WakeUp,Girls!〜ラフカットジュエル〜17 |
それは、ある日突然起こった。もしかしたらいつか起こるのではと思いつつも、やはり実際にそんなことが起きるとは誰も本気で思ってはいなかった。考えが甘かったのかも知れない。だがそれでも誰もが、まさかそんなことをするヤツはいないだろう、と心の中では思っていた。だが事件は起きた。
ウェイクアップガールズは新曲のレッスンに追われながらも、早坂に課せられた第2・第4土曜日に3回ずつのライブというノルマをキチンとこなしていた。短い時間ながらテレビとラジオでレギュラーを持っている上に他の媒体でも露出度が飛躍的に増えてきた彼女たちのファンは順調に増え続け、ライブは毎回それなりに埋まるようになっていた。
もちろん満員とまではいかないが、結成して活動を始めてから半年にも満たないアイドルユニットとしては考えられないほどの観客数であることは間違いなかった。
その日のライブもそれなりに客は入っていた。数日前のレッスン中に真夢と佳乃が衝突したこともあってメンバー間に若干不穏な空気も流れていたが、そこは彼女たちもプロでありステージに影響を及ぼすことはなかった。
いつものライブと同じように少女たちは全力のパフォーマンスを披露し、アンコールにも応え、最後に観客に挨拶をしているその時に事件は起きた。7人が横一列に整列し観客に向かってお辞儀をし頭を上げた瞬間、何か黒い物体がステージ目がけて飛んで来たのが少女たちの視界に入った。
「危ない!!!」
誰かの叫び声に反応してとっさに身を避けた彼女たちの目の前に、ガシャーン、と大きな音を立てて何かが落ちた。ステージの上で何かが壊れてバラバラと破片が激しく飛び散った。その瞬間客席から怒鳴り声が聞こえた。
「ふざけんな! いまさらなんで戻ってきたんだ!! バカヤロウ!!!」
彼女たちの耳にはハッキリとそう聞こえた。
「何やってんだ、オマエ!」
「捕まえろ!」
「ふざけんな、このヤロウ!!」
誰が何を言っているのかはわからないが客席に怒号が木霊した。何が起きたのか理解できない少女たちはステージ上に立ち尽くすだけだったが、慌てた松田がすぐにスタッフに指示を出してライブは騒然とした雰囲気のまま終わりを告げた。
当初は何が起きたかわからず怯えていた少女たちだったが、控え室で徐々に入ってくる情報を松田から聞き、やがて事態を把握した。
「あの人、まゆしぃのファンだったみたいですよ……」
未夕が言ったその一言だけで、全員が事態の総てを飲み込んだ。真夢に裏切られたという想いをずっと持ち続けていたファンだった男が、真夢の復帰を快く思わずに嫌がらせをしたのだ。投げつけられた物は古いラジカセだった。もし誰かに当たっていたら大怪我をしていただろう。
真夢は控え室の椅子に座って黙ってうつむいたまま唇を噛み締めていた。こんなことになったのは間違いなく自分のせいなのだと彼女は思っていた。誰一人として真夢を責める者などいないが、それでも本人は自分のせいだと思っていた。投げつけられたラジカセが自分に当たっていたのならまだいい。けれどもしも他の誰かに当たっていたらと考えただけで、真夢はどうしたらいいか、皆にどう謝ったらいいかわからないほどだった。
「ねえ、まゆしぃ……」
真夢の傍らに歩み寄った佳乃が、控え室の沈黙を破って真夢に話しかけた。呼びかけられた真夢が顔を向けると、佳乃は何か決意を秘めたような表情をしていた。
「そろそろ、私たちに話してくれてもいいんじゃないかな?」
佳乃は自分から切り出した。このタイミングで言うことではないかなとも思ったが、真夢の側から話してくれそうな素振りがない以上、こんなことでもなければ佳乃の方から言えそうになかった。他のメンバーたちは佳乃が遂にタブーに触れたことに内心驚き、固唾を呑んで2人を見守った。だが夏夜は慌てて佳乃を止めようとした。
「ちょっとよっぴー、このタイミングでそれは……」
夏夜は真夢の様子を見て今はその話をするタイミングではないだろうと感じたから止めに入ったのだが、佳乃には、この前は感情的になってしまったが今はそんなことにはならない、という自信めいたものがあったのでその制止を振り切り話を続けた。
「私たちはみんなまゆしぃのことを信じてるよ。でも、ここまでする人がいるってちょっと異常だし、そう考えると、やっぱり本当は何かあったんじゃないかって思っちゃうよ。まゆしぃの口から本当のことを話してくれれば、そしたらみんな安心すると思うの。言いづらいかもしれないけど、大きな秘密を抱えたままなのってユニットにとっても良くないと思うし。だから……そろそろ本当のことを話してくれないかな?」
