凪あす むっつりイケメン紡くんと団地妻ちーちゃん高校生編ニジマス
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凪あす むっつりイケメン紡くんと団地妻ちーちゃん高校生編ニジマス

 

 

主な登場人物紹介

紡くん:本名は木原紡。イケメン高校生。ちーちゃんのことが好き。でも、色々あって言えない言わない言ってたまるか。女心にはだいぶ疎い。ちーちゃんによりドリコン疑惑を掛けられている。

 

ちーちゃん:本名は比良平ちさき。団地妻っぽい色気を漂わせる美少女グラマー高校生。紡くんと一つ屋根の下で暮らしている。本当は紡くんのことが好きだけど色々あって自分の気持ちを閉じ込めているつもりだが周囲にはバレバレ。紡だけが分かってくれない。

 

さゆちゃん:小学生のドリコン少女。好きな男の子が海の中で眠ってしまったので女一人で生きていくことを決意して勉学に励む秀才。紡くんに女に関する蘊蓄を授ける師匠。原作第二部ではヒーロー属性が半端なく、敗北濃厚な状況から勝利を掴み取った。

 

美海(みうな)ちゃん:さゆちゃんの友達の小学生のドリコン少女。好きな男の子が海の中で眠ってしまったけど戻ってくるのを健気に待っている。紡くんと似た立場で気が合う。本編ではロリキャラから第二部では事実上のメインヒロインへと昇格を果たした。

 

狭山くん:紡くんたちのクラスメート。ちーちゃんに団地妻というあだ名を付けた張本人。以来、何故か不幸な目によく遭遇するようになった。原作ではいい奴だが、弄れるキャラが他にいないので弄られキャラ、オチ担当を司っている。

 

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第6話 ちーちゃんと紡くんと初詣

 

「紡。今回の初詣はちょっと遠くの神社まで行きましょうよ」

「それは構わない。けど、何でだ?」

 師走もどっぷりと暮れて大晦日のお昼前。ちーちゃんは大掃除の手を休めて来年最初の行事について話を切り出しました。

 ちーちゃんの希望に対して紡くんは首を捻っています。神社なら近所にもあるからです。交通手段の少ない鷲大師(おしおおし)で外に出るのは大仕事になってしまいます。

「ここの神社に行くのは危険だから」

 ちーちゃんは真顔で答えました。

「危険?」

 ちーちゃんの話を紡くんは理解してくれません。ここは平和な田舎町。犯罪事件の類が起きるとはとても思えません。

「狼が群れを成して待ち構えているからよ」

「狼?」

 紡くんは更に大きく首を捻りました。ちーちゃんはそれ以上質問には答えずに庭の更に先の生け垣を眺めました。その瞬間、サッと人が引いていく気配がしました。

「まったく。油断も隙もないんだから」

 ちーちゃんは庭と道路の境となっている垣根を見ながら頬を膨らませます。紡くんからは見えていませんがそこには学校の女子が3名潜んでいました。

 冬休みということで紡くんと一緒に遊びに行こうと毎日誰か家の前で見張っています。おかげでちーちゃんは紡くんを一人で出掛けさせられません。そしてちーちゃんがひとりで出掛ければ、紡くんだけの家を彼女たちが訪ねてくる可能性も捨てきれませんでした。

 だから冬休み中はお買いものもその他の用事も常に紡くんと一緒です。24時間行動を共にしています。ご近所さんでは若奥様扱いです。おかげでちーちゃんの頬はにやけっ放しです。そんなこんなでちーちゃん的には実に困った展開を迎えていました。

「今年の初詣は静かに参りたいから、地元を離れましょう」

 初詣と言えば、神社でバッタリ会った友達とそのまま行動を共にするパターンが王道です。それを見越して学校の女子たちが紡くんを狙ってくるに違いありませんでした。

 紡くんの正妻、いえ、団地妻として飢えた狼を増長させるが如き行為を見逃せません。

「分かった」

 紡くんは小さく頷きました。

 ちなみにちーちゃんは知りませんでしたが、植え込みには彼女目当ての男子生徒も毎日張り込んでいます。ちーちゃんに気付かれないように海に捨てて来るのが紡くんの冬休みの日課となっています。でも、常習犯の狭山くんは欠片も懲りないので、今度ドラム缶に詰めて海に流そうか画策中です。

 2人の利害が一致したことがあり、ちーちゃんたちは電車に乗って遠くの神社に行くことになりました。

 

 夕方になり大掃除も済みました。初詣に向けての準備の開始です。

「紡ぅ。振袖着るの手伝ってくれない?」

「正気か?」

 ちーちゃんの提案に紡くんはポーカーフェイスを装いつつも心の内ではドッキドキです。ちーちゃん生着替えの手伝いなのですから。紡くんはむっつりさんなのです。

「うん。着付けってまだ1人でできなくて。帯を締めるの手伝って欲しいの」

 そして無自覚なちーちゃんはそうとは知らずに紡くんを煽ってしまいます。

「分かった」

 クールに頷く紡くん。ちーちゃんの無自覚な誘惑は一方では紡くんをよりむっつりに、そして内面では狼へと変えていくのでした。その成果はちーちゃん高校卒業後にアグレッシブ紡くんとして実を結ぶことになります。

 

 夜になりました。2人は電気を点けたまま裏口からこっそりと出ていきました。家の前を張っている男女を上手く撒くためです。ちーちゃんも紡くんも2人きりで出掛けたかったので息はピッタリでした。

 闇にまぎれて脱出に成功すると2人は手を繋いだまま駅に向かって小走りに駆けていきました。道中一言も発しませんでしたがちーちゃんはとても幸せでした。紡くんに手を引いてグイグイ引っ張ってもらえるのはちーちゃんの密かな夢でしたから。

 電車に乗って、乗り継いでバスに乗ってようやく目的地に到着しました。結構大きな神社なので参拝客は大勢います。けれど、知っている人はいません。人は大勢いるのに2人きりという感覚。紡くんと2人きりという認識はちーちゃんをとても安心させるのでした。

