凪あす むっつりイケメン紡くんと団地妻ちーちゃん高校生編サンマ
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凪あす むっつりイケメン紡くんと団地妻ちーちゃん高校生編サンマ

 

 

主な登場人物紹介

紡くん:本名は木原紡。イケメン高校生。ちーちゃんのことが好き。でも、色々あって言えない言わない言ってたまるか。さゆちゃん美海ちゃんに師事して女心を勉強中。でも、いつもこっそり会っているせいでちーちゃんからのドリコン疑惑が消えてくれない。

 

ちーちゃん:本名は比良平ちさき。団地妻っぽい色気を漂わせる美少女グラマー高校生。紡くんと一つ屋根の下で暮らしている。本当は紡くんのことが好きだけど色々あって自分の気持ちを閉じ込めているつもりだが周囲にはバレバレ。紡くんにも段々バレてきている。

 

さゆちゃん:小学生のドリコン少女。好きな男の子が海の中で眠ってしまったので女一人で生きていくことを決意して勉学に励む秀才。紡くんに女に関する蘊蓄を授ける師匠。略奪愛上等の心得をちーちゃんと美海ちゃんに伝授する。

 

美海(みうな)ちゃん:さゆちゃんの友達の小学生のドリコン少女。好きな男の子が海の中で眠ってしまったけど戻ってくるのを健気に待っている。紡くんと似た立場で気が合う。第二部のメインヒロインであり、悲恋が顕著な花澤さんキャラに対しては徹底抗戦を密かに誓っている。

 

狭山くん:紡くんたちのクラスメート。ちーちゃんに団地妻というあだ名を付けた張本人。以来、何故か不幸な目によく遭遇するようになった。困った時のオチ担当なので実は最も重宝しているキャラだったりする。

 

 

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第11話 ちーちゃんと身体測定とダイエット

 

 ちーちゃんと紡くんは高校2年生へと進級しました。勇おじいちゃんが入院していない生活にもすっかり慣れてきました。

「今日もご飯が美味しいわね〜♪」

 ちーちゃんは今日も紡くんと2人きりの新婚さん生活気分を満喫しています。自分のお茶碗におかわりのご飯をよそう手が軽快に動きます。もう3杯目です。でも、その幸せは長くは続きませんでした。

「そう言えば来週、身体測定だな」

 きっちり一膳分のご飯だけを食べているイケメンはボソッと呟きました。

「………………忘れてた」

 ちーちゃんの顔に縦線が入って落ち込みます。上半身から崩れ落ちてよよよ泣きです。

「ちさきはいつも体重を気にするよな」

「女の子なんだから当然でしょ」

「そうか? ちさきは特に気にしすぎだと思うぞ」

 生まれてこの方一度も体重を気にしたことのない引き締まったボディーを持つイケメンにはデリケートな女子高生の悩みは分かりません。

「どーせ紡だって私のこと、この1年でブクブク太った河豚だって思ってるんでしょ」

「いや、そんなことは……」

 紡くん、ちーちゃんの最もふくよかで女性らしいある一点を見ます。

「…………確かに大きくなった」

 男子高校生的には大好きな女の子の成長具合をついついそこで測ってしまいます。紡くんも男の子ですから勘弁してあげてください。でも、ちーちゃんは紡くんの言葉を別の意味に捉えたのでした。

「やっぱり、紡も私の腰やお尻が大きく太くなったって思ってるんだ」

「いや、そこは全然……」

「私、これから身体測定の日までダイエットするわっ! だから紡も協力をお願いね」

「身体測定の日までなのか? それって意味あるのか?」

 ダイエットを長期的な健康管理として捉える紡くんには、身体測定表の数字に執念を燃やすちーちゃんの心情がよく分かりませんでした。しかし、何はともあれ1週間限定のダイエット週間が始まりを告げたのです。

 

「紡っ! もっといっぱい走って。ダイエットの基本は摂取したカロリー以上に運動して燃焼させることなのよっ!」

「それは分かるんだが……何故ちさきが自転車で俺は走りなんだ?」

 黒いジャージ姿の紡くんは首を捻りながら鷲大師の街道を駆け抜けていきます。後ろではメガホンを片手にピンク色のサウナスーツ姿のちーちゃんが自転車に乗りながら鬼コーチぶりを発揮しています。

「わたしたちも来週の測定に向けてダイエットするんだから紡はしっかり走ってよね」

「あたしたちの体重はアンタの頑張り次第なんだから気合入れなさいよ!」

「だから何故、俺が走ってさゆたちは走らないんだ?」

 ちーちゃんの隣で同じくサウナスーツに身を包んだ美海ちゃんとさゆちゃんも自転車上から声を張り上げます。

「いや、痩せたいなら自分で走れば……?」

 紡くんはある種当然の疑問の声をあげます。ちなみにジョギング時のカロリー消費は

 その人の体重×走ったキロ数 と概算で言われています。紡くんの体重を60kgとすると、5km走ってようやくご飯1膳分のカロリー消費です。カロリー消費は大変です。

「基礎体力がないから長い距離走るのなんて無理よ」

「発汗ダイエットのためにサウナスーツで自転車漕いでるの」

「あたしたちにとっては来週の測定こそが戦いなの」

 間髪入れずに返ってきた答えに紡くんはちょっと泣きそうになります。

「俺が走る意味は?」

「自転車を漕ぐにも目標がないとだらけちゃうでしょ」

「声を出すのもカロリー消費できそうだし」

「来週の測定のためにあたしたちは全てを犠牲にできるのよ」

 紡くんはこれ以上の問答を無駄だと判断して黙々と走り出したのでした。

「あれ? 声を張り上げていたら何だか喉が痛くなってきちゃった」

「わたし、甘くて後味スッキリなのど飴持ってるよ」

「あたし、すっごく美味しいスポーツドリンク持ってるよ」

「わ〜。2人ともありがとう」

 紡くんは汗に混じって涙を浮かべながら走り続けました。

「なあ紡。ちさきがダイエット始めたって聞いてさ。俺も一緒に走っていいか?」

「ちさきは毎日フルマラソンを走る男がいいらしい」

「よっしゃ! 毎日フルマラソンだな。頑張るぜ!」

 猛ダッシュしていくお馬鹿な狭山くんを見て悲しみを癒やしながら。

 

 そして1週間が経ち、学校での測定が終わった木原家では……。

「どうして体重がこんなに増えているのよぉ〜? 身長は変わってないのにぃ」

 身体測定の通知表を見ながらうずくまって大泣きしているちーちゃんの姿がありました。

「ちさきは……太ってない」

 フォローを試みますが言葉足らずの紡くんでは傷心のちーちゃんを慰められません。

1週間無駄にダイエット特訓に付き合わされた紡くんの方も泣きそうです。ちなみに狭山くんはフルマラソンを続けた結果、一昨日倒れてそのまま入院中です。

 身体測定はみんなの心に悲しみの傷を付けただけでした。さゆちゃんたちも失敗です。

「こんなプクプクの河豚さんになったんじゃ、もうお嫁に行けないよぉ〜」

 ちーちゃんは子どものように泣きじゃくっています。

「…………たとえ太ってもちさきは俺が嫁にもらってやるから心配するな」

 ちーちゃんは急に泣き止みました。ニヤニヤしながらチラチラ紡くんを見ます。

「へ〜。まあ、私には光がいるから紡のことなんてどうでもいいけど……キープくんぐらいには考えておいてあげるわ」

 ちーちゃん鼻歌交じりに立ち上がります。やたら元気になりました。

「さっ、今日は大奮発して脂身が乗ったステーキにでもしようかしら♪」

 チョーが付くほどご機嫌になっています。

「…………太るぞ?」

「太っても紡が責任取ってくれるんだからいいの♪」

 ちーちゃんは嬉しそうにサヤマートに買い物に行く準備を進めるのでした。

 

 了

 

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第12話 ちーちゃんと学園祭と団地妻喫茶

 