佳乃の言っていることは正論だと真夢にもわかっていた。仮に今後また同じようなことがあった時、真夢を潔白だと信じてくれている場合とそうでない場合では、周りの受け止め方はまるで違ってくる。
もし彼女の過去の問題が事実であるならば他のメンバーからすれば迷惑だと感じるだろうし、それが続けばメンバー間の信頼関係は確実に崩れ去ってしまうだろう。逆に彼女が潔白ならば、みんなは何があっても真夢との活動を続けるだろう。辞める理由など何一つとしてないからだ。もちろん迷惑だなどと感じることも決してないだろうしメンバー間の団結もより深まるに違いない。
だが今のように本人の口から何も語られていない現状では、他のメンバーはどうすればいいのか迷ってしまう。信じたいけれど信じてもいいのだろうか、信じるに足る説明が欲しい、それが皆の本音だ。それは真夢にもわかっていた。わかりきっていた。だがそれでも真夢には言えなかった。
わかってはいるがどうしても話す踏ん切りがつかなかった真夢は、佳乃に優しく促されてもゴメンと言うばかりだった。数日前の怒りが佳乃の心の中で再び燃え上がり始めた。
「……やっぱり話してくれないんだね、まゆしぃ」
佳乃の顔に怒りと諦めの両方を含んだ複雑な表情が浮かんだ。
「話したくないなら話さなくてもいいけど……でも、悪いけど私はもう今、まゆしぃのことが信じられないよ」
半ば捨てゼリフのように佳乃はそう言った。大なり小なり気持ちはみんな佳乃と同じだとわかっていながら、それでもなお真夢は口を閉ざした。それほどまでに話したくないのならばもう仕方が無い。諦めとも失望ともつかないそんな雰囲気が室内を支配した。
佳乃はもう何も言わなかった。何も言わず黙って控え室を出て行った。夏夜は慌てて佳乃の後を追いかけ呼び止めた。
「よっぴー、ちょっと、よっぴーってば!」
「よっぴーって呼ばないで! その呼ばれ方、好きじゃないの!」
「そんなのアタシだって同じだよ! いいからちょっと待ちなさいってば!」
夏夜は佳乃の肩を掴んで無理やり足を止めさせた。
「どうしてあんなこと言ったの? 気持ちはわかるけど、あのタイミングで話すことじゃないと思うよ。自分だってそれぐらいのことわかってるでしょ?」
佳乃はくるっと振り向いて夏夜の方を見て答えた。
「わかってるわよ、それぐらい。でも、今までずっとまゆしぃに遠慮して話題にするのを避けてきたじゃない。こんなことでもなければ、また言いづらくなっちゃうでしょ? このままで良いわけないんだから、今聞かなきゃダメだって思ったんだもん」
「それはわかるけど、それにしたって」
「それに、この前あんなことがあって今日こんなことが起きて、さすがにまゆしぃも話してくれると思ったんだもん。応えてくれると思ったんだよ。でも……私、間違ってる? メンバーの1人が秘密を隠して抱え続けてるなんてユニットにとって良くないって思ってる私の方が間違ってるの?」
「間違ってるとは言ってないよ。そりゃあアタシも同じ気持ちだけど、だけどまゆしぃにも言えない理由があるんじゃないの?」
「だって、まゆしぃはその理由すら言ってくれないじゃない! 何があったかも話してくれない。話せない理由も言ってくれない。私だってまゆしぃが援助交際なんてするわけないって思ってるけど、でも本当に信じていいのかなっていう気持ちが無いって言ったらウソになるよ。だってもしも万が一噂が本当のことだったら、私はやっぱり援助交際するような人と一緒にアイドルなんてやれないもん。だからまゆしぃに否定して欲しいのに、ウソでも良いから否定して欲しいのに……みんなだって同じ気持ちなんじゃないの? だからまゆしぃの過去が気になるんじゃないの?」
正直言って全く同じ気持ちだった夏夜は、佳乃の本音に同意しないわけにはいかなかった。理由あってのこととはいえ、何も無かったのならばそう言えばいいだけなのにどうしてそこまで真夢が真相を話したがらないのか、それをメンバーの誰もが疑問に思っていると彼女は知っていた。誰も興味本位で真夢の過去を知りたがっているわけではない。信じてもいいのかという疑心暗鬼な気持ちを晴らして欲しいだけなのだ。
正論を吐く佳乃を前に夏夜は何も言えなくなってしまった。やがて佳乃はうつむき、悲しそうな声で言った。
「やっぱり……私がダメだから話してくれないのかなぁ……I−1のキャプテンと比べて頼りないから話す気になれないのかなぁ……そんなに私って信用できないのかなぁ……」
