真・恋姫?無双 〜夏氏春秋伝〜 第三十七話 |
今も続く中庭の一幕から遡ること半日以上。
とっぷりと日が暮れたにも関わらず、陳留近郊の森の中を疾走する人影あった。
普段こんな時間にこの森に入る者などいない。
定期的に黒衣隊が訓練に利用している位のものである。
その人影を見れば、確かにどこか黒衣隊の衣装に似たものを感じる。
だが、決してそれはありえない。
なぜならば……森を疾走するその者は黒衣隊には一人として在籍していない、女性であったからである。
ならば一体その者は何者なのか。
答えは比較的簡単、彼女は他国の諜報員であった。
先日の連合に参加した面々、その将軍達が彼女を視界に収めることが出来たならば、その正体に気付いただろう。
そう、彼女はかの”江東の虎”孫堅配下の周泰その人。
その彼女が何故連合が解散して間もないこの時期にこんなところにいるのか。
その理由を探るには更に日にちを遡らなければならないのだが…
簡潔に言えば、孫堅の命、その一言に尽きる。
孫堅は洛陽の街で微かな、しかし決して無視し得ない違和感を覚えていた。
それは無礼を承知で皇帝に尋ねたところで晴れることは無かった。
彼女がその場で口にしたことに嘘偽りは無い。
だが、同時に皇帝の身を強く案じてもいた。
そこで取った行動が……小耳に挟んだ”天の御遣い”なる者の調査。
民と佳く交流を持ち、俗世間の噂に至るまで中々に詳しい孫堅は、天の御遣いについておおよその目星は既に付けていた。
それが、虎牢関で討ち取られたとされている『夏侯恩』。
孫堅もまた華琳と同じく、有力諸侯の情報収集を行っていた。
その配下には大陸でも1、2を争うであろう実力の間諜が複数存在している。
その者達の力を以てしてもほとんど情報が集まらなかったのが夏侯恩である。
度々報告書に上がるその名は、目立った功績こそ無けれど警戒するに十分な相手だった。
そしてその警戒が正しいものだったと連合の会合で確信した。
というのも孫堅が華琳の天幕を訪れた際、巧妙に隠そうとしていた一刀の実力に気付いたからだ。
互いに闘気を放っていたわけでも無いのに、孫堅は久方ぶりに血が滾っている自分に気がついていた。
馬騰を除くと長らく現れることのなかった、己と対等以上に斬り結べる相手。
それを見つけたのかも知れない、と内心は歓喜に満ち満ちていた。
だというのに……呆気ないまでの”戦死報告”。
当初は相手があの呂布ということもあって、残念には感じたがその報告に疑いを持つことは無かった。
ところが、日にちが経っても死体が見つからないことに加え、洛陽での数々の異変。
情報を逐一整理した結果、これだけ謎に包まれた条件ばかりが揃ってしまえば、そこに疑問の目が向くのも仕方がないことだろう。
長沙へと戻る道中にてそこに至った孫堅は、直ぐ様周泰に曹操陣営の調査を命じたのであった。
(ようやくここまで来れました……曹操さんの陣営は間諜捕殺の手練がいるはずです。ここからはより慎重にいきましょう……)
心中で自身に警告を発し、身を引き締めて森を駆ける。
それから一刻とせず、周泰は陳留の外壁に達していた。
周囲を観察した後、一つ頷く。そして……
猿もかくやといった身のこなしで瞬く間にそそり立つ壁を乗り越え、陳留へと侵入を果たしたのであった。
日の出間もない時間から周泰は諜報活動を開始していた。
市中にて民の会話から、あるいは軍に関係ある各所から己の目と耳で、着々と情報を入手していく。
基本的には今までに集めた情報にほとんど変わりは無い。
現に午前中の活動ではほとんど有力な情報は得られなかった。
あえて言うならば、民達の間でよく耳にした”天の御遣い”。
