第12話 廃棄物[E] - 機動戦士ガンダムOO×FSS
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第12話 廃棄物[E] - 機動戦士ガンダムOO×FSS

 刹那達がジョーカー太陽星団を訪れる16年前、その事件は起こった。

 

 惑星アドラー。

 都市から遠く離れた郊外に佇むその工場に一人の女性科学者が辿り着いたのは夕方のことであった。

 工場は30メートル以上の高さもある外壁に守られた物々しい作りだ。正門のゲートにいたっては重戦車の砲撃にも耐えうる強度を持つ。そのゲートが今、ゆっくりと開門すると彼女のディグを向かい入れた。

 彼女はここに勤務しているわけではない。今日のように時々訪れては、この工場で生産される有機コンピューターの生産管理、出荷前の調整、出荷後のアフターサポートなど多岐にわたる指導を行っていた。

 彼女は予定では昼前に辿り着くハズだったのだが、アドラー行きのシャトルが遅れてしまい、今時間に工場に着いたのだ。

「今日はここで一泊か。バラッティに連絡しなくちゃいけないね」

 ワゴンタイプのディグから降りると独り言ちた。

 ダイムラー製ディグのリアゲートを開けると、早々に仕事道具が一式詰め込まれた鞄を下ろし始めた。

 彼女が敷地の隅に駐機されているMHドーリーを見つけたのはその時だった。

「MH込みでの調整があるとは聞いていなかったが? まぁ、時間があれば診てやるか」

 これほどまでに厳重なセキュリティを施されているのは何故か? それはこの工場では、ジョーカー太陽星団のおいて最強最悪の殺戮兵器であるMHには欠かすことの出来ない有機コンピューターが製造されているのだ。

 彼女は自身の荷物を用意された部屋に放り込むと、遅れている今日の仕事に取りかかることにした。もう、太陽は地平線の彼方に隠れている。

 早速、工場のスタッフに((ICU|集中治療室))と書かれた一室に招かれていた。

 この工場で生産される有機コンピューターはすべて奇妙な姿形をしている。生産装置も独特だ。ロボットが高速で動き回ったり、半導体工場のような精密機械もない。

 こちらの工場では((特殊な溶液|羊水))が詰まったカプセルが所狭しと並ばれているだけだ。そのカプセルの中で有機コンピューターは作られているのだが、まともな人間であれば、カプセルの中を直視できないであろう。なぜならその中には……。

 

「博士。こちらのカプセルが先日お話しした有機コンピューターです」

 スタッフの一人が彼女にカプセルに見せた。驚くべき事に、その中には機械ではなく女の子の赤ん坊が入っていたのだ。しかし、誰一人驚く者はいない。ここでは、この光景が当たり前だからだ。

 この工場で生産される有機コンピューターは全て人間と同じ姿形をしているのだ。それら有機コンピューターの事を『ファティマ』とジョーカー太陽星団では呼ばれている。

 この工場では主に女性型の有機コンピューターを製造しているのだが、カプセルには成育中の幼体と言われる赤ん坊から、出荷準備段階の成体と言われる、地球人換算で15歳から20歳程度までの様々な種類の有機コンピューターが納められていた。

 有機コンピューターである彼女達は身体能力では人間を大きく上回るものの、感情の起伏の抑制、生殖など人体の一部機能を停止させられている。MHの制御に特化した人工演算生命体であるが、その身体には赤い血が流れていた。

「書類は見てきたけど、あれからどうなんだい?」

 彼女は工場では『博士』と呼ばれている。

 眼鏡を指で直しながら、カプセルの脇に備え付けられたディスプレイの角度を調整すると覗き込んだ。

「今のままでは出荷前検査で((ハネ|・・))られそうです」

 ハネる。つまり、流通させずに廃棄するということだ。スタッフは簡単に言うが、赤ん坊は農産物や家畜ではない。

 彼はディスプレイに赤ん坊の将来予想されるスペックシートを表示させた。

 戦闘能力・MH制御・演算性能・肉体耐久・精神安定の5項目からなる『パワーゲージ』と呼ばれる性能表だ。各項目ともA2からEまでランクがあり、DやEでは廃棄になってしまう。また、逆にA2より上のA3以上の数値を叩き出すと今度は騎士の身体能力並になるため星団法違反になってしまうのだ。

