紅と桜〜水素の檻−無音空間〜
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   紅と桜〜水素の檻〜

              雨泉 洋悠

 

 怖い

 

 その場を埋め尽くす、水素を纏わりつかせて、その数を減らした酸素と、滴のみが降り落ちる中で、貴女は唯一人、立ち上がった。

 

 どうして?

 

 どうして、貴女は、瞬間の熱気は全て奪い去られ、こんなにも、冷え切ってしまったはずの空間で、そんなにも、力強く前を見据えて、たった一人で、立ち上がる事が、出来るの?

 

 貴女は、誰なの?

 

 貴女は、そんな風に、何が起こっても、ひとりで歩き、私達に笑顔を届け続けて、そうして何時か、力尽き倒れ、誰かの心に抱かれながらでは無く、その小さな身体一つだけを携えて、笑顔で消えていくの?

 ああ、幸せだったなあ……って、楽しかったなあ……って、愛しいなあ……って、嬉しかった事も、哀しかった事も、辛かった事さえも、全てに満足しながら、その死に際の切なさすらも、その小さな胸だけに抱き留めて、私の前から居なくなるの?

 

 そんな貴女が、今私は、堪らなく、震えも止まらなくなる程に、流れ落ちる滴の温度すらも忘れるほどに、怖い。

 私は、こんなにも恐ろしい貴女を、なぜ美しいと、感じてしまったの?

 

 

 

   紅と桜〜無音空間〜

 

「私、海未先輩の歌詞、結構、好きですよ」

 その日、作曲組として真姫と二人、ピアノを前にしてイメージ合わせをしている時に、ふと真姫が、何気ない一言を呟きました。

「あ、ありがとうございます。面と向かって褒められてしまうと、何だか照れ臭いものですね」

 普段皮肉屋っぽい面も見せる真姫ですが、そんな彼女の内側には、素直な想いが沢山詰まっている、そんな事に気付けたのは、何時からだったでしょう、あの日の屋上でしょうか。

「海未先輩の歌詞、あの日穂乃果に渡されて、初めて見させて貰った時から、想いとか、感情とか、気持ちとか、そう言うのを素直に、丁寧に文字にしているのが、凄く伝わって来て、きらきらしてるなあって、ずっと思ってるんですよ」

 何でしょう、今日の真姫はとても素直ですね、おかげで自分の頬の温度が、徐々に高くなっていっているのが、自分でも解ってしまいます。

 と言っても、真姫が本当の意味で素直ではなくなってしまうのは、穂乃果でもなく、もちろん私でもなく、あるひとりの人の前でだけだと言うのは、良く解っていますけれど。

「私がつくった曲に、海未先輩の歌詞が始めて載って来る時、それを初めて披露した時の皆の反応、初めて聴く人達が、今度はどんな想いを言葉に載せて、私達に届けてくれるのかと、その瞬間を待ち望んで、その時々で、始まる直前に、みんなが一瞬だけ静まり返る時、ああ、こんなきらきらした歌詞を、私は私の曲に載せる事が出来るんだなあって、凄く満たされた気持ちになれるんです」

 褒められすぎると、調子に乗ってしまいそうですから、素直になった時の真姫の前では自制が必要ですね。

 ああ、そう言えば、歌詞の話しなら、穂乃果が前に言っていましたね。

「褒められて恐縮です。そう言えば真姫、穂乃果に聞きましたけれど、真姫と初めて会った時に弾いていた曲には、ちゃんと歌詞があって、真姫自身で歌っていたと聞いています。どんな歌詞なのか、歌詞を担当させて頂いている身としては、曲を担当している真姫が、どんな歌詞を自分の曲につけていたのか、気になります。もし宜しければ、聴かせて下さいませんか?」

 真姫はちょっと驚いた顔をして、ああこれはとても、普段の表向きの真姫らしい、反応を。

「うええええ、穂乃果あの日の曲覚えてたのね、穂乃果の事だからそんな事もうすっかり忘れて、先に進んでいるのかと思っていたけれど」

 真姫もまた、私と同じように頬の温度を上げてしまったのが、解ります。

 横を向いてしまった、真姫の耳も、赤く染まっています。

 その様子は私ですら、愛らしさを感じます。

 そう言うところなのでしょうか、あの人が止められないぐらいに、惹かれてしまった部分と、穂乃果が無意識の内に、真姫に可能性を感じたのは。

「聴かせて下さい、真姫。私達が、穂乃果が貴女に出会えた、その前の、私を知らない、私の知らない真姫が、紡いだ言葉を、私も知りたいです」

 今はまだ、穂乃果だけが、真姫に教えられて、知っている事だから、私も今のうちに、真姫自身から聞いておきたいのです。

 ああ、また、とても素敵な瞳で、私を今、見てくれていますね。

「解りました、何時も素敵な言葉を聴かせてくれる、他ならぬ、海未先輩の頼みなら。でも、まだ未完成ですから、歌詞がついているのは一部だけですよ?」

 そう言って、一息つくと、真姫は姿勢を正して、準備します。

 私の心は今、期待に満ちています。

 先程、真姫が言った、何かが始まる前の、一瞬の静寂、音の消える世界。

 この胸がより一層高鳴ってしまうのは、真姫が余りにも素直すぎる笑顔で、この空間を抜けた後に、最初の言葉を紡ぎ始めたせいなのかも、知れません。

 