諜報員という立場に身を置く周泰にとって、天の御遣いの噂は確かに一時期よく耳にした。
しかし、それは随分と前のことであり、悪政に疲れきった民達が管輅の予言に踊らされたというだけのものだったはず。
それがここに来て再び再燃している。周泰はそこに拭いきれない違和感を覚えた。
(まだ情報が足りません。そろそろ……)
民や警邏の会話からの情報収集を切り上げ、より重要度の高い軍事施設へ。
手始めに周泰が選んだのが調練場であった。
そこで周泰は思わず目を見張ることになる。
将軍級の武将が複数集っていることはそれほど珍しいことではない。
見るからに子供然とした者が武将であるという事実、これも特異というほどではない。
では何が周泰を驚かせるに至ったのか。
それは集団の中に一人、明らかに大陸の物とは思えない輝きを放つ衣服を身に纏った男がいたからである。
もしや、この男が”天の御遣い”なのではないか。
ほとんど直感的にそう思い、後から追いついた思考が周泰の直感を裏付けにかかる。
しかし、まだまだ情報が足りているとは言えない現状では確定出来ない。
暫し鍛錬の様子を監察していた周泰は、まだまだ続きそうな気配を察して一度その場を離れることを決めた。
(月蓮様が気にされていたことはもしかしたらこれかも知れませんね……やはりここは、奥まで踏み込んでみましょう)
あまり気乗りはしないのですが、と心中で付け加えつつ、周泰は陳留の中央、華琳の座す城へと足を向ける。
対間諜防御力が大陸随一。周泰を筆頭に孫呉の間諜達は魏をそう評価している。
故に、周泰はこれからの事を考えて、より一層身を引き締めるのであった。
「やっと見つけたわ、一刀。今少しいいかしら?」
魏の筆頭軍師、荀ケが男に声を掛けている。
周泰の視線はその男、北郷一刀に向いていた。
昼の間、城内で、そして再び市街で、様々な場所で新たに情報を収集した結果、周泰は北郷一刀こそが件の”天の御遣い”である、と結論づけた。
その北郷だが、先程から木陰で赤髪の少女を膝に、休憩しているようだ。
いくら休憩中とは言え、北郷は孫堅が気にかけるほどの相手。
その一挙手一投足までを見逃すことは出来ない。
だと言うのに……
周泰は先程からずっと、妙にソワソワしていた。
その原因はと言うと…
(あぁ…お猫様があんなに……うぅ〜〜、モフモフしたいです〜〜っ!!)
北郷と赤髪の少女の周囲で気持ちよさそうに丸くなって眠っている多数の猫達であった。
何を隠そうこの周泰、無類の猫好きなのである。
その好き具合たるや、猫のことを”お猫様”と呼び、もはや崇拝とまで呼べるほどの域に達していた。
ところが悲しいかな、周泰がそこまで猫を好いてはいても、猫が周泰を好いているとは限らない。
好物の魚の干物を持っていったとて、迂闊に触れればお得意の猫パンチ(爪付き)が飛んできてしまうのだ。
慎重に慎重に接触を図り、ようやくの思いで僅かばかりの触れ合いを得る。
それが周泰と猫の常の関係である。
ところが、今周泰の目の前にある光景はどうだ。
数多いる猫たちが、側にいる2人の人間を意に介することなく無防備を晒しているではないか。
この周泰にとってはあまりにも羨ましい光景によって、周泰の意識は度々北郷から逸れかけていたのである。
先程やってきた軍師と武将2人への傾注もそこそこにチラチラと猫達に視線が泳ぐ。
そうこうしていると、突如強い風が一陣吹き抜けた。
「にゃんっ!?」
周泰の耳は軍師の猫化したかのような悲鳴を敏感に聞き取る。
更にその直後、
『ぅにゃ〜』
辺りで眠っていた猫達が一斉に軍師に向けて鳴き声を上げた。
(はぅぁあぁぁ〜〜!!ま、まるで、お猫様の軍隊のようですっ!私も混ざりたいですっ!!)