「よっぴー……」
「もう私、どうしたらいいのか……わかんないよ……」
そう言って佳乃はとうとう涙をこぼし始めた。信頼されていないことへの悲しみと自分の力量不足への悔しさから流れた涙だった。何とかしようと思うあまり、彼女は完全に迷路に迷い込んでしまっていた。
夏夜は涙を流す佳乃を見て、彼女は自分の考えている以上にリーダーとして苦悩しているんだなと気づいたが、同時に激しい危機感も覚えた。アイドルの祭典優勝を目指して一致団結しなければいけないのに、このままでは藍里の一件でせっかく固まったユニット内の和が崩れ去ってしまいかねない。
本来はここでリーダーの出番なのだろうが、今はそのリーダーも少し感情的になってしまっているし手詰まり状態で悩んでしまっていて状況を打開できそうにない。他のメンバーはどうすればいいのかオロオロしてしまっている状態だ。どうやら自分が何とかするしかなさそうだと夏夜は腹を決めた。
(でもどうすればいいのかなぁ……このままじゃマズイけど、どうすればいいのかわからないよ)
マズイとはわかっていても、だからといってこじれてしまった真夢と他のメンバーたちとの関係を修復する有効な策は何一つ思い浮かばない。夏夜もまた、すっかり迷路の中に迷い込んでしまっていた。
その夜、真夢はライブで起きた事件を社長に報告するために皆と別れて一人事務所へ向かった。自分が原因で起きた出来事の報告は気が重いが、しないわけにはいかない。本来なら松田も一緒に報告しに行くのだろうが、松田は今日の事件の後処理があったので真夢を先に事務所へ向かわせた。
事務所に着いて階段で2階に上ろうとしたその時、背後から誰かが真夢の名を呼んだ。
「あの、島田真夢さんですよね?」
誰だろう? と振り向いた真夢の目の前に、ライブ会場で毎回見かける1人の男性が立っていた。
「あの、ボク、大田邦良っていいます。すいません、こんな待ち伏せみたいなことしちゃって」
「ええ。いつもライブやイベントに来てくれてますよね?」
「あ、覚えていてくれたんですね。嬉しいなぁ」
「それは覚えてますよ。毎回来てくれているんですから」
「ありがとうございます。そう言ってもらえるだけで嬉しいですよ」
「いえ。それで、私に何か御用ですか?」
「はい。こんな形でお話しするのは良くないとは思ったんですけど、でもどうしてもアナタに伝えたいことがあって」
「伝えたいこと……ですか?」
真夢は怪訝そうな表情を浮かべた。知っている顔なので危険は感じないが、彼の行為はあまり好ましいものではない。本人も自覚はしているようだ。その上で伝えたいこととは何だろうと思った。
「ええ。ボクも今日MACANAにいたんで。こんなところで待ってるなんてファンとしてのマナー違反なのは充分わかっているんですけど、それでもどうしても島田さんに会って伝えなきゃいけないって思って」
大田は少し沈痛な面持ちでそう言った。良くないこととわかっていながら自分にどうしても伝えたいことがあると何度も真剣に訴える彼を、真夢は受け入れて話を聞くことにした。
「それで、私に伝えたいことって、なんですか?」
大田はそう促されると、真っ直ぐに真夢の目を見ながら話し始めた。
「あの……ボクはI−1が結成された時からのファンで、なかでも島田さんの大ファンなんです。あの事件で島田さんが表舞台から姿を消してしまったのは、そりゃあショックでした。だから偶然通りがかった匂当台公園でウェイクアップガールズのライブを見た時はホントに嬉しかったです。だって憧れの島田さんがそこにいたんですから……ボクは今でもあの事件は何かの間違いだって思ってるし、島田さんは無実だって信じてます。そう思ってる人間もいるんです。面白おかしく言うヤツもいるし、今日のヤツみたいなヤツもいますけど、でもそんなヤツらばかりじゃない。あの頃から変わらずアナタを応援している人間もちゃんといる。ボクはこれからもウェイクアップガールズの島田真夢をずっとずっと応援し続けます。だから、だからこれからもボクらの憧れでいてください。ボクらに元気を与える存在で有り続けてください。ボクらのアイドルでいてください」
大田の話は真夢にとって少々衝撃的だった。あの事件が発覚してから、一夜にしてほぼ総てのファンから手の平を返して総スカンを喰らって叩かれた彼女は、ファンに対して失望感を強く持っていた。もちろん他言したことはないが、ファンが彼女に裏切られたと思ったのと同様に彼女の側もファンに裏切られたように思っていた。彼らは今現在も真夢を口汚く罵り中傷し続けている。彼女にとってI−1時代の自分のファンは、今や敵のようになってしまっている。