 2人並んで参拝の順番を待っていると年が明けました。周囲から一斉に年明けを祝う拍手が鳴り響きます。ちーちゃんは紡くんへと体ごと向き直って小さく頭を下げました。

「明けましておめでとう、紡」

 紡くんも小さく頭を下げました。

「明けましておめでとう、ちさき」

「今年もよろしくね♪」

「ああ」

 新年の最初の挨拶を紡くんと交わせる。ちーちゃんはそんなささやかな幸せを胸いっぱいに味わっています。そしてこのしあわせをもっと膨らませたいと考えました。

「そう言えば紡にまだこの振袖の感想を聞いてなかったわね」

 ちーちゃんは青い振袖の袖の部分を手で持って腕を左右に広げて可愛らしくポーズを取ります。

「………………海みたいで綺麗だ」

 答えを聞くまでにたっぷり30秒は要しました。でも、紡くんの返答はとても嬉しいものでした。

「ありがとう」

 ちーちゃんは頬が熱くなるのを感じます。

「ちさとはいつも綺麗だ。でも、今日は海みたいでとても綺麗だ」

「そ、そんなに褒めたってお小遣いの値上げはないんだからね」

 ちーちゃんデレデレです。紡くんはおべっかを使わない性格なのをよく知っているのでその破壊力は絶大でした。

「次、順番だぞ」

 ちーちゃんの全身に熱が回った状態でお参りの順番が回ってきました。

「あ、うん」

 紡くんに促されてふと我に返ります。願掛けについて何も考えてませんでした。本当なら10分ぐらいじっくり考えたい所です。でも、後ろにも長蛇の列ができているので待ってとは言えません。仕方なく即興で思い付いたことをお願いすることにしました。

 お賽銭箱の前に立って5円玉を投げ入れてから手を強く叩いて必死に今の気持ちを心の中で願います。

「……紡とずっと一緒にいられますように。紡のドリコンが治って私だけを見ますように。紡が他の女の子からちょっかいを受けなくなりますように。特にドリコン小学生の美海ちゃんは要注意。紡とずっとずっと一緒にいられますように」

 手を合わせながら熱心に祈ります。熱心過ぎて時が経つのを忘れています。紡くんもちーちゃんの必死さを見て止めて良いものか分からず困惑しています。

「……紡と2人での幸せな生活がずっとずっといつまでも続きますように」

 ようやく長い長い願掛けが終わりました。ちーちゃんが目を開けると紡くんはその手を取って歩き出しました。紡くんに引っ張ってもらえる幸せを感じながらちーちゃんは頬を赤くします。

 本殿から離れてようやく人通りの少ない所へと出ました。

「随分熱心に祈っていたな」

 足を止めた紡くんがポーカーフェイスに述べます。

「お願いしたいことがいっぱいあったから」

 ちーちゃんは照れ臭そうに返します。思い返してみると欲張りすぎたかも知れないと思うのでした。

「紡はさ、何をお願いしたの?」

 恥ずかしくなったちーちゃんは紡くんに質問して話を逸らしに掛かります。

「海村の人たちが早く目を覚ますようにって」

 紡くんのお願い事を聞いてちーちゃんは大きな衝撃を受けました。

「……私、汐鹿生のことを全然考えてなかった。まなかや光のことを忘れてた」

 ちーちゃんはよろけてしまいます。そんな彼女を紡くんが後ろから支えます。

「どうした?」

「私、自分のことばかり考えていたのに気付いちゃって。それが、情けなくて……」

 より正確にはずっと一緒にいて欲しい紡くんのことばかり考えていました。

「ちさきが自分の幸せのことを考えられるようになったのはいいことだ」

 陸にひとり残されて辛い思いをしていたちーちゃんを知っている紡くんの言葉には熱が篭っています。

「……今日の紡、カッコ良すぎ」

 ちーちゃんは紡くんの背中に頭を深く預けます。

「私より紡の方が汐鹿生のことを考えているんだね」

「ちさきの故郷なんだから当たり前だろ」

「…………そういう言われ方しちゃうと……私の願掛け、ますます叶えて欲しくなっちゃうじゃない」

 ちーちゃんは真っ赤になって俯いてしまいます。

「俺はちさきとずっと一緒にいたい」

 それは紡くんにとってはとても特別な意味を込めた言葉でした。

「うん。私も紡と一緒にいたいよ」

 でも、ちーちゃんはそこまで深い意味に捉えませんでした。紡くんと現在進行形で一緒にいられる幸せに浸っていたので。気付いていたらパニックを起こしていたでしょうが。

 仲睦まじく寄り添い続ける2人。そんな2人を、女子全員に振られて失恋の痛手を癒すべく遠く離れた神社へと参拝に来ていた狭山くんが優しく見守っていました。

 

 了

 

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第7話 ちーちゃんと紡くんとバレンタイン

 

「また、あの日がやってきてしまうのね」

 冬のよく晴れた朝。カレンダーを見ながらちーちゃんは大きくため息を吐き出しました。今日の日付を見れば2月13日。

「明日はバレンタインデー……いやだなあ」

 大きなため息を吐き出してしまいます。

「紡にまた、たくさんのチョコが届くんだろうなあ。それと、告白も……」

 明日のことを考えるほどに頭が痛くなります。思い出すのは昨年のバレンタインデーの光景。紡くんの下駄箱と机にはチョコが溢れ、告白する女子が多過ぎて狭山くんが整理券を配って回ったほどでした。ちなみに狭山くんはチョコ数0でした。

 紡くんは高校に入っても大人気です。今年もまた同じ光景が展開されるのは確実でした。

「何をぼんやりしてるんだ? 学校に行かないと遅刻するぞ」

 悩みの種がちーちゃんの前へと姿を現しました。紡くんはちーちゃんが何に悩んでいるのか汲み取っていません。

「う、うん。一緒に行こっ」

 ちーちゃんはとりあえず悩みは忘れて紡くんと一緒に登校することにしました。

 けれど、忘れていられる時間は長くはありませんでした。学校が近付くに連れていつも以上に多くの女子生徒たちの視線が紡くんへと向けられているのに気付いてしまったからです。その視線の一部は嫉妬となって隣を歩くちーちゃんにも向けられています。

「う〜。やりにくいよぉ」

 獲物に目を付けられてしまったかのような雰囲気。目立つのが好きでないちーちゃんとしては勘弁して欲しい事態です。

「どうした?」

 女子たちの視線を一身に集めながら平然と聞いてくる鈍感男、または大物。ちーちゃんは呆れながらもこの事態を解消すべく質問してみました。

「紡はさ、どんなチョコレートが好きなんだっけ?」

 周囲が一瞬にして静寂に包まれます。紡くんを遠巻きに包囲する女子群は紡くんの回答を聞き逃すまいと聞き耳を立てています。

「ちさきがくれるものなら何でも嬉しい」

 紡くんはちーちゃんの予想とは違う答えを出しました。甘いチョコがいいだの苦手だの言ってくれれば情報に満足した女子生徒たちを散らせることも可能だったのにとちょっと途方に暮れてしまいます。

