艦これファンジンSS vol.2 「あさってのわたし達」
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 北方の海は、空も水面も灰色がかってみえる。

 遠く水平線を見つめて 一人の少女が両の手を口元にやり、ほおっと息をかける。

 吐く息が白い。彼女――いや、彼女たちにとっては寒さはそれほど苦でもないのだが、それでもやはり、寒いというのは気持ちをちぢこませる何かがあった。

「二人とも、帰り、まだかな……」

 少女はそうひとりごちた。ピンクのふわふわした髪がかすかな風になびく。

 セーラー服と裾の短い袴を組み合わせたような独特の衣装もさることながら、腰の辺りから展開された、一種異様な鋼の造形物――艤装が、少女が見た目どおりのただの女の子ではないことを雄弁に物語っている。

 艦娘。人類の脅威、深海棲艦に対抗しえる唯一の存在。

 だがしかし、この少女の艤装は通常の艦娘のそれとは異なっていた。

 砲は申しわけ程度、魚雷発射管もなく、およそ攻撃に使えそうな装備がない。その代わり彼女の艤装からはクレーンのようなものがいくつも伸び、他にも工作機械らしきものが随所についていた。

 工作艦、「明石(あかし)」。

 それが彼女の艦娘としての名である。

 

 「深海棲艦」という存在がいつから世界の海に現れたのか、いまでは詳しく知るものはない。それは突如、人類世界に出現し、七つの海を蹂躙していった。シーレーンを寸断されなすすべもないように見えた人類に現れた希望にして、唯一の対抗手段。

 それが「艦娘」である。かつての戦争を戦いぬいた艦の記憶を持ち、独特の艤装を身にまとい、深海棲艦を討つ少女たち。

 鎮守府を拠点として四方へ派遣される艦娘たち、そして、彼女らを指揮する提督の働きもあって、一度奪われたシーレーンは徐々に回復されつつあったが、それすらも綱渡りに似た、か細いものでしかなく、依然、海の支配権は深海棲艦が握っている。

 ひとたび中枢戦力を撃破した海域であっても、深海棲艦はなお徘徊し、航行の安全をおびやかしていた。

 

 明石の顔に、ぱっと安堵の笑みが浮かんだ。

 水平線に二つ影が見えてきたかと思うと、見る見るうちにこちらへと向かってくる。

 風を切って水上を滑るように帰還してくるその姿も、やはり艤装を身にまとった艦娘である。ただし、明石のそれとは違い、彼女たちの艤装はいくつもの砲が連なり、いかにも戦闘向けである。その上、艤装自体も精悍なシルエットをしており、どこか洗練されているように見えた。

「おかえりなさい、矢矧(やはぎ)さん、能代(のしろ)さん」

 素晴らしい快速で水上を駆けてきた二人に、明石はそれぞれ声をかけた。

「ただいま戻りました」

 目のさめるような敬礼をして、よく言えば落ち着いた、悪く言えば事務的な口調で応えたのは、矢矧と呼ばれた艦娘である。長い黒髪をうしろで束ね、そのまま流している。凛とした雰囲気を漂わせた矢矧のことを、明石は常々「格好良い子だ」と思っていたが、しかし、どこかとっつきにくい感じを与えるのも事実だった。

 もう片方の艦娘、茶色い髪を二つに束ねた艦娘――能代も明石に敬礼してみせたが、顔にはなにやら不服そうな色が見えた。多少いらだちを織り交ぜた視線が明石に刺さる。

 基地のある島の海岸で立っていた明石に対して、いまだ二人は海上にある。

 声は届くが、無事を喜びあうにしては、隙間風が吹く余地がありすぎるほどだった。

(うわー……やっぱり「また」怒ってますね……)

 明石は内心で冷や汗をかきながらも、表向き、明るい笑顔で、

「敵の追尾ご苦労さま。戦果の報告をお願いします」

「雷巡チ級1、駆逐ハ級1、駆逐ロ級2を撃沈」

 テキパキとした口調で能代が答えた。

「ただし、軽巡ホ級1ならびに駆逐ハ級1を取り逃がした」

 声に若干の無念さをにじませているのが感じられた。能代の報告を横で聞いていた矢矧がちらと水平線に目をやり、次いで、棘のある口調で言った。

「なぜ追撃を命じなかったの、明石?」

 その問いに、(やっぱり)と明石は内心でため息を禁じえない。とはいえ、部隊を預かる身としてうんざりといった顔は見せるわけにはいかない。自分では精一杯真面目な顔をして、答える。

「あえて危険をおかす必要はないと考えました。戦果は十分で、警戒線上の深海棲艦もこれで当面引っ込むでしょう」

「敵は叩けるときに叩くべきよ」

 眉をしかめながら矢矧が反論する。

「追撃戦に移れば両方とも沈めることができたかもしれない」

「でも追撃戦を戦える艦娘は少ないわ。この部隊じゃ、矢矧さんと能代さんにお願いするしかないもの。万一、撃ち漏らしたら、他の子に被害がでるかもしれません」

 明石の言葉は事実である。彼女が預かる「北方戦隊」は、工作艦である明石を旗艦として矢矧と能代の軽巡二隻、残り三隻は軽空母の艦娘が占めていた。

 軽空母の航空戦力で先手を取って空襲、残った敵を軽巡の二隻で叩き、深追いはこれを禁じる――明石が提督から言い渡された基本戦術だ。もっとも提督は「現場で創意工夫してもらって一向に構わん」とも言ったのではあるが。

「多少の被害は覚悟の上よ。敵を逃せば、それだけ立て直される間隔が短くなり、頻繁に戦闘をすることになるわ。むしろそちらの方が長期的に見て危険度が高いのではないかしら?」

 能代が、ハキハキとした――同時に有無を言わせぬ口調で抗弁する。

(ひええ……どうして戦闘艦の子ってこんなに怖いんでしょう)

 明石は正直ひるんでいたが、しかし、かぶりを振って、きっぱりと答えた。

「それでもだめです。わたしは毎回の戦闘の確実さをとります」

「…………」

 その答えに、矢矧と能代は否とも応とも言わない。ただ、棘を含んだ視線を明石に突き刺すだけである。明石も負けじと目線をはずさない。ただでさえ低い気温がさらに下がりそうなそんな空気が漂いだしたそのとき、

「やー、まいったわー、今回もよう生き残れたなあ」

 どこか飄々とした、明るい声が割って入った。にらみあっていた三人が振り返ると、小柄な艦娘が大きく伸びをしながら、岩陰から出てきた。和洋折衷のような衣装に、頭にサンバイザーのような帽子をかぶっている。左手に抱えているのは巻物型の飛行甲板。顔は努めて明るい表情を浮かべていたが、服のあちこちがすりきれ、煤けていた。