 彼女達『ファティマ』は一般の人間以上、騎士未満の性能を持ち、何時までも老化することのない容姿を持つ。生体コンピューターでもあり、超人類でもあるのだ。

「まったく性能が安定していないじゃないか。こんな状態ではMHのコントロールはおろか、騎士をマスターとも認識できない。このままだと本当に廃棄処分だわ」

 彼女はスタッフを怒鳴りつけた。

「はい。生産当初の計画ではB2-B2-C-B2-Cの予定でした。ところが一昨日、突然心肺停止状態になり……」

 スタッフの示したパワーゲージの数値は工場生産の生体コンピューターとしては極々一般的な性能である。パワーゲージの数値が高いほど細かなメンテナンスが必要になってくるのだ。理由は後述するが、この工場で大量生産される生体コンピューターのように平凡なスペックの方が実はメンテナンスが容易で扱いやすい。これは兵器として重要な事だ。

「なるほど。蘇生は成功したけど異常が発生したわけね」

 ディスプレイに表示されたパワーゲージには当初予想されていた数値と大きくかけ離れた値が表示されている所か、常に数値が変化を繰り返していた。全ての数値がオールEになったかと思えば、計測不能になったりと目まぐるしく変化を繰り返していた。

「念のため確認するけど、機械の故障ではないのよね?」

「はい。何度も検査を行っています。しかし、原因がわからず、それで博士にお越し頂いたわけです」

「ふむ」

「それに今は一体でも多く出荷するように指示が来ておりますので」

 スタッフは恐縮こそしていたが、頭の中では出荷スケジュールの事でいっぱいだった。

 昨今、ジョーカー太陽星団では大きな戦争の噂が囁かれていたからだ。それもあり、この工場では日夜フル生産で有機コンピューターを生産・出荷している。

 有機コンピューターのコストは高価だ。彼女達一人辺り日本円で億単位のイニシャルコストがかかると言われている。廃棄処分を出そうものなら大変な損失だ。

「わかったわ。私が診察するから、彼女を((私の部屋|診療室))に移して頂戴。それで明日になったら私のディグでラボに連れて帰るわ」

「本当ですか!? ありがとうございます。それではすぐに準備に取りかかります」

 礼の挨拶も程々に工場のスタッフ達はカプセル毎輸送するための専用ストレッチャーを取りに一旦退室した。そのため、今は彼女と赤ん坊の二人っきりだ。

「安心しな。私が廃棄処分だけは絶対にさせないからね。それにしても、ころころ数値が変わるって、君は相当の悪戯っ子だね?」

 カプセルの中で眠り続ける赤ん坊相手に声をかけた。それは彼女なりの優しい心使いでもあった。

 ふとネームプレートに目を向けるとあることに気がついた。

「Exousia……、エクスシア? あれ? こんな名前だったかな?」

 診察カバンから赤ん坊の書類を取り出そうとした、その時だった。工場全体に激震が走ったと思うと、彼女は目の前が真っ暗になった。

 

「い、今の揺れはなんだ……? 」

 気がつくと床に倒れていた。部屋の灯りは消えており、非常灯すらもついていない。

「非常発電はどうした? 爆発?」

 全身に激痛が走ってはいたため、慎重に腕や足を動かした。幸いにも骨折はおろか大きな怪我はしていない模様だ。かけていた眼鏡も外れていない。

 白衣の胸ポケットからペンシル型のライトを取り出すとスイッチを入れた。ライトの明かりに映し出された光景に彼女は目を疑った。赤ん坊が納められていたカプセルが破損して、その中を満たしていた羊水と共に床に投げ出されていたからだ。すぐに駆け寄ると隈無く身体を調べた。

「怪我はしていないようだが、脈が弱くなっている。このままでは危ない」

 割れたカプセルの破片で怪我はしていないが、放り出されてしばらく時間が経過していたのか、脈拍が弱くなっていた。彼女は来ていた白衣を脱ぐと、羊水を優しく拭き取り、それで赤ん坊を包んだ。一刻も早くカプセルに戻さないと命にかかわる。