最早辛抱たまらん、と思わず飛び出しそうになる周泰。
だが既のところでなんとか思いとどまることに成功する。
(い、いけませんいけません!集中しなければ…集中、集中……)
自分に言い聞かせて猫から意識を離す。
いつの間にやら赤髪の少女も目を覚まし、北郷もまた立ち上がって談笑に移っていた。
周泰は会話に耳を傾けつつ、視線を北郷が腰に佩いた剣に固定する。
改めて見れば、この剣もまた大陸には無い物だ。
それが癖なのか、北郷はその剣を僅かに出し、そして再び納めてを繰り返している。
僅かに見えるその刀身から察するに、どうやら周泰の主が所持する宝刀・南海覇王と同等、いやそれ以上の業物のように見えた。
北郷を具に観察する内、周泰の耳が一層気になる単語を聞き取った。
北郷と荀ケの話題が”新兵器”とやらに移っている。
間諜としてこの話題を聞き漏らすことなどあってはならない。
周泰は聴覚の集中はそのままに、視線を話者の口元に向けてより正確な情報を得ようと意識する。
その後に聞き取れた会話を要約すると、どうやら”新兵器”とやらは弓兵の運用法に関わるものらしい。
(少し偵察を重ねてみましょうか?中身が分かれば、祭様や冥琳様、穏様がお喜びになるかもしれません)
荀ケ達は会話を終え、引き上げようとしている。
だが、どうしてかそれを北郷が引き止めていた。
「今、早急に為すべきこと、それは何だと思う?」
北郷が荀ケに問いかけている。と思いきや、次の瞬間には、
「3つだ、秋蘭」
曹操の腹心、夏侯淵に話しかける。
一体北郷が何を始めたのか。
どうにも気になった周泰は北郷に意識を集中した――――奇しくも、それが周泰の命を救う結果となった。
周泰がまさに北郷に対して意識を集中し始めたその直後。
北郷が猛烈な勢いで振り返る。そして。
勢いよく周るその手元から、”何か”が周泰の潜む木に向かって飛んできていた。
(っ!?バレた!?どうしてっ!?)
周泰の頭は驚きで満たされる。
だが、長年隠密に置いていたその体は、ほとんど条件反射で梢を蹴り、中空に身を投げ出して飛来物を避けていた。
(とにかく、この場を離脱…っ!?)
体の反射から僅かに遅れて現状に追いついた意識が初めに捉えたもの。
それは、自らを目掛けて飛び来る3本の矢であった。
秋蘭が放った3本の矢は、梢から飛び出した人物の鳩尾、右肩、左ももに真っ直ぐ飛んでいく。
いずれも仕留めることよりも動きを止めることを主目的とした攻撃。
獲った。そう思った一刀であったが…
ギキィンと金属音が鳴り響いたかと思うと、次の瞬間には秋蘭の矢が全て撃ち落とされていた。
侵入者はいつの間にやら抜き放った大太刀のような剣を手に携え、少々バランスを崩しながらも無事着地する。
そして間髪入れず、最も近い城壁のある方角へと走り出した。
僅かに遅れて左右の茂みから飛び出した者達が侵入者に向かう。
「待て!直接剣を交えるな!!」
だが、一刀が今まさに飛び掛らんとする2人に待ったをかける。
2人も即座に反応し、それぞれの得物を手離すや、懐から苦無を取り出して投げつけた。
が、侵入者はそれすら苦もなく撃ち落とし、立ち止まるどころかスピードを緩めることすらしない。
「恋!」
「ん!」
一刀はそれらを視界に入れて駆け出しつつ、意思を瞳に込め、恋に呼びかける。
恋もその意思を読み取り、方天画戟を手に一刀と並んで侵入者を追走し始める。
「待機、警護!」
飛び出した2人に単語のみで指示を出しつつ、一刀は風のように走る侵入者を追っていく。
進行方向に乱立する木々などまるで何とも思わぬ様子で走り続ける侵入者。
一刀と恋も出来る限りの速度で追うも、徐々にその差が開いていく。
時折懐から苦無を取り出して投げつけるも、木々が障害物となり上手く狙いが付けられない。
さらに悪いことに、苦無を投げる動作を取る度に距離が一層開いてしまう。
それほど良いとは言えない視界の中、何度か相手を見失いかけるも、恋が軌道修正をもって一刀に敵の位置を教えてくれる。
それでも2人して縋るのが精一杯であった。
やがて、城壁に到達する頃には100mではきかぬ差が出来ており……
