WakeUp,Girls!〜ラフカットジュエル〜12 |
ファーストワンマンライブを終えた直後、グリーンリーヴスにある男から1本の電話が入った。その内容は自分にウェイクアップガールズのプロデュースを任せてみないか? というものだった。そして男は6月になると直接東京から仙台まで足を延ばして事務所を訪れた。
男が本当に事務所に姿を現した時、丹下社長は正直言って信じられない・有り得ないという心境だった。世界的な音楽プロデユーサーが地方のアイドルユニットをプロデュースしたいなどと、そんなことが簡単に信じられるわけもないだろう。
その男の名は早坂相という。だからこそ尚更社長には信じがたい話だった。I−1クラブの音楽プロデューサーがどうしてウェイクアップガールズに興味を持つのか。悪い冗談としか思えなかった。だから最初に電話がかかってきた時、社長は早坂に仙台まで来いと呼びつけた。くだらない冗談ならばそれで終わりだろうと考えたからだ。
だが早坂はわざわざ仙台まで来た。信じられないことに本当に忙しい合間を縫って仙台までやって来たのだ。単なる冗談であるはずがなかった。ウソみたいだが事実だった。
「で、考えてくれたのかな?」
松田が出したコーヒーを一口すすったあと、早坂は社長にそう尋ねた。
「何を?」
「いやだなぁ、電話で話しただろう? ウェイクアップガールズをボクに任せて欲しいって話さ」
「アナタ、本気だったのね。私はてっきり悪い冗談だと思っていたわよ」
ソファにドッカリと座っていた早坂は、クックックッと笑い出した。
「あいにく冗談で仙台まで来るほどボクはヒマじゃないんだよね。ボクは本気だよ? 本気で彼女たちをボクに任せて欲しいのさ。キミたちにとっても悪い話じゃないだろう?」
それはもちろん悪い話であるはずがない。世界的な音楽プロデユーサーが力を貸してくれるなんて夢のような話だ。こちらからお願いしたいくらいだが、社長は早坂がウェイクアップガールズに手を貸そうと思った理由が見えないのがどうにも不安だった。
それに加えて、彼の協力を得ることでI−1がどう動くのかも不安だった。そして実際問題彼に払う金などグリーンリーヴスの金庫内のどこを探したってありはしない。この状況で早坂の申し出にどう答えるのが得策か。社長は頭をフル回転させながら考えた。
「どうしてアナタほどの男がウチなんかに関わる気になったの? アナタはIー1クラブお抱えの音楽プロデューサーじゃない。そんな人間と組んだらどうなるか、わからないとでも思ってるの?」
社長はまず基本的な部分を単刀直入に切り出した。だが早坂はそれを一笑に付した。
「お抱えとは心外な言われようだなぁ。今は確かにI−1の仕事がメインになってるけど、だからってボクは別にI−1の専属じゃあないんだよ? どこで誰をプロデュースしようが、それはボクの自由なのさ」
なるほど、と社長は思った。確かに早坂は元からI−1のプロデューサーとしてこの世界で身を立ててきたわけではない。I−1に協力し始めた時点で既に彼は著名な音楽プロデューサーではあった。だが……
「それはそうかもしれないけど、契約ってもんがあるでしょう? ウチは今I−1とケンカする気は無いの。まだまだウェイクアップガールズは駆け出しのヒヨッコだもの。今ケンカしたらあっと言う間に吹き飛ばされちゃうわよ」
社長はそう言ってこの話を無かったことにしようと話を持っていった。魅力的過ぎる話だが、あまりにも胡散臭過ぎる。それにそもそも金が無いのだ。だが早坂は引き下がらなかった。
「契約のことなら心配しなくていい。キミたちに迷惑はかけないよ。あと金の心配もね。ボクはただウェイクアップガールズのプロデュースを任せて欲しいだけさ。それも全面的にね」
社長は目を丸くして驚いた。契約のことも金のことも心配するなと早坂は言った。つまり彼はタダ、無料でウェイクアップガールズのプロデュースをすると言っているのだ。ますますもって到底信じられる話ではない。
「お金の心配もしなくていいって、どういうこと?」
「だから、そのまんまさ。プロデュースしたからってキミたちから金を貰おうとは思ってないってこと」
「タダであのコたちをプロデュースしてくれるって言うの? 世界レベルで活躍しているアナタが?」
「まあ、そういうことになるね」
言質を取るかのように社長は質問を繰り返したが、あまりに良すぎる条件に眉をひそめた。タダより高いものはないという諺もあることだし、うかつに信じて騙されてI−1と全面抗争にでもなったら目も当てられない。ウェイクアップガールズは小さいながらもこの事務所の社運を賭けたユニットであり、潰されるわけにはいかないのだ。
「アナタは彼女たちのどこに魅力を感じたわけ? タダでプロデュースをするって言うぐらいなんだから、相応の理由がなければやっぱり信じられないわよ」
早坂は薄笑いを浮かべると、手にしていたコーヒーカップをテーブルの上に置いた。
「正直言って彼女たちはあまり形の良くない、ゴッツゴツの見てくれの悪い食材だ。けどそれは、逆に言えば調理する側の腕が試されるってことだろう? そんな食材を使って思う存分腕をふるってみたい、そういうことさ」
「アナタならあのコたちをトップアイドルに出来るとでも言うの?」
「ああ、そうだよ。ボクの手にかかればどんなお芋ちゃんでも、三ツ星レストランに出して恥ずかしくないレベルの料理にできるさ」
自信満々な早坂の言葉を聞きながら、社長は腕組みをして考え込んだ。隣りで話を聞いていた松田はただひたすらハラハラしていた。早坂は出されたコーヒーをまた飲みながら澄ました顔をしていた。
「まあとにかく、ボクはもうI−1からは何もインスパイアされないんだよ。だから新しい刺激を求めていたんだ。それがウェイクアップガールズてことさ。お金じゃないんだよ。この仕事は何よりも情熱が大切だからね」
お金より情熱。この男のセリフを本当に信じていいのだろうか? 悩んで悩んで悩んだあげく、ようやく社長は決断を下した。
「いいわ。お願いしましょう」
「そうこなくっちゃ」
「社長!! マジですか? 話が美味過ぎますって」