 北方戦隊に参加している軽空母の艦娘の一人、龍驤(りゅうじょう)である。

「まあまあ、三人ともそのへんにしときや。とりあえずみんな無事でよかったやん」

 龍驤のあっけらかんとした言葉に、明石はほっと胸をなでおろし、矢矧と能代はやれやれという顔をした。それで、その場に張り詰めていた緊張感がふっとやわらぐ。

「あっちで千歳(ちとせ)はんと千代田(ちよだ)はんが、缶詰のスープ温めて待ってくれてるで。だいぶ冷えてきたし、ぬくくしよう?――それにや」

 龍驤はにっと笑って、矢矧と能代に呼びかける。

「二人とも小破とまでいかんけど、そこそこもらったやろ? 基地に帰って明石さんにゆっくり直してもらったほうがええで。おなかがすいとっても、怪我しとっても、戦はできんしなあ」

 その言葉に、矢矧がしぶしぶといった様子でうなずいた。明石の方を再度見直すと、少しは棘のやわらいだ顔で言う。

「そうね――お願いできるかしら、明石」

「ええ、もちろんですとも」

 絶妙のタイミングで取り持ってくれた龍驤に感謝しつつ、明石はにっこり微笑んだ。

 

「千歳お姉……あの三人、またやってたみたい」

 基地の中はストーブに火が入れられ、ほんのり暖かい。窓越しに海岸の様子を見ていた千代田が、あきれたような口調で言う。

「そしてまた龍驤さんが止めに入ったんでしょう?」

 そう答えながら、千歳は鍋の中のスープをお玉でゆったりかきまぜる手を止めない。六人分のスープを用意するのはそれなりに大変なのだ。

 肩までの茶色い髪にどこかあどけない表情の千代田。短い銀色がかった髪に大人びた顔立ちの千歳。お揃いの衣装の二人とも、もちろん艦娘であり、残る二枠の軽空母であり、姉妹でもあった。

「あれで収まっているうちは大丈夫よ。矢矧さんも能代さんもちょっと頑張り屋すぎるから、そこをもうちょっと丸くすればもっといいんだけどね」

「……そうかなあ」

 千代田はというと、そわそわした様子でおちつかなげである。

「あたし、心配だなあ。遠征に行ってた頃は、もうちょっと和やかだった気がする」

「あの時とは編成が違うもの。仕方がないわ」

なにかとこぼす千代田を、千歳がなだめつつも軽くいなす。一見、妹が姉に甘えているだけに見えて、不満を先に千代田が口にして、千歳がさとす形をとることで、トータルでみれば二人の間で悩みごとを重くしすぎない役割分担が自然とできている。

 千歳も千代田も古参艦の部類だった。鎮守府に来たのは比較的初期の頃。かなり珍しい――というよりも、二人しかいない水上機母艦の艦娘として当初配属されていた。

 提督もこの独特の艦種は、相当扱いに苦労したらしい。たまに水上機を活用する遠征任務に二人を使う以外は、あまり実戦にも出さず、よく言えば自主訓練、悪く言えば放置していたものである。

 それがようやく重い腰をあげたのか、大本営技術部からの改装計画を実行に移す気になったらしく、二人を水上機母艦から軽空母に仕立てた上で、実戦経験を積ませるために北方戦隊に組み込んだという形である。

「いつまでここにいるのかなあ……」

 千代田が物寂しそうにひとりごちた。千歳はふっとため息をつき、言った。

「……それなりに長くなるかもしれないわね」

「えーっ」

「わたしも千代田も先で改装が待っているし、龍驤だって改装計画があるっていうし。矢矧や能代はまだ練度が十分じゃないもの。当面は深海棲艦の警戒線でモグラたたきしながら実戦を重ねるしかないわね」

「そんなあ……提督もさあ、やるなら集中して演習とかで鍛えてくれた方がいいのに。そしたらこんな寒いところで泊地構えて戦わなくても……」

「あら、千代田。鎮守府のベッドが恋しい?」

「べ、別にそんなわけじゃ……」

 顔を真っ赤にしてみせる千代田に、千歳はくすりと笑って見せたが、ふと自分たちの身の上を考えて、おもわず天井を仰いだ。

 演習で集中的に強化。

 それはこの北方戦隊にいる艦娘なら誰でも望んでいることだろう。

 特に明石――戦闘艦ではない、艦娘の修復と治療に特化したあの子は、なおさら演習で鍛えた方がはやくモノになると千歳も思う。泊地に長期滞在できる理由が、明石のおかげで多少の損傷は直せるからだとしても、だ。

 とはいえ、演習に出してもらえるチャンスはそう来ないだろう。優先的に育てるべき艦娘は他にもまだまだいるのだ。秘書艦も務めたことのある経験から、提督のことはそれなりに理解している千歳には、それがわかる。わかるだけに、自分を納得させて、いまある現状で頑張るしかないのだ。

「……しょせん、わたしたちって“あさっての戦力”なのよねえ」

「千歳お姉、なにか言った?」

 千代田が不思議そうに見ている。つぶやいたつもりが、思ったより大きな声になってしまったらしい。千歳は苦笑すると、かぶりを振ってみせた。

「なんでもない。さあ、千代田も手伝って。カップにスープを入れましょう」

 

 海のほとりに立つ、一見、瀟洒にも見える煉瓦づくりの建物。

 その一角に、その部屋は存在する。

 鎮守府、提督執務室。深海棲艦と戦う艦娘たちを指揮する「提督」の仕事部屋であり、鎮守府のいわば要であり、頭脳中枢といえる。

 壁には一面に大きな図上演習盤、重厚さを感じさせる執務机。そんな飾りっ気のない執務室で、唯一、部屋の主の嗜好がうかがえるとしたら、桐箪笥の上におかれたガラスケース入りの艦船模型か――見る人が見れば、それがかつて戦艦として名を知られた「長門」であることが分かったであろう。

 そして、提督はというと、机の上の書類の山を一時的に端に追いやり、昼食の弁当を広げようとしていた。弁当箱ですらなく、竹の葉でくるまれたおむすび三つというのが将校としてはなかなか質素な食事である。

「あら、提督。今日のお昼は長門さんの手作りですか」

 たおやかな声がそう訊ねる。

 声の主は、着物をきちっと着込んだ穏やかな風貌の艦娘であった。とりわけ穏やかで落ち着いた雰囲気が、彼女を見た目の外見よりもずっと大人びて見せている。

 今日の秘書官を務める鳳翔(ほうしょう)である。

「ああ、そうだ。早朝の演習がよほど出来がよかったらしい」

「そうなんですの?」

「川内(せんだい)の仕上がりも上々らしい。このぶんでいけば近いうちに改二への改装が可能になるだろうな」

 うなずきながら提督はおむすびをひとつ手にとった。

 ごつい。米がみっしりと詰まっている。しかも三個それぞれ大きさが微妙に違う。

 おかずというものはなく、やけに分厚く切ったたくあん二切れがついているだけだ。

「出来がいいと弁当を作るのはまあ良いとして、出来が悪いときは途端に無口になって目つきが険しくなる――ああなるとなかなか俺でも怖い」

「あれでも長門さんは提督の前ではこらえていらっしゃいますよ」

「そうなのか?」

「ええ、よくないことがあると陸奥さんを連れてよく飲みにいらっしゃいます」

 そういって鳳翔は微笑む。最古参で練度も高い彼女だが、いまは半ば一線を退いた形になっていて、いつの間にやら鎮守府内で小料理屋を開くようになってしまった。昼は艦娘たちにおかずを差し入れ、夜は酒の席が設けられるそこは、いまや艦娘にとってなくてはならない癒しのスポットとして確立されている。