 季節のめぐりは早いもので、新学年を迎えたと思ったらもう初夏を迎えました。

「紡、足りない材料の買い出しに付き合って」

「分かった」

 ちーちゃんは紡くんを伴って学園祭のコスプレ喫茶のための買い出しに出掛けます。

 寒冷化の影響もあって学園祭の開催が秋から初夏へと変わりました。間近に迫った祭りに紡くんたちもクラスの出し物の準備に余念がありません。2人とも真面目人間ですから。

 でも、ちーちゃんたちに悩みがないわけではありませんでした。

「今年もミスコンと美男子コンテストをやるみたいね」

「らしいな」

「私、目立つの苦手なんだけどなあ」

「俺もだ」

 2人とも気が軽く滅入ってしまいます。

 去年の学園祭でちーちゃんはミスコンのグランプリに、紡くんは美男子コンテストで優勝しました。でも、目立つのが苦手な2人はその大殊勲を素直には喜べませんでした。

 本当は出たくなかったのですが、クラス代表が強制参加のために出場辞退できませんでした。そして今年も2人はエントリーされてしまっています。しかも両名とも大本命です。

「……学園祭、サボるか?」

「駄目よ。クラスの団地妻喫茶の当番もあるんだから」

 真面目なちーちゃんはわけもなくサボるなんて許しません。

「当番っていうか……俺とちさきは、コンテストの時間以外はずっと給仕係なんだが」

 狭山くんの提案で決まった団地妻喫茶。稼ぐことを目的にイケメンと団地妻美少女をフル活用することが決定されています。ちーちゃんたちは店内寸劇含めて出ずっぱりです。

「コンテストの時間だけでもサボらないか? 俺たちにも休息は必要だ」

「そうよねぇ…...」

ちーちゃんも自分の置かれている理不尽な状況に気が付いてやる気喪失しています。

でも、紡くんたちの意欲が低いことぐらい実行委員会はお見通しなのでした。2人を参加させるための巧妙な罠が仕組まれていたのです。

 

「今年のミスコングランプリは2年の比良平ちさきさん、美男子コンテストの優勝者は2年の木原紡さんに決まりましたぁっ!」

実況の狭山くんの絶叫と共に割れんばかりの歓声と大拍手が台上のちーちゃんと紡くんに贈られます。米屋の御用聞きに変装した紡くんもタテセタ団地妻なちーちゃんたちも疲れた表情ながらも手を振って返します。2人は今年もまた優勝を果たしたのです。

ちーちゃんたちは当初ボイコットする気満々でした。でも、結局出ることになりました。

 

『優勝者特典 ミスコン優勝者が美男子コン優勝者のほっぺにチュー』

 

 紡くんとしてはちーちゃんのチューを他の男にやるなんて絶対に許せませんでした。

 ちーちゃんとしても自分以外の女の子が紡くんにキスなんて許せませんでした。

 そして2人はお年頃の男女。チューに興味がありました。

 ちーちゃんたちの利害は一致し、コンテストの参加が決まったのです。団地妻喫茶はこの瞬間、前座と化したのでした。

 

「それでは比良平ちさきさんより木原紡さんに優勝特典のほっぺにチューが贈られます〜っ!」

 狭山くんのアナウンスにちーちゃんたちは我に返ります。キスが本当になる瞬間がきてしまいました。

「ど、どうしよう……」

 勢いで出場、優勝を果たしたちーちゃんでしたが、チューが現実のものとなると焦ります。何しろ生まれて初めてのチューとなるのですから緊張するのも無理ありません。しかも相手は陸最強のイケメン紡くんです。

「って、光じゃないのに何を考えているのよ、私はっ!?」

 ちーちゃんの悪い癖がまた出ました。紡くんとの仲を進展させようとすると初恋の人を思い出してしまいます。ちーちゃん自責の念に駆られて大ピンチです。

 でも、そんな彼女のピンチに助け舟を出せるのがイケメンのイケメンたるゆえんでした。

「奥さん……っ!」

 紡くんがちーちゃんに迫りながらちょっと荒々しく肩を掴みました。ちーちゃんは最初その動作の意味が分かりませんでしたが、紡くんの服装を見てすぐに理解しました。

「だっ、駄目よお米屋さん。私には愛する夫がいるのよ……」

ちーちゃんはノリノリで顔を背けます。

「だけど奥さん……俺は、俺は……」

 紡くん更に顔を近付けながら強引に迫ります。いつになくアグレッシブです。

「だっ、駄目。駄目なの。私は人妻なんだからぁ……」

 駄目と言いつつ目に見えて抵抗を弱めていくちーちゃん。2人は先ほどまで何度も何度も演じてきた団地妻喫茶の寸劇をここでも演じているのです。

ちーちゃんもこれなら光くんを裏切ることにはならない。そう自分に言い聞かせながらうっとりした表情でお米屋さんこと紡くんを見上げます。その瞳は紡くんの薄い桜色のセクシーな唇に惹きつけられています。

「奥さん……」

紡くんの唇が後5cmの所まで近付きます。優勝特典ではちーちゃんの方からのキッスとなっています。ですが、そんなことは些細な問題でした。ちーちゃんは熱っぽい表情で彼の唇を待ちます。初めてのチューにちーちゃんはもうドッキドキです。

しかし、その時でした。思いもよらぬ邪魔が入ってきたのです。

「おーい、今帰ったぞ〜っ」

ちーちゃんの幸せをぶち壊そうとする男の声が背後からしました。

寸劇の内容に沿って旦那さん役である狭山くんが入ってきたのです。喫茶の寸劇だと、ここで2人は離れて不倫は失敗に終わります。でも、3人の思惑は寸劇の結末とは異なりました。

「むむ。浮気をするようなイケない妻は俺の熱いキスで目を醒まさせてやる」

狭山くんはこのシチュエーションに便乗してちーちゃんの唇を狙ってきました。唇をたらこ型にしてちーちゃんに迫ります。

「秘技、サイドポニーテール電気クラゲアタックっ!」

ちーちゃんは自慢のサイドポニーテールを振り回して中に仕込んでいた電気クラゲを発射しました。

対紡くん用の最終奥義です。使い方は簡単。

 

1.発射した電気クラゲで紡くんを気絶させます。

2.2人一緒にお布団に入って写真を自画撮りします。

3.後はその写真をご近所とインターネット上に流布させるだけ。

 

 全てに決着を付けられるちーちゃんの最終奥義です。問答無用で木原ちさきの誕生です。その奥義を狭山くんを気絶させるために使うという誤った使い方をしたのです。

「ぎゃあぁあああああああぁっ!?」

狭山くんはいい悲鳴を挙げながら沈黙しました。紡くんもビックリな超展開です

「お米屋さんっ!」

紡くんに警戒されてしまうので最終奥義は今後もう使えません。だからその分、今日元を取らなければなりません。

「わっ、私は人妻なのぉ〜っ!」

ちーちゃんは顔中を真っ赤にして言い訳しながら紡くんのほっぺにチューをしました。ちーちゃんのファーストチューでした。

「あっ」

みんなが息を飲み、次いで大歓声が起きる中、動じないことで有名なイケメンの頬が赤く染まりました。心の中では渾身のガッツポーズを取っています。荒ぶる紡くんの図です。

「お米屋さん。私を連れて逃げてっ!」

チューが終わってのちーちゃんの悲痛な叫び。紡くんに手を伸ばします。

「分かった」

紡くんはちーちゃんの手を引いて台を降りました。そして2人で手を取りながら学校外へと走り去っていくのでした。大歓声を背に受けながら。

 

「分かっていると思うけど、さっきのは寸劇の延長。全部演技で私の本心じゃないんだからね。勘違いしちゃ駄目なんだから」

満面の笑みを浮かべ艶々の肌を光らせながらツンデレしてみせるちーちゃん。紡くんに大盛りご飯をよそってあげます。

「ああっ、分かっている」

紡くんは一見いつものポーカーフェイスで答えます。でもよく見ると頬が張ってドヤ顔です。ちーちゃんにチューされての嬉しさを堪えきれません。

「私が紡のことを好きなんて誤解したら駄目なんだからね♪」

「ああ」

その日は2人とも一晩中ニコニコしっ放しでした。

この日の体験が元でちーちゃんと紡くんのクラスの出し物は来年も団地妻喫茶になります。そして2人でまたコンテストに優勝して優勝特典をもらうことになったのでした。

そんなちーちゃんたちを、気絶したままみんなに忘れ去られて校庭に置き去りになっている狭山くんが夢の中から優しく見守っていました。

 

 

 

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第13話 ちーちゃんとドリコンズとパジャマパーティー

 

 夏休みの真っ最中。木原家にはドリコン小学生さゆちゃんと美海ちゃんが泊まりに来ています。今日はちーちゃんと小学生ズ2名によるお泊り会です。3人は布団の上に座ってパジャマパーティーの真っ最中です。

 本日、紡くんは家にいません。海洋学を学べる都会にある大学のオープンキャンパスに泊り掛けで参加しています。

 ちーちゃんにとっては初めて迎えるひとりきりの夜。気を利かせたさゆちゃんたちが泊まり掛けで遊びに来たのです。さゆちゃんには姉御肌な所があります。きっと将来はヒーローです。イケメンなヒロインとか一本釣りしそうです。