 でも、紡くんの答えはちーちゃんの全身を熱くさせました。恥ずかしいやら嬉しいやらで大変です。

「ちょっ、ちょっと。紡。そういうことじゃなくて……」

「ちさきがバレンタインデーにくれるものなら俺は何でも嬉しい」

 無表情ながらもドヤ顔っぽく決める紡くん。彼的には今が攻め時と思ったのでした。ちーちゃんの要求とずれていますが、女心に疎い紡くんゆえに仕方ありません。

「分かったわよ。明日は……期待していいから」

 紡くんの真っ直ぐな要求に、つい当初の目的も忘れて承諾してしまうちーちゃん。この一連のやり取りは、ちーちゃんの正妻としてのポジションを見せ付け、結果として女子生徒たちの対抗心を煽ってしまったのでした。

 

 その日の学校ではバレンタインデーを意識してかいつも以上に騒々しい1日でした。

「ちさき……俺にもチョコくれるよな? 中学からの付き合いだもんな」

「ごめん、狭山くん。何て言っての? 聞いてなかった」

「畜生〜〜っ!」

 紡くんと彼に近寄る女子の動向に夢中なちーちゃんはチョコをねだる男子をことごとく無自覚に粉砕していきました。

 でも、動向をチェックしているぐらいで諦める少女たちではありませんでした。このままでは明日が大変な日になってしまいます。

 下手をすれば告白に便乗してデートの約束を取り付ける子、言葉たくみに騙して交際に漕ぎ着ける子が現れるかも知れません。

「抜本的な対策を取らなくちゃね……」

 ちーちゃんは紡くんを狭山くんに押し付けてひとり先に帰りました。ちなみに狭山くんは虫除けです。かなり強い効果が期待できます。

 ちーちゃんはひとり海にやってきました。氷に覆われるのが当たり前になった白い海を見ながらひとり考えます。

「どうするのが一番いいのか……本当は私だって分かってる」

 ちーちゃんはとても小さな声で呟きます。

「みんなが紡にちょっかい出すのは……私が態度をハッキリさせないから」

 ちーちゃんが紡くんに誰よりも近い女の子であることは万人が認めています。でも、2人は彼氏彼女の関係ではありません。それを公言しているのは他ならぬちーちゃんです。だからこそ、女の子たちは紡くんの彼女の座を狙ってアプローチを仕掛けてくるのです。

「私が紡に対して素直になれば……でも……」

 解決策は簡単でした。ちーちゃんが紡くんの正真正銘の彼女になってしまえば全て解決です。でも、その解決策を採るわけにはいきませんでした。

 ちーちゃんは白い氷の一角を眺めます。今は見ることもできませんが、あの氷の下に汐鹿生があります。彼女の大切な人たちが眠っています。

「私だけ、幸せになっちゃ駄目だよね」

 俯いてしまうちーちゃん。

「それに、私は光が好きなはずだもん。紡とはまだ出会って3年も経ってないんだもん。私は今でも光のことが……」

 喋っている内に胸がどうしようもないほどに苦しくなっていきます。両手を胸に置きながら呼吸を整えようと深呼吸を繰り返します。

 ちーちゃんは自分の気持ちに本当はもう気付いています。でも、それを認めるわけには絶対にいきません。それは彼女にとっては大切な人への裏切りに他ならなかったのです。

「もうしばらく……紡の優しさに甘えていていいよね」

 ちーちゃんは自分のその決定をずるいことだと思っています。でも、既に変わってしまっている自分に向き合う強さをまだ持ってはいませんでした。目の前の凍りついた汐鹿生が元々内罰的な彼女をより一層後ろ向きにしていたのでした。

 塞ぎ込んでしまったちーちゃん。そんな彼女の目に眼下の海で泳ぎ回る魚の姿が映り込んできました。ピッチピチの鯛でした。

「…………うん。答えは得たわ」

 ちーちゃんは躊躇なく氷張る海へと飛び込んでいきました。

 

「ただいま」

 狭山くんに守られた紡くんが帰ってきました。ついでに言えば家に着く直前に狭山くんは海に捨ててきました。ちーちゃんのいる家に上げるなんてできません。

「おかえりなさい。お風呂沸かしておいたからすぐに入ってね」

「分かった」

 紡くんはちーちゃんの言葉通りにお風呂場へと入っていきました。

そして3時間が経過しました。

「いっけない。お風呂に鯛を入れていてお湯を沸かすのを忘れちゃってたわ。テヘッ♪」

 ちーちゃんは舌を出して自分の頭をコツンしました。とてもあざといですが、JKちーちゃんはとても可愛いので許されます。可愛いは正義なのです。

 ちーちゃんはスキップしながらお風呂場へと向かいました。

「紡ぅ〜。お風呂沸いてなかったと思うけど大丈夫ぅ〜?」

 鼻歌混じりに浴槽へと続く扉を開きます。

「………………ああ」

 そこには裸になって浴槽に浸かり、浴槽の中を熱心に眺めている紡くんの姿がありました。紡くんの目はちーちゃんを見ていません。浴槽の中を泳ぎ回っている鯛に夢中です。海大好き、魚大好きな紡くんですから仕方ありません。

「紡ぅ〜。真冬に水風呂なんて入ってると風邪引いちゃうよ」

「…………うん? ちさき? …………へぷちっ」

 紡くんはようやく自分がどういう状況にいるのか気付きました。そしてくしゃみをしたのです。そんな紡くんを見ながらちーちゃんは「計画通り」とほくそ笑んだのでした。

 

 そして翌日、バレンタインデー当日。

「スマン……ちさき」

「もぉ〜紡ったらぁ。こんな大事な日に風邪引いちゃって本当に仕方ないんだから♪」

 紡くんは高熱を出して寝込んでしまいました。布団から起き出られない状態です。学校を休むしかありません。当然、紡くんの登校を待ち構えている女子たちからのチョコレートも受け取ることはできません。

「ちさきはそろそろ家を出ないと遅刻するぞ」

 病床の身ながらちーちゃんを気遣う紡くん。そんな紡くんの頭のタオルを取り替えながらちーちゃんは優しく述べます。

「こんな状態の紡をひとり残して私だけ学校に行けるわけがないでしょ。今日は学校を休んで紡の看病するわよ」

「………………ありがとう。ちさき」

 瞼にじんわりと涙を浮かべて喜ぶ紡くん。

「ホットココア作ってあるから飲んでね。固形物は食べられないだろうから、バレンタインのチョコの代わりね」

 ちーちゃんは紡くんの上半身を起こしてバレンタインデーのプレゼントを兼ねた飲み物を飲ましてあげます。ちーちゃん、今朝からずっと上機嫌です。

「そのさ、他の女の子たちからチョコ受け取れなくなっちゃったけど……残念?」

 紡くんの顔の汗を拭きながらちーちゃんは上から覗き込みます。

「ちさきがいて、ちさきからの贈り物があるんだから構わない」

「そっか。えへへ。私もね……紡と2人きりで過ごせて嬉しいよ」

 それから毎年バレンタインデーは紡くんが風邪を引いてちーちゃんが看病して過ごすのが恒例となったのでした。

 了

 

