艦これファンジンSS vol.4 「命短し恋せよ艦娘」
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「どいてどいてー!」

 飴色の木の床と白い石膏の壁。

 さして幅の広くもない廊下を一人の少女が一迅の風のごとく駆けていた。

 セーラー服を模したような露出の多い服装に、兎の耳のような黒い大きなリボン。

両手と胸元で書類の束をしっかりとかかえている。

「あぶないっ!」

「こら島風(しまかぜ)! 廊下は走らない!」

 すれ違う他の少女達が、すんででぶつかりそうになり、とがめる声をあげる。

「ごめんなさーい!」

 しかし、島風と呼ばれた少女は、そう言ったもののスピードを落とそうとしない。

 この島風をはじめ、この鎮守府にいる少女たちは皆、独特の衣装を着ていた。

 出撃時に装備する鋼の艤装があれば、普通の女の子ではないことがわかっただろう。

 艦娘。人類の脅威、深海棲艦に対抗しえる唯一の存在。

 そしてここは鎮守府。彼女たち、艦娘が拠点とする本拠地である。

 島風としては、のんびり歩いている気分ではないのだ。何事も素早く行いたいし、特にこれは大本営から提督に届いた大事な書類なのだ。ましてや限定作戦前でなにかとあわただしい時期でもある。ただでさえせっかちな島風は、一層気がはやっていた。

 だから、階段へと続く曲がり角でつい油断した。

「ひゃん!」

「きゃあ!」

 不意に現れた艦娘に島風はおもむろにぶつかり、二人ともあお向けに転んだ。

 書類の束が宙を舞い、あたりの廊下に散らばる。

「いてて……もう、島風、どこ見て走ってるの!」

 ぶつかられた方――亜麻色の髪を肩のとこでふっつりと切った、お姉さんといった印象の艦娘が文句を言った。自然体にみえて絶妙にされた化粧や、少し艶っぽい声が、どことなく色っぽい。

「ちゃんと声かけてくれない陸奥(むつ)がわるいー」

 島風はそう言って頬をふくらませるが、やがて、しゅんとしおれて、

「……ごめんなさい」

「もう、だめよ? わたしだからいいけど、誰かに怪我させたらどうするの」

 陸奥と呼ばれたお姉さんな艦娘がそうさとす。陸奥は戦艦の艦娘であった。ぴったりした衣装から見える身体のラインはすらりとしていながらも、しっかりと鍛えられているのが見てとれる。駆逐艦の島風あたりがぶつかったところでどうということはない。

「ほら、書類集めましょう。提督のところへ持っていくんでしょう?」

「はーい」

 陸奥がそう声をかけ、島風が応じ、二人しててきぱきと書類を集めだす。

 だが、ふと、ある書類を目にして、陸奥の手がぴたりと止まった。

 陸奥は、書類に書かれていた文字に釘付けとなっていた。

「あら、あらあら――――」

 

 「深海棲艦」という存在がいつから世界の海に現れたのか、いまでは詳しく知るものはない。それは突如、人類世界に出現し、七つの海を蹂躙していった。シーレーンを寸断されなすすべもないように見えた人類に現れた、希望にして、唯一の対抗手段。

 それが「艦娘」である。

 かつての戦争を戦った艦の名と記憶を持ち、鋼の艤装を身にまとい、深海棲艦を討つ少女たち。

 彼女達は兵器であり、戦力であったが、一方で女性でもある。

 戦いのことだけが悩みというわけにもなかなかいかなかった。

 

 鎮守府の最上階の一角にその部屋はある。

 提督執務室。艦娘たちを指揮する指揮官である「提督」の仕事部屋である。

 艦娘にとっては、作戦を詰める大事な場所であり、時に叱咤される説教部屋であり、あるいは功績を褒められる際の憧れの場所である。いずれにせよ、普通の艦娘にとってはそれなりに敷居が高い。