 さて、3人は居間に布団を3枚並べて仲良くお喋りの最中です。

「こうやって誰かと枕を並べて寝るのって汐鹿生でまなかの家に泊まりに行ったり、うちに来てもらって以来なのよねぇ」

 天井を見上げながらちーちゃんはちょっぴりセンチメンタルな気分になります。そんなちーちゃんの言葉に驚きの言葉を上げたのがさゆちゃんでした。

「えっ? ちさきさんって、毎日紡と同じ布団で寝てるんじゃないの?」

 小学生ゆえの無遠慮で直球な質問でした。

「ねっ、寝てなんかないわよぉっ! そんなこと、1回もないんだからねっ!」

 その場面を想像してちーちゃんの声が裏返ってしまいます。全身が急激に熱を持ちます。

「なんで? ちさきさんと紡って結局の所はラブラブ恋人同士でしょ?」

 さゆちゃんが考えているちーちゃんと紡くんの関係。多分それは、誰しもが思っているものでした。ちなみにさゆちゃんの言う寝るとは文字通り一緒の布団で寝ているお父さんお母さん的な連想です。多分。おそらく。もしかすると。

「私と紡は恋人同士じゃないわよぉ〜〜〜〜っ!」

 ちーちゃん、過剰反応して夜にも関わらず大声を上げてしまいます。もっとも、大声を上げた所で迷惑になるようなご近所さんがこの近くにはなかったのですが。

「ええ〜? どう見たって2人はラブラブカップルじゃん」

「わっ、私と紡は一つ屋根の下で暮らしている家族だけれど、恋人じゃ……」

 ちーちゃんは真っ赤になって枕に顔を埋めてしまいます。

「さゆ。もう止めておきなよ」

 美海ちゃんがさゆちゃんのパジャマの裾を引っ張りながら仲裁に入ります。

「いやいやいや。美海、これは重要なことだよ」

 ブンブンと首を横に振ってみせるさゆちゃん。

「何が?」

「だって、紡がちさきさんの恋人じゃないってことは、他の女とくっついちゃう可能性があるってことじゃない」

「うっ!?」

 ちーちゃんの表情が一瞬にして凍りつきました。かなりあり得そうな最も恐ろしい可能性を指摘されてしまったのですから。

「ちさきさんはとても一途だから浮気なんてしないだろうけどさ。紡は男だからねぇ」

「わっ、わわっ、私は昔から光のことが好きで、今でも光のことを一番に想ってて……」

 尻すぼみに声が小さくなっていくちーちゃん。さゆちゃんに呆れ顔をされます。

「いや、今でも初恋に心惹かれるビョーキなんです的な態度は美海ひとりで十分だから」

「何でわたしに話を振るの!?」

 美海ちゃんの顔が真っ赤に染まります。さゆちゃん火薬庫です。

「とにかくさあ、紡は格好良くてモテるんだから。ちゃんとしっかり唾つけて置かないとその内に誰かに盗られちゃうよぉ」

「そっ、それは……でも……う〜う〜」

 戸惑うちーちゃん。色々な気持ちがごちゃ混ぜになって唸るしかありません。そんな苦悩するちーちゃんにさゆちゃんは追撃の手を緩めません。

「紡は高校卒業したら都会の大学行くんでしょ?」

「そうなるように頑張ってる……」

「ちさきさんは紡と一緒に都会に行くの?」

「私はこっちに残って看護学校に通おうと……」

 ちーちゃんは刑事に問い詰められている容疑者みたいな気分になっています。

「じゃあ、高校卒業したら2人は別々になっちゃうんだね」

「うっ!?」

 ちーちゃんはクリティカルヒットを受けました。それは考えないようにしていた近未来の現実。紡くんとは離れて暮らすことになります。1年半後の未来を思うと胸が締め付けられます。さゆちゃんはそんなちーちゃんに更にプレッシャーを与えます。

「…………都会の女」

「ぐぅっ!?」

 ちーちゃん、魅惑のおそろしワードに胸を抑えて苦しがります。さゆちゃんパネェです。

「ちさきさんはとってもいい女だけどさ〜、やっぱり田舎娘って所がネックなのよねぇ」

「とっ、都会の料理なら……作れるもん。多分……」

 ちーちゃんの意地は2年後、都会の大学からやって来た空気の読めない三橋教授によって破られることになります。

「都会の女はヤバいよぉ。純朴な田舎青年の紡なんてイチコロにされちゃうよぉ」

「つっ、紡は団地妻が好きなんだもん……都会の若い子より大人の団地妻なんだもん!」

 ちーちゃん必死に弁護。完璧に涙目です。

「…………現地妻。遊び相手。チャラ男と尻軽女。紡の髪の色が金髪に染まるよぉ」

「きゃぁああああああぁっ!?」

 ちーちゃん撃墜。集中砲火を受けたちーちゃんの肩にさゆちゃんが優しく手を置きます。

「都会の女に盗られないためにさ……紡とさ、もう特別な関係になっちゃえばいいじゃん」

 さゆちゃんはついに本命の話題を切り出しました。小悪魔の微笑みを浮かべながら。

「ちさきさんも意地張ってないで、紡と結ばれるのが幸せだと思うよ」

「でも…………」

 ちーちゃんはイエスともノーとも言えません。泣く寸前です。

「紡が近くにいるんだからさ。遠くに行っちゃってからじゃ、後悔しかできないよ」

「それはわたしもさゆと同じ気持ち」

 小学生ズの2人は遠い瞳で夜空を見上げます。2人とも初恋の人が海の中で眠りに就いてしまうという悲しい体験を経ています。小学生にして深い愛と哀を知っています。

 ちーちゃんも同じ境遇ですが、それでも隣には紡くんがいてくれます。だから、さゆちゃんたちとはやっぱり状況が違うのでした。

「私は、私だけ幸せになっちゃ駄目なの……それは許されないの」

「ちさきさんが幸せになることを咎める人なんてどこにもいないと思うよ」

「わたしもそう思う。みんなちさきさんに幸せになって欲しいって思ってるよ」

 ちーちゃんのいつもの意見に対してさゆちゃんたちはその真逆のことを言いました。

「………………っ」

 ちーちゃんは何も言い返せません。それをさゆちゃんは躊躇だと判断しました。

「あっそ。だったら、紡はあたしがもらっちゃおうかな」

「えっ!?」

 ちーちゃんは大きく目を見開きました。

「女ひとりで生きていくにしてもさ、イケメンが側にいてくれんなら生活潤いそうじゃん」

 さゆちゃんはニヤニヤ笑いながら美海ちゃんに横目でサインを送ります。それを見て美海ちゃんはハッと息を飲みながら大きく頷きました。

「うん。ちさきさんが要らないんだったら、紡はわたしの彼氏にする」

「えぇえええええええぇっ!?」

 ちーちゃん、今日最大級の大声を上げました。

 紡くんドリコン疑惑はちーちゃんの中で強固になりつつ脈々と生き続けています。その疑惑の最中にドリコン側から紡くんゲット宣言が飛び出してしまいました。

 ちーちゃんの衝撃クライマックスです。

「よっしゃ。紡が帰ってきたら、さゆ様の愛人にしてやろっかな。肩とか揉んでもらお」

「紡が彼氏なら、小学校内で自慢できるよね」

 ちーちゃんの頭の中では、ドリコンズを恋人にしてドヤ顔を浮かべる紡くんが浮かんでいます。いつになく嬉しそうな表情です。ちーちゃん的には最も我慢できない図です。

「紡は私のなんだから他の女の子を見ちゃ嫌ぁあああああああぁっ!!」

 ドリコンを全開にした脳内紡くんに我慢がならなくなって大声を出してしまいました。

「ふふんっ♪」

「クスッ。ちさきさん、可愛い」

 ドヤ顔のさゆちゃん、美海ちゃん。

「あぅうううううううぅっ!?」

 ちーちゃん、してやられてしまいました。顔を真っ赤にして年上の面目丸潰れです。

「それでちさきさん。結論は?」

「その、あのおふねひきの日から5年経ったら、その、素直に生きることにします……」

 ちーちゃんは小さく誓いました。ちなみに、あのおふねひきから丁度5年目の巴日の日、ちーちゃんの計画は大きく狂うことになります。

 家にダルマを準備して紡くんの帰りを待っていたちーちゃんは、光くんが起きたという報を聞いて激しく動揺します。特に買い込んだ栄養ドリンクの処分について悩みました。

「5年? 後、2年もあるじゃん。その間に紡を他の女に盗られちゃうんじゃないの?」

「その、団地妻力を一生懸命磨いて、他の女の子が紡に近寄らないようにできるだけ見せつけながら頑張ります……」

「紡が大学に進学しちゃったら?」

「届け物とか何とか理由をつけて、都会の方にちょくちょく足を運んで紡の妻アピールを都会の女の子たちに怠らないようにします……」

「よろしい」

 小さくなってボソボソ喋るちーちゃんに大きく頷いてみせるさゆちゃん。

 こうして紡くんのいない女の子だけの夜に色々な取り決めが交わされたのでした。

 

 了

 

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第14話 紡くんとちーちゃんと温泉旅行前編

 