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第8話 紡くんとドリコンとホワイトデー

 

 3月13日、ホワイトデー前日。紡くんはいつものように途方に暮れて、ドリコン小学生のさゆちゃんと美海ちゃんに相談することにしました。

 例によって同世代の女の子に相談するとちーちゃんが不機嫌になるからです。最近は小学生ズに相談しても不機嫌になるのでこっそり会っています。

「ちさきさんにホワイトデーで何を贈ればいいのか分からないですって?」

 さゆちゃんが呆れた瞳を紡くんに向けています。

「そういうのは事前リサーチが基本でしょうが。ホワイトデーのお返しは30倍返しが基本なんだから」

「…………スマン」

 紡くんは色々言いたいことを飲み込んで謝りました。こういう時無口キャラは便利です。

「ちなみにあたしたちもチョコをあげたことをお忘れなく」

「さゆ。あんまり欲張っちゃ駄目だよ」

 ドヤ顔を見せるさゆちゃんとそんな彼女をたしなめる美海ちゃん。

 バレンタインデー当日。紡くんは風邪を引いて学校を休んでいましたが、元々学校が違う美海ちゃんたちにはあまり関係ありませんでした。木原家までチョコを届けにきました。

 チョコを代わりに受け取ったちーちゃんの頬は引き攣っていました。そして紡くんドリコン疑惑はますます強固になったのです。とてもややこしい関係でした。

「さゆと美海は何が欲しいんだ?」

 紡くんは遅れたリサーチを開始します。

「あたしはお金。女ひとりで生きていくにはお金がいっぱい必要なんだから」

「わたしは……光に起きて戻ってきてもらいたいなあ」

 ドリコン2人の望みはなかなかにシリアスなものでした。

「スマン。2人の願いは俺には叶えられない」

「紡って、顔がいいだけで中身は本当に甲斐性なしよねぇ」

 小学生からの容赦のない一言が心を容赦なく抉ります。紡くんは地面に蹲りました。

「いや、今のは要求したわたしたちが無茶だったと思うよ」

 美海ちゃんに優しく頭を撫でられます。こういうことをナチュラルにされるので紡くんのドリコン疑惑はなかなか消えてくれません。事実、この光景を見た近所のおばちゃんが後にちーちゃんに報告して紡くんの誤解はますます深まっていくのでした。

「わたしはクッキーとかキャンディーとかお菓子がいいな」

「紡にはその辺のお返しが精々だよね。あたしもお菓子でいいや」

「なるほど。お菓子か」

 女の子の意見を直接聞いて少し方針が見えた紡くん。更にリサーチを進めます。

「ちさきはどうだろう? アイツが欲しいものもお菓子でいいのか?」

「愛だと思うよ」

 キッパリと答える美海ちゃん。小学3年生時にして本気の愛を自覚した彼女からすれば当然の発想でした。

「…………愛、か」

 紡くん、ちょっと感銘を受けています。でも、そんな2人に対してさゆちゃんは両手を横に広げてヤレヤレとしてみせました。

「これだからいつまでも初恋を引きずっているビョーキは困るのよねえ」

「ビョーキで悪かったわね」

 表情をムッとさせながら睨み合うさゆちゃんと美海ちゃん。

 同じ時期に初恋を体験し、同じ日に悲しい別れを体験したさゆちゃんと美海ちゃん。その後の2人の恋愛に対する考え方は正反対のものになりました。

 初恋の人をいつまでも想い続ける美海ちゃん。一方で恋愛感情そのものに別れを告げようと勉学に勤しむさゆちゃん。2人とって初恋が大切なものだったからこそ、自分なりの答えを貫こうと必死なのです。

「ちさきさんはねえ、頼る人もなく地上に取り残されて危機感と不安定さの中でずっと過ごしてきたの。そんなちさきさんには生きていくためのベースこそが必要なのよ!」

「悲しい想いをしてきたちさきさんには心の癒やしが、包んでくれる愛が必要なの!」

 険しい表情で互いに持論をぶつけ合う2人のドリコン少女。

「それで、具体的には何を?」

 困った紡くんはこれ以上争いが激化されても困るので答えを求めました。

「団地物件を1つ。ちさきさんは団地妻を目指しているんだから、何よりも団地に住居がないと始まらないのよ!」

「違うよ。紡の記入済み、捺印済みの婚姻届に決まってるよ。ちさきさんは団地妻を目指してるんだから、何よりも結婚して人妻にならないと始まらないの!」

 再び激しく視線の火花を散らす2人。ちなみにちーちゃんが団地妻を志すようになったのは美海ちゃんたちが原因です。紡くんのドリコンを治すために大人の色気を身に付けようと思い立ったのがそのきっかけです。

「…………どっちも、16歳の高校生の俺には無理だから」

 未だ財力なく、結婚できない年齢の紡くんには無理な話でした。

「じゃあ、みさきさんが自立できるようにサポートして見せなさい。これからの女は自立して生きるんだから、アンタがお荷物にならない所を見せてやりなさい」

「そんなんじゃなくて愛だよ、愛っ! 紡の目一杯の愛情をちさきさんに示さなきゃ」

 2人の意見は相変わらず平行線を辿っています。

「2人の意見を合わせると……ああ、そうか」

 紡くんはさゆちゃんと美海ちゃんの意見から自分なりの答えを導きました。

「2人ともありがとうな」

 紡くんは2人の頭を撫でてから颯爽と去っていくのでした。

 

 そしてホワイトデー当日。

「今日の料理……やけに豪華だけどどうしたの一体?」

 ちーちゃんは食卓の上に所狭しと並ぶ料理の数々を見て目を丸くしています。

「ホワイトデーのお返し」

「あっ、そうなんだ」

 ちーちゃんは嬉しいながらも文脈が掴めずに戸惑っています。

「ちさきを癒せる料理を作って、俺がお荷物じゃないことを証明する。ずっとずっとだ」

「私は紡のおかげで安心して暮らせてるわ。お荷物なんて思ったことは一度もないわよ?」

 ちーちゃんには紡くんの言葉の意味はよく伝わりませんでした。

 でも、ちーちゃんには紡くんが自分のために一生懸命なのだということは分かりました。それが何よりも嬉しいホワイトデーのお返しとなりました。それからちーちゃんと紡くんは並んで家事を行う頻度が増えたのでした。

