雨、葬儀にて
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 「あなたのお父さん、昨日病院で死にました」

 

 私の血の繋がった父の母親を名乗る女性は、電話口ではっきりとそう言った。ただそれを聞いて私は、そうですか、と一言だけいって受話器を置いた。母はまだ仕事から帰ってきていない。もうそろそろ帰ってくる時間だ。

 騒がしい蝉の音が聞こえなくなった途端、秋になる。毎年寂しさをこの季節に感じながらうまく出来ていると思った。高校を卒業してから季節など気にせずに過ごしていたが、不思議とこの季節になると何か満たされない気持ちになる。女心と、と言われる天気はこのところ台風が近いせいか雨ばかりふっていた。毎日のように部屋閉じ込められていると、日に日に何かが溜まっていっていつか押し潰されそうになる衝動に駆られる。

 私は台所でコーヒーを入れ、血の繋がった父の母親の言葉を反芻していた。

「山口さんのお宅でしょうか。私、吉川ツネと申します。雅子……山口雅子さんはいらっしゃいますか?」

 年老いた女性の声はゆっくりと言葉を選ぶように喋っていた。吉川、という人に知り合いなんか居たっけ、私は警戒しながら、私ですと答えた。すると女性は安心したように、それでも慎重に話を続けた。

「あなたのお父さん、吉川道雄の母です。」

 ああ、そうだ。確か父方の姓は吉川。そう言えばそんな気がした。私は突然の事に言葉が見つからずにただ、はい、としか言えなかった。そして幼い頃から遠くに住む父の死を知らされたのだった。

 吉川道雄。まず父親の存在を知ったのは小学校3年生の授業参観の時だった。それまでは父親というのは居るところはいて、居ないところには居ないのが当たり前だと思っていたし、父の日が母の日よりも注目されないのはそのためだと思い込んでいた。ある日授業参観に友達の父親が来ており、お父さんが居るんだ、と何気なく言ったところ、当たり前でしょ?と言われた事にショックを受けた。家に帰って母に父が居ない事を泣きながら問い詰めると、母はぶっきらぼうに、居たっていい事なんて無いわよ、と一言で片付けてしまった。

 ただその後のことを考えても、父がいない事を不利に思ったことはなかった。鍵っ子で1人っ子だった私だったが、毎日友達と遊びに行っていたし、家に帰れば母が夕飯を作って待っていてくれた。週末も母は1日一緒に居てくれた。今思うと母は母なりに私に辛い思いをさせないように無理をしていたのかもしれない。

 その吉川道雄、つまりは血の繋がった父がどういう人だったのか、私は特別興味を持たず、特に何も聞かずに高校を卒業して就職した。以前母とワインを飲みながら話したところ、偶々その男の話なりこう言っていたのを覚えている。

「悪い人じゃなかったけど、人を幸せに出来ない人。自分自身も幸せになれない人だった。」

 その後に、あなたもそんな男に騙されちゃ駄目よ、と言って笑っていた。

 コーヒーが空になると、丁度母がずぶ濡れになって帰ってきた。天気予報なんて当てにならないんだから、玄関で濡れた頭をタオルで拭きながらぼやいていた。天気予報は朝から雨だって言ってたよ、と私が言うと、先週の週間予報は晴れだったわよ、と母が言う。母は相変わらず自分の事には適当な人だ。

 私は母の分のコーヒーを作るとさっきかかってきた電話の話をした。

「吉川の家の人から電話があった。」

「ふーん。珍しいわね。何だって?」

 母は自分の部屋に入って着替えてはじめた。

「父さん、死んだって。」

「……そう。葬儀に行くの?」

「母は?」

「私はいいわ。あなた行ってあげて。」

「……考えとく。」

 私は自分の部屋に戻った。それからはぼんやりと漫画を読んだりしていたが、しばらくして初めて吉川道雄という人間のことを考えていることに気が付いた。どんな人だったのだろうか、どんな顔の人だろうか、背はどの位だろうか。私の記憶にはその人が居ない。物心ついた時からいなかった様な気がする。21年間のどの風景にも父の想い出は潜んでいない。私に関係する人なのに何もないのだ。

