WakeUp,Girls!〜ラフカットジュエル〜19
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暑い夏がようやく過ぎ去り仙台に秋の気配が漂い始めた頃、グリーンリーヴスに一通の封書が届いた。それはアイドルの祭典の一次審査である書類選考を通過して地方予選への出場が決定したことを知らせる通知だった。

「よおぉっし! 書類選考に通った! アイドルの祭典地方予選の出場が決まったぞ!」

 事務所で皆を前にして封書を開けた松田は、その中身に目を通して思わずそう叫んだ。それを聞いてウェイクアップガールズの少女たちが揃って歓声を上げ、手を取り合って喜んだ。その光景を見ながら丹下社長はウンウンと頷いていた。書類選考と軽く言うが、そこで落ちてしまえばそれで終わりだ。東北ブロックだけでもローカルアイドルは数多く存在し自分達の知らないアイドルも大勢いる。おそらく大丈夫だろうとは思いつつも、やはり結果が示されるまでは誰もが不安ではあった。

 しかし実際にはこれでようやくスタートラインに立てただけで、本番はここからになる。アイドルの祭典で優勝するためには地方予選を突破して東京で行なわれる本選に出なければならず、まだまだ先は長く険しい。

「えーっと、地区予選はそれぞれのブロックでネットによるファン投票、会場での投票、さらに審査員のジャッジを加えて点数化して、1位通過したユニットだけがI−1アリーナで行なわれる本選に出場できる……か」

 あらためてネットでホームページにアクセスした松田は大会の概要を読み上げた。書類選考で振り落とされ、残った中からさらに1位にならなければ本選には出られないというのは、実はかなりの難題に思われた。それに他のユニットのことがよくわからないので比較のしようもない。

「1位通過のみなんですよね……結構厳しいなぁ」

「私たちの他にはどんなユニットが出るのかなぁ?」

「ちょっと待てよ……あったあった、これが東北ブロック地区予選に出場するユニットの一覧だ。ちゃんと更新されてるみたいだぞ」

 松田はそう言ってホームページの出場ユニット一覧のページを開いた。以前見た時はまだ参加ユニットが決まっていなかったが、書類選考が終わった段階でホームページが更新されていたのだろう。今は出場全ユニットを見る事ができるようになっていた。彼の周りに集まっていた少女たちも興味津々といった風情でパソコンの画面を覗き込んだ。

「さすがにみんな、可愛いコばっかりですね」

 画面上に次々に表示されていく他ユニットのメンバーたちを見て未夕が溜息まじりにそう言うと、何人かが同調して深く頷いた。地方アイドル、ローカルアイドルとはいえアイドルには違いはない。やはりみんなそれぞれオーラのようなものを多かれ少なかれ持っている。

「ねぇ、ちょっとこのユニット見て!」

 松田の隣りで見ていた佳乃が、突然叫ぶようにそう言って画面を指差した。開かれていたそのページに表示されていたユニットの名前は『男鹿なまはげーず』。その名の通り秋田のユニットで、秋田のなまはげを模した衣装、と言うよりコスプレに近い格好をした3人組のユニットだ。パッと見た限りでは到底アイドルとは思えないが、そのインパクトたるや絶大だった。

「これって……イロモノ?」

「すんごい個性的だねぇ」

「なんか物凄いオーラ感じない? 色んな意味で」

「でもさぁ、アイドルって言うよりお笑い芸人みたいな感じじゃない?」

 なまはげーずに対して実波も夏夜も藍里も菜々美も懐疑的な意見を口にしたが、それを受けて松田までもが同じような言葉を口にした。

「だよなぁ、俺はさすがにここには負けないと思うけどなぁ」

 だが松田のその発言を聞いた途端、今まで黙って皆のやり取りを聞いていた丹下社長がピシャリと釘を刺した。何を言っているの、甘いことを言っていると足元をすくわれるわよ、社長はそう言って少女たちを諭した。それでも今ひとつ納得しかねる表情の少女たちに、社長はさらに言って聞かせた。

「いい? ただ可愛いだけ、歌やダンスが上手いだけっていうアイドルなんて、それこそ掃いて捨てるほどいるのよ。そんなアイドルにはみんなもう飽き飽きしているの。だからこそ最初は書類選考で振るい落とすんじゃない。そんな中で勝ち残るのに必要なものは何? 審査員に、これはって思わせる強烈な印象を残すことでしょう? それが出来た者が勝負を制するの。そういう意味じゃ男鹿なまはげーずは私たちより一歩も二歩もリードしているのよ。見た目がイロモノだからって軽く見てタカをくくってると痛い目に合うわよ」

 社長の言葉には説得力があり、そこにいた誰もが黙り込んでしまった。そんな中で真夢が社長の言葉を受けて口を開いた。

「私も社長の意見に同感かな。変わったユニットに見えるけど、実際男鹿なまはげーずだって私たちと同じように選ばれて出てくるわけだし、それってやっぱりそれだけの何かを持っているってことだと思うの。社長が言うように相手を甘く見ていると油断に繋がると思うし、それよりも私たちは自分たちの力を100パーセント出せるようにすることだけを考えればいいんじゃないかな? 相手がどうこうは考えない方が良いと思う」

 真夢の意見は正しく正論だった。相手がどんなユニットであろうと結局自分たちの実力が足りなければ話にならないし、どれほど飛びぬけた実力を持っていようと肝心の本番でその力を出し切れなければ勝ち進むことはできない。発揮できない実力は最初から無いのと同じなのだ。

「……うん、そうだね。まゆしぃの言う通りだ。相手を侮ってる余裕なんて私たちには無いね。それよりもっともっと練習しなくちゃ。そういえば来週は久しぶりに早坂さんが仙台に来るんだしさ、しばらく見ない間に全員上手くなったなぁってビックリさせちゃおうよ!」

 真夢の意見に納得した佳乃がリーダーらしく話を締めくくったが、社長はさらにもう1つ話を付け加えた。それは彼女たちに対する問題提起だった。

「良い機会だから言っておくわ。アナタたちの武器は何か、ウェイクアップガールズらしさとは何かって、一度真剣に考えてみなさいよ。自分たちだけの武器、自分たちらしさ、これからもずっとアイドルを続けていくんだったら、いつかは必ずぶつかる問題よ」

「私たちらしさ……?」

「私たちだけの武器……ですか……」

 いきなりの問題提起に少女たちは考え込んでしまった。ユニットを結成してから今まで、そういえばそんなことは一度も考えたことがなかった。自分たちの魅力、自分たちの武器、自分たちらしさ。言葉で言うのは簡単だが、それが実際には何なのかと問われたらすぐには答えられない。

「まぁ、すぐに答えが出る問題じゃあないけど、それを考えることはとても大切よ」

 社長はそこまで言って話を終えた。答えは社長もわかってはいない。このユニットを預かる責任者として社長自身もその答えを捜し求めなければいけないが、この問題の答えは彼女たちを世に売り出していく際の大きなヒントになる。より効率的に売り出すための大きな武器になる。

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その日の夜、レッスンを終えた7人は藍里の部屋に集まっていた。藍里の母がお茶請けにと出してくれたお菓子をつまみながら、彼女たちの会話の話題は自然と昼間社長から出された問題のことへと移っていった。

「難しいよねぇ、私たちらしさって。今までそんなこと考えてなかったし」

「ウェイクアップガールズらしさかぁ……なんだろうね?」

 それはなかなか難しい問題だった。彼女たちは今まで与えられた課題をクリアするために全力で走り続けてきた。それ以外のことを考える余裕など無かった。悪い言い方をすれば、言われたことをするだけに専念して自分たちで考えるということをしてこなかった。社長の問題提起は、これからはそうではなく自分たちで考え自分たちの個性を前面に押し出していかなければダメだ、ということだろうと彼女達は理解した。けれど個性ってなんだろう? それは確かにすぐに答えが出るものではない。