 了

 

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第9話 ちーちゃんと進路調査と看護師

 

「進路調査かぁ……どうしよう」

 高校1年生もいよいよ大詰めとなり、残るは終業式を待つばかりです。学年末試験を切り抜けてホッと一息吐いていたちーちゃんですが、最後に思わぬ難関が待ってました。

 高校卒業後の希望進路調査です。まだ1年生なので縛りになるものではありませんが、来月からの2年生をどう過ごしていくかに関わる重要な問題には違いありませんでした。

「進学か、就職か……」

 ちーちゃん、紡くんの通っている高校の大学進学率は約50%。学校の方針的にも進路は生徒の自主判断に任されています。逆に言うとちーちゃんのように確固とした指針のない子には戸惑う校風です。

「紡は進学、狭山くんは実家のサヤマートを継ぐ」

 知り合いの進路を思い浮かべながら自分の参考にします。

「でも、大学に2人も通ったらお金掛かるよね。紡みたいに専攻したい分野があるわけじゃないし。成績も紡みたいに良くないし」

 まず木原家の財政を気にしてしまうちーちゃん。そして動機付けの弱さを悟って、大学進学は現実的ではないと傾きます。

「でも、こんな性格の私が街に出てOLできるのかな?」

 ちーちゃんは自分がなかなか人と打ち解けられない性格であることを理解しています。そんな自分が街に出て毎日知らない人を相手に仕事ができるとは残念ながら思えません。

「じゃあ、どうしよう?」

 進路調査票を手で擦りながら教室の外を見ます。そろそろ桜の季節が近付いているはずですが、昨今の寒冷化のために今年は遅れそうです。ちょっと憂鬱になってしまいます。

「あれ? 私、いつの間にか記入してる?」

 無意識に調査票を鉛筆で記入していたようでした。何と書いたのか確かめてみます。

 

 氏名  木原ちさき

 

 第一志望 団地妻

 第二志望 有閑マダム

 第三志望 お嫁さん

 

「この名前と、内容はどうなのよ……」

 ちーちゃんはちょっと泣きそうになりながら全ての項目を消していきます。

「…………どうして光じゃなくて紡のお嫁さんなのよぉ」

 初恋の人を裏切っているようでまた胸が苦しくなります。

「私は光が好きなんだから、結婚生活だって光と……」

 今は海の中で眠りに就いている幼なじみの少年との幸せな生活を思い描きます。

「あれっ? 全然、思い浮かばない……」

 どう頑張っても光くんと一緒に生活している自分を想像できません。

「じゃあ、紡とだったら……」

 今度は紡くんとの結婚生活を思い描いてみます。

「紡が本当に研究者の道を歩むんだったら……大学院生の間は私がメインで働いて暮らしていかないと駄目だわね。やっぱり、しばらくの間は働き口を探さないと」

 驚くほどスラスラと未来に対する展望が見えてきます。紡くんとは既に2年以上も暮らしており、彼の将来プランも聞いています。ちーちゃんにとって紡くんとの生活はとても具体的なものとなっていました。そして、それ以上に……。

「分かってるのよ、私だって。紡と思い描く未来の方が心躍るってことは……でも、それを認めるわけにはいかないのよ」

 乙女心は複雑でした。

「アンタ、進路調査になんて書くの?」

「もちろん紡くんのお嫁さんって書くに決まってんじゃん」

「アンタもなの? 私も木原くんのワイフって書くつもり。キャハ」

 クラスメイトの会話が耳に入ってきてちーちゃんの肩が震えます。ちなみに今回の進路調査でちーちゃんクラスの女子の3人に2人は第一志望に紡くんのお嫁さんと書いて先生を困らせたのでした。

 

 ちーちゃんは進路のことで悩みながら帰宅しました。

「ただいま〜」

 洗濯物を取り込んでから上がろうと思い庭に回ったちーちゃんは異変に気付きました。

「おっ、おじいちゃんっ!?」

 紡くんの祖父であり、ちーちゃんの保護者でもある木原勇おじいちゃんが庭に倒れていました。1話からこれまで影も形も出てきませんでしたが、ずっと木原家にいたおじいちゃんです。

 おじいちゃんの最初の出番は意識不明の重体となることでした。

 それから先は大変でした。ちーちゃんは激しく取り乱しました。手術することになった際には「おじいちゃんを連れて行かないで」と泣き叫び、紡くんに取り押さえられるほどでした。

ちーちゃんにとって勇おじいちゃんは掛け替えの無い大切な家族でした。汐鹿生の両親は冬眠に就いてしまい、身寄りがなくなったちーちゃんを引き取ってくれたのが勇おじいちゃんだったのです。

 幸いにもおじいちゃんの手術は成功し、そのまま入院することになりました。ちーちゃんと紡くんの日常におじいちゃんのお見舞いという行動が加わることになりました。

 

 そんなこんなで忙しい中ちーちゃんだけ進路調査票を提出しないまま明日は終業式という日取りを迎えました。

 明日までに調査票を提出しないと春休みにわざわざ学校に来ないといけなくなります。それ以上に先生は無駄な出勤日が増えてしまいます。何としてでも明日までに提出です。

 でも、おじいちゃんが倒れてしまったことでちーちゃんは尚更迷ってしまっています。

「金銭的に迷惑を掛けたくない。おじいちゃんのことが不安だから遠くにもいきたくない。でも、おじいちゃんの面倒を見ようにも……私には色々足りない」

 完璧に煮詰まっていました。八方塞がりになっています。

「どうすればおじいちゃんに恩返しできるんだろう?」

 悩んだままおじいちゃんの病室に辿り着きました。

 おじいちゃんは窓の外を見ながら少し元気が無さそうでした。入院したことは勿論ですが、事実上の漁師引退勧告をされてしまい気分が落ち込んでいたのです。

 そんなおじいちゃんを少しでも元気付けたいとちーちゃんは考えました。

「おじいちゃん、何か欲しいものない?」

「どうしたんだ、藪から棒に?」

 おじいちゃんは質問には答えません。だからちーちゃんが代わりに世間のお年寄りが欲しがるものを思い浮かべました。そして顔を真っ赤にしながら病室で大声を出しました。

「たっ、例えばひ孫とかっ!」

「ひ孫?」

「そっ、そう。紡と私の子どもをおじいちゃんは抱きたいんじゃないかなぁ〜って。ひ孫って絶対可愛いよぉ」

 