城壁の向こうへ軽々と飛び越えていった侵入者にそのまま撒かれてしまうのであった。
一刀と恋が追走を切り上げて戻ってくると、桂花達が待つ場所より手前にて、先程の2人の内の1人が話しかけてきた。
「よぉ、隊長。何で止めたんだ?」
周囲に聞こえぬよう声量は落としているものの、声に滲み出る不満は隠しきれていない。
勿論一刀も意味なく止めたわけでは無いので、これにはすぐ答えた。
「さっきの侵入者は孫呉の将、周泰だ。隊の中でも上の実力を持つお前でも、2人掛りくらいじゃやられてた可能性が高かった。
それで納得してくれるか、周倉?」
「なるほど、な。だがよ、何でその将がこんなとこにいんだ?」
「それは……いや、それも含めて皆に説明しよう」
二度同じ説明を繰り返すことも無いだろう、と考え、一刀は桂花達の下へと戻る。
「逃げられたのか?」
「ああ、すまない」
一刀が戻ると同時に秋蘭が問う。
見れば分かるものではあるが、儀礼的に一応聞いた、といったところだろう。
その会話に桂花が横槍を入れる。
「あいつ、孫堅のところの周泰とか言う奴だったわ。洛陽でも偵察に出てた…」
「ああ、将でありながら非常に優秀な間諜でもある。恐らくその能力は俺の知る限り大陸一だろう。
今回勘付けたのも運が良かったとしか言えないな」
「それや!一刀、あんた、いつ気付いたんや?秋蘭に恋も気づいとったんやろ?」
霞が更に横から会話に入ってくる。
皆が如何にして周泰に気付いたのか、武人として己が気づくことが出来なかったことが悔しいと同時に気になるのだろう。
「……一瞬だけ、気配ダダ漏れだった」
「ああ。丁度風が一際強く吹いた時だ。考えにくいが、或いは風によって木から落ちかけた、とかかもな」
気配で気付いた、と語るのは一刀と恋。
対して秋蘭が語ったことは全く異なるものだった。
「私は一刀からの合図で教えてもらっただけさ」
「合図?そんなんいつ出したんや?」
当然の如く霞が疑問を挟む。
それに答えたのは秋蘭ではなく一刀であった。
「さっき秋蘭に弓を借りただろ?あの時の手振りで簡単な合図を出したんだ」
「ああ、覚えとるけど……はぁ〜、それが合図ねぇ…ウチにはただの説明にしか見えんかったわ」
「まあ、傍からはそう見えるようにしないとわざわざ合図にする意味が無いからな。
とは言っても、以前に秋蘭とお遊びで作った合図がこんな形で役に立つとは思って無かったけど」
「ふふ、確かにそうだな」
戯れもたまには良いものだ、と言わんばかりの雰囲気で同意を示す秋蘭。
だが、勿論のこと一刀は本当のことを語ったわけでは無かった。
本当の合図は一刀の金打3回。
その後に不自然にならない程度に会話中での単語区切りで方角、行動の順。
弓を借りたことにも意味はあった。
ああすることで秋蘭が弓を手に持っていてもそれほど不自然ではない状態を作り、即座に援護に入ってもらうためである。
当然、これらは秋蘭が情報室長を、つまり黒衣隊の実質上の上司だった時に作られたもの。
但し、これを知っているのは一刀と秋蘭、あとは黒衣隊でも最上位の実力者数名だけである。
というのも、実はこの合図、一刀”のみ”が敵の存在を知覚した時に使われるもの。
となれば必然、相手もかなりの手練ということになる。
リスクを極力小さく、しかし確実性を高くする為の人選であり、人数の少は仕方のないものだろう。
「それにしてもあいつ、いつからここに潜り込んでいたのかしら?」
「ちょっと分からないな……今回のことで引き上げてくれれば御の字なんだが……
取り敢えず、少なくとも暫くの間は、重要案件を担う文官にはあまりそこら中でおいそれと情報を口にしないよう徹底しておいて欲しい」
「確かにそうね。秋蘭、武官達の方にもその辺りの徹底、お願い」
「ああ、心得た」
周泰を捕縛出来なかった以上、既に盗まれた情報の漏洩は避けられない。
せめてもの対策としてこれ以上の情報を盗られないように3人が話し合う。
とは言っても、満足な対策が立てられるわけでも無いのだが。
周泰に関する一連の出来事、それに対する一通りの対処及び説明はこれで終わりとなる。
一刀はまだ疑問は残っているかどうかを、視線で周倉に尋ねるも、彼らは首を横に振って本来の任務に戻っていく。
