峠の悪魔と少年
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 その峠には、噂がある。

 若い男の姿をした、悪魔が居るという噂だ。

 

 確かに件の峠に赴くなら、往来する人間を日がな一日眺めている男に出会えるだろう。

 外見だけで判じれば、二十代の半ばほどの年齢だろうか。

 着ているものは上質であり、身に付けている装飾も豪華であった。

 

 前あきのフープランドをベルトで留めているのだが、そのベルトに大粒の宝石が幾つも嵌まっている。

 指輪や腕飾りも、金や銀で造られているのが、その輝きから分かった。

 如何にも、暇を持て余した金持ちのように見える。

 

 目の前には黒檀の洋卓が置いてあり、一対の椅子を向かい合わせにして、その片方に男は座っているのだ。

 卓上に見えるのは、奇妙な図柄が描かれた寄せ木細工らしきものや、大小のサイコロが幾つも、そして何組かのカードと言ったところである。

 

 そして、峠を行き来する商人や農民に、賭けを持ち掛ける。

 賭けに乗ったものの、儲けもなく、ただ肝を潰しただけに終わった職人の話もあれば、自分の魂を賭けてしまって、消息が分からなくなってしまった豪商の話もある。

 しかし、真偽は定かではない。

 

 とは言え、噂を恐れてか、自分から男に声を掛けるものは滅多に居ない。

 しかし、その日は違った。

 太陽が少し傾いており、空の西側の領域に入りつつある頃である。

 

「なあ」

 

 馴れ馴れしい口調で呼び掛けたのは、少年であった。

 十歳を、一つ、二つ越えたくらいの歳であろう。

 古びたチュニックを身に付けているが、裾や袖が余り気味であった。

 脚を包むホーズも、履き潰した革靴も、サイズが大きい。

 

 肌が日に焼けて黒く、一日中、外に居るのが容易に想像できた。

 いつも、畑仕事を手伝っているのだろう。

 峠の男が眠たそうな眼差しで、少年を見遣る。

 

「あんた、悪魔なんだろう?」

 

 不躾な言い方で、身も蓋もない問いを少年がした。

 ふ、と峠の男が鼻を鳴らす。

 

「さて、どうだろうね」

 

 叱るわけでもなく、窘めるわけでもなく、峠の男は言った。

 余り、興味が無いらしい。

 目の前をうろちょろする野ネズミを、全く気にしない巨獣のような態度であった。

 

「知ってるぞ、村のおっさんが酔ったとき言ってた。峠に居るあの男は本物だって。本物の悪魔だって」

 

 尚も、少年は言い募る。

 その食い下がりように、男の双眸から怠惰な光が消えた。

 少しばかり、好奇心をそそられたらしい。

 

「それで、僕が悪魔だったら、どうすると言うんだい」

 

 尋ねた。

 

「勝負しようぜ! おいらと!」

 

 間髪を入れぬ返答である。

 そして、握った拳を勢いよく突き出した。

 自信たっぷりの風情で拳を開くと、その上には綺麗な模様をした小石が幾つも乗っていた。

 

「石当てだよ、知ってるだろ」

 

 さも当然と言った風に、少年が言う。

 石当てとは、基本的には二人で行う遊びだ。

 一人が差し手と呼ばれる役になり、もう一方が握り手と呼ばれる役になる。

 

 握り手は左右のどちらかの手に石を握り込み、それから、差し手は石が握られていると自分が思う方の手を指さすのだ。

 差し手が石を持っている手を当てられたなら、その石は全て差し手のものになる。

 逆に、差し手が空の手を指してしまった場合、握り手の掌中にあった分と同じ個数の石を、差し手は渡さなければならない。

 差し手と握り手を交互に変わりながら、どちらかの石が無くなるまでこれを繰り返すのである。

 

 基本的には単純な子供の遊戯なのだが、如何にも手の平に何かを握っているかのように膨らませてみたり、逆に、握り拳の形を工夫して掌中に何も無いように見せ掛けたりと、子供なりの技術はあった。

 何より、左右のどちらかの手を選ぶという、二者択一の連続が、意外なプレッシャーになるのである。

 

