真恋姫無双幻夢伝 第四章6話『小鳥の正義』 |
真恋姫無双 幻夢伝 第四章 6話 『小鳥の正義』
汝南の爽やかな朝。昨晩降った雨のお蔭で、残暑の不快感を催す空気は消え、寒さを感じるほどである。
村々ではアキラが特産品に育て上げた紅花の染物がせっせと行われていて、村娘の歌う声が広い大地にこだましている。それを見守る山々は赤く衣替えを始めていた。
涼州から戻ってきたアキラは故郷の汝南へ城を移した。理由は二つある。一つ目が、劉備陣営が徐州から去ったことで東側の脅威が消えたことである。二つ目が、曹操軍との関係が深まったことで、交通の要衝としての汝南の重要性が上がったからである。決して汝南の方が遊郭はあるとか、そんな理由ではないのだ。決して。
緩やかに流れる平和な時間。その空気を切り裂いたのは、悲鳴に近い詠の叫び声だった。
「あんたたち、よくこれでやってきたわね?!」
バンッと机を思いっきり叩いた。彼女の目の前にいたアキラや凪たち三羽烏は、ビクリと体を震わす。その音にというよりも、詠の険悪な様子に驚いてである。一応、朝廷に遠慮して、正体を隠すために着ているフリフリのメイド服の可愛らしさが台無しである。
彼女が怒っているのは、ここ数週間の報告書をじっくりと解析したからだ。
「確かに協力するとは言ったけど、これは酷いんじゃないの!」
「本当に、どうやったら混乱しなかったのでしょうか?」
と、ぼそりと言ったのは、詠の隣でその報告書を読み進めていた音々音だった。涼州での手腕を評価して、月たちと一緒に交換しておいた彼の真名を用いて、彼女は素朴な疑問を呈す。
「どの書類にもアキラの署名がされていますが、もしかして」
「俺が許可を出したやつだが、どうかしたか?何か間違っていたか?しっかりと勉強したわけでは無いから、内政に関してはあまり自信がないのだが」
不安そうに答えるアキラに、2人は怒るよりも呆れて、盛大にため息を漏らした。彼の弁解は的外れだ。
「この量を、一人で、やったというの?!」
「やったというか、目を通しただけだけどな。それがどうした?」
それを聞いて、凪たちがアキラと机の上に山積みになった書類を交互に見て、目を丸くした。崩れそうなその書類の山に対して、彼女たちが3人固まって取り掛かっても、一体どれほどかかるであろうか?
「軽犯罪の判決承認の文書まで混じっているじゃないの。どうやって処理したっていうのよ?!」
「さっきも言ったけど、知識はないからなあ。経験と直感かな。二回独立したけど、文官は良いのが集まらなかったこともあって、全部自分でやってきたな」
「それにしたって、これはやり過ぎなの」
まだ驚いている沙和の隣で、凪が表情を曇らせていた。真桜が尋ねる。
「どうしてん?」
「申し訳ありません、隊長。我らが不甲斐ないばかりに……」
「またこの子は!変に生真面目なんやから」
バンッと、再び部屋に響いた。詠のこめかみがぴくぴくと震える。
「と・に・か・く!このままでは業務が滞って大変なことになるわよ」
「ここで見受けられる問題は三つです。1つ目が内政における命令系統がしっかりしていないこと、2つ目が官僚の数が不足していること、3つ目が命令の最終決定者に、それにふさわしい知識が無いこと、です」
つらつらと音々音が指摘してくれたが、どれも一朝一夕には解決できなさそうだ。だが、新しく軍師となった彼女たちはやるしかない。
「命令系統はボクたちが整備する!でも、あなたたちにも勉強してもらうわよ!」
「これから一か月、いや、2週間で、おまえたちに知識を叩き込みます!」
「お、おれたちにか?!」
「当然です!恋殿や華雄殿はしょうがないとして、おまえたちは軍務以外にも精通してもらわないと困ります!」
「し、しかしなあ」
と、アキラは同意を求めようと凪たちの方を振り向いた。しかしそこにいたのは凪ただ一人だけだった。
