Till death do us part
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着なれない異国のドレスは動くたびにふわりと裾が舞う。足元の心もとなさに戸惑いつつ、梨は礼拝堂の扉を開けた。

思わず「おお」と感嘆の声が漏れた。

そこは先ほどまでいた披露宴会場とは違い、静寂に包まれていた。

石積みの壁のひんやりとした感触、どこまで手が届くのか試したい高い天井、床に零れる鮮やかな光の変化は大いに梨の好奇心を刺激した。

横文字の本を鶸に訳してもらいながら読んだことがあるので想像だけはついていたが、それ以上だった。

礼拝堂でこれなのだから、聖堂はもっと…考えただけで心が躍る。

あとでこっそり見に行こう、と梨は心に決めた。

小さな礼拝堂はすぐに奥に着いてしまって、カツン、と梨が止まると雨合も止まった。

不意に降りた沈黙が気まずくなった。

「静か、だな。」

「…さっきの所とはまた雰囲気が違うな。」

「…ああ。…何か、二人きりだとちょっとまた違うものがあるな。」

「…何だ?嬢ちゃん照れてんのか?」

雨合に顔を覗き込まれて、梨はつん、と顔を逸らした。

「別に照れてなんか…。」

「ふーん…」

顔を逸らしつつも、梨はチラチラと雨合を視界の端に捕らえていた。

(何だあれは………反則だろ………!!)

反則、というのは雨合の装いのことらしい。

披露宴会場で異国の衣装を楽しめるのは勿論、女性だけではない。

雨合はというと、黒を基調として鮮やかに映える赤色が印象的なタキシードで、きっちりしすぎず、かつゆるすぎず、見事に着こなしていた。

おまけに前髪の一部をかき上げて、いつもは結んでいる後ろ髪は下ろされているので大分男前が跳ね上がっていた。

正直、直視していられない。

なんてことを本人に言う気なんぞ、さらさらない。言ったら言ったでこの男のことだ、すぐ調子に乗るに違いない。

梨の視線に気が付いたのか、こちらにニカっと笑顔を寄こしてきた。

ちょっともう、色々吹っ飛びそうだ。

何か話していないと死ぬかもしれない。

「で、何だ、その、い、言いたいことがあるんじゃないのか?こういうのは男から言うもんなんだろ?」

「ん?…あ〜何だったかなあ〜?ど忘れしちまった。」

「なっ!?とぼけるのか!?」

「いやあ俺も年だなあ〜わりぃわりぃ。」

「自分から誘っておいてか!?」

「だって俺トリ頭だもーん。」

三歩歩いたら忘れちゃう、ととぼけ続ける雨合に、梨はやってられるか!と背を向けた。

「ここまで来てとぼけるか!言わないならあたしは帰るぞ!!何のためにこんな慣れない恰好までして…!もういい!帰る!一人でやってろ!」

「まあ待てよ。」

出口に向かおうとして、梨は不意に手首を掴まれ、身動きが取れなくなった。心拍数が次第に上がり、顔に熱が上がっていくのが自分でもわかった。

雨合に向けた背はそのままに、ぐいっと強い力で引っ張られる。

「ここまで来て逃がすと思うか?ん?」

今日は離さねえよ、と身を引き寄せられる。 

腰に回された手はがっちりと梨を捕らえていた。

先ほどまでのへらっとした空気が嘘のようだ。

梨は慣れていないせいか、こういうことには滅法弱い。

逃げようと腕の中でともがくが、雨合に力で勝てるはずもなく虚しい抵抗に終わる。

それどころか先ほどより押さえつける力が強くなった。

人の目があったなら違ったかもしれないが、今ここにいるのは、二人だけだ。

梨には悪いが、今日は好きにさせてもらうことにしよう。

いつもはいい空気になったところで、するりとかわされて逃げられるのが常であった。

羞恥と若さ故の行動だから大人としては広い心で受け止めてやるべきだろうと思っていたのだが、今日という日ぐらい、これぐらいのことはしても許されるだろう。

少し間をとり雨合は梨を正面からまじまじと、頭の上から爪先まで見つめた。

「なあ、さっきから言おうと思ってたんだが、その服似合ってるじゃねぇか…嬢ちゃんが選んだのか?」

「これは、選んでもらって……鶸さんに…」

「ほぉ、砥草の兄ちゃんにか……」

腰を引き寄せる力が一層強くなったのは気のせいだろうか。一瞬憎らしげな目をしたのも。

梨は身を竦めた。

(あたし、何か不味いこと言ったか?)

