すみません、こいつの兄です。87 |
居間で珍しいことが起きている。
妹が両親と喧嘩をしている。
うちの妹は、バカだが基本的には両親の言いつけは逆らったりしない。しかも、成績は授業内容と教科書と辞書を丸ごと異常記憶能力で脳みそに入れているから、抜群にいい。ダメなのは国語などで「このときの作者の気持ちを……」という問題だけだ。
そんな妹なので、両親に怒られることは意外にもあまりない。
その妹が居間で、両親と喧嘩している。
「いやっす!私、にーくんと同じ大学行くっす!」
「でも、真菜。もったいないでしょ。せっかくいい国立に入れる成績なのに」
母親が、なだめるように言う。
「いやっす!東大とか要らないっす!」
そうなのだ。うちのバカ妹は模試で東大B判定なのだ。ありえない。東大の先生に言いつけたい。こいつズルなんだ。サヴァンなんだ。見たもの全部記憶しているんなんて、ズルでしょう。
「いや。真菜。そこは、ほらお父さんを助けると思って国立行ってくれないか?」
父親が現実を持ち出して、妹を説得する。
「そうよ。直人の頭じゃ私大しか行けないから仕方ないけど……あんたは、成績いいんだから」
出来の悪い兄がだんだんいたたまれなくなってきた。
俺は、こっそり逃げ出して二階に上がる。
俺はどちらかというと、両親サイドだ。妹はバカだが、成績はいい。バカだが、人望も厚い。つまりカリスマがある。記憶力はビデオカメラに勝負を挑んで勝てるレベルだし、論理の組み立てもできる。見た目がちびっこくて中学生みたいだから、ナメられることもあるだろうが、ちゃんとしたエリートコースに進めば大成する可能性は高い。
正直言って俺とは出来が違うのだ。遺伝子的に俺に極めて近いとは信じがたいほどに出来がいいのだ。性格と精神はエキセントリックこの上ないが、優秀か否かで言えば確実に優秀なのだ。それこそ、東大に合格してしまいそうなほどに。
だけど居間で俺がそれを言い出したら妹が孤立無援になってしまう。それはそれで、嫌だ。
なので、逃亡。
俺は臆病なのだ。臆病者はいつだって逃亡する。
臆病者は耳を塞いで、部屋でラノベを読む。逃避にはラノベか漫画か、エロゲだ。二次元最高。逃避したままベッドで眠りに逃避する。
翌朝。妹が逃避してた。
おっと。そっちまで逃避するとは予定外。
具体的には、妹が家出してた。
「直人、どうしよう?」
母親がおろおろしている。父は、どうしても外せない仕事の出張で朝早くから出てしまった。仕事って、そんなに大切なのかね。自分の娘が家出だぞ。俺ならともかく、娘だぞ。真菜はああ見えてけっこうロリコンに人気があるんだぞ。
父親のダメっぷりをなじっても仕方ない。
「まずは、あいつが持ち出したものを確認しよう」
妹の部屋に入る。持ち出したものを確認するためだ。なにを持ち出したかで、とりあえずの逃亡期間と距離が推理できるかもしれない。
携帯電話は置きっぱなしだ。というか、これ見よがしに机の上においてある。
しかし、これはあまりあいつの場合弱点にならない。電話帳の中身の電話番号もメールアドレスも暗記しているから、公衆電話でもほぼ同じことができる。案の定、ゲームの予約特典でコレクションしていたテレフォンカードは持ち出されている。
学生証はない。つまり身分証明書は持っている。
財布もないな。あいつ、いくらくらい現金を持っていたかな。
カバンはわりと大き目のいつも使っているリュックがひとつない。
着替え……クローゼットを開けても分かるわけないか。妹のパンツの枚数なんて覚えていない。でも、いちおう確認する。制服はかかったままだ。パーカーとジーンズはないな。
部屋の確認を終えて、今度は玄関脇を確認する。
あいつの自転車がないな。
普段は、あまり自転車に乗るやつではないが、専用の自転車を持っている。その自転車がない。ちなみに俺の自転車は川の底で眠っているはずだ。
市瀬家には母親が電話して聞いてみたらしい。市瀬家には行っていない。
妹のほかの交友関係は知らないが、制服を持ち出していないところを見ると学校での知人宅には行っていないだろう。学校に行くつもりがないのだからな。
心あたりが、まるでない。
「ちょっと、心あたりを周ってみるよ。母さんは、家に連絡があったときのためにここに居てよ」
心あたりもないのに、適当なことを言って外に出る。
こういうときくらい、真面目に役に立って欲しいと思う。今まで、何度も余計な場面で顔を出してきたニュータイプ能力だ。妹はどっちにいる?