だが大田は違った。彼は最初から今に至るまで真夢を信じ応援し続けてくれていると言う。最早I−1時代の自分のファンなど1人も残っていないだろうと思い込んでしまっていた彼女にはそれが驚きだった。
「アナタは私を信じてくれるんですか? どうして? 本当のことを何も知らないアナタが、どうして私を信じられるんですか?」
真夢の問いかけは大田にとっては意地の悪い問いかけだった。彼女はもう裏切られるのはたくさんだと思っているし、裏切られるのが怖くて他人に対して素直に心を開けなくなっている。だから大田の言葉を額面通りには受け取ることは到底できなかった。だが大田は何の躊躇もなく答えた。ファンだからだと。
「ファンだから? それだけの理由で信じられるんですか?」
「違いますよ、島田さん。ファンだから信じられるんです」
大田は力強くそう言い切った。理由もなく信じるなどというのは宗教と同じだ。それはファンではなく信者と呼ぶべきであり、一般的な感覚からすればむしろ毛嫌いされる部類のものだが、今の真夢にはその一途さが新鮮にすら感じられた。周囲の人間が自分を裏切ったという感覚に苛まれていた彼女にとって、無条件に自分を支持してくれる人間が存在するということは何よりも心強く感じられた。.彼女は、その閉ざされた心にほんの僅かだが明るい陽が射した気がした。
「今日のライブが終わってから、ずっとここで待ってたんですか?」
真夢はそう尋ねた。ライブが終わってから相当な時間が経っている。待ち続けるにはツラい時間に思えた。
「はい。いつ来るかわからないから、終わってからその足ですぐに来ました」
大田はさも当然といった口ぶりで事も無げにそう言った。
「来るかどうかもわからないのに?」
「その時は明日も明後日も、会えるまで来るつもりでした。アイドルファンとしては失格ですけど、どうしても伝えたかったですから」
大田はまたもや当然と言った口ぶりで言った。彼にとってこの程度のことは何ら苦痛ではなく、むしろ真夢がファンを信じられなくなっていることの方が苦痛だった。真夢自身が本当はどう思っているか。それについて彼には何ら確信があるわけではなかったが、彼にはそう思えたし、だからこそ誤解を解かなければという想いが行動を突き動かした。違っていたなら迷惑行為と言われても仕方が無い行動ではあるが、幸いなことに彼の行動は少なからず真夢に影響を及ぼしたようだった。
真夢はニコッと笑うと、大田に向かってスッと右手を差し出した。一瞬躊躇した大田だったが、自分の服で右手をゴシゴシと拭った後真夢の手を握った。真夢は左手も差し出し、両手で力強く大田の手をギュッと握り締めた。
「ありがとうございます、大田さん。これからも私たちを応援してくださいね」
その言葉を聞いて、大田は嬉しくて体が震えてきた。真夢と握手をするのは初めてではなく、以前I−1の握手会イベントで何度か握手したことがある。だがその時はその他大勢の中の1人として握手してもらっただけで、当然真夢もそのことを覚えてはいない。それが今は自分1人だけを対象として握手してくれているのだ。自分はこのことを一生忘れないし、きっと真夢もこの出来事を忘れないでいてくれるだろう。アイドルファンの大田にとっては、まさにこれ以上無い至上の喜びだった。
別れ際に大田は、ウェイクアップガールズの親衛隊を組織しようと動いてます。本気で応援しようという人間を集めて全力で応援しますと言った。2人はもう一度握手をして別れた。
事務所で真夢から報告を受けた丹下社長は、労いと慰めの言葉をかけただけで特に何も言及はしなかった。彼女も大田と同じように真夢を信じていたから、彼女に罪があるわけではないと思っていた。以前東京からのテレビ取材陣に啖呵を切った時のセリフはウソではない。だが彼女は、真夢がどこか今までと違っている気がした。何がどうとは上手く説明できないのだが、真夢の中で何かが少しだけ変わった? そんな風に見えた。
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シリーズ第17話、アニメ本編で言うと8話に当たります。今回も短いですけどアップしておきます。 | ||
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