「まあいいか」と独り言のように呟いて、雨合は何事もなかったかのように、にかっと笑った。

「…まあ、兄ちゃんに選んでもらったってのはちと癪だが…。よく似合ってる。綺麗だ。」

「そ、そうか?」と梨は嬉しそうにくるりと回った。

その動作だけで「可愛い!」と雨合は目が潰れそうになった。

派手派手しくない紺色のパーティドレスは眩しいほどに白い肌を強調して、普段は隠されている細い腕や足がすらりと伸びている。

控えめに白いボレロを羽織っているのがまたいじらしくて可愛い。

普段は黒い小袖で細い手足を覆い隠し、無造作に髪を括り刀を携える、男勝りな凛々しさを放つ彼女だが、今はたおやかな黒髪を下して洋装に身を包み、実に可憐であった。

雨合は正直、梨が鶸と話している時、気が気でなかった。

もし、万が一、絶対にないと信じてはいるが、鶸が梨に………気があるとしたら。逆の可能性もまた有り得る。疑わずにはいられない。

いつも人当たりのいい笑顔を浮かべている彼は、何を考えているかわからない。その分疑念は増すばかりで。

(話を聞いてりゃあの野郎、嬢ちゃんのことを綺麗だとか可愛いとか抜かしやがるし…口説いてんのか?あ?)

冗談じゃない、と雨合は怒りに似た感情を抱いた。

あのとき…梨が鶸の服の裾を掴んで歩いてるのを見たときは手近なグラスやら皿やらを割ってやろうかと思ったほどだ。

普段女性らしくない分、幾分魅力が増しているのに彼女は気づいているだろうか。

日頃から溜まりに溜まりまくっていた鬱憤を雨合は持て余していた。

おっさんは嫉妬深いんだぞ、という雨合の呟きは梨に聞こえなかったようで、「何か言ったか?」と梨は首を傾げた。

「いや、何でも?」

「ふうん…で?話は?」

「んーーもーちょっと待ってくんない?」

嫉妬は十分、足りないのは度胸。

どうやらそう簡単に言ってはくれなさそうだ、と梨は大人しく抱かれていることにした。

雨合は何やら梨の髪をいじって遊んでいる。

幾ら待てども期待している言葉は出てこない。

…じれったい。

今こういう場所でこういうことになっているから、ある程度予想はついている。

抱き締められるのも悪くないが、やはり梨としては、こういうことはちゃっちゃっちゃと済ましてほしいわけで。

梨は待つのが好きではない性分であったし、この状態が続くと今も沸騰し続けているこの顔がどうにかなってしまいそうだ、ということもある。

ごそごそと梨は後ろ手にあるものをちらりと見て確認した。

(…今なら、いけるか…?)

呆れ半分照れ半分、咳払いをして梨は雨合と間をとった。

梨は背中から出したものを雨合に差し出した。

顔が少し隠れるくらいの、小さな花束。

「………はい。」

白く小さな花弁に、可愛らしい形をした葉。

「……ナズナ…?」

梨の行動は予想外だったらしく、雨合は酷く狼狽していた。

「…おい、嬢ちゃんこれは…」

「…しょうがないから、あたしから言ってやるよ。」

「えっ。いや、でもこういうのは男からだって」

「いいから。言わせろ。」

少し嘆息すると梨は深呼吸をして、告げた。

この時の為に用意した花と共に、思いが託された言葉を。

真っ直ぐに、青い瞳を見据えて。

「…ナズナの花言葉は…」

 

――――『あなたに、全てを捧げます』

 

ずっと傍にいたいと願うようになったのはいつからか。

そう思う自分が貪欲で、その願いが酷く我儘なように思われた。

口下手な自分だから、せめてささやかな思いを花で伝えたいと思った。

 