「真桜と沙和は?!」
「えっ、あっ、逃げている!」
今ごろ気が付いた凪があたふたと周囲を見渡している。なんとも俊敏な奴らだ。
アキラも反射的に逃げようと、足を一歩踏み出したが、詠に服を掴まれてしまう。おそるおそるアキラと凪が後ろを向くと、そこには悪魔かと見まがう笑みを浮かべた2人がいた。
「みっちりと、しごいてあげるわよ」
「覚悟しなさい!」
諦めかけたその時、廊下から近づいて来る足音に気が付いた。入ってきたのは、お茶と茶菓子を運んできた月と恋の2人だった。
「そろそろお茶にしませんか?」
「ねね。おなかへった」
本物の天使はこういう姿をしているのかもしれない。コトリと机にお盆を置いた月の姿を見て、アキラはすかさず機転を利かした。
「月!恋!ちょうどいいところに来た!ああ、そういえば大通りの方に新しい茶屋が出来たって聞いたぞ。休憩場所はそこの方が良いんじゃないか?さあさあ、早く行こう!」
月の手を握り、恋の肩を掴んだ。その行為は間違った選択であったであろう。彼がそれに気が付いたのは
「この、バカ君主!!」
「ちんきゅーきっく!!」
という叫び声と共に、背中に多大なる衝撃を受けてからだった。
ところ変わって、ここは汝南城の片隅にある小さな部屋。部屋と言っても、扉の外には武装した看守が2人も立っていて、廊下側に付けられた窓から時々、中を覗いている。
廊下の右側から近づいて来る影に気が付くと、彼らは深々と頭を下げた。
「ご苦労」
ねぎらいの言葉をかけた華雄は、彼らと同じように窓から中を覗いた。そこには白い部屋着姿で、手に手錠をかけた愛紗がいた。いつもしている髪留めもせず、鉄格子がつけられた窓からぼうと外を眺めている。
華雄は看守の一人から鍵を受け取り、重い錠前を取り外して扉を開けた。そして鍵を返して、自分が入ったら扉を閉めるように言い含めた。彼は頷く。
初秋の柔らかくなった太陽の光に照らされた彼女は、以前戦った相手とは思えなかった。こちらを振り向いても無表情のままの彼女を、華雄はどこかで見たことがあるように感じたが、はたと外で見たセミの抜け殻だと思い出した。
「このまま消えてゆきそうだな」
「できることなら、そうしたい」
静かに答えた愛紗は目の前の椅子に目をやった。華雄は意図を解してその椅子に座る。何度もここに訪れてきた華雄の特等席である。そしてその椅子に座った途端に、これを言うのも習慣になっていた。
「無駄だ。私は降らない」
そう言うと再び外へと目を向ける愛紗。言われた華雄はため息をついた。
「強情な奴だ。このまま捕えられているままでは、お前の腕が腐るぞ」
「腐る前に切り落としてくれ。この腕をご主人様や桃香様以外に用いることはない」
「ご主人様、か」
和睦の交渉のため、こちらに訪ねてきた時に、一度だけ見たことがある北郷一刀の顔。毒のない、至って平凡な顔つきだった。
「なあ、どうしてあの男に仕える」
「お前には分かるまい」
「惚れたか?」
「そんなことではない!!」
突然の怒号に、外にいた看守たちが慌てて窓から覗き込んできた。華雄は手を挙げて制する。
「悪かった」
「………」
こちらを睨む愛紗に、華雄は頭を下げる。愛紗は振り絞るように、言葉を続けた。
「私たちはお二人の描く理想、正義に魅力を感じたのだ。誰もが笑って過ごすことのできる世界。誰もが悲しまずに生きられる世界。そんな夢に、我々は誇りを感じて突き進んできた。お前たちは笑うだろう?そんなのは儚い理想だと。もっと現実を見ろと。でも、私たちのほとんどは農民の出だ。食う物も無く、盗賊や黄巾族に怯える日々。そんな現実を見ろだと?!そこには絶望しかないのに!お二人はそんな私たちに希望をくれた。夢をくれた。これがどれだけ私たちに生きる勇気を与えてくれたか。分かるか、お前たちに?!」