 ライトで部屋の隅々を照らすが、壁やドアが崩れていることを発見した。攻撃を受けたように部屋には大きなダメージを受けていたのだ。

「テロか!?」

 その次の瞬間。再び爆発音と共に強烈な揺れが二人を襲った。再び床に投げ出されたが赤ん坊を庇うように床に倒れ込むことが出来たのは幸いだった。

 ところが、今度は二人に熱風が襲いかかる。今の爆発で部屋の天井部分が完全に吹き飛んだのだ。吹き飛ばされた空間からは、夜空を紅蓮に染める炎が見えた。

「ここに居ては駄目だ」

 赤ん坊を抱き上げると彼女は瓦礫をかき分けて部屋から逃げ出した。右足に鈍痛が走ったが、今は状態を確認している暇はない。

「一体何が起こったの?」

 部屋から出ると彼女はおぞましい光景を目撃する。

 工場内の生産設備であるカプセルが壊され、その内容物だった大小様々な有機コンピューター達が放り出されていた。ある者は瓦礫に埋まり、ある者は爆発の衝撃でバラバラに引き裂かれていた。そしてそれらが爆発で発生した炎に焼かれていくのだ。

「まるで、地獄じゃないか。なんて、惨いことを!」

 彼女は唇を噛んだ。

 目の前で繰り広げられる地獄絵図はあまりにも非日常的な光景だった。連続する爆発にうめき声、無数の死体の山、加えてそれらが焼かれる臭いも混じり、頭がどうにかなりそうだった。彼女は自身の唇を噛みきることで今にも飛びそうになった意識に楔を打ち込んだのだ。その時、炎の中を巨大な物体が動いていく様子をとらえた。

「イザット!?」

 その機体は調整で持ち込まれていたMHだった。彼女は今回の爆発はこのMHの仕業ではない事を直感した。紅蓮の炎の中に、何か恐ろしい恐怖の発信源を感じていたからだ。それに出撃するMHも万全の状態ではない。左腕が肩の装甲毎失っていたからだ。

「あれでは駄目だ」

 ガキンッ! という強烈な金属音が数回聞こえると、彼女の近くに巨大な金属片が振ってきたのだ。それは実剣が握られたままのイザットの右腕だった。続けて大きな地響きと轟音が響き渡った。イザットが完全に破壊され打ちのめされたのだ。

「相手はMHだというのかい! どこの連中だ!?」

 その予想はハズレていた。

 紅蓮の炎の中にいる((奴ら|・・))はMHなどという生やさしい相手ではない。

 ズシンッ、ズシンッとこちらに近づいてくる地鳴りに気がついた。救援隊でない事はわかっている。『敵』だ。しかし、指一本動かすことが出来なかった。

 そして地鳴りの原因が最も近づくと炎の中からMHの背丈はある『敵』がついに姿を現した。

「な、なんだ、こいつらは!? まるで、まるで」

 声にならなかった。炎に照らされた巨人は昆虫のような頭部と細い手足、そして特徴的な翼を有した異形の『化け物』だったからだ。

「((悪魔|サタン))だ」

 それが彼女が力を振り絞って発生できた言葉だった。

 悪魔達は彼女の後方にも居た。

 彼女は赤ん坊を抱えたまま両膝をついた。

「し、師匠……」

 赤ん坊を抱えた彼女を包囲した悪魔達は、右手に携えていたビラルケマライフルの銃口を一斉に向けた。

 サタンは六本の指で保持するライフル銃のトリガーに指をかけた。

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 プリズム・コークス。彼女はMHを制御する((ファティマ|生体コンピューター))・((マイト|製造者))の一人である。

 彼女の仕事は、ファティマの独自開発や、ファティマ工場での生産管理、出荷前の調整、出荷後のアフターサポートなど多岐にわたる。

 ファティマとは人間とほぼ同じ身体を持ちながら、スーパーコンピュータをも凌駕する演算能力と情報処理機能を与えられ、MHの制御を行う生体コンピューターの事だ。

 騎士と共にMHに搭乗する。ファティマは頭部に取り付けられている脳波式の受信機によりMHと通信を行い、制御を行う。ファティマをMHに搭乗させる事により騎士はMH操作のみに専念できるのだ。騎士とファティマが搭乗したMHがジョーカー太陽星団で最強最悪の殺戮兵器と言われる所以である。