まずは駅に向かう。自転車に乗っているのだ。駅から電車に乗ったのなら、駐輪場に妹の自転車があるはずだ。なければ鉄道沿線じゃない。
駐輪場で妹の自転車を探す。
似たような自転車はいくつか見つかったが、妹の自転車ではない。
つまり電車には乗っていない。
「直人」
駐輪場を出たところで、大学に行く途中とおぼしきみちる先輩に呼び止められる。
「先輩」
「どうかしたの?」
「いや、ちょっと……妹が家出して」
「どこ探す?」
「え?」
意外な返答が返ってきた。みちる先輩なら「ふーん。がんばってね」とか言いそうなものだ。
思いがけない協力の手を得て、駅前の本屋にみちる先輩と立ち寄る。
「地図を買おう。パソコンでもいいんだけど、画面小さいからね」
みちる先輩は、つかつかと本屋の奥に進んでレターボックスのお化けみたいな引き出しから、新聞紙の倍はありそうなサイズの地図を引っ張り出してレジに持って行く。本屋って、あんなのも売っていたんだな。
「あ。俺、払いますよ」
「ん」
その後、隣の喫茶店に突入して地図を広げる。
「自転車で出て、電車に乗ってないんだろ。じゃあ、半径三十キロくらいがせいぜいだろ」
広げた地図の俺の自宅あたりを中心にして半径三十キロの円を描く。
「みちる先輩、なんだか手慣れてますね」
「探偵モノの漫画を描いたときに、家出少女を探すネタを描いたことがあるから」
なるほど。漫画を描くということは、現実っぽさのシュミレーションだ。これは心強い味方を得たぞ。リアル探偵とまでは行かないが、それなりに時間をかけて『もし探偵なら』という考えで家で少女を探したことがある人ということだ。
「妹ちゃん、どういう性格?」
「エキセントリックでデスでメタルでサヴァンです。あとエロゲ好きです」
「エロゲ?」
しまった。要らない情報を与えてしまった。……いや。探してもらうのに、情報を隠しちゃいけないな。家族の恥ではあるが、妹の恥だし、俺の恥じゃないし、いいや。
この情報が外に漏れたことが知れたら妹は家出しちゃうかもしれないが、もう家出しているのでこれ以上悪くなることもあるまい。
妹の行動パターンを推理してもらうために、俺のあやふやな記憶力で思い出せる限りの妹の行動をみちる先輩に伝える。
「直人。冗談を言っている場合じゃないんじゃないの?」
信じてもらえなかった。
「これが、全部真実だから困った妹なんです」
「直人の妹ちゃん、ふたつの意味で頭おかしい」
「知っています」
「……」
「それは、それとして妹が行きそうなところなんですけど、学校の友達のところや親戚のところはもう電話してみたんで、ないんですよ。あと、あいつが身を寄せられるところなんてないから……手持ちの現金の量によるけど、ネットカフェか図書館か……」
一旦帰って、パソコンで三十キロ圏内の住所とキーワード『ネットカフェ』で片っ端から検索してみるか……。
「もう一つ」
みちる先輩が人差し指を立てる。
「他のところが?」
「直人、妹ちゃんと二人で出かけたところとかある?」
「そりゃ、たくさんありますよ」
「子供の頃しか行っていないところがあったら、そこにまずは行ってみるのもいいと思う」
「?そりゃまた……どういう推理です?」
みちる先輩は、少し首を傾げる。
「妹ちゃん、家出するくらい追い詰められたんでしょ。進路で親と喧嘩したくらいじゃなかなか家出しないよ」
「他に原因が見当たらないんですけど」
「家出って、そういうものだよ。私も、家出したことあるから分かるんだ。っていうか、今もまだ家出中だから」
「はい?」
「高校三年生のときに、家出して保証人の要らないアパート借りて、そのまま大学に通ってる。まぁ、親は知ってるし連絡もしたから家出じゃないかもしれないけど」
それまた、変わった独立のしかただな……。
でも、今はみちる先輩の話を聞いている場合じゃない。妹だ。
「その話は、また今度聞かせてください。ちょっと、心あたりに行って見ます」
そう言って、地図を持って喫茶店を出る。
駅前の自転車屋にレンタルサイクルののぼりが立っているのを見つける。いいもの発見。電動アシスト付き自転車を借りる。
子供の頃、妹と行ったところか。近所の公園とかが多かったけど、そこはナシだろう。
じゃあ、あそこか。
最初に向かうのは、自宅から十キロくらい離れたところにあるラジコンカーのコース。昔は、ミニ四駆のコースもあって、妹と二人でバスに乗ってミニ四駆を走らせに行ったことがある。