「石当ては知っているけど、何を賭ける? それとも只の遊びかい?」

「遊びじゃねえよ!」

「へえ」

「魂を賭ける!」

 

 はっきりと、少年は断言した。

 男の瞳に、一瞬だけ、熾火にも似た光が宿ったように少年には思えた。

 しかし、それを確認する前に、妖しげな光は既に消えて、男の表情は先刻と変わらないように見える。

 

「本気なのかい」

「勿論だ! 代わりに、おいらが勝ったら金をくれ!」

「金?」

「ああ! いいだろ、悪魔なんだから」

 

 文字通り現金なことを言う少年に、男が返したのは意外なほど簡単な言葉であった。

 

「良いだろう」

 

 事情も、どれだけの金額が欲しいのかも聞かず、峠の男は少年の要求を了承した。

 そして続ける。

 

「但し、使うのはこちらで用意した石だ。大きさが揃っていた方が公平だろう」

 

 言って取り出したのは、ちょうど少年が持ってきたのと同じくらいの大きさの、きらきらと輝く宝石であった。

 紅玉らしい。

 

「全部で二十ある。勝ったなら、これを全て呉れてやろう。もう一度訊くぞ。魂を賭けるのだな?」

「ああ! 男に、ニゴンはねえよ!」

 

 覚え立ての言葉を、精一杯大人びた口調で発しながら、少年が宣言する。

 にやりと、口元を歪めて男が笑う。

 

「結構。では、勝負だ!」

 

 そうして、互いに十個ずつの紅玉を持って、ゲームが始まった。

 このゲームの要諦は、『相手の癖を見抜く』ことにある。

 握り手の時、無意識に石を隠している方の手を見てしまうだとか、差し手の時、連続で同じ手は示さないだとか、そこまで目立つものではなくとも、当人が気づかない仕草はあるものだ。

 

 それに如何に早く気付くかが、勝敗を分けるのである。

 仲間内で、少年は誰よりも早く、相手の癖を発見することができた。

 年上だろうと、村一番のガキ大将だろうと、石当てなら負けたことがない。

 

 だからこそ、こんな賭けを峠の男に持ち掛けたのである。

 少年が金を必要であったのは、自分の母親のためであった。

 流行病に倒れたのである。

 畑から、自分たちが食べるだけの分が収穫できれば上々の寒村には、医者に掛かるような余裕はなく、旅の薬師が立ち寄ることも滅多にない。

 

 少年なりに母を救う手立てを考えていたときに、峠の男の噂を耳にしたのであった。

 峠の男が本当に悪魔なら、自分の魂を賭ければ、大金を得ることが出来るのではないか。

 そうでなくとも、暇を持て余した変わり者から、金をせしめることが可能かもしれない。

 子供っぽいかもしれないが、それなりの打算と勝算を持って、少年は此処にやって来たのである。

 

 しかし、ゲームを始めてみれば、峠の男にはどうと言った癖も見受けられなかった。

 余裕の現れか、男は少年に先攻、つまり差し手を譲ったのだが、握り拳を出すのに全く時間を掛けない。

 自分が差し手になってもそれは同じで、左右を選択するのに逡巡がない。

 自分の情報を、少年に殆ど与えない積もりらしかった。

 負けじと、少年も自分の手番を素早く回していく。

 

 その結果、お互いに石を取ったり取られたりが続いた。

 ある程度の傾向が掴めれば、握り手になったときに多くの石を隠して、勝負に出ることが出来るのだが、それが難しい。

 

 それを知ってか、峠の男は一つか二つの石しか賭けてこなかった。

 だから、互いに持っている宝石の差が、なかなか開かない。

 

 互いの手番が、ただ進んでいく。

 しかし、少年には一つの策があった。

 

 それは、石を持っている方の親指を、拳の中に握り込んでおく、と言うものであった。

 勿論、態とである。

 これを何度か繰り返し、峠の男が気付いた頃合いを見計らって、普通に握っている方の手に限界まで石を握っておくのだ。

 

 上手く行けば、相手の石を一気に奪うことが可能なはずだ。

 仕掛けるタイミングとして望ましいのは、自分の持っている石の数が、相手の石より同数以上になったときである。

 相手の持っている石と同じ数だけ握っておけば、相手の持ち数をゼロに出来るからだ。

 