 ファティマは人間の細胞ではなく『純血の騎士』と呼ばれた強力な騎士の細胞から作られている。そのため、騎士には及ばないものの、通常の人間を遥に凌ぐ肉体能力を併せ持つ。さらに、ファティマは女性型、男性型ともに非常に美しい容姿だ。例外なく痩身で、地球人換算で15歳〜20歳前後で成長を止められた後は外見上は全く老化しない。

 これほどまでに完璧な、いわば従来の人間に取って代わる超人類のようなファティマであるが、ファティマを恐れた大多数の人間は彼女達に様々な制約を設けた。例えば性行為は可能であるが生殖機能を停止したり、ファティマ達が着るスーツを規制で縛ったり、ロボット工学三原則のような人間に対する反逆を防止する制御を施したり、人間と同様の人権も与えられず動産扱いにしたり、とかく美しいモノから畏怖のモノという悪い印象を与えようと冷遇していた。悲惨なことに騎士を持たないファティマに至っては、その身を防衛する最低限の権利も許されていないのだった。

 実はファティマには兵器としての重大な欠陥がある。

 本来、彼女(彼)達は非常に大人しく他者に従順な精神を持っており、人間に対して反逆することもないのだ。だが、彼女(彼)達の役割は殺戮兵器であるMHの制御だ。彼女(彼)達にはMHに搭乗したら戦闘を行い敵を殺害せよ等の思考を強制する『ダムゲートコントロール』と呼ばれる思考制御プログラムが施されている。これがいけなかった。

 本来は優しい生命体だ。美しい容姿も加わり主である騎士から愛情を注がれやすい。それが皮肉にも容赦なく敵を殺害するように強制されるダムゲートコントロールに取ってはマイナス要因になってしまったのだ。主である騎士との人間関係が却って精神バランスを乱れさせ、最悪精神崩壊を生じさせる危険があったのだ。

 この問題はファティマ生産工場で大量生産されるファティマよりも、ファティマ・マイトが独自に製造したファティマの方が危険性が高かった。マイトが自ら手がけたファティマは一般的に工場製もよりもファティマとしてのスペックだけではなく、より人間に近い自然な仕草ができるなど繊細だった。

 つまり、大量生産されたファティマはマイト製に比べればロボットに((近い|・・))ためメンテナンスは容易だということだ。裏を返せばマイト製のファティマは最良のスペックを引き出すにはレーシングカーのように常にバランス調整が必要になるということだ。

兵器としては大問題である。

 そのためコークス博士のようにファティマ達の精神面でのカウンセリングや診療を行える科学者が必要なのだ。

 

 さて、当時代においてジョーカー太陽星団屈指のマイトである彼女は久しぶりに自宅のラボに籠もっていた。目の前のファティマ育成ベッドの羊水に浸かっている、ある観察物について定期検査を行っていたからだ。

「はぁ、フォーマットを徹底的に無視した相変わらずの発育ぶりね」

 ベッドに接続されたディスプレイにはリアルタイムで検査結果が表示されているのだが、どうも観察物の結果が予想していた数値とは大きく、いや彼女の計算以上の異常値を表示していたからだ。

 羊水の中には、呼吸器のみを取り付けられた裸の女性が静かに眠っている。歳にして地球人換算で10代後半位だろうか。

「羨ましいほど、良い体つきに育ったものだわ。男共が群がるのはこの身体だけが目当て、というわけではないけどね」

 同性として嫉妬よりも、彼女宛の恋文を仕事先で毎度毎度受け取るのが面倒になっている事についての愚痴の方が多分に含まれている。

「本来の彼女の容姿通りに再構成したのか知らないが、これだけの美女を目の前にしたらファティマですら分が悪い、か」

 確かにコークス博士が溢すとおり、腰までもある黒い髪を羊水全体に広げ眠る彼女は、神秘的であった。

 整った顔立ちに、美しく柔らかな身体のラインに、バランスの取れた肢体。

 淡い桜色の突起をいただく形の良い双丘が静かに上下している様など、よほどの朴念仁でもない限り、理性を失いかねないほどだ。

「それでも動じない男が居るって言っていたわね。彼は修行僧なのかしから? 会えることなら、一度頭の中身を検査してみたいわ」

 コークス博士は一通り検査が終わると近くの椅子に腰掛けた。もうそろそろ、彼女が目覚める頃だろう。

「あれからもう16年も経ったのか」

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 白いブラウスと紺色のフレアスカートに着替えた彼女はコークス博士の研究室のドアを叩いた。