 ちなみに「艦娘には艦娘の秘密があります」という謎ルールが設定され、いまだに提督は鳳翔の料理屋には足を踏み入れたことがない。まあ、艦娘が提督を信頼しているといってもやはり聞かれたくない話はあるだろうし、上官の目の届かないところで息抜きしたいということなのだろう。

「それにしてもだな」

 提督はおむすびに一口かじりつくと、言った。

「むぐ……毎回、塩むすびというのはどうにかならんものか」

「あら、提督。これでも長門さん、がんばっていらっしゃいますよ」

「……近頃、塩の効きが上手くなって来たと思ったら、鳳翔さんの指導か」

「ええ、上達していらっしゃいますでしょう?」

 穏やかな笑みで答える鳳翔に、提督は咀嚼していた米を飲み込むと、

「では次はレベルアップして、梅干か鮭か、具を入れるように仕込んでくれ」

「かしこまりました」

「――しかし、たくあんがやけに分厚いのはなんでだろうな」

「いやですわ、提督。長門さんの愛情の表れですよ」

 口元に手をやってくすくす笑う鳳翔に、提督は首をひねりながら、いや愛情とかそういうものではなく俺と長門の関係はだな、とぶつぶつ呟いていたが、およそまんざらでもない様子である。

 提督がまたたく間に「長門手作り弁当」を平らげるや、間髪をおかずに鳳翔がお茶を差し出してきた。絶妙のタイミングである。

「ありがとう」

 と、提督は礼を述べると、いったん物理的にも心理的にも脇に追いやっていた書類を手に取った。目を落とした途端、見る見るうちに眉間にしわが寄る。

「――――お悩みのご様子ですね」

 しばらく執務室に沈黙の時間が流れた後、鳳翔がそっと声をかけた。

「ん? ああ……」

 提督は顔を上げると、お茶を手に取り、一口すすって、いつの間にか冷めていることに気づいて、少々落胆の色を浮かべた。

「お茶、新しいのいかがですか」

「すまん」

 鳳翔が入れなおしたお茶を飲みなおすと、提督は息をほうっとつき、湯飲みをたんと音高く机に置いた。それを見て、鳳翔がきり、と表情を引き締める。

「……この件、ぜひ君の意見を聞きたいと思う」

 提督が艦娘に意見を求めることは少ない。要望はあがってくるし、それを提督に伝える手段は用意されているものの、およそ戦略に関しては、提督は自分で考え自分で立案し、それを艦娘たちに指示するだけだ。

 ただ、その提督がまれに、艦娘に自分から意見を求めることがある。それはなかなかないことではあるし、意見を求められる艦娘も選ばれたわずかな者だけなのだが、そのときばかりは艦娘の意見がかなり取り入れられる。

 「艦隊総旗艦」と呼ばれる長門が戦略全般の意見を聞かれるのに対して、駆逐艦の艦娘などからひそかに「お母さんみたい」などと呼ばれ慕われている鳳翔は、主に艦娘のメンタルケアについて訊ねられることが多かった。

「読んでいたのは明石からの報告だ」

 提督は机に置いた書類をとんとんと指でつついた。

「なかなかまいっているらしい」

「あら、まあ……」

 そう言いながらも、鳳翔はやっぱりという表情をした。

「『わかっていたのにいまさらですか』という顔だな」

「提督から北方戦隊のお話をうかがった時に、なぜ旗艦が明石さんなのか、ということは艦娘たちの間ではずいぶんと話題になったものです」

 鳳翔はあごに手をやりながら、思い出すように言った。

「長門さんもお店にいらした際に、『矢矧にまかせるべきだと思うんだがなあ』とおっしゃっていました。加賀さんは『千歳が適任だわ』とも」

 顔をすこしうつむけて、鳳翔は続けた。

「明石さんは戦闘艦じゃありません。あくまでも工作艦です。『あの戦争』から引き継いだ艦の記憶も、戦闘に使える経験はあまりないでしょう。そこへ来て、指揮下につけられたのが最新鋭のプライドが高い阿賀野型の二人です。かなりやりづらいんじゃないかと、わたしは思います」

 それを聞いて、提督はこめかみをもみながら天井を仰いで、そうかそうだよなーまあ普通はそう考えるよなーと誰に聞かせるでもなく呟いた。そんな提督の様子に、鳳翔は首をかしげてみせる。

「ひょっとして提督も本意ではいらっしゃらなかったのですか?」

「半分はな。俺に完全な裁量権があれば、まとめ役に無難な千歳にまかせるか、やる気を買って矢矧にするか――といったところだったんだが」

「……大本営の意向ですか」

 その言葉に、提督は苦虫を噛み潰したような表情でうなずいた。

「実際には大本営の中で政治的茶番劇が繰り広げられた結果だろうがね。明石を旗艦として臨時泊地運営のデータ取りをやれ、ということさ」

「――でも、提督は、半分は、とおっしゃいましたが」

 鳳翔の疑問に、提督はうなずいてみせた。執務室の背後に掲げられた図上演習盤をちらりと見やりながら、

「……この鎮守府の担当海域は初期に比べて格段に広がっている。どこまでここを拠点に戦えるか心もとない。臨時泊地とまではいかないにしても、艦娘たちが出撃したらそう簡単に鎮守府まで戻ってこれるか分からない」

 提督は手と手を組み合わせて、あごを軽く乗せた。目に真摯な光が宿る。

「そうなったら頼りになるのは明石のような、現地で艦娘の手当てができる存在だ。そして彼女には、戦闘担当の艦娘が、どこでどう戦い、どう傷を負うのか実地で知っておいてもらいたい。場合によっては、治療担当の立場から指揮官を諌めることができるほどに――そのためには、ある程度の経験と、そして実績が必要だ」

 提督の答えに、鳳翔は口元に手を当てた。

「そのための北方戦隊指揮ですか……」

「そうだ。実戦部隊をまがりなりにも指揮した経験を持っているなら、大きな知見になるだろうし、戦闘艦の艦娘にも意見しやすいだろう。俺はね……明石には、単なる修理係にはなってほしくないんだよ」