「今出来ることはこれ位だろう。桂花、真桜のところまで案内するよ。
さっきも言ったことだけど、例のものは実演付きで実物を見てもらった方が早い」
「そうね。いつまでも一つの事に掛かり切りにもなってられないわ」
「お、さっきの連弩が云たらいう奴か?ウチも興味あるし、見に行ってもええ?」
「ああ、構わないよ。じゃあ行こうか」
意識を切り替え、4人を連れ立って一刀は真桜の研究所へと足を向けるのであった。
「はっ……はっ……はっ…………ふぅ……」
僅かに残る陳留の街の未整理地区、その一角に存在する暗く細い路地裏に周泰の姿があった。
全力でここまで走ってきたのだろう、額には汗の玉が光り、肩で息をしている有様だった。
壁に背を預けて息を整えた周泰は念のために周囲の気配を探る。
(さっきのは本当に危なかったです……北郷と夏侯淵…少なくともあの2人には気づかれていました。
北郷一刀……いよいよもって危険人物と断定しなければ…!)
表面上は既に落ち着いたように見える周泰であるが、その内側は未だに困惑が渦を巻いていた。
ある時は孫堅からの命令で、またある時は周瑜からの命令で、間諜として様々な勢力へと潜り込んだことのある周泰。
その潜入、潜伏技術は自他共に認める大陸トップクラスのもの。
それがここ、魏に潜入して初めて、それも2人もの人間に潜伏を見破られたのだ。
加えて、北郷と共に追ってきていた赤髪の少女。
幾度となく追ってきた2人を撒いたと思っても、その赤髪の少女が周泰の位置を的確に察知していた。
それは気配を察知されたと言うよりも、野性的な勘が鋭いというべきか。
そのことより何より、彼女は北郷に呼びかけられた時、間髪入れずに行動に移っていた。周泰の突然の登場に驚いた様子も無く。
(もしかすると、あの赤髪の人にも気づかれていたのでしょうか?もしそうだとすれば……)
どちらとも言い切れない推測ではあるが、間諜たる者、楽観は禁物。
故に周泰の思考は気付かれていたものとして進んでいく。
今までの活動で入手できた情報の価値、これからも活動を継続するリスク、彼我の戦力等々。
(…………これ以上は私一人では余りにも危険が過ぎます。ここは一度、長沙に帰還しましょう…)
結局、周泰はここで退くことを決断。
北郷に関する報告と、真偽の定かでない”新兵器”の情報を主な収穫として誰にも知られることなく陳留を去っていった。
周泰の事件の翌日、太陽が真上を過ぎ去ろうという時刻に一刀の姿は再び調練場にあった。
「おお、一刀!お前も来たのか!」
「おはようございます。一刀さんもいらしたんですね」
調練場に現れた一刀を認めた春蘭と菖蒲がほぼ同時に挨拶を掛ける。
一刀は片手を上げてそれに答え、隣に止まってから言葉を発した。
「おはよう、春蘭、菖蒲さん。今まで落ち着いて視察したことが無かったし、何より最近忙しくてあまり稽古を付けてやれてなくてね。
昨日直接依頼されたし、丁度いい機会だから訓練法から見ておこうと思ったんだ。2人はどうして?」
「一刀さんらしいですね。私たちは純粋に興味で来ているんです」
「ああ!凪も随分と強くなったが、その部隊も同じく強くあってもらわねば華琳様がお困りになるからな!」
そんな会話を交わす3人の視線の先には、調練場に整列した兵達。そしてその前にて指揮を執っているのが話題に上がっていた凪であった。
「次!鶴翼の陣!!」
『はっ!!』
凪の凛とした声が調練場に響く。
呼応した兵の声も気合の入ったもの。
だが、数人の兵の反応が僅かに遅れた。その瞬間、
「遅いっ!!」
凪の怒声が左翼側に居並ぶ兵達数人に向けて飛ばされる。
「お前達!陣形成が遅れるということが何を意味するか分かっているのか!!」
「はっ!申し訳ありません!!」
「口で謝るだけならば子供にでも出来ることだ!!行動で示せ!!異なる陣形でもう一度行くぞ!!魚鱗の陣!!行け!!」
『はっ!!』
叱責から即座に次なる指示。
兵達は今度こそ遅れずに行動を完了した。
「そうだ、それでいい!いいか、よく聞け!!戦場にて陣形成が遅れることは、犠牲の増加に繋がる!!