「ちょっとこれ見てもらえません?」

 突然未夕が自分のスマートフォンをみんなの前に差し出した。画面には何かの動画が再生準備中になっている。

「何これ?」

「男鹿なまはげーずのライブ動画ですよ。やっと一件見つけたんです。ちょっと見てみましょうよ」

「なまはげーずのライブ? それはちょっと見たいかも」

「私見たーい!!」

「うん、興味あるね。イロモノだと軽く見てると痛い目にあうって社長は言ってたけど、なまはげーずが本当にそんなユニットなのかどうか実際に見てみたいよ」

 誰にも異論はなく、未夕は動画を再生した。7人が固唾を飲んで見守る中、再生が始まった。最初は雑談を交えて観ていた少女たちだったが、すぐに誰も喋らなくなっていった。

「……これ……凄くない?」

「お客さん、熱狂してるね。こんなの見たことないや」

「社長の言ってた通りだね。お客さんのハートを鷲掴みにしてるって感じ。凄いよ」

 誰もが画面上で繰り広げられているなまはげーずのパフォーマンスに釘付けとなっていた。単純に歌やダンスの上手さという点ではウェイクアップガールズも決して負けてはいないだろう。だがライブ会場の熱狂度には大きな差があった。それはつまり一体感の差だ。

 もちろん彼女たちウェイクアップガールズのライブも当初とは比べ物にならないほど盛り上がるようになってはいるが、それでもまだMACANAを満員にしたことはない。そしてなまはげーずのライブほどまでには盛り上がったことがない。社長の忠告が的を射ていたことを実感し、7人は一気に危機感を感じ始めた。

「これ、男鹿なまはげーずだけが特別ってわけじゃないよね?」

「うん。そう思います。他のユニットだってきっと……」

「さすがに選ばれて出てくるだけのことはあるってことか。やっぱり少し甘く見てたのかも」

「今回の予選はネットで動画配信されて、ファンの人もリアルタイムで投票するんだったよね?」

「……印象に残らないと勝てないね……」

 藍里のその言葉に全員が考え込んだ。なまはげーずは自分たちらしさを既に前面に押し出して活動している。それに対して自分たちは……このままで審査員の印象に残れるのか……彼女たちの間にそんな不安が広がった。

 実際なまはげーずのインパクトは物凄いものがある。映像で見たことで彼女達はそれを実感した。きっと少々の差ならば誰もがなまはげーずを選んで投票してしまうだろう、そう思わせてしまうほど非常に強く印象に残る。なにしろその風貌からして一度見たら絶対に忘れない。これに対抗する策を練らないといけないけれど、だからといって付け焼刃でどうこうできるものでもない。思いつきでただ派手なことをすれば良いわけではないのだから。やはり大事なのは自分たちらしさ、そこに行き着くように思えた。

「まあ社長もすぐに答えは出ないって言ってたしさ、まだ時間はあるんだし、私たちらしさ、私たちの武器についてはこれからみんなで考えていこうよ。そうだ! 周りの色んな人にも意見を聞いてみようよ。番組のスタッフさんとかさ。私たちらしさって、意外と外から私たちを見ている人の方がわかってるかもしれないし」

 リーダーの佳乃がそう言った。確かに人間にとって自分自身を客観的に判断するのは難しいことで、得てして自分自身のことはよくわからないものだし自分たちの良い点などは他人の方が良くわかっているものだ。少女たちは継続して周囲の人たちに意見を求めていくことを約束してその日は別れた。

 それから彼女たちは様々な人たちに話を聞いてみた。テレビやラジオ番組のスタッフに、雑誌の編集者やカメラマンに、ライブの際は観客に、さらには友人や個人的な知り合いにまで自分たちらしさは何だと思うか、自分たちの魅力は何だと思うかと尋ねてまわった。だが、これだ! と思えるような答えは出てこなかった。

 ある日のレッスン前、7人の少女たちは車座になってたわいもない話をしていたが、いつの間にか話題が社長に出された課題のことになった。まず真っ先に報告をしたのは片山実波だった。

「私が聞いたところでは、グルメリポートでの食べっぷりかなぁ、だって」

 実波がそう言うと夏夜が、それはみにゃみに限った魅力でしょ、とツッコミを入れた。その夏夜はこう言った。

「私は、一言でバッサリ袈裟切りにするようなコメントは評判良いよ、って言われたよ」

 今度は佳乃が、それもかやたん限定の気がするんだけど、とツッコミを入れた。どちらもあくまで実波と夏夜の個人的な魅力であって、ウェイクアップガールズというユニット全体の魅力とは言えない。

 他にも色々言われたことはあった。初々しさ、元気一杯なところ、危なっかしさ、犬っぽいところ、スーパーのレジ袋っぽいところ……真面目な意見から不真面目な意見まで多々あったが、どれもこれも自分たちが求めている答えとは少し違う気がした。

「収穫なしですかぁ……」

 未夕はガッカリして肩を落とした。もう少し何かヒントのようなものが得られるかと内心期待していたのだ。それは佳乃も同じではあったが、彼女はガッカリはしなかった。リーダーである自分がそういった態度を簡単に表に出してはいけないということを、彼女はもう理解していたからだ。

「まあさ、それはこれからも考え続けるってことで、とりあえず今はレッスンに集中しようよ。アイドルの祭典のために時間もメニューも倍にしたんだしね」

 佳乃はそう言ってみんなを励ました。

「そういえば前回早坂さんの採点は20点だったんだよね」

 実波がその時のことを思い出しながら渋い表情でそう言った。あの時の20点という早坂の採点は、実は彼女たちに大きなショックを与えていた。あの時夏夜が「頑張っているのに」と思わず呟いて早坂に厳しく叱責されたが、実は真夢以外の6人は同じことを多かれ少なかれ思っていた。それを全否定されたのだからショックがなかったわけがない。そして唯一の例外である真夢ですら20点という低い採点に純粋にショックを受けていた。

 だがあの時と今とでは違うと全員が思っている。あれから短い期間ながら色々なことがあり、今は全員の息が以前と比べ物にならないくらいに合ってきていると彼女たちは実感していた。手応えを感じていた。一心同体、その言葉がピタリと当てはまるほどに今の彼女達は強く結束していた。

「まゆしぃ、先生が来るまでの間ダンス全体を見てもらっていいかな?」

 佳乃は立ち上がると、そう真夢に頼んだ。もちろん真夢は快く応じた。

「気になる点があったらビシビシ指摘してね」

「うん、わかった」

 2人のやり取りを優しげな表情で眺めていた夏夜に藍里が、色々あったけど上手くいって良かったよね、と話しかけた。夏夜は全く同感だった。今にして思えば危ない橋を渡った気もするけれど、総てが落着した今となっては笑い話でしかない。本当に良かった、それ以上の言葉は浮かばなかった。

「そうだね。ようやくって感じだけど、アタシはこれからが凄い楽しみだよ。アイドルの祭典もホントに優勝できそうな気がしてきたよ」

「できるよ、きっと。そのために私たちも負けずに頑張らないとね」

 その時藍里は肩を後ろからトントンと叩かれた。誰だろうと振り向くと、そこには久海菜々美が立っていた。

「……ななみん?」

 菜々美は不思議そうな顔をしている藍里に向かって、ニッコリと満面の笑みを浮かべながらこう言った。

「じゃああいちゃん、優勝するためにも2番のAメロのところのステップ、ちょっとやってみよっか?」

「え? だってこれから全員で合わせるんじゃないの?」

「いいから、いいから。ちょっとやってみて」

「え、でも……」

「……あいちゃん、私言ったよね? アイドルの祭典に絶対優勝するって。私、一度口にした目標は絶対に達成する主義なの。そのためにはあいちゃんにもビシッとやってもらわなきゃ困るのよ。さ、早くやってみて!」

 菜々美はそう言うと藍里の腕を強引に引っ張り、有無を言わさず鏡の前へと連れて行った。どちらが年上なのかわからないやり取りに、夏夜は思わずふきだして笑ってしまった。

「ななみん、張り切ってますよねぇ」

 同じように2人のやりとりを見ていた岡本未夕が、夏夜の隣りに来て笑いながらそう言った。

「まあねぇ、自分の子供の頃からの夢だった光塚を1年見送る決心までしたんだから、優勝しなきゃ気持ちがおさまらないんだろうね。もともと滅茶苦茶プライドの高いコだし。それにセンター奪取宣言までしちゃったからね」

「あれはビックリでしたよね。まさかよっぴーに続いてななみんまでがセンターに名乗りを上げるなんて思いませんでしたよ」

「良くも悪くもプライドの高さがあのコの武器になってるんだね。最年少のくせに、まゆしぃにもよっぴーにも絶対負けない、負けるわけないって本気で思ってるんだからある意味凄いよ。ああいうところはアタシたちも見習わなきゃいけないかもね」