 第一志望 お嫁さん

 

「そりゃあ、紡とちさきが一緒になってくれれば俺としては嬉しいが……お前たち、まだ高校生だろうが」

 おじいちゃんはちーちゃんの提案には乗ってきませんでした。この時おじいちゃんがちーちゃんの話に乗っていれば『凪のあすから 第2部』は相当違う展開を迎えていました。ちーちゃんは幸せいっぱいの2児の人妻だったことでしょう。

「じゃっ、じゃあ、私と紡の結婚式とか? 孫の結婚式、早く見たいよね?」

 

 第一志望 お嫁さん

 

「いや、だから、ちさきたちはまだ高校生だろ?」

「昔は15歳でお嫁に行くのが普通だったでしょ!」

 ちーちゃんの口調にいつになく熱が篭もります。

「昔は昔で今は今だろ」

「おじいちゃんが一言命令してくれれば、私は色々なしがらみをすっ飛ばして紡の元にお嫁に行けるのよっ!」

 

 第一志望 お嫁さん

 

「結婚は当人同士の合意で行うもんだろ。俺が口出しできることじゃない」

 おじいちゃんはちーちゃんの怒涛の攻めをいなしていきます。さすがはちーちゃんのおじいちゃんです。

「私が紡の所にお嫁入りする以外にどうすればおじいちゃんに恩返しできるのか分からないよぉ」

「いや、それはちさきの願望だろ」

 

 第一志望 お嫁さん

 

「こんな年寄りに若いお前がいちいち人生を費やして何かするもんじゃねえ。好きに生きろや」

 おじいちゃんは頑固ですがとても優しい人でした。真面目なちーちゃんの重荷にはなりたくなかったのです。

「でも……」

 ちーちゃんは納得できません。

「せめておじいちゃんを家に連れ帰って面倒みてあげたいのに……」

 ちーちゃんは恩返しにおじいちゃんの面倒をみたいと考えました。でも、それにはスキルが圧倒的に足りていないのです。

「俺はただ老衰して足腰が弱ったのとは違うからな。病院出るのは無理だろ」

 術後の経過は順調とはいえ、おじいちゃんは病人でした。看護のプロフェッショナルでなければおじいちゃんの面倒はみられません。

「看護のプロフェッショナル……」

 ちーちゃんは廊下へと目を向けます。カルテを持った看護師さんが歩いているのが見えました。

「おじいちゃんへの恩返し、看護のプロフェッショナル、お給金、お金なし研究者紡との結婚生活……赤ちゃん可愛い♪」

「なあ、最後の方、俺、関係なくねえか?」

「そうよ。正解はここにあったのよっ!」

 ちーちゃんは立ち上がりました。

「病室内で大声を出すな」

 紡くんが入ってきました。そんな彼に対してちーちゃんは指を差します。

「紡には私に協力しておじいちゃんの望みを叶えてもらうんだからね」

「じいさんの望み?」

 紡くんは首を捻ります。

「それじゃあ私、調べ物があるから先に失礼するわね」

 ちーちゃんは鼻息荒く体は軽やかに病室を出て行きました。

「じいさんの望みってなんだ?」

 紡くんはおじいちゃんに訪ねました。

「さあ?」

 おじいちゃんも首を捻りました。

 2人とも、ちーちゃんが何を決意したのか分かりませんでした。

 

 翌日、ちーちゃんは先生に進路調査票を提出しました。

 

 氏名 木原(予定)ちさき

 

 第一志望 お嫁さん

 第二志望 看護師

 第三志望 団地妻

 

 第一志望と第三志望の部分は太マジックで既に書いてしまってあったために修正できませんでした。

 でも、3つの志望はちーちゃんにとってどれも同じことでした。ゴールは1つなのです。

 ちーちゃんの進路調査票を見て、担任の先生は密かに涙するのでした。

 そしてちーちゃんのクラスのほぼ全ての女子が、春休み中に調査票再提出の刑を受けたのでした。

 

 了

 

 

-6ページ-

 

第10話 紡くんとちーちゃんとエイプリルフール

 

「行ってきます」

 春休真っ最中の4月1日、紡くんは朝早くに着替えて家を出ていこうとしています。

「もう出かけるの? 早いね」

「ちょっと調べておきたいことがあってな」

 紡くんは足早に出て行きました。

「大学受験に関することかな?」

 ちーちゃんは何の気なしに紡くんを見送りました。

「さて、洗濯機も回したことだし、少し休もうかな」

 時間に余裕ができたちーちゃんはちょっとの間休憩することにしました。おせんべいを片手にテレビを点けます。すると、エイプリルフール特集が組まれていました。

 

『エイプリルフールの嘘は親愛の証。嘘も吐かないような間柄じゃもう冷め切ってるんですよ』

 

 番組の名物アナウンサーのおじさんはしたり顔で解説します。番組を見ながらちーちゃんはパリっとおせんべいを口で割りました。

「なるほど。エイプリルフールの嘘は親愛の証、かあ」

 普段は娯楽に興味をあまり示さないちーちゃんですが、今日は違いました。春休みということで余裕があったこともあります。そして何より親愛という言葉に惹かれました。

「よし、今日は紡に嘘を吐いてみようかな♪」

 なんだか楽しい気分になってきます。

 居ても立ってもいられなくなり、早速着替えて出かける準備を整えます。テレビのスイッチを切ろうとリモコンに手を伸ばした所で気になる情報が流れました。

 

『エイプリルフールは、無自覚ハーレム王が知り合いの女性にプロポーズして回り、嘘だとバレて逆上した女性に刺されて死亡する事件が多い日としても有名です。例えば今年の場合、学園都市在住の高校生上条当麻さんが被害に遭いました。周囲にハーレム王がいる女性の方は偽の愛の告白にお気をつけください』

 

「無自覚ハーレム王……」

 ちーちゃんにとっては心当たりがあり過ぎる話でした。ちーちゃんは学校で一番人気の男子高校生と一つ屋根の下で暮らしています。

「紡が複数の女の子に愛を語るなんて全然想像できないし、その結果、紡が刺されるなんて尚更想像できないよお」

 ちーちゃんはアナウンサーの忠告をエイプリルフールの冗談と判断しました。

「あっ、そうだ。帰りにおじいちゃんの病室に寄ってりんごでも剥いてあげようっと」

 ちーちゃんはショルダーバッグの中に果物ナイフを入れてお出かけしました。使う場面がないことを祈ります。

 