 それは、いま廊下の曲がり角から、ちらちらと遠めに執務室の扉をうかがう艦娘にとっても同様であるようであった。

 後ろでたばねた艶やかな長い黒髪、身体にぴったりとした赤と白の衣装、優美な長身に華やいだ雰囲気の面立ち――単なる美人というものを超えた、何か別種の雰囲気をまとっている彼女は、しかし、いま自信なさげに曲がり角に身を隠して執務室をちらちらと見やっていた。足を踏み出そうとして、しかしためらい、足をひっこめる。そんなことをかれこれ三十分以上は続けている。

「――なにをしている、大和(やまと)」

 背後から不意に声をかけられ、大和と呼ばれた艦娘はとびあがらんばかりに驚いた。

「ひゃあっ……! あ、長門(ながと)さんでしたか……」

 長門と呼ばれた、長い黒髪を流し武人然とした面立ちの艦娘が眉をひそめる。

「人通りがあまりないから良いようなものの、どうみても不審者だぞ」

「申し訳ありません……」

 長門も大和も戦艦の艦娘である。だが、凛とした長門の声にたいし、どこかあどけなさの残る大和の声が、二人の性格を如実にものがたっているようだった。

「提督に用事なのか?」

 長門はあっけらかんという様子で言った。

「え、ええ、まあ……はい」

「はっきりしないな。ここぞというところで躊躇うのはわるい癖だ」

 長門はふうと息をついてみせ、大和の手をむんずと引いた。

「ほら、いくぞ」

「あ、あの、ちょっと」

 問答無用に長門に手をひっぱられ、大和がたたらを踏みながら歩き出す。

 どうしようどうしよう長門さんには聞かれたくないのに、という大和のつぶやきが長門に聞こえているかどうか。いや、聞こえていても気にしないのが長門である。

 二人が執務室に近づくと、室内から何か話し声が聞こえてきた。

 言い争いとまではいかないが、強い口調で誰か提督を問い詰めているようである。

「この声――陸奥か?」

 長門はかすかに眉をひそめながらも、ためらいなく鎮守府の扉を開けた。

 

「だからこの書類はなんなの!」

「……見てのとおりのものだが」

「何をするつもりだったの!」

「さすがにこの書類で紙飛行機は作らないぞ?」

「そうじゃなくて! どうするつもりだったの!」

「それはいま君が知るべきことではない」

「教えてくれたっていいじゃない!」

「答えるべき理由が見あたらない」

「だって、この書類、例のあれなんでしょう!?」

「それはたしかにそうなんだが」

「だから、何のために取り寄せたのよ!」

 何巡目だろうな、と提督はいささかうんざりしていたが、ヒートアップする一方の陸奥は執拗に問い詰めてくる。そろそろ救いの手が来ないかと思った矢先に、執務室の扉が開き、こともあろうに長門と大和が入ってくるのを見て、提督は思わず天井を仰いだ。

