「となると、最初にこれに巻き込まれた俺、カメちゃん、光紗、双葉の誰か……あるいは全員が目当て……ってことか? 俺たちの誰かという個人が目当てなのか、それとも、俺たちが何らかの霊的な能力に関わりのあることが原因なのか?」

「どちらかといえば……後者の方のような気はしますけど?」

 沙織がそう言うが、指摘はしないが、そもそも、自分の作った偽心霊写真の〈幽霊〉どもが出現しているというのに沙織が気付いていないわけがない。俺は、その部分にはあえて慎重に触れないようにしつつも反論する。

「……いや、俺はさっき沙織の意識が覚醒したときのことが気になる。あれは沙織を……香織じゃなく〈沙織〉の方を狙っていた気がする」

 俺は、明らかに双葉香織をピンポイントで暗殺……そう言っていいだろう……しようとしていた奴、あの人狼のような〈怪物〉の行動を思い返す。〈香織〉が個人として狙われる要素があるとは思い難い。そうなると、その裡に眠る沙織の精神を殺そうとしていたと考えた方がいい。それに、奴だけが、あの心霊写真と無関係な姿をしていたこと。

「私……ですか?」

 沙織が言う。

「そうだ。心当たりは……なんて聞くのも野暮ってもんだろう。どうせ俺たちに言えない狙われる理由くらい一つや二つあるんだろうしな」

 俺はそう言って皮肉げに笑うが、追求はあえてしない。俺が例の件について知っていることを悟られたくは無いからだ。まだ、沙織には悟られていいときじゃない。

「でも、あんなたくさんおばけ出して来て、あたしら全員狙ってるみたいだけど」

 夜見子が怯えながら俺にしがみつく。俺は、かるく頭を撫でてやりながら優しく手を放させると、さりげない風に沙織の方へ近寄りながら言葉を続ける。

「そう見せたいんだとしたら、かなり成功してただろうな。俺以外……には」

 近寄ってくる〈幽霊〉どもだけに注意を払っていたら気付かなかったであろう幽かな気配が沙織の背後に生ずる。

 俺は、沙織の眼前まで踏み込むや、ポケットから拾った拳銃を抜き出し、目を丸くする沙織の肩越しに至近距離……ヤツの文字通り〈目の前〉5センチ足らずの距離で一発ブッ放した。

 ぐぎゃっ、と短い叫び声とともに、弾丸がヤツの左目に喰い込み、鮮血が飛び散る。実物の拳銃など使うのは無論生まれて初めてだが、外さずに済んだのはひとえにこの距離のおかげだろう。知識だけでは得られない初めて体感する反動の強さに、それこそあともう5センチも離れていたら当たらなかったかもしれないと思ったくらいだ。

 言うまでも無く、さっき背後から香織を狙おうとした人狼風〈怪物〉だ。弾丸は銀じゃねェけどな、こっそり〈カバラ十字〉で聖別しておいたから。ただの銃弾よりァ効くはずだぜ。

 俺は、自分の口元に凶悪な笑みが浮かんでいることを自覚する。

「や、ヤツら消えちゃったわョ!」

 びっくりしたように夜見子が叫ぶ。恐らくは、奴らを操っていた当人の精神集中が途切れたため、消失したのだろう。

 だが、ヤツは、眼球を砕き、ことによると脳にまで達したかもしれない銃弾の傷にもかかわらず、手……というか前肢で左目を押さえ、今度は俺に襲いかかるべく一旦距離を取った上で身をかがめる。だがな……俺だってあの冬の日に〈鬼〉と殺り合ったこともあるだけに、この手の化け物がそう簡単にくたばりゃしねェことくらい百も承知だ。

 

 SAORI

 

