紙の月1話 僕らはみんな紙の月 1/2 |
デーキスは目を覚ましたが、窓から陽の光が入らない所を見ると、まだ外は夜のようだった。明かりのないこの廃墟で生活するようになって数日が経つが、一向に馴染めそうもなかった。気分を変えるために外に出ると、外の方が廃墟の中よりも明るく、辺りの様子がよく見えた。広がる瓦礫の山、その中にさっきまで自分がいたような廃墟が、転々と瓦礫の山から顔を出している。
これらは全て人が地球の至る所に、無造作に生活していた頃の時代の物らしい。ということは、少なくとも五十年以上前の建物だ。それらがあの、要塞のようにそびえ立つ都市から廃棄されたゴミに埋もれている。自分もあの都市から出るまでは、外がこんなふうになっているとは知らなかったし、一生気づくことなかっただろうと思った。
空を見上げる。夜でも周りが見えるのは月があるからだ。だが、デーキスにとって月は、自分が置かれている状況が夢でなく、無慈悲な現実だと証明する存在となっていた。デーキスが見た月は不気味な緑青色に発光していた。
学校の授業では、昔は政府という物が様々な都市を管理していたと、デーキスは習った。その都市の中で、都市内の施設だけで住民の生活を完全に補える所が現れ、政府から独立して『都市国家』と呼ばれ始めるようになった。
しかし、政府はそれを認めなかったため、政府と様々な都市国家の間で戦争が始まったのが五十年以上前のことだ。
その後、初めの数年は巨大な力を持った政府側が有利だったが、都市国家の連合軍側に、反政府主義者が力を貸して二十年続く長い戦争となった。
最終的に、次々に都市が政府の管理から独立し、都市国家の数が増えてきたため、政府が都市の独立を認める形で戦争が終わり、それが三十年は前の事だった。
その都市国家の中でも、最初に独立した内の一つである、『太陽都市』と呼ばれる都市国家にデーキスは住んでいた。ほんの数日前までは……
デーキスは太陽都市の情報局社員の家、いわゆる一般家庭に生まれた少年だった。ある日の朝、デーキスは目が覚めた時から頭痛に苛まれていた。その時は風邪を引いたので、母親に頼んで学校を休もうと思っていたが、後にこれが自分の人生を変えてしまう物だとは夢にも思わなかった。
デーキスが自分の部屋からリビングに行くと、母親は既に朝食の準備をしていて、父親は椅子に腰掛けてコーヒーを飲んで待っていた。
「ママ、頭が痛いよ。風邪引いちゃったみたい」
「あら、本当? どれどれ……」
母親は額をデーキスの額にあてて熱を測った。いつも見ている母親の顔だが、こう近いと何だか恥ずかしいやとデーキスは思った。
「ちょっと熱っぽいわね。朝食を食べたら、お医者さんのところへ行きましょうね」
「僕、今日は学校休めるの?」
「まあこの子ったら……」
ふいにデーキスと母親の目が合った。すると、母親の顔から笑顔が消えていき、みるみるうちに青ざめていった。
「ママどうしたの?」
「あなた! あなた!」
母親は大声を上げながら父親の方へ駆け出した。突然呼ばれた父親は驚きつつも、母親を抱きとめると、半狂乱になっている母親を必死でなだめた。
「どうしたんだ一体? デーキスに何かあったのか?」
「デーキスの……あの子の目……!」
そう言いながら全身の力が抜けたかのようにしゃがみ込むと、母親はわっと泣き出してしまった。父親が呆然と立ち尽くすデーキスの目を覗きこむと、母親のように顔が青ざめていった。
「ああそんな……何かの間違いじゃあ……」
母親のように泣き出したりはしていなかったが、その声には深い絶望が現れていた。デーキスは自分が何か恐ろしい病にでもかかったのかと思い始めた、
自分の目がどうしたのか、一刻も早く確認したくなったデーキスは、洗面所に向かうと鏡に反射した自分の顔を見た。そこにはいつもどおりの自分の顔があった。
しかし、その眼を見ようと鏡の自分と目を合わせるように見ると、ある変化が起こっていることが分かった。デーキスが憶えている限り、自分の瞳は両親と同じ琥珀色だった。しかし、鏡の中の自分は違っていた。
