【BL注意】雨の後で |
「あちゃあ…」
校舎の中からでも、既に雨粒が叩きつけられる音が聞こえていた。
そしてその有様を視覚で認めると、もう溜息しか出てこない。下駄箱の扉を、もたれかかるようにして締めた。
梅雨の終わりから夏の始まりに変わる隙間の強い雨。おまけに、生温い強風付きだ。
「やっぱ姉ちゃんの言う通り、傘持ってくれば良かったなあ」
真吾は手元のビニール傘を見つめる。古巣である水球部の部室の片隅に放置され、捨てられる寸前だったものだ。
いささか心許ないが、仕方ない。
覚悟を決めてくすんだビニールと錆びた骨組みを開き、景色が煙るほどの雨の中へと躍り出た。
校門を出ずにいつもの校舎裏に回り、裏門から近道になる歩道橋を目指す。
道路沿いの容赦ない車の泥はねに気をつけながら、歩道橋の上り階段が見えてきた、その時。
「…!?」
真吾の目には、同時に信じられないものが飛び込んでくる。
歩道橋の前、腕組みをして、この雨の中、傘もささず、じっとしている、赤毛の男。
間違いない。
「あれ…や、八神さんじゃないか!?」
其処に立っていたのは、紛れもなく八神庵だった。
この視界の悪さでも目立つ長身と黒服と赤い髪。
何より真吾とはそれなりに“好い仲”なのである。見間違える訳がない。
そんな彼が傘も指さずに豪雨に打たれて佇んでいる。真吾は堪らず走る速度を上げていた。
「八神さん!」
真吾の声に反応し、庵はゆっくりと顔を上げる。
長い前髪が張り付いて、いつにも増して風体が怪しい。
「きたか」
「きたか、じゃないッスよ!どうしたんスか!!」
自分の目の前までやってきた真吾に、庵は極短く返事をする。
「貴様を待っていた」
「お、オレを!?」
「駄目か」
「いや駄目じゃないですけど!っていうか、傘!八神さん傘は!?」
「傘?貴様が持っているだろう」
「いやいやいやそういうことじゃなくって!」
真吾は庵の雨水を吸って重くなった袖を引っ張り、歩道橋の下へと潜り込む。
「ああもう、びっしょびしょじゃないッスかあ」
エナメルバッグからいそいそとタオルを取り出して、濡れそぼつ真紅の髪や雨だれが伝う頬に手を伸ばそうとしたところで、真吾ははたと手を止めた。
(えーと…)
眼下には伏せ目がちな庵の表情。何処か、居心地が悪そうにも見える。
真吾は少し考えて、庵の眼前にタオルを差し出した。
「あの、これ、まだ使ってないんで…その、どうぞ」
何だか、直接自分が触れてはいけない気がしてしまった。
遠慮だとか恥ずかしいとか、そういう単純なものではなくて、上手くは言えないが、畏怖に近い。
恋仲、そう恋仲の筈なのだけれど。
でも、未だに彼の本心のようなものは全く解らなくて、自分が果たして彼の隣にいていいものかどうかも定かではない。何せ真吾は草薙京の弟子なのだ。
彼はそんな真吾に何も言わない。ただ、真吾の好意を拒否せず傍にいることを赦してくれているだけだ。
恋仲らしいことも、実は殆どしていない。お互いの家に行ったこともないし、口には出せないような行為なんて論外だ。
(でも、オレはすっげー好きなんだよなあ…八神さん…)
一方通行の好意であることへの疑念が晴れないまま、モヤモヤしたままで好きな人に無思慮に触れるのは、何だか良くない気がしたのだ。
庵は差し出された白いタオルにゆっくりと視線を移す。
じっとそのタオルの縫い目を見つめ、それから真吾の顔を見る。
真吾は突然自分の表情を穿たれた気恥ずかしさに少し目を逸らしながら、「どうぞ、どうぞ」とタオルをぐいぐい差し出すしかできない。
数秒の沈黙の後、そのタオルは無事庵の手元に渡ったのだが、庵は無言でそれを真吾の顔に押し付けてきた。
「はぶっ!」
一体何をするのかと吃驚したと同時に、もしかして何か気に食わないことをしてしまっただろうかと不安になる。
しかし庵は憤怒するでもなく嘲笑するでもなく、ただ静かに真吾にタオルを押し付けてくるだけだ。
「あ、あの、や、やふぁみひゃん」
「貴様が先に拭け」
「あ、あの、いやオレそんな濡れてないですし…だって八神さんの方がずっと…」
「…っ」
真吾が遠慮がちに庵の手を退けると、む、でもう、でもないような口をして、庵はそれ以上のタオル攻撃を止めた。
そしてそのタオルをまんじりと見つめて、終いにはギュウと右手で握り潰そうとする。
その光景に真吾は一瞬背筋が寒くなったが、彼の表情を注視している内に、何となく、本当に何となくでしかないのだが、
(あれ?ひょっとして、八神さん…オレが拭いてくれるの、待ってないか…?)