「山ね」

「山だな」

 季節は秋。ちーちゃんと紡くんは前方に聳える紅葉した山々を見てちょっとした感慨に浸っています。遠くまでやってきたことを実感します。

 海から傾斜面が続く鷲大師にも小高い丘ならあります。でも、標高千メートルを越すような大きな山はありません。普段とは違う景色。少ない言葉数とは裏腹に2人はテンション上がっています。海大好き人間だからといって山が嫌いなわけではないのです。

「山見てテンション上がるなんて子どもねぇ」

「ちょっと、浸ってないで荷物持ってよ」

 後からバスを降りてきたさゆちゃんと美海ちゃんは高校生2人を見ながら呆れています。

 更に4人分の荷物を地面に置いて困っています。

「ああ。スマン」

 紡くん、気合を入れて4人分の荷物を持ちます。男らしいです。でも、大きな鞄を4つ持ち上げる姿はちょっと滑稽です。

「せっかくサヤマートの福引で温泉旅行が当たったんだし。みんなで楽しみましょう」

 ちーちゃんが手を叩いて場を仕切り直します。目の前にある大きな木造建築物を見ます。

 今回の温泉旅行はちーちゃんの言葉通り、福引の特賞の結果でした。

 ちーちゃんは4名様ご招待の温泉旅行を引き当てました。その大当たりは実際には狭山くんの仕込みでした。より正確には特賞は狭山くんの自腹でした。

 ちーちゃんに温泉旅行を当てさせれば、旅行はちーちゃんと紡くん、後男女がもう1人ずつ加わるはずと考えたのです。予約できる部屋は2つだったので。

 でも狭山くんの思惑は外れました。ちーちゃんは紡くん以外の他のメンバーにさゆちゃんと美海ちゃんの2人を選んだのです。男2人とはしませんでした。

 狭山くんが最初から男2女2で旅行に行く計画を立てれば良かったと気付いたのはちーちゃんたちが出発する日の朝になってからのことでした。

 

 中居さんに案内されて部屋へと通されます。とりあえず4人で集まっています。

「それじゃあ部屋割りだけど」

 幹事役のお姉さんであるちーちゃんが最初の取り決めである部屋割りを議題にしました。

「女の子3人に男は紡1人だから……」

 ちーちゃんは男女で部屋を分けるつもりでした。しかし……。

「あたしと美海で一部屋ね」

「ちさきさんと紡でもう一部屋で決まりね」

 ドリコンズはちーちゃんの思惑とは違うことをさも当然のように口にしました。

「えっ? えぇえええええええええぇっ!?」

 今日もちーちゃんの絶叫が鳴り響きます。すっかり驚き役が板につきました。

「で、でで、ででで、でも…………紡と同じ部屋だなんて……」

 ちーちゃんは頬を真っ赤に染めながら紡くんを見ます。ちーちゃんたちは毎日同じ屋根の下で寝泊まりしていますが、同じ部屋で寝泊まりしたことはありません。

「問題ない」

 イケメンはむっつり属性を最大限に発揮してポーカーフェイスに答えました。

「はいっ、これで賛同は3。絶対多数ってことで部屋割りは決まり、だね♪」

 楽しそうに笑ってみせるさゆちゃん。無邪気に見せる笑顔の中に彼女なりの計算が含まれています。

「で、でもぉ……」

「問題ない」

 イケメンはポーカーフェイスのままここぞとばかりに力強く頷いてみせます。

 こうしてちーちゃんは今夜紡くんと同じ部屋で寝泊まりすることになったのです。

「じゃあ、ちさきさんのためのサービスも滞り無く決まったと」

 グループの影の支配者さゆちゃんは次の行動を提案します。

「私のためのサービスって。わ、私は別に、紡と同じ部屋になりたいなんて……」

 ちーちゃんは一人で百面相してパニックに陥っています。

「じゃあ、温泉に行こうよ」

「うん」

「分かった」

 その間にさゆちゃんたちは準備を整えて温泉に向かって出発してしまいました。

「あっ、待ってよぉ〜」

 ちーちゃんも後から慌てて追い掛けたのでした。

 

「そう言えば私、露天風呂って初めてかも」

 白いバスタオルを巻いたちーちゃんは目の前に広がる温泉と紅葉した山々という光景に感動を覚えています。海村出身であるちーちゃんにとっては内陸にくること自体がとても珍しいです。更に屋根のない温泉というシチュエーションが加わってちょっと夢気分です。

「ほらっ、浸ってないで温泉に浸からないと風邪引いちゃうよ」

 バスタオル姿のさゆちゃんがちーちゃんの背中を押します。

「うん」

 ちーちゃん、お湯に足を浸します。

「あっ。温かくて気持ちいい」

 海村出身者は体の表面をごく薄いエナが覆っていますが、お湯に弱いとかエナが溶けるとかはありません。外気に晒された体に感じる湯の温かさに感動です。

 ちーちゃんは全身をお湯に浸からせてしばしの幸せに浸ります。海水でなくても湯は大好きです。それから3人で並んでしばらく湯に浸かっていました。

15分ほどが経過して、さゆちゃんが周囲を見回して他にお客さんがいないことを確認してから口を開きました。

「そろそろ紡を覗きに行こう」

「「へっ? 覗き?」」

 唐突過ぎる提案に口が半開きになってしまうちーちゃんと美海ちゃん。

「日々の学校生活で生活に潤いがなくなってカサついているからさ。イケメン分の補充が必要なわけよ」

 さゆちゃんは仕事に疲れたOLがホストに通う際の理由みたいなことを述べ始めました。

「要がいなくなって……ストレスが溜まってるんだね。さゆの将来が心配だよ」

 美海ちゃんは冷静にさゆちゃんを分析します。

「だっ、だだだ、駄目よっ! 女の子が覗きなんて破廉恥なことを考えちゃっ!?」

 一方でちーちゃんは過剰な反応を示しています。目がグルグル回ってます。

「そりゃあ、ちさきさんは紡と一緒に住んでるんだし、裸も見放題なんだろうけどさ。あたしはこんな機会でもないとイケメン分を存分補充できないんだよねぇ」

「紡の裸なんて滅多に見たことなんてないんだからぁ〜〜っ!」

 ちーちゃん必死の自己弁護。着替えやお風呂の最中にバッタリはそうそうありません。

「…………滅多に」

 美海ちゃんはちーちゃんの言葉の意味を吟味してちょっと冷ややかな瞳になります。

「O.K.分かった。今日は美海のことは放っておいて2人で紡分を補充しよう。そうしよう」

 凪あすで最もヒーロー気質を持つさゆちゃんはちーちゃんの手を引いてお湯の中を移動し始めます。

「だ、だから私は別に……」

ちーちゃんは戸惑いながら付いていきます。ここでのポイントは結局付いて行っていることです。そんな2人を美海ちゃんは呆れた瞳で見ています。

2人は女湯と男湯を隔てている壁の前へとやってきました。木の板に半分に割られた竹が貼り付けられたタイプのやつです。高さは3m以上あります。

「これは登るの無理だから諦めようよ」

 ちーちゃんは壁を見上げながら再考を求めます。壁はちーちゃんの身長の倍ぐらいあります。

「ちょっとした障壁を前にするとすぐに諦めたがる。現代人の若者の悪い癖だよ」

「そうは言われても覗きは犯罪だし」

 ちーちゃんは乗り気ではないので消極的な言葉が出ます。竹に足を引っ掛けて壁を登っていくルートを頭で何度も入念に計算しながらですが。

「あたしが仕入れた情報によると、男湯側には鉄条網が設置されているけど、女湯からは竹に引っ掛けて意外と簡単に壁の上まで登っていけるらしいよ」

 さゆちゃんはネットを使って調べ上げた口コミを披露します。そもそも男湯を覗きたい女性がそんなにいるのか胡散臭いのでかなり信用できません。

「ちさきさんが行かないのなら……あたしが行くっ!」 

 熱血主人公みたいに熱く拳を握り締めながらさゆちゃんが宣言します。それを聞いてちーちゃんは更に脳内シミュレートを進めます。

 

『げっへっへ。まったく、イケメンの裸は最高よねっ!』

『うっうっ。ちさき、俺はもう、こんな辱めを受けてお婿にいけない……およよ』

『ぐっへっへっへ。だったら、あたしの愛人にしてやんよ。そのイケメンであたしを癒しなさいっての』

『分かった。俺の一生はさゆに捧げる。サヨナラ……ちさき』

 