鏡の中の自分の瞳は、まるで生き物のように絶えず色が変わっていた。今、デーキスの瞳は虹色に変化し続けているのだ。
これを知って、デーキスは身体を小さく震わせた。デーキスは瞳の色が虹色に変わる現象の意味をよく知っていたのだ。
「セーヴァだ……僕はセーヴァになっちゃったんだ……」
デーキスが学校に入った時、まず最初に教師から教わったのは、算数でも国語でもなく、『セーヴァ』と呼ばれるものについてだった。
それを教えた教師は話す時には必ず『子供には分からないだろうけど』と言ってから話し始めるため、他のクラスの生徒からも話題にあがるほど嫌われていた。その嫌な教師が話す所によると……
「君たち子供には分からないだろうけど、かつて政府と都市国家の間で戦争があった時、超能力を使える人間が現れ始めたんだ。そいつらは戦争で自分の能力を悪用し、政府、都市国家関係なく悪さを始めた。それが『セーヴァ』の始まり」
続けて言った。
「そして、戦争が終わって間もない頃にある都市国家で、セーヴァの少年が一般人を虐殺した事件があって、この太陽都市を中心に都市国家の間でセーヴァを駆除する法律が定められたんだ」
教師は何が楽しいのか、少し早口で興奮しながら話を続けた。
「セーヴァは他人を顧みない魂の汚れた連中なんだ。だから、君たちもいい子になって私の言う事を聞いていないとセーヴァになって、駆除されちゃうんだよ。嘘を言っても無駄だからね、セーヴァになるとその人間の瞳は虹色に変化するから」
デーキスや他の生徒達は静かに話を聞いていた。もし、自分たちがセーヴァになってしまったらという考えが頭をよぎったのだ。
その時、ある一人の生徒が教師に質問をした。その子は家が教会で、信心深い事で有名な子だった。
「先生、魂が汚れているっていうのはどういうことですか?」
「そんなの子供の君に言ってもわからないよ。法律ではそう決まっているんだ。『人間じゃない』とでも言うのかな……」
「でも、先生……」
「今は授業中です。私はまだ話すことがあるんだよ。それとも、授業の邪魔をする君はセーヴァなのかな?」
その生徒はビクッと身体を震わせた後、静かに着席した。その後も先生は延々と話を続けたけど、その間、信心深いその子はずっと身体が震えていたのをデーキスは知っていた。
そしてある日、デーキスは恐ろしい物を見た。友達の家に遊びに行こうとデーキスが外に出ると、人だかりができているのを見つけた。その人だかりの向こうには、都市の治安部隊のマークが印されたトラックが、ある家の前で止まっていた。
その家は近所でも有名な悪ガキの家で、デーキスも何度か殴られたことがあった。やがて、治安部隊の人間が、泣き叫ぶ悪ガキを無理やり引っ張って家から現れた。
人だかりからひそひそと話声が聞こえてきたのをデーキスは聞き逃さなかった。
「あそこの子供、セーヴァだったみたいよ」
「ああやっぱり……私も悪戯されたことがある。誰が通報したんだ?」
「それが、母親が通報したみたいなのよ。気付かれないように、家の留守番をさせて、その間に……」
その子がトラックの中に押し込まれると、トラックは何事もなかったかのように走り去っていった。この日以来、治安部隊のトラックが走る音を聞く度、デーキスは自分を連れて行くのではないかと、怖がるようになった。
そして、デーキスは自分がセーヴァになったことで、その恐怖が現実のものとなったのだ。
「デーキス……」
驚いて振り向くと、父親が洗面所の入り口に立っていた。青ざめた父親の顔を見たデーキスはわっと泣き出して、父親にすがりついた。
「ぼく悪い子じゃないよ! お願いだから、トラックを呼ばないで……! いい子になるから……!」
「安心するんだ。誰も治安部隊のトラックなんか呼ばないさ……だって、お前はパパとママの子供だろう?」
でも悪ガキだった子は母親にトラックを呼ばれたと、デーキスは言いたかったがうまく声に出せなかった。デーキスが落ち着くまで、父親はしばらくデーキスを抱きしめていた。