 俺、今日、厄日かもしれんな。

「何を騒いでいるのだ、陸奥」

 長門の問いに、陸奥がくだんの書類を手に取り、不服そうに口をとがらせ、

「だって! 提督が大本営からこの書類を!」

 言い募る陸奥の手から長門が書類を受け取り、大和が横から覗き込む。

「――ほう」

「これは……もしかして」

 書類に視線を落とした長門の目がすっと細まり、大和が思わず口元に手をやる。

「でしょう!? 見たでしょう?」

「見た」

「見ました」

「……どういうことなのよ、提督!」

 陸奥が腰に手を当てて、じろりとねめつける。

 長門が端然とした眼差しで、大和は興味津々といった目で、それに続く。

 超弩級戦艦の艦娘三人に見つめられて、提督はしぶしぶといった口調で答えた。

「どうしたもなにも――ケッコンカッコカリの書類だが」

 あらためて提督の口から言われると、やはり相当な威力があったらしい。

 陸奥と大和が息を呑む音が聞こえた。長門はというと、無表情である。

「…………」

「…………」

 どちらからともなく、陸奥と大和が互いの顔を見る。

 陸奥が両手の指先を合わせて、人差し指どうしをちょんちょんと開いて閉じる。

 大和はというと、長い髪をひと房、手に取り落ちつかなげにいじっている。

 提督は、窓の方に視線を向け、そんな二人を見ないようにしていた。

「――こほん」

 微妙に張り詰めそうになってきていた空気を破ったのは長門である。聞こえよがしに咳払いをすると、静かな足取りで提督の座る執務机に近づく。

 机の上にばさりと書類を置くと、硬い声で言った。

「ケッコンカッコカリということは、最高クラスの練度の艦娘が選ばれるのだな」

「……ああ」

「そしてこの鎮守府で最高クラスの練度といえば、まずわたしだ」

「……そうだな」

「だが、わたしはすでに提督とケッコンしている。そうだな?」

「……そのとおりだ」

「ならば、あとは、陸奥か、大和か、ということだな」

「……君の言うとおりだ」

 その問いとその答えに、陸奥と大和が期待と困惑の視線を絡ませる。

 長門は、大きく息をつくと、凪いだ海面のように静かな声で言った。

「提督」

「なんだ」

「先にあやまっておく――すまん」

 長門はそう言い、右の手で握りこぶしを作るや、提督の顔面に勢いよく一発入れた。

 殴られた提督が椅子から転げ落ちる。軽く吹っ飛んだといっていい。

 その殴打は、陸奥や大和がつかの間見ほれるほどきれいなフォームであった。

 

 やはり今日は厄日かもしれんな。

 提督はまぶたの裏にちかちかと星が散るのを感じながら、ゆっくり起き上がった。

 艦娘とはいえ、女の拳でのびてしまうとは、我ながら情けないものである。

 あの書類がどうやって陸奥の目に留まってしまったのか、よりによって問い詰められているところにあの二人がなぜ来たのか、偶然にしては悪意がありすぎる。

「……とはいえ、遅かれ早かれ、だったかもしれんな」

 いずれは決めねばならないし、伝えねばならない。

 むしろ長門には感謝すべきなのかもしれない。

 決めかねていた自分に、はっきりしろ、との思いがこもっていたような一撃だった。

 立ち上がった提督は、机の上に視線を落とした。

 ケッコンカッコカリの書類の上に、メモが置かれている。

 力強い筆跡で、そこには一言、こう書かれていた。

 「わたしにまかせろ」と。

 