 一方、紡くんは例によってさゆちゃんと美海ちゃんに海辺の防波堤前で相談に乗ってもらっていました。

「ちさきを心から楽しませるジョークが知りたい」

「そんなもん小学生に相談すんなっての」

 今日も今日とてさゆちゃんは紡くんの相談内容に呆れ果てています。でも、毎回律儀に相談に乗っているのですからとてもいい子です。姉御肌です。ヒーロー体質です。

「でも、紡は冗談なんて言えないから、エイプリルフールの冗談は大変なんだと思う」

「美海の言う通りだ」

 美海ちゃんのフォローにコクコクと高速で頷いてみせる紡くん。高校生のお兄さんの威厳とかもう知ったことではありません。

「それで、俺はどんな嘘を吐けばいい?」

 真正面からラブ師匠のさゆちゃんに尋ねます。

 さゆちゃんは大きくため息を吐き出すと、いつものように女心を紡くんに伝授するのでした。

「女を喜ばせる嘘……そんなもの、その女の欲望を巧みに突いた嘘に決まってんでしょ」

 さゆちゃんお得意のふんぞり返りのポーズ。

「女の欲望を突いた嘘?」

「そうよ。女が心の奥底で願っていることをピンポイントで言い当てるのよ。占いと同じ。当たる当たらないよりも、女の願望を引き当てて刺激してあげることが重要なの」

「女の願望を引き当てる、か」

 紡くんが空を見上げながら考えます。

「相手の女のことをよく分かっているのなら、天気がどうとか学校がどうとか友達がどうとか無理やりネタを捻り出す必要なんてないのよ」

「なるほどな」

 紡くんは大いに納得しました。というか安心しました。寡黙な彼にとってはお話を無理やり創り出すのは最も苦手な行為でした。

「よし、早速試してみよう」

 紡くんはさゆちゃんを見ます。男子高校生の中でも背が高めな紡くんと小学生のさゆちゃん。2人が見つめ合うと身長差でなんだか変な感じです。

「なっ、なによ?」

 ちょっとビックリするさゆちゃん。ポーカーフェイスのイケメン男子高校生に見つめられると怖くもあり恥ずかしくもあります。さゆちゃんの顔はすぐに赤く染まりました。

 一方で紡くんですが……。

「さゆは要に会えなくなって女ひとりで生きていくことを決意した。つまり、心の奥底では愛に飢えていると」

 自分なりにさゆちゃんの願望を考察します。そして結論を出してみたのでエイプリルジョークに挑戦してみることにしました。

「さゆ……俺と、結婚してくれ」

 紡くんの渾身のジョークでした。高校生の男子が小学生の女の子にプロポーズするなんて紡くんの中では冗談にしかなりません。紡くんにドリコンの気はありません。

でも、紡くんが期待していたのとは全く違う反応をさゆちゃんは引き起こしたのでした。

「イケメンに……紡にプロポーズされちゃったよぉ〜〜っ!?」

 さゆちゃんは今にも泣きそうな表情になってしまいました。

「せっかく女ひとりで生きていくって心に決めたのに……」

 さゆちゃんのまぶたには大粒の涙が溜まっていきます。でも、その全身は恥ずかしさで真っ赤になっています。

「要ぇっ。早く目覚めてよぉ。そうでないとあたし、あたし……弱い女になっちゃいそうだよぉ〜〜っ! 要ぇ〜〜〜〜っ!」

 さゆちゃんは泣きながら走り去っていきました。

 この時の一件が元でさゆちゃんはますます女ひとりで生きていく決意を固めると共に、心の奥底では反対に要くんを強く強く渇望するようになったのでした。

 とにもかくにも紡くんは嘘のプロポーズでさゆちゃんを泣かせてしまいました。こんな所を誰かに見られては大変です。ドリコン決定です。サイドポニーテールが橋脚の端から風に揺れていました。

「さて……次は美海だな」

 紡くんの顔が今度は美海ちゃんへと向けられます。

「ひっ、ひぃっ!?」

 さゆちゃんに起きた悲劇を目の当たりにして美海ちゃんは震えています。

「美海は光に会えなくなって光を健気に待ち続けることを決意した。つまり、心の奥底では愛に飢えていると」

 紡くんは美海ちゃんに対しても考察を加えます。そして同じ結論に達しました。

「やっ、止めて。わたし、冗談でも、光以外の男から、告白されたりプロポーズされたくない」

 美海ちゃんの全身がガタガタと音を立てながら震えます。1歩、2歩と後ずさっていきます。でも、ちーちゃんとエイプリルフールしたい紡くんは気が回りませんでした。

「美海……俺と、結婚してくれ」

 紡くんは美海ちゃんにプロポーズしてしまいました。

「つっ、紡にプロポーズされちゃった……格好いい男の子にプロポーズされちゃったよぉ」

 美海ちゃんの瞳から涙が溢れ始め、それとは反対に表情がキリッと引き締まります。

「わたしは……わたしには光だけなんだからぁっ! 他の男に靡いたりしないんだから!」

 美海ちゃんは涙を拭いながら走り去って行きました。

 この時の一件が元で美海ちゃんは光くん一筋という恋心をますます強固なものにします。その結果、他の男の子からの告白には耳を貸さなくなります。クラスメイトに告白されても靡かない女の子へと成長していくのでした。

「さゆも美海も予想してた反応とは違ったが……インパクトがあったのは間違いない」

 自分に都合よく解釈してしまう紡くん。この辺り、まだまだ乙女心を理解していません。そしてその無理解が裁かれる時が遂にやって来てしまったのです。

 