「デーキス、落ち着いたら服や荷物をリュックに入れなさい。パパやママと一緒にこの都市を出るんだ」
「でも、お仕事はどうするの?」
「今の仕事はやめちゃうことになるね。でも、新しい仕事を見つけるよ。ちょっとお金がなくなるかもしれないけど、お前は我慢できるよな?」
「それくらい我慢するよ。父さんや母さんと一緒にいられるなら……」
その後デーキス一家は都市を出るための準備を始めた。都市を出るのは夜になってからなので、それまでは一歩も家から出てはならないと、デーキスは父親に注意された。
勉強道具をリュックに詰めている時、デーキスは学校のことを思い出した。学校の友だち、好きだった子、信心深かった同級生、自分を殴っていた悪ガキの子……。思い出して目頭の熱くなったデーキスは目元を拭い、勉強道具をリュッっくの中に押し込んだ。もうきっと、友達とも二度と会うことはできない。デーキスはそれを感じたのだ。
「荷物は全部車に入れたかい? 忘れ物は絶対あってはいけないよ」
「あなた、お金がこれでは少なすぎるんじゃないの?」
「どうせ、都市内だけでしか使えないさ。お金になりそうなものはたくさん持って行くんだ。政府の統治域に着いたら、そこで換金してもらおう」
外が暗くなった頃、デーキスの父親と母親は近所にばれないように、こそこそと車に荷物を積んでいた。デーキスはその荷物に埋もれるように、後ろの席に座って両親を待っていた。
「よし、準備は済んだね。それじゃあ行こう」
荷物を積み終えた父親と母親が車に乗り込み、静かに車を発進させる。デーキスはドアの窓から、どんどん遠のく自分の家を見ながら心の中で、都市への別れを告げた。
「デーキス、あまり外に顔を出すなよ。もうすぐ、都市工場域の検問に着く。治安部隊の隊員がたくさんいるから、見つからないように隠れていなさい」
父親の言葉を聞き、デーキスはさっと頭を下げた。外の様子が見れなくなり、音だけを頼りにデーキスは外の様子を伺った。
ふと、車が速度を落とし始め、止まったことに気づいた。そして、窓の開く音。
「市民カードを見せろ」
知らない男の声が聞こえた。おそらく、検問に着いたのだろう。声の人物はきっと、治安部隊の人間だ。デーキスは気付かれない事を祈った。
「相当な荷物だな? まるで、夜逃げでもするみたいじゃないか」
「別の都市の友人に会いに行くんですよ。数日はかかるのでね、荷物が多くなって……」
「市民カードの情報によると、子供が一人いるみたいだが?」
デーキスはもしかしたら、自分の心臓の音で気づかれるのではないかと思うほど、心臓が激しく鼓動した。
「近所に預けていますよ。本人は最後まで一緒に行くと言って聞かなかったんですが、苦労しました……」
「連絡を取ってみるから、そこで待っていろ」
歩く音が遠ざかっていく。デーキスは足元の感覚がなくなり、どこか深い穴に落ちていくような絶望を感じていた。これで、治安維持部隊にバレて、自分はあのトラックでどこかに連れて行かれて……。
「神よ……どうか我々をお救い下さい……」
父親の声が聞こえたかと思うと、ぐいっと後ろに引かれた。父親が車を急発進させたのだ。
「おい、止まれ!」
男の怒鳴り声が聞こえたが、それもすぐに小さくなり、やがて聞こえなくなった。聞こえるのは車の走る音だけだ。
「あなた、本当に大丈夫なの?」
「検問から都市工場域に出れば、都市の外に出るのは簡単なはずだ。外に出ればあいつらも追ってこない……それまでは……」
再び、デーキスは後方へと引かれる。車がまた加速したのだ。
「絶対に車は止められない!」
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戦争後、セーヴァと呼ばれる超能力者が現れ始め駆除されるようになった近未来。 セーヴァになってしまった少年の話 |
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