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「いらっしゃいませー」

 たおやかな艦娘の声が出迎える。

 日が暮れてからこそが、この店の賑わい時であった。

 鎮守府の一角で、いつの頃からか開かれている小料理屋。

 店の屋号はつけられていなかったが、そこを仕切る女将役の艦娘の名を取って、こう呼ばれている――小料理屋「鳳翔(ほうしょう)」と。

 提督は立ち入り禁止、詳しい場所も教えていないここは、艦娘たちが上官抜きで話し合える場所であり、心をほどいてゆっくりと話し合える場所であった。

 はたして、長門、陸奥、大和の三人は、この店で席を共にしていた。

「鳳翔さん、注文いいか?」

「はい、長門さん、何にしましょうか」

「海鮮刺身の盛り合わせ、焼き鳥を三人前――ああ、里芋の唐揚げもいいな」

 お品書きを見ながら、すらすらと長門は言うと、陸奥と大和に目を向け、

「何か好きなものがあれば注文するといい」

「えっと――じゃあ、煎りこんにゃく」

 陸奥が言うと、大和が続ける。

「ねぎま鍋、いただけますか」

「ふむ、ひとまずそんなところか。飲み物は……まあ最初はビールでいいか」

 長門はお品書きをぱたんと閉じると、

「大ジョッキでみっつだ。以上でたのむ」

「はい、かしこまりました」

 鳳翔さんがなごやかな笑みを浮かべながら去っていくと、長門は腕組みをして、

「二杯目からは好きな飲み物を頼むといい。食べたいものがあればどんどん注文しろ」

「それはありがたいんだけど……」

 陸奥が困ったような笑みを浮かべている。その隣で大和がそわそわしながら、

「あのう……このメンバーだとお代が心配じゃないかと」

「心配するな」

 こともなげに長門は言ってみせた。

「全部、提督にツケる」

 小料理屋「鳳翔」は高級店ではないが、それでも安くはない。鳳翔がなかば趣味でやっているから利益はほとんど取っていないはずだが、仕入れる食材が結構こだわっているのかそれなりの値段はする。そこへ来て、大食らいの戦艦の艦娘三人である。

 さらりとツケると言ったが、提督の承諾は取っているのか……?

 陸奥も大和も期せずしてその疑問を抱いたが、あるいはそれだけの無茶を事後承諾で通してしまえるのが、長門の艦隊総旗艦たるゆえんであるかもしれなかった。

「…………」

 陸奥と大和は思わず顔を見合わせてしまった。ちなみに二人の向かいに長門が座っている形なので、いかにも「この長門が聞こう」という姿勢なのだが、そもそもこの宴席を言い出したのは長門なので、二人とも否応もなかった。

「はい、お待たせしました。お飲み物、どうぞ」

 泡立つ琥珀色のビールがなみなみと注がれたジョッキが置かれる。

 長門がむんずとジョッキをつかんだ。陸奥がつかんだジョッキの底にもう片方の手を添え、大和がジョッキを両手で包むように手を添える。

「では、まずは乾杯しようか」

「乾杯って、何に?」

 陸奥の問いに、長門はほんの少しうなってみせたが、

「――提督の長寿と活躍を祈って」

「ぷふっ……」

 たまらず大和が吹き出す。提督にクリーンヒットを入れておいて、長寿もなにもあったものではなかった。しかし、つられて陸奥も笑みも浮かべ、それを見て、長門もにやっと笑ってみせる。

「じゃあ、乾杯!」

「「乾杯!」」

 三人の艦娘はそろって声をあげると、ジョッキを打ち鳴らした。

 

「だから! 提督がはっきりしないのがわるいのよぉ!」

 陸奥はライムサワーをあおるとグラスを音高くテーブルに置き、大きく息を吐いた。

 長門がうんうんとうなずき、大和は無言のまま否定も肯定もしない。

「昼間だってあれだけ聞いたのに結局答えてくれないしぃ」

 陸奥はすっかり出来上がっていた。長門がかなりのハイペースで飲むのでそれに合わせたのだが、どうやらピッチが早すぎたらしい。

 ちなみに長門は不動の表情で枝豆をひとつひとつつまみながら、焼酎の濃い目の水割りをぐびぐびと飲み進めている。かたや大和はといえば、いま来たばかりのホクホクのじゃがバターをつつきながら、日本酒をちびちびと舐めている。