松田は慌てて止めに入った。
「但し、一筆書いてもらうわよ? アナタとI−1との間に何が起きようと、それは私たちとは一切無関係だって、キチンと書いて残してもらいます。私は今I−1とケンカする気はないの。後で難癖でもつけられたらたまらないからね。それが条件よ」
「いいよ、そんなものが欲しいんだったら何枚でも書くさ。但し、こちらからも一つだけ条件があるんだ」
「一つだけ? 何かしら?」
「ウェイクアップガールズに関する全権をボクに任せて欲しいのさ」
「どういうこと?」
「つまりだね、ボクのやり方には一切口を挟まないで欲しいってことさ。キミたちにはキミたちなりの考えがあるだろうが、彼女たちに関してはそれはナシにしてもらいたい。仮にボクのやり方が気に喰わないとしても一切口を出すなってことさ」
早坂の言い分にも一理あった。なにかにつけて横槍を入れられたら腰の据わったプロデュースなどできるわけがない。もっとも彼は世界的な名声を得ている人物だし、全権を任せること自体は問題ない。それよりもタダでプロデュースしてくれるうえに自分たちの条件は受け入れてくれているのだから、早坂の要求を断れるわけがなかった。
「一つ聞いていいかしら?」
「なんざんしょ?」
「I−1の白木社長は、このことを知っているの? アナタが他のアイドルユニットを手がけようとしてることを」
そう尋ねられると早坂の目がキラッと光り、口元が僅かに緩んだ。
「さあね? ボクの口からは何とも言えないな」
早坂のその答えを聞いて松田は驚いた。
「え? 断りナシですか? それはマズイんじゃ?」
松田がそう言うと、早坂は少しムッとした表情になった。
「なんでボクがいちいちあの人の許可を得て動かなきゃならないんだよ」
「え? いや、でも、それは……」
「そうやってみんながあの人の顔色をうかがってばかりいるから、だからいつまで経ってもI−1に牛耳られたままなんじゃないの? むしろ寝首を掻いてやるってぐらいの気構えで挑むヤツらが現れた方が、彼だってやりがいを感じるんじゃないかと思うけど?」
早坂の言葉には迫力があり、社長も松田も圧倒された。2人は、どうやら早坂は本気でI−1を相手にするつもりらしいとようやく納得した。
「とにかくボクは彼の子飼いでも何でもないんだ。彼は彼、ボクはボクだし、たとえ彼が何を言おうとボクは組みたい者と組む。それで万事オッケー、ザッツ・オールライトって感じかな」
「アナタはそれでいいかもしれないけど、くれぐれもウチに飛び火が来ないようにしてちょうだい。さっきも言ったけど、ウチはI−1とケンカする気は毛頭ないんだから」
「グリーンリーヴスがボクを引き抜けないことくらい白木さんだってわかるだろ。今回の件はあくまでボクからのアプローチなんだ。その点でキミたちに迷惑はかけないよ」
そして早坂は、来週また仙台に来るから、その時からボクにお芋ちゃんたちを任せてもらうからね、と言って事務所を後にした。
こうして早坂相はウェイクアップガールズの音楽プロデューサーとなった。松田は凄いことになったと心が躍る反面、本当に大丈夫なのかという不安も感じた。そしてそれは実は社長も同じだった。早坂の言うことは筋は通っていたけれど、全面的に信用するにはやはり不安が残った。
翌週約束通り仙台を訪れた早坂は、早速ウェイクアップガールズのレッスンに顔を出した。横一列に整列した少女たちの顔をしばらく眺めた後で彼は口を開いた。
「しっかし、見事なまでに田舎臭い感じだなぁ」
いきなり早坂は少女たちに対してそう言い放った。当然少女たちはムッとした表情を浮かべた。初めて会って早々にそんな失礼な言い方をされれば誰だって不愉快になる。だが早坂は次に全く正反対のことを言った。
「田舎臭いけど、でもそこが良いよね。ボクがキミらのプロデュースをしようと思ったのもそれが理由なんだ」
貶されたり褒められたりで少女たちは目を白黒させた。
「それじゃあ、まずはキミたち1人1人の声を聞かせてもらおうかな」
早坂はそう言ってスタジオに設置された電子オルガンの鍵盤を叩いた。
「じゃあキミ、島田真夢クンだったね。キミから行こうか」
そう言われた真夢は、早坂の叩く鍵盤の音に合わせて発声をした。
「あー」
真夢の発声を聞いた早坂は渋い表情を浮かべた。
「その声の出し方、いかにもアイドルって感じだねぇ。ボクが求めているのはそういうものじゃない。キミが今まで持っていたものを総て捨てちゃってくれるかな? 話はそれからだよ」
口調は柔らかいが、それは今の真夢に対する全否定とも受け取れた。当然そう言われて真夢は戸惑った。
早坂は全員の声を聞くと、それから本格的にトレーニングを開始した。まずは仰向けになり両足を上に揃えて伸ばしたまま大きく上下左右に動かしながら発声をするトレーニングからだった。腹式呼吸の練習だ。
キツそうは表情で必死に発声を続ける少女たちを、しかし早坂は甘やかさず手厳しく叱咤した。
「全然ダメだ! もっとお腹から声を出さないと話にならないよ! いいかい、ステージに上がる前に徹底的に基礎体力をつけるのは基本中の基本だから! さあ、あと100回だ!」
それが終わると柔軟体操、そして様々なヨガのポーズと早坂の基礎体力レッスンは続いた。休みなくレッスンを続けながら、早坂はヨガのポーズのまま自分の話を聞くようにと言った。
「いいかい、聞いているかどうかわからないから改めて言っておくけど、僕は毎週末仙台に来てキミらのレッスンをする。土日だけだから長時間ミッチリやるんでそのつもりで。それから第2・第4土曜日は1日3回のライブをこなしてもらう。キミらの経験値を上げるためにね。キミらのこの前のライブを見させてもらったけど、正直レベル低いよね。でもそれは経験値が低いから仕方ない。だから場数を踏んで実戦で身に着けていくって作戦なんだよね。わかった?」
早坂の話を聞いている間、少女たちはずっとヨガのポーズのまま苦しい姿勢を強いられている。わかったかと言われても誰も返事をする余裕などなかった。
「あれ? 返事は?」