 ほとんど耳の横での火薬の炸裂音にきーんと耳鳴りがするけど、私はそれどころじゃなく動顛していた。

 へなへなと地面にへたり込む私を避けて、彼は〈怪物〉の方へと歩み寄ってゆく。

「流石にしぶといな」

 彼は、今しがたポケットから取り出し、一発撃ったばかりの拳銃を握り直すと、両肩から力を抜いてだらりと両手を垂らす。

「普通に撃ってシロートがそうそう続けて当てられるワケがないがな……だったら」

 そう言って彼は大股に足を伸ばし、一気に間を詰める。

 逆手に持ち替えた拳銃の銃把で思い切り何度も殴りつけ、相手が怯んだその瞬間、再び正順に持ち替えて銃口を相手の腹に押し付け、そのまま一瞬の遅滞なく三度引き金を続けざまに絞った。

 柔らかな腹に押し付けられたせいでくぐもったような銃声が鈍く響く。その銃声に合わせてぐっ、ぎゃっ、と苦悶の声がヤツの咽喉から洩れる。

「要は弾道が逸れなきゃいい訳だ。こうすりゃ嫌でも当たるぜ」

 彼は眉一筋動かさずにそう言い放った。その口元に浮かぶせせら笑いが見る者の背筋を凍らせる。

 私は、さっきソロール・ウンディーネの言った言葉の意味を思い知らされた。たしかに……たしかに私は運が良かった。あのとき、リリスが助けてくれなかったら私はどうなっていただろう。今さらながら背筋を冷たいものが伝うのを感じる。

 ここから脱出した後、少なくとももう一度、彼とは対立することに……どう転んでも必ず対立することになる。そのときの覚悟をいまから決めておかなくてはならない。

 私はその気持ちを表に出さず、しかしはっきりと意識する。

「お、お兄ちゃん……」

 となりで見ていた黄泉姫が声を震わせる。さすがの彼女もこれには……と思いきや。

「カッコいい……」

 などと、頬を紅潮させながら瞳をうるうるさせてそんなことをのたまうのだった。

 ……ってそっちかい! 地面にへたり込みながらも思わずちょっとコケた。恋は盲目っちゃ言うけどね……。

「黄泉姫、ある意味おそろしい子……」

 そう私は呟いたりしたものだった。

 

 HIRASAKA

 

「オノ……レ、ヨク……も」

 ヤツは、最期の苦悶の声を上げながら、憎悪の籠った目で俺を見上げる。その怪物然とした姿が、見る間に金髪碧眼の、マネキン人形じみた美青年の姿へと変わってゆき、やがて力尽きると、土人形となって崩れ去った。

「……人造人間?」

 俺は、さすがにその思わぬ正体に目を丸くする。元が土人形の獣人とはな……。簡易聖別してあったとはいえ、銃弾程度で斃せたわけだ。

「人造人間メルキジデク……まさか……そないな……」

 そのとき、ふと聞こえて来たその呟きに顔を挙げると、明音が真っ青な顔で震えていた。

「知っている……のか?」

 メルキジデク……と明音が呼んだ人造人間が滅びたほとんど直後。明音の反応の意味を問いただす間もなく。

 俺たちのいる空間そのものが震え出す。この空間を維持していたのがこいつだった、と言わんばかりに。

「これは……ヤバいか」

 そのとき、精神を集中させてなにかを感じ取ろうとしていた沙織が立ち上がり、顔を上げて叫ぶ。

「リリス! 来てくれたのですね!」

 その声が喜色に溢れる。

「リリスが外部から私たちの位置を捕捉して、誘導してくれています。急いで!」

 沙織がそう言って俺たちを促す。

「わかった、みんなこっちへ!」

 俺はみんなを呼び寄せると、沙織の言葉を待つ。

「……みなさん手を繋いで、離したらいけませんよ!」

 全員がその真剣な調子に即座に従う。俺も夜見子とカメちゃんの手をしっかりと握る。

「……校門の方じゃないの?」

 夜見子が訝しげに聞くが、疑っているという様子ではない。

「この空間と元の世界との接続が不安定になり始めているようです。現時点で、繋がりが最も強い場所がこのあたりなの。今、向こう側のここにリリスが来ています。もうすこし……もう少しで……今! リリス!」