「提督は変なところで慎重だからな」

 そう言って、長門が焼酎をごくりと飲み干してみせる。

「慎重なんじゃなくて奥手なんじゃないのぉ?」

 陸奥は酔いで上気した頬にグラスを押し当てつつ、テーブルの上にぐだりと崩れた。

 大和はその様子を見て、日本酒をちびりと飲みながら一言、

「だから陸奥さんはいつも提督にちょっかい出してるんですか?」

 その問いに陸奥が胡乱な目を向ける。受けて立った大和の目は据わっていた。

「ちょっかいって、なによ」

「わたし、聞いたことがありますよ。火遊びはやめてとかなんとか」

 大和の目は据わっているのみならず、じわりと涙が浮かんでいた。

「わたしだって、あんなふうに提督と気さくに接してみたいのに……」

 そういうと、ちびりとまた日本酒を舐めて、

「先輩たちはずるいです」

「なーにがずるいのよ、なーにが!」

「別にずるはしていないぞ。正攻法でぶつかればいい」

 長門がそう言い、またぐびりと喉を鳴らす。焼酎の瓶は早くも残り半分を切っているのだが、顔色がまったく変わらないのは驚異的であった。

 そんな長門を、期せずして陸奥と大和がじとっとした目つきで見つめる。

「なんだ、おまえたち?」

「大和に同意。長門姉さん、ずるいわ」

「ぜんぜん酔ってないじゃないですか」

 陸奥が長門のグラスをひったくり、大和が焼酎の瓶をつかむ。

 氷も入れず水で割らず、生のままの焼酎をなみなみとそそぐ。

「ほら、飲んで!」

「飲んでください!」

 目の前にグラスを突き出されて、長門が目を閉じて、ふうっと息をつく。

「お前達の杯ならことわれないな」

 長門はそう言うと、グラスをつかみ、一息にあおった。

 

「ありがとうございましたー」

 店にきていた艦娘たちが徐々に帰り始める頃。

 超弩級戦艦の艦娘たちは三人とも土俵際の攻防にあった。

 互いに酒を注ぎあい、飲ませあいした結果、陸奥は完全にテーブルの上にへたれこみ、大和はぽろぽろと涙を流してとまらない。長門だけは泰然としていたが、微動だにしないのが逆に鬼気迫るものを感じさせた。

「で、だ」

 長門はゆっくりと声を発した。むろん、瓶の焼酎はすでに空である。

「結局、陸奥は提督とケッコンしたいのか、どうなんだ」

「わたしはねぇ、ケッコンしたいというより、ねぇ」

 へたれこんだまま顔を隠して陸奥がうめくように言う。

「長門姉さんとおそろいじゃないのが納得いかないのよ」

陸奥はそういうと、どんと拳をテーブルにうちつけた。

「長門姉さんと同じ頃に鎮守府にきて、同じように出撃して、同じように提督のために戦ってきたんじゃない。それなのになんでケッコンだけは長門姉さんとなの? わたしも選ばれたっていいじゃない。おそろいにしてくれたっていいじゃない」

「それって、陸奥さんは提督よりも長門さんが好きってことですか……?」

 自分では止められないのか、ぽろぽろこぼれる涙をぬぐいながら、大和が訊く。

 その問いに陸奥はゆっくりと面を上げた。上気した顔は泣いているのか笑っているのか判然としづらい表情が浮かんでいた。

「自分でもわかんないわ……長門姉さんが好きだから長門姉さんと同じになりたいのか、提督が好きだから長門と同じようにあつかってほしいのか」

 陸奥は顔を上げながらも、長門と目を合わせようとはしなかった。

「最初は提督をからかって、提督が戸惑うのをみるのが楽しかったわよ。でも、最近は自分でもふざけているのか本気なのかわかんないのよ……提督が長門姉さんとケッコンしてからは特にそう。提督ったら、わたしのからかいにも反応薄くなって、それが腹立たしくって……」