「なんだか、ホントにあれ以来凄く良い雰囲気になってきましたよね。ダンスもみんな凄く上手くなってきているし。私、毎日自分が上手くなっていってるのが実感できるんですよ。みんなとの息がどんどん合ってきてるのも」

「みゅーも? 実はアタシもなんだ」

「アイドルの祭典……楽しみですよね。私最近、ホントに優勝できるんじゃないかって思えてきました」

「うん、そうだね。って言うか優勝しようよ。予選通過して、みんなで東京に乗り込もうよ。そのためにもっともっと練習してさ」

「ですね。じゃあ、私たちも始めましょうか」

 2人はお互いに顔を見合わせて頷き合い、みんなのところへと小走りに駆けて行った。

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その日ウェイクアップガールズは久しぶりに早坂のレッスンを受けることになっていた。早坂は自身の仕事が多忙で1ヶ月ばかり仙台に来られないと事前に伝えてはいた。もっとも実際には途中でスケジュールをやり繰りして一度だけ訪れたが。

 その時初めて新曲の『極上スマイル』を披露した少女たちに対して、彼はせいぜい20点だと評した。練習時間が全く足りない、このままでは間違いなく予選落ちだと厳しく叱責もした。あれから彼女たちがどれぐらい上達したか密かに早坂は注目していた。

 彼女たちは全員がまだ学生であり、レッスン時間が思うように確保できないのは無理もないことだと早坂も当然わかってはいる。もちろん芸能活動に専念すれば話は別だが、学生生活をないがしろにして芸能活動に専念するなどということは、地方アイドルレベルでは到底無理な話だ。彼女たちの将来を考慮したならば、さすがにそこまで求めることは出来ない。

 だが取り巻く状況が厳しいのは何もウェイクアップガールズに限った話ではなく決して言い訳にはならない。学生として勉学に励みながら、アルバイトで生計を立てながら、地方アイドルと称される少女たちは誰もがそんな厳しい状況から何とかして這い上がろうと日々努力を重ねている。

 彼女たちはどうするのか、何か手を打ったのか、今後の展望に期待が持てるような何かを得られたのか、それを早く確かめたかった。そんな期待と不安が入り混じるなか、早坂は久しぶりに仙台の土を踏んだ。

 久しぶりにレッスンに立ち会った早坂の目の前で、7人の少女たちは以前とは雲泥の差と言えるパフォーマンスを見せつけた。早坂はその上達具合に内心で舌を巻いたが、もちろんいつものように表情には一切出さなかった。彼の事前の予想は良い方向に完全に裏切られた。しかし、この上達ぶりは少々異常ではないか? そう思った早坂は松田に話を聞いてみることにした。

「松田クン、ちょっといいかい?」

 レッスンが総て終わった後、早坂は松田に声をかけると2人で休憩室に向かい尋ねた。

「最後に見た時と比べて格段に上達しているんだけど、ボクがしばらく来ない間に何かあったのかい?」

「そんなに違いますか?」

「違うね。技術的に上手くなっているのはもちろんだけど、何よりも歌もダンスも信じられないくらい7人の息が合うようになってる。以前とはまるで別のユニットだと思えるくらいにね。何もなくてこんな短期間に息が合うようになる

わけがない。異常、そう異常と言っていいくらいだ。何があった?」

 松田は、佳乃から聞いた話ですけど、と前置きをしたうえで合宿での出来事を早坂に話した。もちろんMACANAで真夢の元ファンが起こした事件のことも総て。

「……なるほどね。そんなことがあったのか」

 早坂は松田から話を聞いて、遂にその時が来たのかとまず思った。いつか必ずクリアしなければならない問題であると誰もがわかってはいたが、デリケートであるがゆえに触れることが躊躇われてきた真夢のスキャンダル問題。早坂自身はいずれ機会を窺って自らの手で真相を本人から告白させようと考えていたのだが、まさか自分が不在にしていたわずかな期間に一気に総てカタがつくとは想像していなかった。

「彼女たちにとっては、かなり大きな出来事だったみたいですよ」

「そりゃあそうだろう。いくらアイドル戦国時代と言ったって、ステージにモノを投げつけられた経験のあるアイドルなんてそうそういるもんじゃないからね。一歩間違えば大怪我をしていたわけだし、彼女たちからすればそりゃあ相当ショックな出来事だったろう。島田真夢のことはみんなずっと気にしていただろうし、そこでそんな事件が起これば彼女に不信感を抱く者がいたって不思議じゃない。でも、だからといって軽々しく聞きだせる話題でもないからね。だから誰もその件については踏み込めなかっただろう? 丹下社長も、そして僕もね。知りたいけれど聞けない。他のメンバーたちはさぞストレスが溜まっていただろうと思うよ」

「実際佳乃は真夢と衝突したわけですからね。その現場に出くわした時にはホントに焦りましたよ」

 松田が苦笑いしながらそう言うと早坂は、そりゃそうだろうね、とまた言って自分もほんの少しだけ笑った。松田は早坂がわずかとはいえ笑うところを初めて見た気がした。 

「実際問題として、ユニット内で大きな秘密があるのは決して好ましい状況じゃない。みんな何とかしたいと考えてはいたし、七瀬佳乃も何とかしたいとずっと思っていたんだろう。それでも彼女としては、そんな事件が起きながらそれでも頑なに話すことを拒む島田真夢をリーダーとして看過するわけにもいかなかったんだろうね。まあ、よくそのタイミングで話を切り出したもんだとは思うけど、それによって相互理解が深まったんだから結果オーライって感じかな。人間ってのは不思議なもんで、グループの場合仲間同士の結束が強まってお互いの理解度が深まることで個人の能力もドンドン伸びていくことがあるんだよ。今の彼女たちが正にそれさ。結果的には七瀬佳乃の判断が正しかった。終わり良ければ総て良し。それでいいんじゃないか?」

「ですね」

 話しながら早坂は内心で、これは面白くなってきたぞと思っていた。最後に彼女たちのレッスンを見た時にせいぜい20点だと彼は全員を前に言った。あれから2週間か3週間か、いずれにしろ経過した日数はその程度だったにもかかわらず今日見た限りでは60点から70点は与えてもいい出来だと思えた。レッスン時間がなかなか確保できない中、2〜3週間程度の期間でこれほど上達するとは完全に彼の想像を超えていた。

 アイドルの祭典地方予選までにはまだ充分時間がある。満点を与える事ができるレベルにまで達するのには充分であろうと思われる時間が。

 この調子でいけば間違いなく予選突破を狙える。彼はそう確信した。前回見た時には正直言って本気で予選落ちの危機を感じたし前途多難だと思ったしどうしたものかと色々策を考えもしたが、今の状況は彼にすれば全くもって嬉しい誤算だった。だが同時に、彼の頭の中で一つの考えが浮かんだ。魅力的だが危険な考えが。

(イヤ、待てよ。これならばもっと高いレベルの曲でもイケルんじゃないのか? アイドルの祭典での優勝を確実にするために、もっとレベルの高い凄い新曲を作った方がいいかもしれない……予選は今の曲で、そして本選は新曲で挑むってのは無謀かな……)

 早坂は黙り込んで一人考え込んだ。それを見た松田は早坂が何か思考していることを察し、黙ってその場を後にした。松田がいなくなったことにも気づかず早坂は熟考にふけっていた。

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「アイドルの祭典は、正にアイドル戦国時代を象徴するかのようなイベントである。I−1クラブ総帥白木徹氏が企画・プロデュースするこの一大イベントの火蓋がいよいよ切って落とされようとしている。激戦が予想される東北ブロックの大本命は『クレッセント・ムーン』だが、ここにきて元I−1の島田真夢がメンバーに名を連ね、結成一周年を迎えようとしている『ウェイクアップガールズ』が急浮上してきている。当初は元I−1島田真夢の存在だけが注目されていた『ウェイクアップガールズ』だったが、地元の放送局やライブハウスでの地道な活動や他のメンバーたちの著しい成長がファンの目を惹き付けメキメキと頭角を現しており、本番で『クレッセント・ムーン』を凌いで優勝することも夢ではないという声すら一部では既に出始めている……か」

