さくらの夏 |
「…暑い…」
ゆっくりと体を起こす。
額には汗が滲み、口元にはよだれ…
頬には畳のあとがしっかりと刻まれていた。
どのくらい寝ていたのかは分からない。
朝起きた後、甲子園のTV中継をぐだぐだ見ていたのまでは覚えている。
ただあまり野球に興味もないのでそのまま寝てしまったのだろう。
風に吹かれ風鈴の音がなる。
この音により涼しく感じる事が出来るとか昔の人は言ったそうだ。
だが暑いものは暑い…旧式の扇風機が唸りながら首を横に振っているが
生温かい風を運んでくれるだけだった。
周りには誰も居ない。
あたりを見回してみるとテーブルの上の紙に気づいた。
『みんなで出かけてきます。お昼は適当にすませてください。―母より』
なるほど…取り残された。
「ぐぅ…」
お腹が恨めしそうに鳴る。
このままここに居てもラチがあかないので
ゆっくりと立ち上がり食糧確保のために台所へ―
ギシギシと鳴る廊下を超え冷蔵庫にたどり着いたのだが…
「何も入ってねぇ…」
冷蔵庫の中にあるのは麦茶とビールだけだった。
とりあえず麦茶を飲みながら解決策を考える。
「とりあえず…飯買ってくるか…」
飲みほした麦茶のコップを流し台に置き、廊下を通りふたたび居間へ。
大きなカバンの中から財布を取り出して玄関へ向かった―。
・−・
ばぁちゃんの家に来て3日が経った。
昔は近くに住んでいて一人っ子で家に帰っても誰も居ない事が多かった事もあり、
学校が終わってはばぁちゃんの家に行っていた。
犬を飼っていたので散歩に行ったり、一緒に遊んだりしていた。
当時の事はあまり覚えていないが楽しかった記憶だけは残っている。
5年前に引っ越しをした。
すごく遠くに行ってしまったため、ばぁちゃんの家に来たのは引っ越し以来だった。
こっちに来てすぐ犬と遊ぼうと思ったのだが、寿命でもう死んでしまったらしい。
初日はその事ですごくヘコんだ。
だが3日目となるとそれも薄れていた。
いくら自分が悲しんでも帰って来てくる訳ではないのだから
・−・
「あひぃ…」
昼下がりの太陽の下でスイカの形をしたアイスをくわえながら呻く。
Tシャツにハーフパンツにサンダルといった涼しい格好なのだが
夏の陽気の元では太刀打ち出来ないらしい。
汗をだらだらと垂らし、インスタントラーメンが入った袋をぶら下げながら
今来た道をトボトボと歩いて帰る。
「…ん?」
道の途中で見知った顔を見かける。
「あ!コータにーちゃん!いいところに!!」
「どしたのアキラ?」
イトコのアキラとその友達2人がコチラに助けを求める視線を向ける。
アキラに抱きついてる白い帽子の女の子が居る…がこちらにはまだ気づいてないようだ。
どういう状況かはわからないが…なんてうらやましい…。
「いや僕もよくか分からないんだけど…」
「しかしお前…小3だろ?ナンパなんて早すぎだろ…」
「違うよ!そんなつまんないボケはいいから助けてよ!にーちゃんの知り合いなんでしょ?」
「は?」
小学生につまらないと言われた事に若干凹みつつアキラの言葉を意味を考えるが―。
「ねーちゃん!コータにーちゃんはあっち!
さっきから何度も言ってるけど僕はアキラだよ!」
アキラが白い帽子の女の子に抱きつかれている両手を無理やり引きはがす。
「えー?キミ、コータじゃないの?」
「そう!コータにーちゃんはあっち!」
アキラに力強く指さされ、女の子の視線がコータを捉える。
最初はふてくされていた顔がみるみるうちに笑顔に変わる。
「コータぁ!!久しぶりー!」
次の瞬間白い帽子が中を舞う―。というか女の子も宙を舞った―。
「ちょ…!」
スゴイ勢いで女の子に抱きつかれた。
勢いあまって体勢を崩し、その場に座り込んでしまった。
「…んじゃにーちゃん!そういうことでっ!ヨっちゃん、ヒロ君行こう!」
「う…うん」
そう言うと3人は逃げるようにその場を走り去ってしまった。
残されたのはポカーンとした表情のコータと嬉しそうな女の子。
「あのー…ちょっと離れてもらっていい?逃げたりしないから…」
「うん!わかった!」
ようやく体が自由になった。女の子の顔を見つめる。
茶色掛った肩くらいで切り揃えられた髪、爛々と輝く大きな瞳―。
だが記憶の中に一致するものはない。
顔をみても誰かが思い出せないのだ。
昔の知り合いだろうか?