「だがな、陸奥」

 長門が不動の表情のまま、静かに訊ねる。

「好きでもない相手にそんなことはしないんじゃないか?」

「……長門姉さんほど好きじゃないと思う」

 陸奥の言葉に、長門は首を軽くかしげてみせる。

「それは陸奥のわたしへの想いのことか、それともわたしの提督への想いのことか?」

 長門がそういうと、陸奥は一瞬だけうらめしそうな目で長門を見つめ、

「――わかるわけないじゃない、そんなの」

 すねるようにそういうと、再びテーブルにつっぷした。

「……結局、陸奥さんは長門さん抜きでは提督のことを考えられないんですね」

 鼻をぐずぐず言わせながら、大和が言う。

「でも、わたしも同じかもしれません」

「どういうことだ?」

 長門が怪訝そうに訊くと、大和は一層じわりと涙をこぼしながら、

「わたしは……わたしは、長門さんに負けたくないんです」

 大和はおしぼりを手に取ると、目じりを何度もぬぐう。すでに赤く腫らしている。

「艦娘として、戦力として、女性として、負けたくないんです――ぐすん」

 その言葉に、長門がまた首をかしげてみせる。

「“艦隊総旗艦”の名前がそんなにほしいのか?」

「それだけじゃないです! それもほしいけど……それだけじゃなくて!」

 水が堰を切ったように、大和は目から涙をこぼし、口から言葉をつむいだ。

「結局、その称号は提督が長門さんに決戦戦力を任せ続けてきた結果じゃないですか。いまのわたしも同じぐらい頼りになるはずです。任せてくれてほしいんです。この鎮守府に来たばかりのわたしじゃないんです。観艦式におあつらえ向きなんかじゃないんです」

 大和はそうまくしたてると、両手で顔をおおってしまった。指の隙間から、涙のしずくがいくつもあふれては流れてくる。

 長門はふと天井をあおぎ、訊くでもなくぼそりと言った。

「大和も提督のことが好きなんだな」

「好きでもない相手に大事にしてほしいなんて思わないじゃないですかあ」

「じゃあ好きなんだな」

「いまさら、そんなこと、聞かなくてもいいじゃないですかあ」

 大和はそう声をあげると、とうとうわんわんと泣き出してしまった。

「――そういう長門姉さんは」

 陸奥が地の底からわきあがるかのような声で言った。

「長門姉さんは、提督のことをどう思っているのよ」

「わああん、そうですよぉ! 長門さんはどうなんですか!」

二人から詰め寄られて、長門は目をぱちくりとさせると、

「そういえば好きとか愛してるという文脈で考えたことはないな」

「嘘でしょ!?」

「ケッコンしてるのにですかぁ!?」

にじりよる二人に、長門はこくりとうなずき、

「うむ――当たり前のようにまかされて、当たり前のようにこなしてきた。そうしてるうちにいつのまにかこうなってしまったというべきかな」

 長門は軽く天井を仰ぎながら、穏やかな声で言った。

「このあいだ、人のすすめでデートというものをやってみたが――」

「どうだったの!?」

「デートしたんですか!?」

「いや、たしかに楽しかったし、意識しないでもなかったが、期待されてるほど睦みあうこともなかったぞ」

 長門はそう言うと、腕組みをしてみせた。

「どうもな――わたしと提督はそういうのがあまり向いていないらしい」

「ケッコンしてるのに?」

「提督のこと、愛してないんですか?」

 いつの間にか陸奥が復活し、大和は泣き止んでいた。

 二人とも真剣な面持ちで詰め寄る。

 長門は二人の視線を真正面から受け止めて、答えた。

「そんなことを考えたことはないし、これからもたぶん考えることはないかな。ただ、これまでとおり、提督はわたしにまかせてくれるだろうし、そのことを信じることに一切のためらいも疑問もないかな」

 きっぱりとした長門の言葉に、聞いていた二人は顔を見合わせた。

 次の瞬間、陸奥がげんなりした顔で、大和が涙をまたこぼしながら、叫んだ。

「「鳳翔さん、もう一杯!」」

「……あのう、三人とも? もうそろそろ……」

 か細い鳳翔の声に、

「いいの! 持ってきて!」

「あと一杯は飲まなきゃ帰れません!」

 陸奥と大和の、ちょっと悲痛な声が小料理屋に響き渡った。

 

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 これはまた大惨事だな。

 その場に着くなり、提督はそう思った。

「おお、すまんな。迎えにきてもらって」

 長門が――-わずかに上気した頬以外は、普段とまったく変わりないように見える長門がそう言う。その足元では、陸奥が青い顔をしてへたりこんでいて、大和がしずかに寝息をたてていた。

「……二人とも大丈夫か」

「心配ない。陸奥ならさっき自爆したから、いまはいくらか楽になっているはずだ」

 陸奥の背中をさすりながら、もう一方の手で長門が大和の頭をそっとなでる。

「大和は泣きつかれて眠っているだけだな」

 長門が小料理屋からここまで二人をどう引っ張ってきたかはむろん提督の知るところではない。ただ、その苦労は単艦で沖ノ島海域を攻略してこいというのに等しいものであったことは想像に難くない。