 とは言うものの、リスクは大きい。

 失敗すれば、全ての石を失いかねないからだ。

 

 そして、成功が確約されている訳でもない。

 何せ、峠の男が親指に気付かなくてはならない。

 しかも、男が気付いて確信を持った機に併せて、反対側の手に石を握らねばならない。

 前であろうと後ろであろうと、タイミングが少しでもずれてしまったら、全く意味が無くなってしまう。

 

 じりじりとした焦燥感に心を灼かれながら、少年は石当てを続けた。

 何度か、石の個数が同じになるが、男が親指に気付いているか確信が持てない。

 

 そして、少年が握り手となり、峠の男が石を握っていない方を指した。

 両手を開いて、男が指さした手が空であることと、もう一方に握っていた石の数を確認する。

 

「ふむ、失敗したか」

 

 峠の男が、大して残念がる様子もなく、呟くように言った。

 少年が握っていたのは、二つの石である。

 これで、石の数が少年は九個、男は一一個となった。

 

 その時、ほんの僅かな間だが、峠の男が少年の手に視線を遣った。

 正確には、石を握っていなかった方の手の、親指である。

 気のせいだと思えば、そう思えるような、ごく短い間の視線であった。

 

 しかし、これこそが自分が待っていた機ではないのか。

 

 少年の胸中にそのような思いが湧き起こる。

 根拠はない。

 しかし、奇妙な確信めいた感情が、少年の意識を占めていく。

 

 熱病のような高揚感を押さえ込みながら、今度は男がどちらの手に石を隠しているかを考えねばならない。

 峠の男が、いつの間に石を握ったのか、両手を突き出した。

 それを見て、少年は殆ど無意識に、峠の男が石を持っていた方の手を思い出そうとした。

 

 違うと、急いで自分の考えを否定する。

 相手には癖など無いのだから、下手に考えても迷いが生じるだけだ。

 直感を信じる。

 

「右だ!」

 

 叫んだ。

 驚いたことに、男が石を持っていたのは右手の側であった。

 握っていたのは、一個である。

 

「また、同数になったな」

 

 峠の男が少年に聞かせるわけでもなく、言った。

 少年の意識に、電光のようなものが奔る。

 

 ここだ。

 ここしかない。

 

 峠の男に背を向けて、少年は手早く、きらきらと光る石をかき集めた。

 全ての石を無理矢理詰め込むようにして、左手に握る。

 それから、右手の親指を拳の中に握り込んだ。

 両手を差し出す。

 

「どちらだ!」

 

 追い立てるように、大きな声を上げる。

 実際、時間を掛けて吟味されてしまうと、握った石が零れ落ちてしまいそうだった。

 考える時間を与えるより、さっさと決めさせたかった。

 

「ふうむ」

 

 指を顎先に当てて、峠の男は僅かな間、考えを巡らせ――。

 

 結論から言えば、少年は賭けに勝った。

 小粒ながら二十個もの紅玉を手に入れて、村に急ぎ戻った少年は、偶々訪れていた遍歴商人の伝手で、医者を紹介して貰ったのである。

 少年の母親はかなり危険な容体であったが、商人が連れてきた医者は、運の良いことに腕が良く、薬も宝石を売った金で賄えた。

 不思議なことに、医者への礼金や薬代の合計は、宝石を売り払った金額とぴったり同額であった。

 

 持ち直した母親は、八十歳まで生き、穏やかに天に召された。

 その後の少年は、一端の職人として親方と呼ばれるまでになった。

 

 それにしても、と既に老年に差し掛かった嘗ての少年は思う。

 あの峠の男は全てを分かっていたのではないか。

 自分の企みなど全てお見通しで、人間の子供が無い知恵を絞って挑んできたのが面白かったか、或いは只の気まぐれで、遊んだだけではないのか。

 

 何故なら、あの日以来、少年の右手の親指は、手の平にくっ付いたままになったからである。

 峠の男の笑い顔を思い出したが、もう一度勝負しようとは、とても思えなかった。

説明
悪魔ではないかと噂される峠の男と、少年のお話です。
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コメント
ふむ、子供への代償としては適度では。 今回も楽しませていただきました。(いた)
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悪魔

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