思い出そうと努力はしてみたものの何も出てこなかった。
「申し訳ないんだけど…誰だかわからないや…人違いじゃない?」
「…そっかー」
すごく悲しそうな顔をする女の子がうつむいて黙ってしまった。
「…あー」
空気に耐え切れなくなり、意味もなくうめく。
「えーと…名前は?名前聞けば思いだすかも!」
「さくらだよー…」
さくら…残念ながら記憶の中の知り合いにはない名前だ。
ただ初めて会ったハズなのに不思議と懐かしい感じがした。
本当に知り合いなのかもしれない…
「んーダメだ…やっぱり思い出せない。ごめんね」
「そう…コータは薄情なやつだなぁ…」
「あ〜…さくら…さんは覚えてるんだよね?なんかもっとさ…ヒントとかないかな?」
泣きそうな顔を見せられ焦る。
必死にいろいろ考えるが何も浮かばない。
「さくらで…いーよー…。」
うつむいたままのさくらが地面を指でつついている。いじけているのか?
「ん〜…じゃあさくら、一緒に行った場所とか行ってみるのはどうかな?」
「!」
勢いよく顔が上がる。
「えっと…ダメかな?もしかして忙しかったりした?」
「全然忙しくない!もちろんいいよ!お散歩しよう!」
両手を突き上げるさくら。すっごい笑顔でこちらを見ている。
本当に知らない人なのだろうか?
こんなに屈託のない笑顔を向けられるような関係であったのなら
少なくとも話した事くらいはあるはずだ。
本当に人違いなのだろうか?
さくらが会った事があると言ってるのが本当であったなら
…自分は何故忘れてしまったのだろう…。
「コータ?どうしたの?…おこってる?」
飛んだ帽子を拾って頭にかぶりながら、さくらがまた泣きそうな顔で聞いてくる。
「いや…怒ってないよ。ただちょっと…」
「ちょっと?」
「…なんでもない。」
「あー!やっぱ怒ってるだ!だってアレ…」
「アレ?」
さくらが指さす先にはアスファルトに落ちて蟻の餌食となっているアイス。
「ああ…オレのアイスが…って、今はそんなんで怒る気もないよ。」
「そっかぁ…コータも大人になったんだね…昔だったら泣いてたかもしれないのに。」
「大げさだなぁ…」
深くうんうんと頷くさくら。変なところで感心されている。
この口ぶりからすると本当に自分の事を知ってる人のように思えた。
「よし!それじゃあどこか行こうか。行くところは任せるよ、さくら。」
「うん!」
元気のよい返事。
自分の手を掴むと意気揚々と歩き始める。
モヤモヤと頭の中で考えるのはもうやめた。
さくらが人間違いをしていようがいまいがどっちでもいい。
どうせヒマなんだし可愛い女の子と一緒に居れるならそれでハッピーだ。
今の状況を楽しまないともったいない。
それに…もしかしたら途中で何か思い出すかもしれないしね。
・−・
「ここの風景も変わらないな…」
田んぼに挟まれる細い道を今は歩いている。
車も通る事は出来るが、すれ違うには苦労するくらいの道幅だ。
交通量は全然少ないので今はさくらと二人で道の真ん中を歩いている。
「へへ…懐かしいなー。前もこうやってコータと一緒にここ歩いてたんだよ?」
ニコニコと笑顔を向けられる。
「へー…そうなんだ。」
覚えがないので曖昧な返事しか出来ないのが良心に響く。
ここに来ても特に何か思い出したことはない。
何かヒントを引き出せればいいのだが…。
「でも前はねー。一緒に歩いてはいたけどあんまりおしゃべりはしてないかも…
コータはオタマジャクシとかタニシとかに夢中だったからなぁ…」
「ちょっと待った…何年前の話だそれ…」
「んーコータがアキラ君くらいの歳の時だと思うよ。
アキラ君が当時のコータにそっくりだから間違えちゃったよ。
成長期だから大きくなるのは当たり前なのにね〜。失敗失敗。」
「はは…小学生ならそれはあるかもしれないね。
俺がアキラくらいの歳の時って事は…さくらに会うのは5〜6年ぶりって事になるのか…。」
「おー…そんな久しぶりなんだ…コータもおっきくなるわけだ。」
腕を組みうんうんとうなずくさくら。
「でも…ここも変わらないよねー。コータと一緒だった時と何も変わってない。」
「まぁ田舎だからね…さっき行ったスーパーも当時のまんまだったし
というか当時より寂れてた感じはあったな。」
「あははー。私はこーいう感じの場所のほうが好きだけどなー。
といっても都会に行った事ないんだけどねー。」
他愛もない話をしながら細い道を歩く2人。
時々通る軽トラックに道を譲ったり、田んぼの中に入りオタマジャクシを捕まえたりした。