「さゆちゃんにそんな危険な真似はさせられない。私が行くわっ!」

 脳内で色々考えたちーちゃんはさゆちゃんを制します。自分で登ることを宣言します。

「ネットの情報によると、登っていく手順は……」

「紡の裸を見ていい女の子は私だけなんだからっ!」

 ちーちゃんは普段の消極的な姿勢とは異なり手足を引っ掛けながらひょいひょいと壁を登っていきます。何度も脳内演算を繰り返したのは伊達ではありません。

 アグレッシブに壁を攻めてあっという間に右手が壁のてっぺんに掛かりました。

「こう客観的に見ると、やっぱり覗きって犯罪だよね。いけないことだよね」

「自分でけしかけておいて何を今更言ってるのよ……」

 渋い顔をしてちーちゃんを見ているさゆちゃんに白い瞳を向ける美海ちゃん。その美海ちゃんは気付いてしまったのです。

「よしっ。これで後は顔を伸ばせばその先は男湯。さゆちゃんに紡を盗られずに……」

「あっ。紡ったら、もうお風呂上がったみたい。廊下を歩いている」

 美海ちゃんの視界の隅に小さく紡くんらしき人物が歩いているのが見えました。服装がこの旅館に到着した時のものと同じでした。

「えっ? 嘘……」

 ゴールを目前としてしていたちーちゃんは目標を失って急激にやる気を失いました。そしてやる気の減退は、彼女に自分の姿勢の不安定さを知らせてしまったのです。

「きゃっ、きゃぁああああああああぁっ!?」

 バランスを崩したちーちゃんは大きな悲鳴を上げながらお湯の中へと落ちていきました。ドボーンと派手な音が鳴って水柱が立ちます。

「ちさきさんは紡のことになると見境なくなり過ぎ……なにやってんだか」

 美海ちゃんが大きなため息を吐き出しました。

 

「軽く死んじゃいたい……」

 旅館備え付けの浴衣と羽織に着替えたちーちゃんが自己嫌悪しながら部屋へと戻ってきました。小学生ズとは別れて今夜泊まる部屋の方です。

「何で紡の裸を、しかも覗きなのよ……」

 ちーちゃんは旅行のテンションでおかしくなっていた自分に猛省中です。覗きが未遂に済んだのは不幸中の幸いでした。

「そうよ。私は別に紡の裸なんてこれっぽっちも見たくないんだから……」

 ちーちゃんの頬が熱くなります。湯上がりのせいではありません。

「戻ったわよ」

 乱暴に扉を開けながら畳敷きの室内へとズカズカと入っていきます。そして彼女が目にしたもの。

「…………えっ?」

 それは浴衣に着替え直すためにパンツ1枚になっている紡くんの姿でした。

 壁をよじ登ってまで見ようとした、これっぽっちも見たくない紡くんの裸がありました。

「ああ、出たのか」

 紡くんは特に動揺していません。男子高校生的にはさほど動じるシチュエーションではありません。立ち位置が逆で裸なのがちーちゃんだったら紡くんも焦ったでしょうが。

 一方で平然としていられないのがちーちゃんです。紡くんの裸に焦ります。そしてこの部屋で彼の紡くんの裸を見たことであることを意識せざるを得ませんでした。

「今夜、紡と2人きりでこの部屋に泊まるんだよね……」

 ちーちゃんの全身が緊張感に包まれていきます。体温は軽く40度を突破しそうなほど熱くなっています。

「どうした? 呆けてるぞ」

 着替え終えた紡くんが首を傾げています。

「べっ、別に、何でもないわよ」

 ちーちゃんは必死に動揺を隠しながら答えます。けれど、一度意識してしまうと普段のように接することができません。

「どっ、どうしよう……」

 戸惑うちーちゃん。そして特にオチのないまま、シリーズ初の次の話に持ち越しという展開になったのです。

 

 つづく

 

-6ページ-

 

第15話 紡くんとちーちゃんと温泉旅行後編

 

「若くて大変お綺麗な奥さまですね。羨ましい限りです」

「………………はい。自慢の妻です」

 

「凛々しくて素敵な旦那さまですね。奥さまもさぞ鼻が高いかと」

「………………あっ、ありがとうございます」

 

「木原紡、ちさきさまですね。ただいま担当の者をお呼びしますので少々お待ちください」

「あなたぁ、そこの椅子に座って待ってましょう♪」

「ああっ」

 

 夕飯が済み、2人でお土産コーナーを見たりちょっとした散策から戻ってきた頃にはちーちゃんはすっかり木原家の若奥さんになっていました。

「紡の奥さんかぁ……えへへ」

 旅館の従業員たちはちーちゃんたちを新婚夫婦と扱っています。紡くんが宿泊の際に高校生男女宿泊によるトラブルを避けるためにわざと偽って夫婦設定にしたのです。そして夫婦として扱われている内に2人ともその気になりました。特にちーちゃんは上機嫌です。

「あなたぁ〜、そろそろお部屋に戻りましょう♪」

「うん」

 2人並んで手を繋いで歩きながら部屋へと戻ってきます。扉を開けて更にふすまを開けると、2組の布団がピッタリとくっついて敷かれていました。

 それを見てちーちゃんたちは現実へと引き戻されます。

「あはは……気を、利かせ過ぎ、だよね」

 くっついた布団が意味することを想像してちーちゃんの顔が赤くなります。恥ずかしさが喉の奥から込み上げてきます。

「新婚夫婦だと思われているんだ。別におかしなサービスでもない」

 紡くんはいつも通りのポーカーフェイスで答えます。ちなみに紡くんは表情に出難いだけで心の中で色んなことを考えていることはちーちゃんもよく知っています。

 そんな表情を隠すのが上手い同居人の瞳を見つめながらちーちゃんは小さく尋ねました。

「紡はさ、私と本当に新婚夫婦になりたい?」

 ちーちゃんは布団の中央に正座姿勢で座ります。紡くんはちーちゃんの問いにはすぐに答えずに隣の布団の上に同じく正座で座りました。

「このシチュエーションでそういう質問をするのは危険だ」

 紡くんは僅かに目を逸らして言いました。

「どうして?」

「男はみんな狼だ。危険だ」

 ぶっきらぼうに答えます。

「へ〜。紡も危険な狼さんなんだぁ〜」

 ちーちゃんはちょっとフザケたように悪戯な笑みを漏らします。

「やっぱ俺、そっちのソファで寝る」

 紡くんは窓側の板の間の部分に置かれているソファーを見ました。僅かに動揺が顔に出てしまっています。

「いいよ、ここで」

「しかし……」

 渋る紡くん。戸惑いながらもちーちゃんの浴衣姿に何度も目がいってしまいます。

 紡くんが欲望を自覚しつつも紳士を一生懸命貫こうとする態度がちーちゃんにはとても可愛らしく見えました。

「私はさ、確信していることがあるんだ」

 紡くんを見ながら笑ってみせます。

「紡とさ、今夜本当に夫婦になっちゃえば私は絶対に幸せになれるって」

「えっ?」

 ちーちゃんの言葉に紡くんはポーカーフェイスを崩し口が半開きになってしまいました。珍しい驚き顔です。

「私ってさ、ほらっ。自分で言うのもなんだけど、悩んでばかりで前に進めない性格じゃない」

 紡くんは口を閉じて表情を引き締めます。でも、明確な否定をしてこない所に紡くんの認識が垣間見えるようでした。でも、ちーちゃんはそれを悪いとは思いませんでした。自分の性格の一番困った点を紡くんと深く共有できているのですから。

「よっぽどのことがない限り、進めそうにないの……」

 ちーちゃんは自分が座っている布団を眺めます。この布団こそがよほどのことだと謂わんばかりに。

「3年間一緒に暮らしてきて、紡なら私のことを幸せにしてくれるって確信しているの。紡なら私を心から愛してくれるって。大事にしてくれるって。いつも寄り添ってくれるって。紡と結ばれれば私は絶対幸せに暮らせるってね」

 幸せを語るちーちゃん。けれど、彼女の表情には少しだけ影がありました。それを見逃す紡くんではありませんでした。

「ちさき……」

 紡くんからそれ以上の言葉は出ません。けれど、紡くんがあまり喜んでいないのを悟ったちーちゃんは小さく息を吸い込みました。

「今夜紡と結ばれれば私は幸せになれる。汐鹿生のことも、光たちのことも無意識の領域に追いやれるぐらいあなたに夢中になれる。辛いことをみんな忘れて私は大好きな人に夢中な女の子になって幸せになれるの」

 ちーちゃんの言う幸せ。それは彼女ひとりではとても抱えきれない重たいものを忘れた上で成り立つものでした。

「紡は……私のこと、幸せにしてくれる? 幸せにして……欲しいの」

 ちーちゃん、足を崩しながら紡くんに擦り寄ります。そして彼の大きな胸板に頭をそっと寄せました。

「私ね……本当は、汐鹿生のみんなのことを待つのにちょっと疲れてきちゃったんだ。紡はどんどん格好良くなっていくし。紡を他の誰かに盗られちゃわない内に……何もかも忘れさせて私を幸せにしてくれないかな?」