「期待しておいでなのですね」

「だが、その期待が当の明石には重すぎたらしい」

 提督は軽く肩をすくめた。

「報告書を読んでいると分かる。かなりいっぱいいっぱいだな」

「――明石さんは真面目な方です」

 鳳翔は口元に手をやったまま、思案顔で言った。答えを探しつつ、言葉を選んでいるかのように、穏やかで、優しく、しかし、はっきりした声で。

「戦隊指揮としての責務を、重く考えているのは確かだとは思います。ただ、いまは、その重さだけが意識を占めるようになっていて、提督の期待や、裁量の面白みに、目がいかなくなっているのかもしれません」

「ふむ……」

「ましてや、“あさっての戦力”だなんて言われているんですもの。しっかりしなきゃという気持ちが先走って、ちょっと空回り気味なのかもしれません」

「“あさっての戦力”? なんだそれは」

「……口さがない一部の艦娘たちが北方戦隊のことをそう呼んでるそうです。今日の作戦に必要な戦力ではない、明日求められている戦力でもない――ずっと明後日に置かれたまま、出番のない、急ぎでもない戦力、と」

「――なんてことだ」

 提督は荒く息をつき、机を拳で叩いた。

「俺は明石たちのことをそんなふうに考えたことは一度もないぞ」

「ええ、分かってます。ですから、提督ご自身のお考えを、はっきりした形でお示しになることが必要だと思います。それが鎮守府に漂うよくない評価も否定し、ひいては明石さんにも自信をつけさせることにつながるのでは、と」

「ふむ……」

 提督は鳳翔をじっと見つめた。

「鳳翔さんには妙案がおありのようだな」

 彼の真剣な眼差しを受けて、最古参の艦娘は泰然と微笑んだ。

 

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「えええええっ!?」

 鎮守府から送られてきた電文を見て、明石は素っ頓狂な声をあげた。

 北方戦隊、キス島沖合臨時泊地。その基地の通信室に明石はいる。

 通信室といっても大層なものではない。たまたま通信機が置かれているだけで、明石が報告書を作成する指揮官室でもあり、部屋の隅に急ごしらえのベッドがあることから、明石が寝泊りする部屋でもある。ついでに言うと、隣が食堂兼作戦会議室、そのまた隣に部屋が二つあり、いずれも艦娘たちの寝室兼個室でもある。

 よって、彼女の声は間違いなく隣にいる同僚たちにも聞こえたはずだ。

 とはいえ、当の明石はそれどころではなかった。電文を読んで、目をぐるぐるさせている――それだけ、電文の内容は異例すぎる内容であった。

 彼女はふわふわした髪に手をうずめて、頭を抱え、しばし机につっぷしていた。

なんで?どうして?なにかやっちゃった?なにかまずかった?と、そんなことをぶつぶつつぶやいては、しばし呆けているような状態である。

 やがて、ためらいがちなノックの音が、部屋のドアから聞こえた。

 明石は、はっと我にかえると、乱れた髪を手ぐしで整え、応えた。

「どうぞ」

「失礼します」

 薄く開いたドアから、ひょこっと顔をのぞかせたのは千歳である。それを見て、いささか安堵の表情を明石は見せた。この北方戦隊ではもっとも古参の艦娘であり、実際、鎮守府全体でも最古参の部類に入るこの艦娘が、明石にとってはなによりの相談相手だった。千歳の落ち着いた雰囲気と悠然と構えた姿勢が、なによりもうらやましい。自分がそうであればよいのにと思うし、真似ようとしてもいるのだが、実際にはなかなか切り詰めた心持ちに陥ってしまうのは、自分が艦娘として未熟なのだろうか――しばしば、明石はそう感じざるをえなかった。

「心配になったからちょっと見に来ました――あら?」

 後ろ手にドアを閉めながら、千歳は明石の座っていた机の上を見やり、ふうっと息をついた。やや、苦笑がちに、である。

「またやっていたんですか」

 千歳の言葉に、明石はこくりとうなずく。机の上にはキス島周辺の海域図や、艦隊の編成図、過去にこの海域で戦った艦娘たちが起こした報告書の抜粋などが、ところせましと置かれていた。

「矢矧さんたちの要望を少しでも取り入れられないかな、って……」

「追撃戦のことですか?」

 またしてもこくりとうなずく明石に、千歳は肩をすくめてみせた。

 苦労の絶えない指揮官の艦娘にそっと近寄ると、その背中をぽんと叩いてみせる。

「――明石さんは考えすぎです。もうちょっとどっしり構えて、部下の意見は聞き流してもいいんじゃないですか?」

「そんなふうに考えられるのは千歳さんだからですよ……」

 ため息をついて明石は机につっぷす。

「わたしは古参艦じゃない新米のぺーぺーだし、戦闘艦でもないし……」

「なら、提督と同じじゃないですか」

 千歳の言葉に、明石がぼんやりとした顔を上げて、不思議そうな表情を浮かべた。

「でも、提督は、提督ですし――艦娘とは違うし」

「そうです、提督も最初は新米少佐で、教育は受けていても実戦指揮の経験はない、ただの人でしたよ」

 懐かしむように少しだけ遠い目をして、千歳が言葉をつむぐ。

「いまの明石さんを見てると昔の提督をちょっと思い出しますね。資源のやりくりも、陣形の違いもきちんと分からなくて、執務室では始終机と仲良しそうでした」

 そう言って、千歳がくすりと笑う。

「書類の山を前によく沈没していましたよ」

「あの提督が――」

「わたしは秘書艦をやったこともありますから。提督の裏の顔もちょっと知ってます」

信じられない、という顔の明石に、千歳はうなずいてみせた。

「でも、その頃から提督は出撃する艦娘たちの前では迷いを見せませんでした。常に先を見通しているぞ、って顔で送り出して、結果がどうであれ帰還してくる艦娘をあたたかくねぎらって……裏でどんなにためらったり迷っても、実戦に出る艦娘の前では自信満々でした」

 千歳は背中から明石の肩をそっと抱きしめた。彼女のあたたかな体温が明石にじわりと伝わってきて、それが明石の中のしこりをそっと溶かしてくれるようだった。

「もちろん、提督のそっくり同じ真似なんてできません。でも、明石さんは合格点ぐらいには頑張っていると思いますよ――もっと自信をもって」

「千歳さん――」

 明石の声は少し震えていた。目にはうっすらと涙を浮かべてさえいる。

「――わたしたちって、“あさっての戦力”なんでしょうか?」

 その言葉に千歳の身体がぴくっと震えた。明石はかすかな涙声で、

「どんなにがんばっても、どれだけ練度をあげても、出番なんて来ない……」

 机に広げた書類に、ぽたり、としずくが落ちた。

「……考えすぎだ、ってというのは分かっているんです。でも、ずっと北方にいると、どんどん自信がなくなっていって、本当に提督はわたしたちのことを考えてくれているのか不安になって……」