何をやるにも笑顔の絶えないさくらを見ていると当時に戻ったようで自分も楽しくなってきた。
一緒に居て違和感を感じなかった。気を遣ってる感じもない。
5年前ここに居た当時の友達の中にさくらが居たのかもしれない。
そんな事を考えていた。
「あ―。」
手をかざすさくら。
「雨だ。」
言われるままに手をかざすと雨粒が落ちてきた。
ポツポツと雨が降って来ているがまだ本降りじゃない。
「このままじゃ濡れちゃうね〜。どっかで雨宿りしないと…」
「じゃあこの先に橋があるからそこの下に行こうか―。」
「うん!」
勢いよく手を引かれる。
「ちょ…待っ!」
バランスを崩しこけそうになりながらも必死で堪えるが―。
「ほら!早く行こ〜。濡れちゃうよ?」
さらに追い込むように手を引く力を強める。
こちらを向かず前だけを見ているため、こっちの状況がわかっていないようだ。
「くっ…!」
こける訳にはいかない。
絡まりそうになる脚に力を込め、なんとか体勢を立て直す。
「ほらほら〜早く〜。」
楽しそうな声で急かされる。
それに答えるように走る。
・−・
―ザー―。
「ちょっと濡れちゃったね〜。」
橋の下にて雨をやり過ごそうとしている二人。
本降りに変わった夕立が橋を叩く。
若干服が透けて居て目のやり場に困る。
「あ、あーそうだね。まぁすぐ止むでしょ。」
「ちょっと休憩ーって感じかな。」
手を組んで軽く伸びをするさくら。そのまま座ってしまった。
立ってるのもなんなので同じように横に座る。
「コータぁ覚えてる?ここもよく一緒に来てたんだよ〜。」
膝を抱えて笑顔で続けるさくら。
「コータ覚えてる?よくここでボール蹴ってたよね?」
「あー確かに・・・橋の下に向かってよく蹴ってた・・・。」
「たまに外してボールが川に流されてたりしたんだよねー。なつかしいなぁ…」
「そんな事もありましたね・・・」
すごく恥ずかしくなった。
「でもここってカヌーの練習してる人多かったからボール流れても拾って貰えてたよね。」
「そうでしたね…」
過去の苦い思い出が蘇る。
毎度ボールを取って貰えはするのだが、その度に軽口を叩かれるのだ。
その度に恥ずかしい思いをしてた気がする。
今では軽く受け流せるような言葉でも当時は結構辛かった気がする。
それでもこの場所が好きだからよくここで遊んでいた。
「私はここが大好きなんだー。コータは?」
「そうだなー。いろいろ言われて恥ずかしかったような思いもしたような気もするけど大好きだったなー。
今考えるとちょっと不思議・・・。」
なにかが抜けてる気がする―。
記憶の中には確かに何かあるのに・・・もやが掛ったように思い出せない。
待てよ・・・?でもこれって―。
「あー。雨上がったみたいだねー。よいしょ・・・っと」
勢いを付けて立ち上がるさくら。自然と見上げる形になり目と目が合う。
そして訪れる沈黙。
「・・・?」
「・・・なるほど。コータはいつもこういう感じで私を見てたんだね・・・」
「え―?」
―ドーン!!!―
「うわ!!何の音?!」
「花火・・・のリハーサルか?・・・そういや今日は夏祭りの日だったな・・・」
いつの間にか雨が止んでおり、目に見えるのはオレンジ色から薄紫色に変わる景色。
暗い色がどんどん強くなり辺りは闇に包まれ始めていた。
「この時期の謎の音の正体はアレだったんだのかぁ…ねぇ!ねぇ!コータ!なにか始まるの?」
「ん?花火だよ。見た事ないの?」
「音はいつも聞こえてたんだけど建物が邪魔で見えなかったんだよ!
遠くで何かチカチカしてたのは知ってたけど・・・」
「家の中からって事?出店とか行く時見えたりすると思うけどなぁ…」
「出店?」
「そう。かき氷とか金魚すくいとかあるでしょ?」
「カキゴーリ?キンギョスキイ?」
「・・・行った事ないのね。珍しいなぁ・・・それじゃ神社でやってるから行ってみる?」
「うんっ!!神社だねっ!!!」
ギュッと手を掴まれる。
さくらの視線のはるか先には神社があり、そこに向けて全力で走り出す。
当然コータも道連れにして。
・−・
「うわあ…きれい…」
「ハァ…ハァッ…ゴホッ!ゴホッ…」
小高い丘の上にある神社まで全速力で走ってきた二人。
さくらはお祭り特有の雰囲気に興味津々といったところで、コータのほうは息切れでそれどころではない様子。
出店が放つ提灯の光の橙色と白色に夜の神社は染まっている。
キョロキョロと辺りを見回しながら目を爛々と輝かせるさくら。
神社の境内に立ち並ぶ出店をじっと見つめている。
「ねぇねぇ!コータ!人いっぱい居るよ!わたしこんなにいっぱい人見たの初めてかも!」