苦痛に顔を歪める少女たちに早坂は容赦なく返事を要求した。ようやく振り絞るような声で少女たちが返事をすると、早坂はさらに話を続けた。
「手始めに来月の第2土曜日からMACANAで1日3回のライブを行なうけど、持ち歌も少ないし1回のステージは1時間くらいとして、午後2時・4時・6時の3回で回してみようと思うんだけど、どうかな?」
どうかなと言われても、やはり誰も返事をする余裕などなかった。すでに少女たちの体力は限界に達している。もちろん早坂は意識してワザとやっているのだが。
「あのさぁ、ちゃんと聞いてる?」
早坂にそう言われて返事をした瞬間、全員が同時に崩れ落ちた。みんな腕も足も腰も、体中のどこもかしこもが攣りそうになっていた。
厳しいレッスンがようやく終わり、7人の少女たちは足取り重く帰路についた。今までに経験したことのない激しく厳しいトレーニングで彼女たちは疲労の極に達していた。今までもレッスンはしていたが、これほどまでにキツいレッスンはしたことがない。それともこれが本当のアイドルのためのレッスンだというのだろうか? 少女たちはたった1日のレッスンで身も心も限界状態だった。
「あの……私、足とかがもうピキピキのピッキーズなんですけど……」
未夕がそう嘆いた。どの口からも後ろ向きな言葉しか出てこない。
「お腹空いてるはずなんだけど、疲れ過ぎててもう食べる元気ないよぉ……」
「明日も今日と同じ猛特訓なんだよね……死ぬかも……」
「ホント、ガソリンスタンドのバイトの方が全然楽だよ」
「自主練もして、毎週土日早坂さんのレッスン受けて、隔週で1日3回ライブかぁ……身体もつのかなぁ」
「平日は他のお仕事も学校もあるし、なんか全然休む暇がない感じですね。まるで芸能人みたいですよ」
「いや、みたい、じゃなくて芸能人だから。そこは自覚持とうよ」
「私、続けていけるかなぁ……」
誰も彼もがヘトヘトになっている中で、真夢だけはもう普段と変わらない様子だった。真夢は直接早坂と接点はない。早坂がI−1に関わり始めたのは真夢が辞めた後だったからだ。だが、彼女にとって今日のレッスン程度のことは過去に経験済みだった。
真夢は一番後ろを歩きながら、自分がI−1に入った頃のことを思い出していた。
(あの頃もこんな風に身体をガタガタにしながらレッスンをし続けたっけ)
当時の真夢も今日のみんなと同じ状態だった。このまま続けていけば、いつか今日のレッスンメニューも平然とこなせるようになるだろう。それは真夢自身が証明している。だから頑張って続けていこう……と言えればいいものだが、彼女にはその言葉が言えなかった。何も言わずただ黙ってみんなの様子を見つめていた。
「でもさ、なんかこう、これはこれでなんか頑張ってるって感じしない?」
藍里がようやく前向きな発言をしたが、誰の賛同も得られなかった。
「そうかなぁ? 私はなんか鬱になりそうですよ」
「私も」
未夕と実波の発言はやはり後ろ向きだった。ヘトヘトの今の状態ではネガティブなのも無理はない。藍里はみんなを励まそうとした。
「1人で悩んじゃダメだよ。リーダーのよっぴーに話してもいいし、7人いるんだから何でも相談し合ってみんなで考えようよ。せっかくのグループなんだしさ。ね?」
あまり積極的に表に出ない控えめな性格の藍里が、珍しく積極的に励ましの言葉を口にしたのでみんな驚いたが、そうだねと納得した。本来ならリーダーの佳乃が言うべきことかもしれないが、今は佳乃もみんなと同じように限界状態だったので、佳乃本人にも余裕がなかった。自分の代わりにみんなを励まし自分をたててくれた藍里に、佳乃は心の中で感謝した。
少女たちが重い身体を引きずって帰路についている同じ時間、社長と早坂と松田の3人は仙台駅近くの居酒屋で話し込んでいた。話し込むうちに早坂の話はウェイクアップガールズにとって極めて重大なことに及んだ。
「今日初めて見させてもらったわけだけど、思っていたほど悪くはなかったよ。そうだな……島田真夢・七瀬佳乃・片山実波・久海菜々美の4人はまあ問題ないかな。あと岡本未夕と菊間夏夜の2人もド素人だけどやりようによっては何とかなるだろう。問題は林田藍里だね」
社長も松田も黙っていた。藍里がドが幾つも付くほどのド素人なのは2人にも充分わかっていた。最初のオーディションだって酷いものだった。彼女をメンバーに加えたのは真夢を釣るためのエサだという非情な打算も当初は確かにあった。
けれど今ではそんな考えは社長も、もちろん松田だって持ってはいない。藍里は紛れもなくウェイクアップガールズの一員だというのが2人の共通認識だった。
しかし藍里が一番レベルが低いのもまた事実だ。傍から見ていて一番プロ意識に欠けているように見えるのも藍里であり、残念ながらそれは否定しようのない事実だ。
「あのコは切ろうと思う」
早坂はハッキリとそう告げた。
「ちょっと、そんなこと」
「本気なんですか? 藍里を辞めさせるって、そんな」
社長と松田は色めきたった。藍里のレベルが低いとはいえ、辞めさせようと考えたことなど2人とも1度もなかった。
「おっと。2人とも、口は出さないって約束だろ?」
早坂はそう言って手で2人を制した。社長も松田も何も言い返すことができず、黙って口をつぐむしかなかった。
その夜、藍里はお風呂で疲れを癒した後でレッスンの様子を録画した映像を何度も見返していた。
「やっぱりまゆしぃの踊りにはキレがあるなぁ…みにゃみは可愛いし、よっぴーはカッコイイし、かやたんは何か色っぽいし、みゅーは魅せ方わかってるって感じだし、ななみんは華麗な雰囲気出てるし……それに引き換え私は……」
藍里は自分のダンスを見返してみた。自分で見ても、なんだこりゃ、という感想しかなかった。とても他の6人と比べられるレベルではないと自分でも思った。
「はぁぁ」
溜息しか出なかった。自分だって一生懸命やっているのに、でもみんなとの差はちっとも縮まらない。何よりも自分だけ何もウリが無い。一体どうすればいいというのだろう……
「私はもっともっと頑張らないとなぁ……でもみんなと一緒で良かったぁ。私1人だったら挫けちゃってたかもしれないもんね」