自分でも気が付かないうちに立ち上がり、美しい黒い髪を振り乱して熱弁する彼女の眼には、ジワリと涙が浮かんでいる。込み上げてきた感情が行き場を失くして、そこから氾濫している。
華雄はその眼をじっと見つめた。
「多分、分かるまいな。でも、そういう正義もあると理解している」
愛紗はすとんと椅子に座りこんだ。その途端、ぽたりと膝に落ちた涙が、自分のものだとしばらく気が付かなかった。
「関羽。私の理想はお前のとは全く違う。正反対、というべきだろう」
「正反対?」
復唱する彼女は、やっとその涙が自分のものだと理解して、慌てて目を拭っていた。華雄はゆっくりと語り始める。
「私は長安の近くにいた豪族の出でな。月様に見出されるまでは、このまま後を継いで平穏に暮らすのだろうと考えていた。吐き気がした。そう考えるたびに、家の裏の訓練場で無我夢中に剣を振るって、その考えを追っ払ったものだ。なんとしてもこの剣の腕を活躍させたい、天下に名を轟かせたい、そう願っていた。月様の下では、たぎる己の血が命じるままに、敵を切り刻んだ。その度に讃えられ、恐れられる。あの頃は名声が私の動力源だった」
分かるか、という視線を愛紗に向ける。彼女は首を振った。
「ふふ、分からずとも良い。ただ、私は間違っているとは思っていないぞ。人は自分の欲望を満たすために生きているのだ」
「それは違う!他人のためにも生きられる!」
「『他人を助けたい』。それも欲の一つだろう?」
その言葉に、愛紗はあくまで頑強に首を振り続けた。彼女の中にある正義が、彼女にそうさせているのだ。
「この話は置いておこう。おそらく100年議論しても答えは出まい。お前がお前の正義を信じているように、私は私の正義を信じている」
「ならば!その正義を信じているのなら、なぜ李靖に従っている!」
唾を飛ばして激昂する愛紗を見つめて、華雄はさらりと答えた。
「あいつの欲に魅せられたんだ」
「欲?」
「ああ、とてつもなく大きい。私のなんか比べものにならないほどに。あいつはその欲で世界を包み込もうとしている。それがやつの“正義”というものだ。それで世界が平和になると信じている」
「どういうことだ?」
「分からん。あいつを理解できる者など、この世に居ないだろう。私も理解できない。だが、分からないのが良い。その欲が現実になったところを見てみたい。それがアキラに仕える理由だ」
先ほどまで首を横に振っていた愛紗は、今度は斜めにかしげる。
「さっぱりだ。そんな得体のしれない男に、よく仕えているものだ」
「まったくだ」
ふははは、と笑い声をあげた華雄は、腰を上げて出口へと向かった。そして扉をノックする。看守が錠前を外して、扉を開いた。
出て行こうとする彼女は、最後に愛紗に伝えた。
「他の正義も知ってみるといい。お前が考えているほど、世界は単純ではないぞ」
愛紗は何も答えない。華雄は笑みを浮かべて出て行った。
ガシャリと扉が閉まる。また彼女は外を眺め始めた。
「正義、か」
ちゅんちゅんと鳴き声を出しながら、目の前を鳥が横切って飛んでいく。彼らにも正義はあるのだろうか。眩しい空を見つめて、彼女はぼんやりと考えていた。
説明 | ||
愛紗と華雄の対話がメインです。 | ||
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コメント | ||
naku様。いえいえ、ご指摘ありがとうございます。汝南の反乱は日本でいう『国一揆』、つまり有力者が主体の反乱のつもりで描きました。説明不足で申し訳ありませんでしたm(__)m(デビルボーイ) naku様。ご指摘ありがとうございます。修正します。後、アキラは元豪族出身になっていますよ。第??話『彼の使命』をご覧ください。(デビルボーイ) |
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