「紡はやっぱり美海ちゃんやさゆちゃんが……小学生が好きなんだね。ドリコン決定なんだね」

 呆然とした表情で紡くんの前に現れたちーちゃんは小さな声で告げました。

「えっ?」

 紡くんには何のことやらよく分かりません。

「紡は……さゆちゃんと美海ちゃんにはプロポーズしたっ! 私には、してくれたことないのにぃっ!」

 ちーちゃんの綺麗な瞳から大粒の涙が零れ落ちていきます。

「私は……こんなにも紡のことが好きなのにっ! 愛してるのにっ! どうして私だけを見てくれないの? 私を愛してくれないの?」

 ちーちゃんは涙で顔をグチャグチャにしながら紡くんの胸に飛び込みます。

「ちさき?」

 紡くんにはどうしたらいいのか分かりません。だからちーちゃんの背中に手を回して優しく抱き止めてあげるしかできません。

「私じゃ駄目なの? 私じゃ美海ちゃんには及ばないのっ!?」

 紡くんのジャケットで涙を拭いながら自分の苦しさ、悲しさを訴えるちーちゃん。

「俺は、別に美海のことを愛してるわけじゃ……」

「私のことだけ愛してよっ!」

 紡くんの言葉はちーちゃんに途中で遮られてしまいます。

「…………私にも、してよ」

「えっ? 何だ?」

 紡くんには肝心な部分が聞こえませんでした。昨今量産されている聞こえないフリ系の主人公ではなく本当に聞こえませんでした。

「私にも、プロポーズしてよ」

 涙を拭いながら顔を上げたちーちゃんは紡くんの瞳を見つめながら再度言いました。

「さゆちゃんや美海ちゃんにはプロポーズしたでしょ。私にも、プロポーズしてよ」

 ちーちゃんの大きな瞳に紡くんの顔がいっぱいに反射しています。

「そ、それは……」

 紡くんはちーちゃんを抱き締めたまま硬直しています。

「紡ぅ。お願いよ。私と結婚したいって言ってよぉ」

 うっとりとした瞳で見上げるちーちゃん。その破壊力は即死級です。

「私のこと……大事に思っているのなら、求婚、して……」

 今にもキスするのではないかと思うほど顔を寄せてくるちーちゃん。色っぽさもMaxです。これにはむっつり国家代表選手クラスの紡くんも素直に……。

「ちさき相手に冗談でプロポーズはできない」

 紡くんは素直な想いを口にしました。

「どうして? 冗談でもプロポーズできないほど私のことが好きじゃないの?」

 再びちーちゃんのまぶたに涙が溜まっていきます。

「逆だ」

 紡くんは右手でちーちゃんの涙を拭います。

「俺は冗談でちさきに告白もプロポーズできない。ちさきのことが世界で一番大切だから」

「えっ?」

 ちーちゃんの顔が更に上がって紡くんの顔のすぐ前にきます。

「俺がちさきに告白する時、プロポーズする時は全部本気だから。ちさき相手には全身全霊を込めてしか言えないから」

「そう、なんだ」

 ちーちゃんは再び紡くんの胸に顔を埋めました。

「紡は、エイプリルフールのジョークじゃ私にプロポーズできないんだ」

「ああ」

「じゃあ、いつならしてくれるの?」

「ちさきが俺の求婚を受け入れてくれると確信が持てたら」

 紡くんはキッパリと言い切りました。

「紡の言葉通りなら、私プロポーズされたら紡のお嫁さんにならないといけないんだけど」

「そうなるな」

 またまたキッパリと言い切る紡くんにちーちゃんの頬が緩みます。

「私には光がいるもん。紡の気持ちには応えられないわよ」

「ちさきの気持ちを必ず俺に向かせて見せる。絶対に」

「それは、無理なんだから。難しいんだからね」

 無理と言いながらちーちゃんは紡くんの腰に手を回して抱き締め返しました。

 

「今日はエイプリルフール。だから、今日の私の言葉も行動もみんな嘘なんだからね」

 ちーちゃんは強く強く紡くんを抱き締めます。

「これから言うこともみんな嘘なんだからね。真に受けちゃ駄目なんだから」

 ちーちゃんは念を押しながら紡くんから表情が見えないように俯きました。そして、溜まっていた言葉を吐き出し始めました。

「私はね、紡が好きなの。光が眠りに就く前から、紡のことも気になってたの。好きだったの。二股掛けてた最低女なの」

 ちーちゃんは深く深く紡くんの胸に顔を埋めます。

「最初は紡のこと、ちょっと苦手だった。海のことをとてもよく理解してくれていたけど、反面無表情で何を考えているのかよく分からなくて。デリカシーにも欠けていて人の気にしていることをズバズバ言っちゃうし。何より、まなかの心をどんどん盗んじゃうし」

 紡くんの服が内部まで涙で湿っていきます。

「まなかが紡に惹かれていくのに連れて、私、自分の嫌な心に気付いちゃったの。まなかが紡とくっつけば、私は光と恋人になれるんじゃないかって。まなかと光の仲を応援するって自分に誓ったのに紡が現れてから誓いを守れなくなっていった」

 ちーちゃんの独白劇は途絶えることなく続きます。

「嘘つきな自分が嫌いで、要に告白されて更に動揺して……でも、そうしたら私は紡のことも気になってることに気付いちゃって。不誠実で浮気者な自分に嫌気が差して……必死に原点に帰ろうとして光に告白したんだ。告白するのが精一杯でまなか大好きな光には受け入れてもらえなかったけど」

 紡くんの体が微かに震えました。好きな子の他の男の子への告白話は堪えます。

「それから大変なことがあって、紡と一緒に暮らすようになったけど……私はずっと困ってるんだよ」

「困ってる?」

「うん。初恋にサヨナラしていないのに、紡にどんどん惹かれていることに」

 ちーちゃんは声からして戸惑っています。

「これから光が目覚めたとしても……私は戸惑うしかないんだと思う。光のちょっとした言動にドキッとすることはあっても、それはきっと初恋の残像みたいなものなの。私は初恋をいつまでも引きずっていたいに過ぎないんだって自分で気付いちゃうと思うの」

 紡くんは黙ってちーちゃんの独白を聴き続けます。

「私は光より紡のことが好き。愛してるの。でも、変わりたくないの。光を好きな自分を、あの頃の汐鹿生を変えちゃいけないの。私だけ、幸せになっちゃいけないの」

 変わらないこと、変わりたくないことを願うちーちゃんにとっては、現状が満たされるほどに心苦しくなります。変化を受け入れることに他ならないのですから。そしてそれは一緒に住んでいる紡くんが誰よりも知っていることでした。

「ごめんね、紡。私のわがままにいつも付き合わせちゃって。私には紡が必要なの。紡なしじゃ生きていけない。紡のことが一番大切なの。でも、紡と幸せになっちゃいけないの」

 ちーちゃんの涙の量が増えました。紡くんは更に強くちーちゃんを抱き寄せます。

「紡が好きなの。大好きなの。愛してるの。でも、私は幸せになっちゃいけないの。でも、好き。大好きなの……紡ぅ。ごめんね。ごめんね。好きなのに、紡を受け入れられないの」

 それからちーちゃんは延々と泣き続けました。紡くんは一言も発さずに彼女を抱き続けました。

 それからエイプリルフールは、ちーちゃんが積もり積もった心の中を紡くんに吐露し、紡くんがそれを受け止める日となりました。

 エイプリルフールの嘘というワンクッションを入れることがちーちゃんには必要だったのです。

 そんな2人を、女子全員にプロポーズしては振られて煙たがられてボコボコにされた狭山くんが優しく見守っていました。

 

 了

 

 

説明
pixivで掲載していた凪あすの紡ちさき短篇集その2 6〜10話
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