 夕飯を終えて母が寝た頃、私はアルバムを探してみることにした。若いころの母と友達の写真、赤ちゃんだった私の写真、七五三の写真。やはりどこにも父の姿は見当たらなかった。もともと写真を撮る、ということに興味を持たない母ではあるが、私の写真は数多く残っていた。けれど殆どが私1人か、母と2人の写真。一瞬写真をとった人かと思ってみたけれど、よく近くの人を捕まえてカメラを渡す母の姿が記憶に鮮明に残っている以上、その可能性は薄かった。私は諦めてアルバムを片付けて眠りについた。

 

 葬儀は2日後の朝だった。戸籍上は父であるため、会社に事情を話し忌引として休みをもうことができた。

 

 吉川の家は伊豆にある。母は東京の人なので、2人は大学か仕事で出会ったのだろうか。そんな事を考えながら特急の窓から景色を眺めていた。灰色のビルから緑の木々に変わるころ、私はこのところの寝不足で眠りに落ちた。

 駅を降りて、叔父を名乗る吉川哲夫に電話をする。彼が電話をくれれば車で迎えに来ると言っていた。私は気まずさもあるので大丈夫です、と断ったのだけど、駅から1時間おきに来るバスで二時間以上かかると言われてしまい、万が一でも遅刻する訳にもいかないので甘える事にしたのだ。

 一昨日から続く雨を眺めながら15分程待つと少し太った男性が私の側に来た。この人が吉川哲夫、叔父のようだ。顔は温和そうな人だった。喪服に身を包んでいるせいか、しっかりした人に見える。もし父がこの人と似ているのであれば、悪い人ではないと思った。だからこそ「騙された」母であるのでは無いだろうか。何だか妙に納得できる。

 吉川の家についたころ、雨は更に強くなっていた。人が疎らなせいもあり閑散とした寂しさが辺りを包んでいた。初めて見る親戚達が神妙な顔つきで並んでいた。私は娘の、と言うべきか迷った挙句、「山口由美子の娘です。本日は母に代わって伺いました。」と挨拶をした。その方が何だか自分で納得できる気がしたし、誰もが納得できると思ったのだ。予想通り吉川の人たちはその挨拶を受けて「ああ、由美子さんの」と誰もが納得してくれた。そして口々にもうこんなに大きくなって、と言ってくれるのだった。

 焼香を終えると叔父が来て、広い座敷に通された。そこには親戚と思われる人たちと、何人かの父の知り合いらしい人たちが挨拶を繰り返していた。それでも座敷が一杯になるほどの人は居らず、寂しい印象はいつまでも拭えなかった。

 私は隣に座った叔父に思い切って、父のことを聞いてみた。

「あの、こんなことをここで聞くのはおかしいのですが、父は、道雄さんはどういう人だったのですか。」

 叔父は多分、聞かれる事を覚悟していたのか平然としていた。私は叔父の返答を待った。

「君のお父さんは、立派な画家だったよ。ただちょっと不器用でね、結局無名のまま病気で倒れてしまったんだ。」

 画家。思いもよらない父の姿は私を更に現実から遠のかせた。父は私とは、私たち母子とは全く関係のない世界で1人で生きていて1人で死んでいったのだ。もし私が今日の葬儀に来なければきっとその姿を知る事など無かったはずだ。

 叔父が言うには、高校を中退後、家を飛び出し東京に出て毎日絵を描いていたようだ。時折雑誌の表紙や小説の押し絵を描いて生活をしていたようだが、それでも辛い生活だったに違いない。当時化粧品メーカーに勤めていた母とは、広告代理店主催のパーティで知り合った。結婚後、何度か吉川の家に帰ることはあったそうだが、私が生まれてすぐに離婚をして行方不明になった。それから20年経ち、やつれた姿でこの家に帰ってきた。「最初、誰が来たのかわからなかった。」それ程、父はボロボロになって帰ってきたそうだ。