 大田邦良は仙台市内のファミリーレストランでアイドルの祭典のネット記事を持参したパソコンで読んでいた。彼はここで志を同じくする仲間と待ち合わせをしていた。大田はMACANAで事件があった夜に真夢に話した通り仲間を募ってウェイクアップガールズの親衛隊を結成した。今日はアイドルの祭典でどのような応援をすべきか、それをメンバー間で話し合うために集まることになっているのだ。

「他のメンバーたちの著しい成長……か」

 彼はその記事を読んで、良く見て書かれた記事だなと思った。長年のアイドルファンで目が肥えている上に毎回欠かさずMACANAでのライブに参加している彼にはわかっていた。ウェイクアップガールズのここにきての急上昇は、まさしく島田真夢以外の6人の頑張りがその最たる理由なのだということが。なにしろ当初は素人同然だった林田藍里までが別人のような成長ぶりをみせているし、他の5人も見違えるほどアイドルとして魅力的になっているのだ。もうウェイクアップガールズは島田真夢だけのユニットじゃない。彼は今なら胸を張ってそう言える。

「おいっす、大田さん。お待たせっす」

「遅くなってすいません」

 パソコンを凝視していた大田に誰かが話しかけてきた。それは待ち合わせていた親衛隊のメンバーたち3人だった。

ベースボールキャップの男、メガネの男、ヘアバンドの男。3人とも見るからにアイドルオタクの典型といったルックスの男たちだ。

「おいっす」

 大田が返事を返すと彼らは三々五々席に着いた。

「何見てたんすか?」

「ああ、アイドルの祭典の記事をね。ちょっと読んでみなよ」

 大田はそう言ってパソコンの位置を彼らが見えやすいように動かした。

「へえ、大本命のクレッセント・ムーンを破って優勝も夢じゃない、か」

「彼女たち、ここにきてホントに伸びてますもんね」

 4人は顔を見合わせながらウンウンと頷きあった。4人ともMACANAでのライブの常連だ。アイドルとしての彼女たちのことは誰よりも知っていると言っても過言ではない。その彼らにとってこの記事の内容は非常に喜ばしいことであり、より一層応援しなければという気持ちにさせてくれる内容だった。

「では、作戦会議を始めます」

 大田の掛け声に合わせて全員が改めて姿勢を正した。

「今日の議題ですが、当日どのようにして我らの存在を知らしめ彼女たちに勇気を与え励ますか。その為に何をすればいいかを考えたいと思います」

 メガネの男が今日の議題について述べた。ウェイクアップガールズの親衛隊は現状この4人だけだ。アイドルの親衛隊を名乗るからにはそれ相応の活動が求められる。MACANAでのライブだけでなく、それこそ必要であれば彼女たち7人のために日本全国を飛び回るくらいの心構えが必要だ。もともとウェイクアップガールズは未だ地方アイドルに過ぎずファンの絶対数がまだまだ圧倒的に少ない。その少ないファンの中でそれほどの時間と経済力と熱意を併せ持つ者がそうそういるわけもなく、現状では4人で上出来と言えるだろう。ウェイクアップガールズの人気が全国に波及していけば、それにつれてファンの数は自然に増えてゆく。当然親衛隊の人数もほぼ比例して増えていくはずだ。 

「それについてはもう考えてあります。揃いのパーカーを着て応援するのはどうでしょう? これがその見本イラストです」

 大田はそう言うと一枚にイラストをテーブルの上に広げた。それはパーカーのデザインだった。黒一色のパーカーで背面に白抜き文字で『がんばっぺ! Wake Up,Girls!』と書いてある。

「全員でこれを着て心を1つにするということは言うまでもなく、ウェイクアップガールズここにあり! と全国のアイドルファンに対して高らかに宣言することになるのではないでしょうか?」

 大田の熱弁に対して他の4人はウンウンと頷いた。誰にも異論は無かった。

「色はあえて黒なんですね?」

「はい。硬派なイメージの黒にすることで彼女たちがルックスと実力を兼ね備えた本格的なアイドルであることを認識させることが狙いです。だからピンクとかではなく、あえて黒を選びました」

「うん、異議なし。これはそのままこのデザインで作りましょう」

「異議なし」

「私も賛成です」

 全員一致でパーカーの制作は決定し、議題は次へと移っていった。彼らはその場でパーカー以外の応援グッズ、その作成の割り振りなどを話し合い決めていった。また、ウェイクアップガールズの略称がワグであることをうけ、自分たちファンをワグナーと自称することも決めた。

 あまりに熱が入ってついつい声が大きくなり他の客の迷惑になるからと店員からたしなめられる一幕もあったが、彼ら4人の心は既に予選当日へと飛んでいた。もちろんその先は東京での全国大会、そしてそこでの優勝だ。他人が聞いたら鼻で笑われてしまう妄想に近いものかもしれないが、しかし彼らはそれを本気で考えていた。本気でウェイクアップガールズこそが日本一の地方アイドルであると信じていた。

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新曲『極上スマイル』の衣装がグリーンリーヴスの事務所に届いたその日、久しぶりにトゥインクルの2人、アンナとカリーナが事務所を訪れた。彼女たちが事務所の扉を開けると、今まさに少女たちが目を輝かせながら衣装をチェックしているところだった。

「それ、新しい衣装?」

 ソファに座ったカリーナがそう問いかけた。

「はい、そうなんです。さっき届いたばっかりで」

 佳乃が衣装を手にしながら答えた。

「うん、いいんじゃない? 色使いもデザインもアイドルって感じで可愛くて良いと思うわよ」

「そうですか? ちょっと派手じゃないですか?」

 衣装は早坂が手配したものだ。つまりこのデザインにOKを出したのは早坂だということになる。青と黄色を大胆に配したその色使いは、佳乃の目には今までのステージ衣装と比べるとかなり派手に映った。しかも頭にはさほど大きくはないものの羽飾りを着けることになっている。

「そんなことないと思うわよ。きっとステージでは映えると思う。ところでさ、新曲って早坂さんに書いてもらったんでしょ? どんな感じ?」

 カリーナは興味津々といった風だった。ミュージシャンとして、アーティストとして、やはり世界的な音楽プロデューサーである早坂の仕事には興味があるのだ。

「はい、そうなんですけど……それがもうホントに嫌がらせじゃないかっていうくらい難しくって」

 未夕が眉間に皺を寄せながら、本当に困っているといった口調でそう答えた。

「ははは、やっぱりね。早坂さんの曲は難しいのが多いって有名なのよ。I−1クラブも新曲のたびに苦労してるらしいわよ?」

「そうなんですか?」

「あの人の曲ってね、一見何でもないように見えて、実際に歌ったり踊ったりすると凄く難しいんだって」

「わぁ、何だか早坂さんの性格が表われているような……」

 未夕のその一言で場にドッと笑いが起こった。

「まあでも、難しいってことはそれだけやりがいが有るってことよ? 良いことじゃない」

「それはまぁ、そうなんですけど」

 佳乃が苦笑いを浮かべながらそう言うと、隣りにいた真夢が思い出したかのようにトゥインクルの2人に聞きたいことがあると言った。

 

「ウェイクアップガールズらしさ?」

 それは以前丹下社長から出され、それからずっと全員で考えてきた問題だった。男鹿なまはげーずのライブ映像を見てからは危機感にかられたこともあって周囲の人間に手当たり次第に尋ねてきたけれど、未だにその答えは見つかってはいない。

「うーん……ウェイクアップガールズらしさかぁ……そう言われると急にはパッと出てこないなぁ」

 アンナは少し困ったような顔で考え込んだ。

「それって、要するに私たちに個性が無いってことですかね?」

 夏夜がそう尋ねるとアンナがそれを慌てて否定した。

「そ、そーゆー意味じゃなくってね、アナタたちの魅力は色々思い浮かぶけど、それはウェイクアップガールズだけの魅力じゃないって言うか……」

 その場に居た全員が心の中で、それは個性が無いってことなんじゃ、とツッコミを入れた。相方の失言を上手くフォローしたのはカリーナだった。彼女はこう答えた。それは自分たちで決めるものじゃないのではないかと。

「つまりね、らしさっていうのは自分たちがこうだって決めるものじゃなくて、見ている周りの人が決めるものじゃないかなってこと。ウェイクアップガールズを見た人がウェイクアップガールズらしいって決めるんだから、100人に聞けば100の答えがあってもおかしくないのよ。だから正しい答えは一つじゃないし、時間の経過とともに変わっていくところもあるんじゃないかと思うの」