早坂が自分を切ろうとしていることなど想像もしていない藍里は、落ち込みながらもこれからのことを楽しみに感じていた。みんなと一緒だったら頑張っていけると思っていた。
藍里はウェイクアップガールズが大好きだった。両親にも弟にもそう公言していた。弟にはよく、それじゃアイドルじゃなくて単なるファンじゃん、と言われるが、その通りだった。
藍里は自分以外の6人にどこかしら憧れを抱いていた。真夢の技術と才能に、佳乃の格好良さに、実波の可愛らしさに、夏夜の大人びた色っぽさに、未夕の社交的さに、菜々美の華麗さに憧れていた。そんな6人が大好きだった。
メンバーたちが大好きで、ウェイクアップガールズというユニットが大好きで、その中に自分が一員として加わっていることが嬉しくて楽しくて仕方が無かった。みんなと一緒ならどんなにキツいレッスンでも仕事でもやっていけそうな気さえしていた。このままずっとみんなと一緒にアイドルとして活動していきたかった。
しかし彼女の弟が言うように、彼女のその想いはアイドルの視点ではなくファンの視点に近い。彼女の中にはアイドルとしてどうなっていきたいかという視点が欠けている。どんなアイドルになりたいかという部分が欠けている。悪い言い方をすれば、ウェイクアップガールズとして活動していることで満足してしまっているのだ。
もちろん本人はそんなことはないと言うだろう。一生懸命やっているのは事実だし、それは周囲の人間も認めてはいる。けれど、彼女には決定的に欠けているものがある。
アイドルとして活動しているのが楽しくて楽しくて……そんな気持ちが逆に彼女のステップアップを阻んでいる原因だということに彼女自身は全く気づいていなかった。彼女は楽しませる側であるにも関わらず楽しむ側の気持ちになってしまっている。お客さんを楽しませるために何を為すべきかという視点が彼女には全くなかった。
彼女はスタート時点で既に他の6人に大きく出遅れている。それは本人も自覚はしているけれど、彼女には自分を徹底的に追い込むようなストイックさはない。佳乃や菜々美のような上昇志向もないし、誰かと競争して、であるとか、誰かに負けたくない、というような思考がそもそもない。
それは女の子としては魅力的に成り得るが、アイドルという世界においては何をするにもどこか甘さを感じさせてしまう。アイドル活動を自分が楽しむのはいい。しかし自分が楽しむ『だけ』ではプロとしてはダメなのだ。
彼女が自分自身でその点に気づくことができれば違ってくるのだろうが、性格的な部分からくることなので自分で直すことはなかなか難しい。ならば誰かが彼女に手を差し伸べてくれれば……しかし彼女の周囲にそれを指摘し自覚を促せそうな人物は見当たらない。ただ1人を除いては。
翌週末に早坂は再び仙台を訪れて、土日の2日間で徹底的に少女たちを鍛えた。その翌週もまた同じだった。
少女たちにも体力的な疲れがジワジワと表面化し始め、集中力を欠いて仕事中にボーッとしたりケアレスミスをするようになった。その時はディレクターや番組スタッフから笑いながらやんわりと諭されるだけで済んだが、月が変わった第2土曜日には1日3回のライブが始まる。体力を削られまくっている今の状態でライブを成功させられるか、少女たちは不安で仕方が無かった。
月が変わっての第1土曜日。毎週末土日の早坂のレッスンに自主練に仕事に学校にと、少女たちの体力はますます厳しい状況に追い込まれていた。それでも早坂は手を緩めようとはしない。その日も少女たち曰く地獄のレッスンをミッチリと濃密にこなした。
「よし、じゃあ今日はここまでだ。解散」
「ありがとうございました」
早坂にお辞儀をしてお礼を言うなり、少女たちはその場にへたりこんだ。
「おいおい、この程度でそんなにヘバってたんじゃ先行き不安だよ? アイドルはある意味体力勝負。キミらがどれだけ疲れていようとお客さんには関係ないんだ。どんな状況でもどんな状態でも最高のパフォーマンスを披露する。それがプロの責任ってもんなんだからね」
早坂の言葉も今の少女たちには右から左の状態だった。早坂は溜息をつきながら、早く帰って身体を休めるよう促した。
「はぁーい。お疲れさまでしたぁ」
重い身体を引きずるように帰ろうとする少女たち。しかし早坂は藍里だけ1人残るようにと言った。怪訝そうな顔をする藍里とメンバーたちだったが、早坂に他の者は早く帰るように言われ、仕方なくみんな藍里に言葉をかけて更衣室へと向かった。
全員が姿を消すと、早坂は腕組みをして藍里の前に立った。藍里は背筋を伸ばして早坂の顔を見つめた。
「実はキミに話があるんだ」
藍里の表情に不安の色が浮かんだ。
「話というのは他でもない。キミに聞きたいことがあるんだ」
「はぁ……」
早坂が自分に聞きたいことがある。何を聞きたいというのか見当もつかない藍里は生返事で答えた。
「キミは、どうしてウェイクアップガールズのオーディションを受けたんだい?」
「え!?」
「だから、どうしてキミはアイドルをやろうと思ったのか聞いているんだ。なんでアイドルを目指してるんだい?」
厳しい目つきで自分にそう尋ねる早坂に、藍里はオドオドしながらも答えた。
「それは、あの、その、なんか自分を変えてみたいなぁって思って……それで、思い切って応募、したんです、けど……」
消え入りそうな声で話す藍里の話を早坂は黙って聞いていたが、藍里が話し終わっても彼は黙ったままだった。スタジオの中が静寂に包まれた。
「で、どうなの? 実際やってみて、どうよ?」
「はい! それが、実際にやってみると思ってた以上に楽しくって。私、毎日みんなと一緒にお仕事したりレッスンしたりするのが楽しくって嬉しくって。ライブもすっごく楽しいし。あ、レッスンはキツいなぁって思う時もありますけど、でもホントに毎日楽しくて充実してます」
一転してキラキラと目を輝かせながら藍里は答えた。その言葉が本心であることは早坂にもすぐに察しがついた。それほどに彼女は楽しそうに嬉しそうに話をした。だが早坂は藍里の話を聞き終わると、大きくかぶりを振った。
「楽しいのは結構だ。でもね、自分が楽しんでどうするんだい? キミはいったいどっち側の人間なのかな?」