 ちーちゃんは体全体を紡くんに預けました。それは彼女なりの意思表示でもありました。3年という月日はちーちゃんを成長させ、また疲れさせてもいたのです。

 畳敷きの室内に沈黙が訪れます。息を止めてしまいたくなる緊張感を含んだ沈黙でした。その黙りの果てに紡くんはちーちゃんの肩を掴みました。

「紡ぅ……っ」

 ちーちゃんの顔が火照っていきます。彼女は紡が自分を受け入れてくれたのだと思いました。でも、紡くんの答えは違ったのです。

「光たちを忘れることがちさきの幸せだというのなら……俺はちさきを幸せにすることはできない」

 紡くんはちーちゃんの身体を自分から離しました。

「紡は、私のこと欲しくないの?」

「…………欲しい」

 熱っぽく問い掛けるちーちゃんに対して紡くんは素直に答えました。顔が赤いです。

「じゃあ……」

「でも、駄目なんだ。光たちを懸命に忘れて必死に幸せに縋ろうとするのは、駄目なんだ」

 紡くんの瞳が哀の色を帯びます。

「俺の両親は海との関わりの痕跡を必死になって消そうとした。とても熱心に海とは最初からまるで関係がなかったかのように振舞っている。でも俺は、そんな両親の姿に賛同できない。悲しく思えて嫌なんだ」

 ちーちゃんの肩に置いている手に力が篭もります。

「必死になって光や汐鹿生のみんなを忘れようと懸命になるちさきを俺は見たくない」

「でも、私はもう、本当に疲れてきちゃったんだよ。光やまなかを待つことに」

 ちーちゃんは再び紡くんの胸にもたれ掛かりました。体全体を使って訴えます。

「私がこんな風に思うようになったのは、紡がいてくれるからなんだよ。優しい紡がいてくれるからこそ。私は光やまなかのことを考えずに済む時間が減ってきているの」

 ちーちゃんはその綺麗な顔を紡くんにゆっくりと近付けます。

「紡さえいてくれれば、私は他に何もなくても幸せになれるんだよ」

 顔を寄せてそのままキスをする体勢に入ります。

「お願いだから、私を幸せにして……」

 唇を近付けていくちーちゃん。学園祭の時とは違います。今度は唇へのキスです。そしてそのキスは、彼女が彼に全てを委ねるための合図となるものです。

「…………ちさき」

 ちーちゃんのキスは直前で紡くんに止められました。ちーちゃんは驚きの表情を見せます。そんな彼女を紡くんは辛そうな表情で見ています。

「今お前を抱くことは幸せに向かって前に進むことにはならない」

 後1cmまで迫っていた紡くんの顔が段々と遠ざかっていきます。

「紡は私に、この辛さをずっと抱えていろって言うの? 光たちのことをこれ以上覚えているのは……もう、辛いのよ」

 泣きそうなちーちゃんの言葉は普段とは正反対のものです。けれど、それだけ冬眠してしまった人々を覚えていることが彼女にとって重荷になっていることを物語っています。

「ちさきの辛さは俺も背負う。お前ひとりには抱えさせない」

 紡くんの答えは明瞭でした。それは言葉が軽いからではなく、以前からその覚悟を決めていたから。

「光たちのことを無理に思い出す必要はない。でも、無理に忘れようとするのは駄目なんだ。それはちさきを傷つけるから。そんなちさきを見るのは俺も悲しいから」

 紡くんはちーちゃんを正面から抱き締めます。

「俺は、ちさきとずっと一緒にいるから。だから、俺を頼れ。ひとりで苦しまないでくれ」

 言葉足らずの紡くんらしい愛情表現。ちーちゃんの全身が熱くなり、次いで優しい気持ちが全身を包み込んでいきます。

「…………紡にはもっと詩的な愛情表現を学んで欲しいなあ」

 目を閉じて全身を紡くんへと預けながらちーちゃんは要望を出します。

「善処する」

 言葉短く了承する紡くん。その成果は2年後に現れます。

「よろしい」

 ちーちゃんは紡くんの体温と心臓の鼓動をリラックスして堪能します。紡くんの鼓動のリズムはいつもの倍以上に速まっています。

「…………私はさ、紡になら今夜全てを委ねてもいいって本気で思っているんだよ」

 紡くんの心拍数が更に上がりました。それを確認してちーちゃんに悪戯心が芽生えます。

「いいのかなあ?」

「何が?」

「光たちが明日目覚めるかも知れないし、紡よりも格好いい男の人が私の前に現れるかもしれない。今の内に恋人にしておかないと、私を誰か他の男の子に盗られちゃうかもしれないよ」

 紡くんの心拍数がまた一段と上がりました。

「ちさきは誰にも渡さない。光にも、要にも、他の奴にも絶対に」

 更に激しくなる心音。でも、そこでちーちゃんは気付いたのです。最も大きく音を鳴らしているのは自分の心臓であることに。

「私、モテモテなんだね……」

 ちーちゃんが紡くんの背中に手を回します。

「ほんと、紡って格好いいよね。悔しいぐらいに」

「そうか?」

 紡くん、大きく首を捻ります。紡くんは口下手で人を楽しませられない自分を格好いいとは思っていません。

「紡にこんな風に迫られたら、どんな女の子だって落ちちゃうんだろうなあ」

 紡くんの背中に回した手を首の後ろで組み直します。

「紡を誰か他の女の子に盗られちゃうのはやだなあ」

 ちーちゃんは顔を上げて紡くんへと近付けていきます。

「私の方から、紡に唾を付けちゃおっかな」

 紡くんの唇にちーちゃんの唇が迫ります。

「ちさき……?」

先ほどとは雰囲気が違うちーちゃんに紡くんは戸惑って動けません。哀が消え、代わりに艶っぽくなったちーちゃんの魅力に紡くんはクラクラです。

「紡は……一生私のものなんだから」

 そして2人の唇が──

 

「やっほぉ〜〜♪ 遊びに来たよぉ〜〜♪」

 

 重なる直前で乱入者の登場時によって離れていったのでした。

「ちょっと、さゆ。いきなりふすまを開けちゃ駄目でしょ」

「美海の考えるようなエッチぃ展開になんか早々ならないって。ほらぁ〜」

 さゆちゃんが指差した先。そこには板の間部分で腕立て伏せを熱心に繰り返す紡くんと布団の上で化粧道具を整理しているちーちゃんの姿がありました。

「…………逆に怪しいんだけど」

 美海ちゃんは2人が不自然に離れていることを逆に怪しんでいます。勘が鋭いです。

「ヘタレな紡にちさきさんを襲う根性なんてあるわけないっての」

 さゆちゃんは逆に無邪気です。紡くんが実は肉食系かもしれないこと、ちーちゃんが意外と積極的かもしれないという可能性を排除しています。

「2人とも〜暇なんだったらトランプでもしようよ」

「ちょっと、さゆ。2人の夜の邪魔をしちゃ駄目だってばぁ」

「美海は気を回し過ぎなんだよ」

 はしゃぐさゆちゃんと抑え役に回る美海ちゃん。

「トランプ、するか」

「そうね」

 さゆちゃんと美海ちゃんの登場を少し残念に思いながらもホッとするちーちゃんと紡くんなのでした。

 

 了

 

 

-7ページ-

 

特別編 ちーちゃんとちーパパと実家帰省

 

「だから美海、お前が、まなか、お前たちが…………俺の鱗だっ!」

 

 詳細は多少違うかも知れませんが、こんな感じで地球寒冷化の危機はとりあえず去りました。汐鹿生を覆っていたぬくみゆきもなくなり、海村の人々もほとんどが目を覚ましました。その中にはちーちゃんのお父さんとお母さん、ちーパパとちーママもいました。

 汐鹿生の人々が目覚めてから数日が経ったある日の朝、紡くんは居間でお茶を飲んでいたちーちゃんに尋ねました。

「ちさきは汐鹿生の実家に帰らなくていいのか?」

 お茶を飲んでいたちーちゃんが瞬時にして硬直しました。次いで、大粒の涙をポロポロと流し始めたのです。

「何故泣く?」

 突然泣きだしたちーちゃんを見て紡くんは当惑します。

「だって……紡は私のことが嫌いになったんでしょ」

 ちーちゃんは大泣きしながら理由を述べます。

「どうしてそうなる?」

「私のことをもう愛していないから、離婚して三行半を叩きつけて実家に帰れってことなんでしょ」

「違う。俺はちさきを愛している。この想いは生涯変わらない」

「言葉だけじゃ信じられないよぉ」

 フルフルと首を横に振るちーちゃん。そんな彼女を紡くんはイケメン力を全開にしながら力強く抱き締めました。

「俺は生涯ちさきだけを愛し続けると誓う」

 イケメンに熱い告白をされてちーちゃんはクラクラしてしまいます。でも、正真正銘の恋人同士となった今、抱き締めてもらうだけじゃ満足できません。人間は欲張りになるのです。