「でも、それじゃあいつまで経っても答えは見つからなくないですか? 答えが見つからなくても構わないってことですか?」

「私はそれで良いと思うな。下手したら一生答えはみつからないかもしれないっていうくらい難しい問題だもの。今すぐに答えを見つけようとして焦ることないんじゃない? だいたいまだ結成して1年も経たないわけでしょう? これだっていう型にはめるのは早すぎるし、必要ないし、勿体無いって思う」

「焦らず、ずっと考え続けろってことですね」

「そうね。誰に言われたか知らないけど、それって答えを見つけることが目的じゃないんじゃないかな? 答えを見つけるために考え続けることを求めてる、私はそんな気がするなぁ」

 カリーナはそう言いながらチラッと丹下社長の方を見た。丹下はそ知らぬ顔をしていたが、カリーナにはその問題を出したのが丹下だとわかっていた。なぜなら以前彼女たち自身も丹下から同じことを言われ考えさせられたからだ。

 トゥインクルとしてその答えは未だ見つかっていない。だからカリーナは自身の経験を現状を踏まえた上でそのまま少女たちに話して聞かせた。キャリアでは上の私たちだって答えが見つかっていないのだから、今のアナタたちが焦る必要はないんだよと伝えた。

 それは的確な助言だった。なにしろ彼女の言葉によって少女たちの悩み事が一つ減ったのだから。考え続ければいい、そう頭では思っていても、やはり個性的な他のアイドルユニットを目にすれば焦りもするし不安にもなる。カリーナはそんな彼女たちに、今はそれでいいんだよと一つの道しるべを示してくれたのだ。それだけでも少女たちの気持ちは随分と楽になった。アイドルの祭典に集中しようという気持ちになれた。

(まだ少し早かったかしら。アイドルの祭典が終わってからでもよかったかもしれないわね)

 離れた自分のデスクで話を聞いていた丹下は、少し自分の言ったことについて後悔していた。自分がウェイクアップガールズらしさとは何かと考えさせたことで彼女たちの集中を乱していたことに今の会話で気がついたからだ。少女たちは丹下が考えている以上に考え込んでしまっていた。丹下としては長く考えさせる問題のつもりだったしそう言ったつもりだったのだが、少女たちは性急に答えを求めてしまっていたようだった。それではかえって逆効果だ。

 丹下のミスを結果としてカリーナが上手くフォローした形になった。トゥインクルはいまや完全にウェイクアップガールズの良き姉貴分と言ってもよい存在になっている。まだまだキャリアの浅い少女たちにとってトゥインクルは先輩としてとても頼れる存在だ。

(予選通過したら、このコたちだけじゃなくてトゥインクルにも何かご馳走でもしなきゃいけないわね)

 丹下は皆の顔を眺めながらそう思った。予選を突破したら、それはアンナとカリーナの存在も大きく影響していると丹下は考えていた。

-6ページ-

トゥインクルの2人が挨拶をして事務所を後にすると、佳乃が慌てて後を追い階段を駆け下りてきた。驚くアンナとカリーナに、佳乃は2人にお礼が言いたくてと言った。

「お礼?」

「はい。あの、お2人に以前言われたこと、ちゃんとケンカしてる? っていうのが最近ようやくできるようになったって言うか……ようやくわかってきた気がするんです」

 アンナとカリーナは(そんなこと言ったっけ?)と言いたげな表情で互いに顔を見合わせた。

「ホントにようやくって感じだし、まだまだだって思うんですけど、でもお2人に言われなかったら、きっと私達には気づけませんでした。本当にありがとうございました」

 佳乃はそう言って頭をペコリと下げた。その姿を優しく見つめるトゥインクルの2人の表情は、まるで可愛い妹を見守る本当の姉のようだった。

「そっか。よく覚えてないけど、私たちのアドバイスが役に立ったってことだよね」

「よかったね」

 2人にそう言われ、佳乃は少しはにかみながら、はい、と答えた。佳乃はトゥインクルには本当に感謝していた。デビューすると決まったものの肝心のデビュー曲が一向に決まらない彼女たちに『タチアガレ!』という素晴らしい曲を提供してくれたのが彼女たちだ。それからも忙しい仕事の合間を縫っては時折事務所に顔を出し、自分たちの話に耳を傾け様々なアドバイスをしてくれた。真夢以外はデビューしたての彼女たちにとって、経験豊富な2人のアドバイスがどれほど大きく役に立ったことか。それに加えてあの、ちゃんとケンカしているかというアドバイスだ。

 あの時佳乃は言われている意味がよく理解できなかった。お互いに話し合えと言っているんだろうとは思ったが、話し合っているじゃないか、ちゃんとできているじゃないかと思っていた。けれどそれは思い違いだったことに後から気づかされた。あの頃の自分達は表面上は上手くやっていたかもしれないけれど、それは本当に上辺だけだった。でもその時はそれでいいと思っていた。間違っているとわかったのは、あの合宿の後だ。

 あの合宿の夜、真夢の告白を受けてメンバー内のモヤモヤとした空気は総て綺麗に消え去った。それは佳乃と真夢の間にあった溝も同様で、その後メンバーたちは以前とは比べ物にならないほど話し合うようになった。レッスン中にもライブの後にもお互いを厳しく指摘しあうようになったし、誰もがそれぞれの考えを積極的に他メンバーに話すようになった。そしてそれは真夢に対しても同様だった。

 それまで真夢はウェイクアップガールズの中では特別な存在だった。歌もダンスも飛び抜けて上手いし、何しろ元I−1クラブのセンターなのだからキャリアもずば抜けている。だから正直言って誰も真夢に対して何も言えない状態だった。悪い言い方をすれば真夢に対して頭が上がらない状態だったと言ってもいい。

 もちろん真夢自身が高圧的な態度に出たり過去の実績を鼻にかけたりしたことなどないが、やはりみんな引け目を感じていたからなのか自然とそういった雰囲気が出来上がってしまっていた。

 佳乃はそれに気がついていなかった。真夢に対抗意識を燃やしていたせいなのか、ユニット内のそういった空気に気づくことができなかった。あるいはそんな自分を認めたくなかったから目を背けていたのかもしれない。

 合宿の後、あれからみんな真夢に対しても臆することなく指摘し言い合うようになった。真夢だって神様ではないのだからミスもするし、それを自分では気づかない時だってある。今までならそれに対して誰も何も言えなかったのだが、今はそうではなかった。あの夜を境に真夢は本当の意味でウェイクアップガールズの一員になれた、そして自分達は真夢をユニットの一員として迎い入れることができたのだろうと佳乃は思う。そしてそんなメンバーたちを見ていて佳乃は、ようやくトゥインクルの2人に言われた意味が理解できたのだ。

 誰か1人が引っ張って他の人間はただそれについていくのではなくて、全員が同列で同じように成長していかなくてはユニットとしてダメなのだ。そのためには単なる仲良しグループではなく時には互いに厳しく言い合うことも必要だし、お互いの本音を出し合ってぶつけ合って理解し合っていかなければいけなかったのだ。

 今までの自分たちにはそれができていなかった。できていると思っていただけで、実は全然できていなかった。相手の顔色を窺って言わなければいけないことを黙っている、それは時には必要かもしれないけれど、今の自分たちがそれではいけなかった。たとえ耳障りなことでもキチンと言い合っていかなければいけなかったのだ。

 考えれば考えるほど自分達は間違ったことばかりしていた気がする佳乃だった。きっと真夢は居心地が悪かっただろうな、今ならそう思えた。

「そんなに感謝されるほどのことはしてないから。だいたいよく覚えてないしさ」

「そうそう。その答えにたどり着いたのはアナタたち自身の力で、アタシたちは別に何もしてないよ」

 アンナとカリーナは、お礼を言って頭を下げる佳乃を見て少し困ったようにそう言った。彼女たちは実際自分たちの言ったことをあまり覚えていなかったし、言ったとしても求められたからアドバイスをしたに過ぎない。しかもケンカしろだなんて大したアドバイスだとも思えない。丁寧にお礼を言われるほどのことじゃないよというのが彼女たちの本音だった。