 沙織は、カメちゃんと繋いだのと反対側……左手を挙げると、その空間にぴたり、と手を合わせた。次の瞬間、空間に亀裂が入り、ぱりん、と音を立てて砕ける。その先には、夕暮れに染まる元の世界と、必死の表情で沙織に、俺たちに手を差し伸べる白い少女……リリスの姿があった。そして、互いに差しのべられた沙織の左手と、リリスの右手がしっかりと繋がれたとき、俺たちは元の世界へと帰還していたのだった。

 俺は、振り返ると役目を終えた拳銃―まだ一発だけ残弾はあるが―を消えゆく〈あちら側〉の校舎の方へと投げ捨てた。こんなモン持ってたって面倒なコトになるだけだからな。

 あちら側との接続が途切れる直前のその一瞬、結果的に俺にあの拳銃を遺してくれた、顔も名も知らないあの警官に黙祷を捧げる。あの拳銃のおかげで助かりました。ありがとうございます、と。そして、刹那、いつかまた、どこかの誰かがあの拳銃の、最後に残された一発の弾丸でなにかの危機を切り抜けるときがやってくるのかも知れない、とそんなことを夢想する。

 もちろん、ただの夢想。でも、そんなことがあってもいいんじゃないかな、と頭の片隅で俺は思った。

 

 帰還したとき、俺たちの立っていた場所は、あの空間で俺たちが立っていたのと変わらない位置だった。即ち、校庭の隅である。

「帰って……来れたのネ」

 夜見子が周囲を見渡して呟く。

「姉さん!」

 リリスがそう沙織に呼びかけながら、彼女の胸に飛び込んで行った。

「ありがとう、リリス。貴女のおかげです」

 沙織もそう言いながらリリスの小さな身体を優しく受け止めていた。考えてみれば、この二人も俺と夜見子のような〈血のつながっていない実の姉妹〉と言っていいのだろうか。で、リリスの肉体は俺にとって血のつながった妹のもので……ややっこしいなァ?

「兄さんも……無事でよかったです。あと、ついでに黄泉姫……貴女も、私の獲物になる前に消えられては、こっちも困りますから……ね」

 俺と、続いて夜見子にそう言ってから、リリスはぷい、と目線を逸らす。そんなトコを見ると、結構可愛いところもある……と言っていいのかね?

「べつにアンタのために脱出してきたワケじゃねーけどネ」

 と普段よりやや軽い調子で夜見子も言う。互いに相いれない宿敵同士、と言っていいこの二人だが、少なくともこの場だけは、友好的とまでは言わないにせよ、互いに直接的な敵意は向けずに話すことは出来ているだろうか?

 

 SAORI

 

「なんにせよこの場は助かった。礼を言うよ、ありがとう、沙織」

 ふいに、私の方へと向き直ったヤツが、そんなことを告げてくる。

「ふ、ふん。ずいぶん調子のいいコトね」

 私は思いがけず真っ直ぐに言われたお礼に戸惑いながら、思わず憎まれ口で返してしまう。

「あ、ああ、あと、な」

 彼は、少し赤くなってどもりながら言う。

「……なんですか?」

「双葉……香織の身体を殴ってしまったことは……謝っておくよ。ごめんな」

「……ふぁ?」

 一瞬、意外な言葉に頭が真っ白になる。

「〈沙織を〉殴ったことは……謝るような性質のこととは思っていない。それは、ともかくも互いに自分の命を相手にさらして、あの場に立っていた俺とお前の覚悟を侮辱することだからな。俺はお前を侮辱するつもりはないから。だから、お前には謝らない」

「ふぇ、え?」

 私はいまいったいなにをいわれてるんだかなにがなんだかさっぱりわからない。

「だが、香織の方は何も知っちゃいないし、委員会仲間でも……友人でもあるんだからな。その香織の身体を痛めつけてしまったことは、謝らないとな。……たとえ当人には伝わらないにせよ」