「どっちって……」
「ボクの言ってる意味、わからないかな? いいかい、僕らは楽しませる側であって楽しむ側じゃない。キミは自分がどっち側の人間なのか考えたことがあるかいってことさ。まあ、キミは楽しむ側の方が合っているのかもしれないけどね」
予想もしない辛らつな言葉に藍里は言葉を失った。そして早坂は藍里を絶望の淵に叩き込む言葉を吐いた。
「ハッキリ言うけど、考え方も能力的にもキミはアイドルの才能ないと思う。キミがいることで全体のレベルが下がるんだ。辞めるなら、元の生活に戻るなら今のうちだよ。ボクは今日それを言いたかったのさ」
才能が無いから辞めろ。早坂は藍里にそう断言した。藍里の受けたショックは言葉ではとても言い表せるものではなかった。頑張ればいつかきっとみんなと同じようになれるかもしれない。自分もみんなみたいに輝けるかもしれない。そう思って今日までやってきたが、それは総て無駄なことだと早坂に全否定されてしまった。
才能が無い。藍里にとってこれ以上に残酷な言葉はない。才能が無いのは自分でもわかっていたが、それでもそれを他人からハッキリ断言されるのはショックだった。それに耐えられるほど彼女のハートは強くはなかった。
「じゃあそういうことだから。まあ今すぐ答えを出せとは言わないけどね、でも答えを出すのは早い方が良いとボクは思うよ。じゃあ、お疲れさん」
早坂がその場を去っても藍里は呆然として立ち尽くしたままだった。ウェイクアップガールズを辞める。そんなことは考えたことがなかった。でも自分がいることでみんなの足を引っ張ると早坂は言った。だとしたら、みんなに迷惑をかけているのだったら私は辞めた方が良いのかもしれない。でも辞めたくない。ずっと大好きなみんなと一緒にやってきて毎日が楽しくて充実していて、これからもずっとずっとみんなと一緒にアイドルをやっていきたいと思ってた。辞めたくない。でも……藍里の胸中は揺れに揺れた。
一足先に着替えた藍里以外の6人は、着替えを済ませて玄関へと歩いていた。玄関を出たところで真夢が後ろを振り返って足を止めると、それに気づいた夏夜が声をかけた。
「あいちゃんを待つの?」
「うん。そうしようかなって思って」
「早坂さんの話、時間がかかるかもよ?」
「うん。でもちょっと心配だから……」
夏夜は、仕方ないなぁ、と言いたげな表情だった。その隣りにいた菜々美は、悪いけど自分は限界だから早く帰りたい、と弱音を吐いた。未夕も実波も菜々美と同意見だった。みんな体力的にバテバテになっているのだ。
「みんなは先に帰っていいよ。私とまゆしぃの2人であいちゃん待ってるから」
辛そうなメンバーたちの顔を見て佳乃がそう言った。真夢は意外な申し出に驚いた。自分以外のメンバーは少しでも早く帰って休みたいはずなのだ。もちろん佳乃だって例外ではないはずだ。
「いいよ、よっぴー。私が藍里を心配なだけだから。よっぴーも早く帰って休んで?」
だが佳乃は帰ろうとはしなかった。
「ううん。リーダーだからね。私も残ってあいちゃんを待ってるよ。みんなは先に帰ってもいいからね」
申し訳ないと思いつつも、菜々美・未夕・実波は佳乃の申し出に甘えることにした。夏夜は最初自分が残って待とうかと考えたが、佳乃が残るというので彼女の意思を尊重することにした。彼女には、2人きりになった真夢と佳乃が何か話し合ってくれればいいなという想いもあった。
急に2人きりになると意外に何も話せないものだ。ずっと玄関を見つめながら藍里が出てくるのを真夢は待っている。佳乃は何か話題はないかと考えを巡らせた。
「あ、あのさあ、早坂さん、あいちゃんだけに何の話してるんだろうね?」
ようやく出した話題は当たり障りの無いありきたりなものだった。
「わからないけど、何となく心配で……」
「何か思い当たることでもあるの?」
「そういうわけじゃないんだけど……」
思い当たることがないわけではなかった。真夢はI−1時代に同じような出来事を経験していた。力の劣る者に諦めるよう説得する。その時はそうだった。
丹下社長ならば絶対にそんなことはしないだろう。けれど早坂がどんな人物なのか真夢にはよくわからない。なにしろ真夢も早坂の元でレッスンするのは初めてなのだから、彼の人となりなど知るわけもない。彼がI−1と同じような思考の人間でないという保証はどこにもない。それが心配だった。
「ま、まゆしぃはやっぱり凄いよね。私もみんなも早坂さんのレッスンでバテバテなのに、まゆしぃだけは平然としてるんだもん」
「私は……みんなよりちょっとだけ慣れてるだけだよ」
会話は弾まなかった。真夢としては藍里が気がかりで話が上の空気味だっただけなのだが、佳乃はそうは受け取らなかった。
(2人きりだし、良い機会だから思い切って聞いちゃおうか……でもやっぱり言いづらいし……まゆしぃが気分を害すのも悪い気がするし、でもいつかは聞かなきゃいけないことだし……)
話が弾まないことを気にした佳乃の頭の中では色々な考えがグルグルと巡っていた。
(やっぱりコッチからは聞きづらいよ……まゆしぃの方から言ってくれないと……)
佳乃は真夢の方から話してくれることを願ったが、やはり真夢は何も語らなかった。そうこうしているうちに藍里が着替えて玄関からうつむきながら出てきた。
「藍里!」
「あいちゃん!」
2人に声をかけられた藍里は顔を上げて声のする方を見た。
「まゆしぃ。よっぴー。待っててくれたの?」
2人は藍里の表情を見てハッとした。目が虚ろで生気が感じられない。早坂との間に何かがあったことは明らかだった。
「どうしたの、藍里。大丈夫?」
「具合でも悪くなっちゃった?」
心配して声をかける2人に藍里は、大丈夫だから心配しないで、とだけ小さな声で答えた。
「大丈夫だったらいいけど……もう遅くなるから早く帰ろ? 私もうお腹ペコペコだよ」
そう佳乃が促すと藍里は黙ったまま少しの間立ち止まり、やがてポツリと伏し目がちに呟いた。
「ゴメン。待っててもらって悪いけど……私ちょっとコニビニに寄ってから帰るから」
藍里はそう言って2人の前から足早に去ろうとした。