「それよりさ、ホントに応援してるから、アイドルの祭典絶対勝ち抜いてよね。アナタたちならきっとできるから」

「そうそう。予選勝ち抜いたら、本選は東京まで応援しに言っちゃおうかって2人で話してるんだ。楽しみにしてるから頑張ってね」

 佳乃は自分の気持ちが高揚していくのを感じた。トゥインクルが応援に来てくれるなら尚更本選に出たい。それが彼女たちへの恩返しにもなるだろうし、と思った。佳乃は無言で力強く頷いていた。

「頑張れ、リーダー」

「しっかりね」

 トゥインクルの2人は最後にそう声をかけて、今度こそ本当に帰っていった。その背中を見つめながら佳乃は、今更ながら自分たちは自分たちだけの力でやってこれているわけじゃないんだと思った。

 トゥインクルの2人も早坂も非常にタイトなスケジュールの合間を縫って自分達のために時間を割いてくれている。丹下社長や松田は自分たちの活動を懸命にサポートしてくれているし仕事を取ってきてくれている。他にも仕事で関わる大勢のスタッフや関係者の人たちや、何よりも数はまだまだ少ないとはいえ応援してくれているファンの人たちがいる。そういった多くの人たちのおかげで今がある。

 きっとみんなそれぞれが自分達に何かを託している。その託されたことに自分たちが応えることで、それぞれの人たちに夢や希望や勇気を与えることができる。アイドルは他人に夢や希望を与える存在だと言うが、それは何もステージの上で歌ったり踊ったりすることだけでなく、託されたみんなの期待や想いに応えることで勇気や夢や希望を与えることだってできる。それもアイドルの大切な仕事であり使命なんだなぁと今は理解できるようになっていた。それはとても大変だけれど、でもとてもやりがいのある仕事だ。だからこそやる気も湧いてくるし、自分たちを支えてくれる総ての人たちのためにも頑張ろうと思える。アイドルって、なんて素敵な仕事なんだろうと思う。

佳乃は時々ファッションモデルを続けていたら……と想像することがある。以前はそっちを続けていた方が良かったかなと考えた時もあったが、今はもうそんなことは微塵も考えてはいない。誰かを励まし夢や希望を与えるなんてファッションモデルではなかなかできない。アイドルのそんな役目や仕事に佳乃はもう夢中になっていた。

(勝ちたい。勝ってみんなの想いに応えたい。みんなで喜びを分かち合いたい)

 出場するユニットの総てが勝ち抜いて本選に進みたいと考えていることを承知の上で、それでも何が何でも勝ち抜きたいと強く思う佳乃だった。

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アイドルの祭典東北ブロック予選の日が徐々に近づき、当日に向けて彼女たちに関わる多くの人々が着々と準備を進め盛り上がりをみせるなか、当のウェイクアップガールズも実に順調な日々を送っていた。

 アイドルの祭典のホームページ上で既に行なわれている人気投票でも、当初はトップの『クレッセント・ムーン』にかなりの大差をつけられた中位に低迷していたものの、その差は日に日に詰まり今や堂々の第3位につけていた。

 もちろん人気投票だけでなく、東北地方レベルとはいえ様々な媒体への登場もどんどん増えていた。ライブの完成度も盛り上がりも回を重ねるごとに高まっており、その快進撃ぶりはもはや誰もが無視できないものとなっており、それが注目され更なる取材や仕事を招くという好循環になっていた。今や東北ブロックの台風の目はウェイクアップガールズだというのがアイドルの祭典に関わる芸能関係者の一致した見解となっている。彼女たちはハッキリと名実ともに予選突破を狙える位置にまで登りつめていた。

「ねえ、よっぴー。ちょっと話があるんだけど、聞いてもらえる?」

 ある日のレッスン帰り、真夢は佳乃にそう言った。もちろん佳乃が断るはずもなく、2人は皆と別れた後で話をするべく喫茶店に入った。

「それで、話って何かなぁ?」

「実は、よっぴーに相談したいことがあって……」

「え? 相談?」

 佳乃は驚きを隠せなかった。なにしろ真夢が彼女に相談を持ちかけたことなど過去になかったのだから。と同時に真夢が自分の言葉を覚えていて相談を持ちかけてくれたことに嬉しさを感じていた。あの合宿の夜、彼女は真夢に対してこれからは何でも相談してくれと話した。真夢はその言葉をちゃんと覚えていてくれたのだ。

「相談って……私で……いいの?」

「うん」

 真夢はコクリと頷いた。そうとなれば真夢の気持ちに応えたい。佳乃は姿勢を正し、それこそ襟を正すような気持ちで話を聞く体勢を整えた。

「じゃあ聞かせてもらうけど、相談ってどんなこと?」

 佳乃に促されて真夢は話し始めた。話の内容は真夢と彼女の母親とのことだった。真夢はウェイクアップガールズのメンバーとの関係を修復することには成功したが、母親との関係は以前と全く変わっていない。それを何とかしたい、それが相談の内容だった。

「そっかぁ、お母さんとはまだ仲直りしてないんだ」

「うん。顔を合わせて話すとケンカになっちゃうし、お母さんの方も私を避けている気がするし。なんとかしたいと思ってはいるんだけど上手くいかないの」

「でもさ、事務所との契約はどうしたの? 契約書に保護者の同意が必要だったでしょ? お祖母ちゃんにサインして貰ったとか?」

「それはサインしてくれたしハンコも押してくれたよ。お祖母ちゃんを通してお願いしたんだけど。でもそれだけ。何も言わないし何も聞かないし、相変わらず私の芸能活動には一切関わらないっていう感じなの。いつも、真夢の好きにすればいいじゃないって、それしか言わなくて……」

「ふぅーん。そっかぁ」

 話を聞いて佳乃はしばらく考え込んだ。真夢の母親は娘の芸能活動に相当入れ込んでいたようだと合宿の時の真夢の話で聞いたし、I−1での一連の出来事で母親が怒っているということも聞いたが、それほどまでに取り付く島のない状態だとは知らなかった。普通に考えて全く聞く耳を持たないというのは相当な怒り方だと想像がつく。しかも何年も経っているのにその状態なのだから、真夢の母の怒りは相当なものなのだと思える。

「どうすればいいかなぁ……私、やっぱりアイドルとしてやっていくからにはお母さんにも応援して欲しいし、お母さんに喜んでもらいたいって思うの。でも今の状態じゃとてもそんな風にはなれそうにないし……」

 佳乃は少し考え込んだ。何も答えられないということだけは避けたかった。何でもいい、とにかく何かアドバイスをしてあげなければと思った。せっかく真夢が相談してくれたのだから。

 気がつくと既に2人は1時間以上も話をしていた。佳乃はなんとか真夢の力になろうと懸命に考え話し合ったが、なかなかこれはと思えるような良い解決方法は出てこなかった。

「うーん……やっぱり私たちに話してくれたみたいに、胸の内を全部話すしかないんじゃないかな?」

 一生懸命考えたけれど、佳乃にはやはり他の方法は浮かばなかった。相談のしがいがないと思われちゃうかなと少し心配だったが、けれどこれ以上どうしようもなかった。

「でも、お母さんと顔を合わせると話しどころじゃなくなっちゃうし……」

「そこはもう、まゆしぃが真剣に話を聞いて欲しいんだっていう気持ちを見せるしかないんじゃないかなぁ。そうすれば話ぐらいは聞いてもらえると思うんだけど」

「それはそうかもしれないけど……」

「お母さんと真剣に話すのが怖い?」

「う、うん……ちょっと……」

「どうして?」

「それは……もうケンカしたくないし、私の本心を話してなおさら怒らせたらって考えると怖くて……」

 あれ? と佳乃は思った。同じようなセリフを合宿の夜に真夢自身から聞いたからだ。あの時真夢は自分と自分以外の人との気持ちが違うことを恐れて話せなかったと言った。今のセリフは正にそれではないか。

「まゆしぃ、それ、合宿の時にも同じようなこと言ってたよね。私たちが違う気持ちだったらって考えると怖くて話せなかったって。でもあの時は話してくれたじゃない? だったらお母さんに対しても同じようにできるんじゃないかなぁ。ケンカになるのがイヤなのはわかるけど、それは言い争いになっちゃうからでしょ? まゆしぃが冷静になってキチンと本当の気持ちを訴えれば、お母さんだって怒り出さずにちゃんと聞いてくれると思うんだけど」