戦場にいるのは一人では無い!!自らがやられるだけでは済まない!!周りをも巻き込んでしまうことを常に意識しろ!!
だが、お前達が仲間を思い、仲間の為の行動を取れば、それが仲間を助け己を助けることに繋がるだろう!!
一人は皆の為に、皆は勝利の為に!!お前達一人一人の機敏かつ適確な行動が、我等が軍に勝利を呼び込む為に必要であることを理解しろ!!」
『はっ!!』
凪の訓示が調練場に響く。
兵達の呼応で空気が震える。
良い緊張感だ。一刀はそう感じていた。
何事においても練習、訓練というものは張り詰めすぎても緩めすぎても効果が薄い。
適度な緊張の中で効率の良い訓練。
闇雲に詰め込み続けるのではなく、その方が一番実力が伸びる、というのが一刀の持論だった。
その意味で凪の調練はかなり良い状態だと感じたのである。
春蘭と菖蒲も得るものがあったのか、真剣な眼差しで凪の調練風景を見つめていた。
「お疲れ様です、皆さん!どうでしたか?」
調練が終わるや、凪は軽く兵達に指示を出してから3人の下に来ていた。
恐る恐る、しかしどこか期待した様子で3人の意見を待つ凪の姿が何かに似ているな、と頭の片隅で考えつつ、まず一刀が口を開く。
「お疲れ、凪。いい調練だった。陣形成の速度は申し分ないだろう」
「は、はいっ!ありがとうございます!!」
一刀の賞賛に満面の笑みで答える凪。
一瞬、凪の後ろに激しく振られる尻尾が見えた気がした。
(ああ、なるほど。何に似ているかと言えば、忠犬か、これは)
内心で納得するもさすがにこれは口には出さない。出す必要も無かった、とも言えるのだが。
「もっとぶつかり合いが必要では無いか?私が調練を行う時は、必ず最後に全員の相手をしてやっているぞ!」
春蘭が凪に感想を出していたからである。
「わ、私は春蘭様ほど強くはありませんので…!さすがにそれは厳しいです」
「付け加えると、凪の部隊にはその方法はあまり合わないと思うよ、春蘭」
「むぅ?そうなのか?」
むむむ、と考え込む春蘭であったが、部隊の性格の違いだから仕様がない、と説明され、どうにか納得を得ていた。
春蘭が終われば最後に残るは菖蒲の感想。
「怖じる事なく調練の指揮を執られる凪さんの姿は、随分と様になっていましたよ」
「本当ですか!?ありがとうございます!!」
一刀に続いて得た賛辞に凪はより笑顔を深めた。
が、菖蒲の感想はそこで終わりでは無かった。
「ところで凪さん、先程の訓示でお使いになっていた言葉、あれは一体なんですか?」
「あ、あれは…」
「以前、俺が凪に教えたことがあったんだ。初めて新兵調練に臨もうとしている凪がガチガチに緊張していたから、ちょっと解してあげようと思ってした小話の中でね」
「ということは、天の世界の訓示、ということでしょうか?」
「あ〜、まあそうなる、のかな?何にせよ、集団における個々人のあり方がよく示された言葉だとは思うよ」
一刀の言うことも尤もである。
事実、現代においてもチームプレイが重要であるスポーツ等ではよく用いられている言葉だ。
「一人がみんなで、とか言っていたあれのことか?」
「”一人は皆の為に、皆は勝利の為に”、だよ、春蘭。簡単に説明するとだな…
まず、一人一人がきちんと自ら考えて集団の為になる行動を取る。するとその行動は集団内の他の誰かの足りない部分を埋める。
同じように、自らの考えで動いた他の誰かが自分の穴を埋めてくれる。この相乗効果を集団内で発生させることで、単に個々が集まった以上の力を発揮して、勝利に自ずと近づける、というわけだ」
「な、なるほど…す、すごいもの、だな?」
あ、これは分かっていないな、と春蘭を見た3人は感じ取った。
思わず出そうになった溜息を堪えつつ、付け加える。
「互いに助け合って勝ちに行こう、ってことだよ」
「ほう、そういうことか!確かによい教えではないか!」
(結局肝心な部分が抜け落ちちゃってるよ……)
今の一刀の内心を擬音で表すとしたら、まさしく『トホホ…』といったところだろう。
だが、残る2人は春蘭とは違っていた。