「その、なんというか、まかせてよかったのか……どうなんだ」

「心配するな。それより、ほら、手伝ってくれ」

 長門が大和の肩を優しくぽんぽんとたたく。提督はうなずき、大和の身体を抱き起こすと、どうにかしておぶってみせた。

 一方の長門はためらうことなく、陸奥をお姫様抱っこである。

「……そこでそういうことができる君がすごいと思うな、俺は」

「提督も男ならお姫様抱っこくらいできないとだめだぞ」

「二人してお姫様抱っこして運ぶのはシュールじゃないか?」

「二人きりならお姫様抱っこしてほしかったがな」

「……長門、お前、酔ってるな?」

 一見、普段と変わらないように見えた長門だったが、しかし、普段は見せない色っぽい目線をふわっと提督に向けると、くすくすと笑った。

「ふふ、提督の前ではどうしても崩れてしまうな」

「それで崩れているのか。どんだけ鉄壁なんだ」

 提督がにやっと笑ってみせて、大和をおぶって歩き出す。

 陸奥を抱きかかえた長門が、その横に並ぶ。

「いやしかし、よくまあ飲んだものだ。提督、お代は覚悟しておけよ」

「俺の来月分の給料はないものと思っておくよ」

 艦娘たちの寮へ向かってゆっくりと歩く二人を、月明かりが優しく照らしている。

 二人ともしばし無言だったが、やがて、長門がぽつりと言った。

「確かめたかったんだ」

「ふむ?」

「二人の気持ちも……自分の気持ちも」

「そうか」

「どうやら、わたしも提督をにくからず想っているらしい」

「男冥利につきるね……」

 提督がぼそりと言うと、

「おそろいがいいのぉ……」

 陸奥がなかなかに艶っぽい声でつぶやき、

「負けたく、ない、です……」

 大和が寝言でつぶやく。それを聞いて長門はふっと笑ってみせた。

「二人の気持ち、むげにしないでやってくれ。わたしからの、お願いだ」

「――長門、それにこの二人も。なにか勘違いしてるようだがな」

「なんだ?」

 そう訊ねる長門に、提督はややばつの悪そうな顔で言った。

「ケッコンカッコカリの書類な……あれのほかに、もう一部あるんだ」

 それを聞いた長門は目を丸くすると、ついでからからと笑い、

「ははは。おい、提督、おい。殴ってもいいか?」

「いまこの場はやめてくれ。大和を運べなくなる」

「そうか。では寮に着いたらとっておきのグーをいれてやろう」

「……せめてパーにしてくれないか」

 蚊の鳴くような提督の声に、長門はくつくつと笑っていたが、ふうっと息をつき、

「そうか。うん……それなら、まあ、いいか」

「いいのか? ……本当に?」

 提督がそう訊ねて長門を見つめる。

 長門が提督の方を向いて、澄んだ眼差しで見つめかえした。

「水族館で提督が言ってくれた言葉……」

「……ああ……」

「あれをわたしは信じる。カッコカリがはずれるとしたら、この戦いが終わって、艤装をはずし、長門の名も記憶も返し、一人の女性として出会いなおす時――」

 長門の目は、いつになく穏やかだった。

「あの約束がある限り、提督がどれだけケッコンしても、拳骨だけで大丈夫だ」

「それは俺があまり大丈夫じゃない気もするんだが……」

 提督は、ほうっと安堵の息をつき、言った。

「……ありがとう、長門」

「それにだ、提督」

 長門はにやりとした不敵な笑みを浮かべて、

「ああいうことを言ってくれるということは、単なる艦娘ではなく、もう――」

 その先は続けない。提督が顔を赤くするのを、長門は面白そうに見つめていた。

 月明かりの下、長門がそっと提督に身体を寄せる。

 提督が思わず空を見上げ、月を見て、何か言いたげだったが、出た言葉は、

「なあ――手、つなぐか?」

「そんなことができる状況じゃないし、そんな柄でもないだろう」

 長門のすげない返事に、提督はそっかーそうだよなーと悔しそうにつぶやく。

 それを聞いていた長門が笑いをこらえながら言う。

「無理をするな、提督。かなりいっぱいいっぱいだぞ」

「――やっぱり酔ってるな、長門」

 彼の言葉に、彼女は不敵な笑みを返すだけ。

 二人の頭上を、月光が静かに降り注いでいた。

 