「そうかなぁ……私、自信ないよ」

 佳乃は、真夢はお母さんが相手だと意外に喧嘩っ早いのかな? と思った。佳乃から見た真夢は常に冷静沈着だ。たしかに以前は自分と口論したこともあったが、基本的には温厚で冷静で他人とケンカをするタイプではないというのが佳乃の持つイメージだ。なのに彼女は母親とは冷静に話す自信がないと言う。それが少し意外だった。

(でも親友のために白木社長に食って掛かるコだしなぁ。やっぱり本当は短気で怒りっぽかったりして)

 いずれにしても冷静に話ができなければ話し合いなど上手くいくわけもない。佳乃は真夢を諭し続けた。

「それはでも、まゆしぃがカッとならないで話し合うしかないと思うよ。その自信がないって言っちゃったら話し合いなんてできるわけないもん。少し頑張ってみたらどうかな?」

 真夢は考え込んだ。佳乃の言っていることは理解できるのだが、今までの自分と母とのことを考えると冷静に話し合うことができるかどうか不安だった。

「大丈夫だよ、きっと。私たちとも分かり合えたじゃない。本気でぶつかっていけば、きっとお母さんだって話を聞いてくれるよ。わかってくれるよ」

 佳乃はそう言って真夢の背中を後押しした。彼女にも確信や自信があったわけではないが、結果としてそれは真夢にとって何よりの後押しになった。真夢の心は話し合ってみようかという気持ちにようやく傾いた。

「うん、わかった。そうしてみるよ。ありがとう、よっぴー」

 真夢の心がようやく固まったことに佳乃はホッと安堵した。今日真夢が相談してくれたのは合宿の夜に自分が何でも相談して欲しいと言ったからだとわかっていただけに、佳乃としては是非とも力になってあげたかった。何かしらのアドバイスを求めてせっかく相談してくれたのだから、その期待に応えたいし応えてあげたいと思った。どうやら自分はその期待にそれなりに応えることができたらしい。真夢のありがとうの言葉が何よりも嬉しかった。

 だがそれでも真夢と母親が本音で語り合う機会はなかなか訪れることはなく、そうこうしているうちにただ月日だけが過ぎ去り、いよいよアイドルの祭典地方予選の日が目前に近づいてきた。

-8ページ-

アイドルの祭典を週末に控えたある日、真夢が自宅に戻ってリビングルームのドアを開けると、そこには1人で食事を摂っている彼女の母の姿があった。母と予期せずいきなり鉢合わせしたので真夢は一瞬戸惑ったが、すぐに佳乃の言葉を思い出し、これはチャンスだ思い直した。というよりも週末にはもうアイドルの祭典地方予選の本番が控えているのだから、話すならきっともう今しかない、願っていた話し合いのチャンスが最後の最後になって巡ってきた、そんな状況だった。

 真夢の母は娘が入ってきた時こそ一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに視線を娘から外すと立ち上がり台所に食器を下げに行った。娘と話し合う気など無いのはその態度から明らかだったが、真夢は勇気を振り絞って声をかけた。

「あ、あの、お母さん」

 その声を聞いても母は歩みを止めはせず、娘に一瞥をくれただけだった。冷たい目だった。

「あの、私、お母さんに話したいことがあるの。聞いてもらえないかな?」

「……私は真夢と話すことなんて何も無いわよ?」

 カチャカチャと音を立てて食器を流しに置きながら、母は突き放すようにそう言って娘からの呼びかけを拒絶した。だが真夢ももうここまで来て引き下がるわけにはいかない。

(大丈夫、よっぴーも言ってたじゃない。私が冷静に話せばきっとわかってもらえる。大丈夫。お母さんはきっとわかってくれる。冷静に、冷静に……)

 真夢は佳乃の言葉を思い出しながら、心の中できっと大丈夫だと繰り返し唱えながら母との対話を試み続けた。

「お母さんはそうかもしれないけど、私には話したいことがあるの。聞いて欲しいことがあるの」

 だがそれでも母の返答は極めて冷たいものだった。

「今さら何も聞きたくないわ。どうせ今の芸能活動に関することでしょう? アナタの好きにすればいいって何度も言ったじゃない。私に報告なんてしなくても結構よ」

 真夢の母はそう言うと、かまわず娘の横を歩いて通り過ぎドアノブに手をかけドアを開けようとした。自室に戻るためだ。娘を完全に拒絶している態度は全く変わらなかった。

「待って! お母さん!」

 慌てて真夢は母の手を押さえてドアを開けさせまいとした。このままでは今までと何も変わらない。自室に戻られたら話もそれで終わってしまう。週末の予選を母に応援してもらいたいという想いを捨ててはいなかった真夢は、今までになく強硬な態度、実力行使に出て母に食い下がった。おそらくこれが最後のチャンスだから。

「違うの。そうじゃなくて、どうして私がもう一度アイドルをしようと思ったのか。それをお母さんにちゃんと知っておいて欲しいの。話しておきたいの。私だってもう一度アイドルをやろうなんて思ってなかったよ。でも今は違う。私はこれからもアイドルを続けていきたい。だからお母さんとキチンと話がしたいの。話して、納得してもらって、応援して欲しいの。お願いお母さん。私の話を聞いて!」

 真っ直ぐに目を見ながらいつになく熱意のこもった言葉で話す娘に母は少し驚いたが、その表情は依然として変わらなかった。ただ今までにない態度に出た娘に何かを感じたのか、真夢の母はドアノブから手を下ろし、表情は全く変えないものの「座りなさい」と言って娘に椅子に座るよう促した。2人はテーブルを挟んで対峙するような形で座った。

 しばらくの沈黙を経て、真夢はおもむろに口を開いた。佳乃の言葉を思い出しながら、心の中で大丈夫だからと自分に言い聞かせながら話し始めた。 

「あの時のことでお母さんや周りの人たちを不幸にしたことは、いくら言葉で謝っても済まないことだって、取り返しのつかないことをしてしまったって、そう思ってる。でも、私はやっぱりあのままI−1にはいられなかったって今でも思ってる。あの時残っていたとしても、きっとその後同じことになっていた、辞めていたって思うの。だってあの人たちは私を信じてくれなかった。私の話を聞いても信じてくれなかった。みんな仲間だって思っていたのは私だけだったんだもん」

 真夢の母は黙って娘の話を聞いていた。ポーズで聞いているだけなのかそうでないのか真夢にはわからなかったが、本気でぶつかればきっとわかってくれるという佳乃の言葉を信じて真夢は話を続けた。

「この前の合宿でね、ウェイクアップガールズのみんなにあの時のことを全部話したの。でも誰も私のことを一言も責めなかったし、むしろ言いたくないことを言わせてしまってごめんねって謝られたよ。私が潔白だって言ったら安心して抱きついて喜んでくれたコもいたの。もちろんみんなあのことは知ってた。知っていて、それでもみんな私がそんなことするわけがないって信じてくれてたの。ただ私の口から直接真相を聞いてハッキリさせて欲しかっただけなんだって、そう言ってくれた。私はその気持ちが嬉しかった。ウェイクアップガールズに入って良かったって心から思ったの。I−1は確かに楽しかったけど、今にして思えば私、あそこでは幸せじゃなかったって思う。でも今は違うよ。私、ウェイクアップガールズのみんなと一緒にアイドルをやれることが本当に楽しいの。幸せなの。あの頃とは全然違うの」

 真夢は懸命に訴えたが母の表情は変わらなかった。しばしの沈黙の後、母はようやく重い口を開いた。

「……私はアナタのために総てを犠牲にしてきたわ。アナタのお父さんは元々芸能活動に反対だった。でも私は、アナタがやりたいのならやらせてあげたい、そう思ってお父さんを説得したのよ。あの人は最後まで真夢の芸能活動には反対だったわ。それでも私はアナタのために何もかも投げ出してアナタを支えた。それなのに真夢、アナタはそれを総て仇で返したのよ? そのために私がどれだけのものを失ったか、アナタにはわからないでしょう?」

 わかっていた。母が自分のためにどれだけのことをしてくれたか、それはもちろん彼女もわかっていた。そして母が多くのものを失ったことも。なにしろ結果的に真夢は母を離婚にまで追いやってしまったのだから。

 もちろん真夢の知らないこともあるだろう。母は母なりに自分に夢を託していただろうし、だからこそ自分を犠牲にしてまでもバックアップしてくれていたに違いないとは思う。それを裏切ってしまったのは確かだ。けれどあの時は真夢にも引くに引けない理由があった。譲れない理由がちゃんとあったのだ。