「わたしは――“あさっての戦力”でも、いまはいいと思います」

 静かな声でささやくように千歳は答える。

「わたしも、千代田も……そして龍驤さんも、鎮守府に来たのは早くても、ずっと出番がなかったですから。こうやって、機会を与えてもらっているだけでも、ありがたいと思っています」

「……そうか、千歳さんはそうでしたね……」

「わたしは、今まで十分待ちました。あともうしばらく待つぐらい、なんてことはありません――あせってはだめ。気持ちをゆったり持つことですよ、提督みたいに」

「ありがとうございます、千歳さん……」

 明石は指で目じりをぬぐうと、はっと我に返ったように声をあげた。

「そうだ! 泣いてる場合じゃなかったんだ!」

「どうしたの?」

「提督です、その提督のことですよ!」

 戸惑い顔の千歳に、明石は困惑と興奮がいりまじった顔で言った。

「提督が、ここにお越しになるんです!」

 

「――聞いた?」

「聞きました」

「聞こえたで」

「聞いたわ」

 ドアのすぐそばで聞き耳を立てていた矢矧のささやきに、同調していた他の三人がうなずく。もちろん、能代、龍驤、千代田である。四人は顔をお互いそうっと見合わせると、そそくさとドアを離れ、寝室のひとつに移動した。

 能代が、明石と千歳には気づかれていないのを確認してから、部屋のドアを閉める。

 全員でほうっと息をつくや、勢い込んで切り出したのは矢矧だった。

「提督が来るなんて、チャンスだわ!」

「チャンスって、なにがや?」

 首をかしげる龍驤に、矢矧はびしっと指をつきつける。

「それはもちろん、私たち阿賀野型の性能を知ってもらう好機よ!」

「なんや、うちら全員やのうて、矢矧はんと能代はん限定っちゅーのが、ひっかかるんやけど……具体的にどないするんや」

「それは――艦隊運動を見てもらったりとか……」

「艤装を見てもらったりとか」

「そう、艤装をさわってもらったりとか!」

 能代の言葉に応える矢矧に、千代田がうげっとした顔をしてみせた。

「提督につつかれんの? 矢矧、あんたそんな趣味あったんだ」

「阿賀野型の性能を認めてもらうためならなんだってします!」

 胸を張る矢矧に、能代がうなずく。その様子に龍驤と千代田が顔を見合わせ、

「ないわー……それはないわー」

「も、もし提督が変なことしたら千歳お姉に言いつけるんだからっ」

「ちょっとあなたたち!」

 能代が腰に手を当てて、声を強める。

「このまま“あさっての戦力”でいいと思ってるの?」

「そりゃまあ、そうやけどなあ――せやけど、うちの改装、まだまだ先やし、当分は下積みでもしゃーないかなと思っているけどなあ」

 龍驤の言葉に能代が険しい表情をする。苦笑いで受け流す龍驤からぷいと顔をそらし、千代田の方に目を向けた。千代田はというと、戸惑い気味に、

「私は……千歳お姉と一緒ならどこでもいいかな、って……ははは」

 二人の回答に矢矧はやれやれと頭を振ってみせた。

「あなたたちには、向上心ってものがないの?」

「ほぉ――そない言うんなら、矢矧はんには何か目標があるんか?」

「もちろんよ。それは!」

 矢矧は、ふんと息をついて言い切った。

「あの大和さんの随伴艦として、今度こそあの方を守るのよ!」

「ま、また微妙な目標ね……」

「微妙とはなによ、微妙とは。栄えある連合艦隊旗艦の護衛よ?」

「いや、いまはちゃうし。うちの鎮守府で総旗艦言うたら長門はんやし」

 ないない、と手を振る龍驤に、矢矧は眉をひそめて、

「そ、それはそうだけど! でも大和さんだって鎮守府への到着は遅かったのに、もう最高クラスの練度まであがってるし。提督の次のケッコンカッコカリの相手だって言われてるし! そしたら、長門さんと同格、ううん、それ以上になるわ」

「せやろか? 重度のナガコンの提督にそんな度胸あるとは思えんけど」

「な、ナガコン?」

「長門コンプレックス。私が考えました」

 妙に自慢げに胸を張る千代田に、龍驤がうんうんとうなずいてみせる。

「提督のあれは腹筋に惚れたんやろな……露出が少ないぶん、大和はんが不利や」

「や、大和さんだって脱ぐとすごいんだから!」

「へえ、見たことあるんだ?」

 顔を真っ赤にして抗弁する矢矧に千代田が冷ややかな目を向ける。

 ぬぐぐと声を詰まらせた矢矧を制して、能代が言った。

「まあまあ、そこまで――何をどこまで見てもらうにしても、わたしと矢矧が明石の指揮じゃ不満だってのはきっちり言わせてもらうから。二人とも、止めないでよ」

「べ、別に止めないけどさ……」

「何をしに来るか知らへんけど、来たら来たで大変そうやな、提督……」

 

「じゃあ、そろそろ出発するか」

「わかった――お前たち、提督を頼んだぞ」

 短艇に乗り込む提督を桟橋で見送りながら、長門は随伴の艦娘に声をかけた。

「はいっ、雪風(ゆきかぜ)におまかせください!」

「この夕立(ゆうだち)が一緒なら大丈夫っぽい?」

 元気に答える二人の艦娘を、提督はなごやかな顔で見ていたが、すぐに表情を締め、

「では長門。留守を頼む」

「心得た」

 長門は敬礼した。脇を締めた、冴えるように美しい海軍式の敬礼であった。

 短艇のエンジンが始動し、なめらかな航跡を描きながら水面を駆け出していく。

艦娘たちがその前後をはさみ、短火艇を護衛していく。その光景を長門は敬礼したまま、じっと見つめていた。一行が彼方に去って、粒のように小さくなり、やがて見えなくなってもなお、長門は敬礼したまま見送っていた。

「――いつまでそうしているつもり?」

 長門の背後から不意に声がかかる。長門は動揺した様子もなく、振り返った。

「陸奥(むつ)か」

「もう……わたしが声をかけなきゃ日がくれるまで見送ってそうだったわね」

 陸奥と呼ばれた艦娘はそう言うと、ちょっと頬をふくらませた。艶やかな黒髪を伸ばしっぱなしながら女らしさよりも武人らしさが先に立つ長門に比べ、茶色い髪を肩のあたりでぷっつり切った陸奥の方が、どこか色っぽさがただよっている。それはあるいは言葉遣いや声の違いであるかもしれないし、化粧の違いかもしれないし、あるいは性格が外見の印象として表れているからかもしれなかった。