「……」

 私はぽかんとしてヤツの顔を見つめていた。

 やがて、ヤツのいう言葉の意味がじわじわと頭に浸みこんできたところで。

「……ぷっ」

 私は、なんだかもう我慢できなくなり、思わず吹き出してしまった。

「な……なんですかそれ」

 あーあ、全くもう、これからやりにくくなるなあ。私が双葉香織の別人格だってバレたのもさることながら、こんな気持ちでヤツと敵対しないとならないなんて。でも、これは私にとって何があっても譲ることのできないこと。私がたとえどんな気持ちになろうとも、決して揺らがない決意。そう、私が双葉沙織という、半・非―人間としてこの世界に受肉してしまった……させられてしまったそのときから。

「まあいいわ。でも、次に……〈私〉として出会ったときは、敵同士かしら……ね」

「だったら……〈沙織〉とは、もう会わなくて済むことを祈っておくよ」

 私と彼とは、そう言って別れた。私と並んで歩くリリスが心配そうに見上げて来るのを眺めながら、ゆっくりと〈香織〉と精神が入れ換わってゆくのを感じる。リリス、〈香織〉を驚かせちゃ……ダメ……よ。

 

 HIRASAKA

 

 沙織とリリスを見送った後、明音や光紗も帰ってゆき、夜見子とカメちゃんだけが残った。明音の様子がおかしかったが、恐らくあのメルキジデク、とかいう人造人間のせいだろう。この件については明音の中で整理が付くまでは、今は触れない方が良さそうだ。

「お前にもいつも助けられてるよな」

 俺は、そう言ってカメちゃんの肩にちょこんと座ったノワの小さな頭を撫でてやる。嬉しそうにしているので、喉のあたりを指で弄ってやるとますます嬉しそうにごろごろ喉を鳴らして俺の手にすり寄ってくる。

「ふふっ、ノワはお兄さまのこと大好きなんですよ」

「そうなのか?」

「覚えていらっしゃいますか? 私たちが初めて会ったときのこと」

「……あのときの……黒猫? もしかしてノワって……」

 カメちゃんはにっこりと微笑む。

 あれは、俺が洋子を亡くしてしばらく経った頃のことだ。

 あれから間をおかずこの街へと引っ越してきた俺が、幼いながらも喪失感を抱えつつ初めての町を散歩していたとき、小さな黒猫を抱いて途方に暮れたような顔をした女の子……つまりカメちゃんと行き会ったのだった。

「ノワがね、うごかないの」

 どうしたの、と声をかけた俺にその子は黒猫に何が起きたのか、どうしたらいいのか判らない、だが大変なことが起きたことだけは感じたような震えた声でそう答えた。

「きのうからくるしそうで、わたしどうしていいのかわからなくて、そうしたら……そうしたらけさになってうごかなくなっちゃったの……」

 俺は、黒猫に触れてみた。まだ暖かく、僅かながら息もあるようだった。だが、弱っていることは幼かった俺にも充分見てとれた。

「病院だ、病院に連れていくんだ」

「びょういん……?」

「病院、知ってるか? 猫の。動物病院っていうのだ」

「しらない……わたししらないの……」

 半べそをかきながらその子は言う。

「おとうさんやおかあさんは知らなかったのか?」

「パパもママもきょうは夜にならないとおうちにかえってこないの。おにいさんは……しらないですか?」

「俺は昨日引っ越してきたばっかりなんだ」

「しらないの?」

 知るわけがない。だが、知らないで済ませるにはその子の泣き顔があまりに胸に突き刺さってくる。洋子を亡くしたばかりの俺の胸に、深く、深く。

 俺は、真剣な顔でまだ名前の知らなかったその子の片手をひいて走り出した。

「だれか病院しりませんかー、猫の病院知りませんかー」

 俺は、道行く人たちにそう尋ねながら走った。

 だが、親切な人たちに教わりながら、ようやく動物病院にたどりついたときには、黒猫は力尽きようとしていた。女の子に向けて小さくにゃあ、と鳴いたのを最後に、黒猫は死んだ。