「開いてるよ」

 博士の素っ気ない返事を確認すると彼女は研究室のドアを開けた。

 コークス博士も机に備え付けられた端末に向かって何かを入力していたが、彼女の姿を見るなりすぐにその手を休め向き合った。

「コークス博士、シャワーありがとうございました」

 コークス博士に促されると女性は博士が用意した肘掛けのついた椅子に腰掛ける。

 一見すると主治医とその患者の関係のように見えるのだが、二人の間柄は違っていた。

「久しぶりに帰ってきたんだ、ゆっくりしていけばいいさ。ホットで良いかい?」

「ええ、お願いします」

 研究室の壁には、コークス博士が送り出した((愛娘|・・))達の写真が多数飾られていた。

 写真と資料に溶け込むように置かれたポットに手をやると2つのカップにコーヒーを注ぐ。

「熱いから気をつけな」

 彼女は差し出されたコーヒーカップを両手で受け取ると少しだけ口を付けた。

 

「検査の方は異常はないぞ、健康優良児」

 博士は端末から出力した診断書を女性に手渡しながらそう伝えた。

「ありがとうございます」

「いや、お前さんの場合、異常だらけなんだけどね。それが正常だから、こちらも困る」

 先ほどの検査の診断結果だが、見る人間が見たらそこには恐ろしい数値ばかりが並んでいたからだ。

「……申し訳ございません」

「あらためて、謝られるとこっちも困るんだけどさ」

 コークス博士と彼女はクスクスと笑い出した。

「ところで服はきつくないか?」

「私も心配でしたが何とか入りました」

 彼女は俯きながら消えてしまいそうな小さな声で呟いた。

「私の服ではサイズが合わないし、ここには嫁入り前の娘達の服しかないからね。本来ならお前さんでも着られるハズなんだが、ベースフォーマットを悉く無視して成長する方に責任がある」

 ビシッと人差し指で女性の胸を指し示した。確かにブラウスのボタンはきつそうだ。

「ダイエットは心がけているんですが、成長するものは仕方が無いかと……」

 頬を赤らめながら両腕で胸を隠すその仕草は、その仕草がコークス博士には可愛くて仕方が無かった。

 

「『E』、お前さん宛にラブレターを預かってきたけど、悪いけど断りの手紙はそっちで出しておくれ」

「いつもいつも、お手数をおかけします」

 コークス博士は『E』と呼ばれる女性にラブレターの束を手渡した。

 便せんにはそれぞれ国旗や騎士団のマークなどが描かれている。

「この前のお披露目の時に『E』に鞄持ちさせたのは失敗だったかなぁ」

 机に両肘を付くと窓を眺めながらぼやいた。

「重ね重ね申し訳ございません」

「ははは、冗談さ。『E』は並のファティマも裸足で逃げ出す美貌なんだ。おまけに、あの活躍だ。男共に近寄るな! という方が無理だろう?」

「じょ、女性の敵でしたので、ついカッとなってしまいました」

 コークス博士は半年前に行われたファティマのお披露目の際に荷物持ちとして彼女を連れていったのだが、そこで些細な事件に巻き込まれたのだ。

 ファティマのお披露目とは、文字通り新しいファティマの発表と騎士との見合いの場である。それ以外にも主人を失ったファティマが再び主を探す場でもあった。

 先に説明したとおり超人類でもある生体コンピューターのファティマは星団法で雁字搦めの状態だ。しかし、唯一彼女達に与えられた権利がある。それは自分で主人選ぶ権利だった。実は騎士とファティマの相性が良いとMHの性能は大きく向上するという研究結果があったのだ。兵器として明らかに問題であるが、それでも各国の騎士団はファティマのお披露目の際には、より高性能のファティマを入手しようと多くの騎士を引き連れて会場を訪れていた。