「ゴホッ…はぁ?…まぁお祭りだからね…人は集まってくるさ。
それにこの後花火も上がるし、今よりもっと増えると思うよ。」
「そうなんだ!お祭りって凄いんだね!」
「よくわからないところでテンションが上がるなぁ…僕も初めて来た時はこんなんだったのかな…?」
「ねぇ!コータ!あれ何?」
一番手前の出店を指差しながら大声で聞いてくるさくら。
瞳を輝かせながらバシバシとコータを叩く。
「あぁ…あれはかき氷だよ。お祭りといったらかき氷!って言うぐらい祭りに欠かせない物だよ。
食べた事ないなら食べてみる?」
「うん!!!」
「OK。おじさん!かき氷2つください。味は…メロンといちごで。」
「あいよー。2つで300円ね。」
古めかしいかき氷機がゴゥンゴゥンと音を立て氷を削っていく。
ペンギンのマスコットの書かれたカップに盛られていく氷。
鮮やかな赤と緑のシロップを並々とぶっかけられてからスプーンストローを刺して手渡された。
おじさんの手の動きを真剣な表情で見守っていたさくらだったが、コータの元にかき氷が渡ると笑顔が溢れた。
「あ、ボウズちょっと待った。一旦返してみな。」
「あ…はい。」
おじさんにかき氷を渡すコータ。その横で凄く悲しそうな表情をするさくら。
「これはサービスだ。おめーら仲良く食べるんだぞ。ほれ。」
おじさんは横に置いてあった練乳をかけて再び渡してくれた。
「あ…ありがとうございます。さくら、よかったな。」
「うん!おじさんありがとう!」
「いいってことよ。」
再び表情が笑顔に戻る。
石階段に二人並んで腰かける。
「どっちがいい?」
「赤いほう!」
「いちごだね。」
手渡されたかき氷をまじまじと見つめたまま固まってしまった。
その行動に苦笑しながら食べ方を教えるコータ。
「このストローですくって食べるんだよ。」
さくらにわかるように大袈裟に手本を見せる。
「こう…?かな」
「そうそう。そんな感じ。美味しいでしょ?」
「冷たくて甘くて美味しいね!こんな食べ物初めて食べたよ!」
満面の笑みを浮かべ、かき氷を食べるさくら。
「あ…でもそんなに急ぐと…」
「うっ!…」
急に動きが止まり見る見る表情が変わっていく。
「頭痛いー!…あー…」
キュっと目を瞑り片手で頭を押さえる。
「あはは。かき氷は急いで食べるとそうなるもんなんだよ。
でもこれを治す方法もあるんだよ。」
そう言いながらコータが持っていたかき氷を差し出しさくらのおでこに当てる。
「うー…あれ?痛みが…引いて行った?コータ凄ぉい!お医者さんみたいだ!」
「昔、TVで言ってたのをたまたま覚えてただけだよ。焦って食べなければ頭も痛くならないよ。」
「はーい。」
二人並んでかき氷を食べながら人々が通りすぎるのをぼーっと眺める。
子供連れのお父さんや、友達と来ている中高生など様々な人がここの神社に集まっているようだ。
さくらはそんな人々など目もくれず、かき氷をパクついている。
コツを掴んだのか頭痛は起こしていないらしい。
「美味しかった!ねぇ…コータ次は何するの?」
「そうだなー…どうしよう…って…ど、どうしたの?」
もの凄い近くまで顔を近づけるさくら。思わずドキドキしてしまった。
「クスクス…コータ。ベロが緑色だよ。あはは。」
「あー。かき氷食べるとそうなっちゃうもんなんだよ。」
その後も、焼きそば、焼きトウモロコシ、リンゴ飴、綿あめなど…出店を回りながら食べ歩く。
金魚すくいや射的などその全てのもので大はしゃぎのさくら。
リアクションが良かったのか楽しんでもらってるのが嬉しかったのか…行く所行く所でオマケを貰っていた。
「あー楽しかった!お腹もいっぱいだし、お土産もいっぱい貰っちゃったね!」
「よく食べるよなぁ…僕はもうお腹いっぱいだよ…」
「あははーよく食べてよく寝るとよく育つんだよっ!」
「はいはい…そーですね。」
ニコニコと上機嫌なさくらの顔を突然光が照らす。
―ドーン!!!―
遅れて音が聞こえてきた。
「何?!」
「あー花火が始まったんだよ。」
周りの人も皆同じ方向の空を眺めている。
その先の大きな大きなオレンジ色の花火が広がった。
「うわぁ…きれい…」
大きく咲いた花火を眺めながら微笑むさくら。
今日一日一緒にいて初めて見た表情だった。
まだ何も思い出せていないけども、僕はさくらの事がすごく気になっていた。
ただ、単純に…もっとさくらの喜んだ表情がみたくなった。
「さくら。実はもっとよく花火が見える秘密の場所があるんだ。
ここだと低い位置で上がる花火は見れないでしょ?