こんな都合のいい根拠のない推測がむくむくと頭に広がってきた。
恐る恐る、びしょ濡れの髪を撫でる。
庵はタオルを握り締める手を緩めて、真吾を見た。
そのまま真吾は庵の手からタオルを取り上げると、先刻までの躊躇を忘れて庵に覆い被さる。
「ええい!」
そして髪を、顔を、首筋をわっしわっしと拭いてやった。
さっきのお返しだと思えば、多少気が楽だった。自分がされたのと同じように、顔に押し付けて水滴を全て吸い取ってやった。
「おい」
黙ってされるがままになっていた庵が、唐突に声を出す。
「ひぃっ」
真吾は肩を跳ねさせて手を引っ込め、小さく丸まって頭を抱え防御姿勢を取る。
「す、すいません!勝手な真似してすいませんでしたァ!!」
しかし、いつまで経っても罵倒の言葉や焼き尽くす炎は飛んでこない。
その代わりに、大きな手が抱えた頭を撫ぜる感触がして、低い声で予期せぬ言葉が降ってきた。
「好きだ」
最初、何を言われているのか、よく解らなかった。
解ったところで、雨音に紛れて聞き間違えたのかもしれないと思っただろう。
誰よりも何よりも、一番彼から聞きたかった言葉なのに、いざとなると、これだ。
「えっ、あっ」
戸惑いを隠せないまま顔を上げた真吾の目の前に、頭を撫でてくれた手が迫り、今度はその横顔を不器用に撫でつける。
冷え切った手が、上気した真吾の頬を滑る。
真吾は、口を開けたまま言葉にならない何かを発する他ない。
「怖がらないでくれ」
そのまま、自分の懐に真吾を抱いて、また耳元で先刻の言葉を囁く。
「俺は、お前が好きだ」
再びそれを聞いた瞬間、そして理解した瞬間、胸がいっぱいになる。
どうしようもなく愛しさが溢れて、そしてようやく通じ合った想いに感極まってしまった。
「八神さあああん」
彼のジャケットの水分が自分の学生服にしみこんでいくのすら愛おしい。
真吾はその胸板にすがるように抱きついた。
気が付くと、すっかりと雨は止んで、青空すら見えている。
「ゲリラ豪雨だなーもー」
口を尖らせて、お天道様に抗議した。庵は乾く気配すらない衣類に顔をしかめながら立ち上がると、ゆっくりと歩き出した。
「あっ、八神さん」
「行くぞ」
何処へ?と聞く隙もない。真吾は慌ててカバンを担いで傘を拾いその背中を追う。
歩道橋の階段を登る。無言で。
さっきまであんなふうに抱き合っていたとは思えない、というか、抱き合っていたから、距離感が掴めないというのもある。
「あ、あのー」
歩道橋を降りたところで、真吾は庵に声を掛ける。
「ウチ、そんな遠くないんスけど、その、着替えくらいなら用意できますよ」
「貴様が来い」
「えっ」
「貴様が俺の家に来い」
「あ、は、はい!へへっ…」
雨が降ると、前よりも仲良くなる。
そんなことわざが、確かあったような気がする。
真吾はニヤつく表情筋を一生懸命おさえながら、庵の半歩後ろから、二人のこれからに向かって歩き始めた。
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本編庵真。 このカプ、ずっと推しです。 補足というか蛇足。 頭の中の庵が真吾に優しすぎるので、キャラが違う感じになってしまってます。 お互いに、好きなんだけどどう接していけばいいかわからない、っていう感じで…はい… |
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