「え? あ、ちょっと待って藍里! 藍里ってば!」
真夢が引き止めようと声をかけたが、藍里は振り向きもせず黙って小走りに駆けていった。真夢も佳乃も呆気にとられるしかなかった。
「……ねえ、まゆしぃ。あっちにコンビニなんてあったっけ?」
「……多分無かったと思う。駅とは反対方向だし……」
「あいちゃん、やっぱり早坂さんに何か言われたのかなぁ」
2人は見えなくなった藍里の背中を追いかけるように、いつまでも彼女が去っていった方向を見つめていた。
仙台シアターのこけら落とし公演を大成功のうちに終えたI−1クラブは、その余韻にひたる暇もなく毎日厳しいレッスンに明け暮れており、その日も白木がレッスンスタジオで全員を前にして檄を飛ばしていた。
「先日の仙台公演、お疲れ様でした。参加したメンバーもそうでなかったメンバーも含めて、キミたちみんなのおかげでこけら落とし公演は大成功に終わりました」
白木がそう言うと、スタジオ内にいる全員の表情が僅かに緩んだ。だが次の瞬間、彼女たちの表情は再び険しくなった。
「……と、言いたいところですが、残念ながらそうも言えません。なぜならチケットはソールドアウトであったにもかかわらず、当日来なかったお客様がなんと3人もいたのです! こんなことはI−1クラブ全国47都道府県ふれ愛プロジェクト始まって以来のことです! 果たして理由はなんなのか。急に病気になってしまったのか? 親兄弟が親戚に不幸でもあったのか? 学校や会社の都合で涙を飲んだのか? それはわかりません。わかっているのは3人のお客様が仙台シアターに来なかったという事実。それだけです」
たった3人来なかっただけで……と内心で思う者もいたが、誰もが表情を引き締めて白木の話を聞いていた。
「私なりにその理由を分析してみた結果、ある一つの理由が思い浮かびました。それがコレです」
白木が合図をすると、天井から大きなスクリーンが2つスルスルと下りてきた。もう一度白木が合図をすると今度はそのスクリーンにある映像が映し出された。
「これって!」
真っ先に気づいて声を上げたのは相沢菜野花だった。続いて岩崎志保が気づいた。
「これ、ウェイクアップガールズじゃない」
菜野花と志保の声が聞こえた白木は小さく頷いた。
「気づいた人もいるようですが、我々がこけら落とし公演をしたその同じ日に、無鉄砲というか向こう見ずというか同じ仙台でライブを行なったアイドルユニットがいます。それがこのウェイクアップガールズという7人編成のご当地アイドルユニットです」
話を聞いていた少女たちの間から失笑が漏れた。よりによってI−1と同じ日に同じ場所でライブをしたのだから笑われても仕方のない行為ではある。白木は話を続けた。
「私も後から映像を手に入れて見てみましたが、まあなんと言うか、荒削りというか素朴というか、仙台だけに笹かまぼこのようだというべきか、まあそんな感じのホッコリ田舎アイドルでしたけどね」
本当は実際に見に行ったことを隠して白木はそう言った。少女たちの間から、今度は失笑ではない笑いが漏れた。その程度のアイドルユニットではI−1とでは到底勝負にならない。その程度で自分たちにケンカを売ってきたのかという笑いだ。その笑い声を聞いて白木の顔色が変わった。
「ハイ! 今笑った人たち! キミたちはダメです!」
厳しい叱責の声で一瞬にして少女達の笑い声が止んだ。
「キミたちが今笑ったその田舎アイドルが、近い将来間違いなくキミたちに追いつき、キミたちを脅かす存在になるでしょう。彼女たちはそれだけのポテンシャルを秘めているユニットです。ですがキミたちはI−1クラブです。アイドル界の王者であるキミたちは、その座を脅かそうとする者があれば容赦なく蹴落としてやらなければなりません。それが王者というものなのです。彼女たちがキミたちの寝首を掻こうと挑んでくるのなら、キミたちは全力でそれを叩き潰してやってください! キミたちにはそれができる! 私はそう信じています」
「はい!!」
一糸乱れぬ返事がスタジオ中に木霊した。
「それでは人気アイドルの心構えを斉唱して今日は終わりにします!」
「はい!」
「休まない! 愚痴らない! 考えない!」
「休まない!! 愚痴らない!! 考えない!!」
「いつも感謝!」
「いつも感謝!!」
「はい、では解散」
一糸乱れぬ斉唱は相変わらず軍隊のようだが、それこそがまさにIー1の強さだった。軍隊のように厳しい統制の元で各々がスキルを高める。そうでなければ何百人もの人間を統制など出来はしない。今のやり方こそが今のI−1に最も適したやり方なのだ。少なくとも白木はそう信じていた。
第2土曜日。いよいよMACANAで1日3回ライブが行なわれる日を迎えた。
「いいかい。ぶっちゃけチケットはメチャクチャ余ってます。全く売れていません。まず最初の2時の部でどれだけのパフォーマンスを披露してお客さんを惹き付けることができるか。それによってその後のリピーターを掴めるかどうかが変わってきます。まずはこの2時の回に全力を尽くすこと。以上です」
早坂の訓示が終わり、ウェイクアップガールズは楽屋で円陣を組んでからステージへと飛び出していった。観客は30人ほど。前回のライブと同程度の人数でしかない。もっとも1日3回ライブを行い、その3回とも正規の料金を取るのだからファンは必然的に3つの回にバラけてしまう。ウェイクアップガールズの集客力と時間が昼であることを考えれば、まずまずな人数だといえるかもしれない。もっとも仙台MACANAのキャパは250人なのだからガラガラであることになんら変わりはない。
少女たちは早坂に言われた通り全力のパフォーマンスを披露したが、ただ1人藍里だけは全く集中を欠いた状態だった。
マイクは落とす、振り付けは間違える、歌詞は間違える、他のメンバーとはぶつかる。今までやってきたことを総て忘れてしまったかのようなその酷い有様を目の当たりにして、ようやく他のメンバーは藍里が異常な状態であることに気がついた。
3回目のステージを終えて楽屋に帰ってくるなり、藍里は椅子に座ってタオルで顔を覆い隠してしまった。小刻みに震える肩が彼女が泣いていることを示していた。