だからそこに行ってみない?」
「ホント?!行く行く!」
そういってさくらの手を引いて神社の境内から移動を始めた。
「あっ…えへへ〜。」
「ん?どうしたの?」
「なんでもないよー。ちょっと昔を思い出して嬉しかっただけ。」
「ふーん。まぁ人多いからはぐれないようにね。」
「うん!」
人ごみを縫うようにかき分けて人の足を踏まないようにゆっくり進む。
ある程度行くと次第に人も少なくなり、お祭りの光も遠くなっていった。
打ち上がる花火だけが地面を照らす。そんな中手を繋いだままの二人はゆっくり歩いて行く。
・−・
「ここから階段だから気を付けて。草も沢山生えてるから足取られてコケないようにね。」
「はいはーい。でもコケる時はコータも道連れだよ。うっしっしー。」
「あはは…それは遠慮して欲しいな。」
幅の狭い石階段のそこら中から草が生えてる事もあり、油断すると足を取られて転げ落そうになる。
そもそもこの階段を使う人が少ない為、そういう手入れもされていないようだ。
この階段の先にあるのはホントに小さいため池のみ。
そんな場所に行く人も居ない為、町の人も存在すら知らないと思われる。
ただし、一部の子供達にはある理由で知られていたりもする。
「コータ。コータはなんでこんな場所を知ってるの?私この町に住んでるけどこんな所来た事もないよ?」
「ふっふっふ。それはねー。」
ちょっと怖い顔をしてもったいぶってみるが、さくらの方はきょとんとしている。
「…あー。ここはね…地元の男の子の秘密基地の聖地なんだよ。
誰も知らない場所…何かが居そうな謎の池…当時はそれだけでそそられたんだろうね。
行き過ぎたやつはその辺の木を切って、小さい家みたいな物作ったりしてる世代もあったらしいよ。
噂だけどね。」
「えー!家って…全然知らなかった…」
「あははー。秘密基地だしね。おっ…着いたよ。」
階段の途中からけもの道に入りちょっと行くと視界が開けた。
ちょっとした広場がそこにあり、空に広がる花火が見渡せる絶景のスポットだ。
落下防止の為か石の間に錆びた鉄の棒を突っ込んだ柵が立ててある。すごく古い感じだ。
あまり近づくと危ないかもしれない。
「…すごい…。」
花火を見上げ微笑むさくら。
「コータ…ありがとね。」
笑顔を向けられるが、ちょっとさびしそうにも見える。
周りに灯りがないのでそう見えたのかもしれない。
「うん…。」
僕はそれ以上何も言えなかった。
さくらはただ静かに花火を見上げている。
花火が上がるたび明るくなる。うっすらと目が潤んでいるようにも見える。
僕は花火より、さくらのその表情が気になってそっちばかりを見ていた。
―ドーン!!!―ドドーン!!!―
特大の花火が夜空に咲き誇る。
そろそろ花火も祭りも終わりを迎える時間。
空からの光がなくなった為、周りは本当に真っ暗になってしまった。
さくらの表情も見えない。
「花火…キレイだったね。」
「そうだね。お祭りのメインだからこれ目的で来る人も居るくらいだよ。」
「そうなんだー。」
声だけだと相手の感情がわからないのがもどかしい…ただ若干トーンが低いような気もした。
何も言わず手をさくらのほうに差し出す。
その手に軽く触れるさくら。離れないように強く握り返すコータ。
「さぁ帰ろうか。ここにずっと居るのも何だしね。」
「うん。」
足元があまり見えないので、携帯のライトをかざしながら降りてきた階段を境内へ向け上って行く。
しっかりと踏みしめながら焦らずに。
「コータ。」
「うん?」
「私の事…思い出して…くれた?」
「正直…思い出せては…いないかな…。」
何故かこの時は嘘をつけなかった。ついてはいけない気がした。
「そっ…かぁ…」
声のトーンが落ちる。
「でもっ!昔の記憶は思い出せないけどっ!…一緒に居たいとは思った。
今日いろいろな場所を回ってみて、楽しかったし。
それに…もっといろいろな所に行けば思い出すかもしれないし…」
違う。こんな事が言いたいんじゃない。
「あははー。そうかもねー…」
「うん。きっとそうだよ。」
…そこからは沈黙しかなかった。境内に着くまで重い空気。
虫の鳴き声だけが鳴り響く中、境内に着いた。
花火が終わって時間が経っていることもあり、ほとんど人は残っていなかった。
出店も簡単に閉めているだけだ。たぶん明日の昼間に片付けるのだろう。
そんなことを考えていたら背中にさくらの頭が当たる感触がした。
びっくりしてしばらく硬直していると―。
「こぉ…たぁ。」
「泣いて…いるの?」
振りむく事が出来きない。そんな言葉しか掛けてやれない。
「違うの…今日ね、すっごく…ホントにすっごく!楽しかったの。
久しぶりにコータに会えて、昔みたいに一緒に歩けて、いろんな景色見て…。
お祭りでいろんなもの食べて遊んで、綺麗な花火まで見れた…。
こんなに幸せだと思った事…昔コータと一緒に遊んでた時以来だよ。
でもね…もう時間がないんだ。…もう…おわっちゃ…うんだぁって思って…グスッ…」
額に手を当てコータの背中にもたれかかる形でさくらが告げる。
ポロポロと涙をこぼしながら、溢れ出る感情を抑えられず嗚咽が聞こえる。
「でも!…また明日…明日も今日みたいにいろんな所行けばいいんだよ。
僕も楽しかったし、さくらも楽しかったならそうすればいいんだよ。ね?そうしよ?」
両手で目をこすっているさくらに向き直り、肩に手を当てながら優しく話しかける。
「…そう…だねぇ…また明日会えるもんね…」
「そうだよ。場所…場所を決めよう!今日行ったあの橋の下とかどうかな?