十キロ。電動アシスト付き自転車でも一時間弱かかる。
アスファルトがひび割れた歩道を走りながら、妹のことを考える。あいつ、記憶力は昔からよかったけど、手先は不器用だったから結局二台とも俺が作った気がする。シリコングリスを塗ったりしたな。俺のは青と白で、妹のは黄色と赤のカラーリングだった気がする。細かくは思い出せないけど。
コースに到着する。自転車を駐車場の脇に止めて、中に入る。記憶にあるよりもずっと狭い。ラジコンのコースはまだあったが、ミニ四駆のコースはなくなっている。どこにあったかも思い出せない。平日から大人が数人ラジコンをやっている。それ以外はショップの店員がいるだけだ。妹はいない。
「はずれか」
自転車に跨って、次の目的地に向かう。
次は、妹と何度か行ったことがあるフィールドアスレチック場だ。最初は両親に連れて行ってもらって、その後、妹がやたらと気に入って連れて行けとうるさくなって、仕方なく連れて行ったところだ。
ラジコンコースのある場所からなら三キロほどだ。
程なくして到着する。フィールドアスレチック場は、フットサルとゴルフ練習場に姿を変えていた。ちょっとがっくりきた。いないだろうなと思いながら、中をざっと探す。案の定いない。
「あのバカ、本当にどこに行ったんだ」
……そもそも、俺はみちる先輩の推理を信じて、妹と過去に遊びに来たところばかり周っているが、それは正しいのか……。やっぱりネットカフェとか探した方がいいんじゃないか?
それでも、半ばやけになって、記憶をたどりながら妹と行った所を順番に周っていく。
ゲームセンター。
映画館。
ボウリング場。
つり掘。
博物館。
巨大迷路は、カートコースになっていた。
カートコースを出たところで、ポツリポツリと雨が降り始めた。
「マジか、勘弁してくれよ」
天に向かって勘弁を願うが、願いが通じないどころか、雨足はどんどん強くなってざんざん降りになる。
ふっざけんな。
あのバカ、屋根のあるところにいるんだろうな。自転車乗って走ってたら、びしょぬれだぞ。間違いない。なんたって、同じように自転車に乗って走っている俺がびしょぬれだ。
これは、だめだ。
どこかで雨宿りしよう。
できれば、自転車のバッテリー充電させてもらえないかしらん。さっきから、電動アシスト切れてんだけど。
雨宿りをする場所を探している俺の視界に、雨にかすんで丘の上の観覧車が見えた。
あ。
そういえば。
あの遊園地。子供の頃に一度だけ両親に連れて行ってもらった。その後、また両親に連れて行ってくれと言ったが、両親がたまたま仕事で忙しくて連れて行けなかった。それにヘソを曲げた俺と妹が、二人だけで自転車で行ったことがある。妹はまだ補助輪つきの自転車だったな。結局、入園料が払えなくて、そのまま戻ってきたんだが、子供の自転車の足だったから帰ったころには夜になっていて、ものすごい怒られた記憶がある。
楽しい思い出ではないが、そういえば、あそこも妹と行ったところだな。
くっそ。
もうこれだけ濡れたら、一緒だろ。
びしょぬれになるのも構わず、というか、気にしないことにして坂道を登る。子供のころもやけくそになって登ったっけ。妹が途中で音を上げて、二人分の自転車を俺が押したんだ。嫌なこと思い出した。
あのバカ、本当に本当に本当にいつまで経っても手間がかかる。
雨足は弱まりもせず、豪雨とまではぎりぎり言えない寸前の強さになってきた。冷たい。
そして、陽が落ちて、周りが暗くなってきた頃、遊園地に到着する。
いや。
正確には、遊園地跡地に到着する。
何年か前に、廃業したのだろう。すっかり廃墟だ。立地条件もあまりよくないためか、そのまま放置されている。
「まさかな……」
いくらなんでも、こんなところに居るわけないと思いつつ、壊れたキップ売り場の脇を通って、中に入る。入り口の横にあった建物はレストランだったかな。左側のはバギーコースだったな。二人乗りのに乗った気がする。ゲームコーナー。コーヒーカップ。ウォーターライドのコースは水が枯れて、草が生えている。
昔は、ビニールの屋根の下で子供たちを乗せて走ったコイン式のパンダや動物の電動ライドが、そのまま雨に打たれている。
同じくらいびしょぬれになった俺が、薄汚れた象さんの頭を撫でる。
「あのバカ、見なかったか?」
象さんは黙ったままだ。
ふと目を上げると、象さんの視線の先に黄色の折りたたみ傘を見つける。
「にーくん?」
「真菜っ!」
いやがった。このバカタレ!