 

 

「どうでしたか、海未先輩。先輩?」

 真姫が、また驚きの表情で、私を見ています。

 それは困惑の色という方が、正しいのかも知れません。

 そうでしょう、今の私の頬を流れる滴を見て、貴女がいつも通りの顔をしている筈が、ありません。

 私は、聞かなくてはなりません、この歌詞が、あの人が、穂乃果が、私達が、出会う前の、真姫から生まれた、その理由を。

「真姫、貴女の生み出した言葉は、私の言葉などよりも、遥かに素直で無垢で、素敵です。礼を欠く事を、承知の上で、敢えて聞かせて下さい。この歌詞をつくり始めた理由を」

 ごめんなさい真姫、貴女の心に踏み込んでごめんなさい、この歌は、今私だけが聞いて良いものでは、無かった。

 穂乃果が、自然とその存在に意識が行かなくなっていたのは、そういう事だったのですね。

 それでも、貴女の心を自分から聞いてしまった今、私はそれを、聞かない訳にはいきません。

 ああ、また真姫を真っ赤にしてしまいました、申し訳ないです、先輩。

「そ、そんな事、先輩の歌詞だっていつも素敵ですよ。それに、礼を欠いたりなんてしてないです。聞いて貰って大丈夫です!」

 ああ、もう貴女はもしや、何時もこう言う場面では、そのように素直になっているのですか?

 私は、申し訳無いですが、こんな事では、先輩の方が、少し、不安です。

 私はハンカチで目元を拭い、出来る限り自然になるように、笑顔で真姫の言葉を促します。

 真姫は、少し安心した様子で、僅かに目を伏せて、話し始めてくれました。

「この歌詞は、実を言うと、中学の時に、私をこの場所まで、手を引いて連れて来てくれた子が居て、不器用で素直じゃない私を、好きになってくれて、友達になってくれて、大切に思ってくれて、でも、私はそんなその子に、何も返せなくて、だから、次に会える誰かには、素直に色んな事を伝えられるようになりたい、そう思ったけれども、まだやっぱり私には難しくて、歌にするなら、自然に言えるかなと思って、作った歌詞なんです。何時か、出会える誰かに伝えたくて」

 真姫、貴女は今、そのとても愛おしげな表情の奥で、誰の事を考えていますか?

 自惚れさせて下さい、その貴女の大切な友達が、貴女を導いてくれた先に、居たのは穂乃果であり、私達であると。

 そして、その中で、貴女の事を、一番に大切に想っている、あの人だと。

 残酷な事を思わせて下さい、この曲はあの人の為に捧げられるべきであり、私達は必然として受け取ることが出来ると。

 これは私が、あの人の為と、言いながら、身勝手に貴女に押し付ける、私の罪です。

 貴女がその友達の為に、この歌詞を紡ぎ始めた事は、痛いほどに解ります。

 ですが今、貴女の中に芽吹いている想いは、貴女の、これからの全てを、左右するでしょう。

 私がそうでした、だから解るのです。

 今は、その愛おしげな微笑みの奥の、淡い想いを、貴女はただ優しく撫で、育てて下さい。

 貴女はこの歌を、一心にあの人に捧げるべき時が必ず来ます。

 そこに私達が居ることは出来ますが、貴女の大切なお友達は、居る事が出来ません。

 いつか、この曲をそのお友達に、お聴かせする事もきっとあるでしょう。

 その時、貴女は明確にこの曲が誰の為に捧げられたか、告げる形になるでしょう。

 それを受けた彼女の想いを、貴女は一人で受け止めなければならなくなるでしょう。

 それがどのような形になるかまでは、私には解りませんが、その時には真姫が、その想いを明確な形で、受け止めてあげられるようになっていなければ、いけません。

 貴女がこの曲を、あの人の為に、捧げる咎は、私が引き受けましょう。

 私は演奏後膝の上に載せられていた、真姫の手を取ります。

「真姫、この歌詞、完成させましょう。アドバイスさせて下さい。そして、貴女の言葉だけの、そのままの貴女を伝える歌を、完成させましょう」

 真姫はより一層、その赤さを増して、私に向けて微笑んで、頷いてくれました。

 

 ごめんなさい、未だ見ぬ、今の真姫をここに導いてくれた、私達の大切な人。

 あの人ではなく、私が貴女から、真姫を奪って行きます。

 

次回

 

解っちゃった

 

説明
真姫ちゃんが乗り越えていかなければならないもの。
それは彼女が生まれてはじめて味わう、本物の恐怖。

今日ついにのんたん回なんですよね…。
のんたんが1期から抱いてきた色んな想いを今回自ら語るとしたら…。
今夜の回がおそらく2期の大きな転機となるのでしょう。
1期では9人が初めて揃う回ですから。
取り敢えず文字書きしながらその時間を待とうと思います。
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