「ま、これがユニットとしての今のキミたちの実力ってことだ。色々仕事をしてきたんで勘違いしているかもしれないけど、今のキミたちはこの程度でしかないんだよ。それをよく胸に刻んでおくことだね。音も取れない。ダンスのステップもロクに踏めない。最近では幼稚園のお遊戯会でも、もう少しまともなものを見せてくれるんじゃないかな?」
早坂は慰めの言葉など一切かけず、一刀両断にバッサリと少女たちを切って捨てた。誰も一言も言い返せなかった。夏夜などはバカにされた悔しさで肩をあからさまに震わせていたが、悔しいが早坂の言う通りだった。早坂はさらに話を続けた。
「ボクにここまで言われて悔しいかい? 悔しいだろうね。だったらボクを唸らせるようなステージを見せてくれよ。それができないんだったら、戻るんだったら今のうちだ。まだ間に合うよ? いろんな意味でね」
早坂はそう言ってチラっと藍里に目をやった。藍里は相変わらず泣きじゃくったままで、真夢が必死にそれを慰めていた。
早坂の、まだ間に合うという言葉は藍里の心に改めて深く突き刺さったが、もう1人その言葉に反応した少女がいた。光塚志望の久海菜々美だ。
「もう無理ですぅ」
注文したパンケーキを半分以上残したまま、岡本未夕はそう言ってガックリと肩を落としうなだれた。未夕と夏夜はみんなと別れた後、2人で食事をしようと喫茶店に寄っていた。
「え? もう食べられないの?」
夏夜が少し驚いたような顔でそう言うと、そっちじゃないですよぉ、と未夕は言った。
「パンケーキの話じゃなくて、早坂さんの話ですよぉ」
「ああ……そっちね」
未夕は顔を上げると夏夜の顔を真っ直ぐに見つめた。その表情は本当に困り果てているといったものだった。
「私って、褒められて伸びるコじゃないですか?」
「いや……知らないし」
「そうなんです! だから、あそこまでダメだダメだって言われると自信がなくなっちゃうっていうか、なんかもうテンションがグーッと下がりっぱなしっていうか、そんな感じなんですよねぇ」
夏夜はジュースを飲みながら未夕の話を聞いていて、確かにそうだなぁと思った。彼女もあそこまで酷く罵倒されたり自分自身を否定されたことは経験がない。ハートの弱い人だったら落ち込んで自信を失うのも無理はないと思った。
(あいちゃん、大丈夫かな……今日のライブで相当落ち込んじゃってたけど)
夏夜の脳裏に楽屋での藍里の姿が浮かんだ。そもそも今日の藍里は明らかにおかしかった。そりゃあ自分たちはまだまだダメダメかもしれないけれど、今まで出来ていたことが全然出来なくなってしまうのは異常だ。今日の藍里は正にそれで、まるで今日ユニットに加入してレッスンもしないでステージに立ったかのようなミスを連発した。
(この前1人だけ残された時に早坂さんに何か言われたのかな)
それぐらいしか彼女にも思い当たることがなかった。
「これからも、ずっとこんな感じなんですかねぇ……私、ホントにもう早坂さん無理ですよぉ」
未夕は落ち込んでグチをこぼし続けた。
「確かにね……あそこまで罵倒されるとマジでムカツクよね。バイトだったらブン殴って辞めてるかも」
夏夜が突然過激なことを言い出したので、未夕はビックリして目を丸くした。この人は昔ヤンキーだったのでは? という疑惑が彼女の胸の中に生まれた。
「でもさぁ、ムカツクけど、あそこまで言われるとこのまま言われっぱなしじゃ悔しくない? なんか意地でもアイツに認めさせてやるって気にならない?」
「それはまぁ、そんな気持ちも少しはありますけど……でもそれ以上に自信なくなっちゃって……」
「だよねぇ」
夏夜は頬杖をつきながら窓の外を眺めた。思わず溜息が漏れてしまった。こんな風に落ち込んでしまっているのは未夕だけじゃないだろうと考えると、このままじゃマズイなと思った。
(よっぴーはどうするつもりなんだろう?)
グチをこぼし続ける未夕の相手をしながら、夏夜はリーダーである佳乃のことを考えた。
その佳乃は帰宅途中のコンビニで雑誌を立ち読みしていた。なんとなく何か面白い雑誌でもないかなと探していたらI−1キャプテン近藤麻衣のインタビュー記事が載っている雑誌を見つけたので、その記事を読んでいたのだ。
それは麻衣のリーダー論についてのインタビュー記事で、リーダーに求められることは何か、リーダーとして自分が心がけていることは何か、そういったことについて麻衣が語っているものだった。
その記事の中で彼女はこう述べていた。
「キャプテンの仕事って何ですか? てよく聞かれるんですけど、私はキャプテンというのはチームを支える縁の下の力持ちだって思ってます。例えば、誰かが精神的にステージから転がり落ちそうになったら落ちないように支えてあげたりとか。もちろん苦労も凄く多いですけど、でもチームのためになることだからイヤだと思ったことはありません。むしろチームがより成長するためには重要なポジションだと思いますし、そんな重要なポジションを任されていることに責任を感じると同時に私に任せてくれていることを感謝しています。私が成長することでチームも成長していく。そうなれば最高だなって思いながら日々悪戦苦闘していますよ」
記事を読みながら佳乃は溜息をついた。それは自分もわかってはいるけれど、なかなかそれが上手く行かないから悩んでるんだよなぁ……というのが佳乃の本音だった。佳乃は心の中で自分と近藤麻衣を比較していた。
(この人はI−1の中でも年齢的にも上だし実力も備わってるし、だからみんなも一目置いているから話を聞いてくれるんじゃないの? でも私は……)
ウェイクアップガールズには島田真夢という、ひときわ輝く大きな星がある。現状では悔しいが彼女に比べれば自分なんて足元にも及ばない。そんな人間がリーダーだからってあれこれ言っても説得力が乏しいだろう。彼女はそう思っていた。
もちろん実際はそうではなく、実力的に一番優れている者がイコールでリーダーとは限らない。リーダーに求められる資質とアイドルとしての実力は別物だからだ。だが佳乃はそう考えてはいなかった。リーダーとはこうあるべき、という想いが強すぎた。その結果として自らをがんじがらめに縛り自信を失う羽目に陥っていた。