黄色い傘をさして、観覧車の前に立っている妹めがけてダッシュする。
「アホか、てめぇは!こんなところで!なにしてんだ!風邪引くぞ!」
「にーくんこそ、風邪ひくっすよ」
あれ?
良く見ると、妹はちっとも濡れていない。
「お前、なんで濡れてないの?」
傘があるからというだけでは説明できないくらい濡れてない。
「屋根のあるところにいたっす」
そう言って、妹は俺の手を掴んで廃遊園地の奥へと進んで行く。妹に手を引かれて、雨を避けた先は売店跡だった。半オープンカフェみたいになっていたところだ。十分に広いので、この雨でも中に入るとしっかりと乾いている。
今でも大きなブロントザウルスのオブジェが愛嬌たっぷりの笑顔を浮かべている。壁際になにかのライドのパーツだったペンギンの形のゴンドラが何台か並べておいてある。下げておくと危険だったりするから、取り外してとりあえずここに収納したのだろう。
ペンギンの中は比較的綺麗だった。中に入って妹と向き合って座る。
「風邪ひくっすよ」
妹がリュックからタオルを出して渡してくれる。
誰のせいだと思ってんだこのバカが。
タオルを受け取って、髪やらなにやらワシャワシャと拭く。
シャツを脱いで搾る。搾れるくらい濡れてた。妹のリュックから、Tシャツまで出てきた。妹サイズだから、当然小さすぎるが、Tシャツだ。
「伸びるぞ」
「いいっすよ」
「ベネ(よし)」
ぱっつんぱっつんのボディビルダーみたいな状態でTシャツを着がえる。靴下も搾る。ジーパンも搾りたいが、こればかりはどうしようもない。我慢。ジーパンのポケットから携帯電話を出すと、水死していた。家にも連絡が取れない。詰んだ。
稲光が暗くなった園内を照らす。雷雨になってきた。
これは、しばらく移動できない。
妹と二人並んでペンギンの中に座る。薄闇の中で見ても、にぱっと楽しそうに笑うブロントザウルスさんは不気味ですらない。こんな廃墟なのに揺るがぬゆるさだ。これが、ディ○ニーキャラだったら、相当に恐ろしい顔になっていただろうと思う。
一緒に遊ぶ子供たちが来なくなったブロントザウルスさんと、静かに隣に座る妹。
あのバカ妹が静かだ。
「水とか出ないのかな。出ないよな」
ふと、つぶやく。
「出るかもしれないっすよ」
「んなバカな?」
「昔、来た時トイレの水道のとこに『飲めません』って書いてあったっすから、井戸水っすよ。ここの水道……水、どうするっすか?」
「いや……なんか、ブロントザウルスさん、うっすら汚れてて可哀想じゃん。せっかくきたんだし、雨上がるまで動けないし、ちょっと拭いてあげようぜ」
「そうっすね。きれいにしてあげるっすー」
途端に妹のテンションが戻る。よかった。さっきまでの居心地の悪さが続いたらどうしようかと思った。
妹の記憶に間違いはなくて、トイレの水道はちゃんと水が出た。井戸水だから、水道代は無料だったのだ。どうせぐしょ濡れになってしまった俺のハンカチを絞って、実物大とまではいかなくても結構な大きさのブロントザウルスさんを妹と二人で拭いていく。わりとしっかりとしたコンクリート製の恐竜なのでハリボテと違って、拭いていくとかなりきれいになる。
妹が背中に登って、首の上のほうまで拭いていく。
「気をつけろよ」
「大丈夫っすよー」
仕上げに、子供の目の高さくらいまで下げている頭を拭く。
「ほらーきれいになったっすー」
にぱーっと、ゆるく笑うブロントサウルスさんの頭を妹が拭いているのを見ると、なんだか子供がペットの恐竜をなでているようで微笑ましくなる。あんなに凶暴な妹なのに、こうしてみるとまるで子供だ。
子供の頃にかえったかのようだ。
そうだ。
思い出した。最初、両親と来た時ここで食事をしたんだ。母親がお弁当を作ってきて、ここで四人で食べた。妹が、やたらとこのブロントザウルスさんを気に入って、このにぱっと笑った口にお弁当の野菜を食べさせようとしてたりした。
そうだ。
二回目、二人で来たいと駄々をこねた時もだ。妹が、このブロントザウルスさんに会いたがったんだった。
「また、会えてよかったよな」
「うん。よかったっすー」
妹がブロントザウルスさんの頭をぎゅーっと抱きしめる。