 女の子はぼろぼろと大粒の涙を流して泣いた。俺も、声を上げることはなく涙を流しながらそのまま何も言わずにただその子の手を握ってやっていた。

 夜になって帰って来た女の子の両親は、獣医さんと俺に事情を聞いて、「ありがとう」と言って俺の頭を撫でてくれた。

 俺は妹、この子は黒猫と、失ったものは違えども、ともに大事なものを喪ったもの同士感じるものがあったのだろう。俺たちはそのときから互いに近しいものを感じていたように思う。

 

「私のところへと〈秘めたる師〉がやってきたのは、それから三日くらいした夜のことだったんです。ノワを喪って泣いている私のところへやってきた師の指導のもとで、死んだ〈ノワ〉の毛と私の髪を魂の依り代にして、少しずつ創り上げていったのが、この〈ノワ〉なんです」

「そんなことが……」

「ノワは覚えていますよ。お兄さまがノワと私のために頑張ってくれたこと、そして……泣いてくださったこと。もちろん、私も、はっきりと」

 カメちゃんは、そう言って花が咲くように微笑んだ。その笑顔を見た俺は、心臓がどくん、と高鳴るのを覚えずにはいられなかった。

「……お兄さわー」

 俺のことを呼ぼうとしたカメちゃんの口がむにーと横に引っ張られる。

「ひゃ、ひゃにひゅるんひぇふひゃー」

「なにあたしンこと差し置いてお兄ちゃんといい雰囲気になってんのョカメ子」

 言うまでも無くジト目で後ろからカメちゃんの口を引っ張っていたのは夜見子であった。

「ひぃひゃないですかー、わ、私とお兄さまの……その、たいせつな思い出なんですから!」

 途中で夜見子の指を口から外して珍しく得意顔で言うカメちゃん。

「ぅー、カメ子のくせに生意気なー」

「夜見子さんこそ、たまにはお兄さま離れしてくださいってば」

 俺は、睨みあう二人を苦笑して眺める。やれやれ、かるくデコピン一発ずつってトコかネ?

 

エピローグ

 

 HIRASAKA

 

 ともかくもあの異次元校舎からの脱出は果たしたものの、言うまでも無いが大家さんからの依頼はまだ片付いていない。

 今日は委員会もないことだし、俺は、放課後の教室で茫漠と窓の外を眺めながら、沙織の目的と今後の捜査方針について、ゆるやかに思考の流れを追っていた。教室に残るクラスメイト達の人数も次第にまばらになっていくのが視界の端に知覚される。

 今回の件は依頼と無関係ではないものの、本筋とは言えない。

 依頼の件を原因とはするが、そこから派生した枝葉の事件と言っていいだろう。だが、ひとつ言えるのは、沙織もまた、誰かに狙われながら孤独の中であの作戦を実行しているのだ、ということだ。

 今回の件はおそらくその誰かが沙織の計画を察知し、彼女を消すために仕組んだものと思っていい。俺たちが巻き込まれたことこそイレギュラーなのだろう。

 そして、恐らくそれを企んだ〈誰か〉とは明音の結社……〈高天原〉の関係者であろう。そのことは、明音があの人造人間〈メルキジデク〉を知っていたことからも容易に推察できる。

 とはいえ、それは〈高天原〉自体ではなく、その上位の結社だろう。あの学校全体を異空間に閉じ込めてしまうような大掛かりな魔術は、〈スクール・ロッジ〉レベルで可能な規模とは思えないからだ。

 俺が、かつてカメちゃんの脱退のため〈交渉〉を仕掛けたのは、あくまで〈高天原〉であり、その上位結社については俺にとっても未知の存在だ。

 