「不安なの?」

「不安というわけではない。離れていても、私の心はあの人のそばにある」

 長門はふっと笑うと、しかし、提督たちが去っていった方を再び見つめ、

「ただ、見送る方と見送られる方、立場が普段と逆だといささか落ち着かなくてな」

「……それを不安だっていうのよ」

 陸奥はため息をつくと、長門の黒髪を見つめた。

 風になびく長門の黒髪は美しい。姉妹艦としてそれは誇らしかったが、敬愛する姉の想いが一人に注がれているのが、なんとなく陸奥には面白くなかった。

 幸運艦で知られる雪風、勇猛果敢な夕立。いずれも鎮守府の駆逐艦ではトップエースといえる。その二人に決めたのは提督だが、推薦したのは長門だと陸奥は聞いている。

 本当なら長門自身がついていきたいに違いない。短火艇で外洋に出ようというのがそもそも無謀だし、護衛も駆逐艦が二隻というのはあまりに心配だ。だが、「大本営にもいろんな意味で刺激を与えないように、最小限の護衛で」という提督の言葉に、長門はどうしても反対しきれず、代わりに最も練度が高い艦娘をつけた。

 それもまた、陸奥には面白くない。

(長門姉さんだって、もうちょっと女の子らしいわがままを通したっていいのに)

考えれば考えるほど、ますます胸がもやもやしてくるのを陸奥は感じた。

(提督も提督よ。長門姉さんの気持ちはわかってるはずなのに)

 そう思って、陸奥はちょっとだけ、自分にうんざりした。

 また嫉妬している。それに気づいたからだ。

 ただ、陸奥には、その嫉妬が提督を想う長門に向けられているのか、それとも提督に向けられているのか、自分でも判然としなかった。

 自分だって長門と同じ時期に鎮守府に来て、長門とほぼ同じ練度で、同じだけ長いつきあいなのだ。出撃するときは、ほとんどといっていいほど、長門と一緒なのである。

 それなのに、ケッコンカッコカリは長門が選ばれた。

 長門とお揃いにならないのが、陸奥がもやもやしている原因のひとつでもあった。

(でも、わたしは長門姉さんほど提督を想っているのかしら)

 陸奥には、そこでわからなくなってしまう。提督のことは信頼しているし、敬意も持っている。だが愛情となると、普段は色っぽく提督をからかってみせているだけに、本当のところが自分でもわからなかった。

 たぶん長門は自分が悩んでいるところなど、気づかずに軽く飛び越えていったのだ。

 陸奥には、それがうらやましく思えた。

(わたしも長門姉さんとお揃いになれば、自分に正直になれるかしら……)

 長門の左手の薬指に光る指輪を見つめながら、陸奥は、ほうっと切ない息をついた。

 

「提督、いつ来るのかなあ」

 曇天模様の天気を眺めながら、千代田がつぶやいた。

 臨時泊地の沖合いに、北方戦隊の一同はずらりと整列していた。提督が来たらすぐに迎えられるようにと、意気込みよく矢矧が提案し、明石がそれを了承した結果である。

 龍驤だけ少し前に出て、普段は巻物になっている飛行甲板を展開していた。彩雲――偵察機を放って、提督たちを探しているのだ。

 矢矧と能代はきりっとした顔ながら、いまかいまかという期待の色を隠せずにいる。

 そして明石はというと、やや白い顔でカチカチに緊張している次第だった。

 その様子に、千歳がふっと息をつき、そっと明石の隣にいくと耳元でささやいた。

「そんなにこわばっていては、提督がいらしたときに笑顔がでませんよ」

「え、ええ、わかってます」

 ささやきかえす明石の声が硬い。別に提督が怖いわけではないのだが、普段は鎮守府にいる提督がわざわざ現場を視察に来るということが異例中の異例なので、変な方向に考えが巡ってしまっているようだった。

(提督は明石さんを励ましにいらっしゃるんだろうけど……)

 千歳はそう思う。おそらくは鳳翔あたりが提案したのだろう。

 長門では出てこない考えだ。艦隊総旗艦はああ見えて提督については心配性なのだ。

(……でも逆効果にならなければいいけど)

 自分の考えがいまのところあながちはずれているわけでもないので、千歳としては心の中でため息を禁じえなかった。

「――あっれー? なんか、おっかしいなあ」

 龍驤が首をかしげながら声をあげる。

「どうしました?」

 明石がたずねると、龍驤は振り返って肩をすくめた。

「いや、気のせいかもしれへんけどな。うちらがいつも戦っている深海棲艦の警戒ラインが変なんよ」

「変って、何が変なのよ」

 千代田の言葉に、龍驤は両手で人差し指を立てて、つい、と動かしてみせる。

「やー、警戒部隊の配置が普段よりも後ろというか、奥というか……でも前もこういう配置はあった気がしないでもないし、でも、なんかなあ……」

「気のせいじゃないの?」

 そう言う千代田に、能代があわせてみせる。

「提督が来るから、龍驤も緊張してるんじゃないの?」

「たはは、そうかもしれんなあ」

 苦笑いしてみせる龍驤に、一同がくすくす笑ってみせる。

 ただ一人――明石だけが笑っていなかった。

「提督が来る……いつもと違う警戒ライン……」

「明石さん?」

 不思議そうに声をかけた千歳の言葉が引き金であったように、明石は声をあげた。

「龍驤さん、警戒ラインに向かった彩雲、奥へ突っ込ませられますか?」

「へ? そりゃ彩雲なら振り切っていけんことないけど……」

「向かわせてください。矢矧さん、能代さん」

「な、なに?」

「水偵、出せますね? 提督を探すのに出してください。すぐに!」

「ちょ、ちょっと?」

「千歳さん、千代田さん、艦攻でも偵察はできますね? 二機ずつでいいので提督を探すのに出してください」

 明石の声に若干のあせりが混じる。それを聞いて、矢矧が苦笑まじりに言った。

「考えすぎじゃないの? 深海棲艦はこのあいだ叩いたばかりよ。警戒ラインが上がっているのも、そのせいじゃないの?」

「私たちがやっているのは、あくまでも突出してきた警戒部隊をモグラ叩きしているだけです。前にこの海域を攻略した報告では、あの奥にはElite級の機動部隊がいます」

「まさか……」

 千歳が口元に手をやる。明石はうなずいてみせた。

「わたしの勘違いなら後で謝ります。いくらでも笑ってもらってもかまいません。でも、なにかあってからじゃ遅いんです」

 明石は一同の顔を見渡すと、打って変わって毅然とした声で言い渡した。

「各員、機関始動。北北西に向け、全速前進!」

 

-3ページ-

 

「――ん?」

 最初に反応したのは雪風だった。

 雪風が気づくと同時に、夕立がぴくっと身体を震わせる。

「……っぽい?」

「どうした?」

 短艇から顔をだし、提督が声をかける。いまのところ順調に航路を進んでいて、もう間もなく北方海域に入ろうかというところだった。雪が降り出しそうな重く垂れ込めた曇天模様と灰色の海原を、二人の艦娘がそろって見回している。