「キスしてくれたら、信じてあげる」

「分かった」

 照れ顔を見せるちーちゃんの唇を躊躇なく奪う紡くん。一件無害そうな草食系に見せておいて、その実強引な攻めが大好きな肉食系男子です。

 ちーちゃんが窒息してしまうんじゃないかと思うぐらい長いキスの果てにようやく解放されました。

「俺が言いたいのは、汐鹿生が復活したのに全然戻らないからちさきのご両親が寂しがってるだろうと思ってな」

「一応お母さんには電話してるんだけどねぇ」

 目を瞑って考えるちーちゃん。なお、この後の展開的に重要な部分は、ちーちゃんはちーちゃんママ、略してちーママには連絡を取っていますが、ちーちゃんパパ、略してちーパパには連絡を取っていないことです。ちーパパ、寂しさとやるせなさMax Heartです。

「まあでも、今日は日曜で看護学校もお休みだし、実家にお気に入りだったアクセやぬいぐるみなんかも置きっ放しだし、一度訪ねてみるね」

「ああ。ご両親を安心させてやるんだ」

 ちなみにこう述べている紡くん自身は両親とは未だに疎遠です。海を巡る評価で葛藤が続いています。

「それじゃあ、ちょっと出掛けてくるけど、今日の夕飯は何がいい?」

 ちーちゃんは立ち上がってカバン1つだけを持って出掛ける支度を済ませました。

「いや、夕飯って。そんな慌てて戻らなくても。久しぶりなんだし」

「私が紡と一緒に食べたいからいいの」

 ちーちゃんはようやく相思相愛になることができた恋人に微笑みます。それから実家に来訪を電話で短く告げてから木原家を出ました。

 

 ちーちゃんは港に到着すると綺麗なフォームで海の中へと飛び込んでいきます。寒冷化の際には汐鹿生に近付くこともできませんでしたが、今は簡単に海村に入れます。

 ちーちゃんが14歳まで住んでいた比良平の家の前にあっという間に到着しました。

 家の前にはちーパパとちーママが並んで立っていました。

 

 ちーパパLP(ライフポイント) 4000

 

「お父さん、お母さ〜ん」

 手を振りながら両親に近付いていきます。直接顔を合わせるのはおふねひきの日以来、数日ぶりです。

「お帰り、ちさき」

 ちーパパは顔を綻ばせながら娘に合わせて手を振ります。ちーパパは娘溺愛なお父さんです。

「さあ、積もる話は家に入ってゆっくりしましょう」

 ちーママがちーちゃんの背中を押しながら家の中へ入るのを勧めます。

「うん」

 ちーママと並んでちーちゃんは家の中へと入っていきます。

「お邪魔しま〜す」

 そしてちーちゃんは玄関をくぐる際にそう表現したのでした。

 

 ちーパパLP 3700 (−300)

 

「何故にお邪魔します!? どうして他人行儀なんだ!?」

 ちーパパがガクッとバランスを崩して転びそうになります。

「や〜ね、ちさきったら。ここはあなたの家なのにお邪魔しますはないでしょ」

 ちーママはクスクスとおかしそうに笑っています。

「あっ、ごめんなさい。私は木原の家の人間だから、それ以外の家に入る際にはついお邪魔しますって他人行儀に言っちゃうのよねぇ」

「木原の家の人間……ちさきが、娘が離れていく……」

 

 ちーパパLP 3300 (−400)

 

 ちーパパはメガネを曇らせてどんよりしています。けれど、2人は注意を払わずに家に入ります。パパの扱いが極めておざなりです。

「確か紡さんだったわよね。あのイケメン彼氏は今日どうしたの? 見えられないの?」

「紡は今日大学のレポートを纏めるのに手が離せないのよ」

「それは残念だわぁ。お母さん、せっかく気合入れてお化粧してイケメン彼氏に会うのを楽しみにしていたのに」

 

 ちーパパLP 3000 (−300)

 

「お母さん、はしゃぎ過ぎよ。それに紡は私の恋人なんだからね。色目使っちゃ駄目よ」

「あらっ? 私のものは私のもの。娘のものも私のもの。私だって冴えない中年メガネより若くてインテリなイケメンと一緒に暮らしたいわ。お父さんと交換しない?」

「嫌よ。お父さんとじゃ全然釣り合わないもの」

 

 ちーパパLP 2500 (−500)

 

 ちーパパの脳裏にちーちゃんの幼かった頃の日々が蘇ります。

「昔はパパのお嫁さんになるって満面の笑みで言ってくれたのに。母さんも昔は私が世界で一番ステキって言ってくれたのに……」

 都合よく脚色した過去の思い出とコントラストをなす現状がとても悲しいです。その悲しみは憤りとなってお父さんの口から出ました。

「母さんももういい年なんだから若い男を見るぐらいではしゃがない。そしてちさき、父さんは男女交際なんて絶対に許さんぞ……ぶおっ!?」

 

 ちーパパLP 2000 (−500)

 

 ちーパパの顔面にタコとうみうしがヒットしました。ちーママとちーちゃんによりそれぞれ投げられたのです。

 言葉による精神攻撃だけでなく物理攻撃もまたちーパパのLPを削っていきます。

 家に入るだけでLPは半減してしまいました。ちーパパは果たしてこの後生き残ることができるでしょうか?

 

 3人はリビングのテーブルに並んで座ります。ちーちゃんにとってはちょっと面倒な質問タイムの始まりです。

「それで改めて訊くけれどちさきはあのイケメンな紡さんとお付き合いしてるんでしょ?」

「う、うん。正式に付き合い出したのはつい最近だけど。でも、紡はずっと私のことを好いていてくれて、私もなかなか素直になれなかったけど、紡のことがずっと好きで……」

 ちーママの問いにちーちゃんが照れながら答えます。親への恋人報告は恥ずかしくて仕方ありません。でも、報告できる彼氏がいることがとても誇らしいのです。

「父さんは認めんぞっ! ちさきはまだ14歳じゃないかっ!」

「それは私たちが冬眠に入る前のことでしょ。ちさきはもう19歳。大人よ」

 

 ちーパパLP 1700 (−300)

 

 ちーちゃんを盗られたくないないちーパパの訴えはあっさり却下されます。

 目が覚めたら娘がいきなり5歳大人になって、しかも彼氏持ちになっていた。その現実をちーママは好意的に受け入れ、ちーパパは必死に拒否しようとしています。

「それで、お付き合いの方はどうなの? 上手くいってるの?」

 微妙なニュアンスが込められた質問。それを理解したちーちゃんが更に赤くなります。

「そっ、それは……紡も私も、もう大人だから……その、まあ、うん」

 コクっと頷くちーちゃん。詳しくは語りませんが、紡くんは意外と肉食系男子でした。火が点くと止まらないタイプです。そしてちーちゃんは流され系彼女でした。

「男の子の話題をするだけで恥ずかしがっていたちさきがぁ……」

 

 ちーパパLP 1200 (−500)

 

 ちーパパが真っ白になって海の中に溶け出しそうな雰囲気を醸し出す中、ちーママの質問は更に続きます。

「それで、結婚は考えているの?」

 ちーちゃんの顔が最上級形に赤くなりました。モースト赤いです。

「紡が……その、望んでくれるのなら……私は……いつでも……」

「なるほど。ちさきの方はもういつでもお嫁に行く覚悟も準備もできているのね」

「あうぅっ」

 最上級を超えて真っ赤になるちーちゃん。

「結婚相手はお父さんじゃないのか……」

 完璧に真っ白になるちーパパ。

 

 ちーパパLP 700 (−500)

 

「ちさきはまだ14歳なのに……14歳なのに……まだ年端も行かぬ娘なのに……」

「だからそれは私たちが冬眠する前の話でしょ。もう5年も昔のことよ」

 ちーパパがブツブツ言っていると、電話がジリンジリンと音を鳴らしました。

「あっ。私出るね」

 ちーちゃんが電話の受話器を持ちます。そしてごく自然に名乗りました。

「はい。木原です」

 

 ちーパパLP 400 (−300)

 

「ちさきはこれから嫁ぐんじゃない。もう嫁いでいるのと同じだったわね。クスス」

 ニコニコ顔のちーママ。

「でもね、ちさき。そこは旧姓で言ってくれないと」

「あっ、そうだった。はい、比良平です。最近、電話では木原としか名乗ってなかったから間違えちゃいました」

 

 ちーパパLP 100 (−300)

 