お昼すぎ…2時くらいで。」
「あの場所。大好き…なんだぁ…そこでいいよ。」
ぐしぐしっと手で涙を拭くさくら。顔を上げて笑顔を見せてくれた。
満面の笑顔とはいえないけど…笑顔を見れた事で僕は安心していた。
「よし!それじゃあ今日は解散だね。
さくらはどの辺に住んでるの?送って行くよ。」
「あー。私はお迎えが来るから…ここの神社の入り口の階段降りた所でいいよ。
多分もう…居ると思うから。」
「そうなんだ…」
「うん。そこまで手ー繋いで歩こっ!」
差し出された右手は涙の跡で濡れていた。
出店のライトでキラキラと光るさくらの右手。
その手をそっと左手で掴んで、神社の石階段を下りて行った。
・−・
階段を下りた先には、真っ黒のセダンと夜なのにサングラスを掛けた
ガタイのいい黒スーツの男がさくらを待っていた。
その男を見た時、一瞬だけさくらの表情が曇ったような気がした。
「ッ!…そっか―。…コホン―。…っおーい!!!」
さくらが手を大きく振りながら車に近づくと、男は表情も変えず車の後部座席のドアを開けた。
「コータ…ばいばい。」
小さく手を振りながら車へと乗り込むさくら。何も言えずに立ちつくしていると
黒スーツの男が静かにドアを閉め、よどみない動きで助手席へと乗り込む。
「あっ…」
静かにエンジンが掛り、コータの家とは逆方向へとさくらを乗せた車は進む。
何かを言おうとしたが何も出てこないまま、さくらと別れた。
「…」
しばらく車の行き先を眺めていたら、ヘッドライトが完全に見えなくなった。
結局最後まで何も思い出すことが出来なかった。
一緒にいるのがあんなに楽しいのに。
さくらが一番喜んでくれるであろう事を、自分が何も出来なかった事に腹が立った。
嘘でもいいから覚えていると言うべきだったのだろうか?
今は何も分からなかった。
虚無感を背中に抱えながら重い足を引きずり家へと帰る事にした。
・−・
「ただいまー。」
「おぉ…コータ…おかえりぃ。」
「ばーちゃんただいま。母さんと父さんは?」
「それがまだ連絡ないんだよ。心配だねぇ…。
アキラちゃんはお風呂入ってもう寝てしもたよ。」
「ふーん。まぁそのうち帰ってくるか連絡あるでしょ。」
「コータは晩御飯は食べたのかい?」
「うん。さくらと一緒にお祭りに行ってたらふく食べて来たよ。」
「さくら?」
「ああ…ごめん。この辺に住んでる女の子だよ。昔僕と遊んでた…みたいだよ。」
「そうかい…そうかい…さくらって言うもんだから、てっきり―。」
「ん?」
意外なところから、探し求めていた…喉から手が出るほど欲しかった答えが転がり落ちた―。
「さくらって言ったら、前までウチに居た犬の名前じゃないか―。」
「…」
頭の中で何かが繋がった気がした。
「あ…ちょっと…どこいくんだい?」
気が付くと家を飛び出していた。
・−・
「ハァ…ハァ…クソッ!…」
今日さくらと回った場所を駆けずり回った。
どうしてあの時思い出せなかったのか…
遠い昔散歩した時も、今日と同じように楽しそうに走り回っていたのに。
橋の下はさくらのお気に入りの場所だった。
ボールを蹴ってる僕の横で、ボールを追いかけるようにくるくる回っていた。
それが楽しくて僕もその場所が好きだった。
「…さくらー!!!」
橋の下で叫ぶ。声が響く。だが返事はない。
真っ暗で周りには誰も居ないようだった。
「ハァッ!…ハァッ…」
息が続かない。胸が張り裂けそうに痛い。
足が思うように上がらない。
だがそんな事は今はどうだっていい―。
ただ僕はさくらに会いたかった。
「…ゴホッ!…ゴホッ!…」
気が付くと神社の境内に立っていた。
人の気配はまったくしない。
出店の灯りだけが辺りを照らしている。
祭りの時と違うのは人が居るか居ないかだけなのに、不気味に様変わりしている。
虫の鳴き声がうるさい。
僕は携帯を取り出し、足元を照らしながら花火を見た秘密基地の場所へ向かった。
「ここにも…居ないか…」
辺りを携帯の光で照らしてみたが、人の姿はない。
「そうだよな…居る訳ないよな…」
独り言を呟きつつ足を進める。すると―。
「あ…」
石の柵の上に白い帽子が掛けてあった。その帽子には見覚えがあった。
さくらの帽子だ―。
一日中さくらと行動を共にした僕が見間違うハズがない。
車に乗り込む時にはさくらは帽子を被っていた。ということは―。
帰ってから一度ここに戻ってきたという事になる。
「さくら…」
帽子を掴み走り出す。
別れてから時間はそんなに経っていない。
一旦戻ってきたのならまだ遠くに行ってないのかもしれない。
車で移動している可能性などこの時はまったく考えなかった―。
暗闇の中石階段を上る。
「いって…」