高校三年生とは思えない子供っぽさだが、気持ちはわかる。
表情が変わるわけがないが、ブロントザウルスさんも心なしか嬉しそうに見える。
目を閉じてブロントザウルスさんの頭を抱きしめる妹を、見ている。そして、思い当たる。
ああ。
そうか。
そういうことか。
「真菜……」
「なんすか……」
妹は、コンクリート製のブロントザウルスを抱きしめたままつぶやくように答える。
「俺、ずっと真菜と一緒にいるよ」
「そっすか?」
「お前が、東京の大学に行ったら、ここと東京の真ん中くらいに、二人でアパートを借りて住もう。二時間くらいなら、俺も大学に通えるし」
「いいんすか?」
「うん」
そうなのだ。
妹の記憶力は、なにひとつ忘れない。
俺は、このブロントザウルスさんのことを忘れていた。
だけど、妹は覚えていたのだろう。一日も忘れたことはなかったのだろう。ブロントザウルスさんだけじゃない。もう会えなくなってしまったミニ四駆のライバルたち。フットサル場になってしまったフィールドアスレチック。カートコースになった巨大迷路。プリクラに入れ替わってしまったゲームセンターの古いビデオゲーム。なにもかも、妹の記憶の中にだけは永遠にとどまる。現実は、記憶の中の世界を置き去りにする。
妹にとって、入れ替わる自動販売機の飲料一つ一つが、記憶の中にしかない光景に変わっていくのだ。
二度と戻ってこない日々。
二度と戻らない光景。
薄れない記憶力を持つ妹にとって、現実ほどあやふやで取り返しのつかないものはない。現実とは、比喩ではなく明日には今日と違ってしまう世界なのだ。エロゲはシーンリプレイで戻ってくる。何度でもプレイできる。何度でも美少女たちと学園祭や体育祭を繰り返す。妹にとって、そっちのほうが確実な世界なのだ。
妹の頭を、後ろからそっと抱える。
妹の手はブロントザウルスさんを抱きしめる。抱きしめていなければ、コンクリートで出来たそれが今にも消えてしまうかというように。
「真菜……」
妹の名をつぶやいて、俺は俺を思う。
俺は、美沙ちゃんを好きになっていた。
俺は、二十四時間真奈美さんのことばかり考えるようになっていた。
俺も世界のあらゆるものと同じように、変わっていく。真菜の記憶の中の俺と、現実の俺がずれて行く。妹とばかり出て歩いていた俺が、みちる先輩と出て歩く。美沙ちゃんにメロメロになる。真奈美さんの世話を焼きまくる。
妹離れして、いつか恋人ができ、ひょっとしたら結婚して、もう一つの別の家庭になる。そんな未来に向かって、俺が変わっていく。
それは、妹にとってどれほど恐ろしいことだっただろう。二度と家族が戻らない。少なくとも妹の記憶にある家族は戻らない。お客さんのように実家に戻ってくる俺がいる未来。同じように実家に帰ってくる妹。戻らないのは、今の家族。
妹も変わろうと思ったのだろう。せめて俺の近くにいられるように。妹から、別の関係になる方法のヒントを義妹モノのエロゲに探していた。
「大丈夫だから」
妹の髪を撫でる。
「ずっと一緒にいるから」
腕の中で妹の身体が、ひくっひくっとしゃくりあげる。
「ずっとこのまま一緒にいるからさ」
片手をブロントザウルスさんの頭に乗せたまま、妹が俺の胸に顔を押し付ける。
世界は変わらずにはいられない。
なにかを留めようとしても、なにもかもが変わっていく。
だから、せめて。
せめて、妹だけは、兄だけは、兄妹だけは変わらないでいよう。
(つづく)
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妄想劇場87話目。すごく久しぶりにタイトル通りの妹回。全宇宙のお兄ちゃんお待たせしました!…と言えるほどマトモな妹じゃないけど。 最初から読まれる場合は、こちらから↓ (第一話) http://www.tinami.com/view/402411 メインは、創作漫画を描いています。コミティアで頒布してます。大体、毎回50ページ前後。コミティアにも遊びに来て、漫画のほうも読んでいただけると嬉しいです。(ステマ) |
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