「はぁ〜〜…素晴らしい教えですね……実践となると難しそうではありますが、それを意識しているが否かだけでも部隊の動きは大分違ってきそうです」
「私も感服致しました。以前は軽くしか聞けませんでしたが、そこまで考えられた言葉だったのですね…」
「はは、理解してくれる人がいることがこんなに嬉しいことだとは思ってなかったよ…まぁ、いいか。
今の大陸では将が先陣切って相手に突っ込み、部下はそれを追随するだけ、といった場合が多いことは否めない。だけどそれは非常にまずい。
確かに将と名のつく者は皆強い。だけど、戦場とは理不尽という名の悪魔が跳梁跋扈する世界だ。
たった一本の流れ矢が至極あっさりと将の命を奪うこともある。もし部隊をたった一人で引っ張っていた将が倒れたりすると…」
「部隊は混乱してあっさり崩壊、場合によっては大局をも揺るがしかねない事態に陥ってしまいますね」
「そう。しかもそんなことになれば余計な犠牲者まで出してしまうだろう。
そうならない為にも、兵士たち一人一人が自分でも考える、ということを実践してもらいたいと思ったんだ。
とは言っても、我が強すぎる考えを前面に押し出して、勝手な行動を取るようではいけないから、その辺りはきっちりと教育しないといけないけどね」
「そこで我々の力量が問われるということですね!」
「そういうことだ。将が己の部隊の調練を務めている以上、将の質で部隊の質が左右されることはこの際仕方がない。
だが、無意味に兵に犠牲を強いるようなことだけは無いようにしないとな」
菖蒲も凪も思わず感嘆の溜息を漏らしてしまう。
華琳の下に就いてからこっち、よく一刀に稽古を付けてもらっている凪は勿論、一刀の実力を知って以来よく2人での稽古をもつようになった菖蒲もしばしば感じていたことがある。
とにかく一刀は極力無駄を削ぎにかかるのだ。
季衣や流琉、そして凪や真桜、沙和にもであるが、稽古において防御の重要性をよく説いていた。
菖蒲との稽古では大斧の重みでたまに泳ぐ体に指摘を入れている。
防御技術を磨いて無駄なダメージを減らす、攻撃効率を上げて無駄な被弾の可能性を削る、といった具合である。
その信念は個人の枠に留まらず、集団にまで広げられていた。それも確かに理屈が通っていると感じられる考え付きで。
2人はその貫かれている信念に対して感心していたのだった。
「まあ、何にしてもだ。結局のところ将が強く有らねばどうしようも無いことも事実だ。
と言うわけで、凪の稽古を始めようか」
「そう言えばそんな事を言ってましたね。私もお手伝いします」
「む?稽古か?ならば私も混ざろう!」
「はいっ!お願いしますっ!!」
雑談を終えた4人はそのままの流れで個人稽古へと移る。
その後およそ1刻半もの間、調練場から金属音が鳴り響き続いたのであった。
「はぁっ………はぁっ………あ、ありがとう、ござい…ました…!」
息も絶え絶えに礼を述べた凪はそのまま地面に大の字で倒れてしまう。
「ふぅ…うん、かなり形になってたね。後はこれを凪なりに、凪自身の武術と組み合わせられれば完璧だろう」
「は、はいっ、頑張ります…!」
「あ、そう言えば…凪、沙和はどうしたんだ?最近見てないんだが」
ふと湧いた疑問。これに答えたのは意外にも菖蒲であった。
「一刀さん、ご存知無かったんですか?沙和さんでしたら三姉妹の巡業に合流して、兵の募集を取りまとめていますよ」
「なるほど、道理で見ないわけだ。兵の増加率を見る限り、三姉妹の活動は功を奏しているみたいだな。安心したよ」
「今までの傾向から、考えると、もう二、三日もしたら、沙和も帰ってくると思います」
呼吸が整いきっていない凪が追加で情報を出してくれる。
その見通しには菖蒲も同意見のようで、首を縦に振っていた。
「そうか。なら丁度良かった。帰ってきたら4人に会うとしよう」
(地盤固めの中でも大きな要素の一つ、だからな、あの4人は。
俺がそうなるように仕向けたとは言え、あまり褒められたやり方では無いが……いや、考えるのはよそう…
悪の誹りは甘んじて受けよう。今はどんな手を使ってでも早く乱世を治めることが先決…!)