「それは……本当に申し訳ないと思ってるよ。いま思えば他にもっとやりようがあったかもしれないって思うし、お母さんに相談もしないで決めてしまって軽率だったかもしれないって思う。でもあの時は芹香を辞めさせたくないっていうことしか、ホントにそれしか頭になかったの。ごめんなさい」

 真夢に救いの手を差し伸べられた黒川芹香は、結局その後真夢が岩崎志保にCDの売り上げで負けたことが明らかになった時点で真夢よりも先にI−1を去っていた。もとより白木は芹香を許すつもりはなかったのだから彼女は辞めるしかなかったのだが、真夢自身はそれを知らない。彼女は自分が岩崎志保に負けたせいで芹香を救うことが出来なかったと今も思い込んでいた。

 真夢の母からすれば芹香の男性スキャンダルは真夢とは違って事実であり、それも納得できない点だった。彼女からすれば自分の娘は道連れにされたような感覚だ。彼女はその疑問を娘に対してストレートにぶつけた。 

「その黒川さんは、本当に男性と付き合っていたわ。だったらルールを破って処罰されるのだから仕方ないことでしょう? どうしてアナタがそれに巻き込まれて辞めなければいけなかったのよ」

「でも……だって、白木さんは芹香のことをゴミだって言ったんだよ? 私の親友の芹香をゴミだって言ったんだよ? そんなこと言われて私、黙ってられないよ!」

 真夢にとっては充分な理由だが、母にとっては答えになっていなかった。親友をゴミと言われたから自分のクビを賭けるという考えが母には理解できなかった。

「だから何よ。他の人のことなんてどうでもいいじゃないの。私にとって大切なのはアナタなの。アナタがI−1に居てくれさえすればそれでよかったのよ。他の人がどうだろうと、アナタがアイドルとして成功してくれなければ意味ないじゃないの。それなのに、まだまだこれからっていうところで辞めてしまって……私がいったいどれほどアナタに賭けていたか、本当にわかってて言っているの?」

 その言葉を聞いて真夢は愕然とした。他人のことなどどうでもいいだなんて、母は本気でそう言っているのだろうかと思った。母は自分のこと、自分たちのことしか考えていない。母の願いはアイドルとして自分が大金を稼ぐことだけだったのだろうか? それしか頭にはなかったのだろうか? 母は自分をお金儲けのための道具だと思っていたのだろうか? 

 真夢は酷く空しい気持ちになった。それが母の本音だとは思えなかったし思いたくなかった。もしそれが本音なのだとしたら、真夢の今までの行動は全否定されてしまう。正しいと思って行動してきたのに。

「お母さん……お母さんは私に何て言っていたか忘れてしまったの? 小さな頃から、私に何て言っていたか覚えていないの? お母さんは、私はいつだって真夢の味方だよって言ってくれてたじゃない。困っている人を見捨てて放っておくような人にだけはならないでねって言っていたじゃない。私はその言葉を正しいと思って、ずっとその言葉に沿って生きてきたよ。お母さんの言ってることが正しいって信じてたよ。芹香のことだって、お母さんがそう言ってくれていたからああしたんだし、それでもお母さんは絶対に味方してくれるって思ってたよ。でもお母さんはあの時、今と同じことを言ったよね。他の人のことなんてどうでもいいって、あの時もそう言ったよね。お母さんは私にウソを言っていたの? 綺麗ごとを言っていたの? 本当はそんなこと思ってもいなかったの? お母さんの言葉を正しいって信じていた私が間違っていたの?」

 真夢はつとめて冷静にそう言った。

「何を言っているの! 私は……全部アナタのためを思って……アナタにとって一番良いと思えたから、だから……何もかも真夢のためにしてきたことじゃないの!」

 真夢の母はそう娘に言い返した。それは親のセリフの定番ではあるが説得力はまるで無い。

「違うよ、お母さん……それは……それは私のためじゃないよ。他人を見捨てるなって言っていたのに人のことなんてどうでもいいって言う。いつでも私の味方だって言ってくれてたのに私の意志は尊重してくれなかった。それなのに私のためだなんて……私にとって一番良いと思ってだなんて……そんなの、お母さんの気持ちを私に押し付けてるだけだよ」 

 悲しそうな娘にそう言われ、今度は母の方が愕然とする番だった。真夢は母親に対して自分の意見を押し付けているだけじゃないかと明確に言ったのだ。実の娘にそう指摘されて、母は自分がいつの間にか変わってしまっていたことにようやく気づいた。

「あのね、今の事務所は小さいけど社長もマネージャーもメンバーもみんなも一所懸命でお互いのことを真剣に考えてて、そのせいでぶつかったりすることもあるけど、でも私思うの。ここが私の本当の居場所なのかもしれないって。お母さんにはわかってもらえないかもしれないけど、ウェイクアップガールズのみんなとならもっと幸せになれそうな気がしてるの。幸せになりたいの。周りの人を幸せにしたいの。そんなアイドルになりたいの!」

 娘の言葉を母は黙って聞いていた。ただ、黙ってはいたが心なしか母の雰囲気が和らいでいるような、表情が変わった気が真夢にはした。今までのように全く話を聞く気が無いといった感じではなくなっているように思えた。まさしくその通りで、真夢の母の心の中では葛藤が生まれていた。間違っていたのは自分の方だったのかもしれないと思い始めていた。

 真夢は自分のカバンの中から一通の封筒を取り出すと、母の前にスッと差し出した。

「今週末にアイドルの祭典の地方予選があるの。1位になれば東京のI−1アリーナで開催される本大会に出られるんだ。本大会で優勝したら1年間I−1の公式ライバルとして認定されてメジャーデビューさせてもらえるんだって。私、優勝するよ。ウェイクアップガールズのみんなと必ず優勝する。その為に毎日みんなと一生懸命練習してるの。1枚だけチケットを都合してもらえたから、これはお母さんに渡すよ。見に来て欲しいの……」

 封筒の中身はアイドルの祭典地方予選のチケットだった。母は手にしたチケットを凝視した。

「ステージでの私を見てもらえば、きっと私の今の気持ちをわかってもらえると思うの。I−1の時には出来なかったけど、私はお母さんを今度こそ幸せにしたい、お母さんに喜んで欲しいって、そう思ってるよ。だから見に来て欲しいの。お母さんに私を応援して欲しい。お母さんの応援が私には必要なの」

 母は黙っていた。ずっと黙ったまま手にしたチケットを見つめていた。真夢はもう祈ることしかできなかった。自分の気持ちが母に通じていることを、自分の想いが母に届いていることを祈り願うことしかできなかった。

 だが真夢の母は何も言わず、手にしたチケットを黙ってテーブルの上に置くと、そのまま立ち上がり自室へと戻ってしまった。もう真夢も何も言えず、そのままその背中を見つめることしかできなかった。

 母が出て行った後のリビングルームで、真夢は受け取ってもらえなかったテーブル上のチケットを見つめながら、わかってもらえなかったのかな、と呟いた。わかってもらえたような気はしたのだけれど、チケットは受け取ってもらえなかったのだからやはりダメだったのだろう。ガッカリしたというのが正直な気持ちだった。

 ただ少なくとも今までとは違って、真夢は自分の気持ちを総て打ち明けることはできた。それはきっと佳乃のアドバイスを信じたおかげだ。母は自分の話を聞いてどう思っているのだろう。それでもやはり私を許してはくれないだろうか、どうしても応援する気にはなれないだろうか。もう母の件はこのまま諦めるしかないのだろうか。真夢は自分でも気づかないうちに、ふぅっと一つ大きく深い溜め息をついた。安堵ではない溜め息をついた。

説明
 気がつけば1ヶ月近く間が空いてしまいました。だいぶ間隔が開いてしまいましたが、シリーズ19話、アニメ本編では10話にあたります。2話構成になってしまったので今回は前編分をアップします。後編分もなるべく早くアップしようと思ってはいますので長い目で見守っていただけると嬉しいです。
 一番の難問が解決し少女たちは一致団結、アイドルの祭典に向けて全力で駆け出しますが、島田真夢個人にはもう1つ大きな問題が残っています。その辺りの描写が今回と次回に盛り込まれています。お楽しみいただき気に入っていただければ幸いです。
(追記:8月17日、後半の真夢と母のシーンをちょっとだけ修正しました)
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