梨は自分が今どういう顔をしているのかわからなかった。

覚悟は決めていたけれでも、口にするとどうにも、へな、と萎れてしまいそうだ。

返事を待つその間は数秒のことだったけれでも、梨には酷く長いように感じられた。

雨合の視線が少し宙を彷徨う。

「…嬢ちゃん…いいのか?こんなおっさんで…」

「…雨合さんだから、いいんだろ。じゃなきゃ、こんなことは言わない。」

梨は花束を持つ手が震えるのを必死に抑えた。

ああ、あたしはきっと、この人の口から拒絶の言葉を聞くのが怖いんだ。

そんなことはないと思うのは自惚れだ。

梨は言葉を続けた。

「…雨合さんが……奥さんや娘さんのことを忘れられないのは知ってる。忘れろ、って方が無理だと思う。…それでも、伝えたくて…。受け取ってくれるか?」

目は逸らさない。

ああもうやばいかも、と思ったその時、ぽん、と雨合の手が梨の頭に置かれた。

「…んな顔すんな。な?」

そして花束が静かに梨の手から離れた。

「……二人は、葵と鈴は俺の不甲斐なさで失ったようなもんだ…その事は絶対に忘れられねぇ…。だが、それでも、それでもいいのなら……」

「…………ほ、本当にいいのか?あたし、で…」

「いや、お前が聞いてどうするんだよ。さっきの俺みたいになってんぞ。」

「あ、ほんとだ…可笑しいな、はは。」

はい、と腕を広げられたので遠慮なく従った。

ぎゅ、と梨は雨合に抱き着いた。背中に手を回すと雨合も抱き締め返した。

あったかい、と思った。

「なあ、嬢ちゃん……いや、梨。」

「…何だ……?」

「俺からもこれ、受け取ってくれるか?」

「え…」

雨合が少し離れて梨に差し出したのは、金色の指輪だった。

「雨合さん、これ…」

「俺からの、お前への贈り物だ。」

「…ふ……っ……」

「…!?お、おい梨…?」

「すまん、何だか、嬉しくて…涙腺が緩くなったみたいだ…」

ぐしぐしと涙を拭う梨に動揺して雨合は「泣かせるつもりはなかったんだが」と謝った。そんな雨合がおかしくて梨は少し笑った。

「…すまん。すごく、嬉しい。正直期待してなかったから。」

「そうなのか?」

「いやだって雨合さんだから…普通に、幸運のお守りとか言って兎の足渡してきてもおかしくないかなと…ちょっと覚悟してた。」

「んな阿保な…」

「すまんすまん。そして…ありがとう。えっと、左手を出せばいいのか?」

「そうだ、左手の薬指に……」

「そこ人差し指じゃないか。」

「わっすまん。」

「手震えすぎだろ。」

謝ってばかりだな、と互いにくすくすと笑った。

梨も毒舌を吐けるぐらいには緊張が解れたらしい。

梨は指輪を光にかざした。

「綺麗だな…ありがとう。」

「気に入ってくれたみてぇでよかった。」

「…今日の雨合さんは普段より男前で…かっこいい。」

「そうか?わざわざ着た甲斐があったな。」

にかっと笑う雨合を見て梨も微笑んだが、そこで一つの疑問が思い浮かんだ。

(あれ、この後ってどうするんだっけ。)

確か本には…指輪交換して、愛を誓って…それで、

「なあ、梨…」

雨合は再び梨の腰を強く抱き寄せた。

雨合に顎をくい、と持ち上げられて、そこで梨ははっと思い出した。

本の挿絵だ。

(そうだった、確か、この後って、っう、うわわっ、ま、まだ心の準備がっ)

そうこう言っているうちに、迫り来る雨合の顔に思わず目を瞑る。

ひえええと梨は心の中で悲鳴をあげてじっとする。

 

(……………あれ?)

 

予想していた感触を待つが…

可笑しい、結構距離は近かったよな?

嫌な予感がして梨はゆっくりと目を開けた。

そこには実に嫌な、悪戯な笑みを浮かべた雨合の顔があった。

「なーんてな。」

こつんと拳で額を小突かれる。

騙された。

そう思った瞬間、ぐわっと恥ずかしさが込み上げてきた。

「なっ……!!謀ったな!!ひ、卑怯だぞそういうのは!武士の風上にもおけん!」

「俺別に武士じゃねえし?」

「ぐ…っ」

「いやー待機する梨ちゃんのお顔の可愛いこと。期待しちゃった?」

「こ…ンの……馬鹿ーー!!!純真な乙女をからかうんじゃない!」

いや、自分で言うのはどうなのだろう。

ぽかぽかと雨合の胸を叩くも、効き目無し。

というか、距離が近すぎて上手く勢いがつけられない。そのせいで威力も半減。

まあ、彼女の本気の拳を食らったらただじゃ済まないのだが。

「全然痛くないよーん。」

「くそ、くそ、くそ!!雨合さんの阿保!馬鹿!!」

「はははっ、わりぃわりぃ。」

梨が更に文句を追加しようとしたところで、ちゅ、と軽く音を立てて雨合は梨に口づけを落とした。

仄かに苦いのは彼女が好んで食していた珈琲菓子のせいだろうか。

柔らかい感触が少し名残惜しかった。

「…これでいいか?」

雨合がぺろ、と自分の唇を舐めると、ようやく我に返った梨があんぐりと口を開けた。

「…………!!!」

「初めて?」

「…あっ当たり前だろっ…」

「どうだった?」

「ど、ど、どうだったって…そりゃ…い、言わせるなっ!!」

照れが最高潮に達したのか、梨は雨合の胸に顔を埋めた。

それこそ湯気が出そうな程顔を赤くして、自分の腕の中で身を縮めて生娘のような反応を示す梨に雨合は大変満足し、梨に見えないように小さくガッツポーズをした。

よしよしと頭を撫でると、蚊の鳴くような声で梨は呟いた。

「……好き、だ…。」

ぎゅうっと梨の腕に力がこもる。

「好き、雨合さん、好き。」

流石にこれはこたえた。

目を見開いて、それに応えるように雨合も強く抱きしめた。

壊れてしまわないようにあくまで優しく、そして強く。

「ああ、俺も……好きだ。」

「傍にいていいか…?」

「ああ……頼む……」

少し離れて梨は口元を綻ばせて微笑む。

暗がりの中、小窓から降り注ぐ光に照らされた彼女の笑みが今の雨合にとって世界の全てであった。

どちらからというわけでもなく、二人は唇を重ねた。

存在を確かめあうように互いの指を絡めた。

それぞれの誓いの証を大事に抱きながら。

 

説明
Sub_Case15から。素敵な企画をしてくださった水先案内人のはとのはさんと蓬生さんに感謝。
掲示板でのやり取りに忠実になるようにしましたが、小説にするにあたって、所々省かれていたり加えられていたりしているのはご了承下さい。

タキシード雨合さん素敵。鯖ちゃん尊い。

タイトルは「死が二人を分かつまで」

登場するここのつ者…雨合鶏、金烏梨、砥草鶸
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