今まで幾度も苛まれてきた現代と大陸の倫理の違い。
それは今までも、そしてこれからも一刀を大なり小なり苛むことは避けられないだろう。
だが、大義を”言い訳”に、上手く意識を切り替え、今日も一刀は前を向く。
既に乱世の黒雲はゆっくり、ゆっくりと大陸を包み始めているのだから…
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第三十七話の投稿です。 前話の別視点が中心となります。 |
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>>クラスター・ジャドウ様 気配ダダ漏れ、葛藤が表情にアリアリと現れた冷酷な空気を纏う暗殺者……ある意味対峙したくない感じの人物にw(ムカミ) 周泰は優秀な諜報員ではあるが、猫が絡むと仕事にまで支障をきたすのがな…。逆に体格絡みの会話が為されている時やマンハント訓練時にはガラリと冷酷になるが、マンハント訓練時や戦闘時に猫を見掛けてしまった場合、一体どうなるんでしょうかね?(クラスター・ジャドウ) >>naku様 逃げた先で「チリ〜ン…」って聞こえてきそうなシチュですね:(;゙゚'ω゚'):(ムカミ) >>禁玉⇒金球様 き、きっと猫がいない勢力に対しては無類の強さを誇るはずだから……!犬は人に懐き、猫は家に懐く、とも言われますもんねぇ(ムカミ) 極めて優秀なる浣腸いや間諜の明命、しかし敢えて言わせてもらおう『つっ使えねぇ』と。猫は総合的には構い過ぎる人間を好きにはなれない生物です。(禁玉⇒金球) >>アルヤ様 間諜が本職で且つ将である明命はよほどのことが無ければ黒衣隊でも捕捉出来ない、としています。グラウンドコンディションが悪いと明命はぶっちぎりです(ムカミ) >>アルヤ様 ご指摘ありがとうございます、修正しました。なんでこんな漢字出てるんでしょう…私のPC、アホですねorz(ムカミ) >>本郷 刃様 原作でも、大半は旗を見て確認している節があったので、直接会ってない明命は恋を知らない体でやってます。まぁ、大目玉喰らうでしょうね〜(ムカミ) 一刀でも追い切れないのかよ。明命すごいな。(アルヤ) 誤字です 間蝶??間諜(アルヤ) 赤髪(恋)の人の正体に気付いていない明命、間違いなく呉にとっては悪手になるでしょうね・・・(本郷 刃) >>Kyogo2012様 現代でも”ぬこ”と呼ばれたりなどして数多の人間の主であったり、最強の癒し兵器ですから仕方ないですね!ちなみに私は萌将伝で猫化した明命にイチコロにされました。猫かわいいよ猫!(ムカミ) >>zeroone様 苦無投げる直前まで気づいた素振り0だったから、という体で書きました。でも、報告の仕方によっては呉に戻った後に冥林か月連に怒られるでしょうね(ムカミ) あれだな。周泰の猫好きにも限度があるというものですね。しかも、任務中に。本来なら、そういうものはねじ伏せないといけないのにね・・・・・。ケケケケケ(Kyogo2012) 本人何故ばれたか気付いてない(夜桜) |
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