「おめでとう!」

「おめでとうなのです!」

「二人ともおめでとう!」

 祝福の言葉が次々とあがる。

 そのことに、陸奥も大和も照れながら応えてみせる。

 後日、二人のケッコンカッコカリが正式に発表された。その知らせに鎮守府全体がざわついたが、全艦娘を集めての集会でそれを告げたのがほかならぬ長門であったことで、艦娘たちをして「艦隊総旗艦の公認なら仕方ないね」「提督、何発もらったんだろ」程度の話に収束したのはいうまでもない。

 今日は鎮守府あげてのパーティである。普段は遠征に出ている艦娘もこのときばかりは戻ってきて、にぎやかに宴が開かれていた。もっとも、提督自身は、早くも酔いのまわった艦娘たちに囲まれてひやかされているのに対し、陸奥と大和はお祝いに来る艦娘たちの返事に追われていたのだが。

「もうちょっとしめやかに行うものだと思ってました」

 笑顔にちょっと困った色をまぜながら、大和が言う。

「そうよねえ。これじゃただの宴会だわ」

 陸奥がため息をついてこぼす。

 そんな二人に、凛とした声がかけられた。

「苦労しているようだな、二人とも」

 声の主は、はたして長門だった。普段どおりの姿、普段どおりの態度。

 長門がもうちょっと悔しがったりしてみせれば、艦娘たちの反応も違ったのだろうか――陸奥も大和も期せずしてそんな感想をもってしまい、ふと目線を交わしてしまう。

 そんな二人に、長門はふっと笑うと、手にしたグラスを、まずは陸奥のグラスに軽く合わせて、言った。

「陸奥。おそろいがいいと思っていては、いつまでも一番になれないぞ」

 その言葉に陸奥が目を丸くする。

 長門はそれに構わず、次は大和のグラスに合わせ、

「大和。負けたくない、では、いつまでも勝てないままだぞ」

 そう言われて、大和がおもわず口元に手をやる。

 長門は不敵な笑みを浮かべると、わやくちゃにされている提督のもとへと悠然と歩いていった。

「長門姉さんの、あれって――」

 陸奥が大和の方を向く。大和はこくりとうなずき、

「――宣戦布告、ですよね」

 その言葉に、どちらからともなく微笑んだ。

 陸奥が手をあげると、大和も手をあげ、お互いにぱしん、と打ち合わせた。

「じゃあ、第一戦、行こっか」

「ええ、提督にはお気の毒ですけども」

 二人の艦娘はさざめくような笑い声をあげると、提督のもとへ駆け寄るのであった。

 

〔了〕

説明
もわもわして書いた。やっぱり反省していない。

というわけで、もはや週刊ペースとなっている艦これファンジンSSのvol.4です。

陸奥と大和がレベル99になってしまって、「どうしよう」と思っていたところ、フォロワーさんから「それもショートストーリーのネタにしたらどうですか?」と言われ、それだ!と思い書き上げた次第であります。

提督がどう考えるか、というより、長門さんがどう受け取るのか、が気になったのでこういう展開になりました。ちなみに今回はタイトルはすんなり決まりましたね。夏目漱石の作中台詞から取る手もあったんですが、ふむ。

なお、「うちの鎮守府」シリーズはゆるくつながっておりますが、基本的に独立したエピソードとして書いておりますので、気になった作品からどうぞ。

それでは皆さんご笑覧くださいませ。
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