階段の途中で前のめりにつまづく。
だがすぐ起き上がり、ただがむしゃらに走る。
「ハァッ!…ハァッ!…」
階段を登り切って周りを見渡して見るが境内にはやはり誰も居ない。
膝頭が熱い。さっきコケた時に怪我したのかもしれない。
服にはうっすら血が滲んでいた。
「さくら…」
自然と口から溢れ出た言葉。
ただ会って謝りたい―。思い出したよって伝えたい―。
帽子を持っている右手に力がこもる。
その後もいろいろな場所を走り回ってさくらを探したが―
結局見つける事が出来なかった。
うなだれる体を揺らしながら、とぼとぼと家に帰った時には12時を過ぎていた。
・−・
「ふぅ…」
目が覚めたのは昼前だった。
家に帰ると、両親も帰ってきてたようだった。
時間も遅かったし暗い顔をしていたので心配されたがどんな事を話したか覚えていない。
ただ、風呂に入った時に膝の痛みが酷かったのだけは覚えている。
今日も昨日と変わらず暑いようで、寝ている間に汗でベトベトになっていた。
「風呂でも…入るかな…」
布団から出て目に入ったのはさくらの帽子。
昨日そのまま持って帰って来たらしい。
白い生地に白い花の刺繍が入ったつばの広帽子で薄い紫のリボンがついている。
ぼーっと眺めていると昨日の事を思い出した。
「ちゃんと…伝えたかったなぁ…」
力なく口から漏れる声。
探し回ってはみたものの結局会う事は叶わなかった。
「…」
立ちつくしていてもしょうがないので風呂へと向かった。
・−・
「にーちゃん何か元気ないね」
「そうか?割と普通だぞ。」
「割とってなんだよっ。」
「大人になるといろいろあるんだよ…アキラも大人になったら分かるよ…ふっ…。」
「にーちゃん…まだ中学生だよね…」
風呂から上がると頭の中もすっきりしたようで、他愛もない話が出来るくらいにはなったようだ。
用意された食事をTVを見ながらまったりと食べる。
いつもと変わらないばぁちゃん家の風景がそこにはあった。
「あ、そーいえばにーちゃん。あの帽子って昨日のねーちゃんのやつだよね?
なんでここにあるの?貰ったの?」
ビクッ―
「あー…あれはさくらの忘れものなんだよ。今度会った時に返してあげないとな・・・」
「ふーん…そっか。」
一瞬顔が強張ったが、意外なほどスムーズに言葉に出す事が出来た。
昼食も終わり引き続きTVを見ながらまったりと午後を過ごすのがいつもの日常だが―。
「ちょっと出かけてくるわー。」
「あいよーいってらっしゃーい。にーちゃん帰りにアイス買ってきてよ。」
「へいへい。」
アキラに向かって手をプラプラと振りながら玄関に向かって歩き出す。
右手にはさくらの帽子を持ちながら―。
・−・
若干ある雲のお陰で太陽からの強烈な日差しが緩和されている。
風も吹いているので昨日よりは過ごしやすいようだ。
ゆっくりと歩みをすすめ目的地へと到着した。
「やっぱりまだ居ないか…」
昨日また会おうと約束した場所。
橋の下に来てみたもののさくらの姿は見当たらなかった。
「2時か…」
約束の時間は2時。あと5分ほどだ。
だが5分経っても・・・10分経っても・・・30分経ってもさくらはその場に現れる事はなかった。
コンクリートの壁に背中を預けズリズリっと沈んでいくコータ。
膝を抱え目をふせてその場に座り込んでしまった。
「やっぱり…もう会えないのかなぁ…」
口からこぼれる言葉がその場にむなしく響く。
昨日の事を思い出してみた。
全然見た事ない少女がアキラに抱きついて居た。
その少女は自分の事を探していた。
でも自分はその少女とは面識がなかった。
今考えると当たり前だ。
その姿の少女には会った事なかったのだから。
「さくら…」
昔の話をたくさんした。
それこそ自分が覚えていない事まで少女は覚えていた。
ずっと自分を覚えてくれていた少女を思い出せない事を、自分は悔いていた。
少女の楽しんでる姿が見たいと思ったので祭りに誘った。
一緒にかき氷を食べた。
とっておきの場所で一緒に花火を見た。
そして少女を泣かせてしまった。
―ザー―。
雨が降り始めたようだ。
たぶん夕立だからすぐに止むだろう。
その場に座り込んでどのくらい時間が経ったのだろうか。
目を瞑りながら考え事をしていたので今が何時なのか分からない。
ただその場を動く気にはなれなかった。
スタ・・・スタ・・・
足音が聞こえた。
雨が降る中その音が聞こえたのは目を瞑っていたからかもしれない。
スタ・・・スタ・・・ピタッ
大きくなる足音が突然止る。
こちらの様子を伺っているのかどうかは分からなかった。
気配が近づいてくる感じがしたので思わず目を開いて顔を上げた。
「・・・」
目線が合う。