「――しれぇ、奥に隠れていてください」

 雪風が舌足らずながら真剣な口調で言うと、夕立がうなずいてみせた。

「パーティが始まるにおいがするっぽい――」

「おいおい……」

 提督は水平線の彼方に目を向けた。

 途端、雪風と夕立がハッとした顔で空の一角に目を向けた。

 点にしか見えない距離で気づけたのは、さすが精鋭というべきか。

 空の一角に生じた染みはまたたくまに大きくなり、雲霞の群れとなって迫ってくる。

 耳障りな唸りをあげて飛来するそれは、深海棲艦の艦載機だった。

 

「おかしいわ、明石はん! 深海棲艦の機動部隊がおらへん!」

 龍驤がうわずった声をあげる。その報告に一同の顔が青ざめた。

「提督を捜索と同時に、敵機動部隊も探ってください」

 そう指示を出した明石は、きりきりと胃が痛むのを感じた。

 何度も何度も書いた報告書、読み漁った北方海域の交戦記録、そしてこの海域の地図を脳裏に浮かべた。

(……勉強してたことがこんな形で役立つなんて)

 努力が実った、という喜びはなかった。

 むしろ、こんな形で試される羽目になったことがうらめしい。

「進路、このままでいいの? 明石?」

 能代が声をあげる。大まかな進路を決めただけで、まだ敵の機動部隊も提督の部隊も見つけたわけではない。能代には、目標なしで突き進んでいるようにしか見えないのかもしれない。

「大丈夫です、このまままっすぐ!」

 そう言う明石にも確証があるわけではない。むしろ誰かに大丈夫だと言ってほしいほどだった。頭に叩き込んだ海域図、提督の部隊の予想進路、そしてそれを襲撃する深海棲艦の進出予測位置。それを考えると――

「――敵部隊発見! 三時の方角!」

 千歳が声を張り上げる。

「空母2ないし3、重巡1、駆逐2! 敵の機動部隊――燐光が赤いわ、Elite級よ!」

 それを聞いた千代田が思わず息を呑む。普段、明石たちが相手にしている戦力の二倍から三倍はあろうかという規模であった。

「三時の方向に敵なら、もしかして提督たちは……」

 矢矧はそうつぶやくや否や、ハッとして声をあげた。

「敵の艦載機群を発見! 9時の方角! ――まさか、提督たちを襲っている!?」

「あちゃあー! してやられてもうたか!」

 頭をかかえてうめく龍驤に、矢矧の叱咤が飛ぶ。

「まだやられたわけじゃない! 提督は無事よ!」

「どうするの? 明石さん」

 千歳が寄せてきて、明石に言う。それを見て、千代田が声をあげる。

「そんなの決まってるじゃない! 提督を助けにいかないと――」

「――いえ、全艦隊、面舵! 敵機動部隊に進路変更!」

「なんですって!?」

「提督を見捨てるのか!?」

 能代と矢矧の声に、負けじと明石が声を張り上げた。

「龍驤さん、千歳さん、千代田さん、出撃可能な艦載機を教えてください!」

「艦攻19、艦戦9、艦爆6!」

 千歳の報告に、千代田と龍驤が続く。

「同じく、艦攻19、艦戦9、艦爆6!」

「艦攻24、艦戦9、艦爆5や!」

 それを聞いて、矢矧がハッとした表情を浮かべた。明石がうなずいてみせる。

「戦闘機隊の数ならこちらが不利です。提督のところに行っても撃ち負けるかもしれません。でも、艦載機がお留守になった今なら、敵の機動部隊を叩くチャンスです!」

「本体を叩いて艦載機隊を退かせるのね」

 矢矧もうなずいてみせた。凛々しい顔立ちに戦意をまとって、叫ぶ。

「能代、私たちが先頭よ。艦攻と艦爆の空襲にたたみかける!」

「了解!」

 明石は大きく息を吸った。

 間違った選択かもしれない。

 でも、他に冴えた方法が思いつかない。

(“あさっての戦力”が必要とされるなら、まさにいま、このとき……!)

 自分を奮い立たせるように、明石は声を張り上げ、号令をかけた。

「全艦、強襲準備! 目標、敵機動部隊!」

 

 執拗な空襲に、雪風と夕立は懸命に応戦していた。

 自分達だけなら余裕で回避できるだろうが、いまは提督を守らねばならない。

 手元の高角砲を必死に撃ち上げ、機銃を乱射する。

 回避行動のためにジグザグに疾走する短火艇を取り囲むような軌跡を描いて二人の艦娘が海面を駆ける。見事な機動だったが、それもじりじりと追い詰められていく一方での、悪あがきとしか敵には映らないだろう。

「弾幕、切らさないで! 夕立ちゃん!」

「ぽいっ! ぽいっ!」

 雪風の額から汗が飛び、夕立の瞳の赤色が強みを増す。

 雲霞の一群が急降下をしかけ、雪風に襲いかかる。

 笛のような音がしたかと思うと、直後、大きな水柱がいくつもあがった。

 海水が巻き上げられ、つかの間、あたりを雨のような雫が降りしきる。

 大きくうねった海面から、しかし、雪風は飛び出し、高角砲を連射した。

「雪風は、しずみませぇぇぇん!」

 気合の声と共に、深海棲艦の艦載機がばたばたと落ちる。

 しかしそれでもなお、敵の数は圧倒的だった。

 夕立がぎりっと歯を食いしばり――ふと、短艇に目をやると、身を潜めていたはずの提督が、上半身を出して空を仰いでいた。

「……ッ!」

 言葉にならない叫びを夕立は上げ――しかし、提督は悠然としていた。

「間に合ったか……」

 激戦の中にあって、提督のその言葉は不思議と二人の耳に届いた。

 気がつくと、雲霞の群れは名残おしそうにうなりをあげながら、飛び去っていった。

 

