鶸過去話
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 俺は、豪商の妾の子として生まれた。

 物心がつくかつかないかという頃に、母は亡くなった。二、三歳だろうか。だから、正直なところ顔もよく覚えていない。ただ、俺の名前の由来になったこの瞳の色は母親譲りだというのは知っている。

 そして、髪の色は、あの父親譲りだ。どうせなら、髪の色も母親譲りならばよかったものを……。

 

 

 母が生きていた頃は、二人で別宅に住んでいた。時折あの男が――父親がやってくるという生活だった。その頃は、父親のことも好いていた覚えがある。幼子は自分の境遇など知らないのだから。今となっては、あの父親を純粋に好くなどありえないことだが。

 母が亡くなってからは、父親と義母、そして異母兄弟たちが住む本宅に移された。当然、妾の子である俺がいい顔をされるわけがない。初対面の時、兄弟たちはまだ子供だからいくらかマシだったが、義母からの冷たい視線はいまだに覚えている。なぜ自分がここに来たのか理解できないほどの子供が、明確な敵意を感じ取ったのだ。今思えば当然ではある。

 

 

 子供というのは、親、特に母親の影響を受けやすい。兄弟たちも、すぐに自分たちの母親から俺へ向かう敵意を感じ取り、親を真似て俺に敵意を向けてくるようになった。次第に敵意を向けられることにも慣れてくると、俺は受け流すために笑うようになった。それも気にくわなかったのだろう、兄弟たちの目はますます厳しくなっていった。義母がけしかけていたわけではないと思うが、母親が止めないのだ。兄弟たちは増長していった。

 あの男は――父親は、良くも悪くも、俺と兄弟たちに同じように接した。でも、それはけして俺にも兄弟たちにも平等に愛情を注いだという意味ではない。むしろその逆だ。俺は父親に可愛がられた覚えはないし、本妻の子である兄弟たちのことも、特に可愛がっている様子でもなかった。それと、俺にとってはどうでもいいことだけど、夫婦仲もあまり良くはなかっただろう。俺の母以外にも、囲っている女性がいたかもしれない。

 

 

 そんな家庭環境だ、俺も兄弟たちも、捻くれて育ってもおかしくない。兄弟たちはそれぞれ難ありだ。俺だって、もっと捻くれてろくでもない人間になっていたかもしれない。いや、実は俺も自覚がないだけで、どこか問題のある人間なのかもしれない。

 俺は幼いながらに思うところがあったものか、単におとなしい子供だったものか、あの家では極力穏やかに、波風を立てないように過ごしていた。家に執着も愛着もなかったが、どこか頼れる所も誰か頼れる相手もいなかったから、縮こまって生きていた。

 

 

 転機が訪れたのは、七歳を数える年だ。一家で異国に渡ることになった。大きな商家だったから、将来の手伝いや家業を継ぐときのためにみんなで行くということだった。だが、俺は自分も一緒に行くのだとは思っていなかった。だから、俺も遠い国に何年も住まうのだと知ったときは驚いた。正直なところ、道中で捨てていかれるのではないか、こっそり一人で逃げたら楽になるのではないかと考えたこともある。かといってどこかあてがあるわけでもなかったし、そんな行動を取れるような勇気はなかった。

 

 

 でも、今は一緒に異国に行って良かったと思っている。剣術も火薬の扱いも学べたし、親友にも大切な人にも、師と呼べる人にも出会えた。

 視野を広げることもできたと思っているし、この国だけにいたら出会えなかった人たちだ。また機会があれば会いたいとは思っている。かなり遠い国だから、そうそう行けるところでも来られるところでもないのが残念だ。機会があれば……もしかしたら、俺は今の生活を置いても行くのかもしれない。

 

 

 異国に来て6、7年は経っていた頃か。取引先や相手方との信頼関係など仕事の目処がたったらしく、帰国することになった。 俺たちが異国生活を送っている間、父親はまた別の国に行ったり、一度帰国したりしていた。自分の店で大口の貿易をするために、いろいろと動いていたようだ。

 このまま残りたい気持ちはかなり大きかったが、俺は成長してもあの家で波風を立てないように生きていることは変わらなかった。ひとり残ったとしても、嫌味は言われこそすれ、向こうも厄介払いができて清々したはずだ。それが分かっているから、あえて一緒に戻ってきたのかもしれない。些細な嫌がらせのように。

 

 

 帰国して少し落ち着いてきた頃、父親が急逝した。慌ただしく葬儀を終えた頃には……義母も兄弟たちも、店や遺産をどうするかと言い出していた。俺はあの父親の遺した店にも遺産にも興味などなかったが、こんな早々に遺産の話で揉めはじめるのかと嫌気がさした。

 息子も娘も、妻でさえも、悲しんだり寂しがったりするよりも相続争いだ。俺だけではなく、ほかの人間からもろくに好かれてはいなかったんだな、と再認識した。

 一応、四十九日まではあの家にいることにし、その辺りで家を出ようと決めた。義母と兄弟たちを呼びだし、四十九日を過ぎたら家を出ようと思っていること、遺産は一切いらないこと、もし相続が気がかりなら勘当という扱いでも構わないことを伝えた。予想通り、二つ返事で了承された。俺をいたぶるのが大好きな姉だけは睨んできたが。

 法要も済ませ、異国から持ち帰った曲刀と最低限の荷物を持ち、俺は家を出た。

 

 

 その後は、気のむくままに人助けをしたり手伝いをしたりして過ごしてきた。気がつくと、俺は「ここのつ者」と呼ばれるようになっていた。

 ある時、峠の茶屋に集まる人々がいると聞いた。様々な面倒ごとが持ち込まれるが、嫌な顔もせずに解決している人々だと。興味を引かれ、俺は茶屋に向かった。一歩足を踏み入れた時、

「大変でやんすー!」

と声が聞こえてきた。顔を向けると、目の周りを布で覆った少年が駆け込んでくるところだった。息を切らした少年と目が合う。俺は、話を聞いてみることにした。こういうところが「ここのつ者」なのかもしれない、と思いながら。

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砥草鶸の過去についての独白です。
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