 そもそも、沙織とリリスが夜見子を狙っている以上、次に俺が沙織たちと出会うときは、ふたたび敵対するときとイコールであるのは間違いあるまい。

 かといって、メルキジデクを使った連中にせよ、俺が、洋子の肉体と魂を利用し、夜見子とリリスという二人の〈霊的改造体〉を生みだし、双葉までもあのような人為的二重人格にさせてしまうような連中に味方するなどということは考えられそうにはない。厄介なことではあるが、〈敵の敵は味方〉ではなく、〈敵の敵もまた敵〉ということになるだろう。

 つまりは、いずれ俺たち、沙織・リリス、〈結社〉との三つどもえの闘争となることがほぼ間違いない、ということだ。恐らく、そのときキーとなるのは明音のポジションになるような気がする。

 俺の見たところ、明音の心には迷いが生じていることは間違いないように思われる。

 彼女が〈高天原〉に対し一定以上の帰属心を持っていることは疑いない。だが、少なくともその〈上位結社〉がどの程度のことをしてきたかについてはあまり知らなかったようだ。

 そのため、沙織に突き付けられた〈黄泉姫計画〉の裏側、そしてあの人造人間〈メルキジデク〉が沙織の暗殺を狙った事実に自分の中の倫理観、良心と所属結社への帰属心との間で大きく揺さぶられているようだ。

 それがどちらに振れるかは……恐らく明音と夜見子との関係に大きく委ねられているだろう。だが、そのことを夜見子に告げることはやめておきたい、と俺は思う。

 あの二人……夜見子と明音との間に、打算のようなものを持ちこみたくないからだ。

 俺が何も言わなくても、夜見子ならば、あの真っ直ぐな女の子、俺の誰よりも大切な妹は、なにより自分の信じるように行動し、大切な友達を正しい道に無理やりにでも引きもどしてやれるだろう。俺はそれを、そのことを信じてやるだけで充分だ。

 

 今の段階での推論と思索を大方まとめ終えた俺は、誰も居なくなった教室で、ぼんやりと外の光景と携帯の待ち受けにしたマイラブリーシスター夜見子ポートレート壁紙を交互に眺めていた。

 夜見子かわいいよ夜見子。ちなみに夜見子からは、今日は友達と遊んで帰る、とメールが来ている。

 そんなとき。

「あんたも飽きないわよねー」

「どぉうわぁっとぉ!」

 前にもンなことあったな。こんなときに声をかけて来るのは、紅・エリサベタ・光紗に決まっていた。

「よ、よよよよお光紗。まだ残ってたのか」

「残ってましたわよ。あんたのこと待ってやってたんじゃない」

「そ、そーか」

 

「……はぁ」

 光紗が呆れたようなため息とともに言う。

「あんたってさー、ホント夜見子ちゃんのこと、妹だってのをいいことにしてよーしゃなく溺愛し過ぎよねー」

「……っ」

 光紗のその口調はとくだん俺のことを責めるでもなく、「しょうがないなあ」的な響きでしかなかったが、俺の受けた衝撃は自分自身でさえ意外なほど大きかった。

 本当は判っていたはずのこと。判っていなければいけなかったこと。

 妹としての夜見子と、ひとりの女の子としての夜見子。

 俺は、夜見子への気持ちをきちんと見据えることを、「妹だから」というエクスキューズのもとで誤魔化していたのではないだろうか……?

 

 俺は……俺は、夜見子のことを……妹としてより強く感じているんだろうか?

 それとも、女の子としてより強く感じているんだろうか。

 今の俺には、その答えを出すことが出来なかった。

 

つづく

説明
黄泉姫夢幻W〜創られしモノたちの叛逆〜の全文を公開致します。双葉香織本格登場です。
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血のつながらない実の妹 オリジナル 双葉香織 根本夜見子 夜見子 黄泉姫夢幻 伝奇 亀井三千代 

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