 そのような場に彼女を裏方として働かせ、表には出さないようにしていたのだが、ファティマ達に狼藉を働こうとした不届き者を、お披露目に来ていた騎士達よりも先にとっ捕まえてしまったのだ。

「あの時の行動は立派だったと思うし私も『E』のやり方に賛成だ。もし、『E』以外の騎士が犯人を捕らえようとしたら、間違いなく無用な殺生が発生していたはずだ。それを知っていたからこそ『E』が自ら捕まえたんだろう?」

「はい。あのままでは犯人は殺されていました」

 コークス博士には彼女の意図は見抜かれていたようだ。

「それでも、相手は((指名手配犯|そこらの騎士))だったからよかったけど、宮廷騎士相手に立ち向かうことはやめてくれよ? 『E』は『騎士』ではないんだ。まして『魔導師』でも『バイア』でもない。素性がばれたら大変だ」

「はい、気をつけます」

「それでも、あの一瞬の立ち回りで『E』の技量を見抜いて、こうしてラブコールが来るわけだからな」

「博士には、ご迷惑をおかけします」

「あわわ、久しぶりに帰ってきた『E』を怒るつもりはなかったんだ。顔をあげてくれよ」

 シュンとしてしまった『E』を見てコークス博士は少し言い過ぎたと反省した。

「はい。でも、博士の言うことはもっともです。無用な力は歪みを生み出してしまいます。私をここまで育てていただいた博士にご迷惑をおかけするのは私も本望ではありません」

「それはよく知っているよ。こうして母親の真似事をさせて貰っているが、娘の気持ちは分かっているつもりだよ?」

「プリズム・コークス博士」

「だから、変な虫がつかないように注意しないと、ね」

 博士と『E』はお互いに笑った。この『E』という女性は表向きはコークス博士の養女であったのだ。

「それにしても、格好良かったね。あの台詞も」

「あ、あ、それはもう言わないって約束だったじゃないですか!?」

 博士は右腕を突き出し、その突き出した右腕をフォローするように左手を添えるポーズを取ると、わざと口調を換えて言い放った。

『((E|エクシア))、((女性の敵|目標))を捕獲する』

 

「って言ったと思ったら一撃必殺だもんな。ありゃ惚れるわ」

 コークス博士は右腕を振り下ろす格好をするが、反対に『((E|エクシア))』と呼ばれたこの女性は耳まで真っ赤だった。

「も、もう、知りません」

 生体コンピューターであるファティマは人間に従うようにプログラミングされている。アイザック・アシモフのロボット工学三原則同様に人間を傷つけることが出来ない。それを逆手にとってお披露目前のファティマに控え室で卑劣な行為を働こうとした不届き者が現れたのだ。

 しかし、偶然にも悲鳴を聞きつけたエクシアが控え室の扉を蹴破り武力介入。寸での所で未遂に終わったものの犯人は窓から逃走。だが、エクシアは部屋のカーテンをはぎ取るとそれで顔を隠しながら追撃。

 各国の騎士団も現場に急行する最中、いち早く追い詰めたのはエクシアとコークス博士だった。犯人と一対一で戦った時の台詞が先ほどの口上だ。

 はぎ取ったカーテンで顔と全身を隠しながら、右腕を突き出し、相手の居合いを素早く避けるとカウンターの一撃を見舞ったのだ。しかし、運悪くお披露目会場に取材に来ていた報道陣にパパラッチされてしまう事に。

 不幸中の幸いでエクシアの顔も名前も漏れることなく、ファティマのお披露目事態は無事に終えることができた。それでも一緒に写真を撮られたコークス博士は関係者と見なされ、一部の者達と共に現在進行形で色々大変な目にあっている。それがラブレターの山だ。噂に尾ひれがついて、それは酷いモノである。

 