久海菜々美は自宅に戻ると、久しぶりにリビングで光塚歌劇団のDVDを見た。以前は毎日繰り返し見ていたが、最近はウェイクアップガールズの仕事やらレッスンやらに追われて、なかなか見る機会がなくなっていた。
ただ、彼女自身それに不満は感じていなかった。むしろ光塚のことを半ば忘れてウェイクアップガールズの活動に専念し始めていた。彼女の中で100パーセントを占める存在だった光塚に対して、ウェイクアップガールズの占める割合が徐々に高まっている証拠だ。
菜々美は微動だにせず画面を食い入るように見つめていたが、突然早坂の言った言葉が脳裏にフラッシュバックした。
戻るなら今のうちだ。まだ間に合うよ? 色んな意味でね。
早坂は自分たちに向かってそう言った。菜々美の場合は戻るといえば光塚だ。
(やっぱり、光塚の方がいいかなぁ……)
菜々美は傍らに置いてあった光塚音楽学校のパンフレットを手にした。物心ついた頃から光塚を目指してレッスンを重ねてきた。ウェイクアップガールズはスキルアップのための通過点として加入しただけだった。それが今ではウェイクアップガールズとしての活動が楽しくなってきている。みんなと一緒にアイドルをしているのが楽しくて仕方なくなってきている。このままみんなとやっていってもいいかなという考えが全く無いと言えばウソになる。
(でも、やっぱり光塚を簡単には諦められないよ。ずっと目指してきたんだもん)
しかし光塚音楽学校に入って光塚歌劇団を目指すならば、ウェイクアップガールズを辞める以外の選択肢はない。だがそれも今では心残りが多くて簡単には決断ができない。
光塚とウェイクアップガールズとどちらを選択するのか、菜々美の心は揺れていた。いつの間にか考えなくなっていたが、いい加減決断をしなくてはならない。来年度の受験は刻一刻と迫ってきているのだから。
散々な出来だったライブの翌週、また早坂のレッスンを受ける土曜日がやってきた。少女たちはレッスンスタジオに集合して各々で準備を始めていた。真夢はスタジオに入ると、先に来ていた佳乃の元へ真っ直ぐに向かった。
「よっぴー、あのね」
「まゆしぃ? どうしたの?」
佳乃は暗い表情の真夢を見て怪訝そうな表情を浮かべた。
「藍里が今日はレッスン来ないって。さっき連絡があって……」
「え?」
佳乃の顔色が変わった。
「どうして? 具合でも悪いの?」
「それがそうじゃないらしくって……もうウェイクアップガールズを辞める……って……」
「えっ……?」
佳乃は絶句してしまった。他のメンバーが2人の雰囲気が妙なのを感じて集まってきた。
「どうかしたの?」
「それが、藍里がウェイクアップガールズを辞めるって言ってて……」
「えぇぇ!?」
突然降って湧いたような話を聞いて少女たちに動揺が走った。佳乃が藍里の携帯に電話をしてみたが、藍里は出なかった。早坂のレッスン時間が近づいているのに少女たちはオロオロするばかり。もはやレッスンどころではなかった。やがて早坂がスタジオに姿を見せ、少女たちは慌てて集合し早坂の前に整列した。
「おや? 1人足りないようだが?」
藍里がいないことに気づいた早坂は佳乃にそう尋ねた。
「それが……あいちゃんが今日は休むって連絡があって……」
「ウェイクアップガールズを辞める、とでも言っていたのかな?」
全員が耳を疑った。なぜ早坂はそのことを知っているのか?
「まあいいさ。ちょうど良い機会だからこの場で話しておこうか」
6人を前にして早坂は話し始めた。
「先週のステージを見て、僕なりに考えたことがある。ボクの見解だが、林田藍里はウェイクアップガールズには必要ないと思う」
6人の少女たちは耳を疑った。早坂は、藍里は必要ないと確かに言った。
「みんなも承知しているように、今ウェイクアップガールズに関してはボクに総ての権限が与えられている。そのボクの見解だ。ボクは林田藍里を切り捨てようと思う」
顔色一つ変えずに早坂はそう言った。怒りに肩を震わせて夏夜が食って掛かったが、ボクに総て任されていると言っただろ、と言って早坂は夏夜を一蹴した。そして早坂は少女たちに2つの選択肢を与えた。
「キミたちがボクの指示に従って林田藍里を切り捨てることに賛成するのなら引き続きレッスンをする。もしそれが出来ないと言うのなら……全員この場でクビだ!」
少女たちは言葉を失った。藍里を切り捨てて6人でやっていくのか全員クビになるのか、どちらかを選べと急に言われても決められるわけがない。今まで7人でずっとやってきたのだ。藍里を切って6人でやっていくなんて誰一人考えたことはない。一体どう答えを出せばいいのか……困惑する少女たちを尻目に、早坂はさらに追い討ちをかけた。
「10分で結論を出せ」
もはや少女たちはパニック状態だった。こんな大きな問題の答えを僅か10分で出せだなんて、無理難題にも程がある。メンバーの1人を切り捨てる決断なんて10分で出来るわけがない。顔を見合わせながら少女たちは、どうすればいいのか途方に暮れた。それを尻目に早坂は黙ってスタジオを出て行った。
スタジオ内の時計は刻一刻と時を刻んでいく。藍里だけを辞めさせるか、それとも全員で辞めるか。タイムリミット10分の話し合いが始まった。
説明 | ||
シリーズ第12話です。アニメ本編で言うと6話に当たります。ようやく本格的に早坂さんが話に絡み始めました。アニメ本編では登場直後の早坂さんは結構イヤなヤツに見える描写ですが、自分は厳しいながらもマイルドな物言いをするタイプに若干変えているつもりです。相変わらず悩みに悩みまくる少女たちですが、雨空から明るい陽が射すまであと少しです。 | ||
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WakeUp,Girls! TV WUG アニメ ウェイクアップガールズ 二次創作 小説 | ||
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