 お経が止み、出棺の頃になると外の雨の音だけが家中に響き渡っていた。私は父を見送った後に帰る旨を叔父に伝えた。叔父は気遣って今日は泊まるように勧めてくれたが丁重に断る事にした。すると父の母、つまり祖母に当たる人が私に父の顔を見ていくよう勧めてくれた。焼香の時に見た写真はあまりにも無機質で、印象に残っていなかったので、それに従うことにした。

 人が外に並ぶなか、私は焼香をした部屋へ行った。祭壇に置かれた白い棺は予想以上に大きく、父が背の高い人だったことが分かる。丁度顔の位置に窓があり、顔が見られるようになっている。叔父が一礼をしてその窓を開けてくれた。

 そこには胡蝶蘭に包まれた温和そうな男が、さも満足したかのように口元に笑みを浮かべて寝ていたのだった。

 吉川の家を出るとき、祖母が私に腕時計をくれた。これは?と尋ねると、祖母は形見分けだと言った。何も持たずに帰ってきた父が唯一持っていたもので、親戚内で話し合った結果、どうしても私に持っていってもらいたいとの事だった。剥き出しのままの腕時計をバックにしまうと礼を言って叔父の車に乗り家を後にした。

 

 三島からの特急に乗ったとき、突然、堰が切れたかのように涙が溢れてきた。全く関係の無い、赤の他人の死のはずだったのに、泣き出してしまったのだ。ハンカチで目を押さえながら、東京につくまでの間、ただ父であったはずの人の死に顔を思っていた。どんな事を思いながら眠るのだろうか、何を望んで生きていたのだろうか、最後に何を得る事が出来たのだろうか。私には分らない。そしてこの後も一生分かる訳が無いのだと思うと、初めて父に置いて行かれた事に対して悲しいと思えた。

 東京駅に着いた時には雨は止み、重い雲に包まれたまま街は夜を迎えていた。目を腫らして帰ると母を心配させると思い、少し落ち着くまで近くの喫茶店で休む事にした。注文したカプチーノが運ばれてくるまでの間、私はバックに仕舞った時計を取り出し、眺めていた。父の時計はどこから見ても変哲の無いただの腕時計だった。シルバーの時計で、黒い時計盤には同じくシルバーの秒針がある。電池が切れているせいか、時計は2:55を差したまま動く事は無かった。この2:55はいつの2:55なのだろうか、それが分かれば少しは父を知る事ができるのかもしれない。もちろん私に分かる訳など無いのだ。

 諦めて時計を仕舞おうとした時、裏に傷がついている事に気が付いた。それはキリか何かで削られた傷で、よく見るとY・Yと彫ってあった。……母のイニシャルである。

 父は恋をした人間だったのだ。

 誰にも見えないところで誰にも気付かない場所に、その想いを刻んでいつまでも持ちつづけていたに違いない。死ぬ直前まで、私や愛した母、山口由美子でさえ気付かない遠いところで、ひっそりと持ちつづけていたのだ。

 家に帰ると母はすでに眠っていた。台所のテーブルには空のワインボトルが一本おいてあった。普段は2人で飲んでも半分も行かない量になる。どうやら母は母なりに父の死を悲しんでいるのだ。

 明日母が目を覚ましたら、濃いコーヒーを入れてあげよう。湿っぽい思い出話は嫌いな人だから、今日の話はしないでおこう。ただ一言、私は伝えなければいけない。

 父は幸せな人だった。

 きっと母は、そうよ、と答えるに違いないから。

 

 了

説明
 知人と「時計の裏の傷」をテーマを出し合って書いた作品。初めての人と初めての土地と初めての死。また女性視点の習作として書きました。

2003年10月8日 完成
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葬式  伊豆 女性 親子 文学 

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