 ちーパパにはもう残りLPがほとんどありません。後一度でも精神、又は物理攻撃を受けてしまえば終わってしまいます。

「ちさき……私たちが知っている頃と比べて本当に表情が活き活きとするようになったわ。とても幸せな毎日を送っているのね。良かったわ」

 ちーママの感想にちーパパは一言も発することができません。

「ほら、あなたからもちさきに何か言ってあげて」

「分かった」

 お父さんは妻からの言葉を最後の攻撃指令の合図と捉えました。

「父の本気を娘に示す時がきた」

 悲壮な覚悟を固めて愛娘と向かい合うことにします。ご近所さんからの電話を終えたちーちゃんが席へと戻ってきます。

「ちさきよ。父さんから重要な話がある」

「重要な話?」

 ちーちゃんが首を傾げました。ちーパパの話を聞いているのは確かです。それを確認してちーパパは最期の訴えに出ました。

「父さんは紡とかいう陸の優男との交際を絶対に認めん。結婚などもってのほかだあっ!」

 唾を吐き飛ばす勢いで熱く吠えるお父さん。

「ふ〜ん」

それに対してちーちゃんはこれまでちーパパが見たことがないぐらいに冷たい瞳を返しました。絶対零度のいてつく瞳です。

「うっ」

 お父さんはビクッと背筋を震わせました。娘が怖いです。無茶苦茶怖いです。でも、娘をイケメンに取られてしまいたくないので徹底抗戦を続けました。

「大体、海の者と陸の者が結ばれることは掟で禁止されている」

 ちーちゃんは無表情に冷えきった瞳でお父さんを見ているままです。

「掟がなくても、陸の者と一緒になるなんて父さんは許さんっ!」

 ちーちゃんは無言のまま。何も喋らない所に多大なプレッシャーを感じますが、お父さんはもう止まるなんてできません。

「それにイケメンなんて、他所で大勢の女と付き合っているに決まっている。父さんの顔の良さには及ばんがな」

 ちーママも冷ややか過ぎる瞳でお父さんを見ています。

「そしてインテリなんて、人の気持ちが分からない冷血漢の集まりだ。ちさきが不幸になるのは目に見えている。父さんはインテリの証であるメガネを掛けているが稀有な例外だ」

 比良平家のリビングに沈黙が走ります。

「とにかく、あんな男との交際も結婚も絶対に認めんっ! 絶対絶対認めんぞ〜〜っ!」

 お父さんは最後まで言い切りました。プレッシャーに耐えながら必死に言い切りました。でも、それはちーちゃんに怒りを注いで自分自身を破滅へと追いやるだけでした。

「言いたいことはそれだけ?」

「えっ?」

 ちーパパが俯いていたちーちゃんの変化に気付いた時にはもう手遅れでした。

「私のことは悪く言われたって仕方ない。いつもウジウジして大事なことに躊躇してばかりだから。……でもね、紡のことを悪く言うのは許さないんだからぁ〜〜〜〜っ!」

 今までツンドラに徹していたちーちゃんが活火山へと変化したのです。

「何が掟よっ! そんな掟もうないし、そもそも掟があった時からほとんど守られてなかったじゃない! お父さんなんかより紡の方が100倍、ううん、1万倍素敵な男なんだから惹かれるのは当然のことじゃないのっ! それに紡はクオーターよっ!」

「紡さん、類を見ないほどのイケメンだものね♪ ただしイケメンに限るわよね」

「ぶおっ!? ちさき……母さんまで……」

 

 ちーパパLP 0 (−100)

 

「お父さんが結婚を許可してくれないんなら、許可なんて取らないわよ。お父さんが大事にしている掟に従って追放されてやるから、もう2度と顔も見ないんだからあっ!」

「お母さんもちさきに付いて陸に上がろうかしら? 紡さん、同居は大丈夫かしら」

「………………っ」

 

 ちーパパLP 0 

 

「紡はね、中学高校と学校で一番人気の男子だった。でもね、私のことをずっと好きでいてくれて、ハッキリした態度を見せない私のことをずっと待っていてくれたの。その紡を遊び人扱いするなんて誰であろうと許さないんだからあっ!」

「紡さんは一途な方なのね。でも、大人の女の色気で迫ればどうかしら? ふふふ」

「………………っ」

 

 ちーパパLP 0 

 

「そして紡はね、汐鹿生のみんなを救うために海洋学の専門家を志したのよ。紡はとっても温かい人なの。紡がいなかったら、私や光はいつまでも汐鹿生に入れずにお父さんたちが目覚めることもきっとなかったんだからあっ!」

「紡さんは私たちの命の恩人なのね。年甲斐もなく惚れてしまうわ♪」

「………………っ」

 

 ちーパパLP 0 

 

「と、とにかく私はもう紡の事実上のお嫁さんなんだから……認めてくれないのなら、もうこの家に戻って来ないんだからね。私はもう、子どもじゃないんだから」

 ちーちゃんはお父さんへの不満を吐き出しきりました。年頃の娘とお父さんの関係は大変です。さて、ちーパパの反応は……。

「………………っ」

「ちさき、お父さんのライフはもうとっくに0よ」

 ちーママの声にちーちゃんがちーパパへと顔を向けます。

 

 ちーパパLP 0 

 

 全くの無反応。けれどそれから少しの間を置いてお父さんの姿は海神さまのように泡となって水の中に消えていきました。お父さんキャラ立ての唯一のアイデンティティと呼べるメガネだけを残して。

「あっ、お父さん。泡になって海に溶けちゃった」

「数日間海の中でイジケたらお腹を空かせて元に戻るでしょ。放っておきましょう」

 ちーちゃんもお母さんも動じていません。冬眠、そして目覚めを迎えた汐鹿生の人々にとっては非日常が日常になっています。泡となって消えるぐらい平然と受け入れます。

「さてと、話も済んだし、そろそろ紡の元に戻ろうかしら。夕飯は木原家で食べるって約束してるの」

「じゃあお母さんも一緒に行って、ご挨拶がてらお夕飯を作るわ。主婦歴の差が生む味の差をちさきに見せてあげるわ」

 2人はちーパパのことを気にせず比良平家から出て行く準備を進めます。

「私だってこの5年でお料理上達したのよ。紡だって毎日美味しいって言ってくれるし」

「あらあら。紡さんはまだ本当の料理の味を知らないようね。お母さんの料理の虜になってもらおうかしら」

「もぉ。いい年して紡に変な色目を使うのは本当に止めてよね」

「ちさきは紡さんを私に盗られてしまいそうで怖いのね。ふふふ」

「そんなわけがないでしょ」

 母娘が仲良く並んで家を出ていきます。ちーパパだったメガネをテーブルの上に置いたまま。

 今日の木原家はいつになく賑やかになりそうなのでした。

 

 了

 

 

 

 

 

 次回予告

 

海を漂う意識となったちーパパは海神が荒ぶるようになった本当の理由を知る。

 

『むやみに話し掛けないでしょ。関係者って思われたら嫌でしょ』

『お父さんの服と一緒に洗濯しないでって何度言ったら分かるのよ?』

『お父さん、今度この人と結婚することにしたから。以上報告終わり』

 

 妻であるおじょしさまを地上に返してしまった海神は娘との円満な関係を築くことにとことん失敗していた。妻を地上に返したことを責められ、邪魔者扱いされることで負のオーラを際限なく貯めていった海神。

 いつしか海神は反抗ばかりする娘とその娘の心を容易に掴んで掻っ攫う陸の男を憎むようになっていた。そして怒りに駆られた海神は陸と海の者の間にできた子どもにはエナを与えないようにすることで娘を間接的に海から追放した。また、地上の者が海の者と容易に接触できないように種々の戒めを作り上げた。

 汐鹿生の誰も知らない裏の真実。海の意識と一体になったことでちーパパはそれを垣間見た。そして娘とその夫に対してふて腐れる海神の心と激しく同調を果たした。

 海神の力を身に付けて復活を果たしたちーパパはちさきと紡のいる木原家へと押し掛ける。神の力を用いて2人の破談を目論むちーパパ。

 だが、幾ら神の力を身に付けようとイケメンと美女の相思相愛カップルの前には無力だった。

 紡の『イケメン・フラッシュ』で神の力を全て無効化され、ちさきの『この人と結婚します』宣言に涙を流しながら駆け去るしかなかった。

 ちーパパの敗北に海神の意識は自分のしてきたことの虚しさを知った。そしてそれ以降海と陸の者が結ばれることにとても前向きになったという。

 ちーパパの身を挺した活躍により海と陸はまた一歩近付いた。海神を改心させたちーパパの功績は広く讃えられ、鷲大師と汐鹿生に銅像が建てられた。デートの待ち合わせスポットとして若者たちに大人気だと言う。

 こうしてちーパパは陸と海の恋の橋渡し人として長い間人々に語られることになったのだった。

 

 めでたしめでたし

 

 

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pixivで掲載していた凪あすの紡ちさき短篇集その3 11話〜15話+特別編
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