「阿賀野型を軽巡と侮らないで!」

「残弾は十分よ、撃ちまくれ!」

 矢矧の声に、能代が続く。二人の砲弾が雨あられと空母へ降り注ぐのを、唯一残った敵の随伴艦――重巡リ級が身を張って食い止めようとする。

「敵ながらあっぱれやな……」

 軽巡二人の奮戦を少し離れた間合いで見守る龍驤がつぶやく。

 その間にも艦載機の準備を怠らない。軽巡二人が間合いを空けたらすぐにでも攻撃隊を発進させられる体勢だ。千歳と千代田も同じくである。

 強襲、というよりも、ほぼ奇襲といってよい。

 魚雷を装備した艦攻隊62機の攻撃は正規空母の艦娘なら二人以上の戦力といえた。

 艦戦まで出払っていた敵部隊相手にあっさり制空権を確保した航空隊は、やすやすと敵の防空網をくぐりぬけ、開幕の攻撃で軽空母1体、駆逐艦2体を沈めていた。

 だが、機動部隊の中枢といえる正規空母2体は健在であり、損傷を負いつつもそれを守るかのように重巡リ級が進出してきた。

 明石は南の空を見つめた。

 わずかな間、考え込むと、すぐに顔を上げ、前線へと出る。

「明石さん……!?」

 千代田がせっぱつまった声をあげる。重巡リ級の砲がぎょろりと明石をにらむ。

「バカ! 何をしているの!」

 明石をかばうように矢矧が割り込む。

 直後、重巡リ級の砲が火を吹いた。矢矧のすぐそばの海面に水柱が上がる。

 至近弾――当たったわけではないが、しかし、矢矧が顔をしかめて叫んだ。

「あなたが出てきてどうするの!」

「矢矧さん! いったん退いて! 艦爆隊の攻撃の後、再砲撃してから反転!」

「なんですって!?」

「敵の艦載機がそろそろ戻ってくるはず、そうなれば今度は私たちが不利になります。その前に重巡リ級だけでも沈めてください!」

 明石は砲撃の音に負けじと声を張り上げた。

 戦場の興奮で喉がカラカラなのを感じるが、いまは渇きを潤す暇などない。

「随伴艦を失った上で私たちが退けば、敵空母も撤退するはずです!」

「うまくいく根拠がどこに!?」

「勘です!」

 なかば自棄気味に叫んだ明石の言葉に、矢矧は目を丸くし――次いで、くすりと笑ってみせた。

「明石の指揮で、いままで中破以上が出たことはなかったわね……」

「矢矧さん……?」

 矢矧はきりっとした顔で敬礼して、言った。

「戦隊指揮の指示に従います――能代、一度退いて! 弾着観測射撃準備!」

 軽巡二人が後退するのと同時に、軽空母たちが高らかに声をあげる。

「さあ、艦載機のみんな、お仕事、お仕事ぉー!」

「艦載機の皆さん、やっちゃってください!」

「そろそろトドメを刺しちゃおっかな」

 三人の飛行甲板から艦載機が発艦する。そして、軽巡二隻が砲を構える。

 重巡リ級がうめきにも似た音を発した。

 明石の耳には、それが無念の叫びに聞こえた。

 

三十分後。

 明石たちの北方戦隊と、雪風と夕立が護衛する短火艇は、無事に邂逅を果たした。

 無傷な艦娘は一人もいなかったが、同時に中破まで損害を受けた者もおらず、一行は煤けた顔に笑顔を浮かべながら、臨時泊地へと向かったのであった。

 

「……敵機動部隊残存、撤退していきます――追わなくていいの? 翔鶴姉」

「大丈夫よ、瑞鶴。いま出て行ったらあの子たちに見つかっちゃうわ」

「提督も悪党デース。長門にもナイショで、ワタシ達を動かすなんてネ」

「私の計算では支援の必要は七割でした。ずいぶん分の悪い賭けをなさったものです」

「あーあ、わたしはお姉様と戦闘参加したかったです」

「榛名は、このまま手ぶらで帰っても、大丈夫です」

「ノンノン、皆サーン、ワタシ達はピクニックに来ただけなのデース。たまたま提督のくれた『バスケット』に実弾と手紙が入っていただけなのデース」

「お姉様、今回のこれ、どこまで鳳翔さんの案なんでしょう?」

「さあ? でも提督なりの脚色は絶対入っていますネ――さ、皆サン、帰りまショ」

「はい!」

 

 どんちゃん騒ぎがようやく終わった基地から、明石はそっと抜け出した。

 北方戦隊の皆――矢矧、能代、千歳、千代田、龍驤と、雪風、夕立が疲れ果てて眠っている。あの戦闘の後で、損傷を直すやいなや、祝勝パーティになだれこんだのだから、無理もない話しだった。

 保存食だけのささやかなパーティのつもりが、千歳がどこに隠し持っていたのか大吟醸の一升瓶を取り出してきたかと思うと、夕立がどこに抱えていたのやらリンゴ酒の瓶も出してきて、すっかり飲みの席になってしまっていた。

 明石はというと、基地に帰ってから皆を治すのにクタクタで、ようやく修復が終わったかと思うと、テンションの上がった皆につきあわされて、あまり強くもないお酒をもらうことになり、かなり酔いが回っていた。

 北方の空気は相変わらず冷えるが、いまのその冷たさが心地よかった。

 ふと、明石は、両肩に優しい重みを感じた。

 振り向くと、提督が外套をかけてくれていた。

「……ありがとうございます」

「ここはやはり冷えるな」

「提督、お風邪を召しますよ」

「君が風邪をひくほうがよほどおおごとだ――この北方戦隊ではな」

 提督は彼方の水平線を見つめながら、言った。東の空が白み始めている。

「どうだ、まだ指揮をとるのは不安か」

「いえ――ただ……提督は計算されていたのでしょう?」

「俺の計算と君の計算は異なる」

 提督はかぶりを振りながら、答えた。

「結果的に、俺達を救い、敵を退けたのは、君の考えあってこそだ」

「正直、まだ自信はありません……今日はたまたま上手くいきました。明日はわかりません。明後日はもっとわかりません」

「それは俺も同じだ。だからこそ、“あさって”に備える必要がある」

 その言葉に、明石はハッと息を呑んだ。

 提督の顔は、水平線の向こう、東の彼方をじっと見つめて動かない。

「夜明けだな……」

「暁の水平線……」

 東の空、天と海の境目に光が満ちていく。明石は、なかば呆然とそれを見つめた。

「なあ、明石。“あさって”はいつまでも明後日じゃない。夜が来て、朝が来れば、明日が今日になり、そして明後日が明日になる――やがて明後日が今日になり、その時が来る……君達は、そのための大事な戦力であり、大事な艦娘だ」

 提督は明石に向き直ると、かぶっていた帽子をとった。右手を差し出す。

「皆がもう少し育つまで、北方戦隊、君に預ける」

 提督の言葉に、明石ははにかんでみせた。彼の右手を取り、きゅっと握り締める。

「わたし、戦闘向きじゃないんですけどね……はい、まかされました」

 彼女の言葉に、提督が優しく手を握り返してくる。

 固く握手を交わす二人を、昇ったばかりの朝日が、穏やかに照らしていた。

 

〔了〕

 

説明
ムラムラして書いた。やっぱり反省していない。

というわけで、懲りずに妄想力全開でまた書きました、艦これのファンジンSS。

今回は前回の1.5倍ということで、ショートショートでもショートストーリーでも ない気がしないでもないですが、書いてしまったから仕方がなかろう、であります。

これまた、「うちの鎮守府」で、いっちゃなんですが三軍部隊の明石さん率いる北方戦隊の話です。タイトルは当初「明石さんの細腕奮戦記」でしたが、どうしてこんなタイトルになったのかは、まあ読んでみてのお楽しみということで。

なお、「うちの鎮守府」シリーズはゆるくつながっておりますが、基本的に独立したエピソードとして書いておりますので、気になった作品からどうぞ。

それでは皆様ご笑覧くださいませ。
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