「こぉたぁ・・・」
目の前に居たのは涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになったさくらだった。
「さくらっ!うわっ…」
コータが言葉を発すると同時に飛びつかれそのまま二人とも地面に倒れる。
「…ちょっ…鼻水つくからっ!…」
両手を回しぐしぐしっと顔を胸に押しつけるさくら。
「なんでずっと待ってるんだよっ!…待ってても来ないかもしれないでしょっ!」
「でも…ちゃんと来てくれたじゃん・・・」
「だってコータがあまりにもかわいそうに見えたから…」
「あはは…約束したしね…」
「ばかっ…」
「さくら…思い出したよ。僕はずっと前に君に会ってたんだ。
そして毎日散歩もしたし、ここで遊んだりもしたよね。
昔の僕は君と遊ぶのが本当に楽しかったんだよ。
突然引っ越しをする事になって、君とはもう会えなくなったのが凄い悲しかったんだ。
そして君が死んだと聞いて本当に悲しかった。
その時そばにいれなくてごめんね…」
「コータ…」
「そして…今までありがとう。また会えて本当に嬉しい…ぐすっ…」
最後まで言えたが溢れ出る感情を抑えられず泣いてしまった。
今の気持ちを全部言葉にする事が出来た安堵感で気が緩んだのかもしれない。
「コータ。ありがとう…私本当に嬉しいよ。」
押し倒された形からやっと解放され二人共顔ぐしゃぐしゃで地面に座っている。
「ホントはね、昨日だけしかコッチに居れない約束だったんだ。
昨日はホント楽しかった!生きてる内に経験した事ないくらい楽しかったんだよ。」
ぐしぐしっと鼻をすするさくら。
「でも楽しすぎたんだね、別れる時が辛くて泣いちゃったよ…
そして今日はホントはダメだったんだけど、神様に無理言ったら少しだけ来れるようにしてくれた。
私のせいでコータが沈んでる姿なんて見たくないしね。
行かせてくれないなら呪っちゃうぞー!って脅しかけたらOKだしてくれたよ。」
「神様相手に凄い事するね…さくらは…」
「あははー…コータの為だもん!私がんばっちゃったよ!」
「そっか…」
「そう。でも時間はそんなに貰えなかったからこれでお別れだね。」
「…そっか…」
「ほらっ!そんな悲しい顔しないで。
お別れは笑顔でしないとダメなんだぞっ」
そう言いながら笑うさくらの目からは涙が止まらなかった。
「うん…さくら…本当に今までありがとう。君は僕の一番最初で一番の友達だったよ。」
「うん!コータも今までありがとう!私の人生の中で一番の友達でしたっ!
もう会う事は出来ないけれど、私はコータの事ずっと見守っているからね。」
「うん…うん…」
「ほら握手!」
ブンブンブンっと力いっぱい上下に腕を振る。
「じゃあ…お別れだ…コータありがとう…お元気で。」
「うん。さくら…ありがとう。」
突然眩い光が辺りを包む。
目を開いているのが辛く強く目を閉じていないと耐えられなかった。
「コータ!大好きだよ!」
最後にさくらの言葉が聞こえた気がした。
繋いでいた手の感覚がなくなる。
光が弱まり目を開いてみるとそこにはさくらの姿はなかった。
「ばいばい…さくら…」
雨はいつの間にか止んでいた。
いつの間にか日は傾き、オレンジ色が辺りを包む。
「あ…」
白い帽子が目に入った。
どうやら忘れ物のようだ。
こうして僕の夏の不思議な体験は幕を閉じた。
・−・
ばぁちゃんの家から実家に戻った今でもあの帽子は僕が持っている。
あの夏の事が夢ではなかったという証拠の品だ。
それよりもさくらとの思い出の品といったほうが正しいかもしれない。
学校で辛い事があった時や寂しくなった時など、帽子を見つめていると当時の楽しかった記憶を思い出す事が出来る。
どんな事でも乗り越えられる気がする。
意外とイイ物を貰えたのかもしれない。
そんな感じで僕は日常へと戻って行った。
たまにさくらの真っ直ぐな笑顔を思い出しながら―。
・−・
「ねーねーかみさまー。
もう一回アッチに行っちゃダメ?」
「ダーメ!前回が特別って言ったでしょ?」
「でもでもー帽子置いてきちゃったよ?
あれってこっちのモノで作ったから解析とかされちゃうといろいろマズイんじゃない?」
「う…だったらコータ君に頼んで渡してもらうしかないな…」
「たぶんコータは私の思い出の物だから簡単には渡さないと思うけどなぁ…
だからさ!私が取りに行ってあげるよ!」
「だからダメって言ってるでしょ?!でもアレを人間界に置いておくのは危険だし…」
「むっふっふーどうする?神様」
―意外とまた会える日は近いかもしれない―。
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