 さて、博士は手段はどうあれ強引だがエクシアが多少元気になった事で本題に入ることにした。

「エクシア、前回渡した資料は役に立ったかい?」

「は、はい、お陰様で。今回も博士の情報通りでした」

 エクシアはブラウスの左袖口のボタンを外し袖をまくり上げると、ある((モノ|・・))を博士に見せた。

「お? 随分、大きいのが見つかったようだね」

 左手首には不釣り合いな大きさの銀色のブレスレットが嵌められていた。

「はじめは細いリングだったのが、立派なブレスレットになったじゃないか」

「捜索は難航しましたが、何とか破片を見つけることが出来ました」

 エクシアの右手がブレスレットに触れると、ブレスレットは二つに開き、左腕から外れてしまった。開いた部分は継ぎ目などがまったくなく、自然と開いた形だ。

 ブレスレットを右掌の上に載せたエクシアであったが、突如、その掌の上でブレスレットは崩壊した。

 崩壊といっても崩れ落ちたわけではない。固形物から液状に変化をとげるとエクシアの拳より小さな銀色の金属塊になってしまったのだ。

「な、何度見ても慣れない光景だわ」

 コークス博士の表情はやや引きつってはいたが、ここで怯むようでは科学者は務まらない。

「触っても良いかい?」

「はい。この子は人間に危害を加えることはありません」

 彼女の掌の上で鎮座している金属の塊に手を伸ばすと、その暖かさに驚いた。ほどよい温もりを帯びていたからだ。

「はじめて私が拾ったときは冷たい金属片だったよね。これはどうしたんだい? エクシアの肌の温度だけとは思えないな」

「流石、博士。この((金属生命体|・・・・・))は細かくバラバラになると活動を一時停止します。しかし、このように融合して大きくなると活動を再開するのですが、金属生命体は人間に触れられた時に少し温度を上げていた方が喜ばれる事を知っているのです」

「そうなのかい。金属塊が人間の扱いを知っているなんて俄には信じられない話だ」

「私が元居た世界では共存共栄していましたから」

 それでもコークス博士は金属片を指で突っついたりしては、何度も唸って見せた。

 実はこの金属片に『温もり』を教えたのは彼女である。金属生命体と融合した成人男性に毎晩抱きついて温もりを教えたのだが、それを博士に伝えると、個人的に面倒な事態になるので話さなかった。

「どれだけ集めれば元の世界、『地球』に帰れそうなんだい?」

「この金属生命体は((特殊な信号|・・・・・))を発信します。その信号を外宇宙に出て発信しづけないといけないのですが、この子の大きさではまだまだ信号が微弱なんです。せめて、これ位の大きさになれば強力な信号を発信できるようにあるのですが、そもそもこちらの世界にどれだけの『残骸』が来ている事か見当がつきません」

 エクシアは金属片をもったまま、両手を使ってバレーボール程度の大きさを作って見せた。

「うーん、それならその信号は増幅できないのか?」

「私は博士のように科学者ではないのでわかりません。それに以前もお話ししましたがこの信号は少し特殊で、こちらの世界でも争いの原因になる恐れがあります」

「忘れていたわ。『脳量子波』だったわね? 昔からエクシアはそれを心配していたね」

「はい……」

 エクシアはここで一旦言葉を詰まらせたが、コークス博士はすぐに気がついた。この娘は昔から余計なことまで気を回しすぎることは熟知していた。

「エクシア。お前が言いたくないことだったら、無理に言わなくても良いんだよ」

 コークス博士はすぐにエクシアが言葉を詰まらせた理由をすぐに察した。養女にしてからこれまで、彼女が徐々に心を開いて前世の事を語ってきた経緯を良く理解していたからだ。

「私個人としてもエクシアが危惧している通り、((金属生命体|ELS))だけでも危険な存在なのにそこに脳量子波なんて登場したら、この世界は間違いなく崩壊すると思うわ」

「博士」

 エクシアは申し訳なさそうな表情をするのだが、コークス博士は反対に優しく接するのだった。

「だから、エクシアは私に前世のことやELSの事を話してくれたんだろう? 私がエクシアに協力しているのは((そこ|・・))だよ。これは私達だけの秘密さ」

 コークス博士はエクシアがジョーカー太陽星団という宇宙に迷惑をかけないよう彼女の優しい心遣いも知っていた。

 言葉を選び、自分たちの世界への影響を最小限にするよう彼女が身の上話をしてきたことも良く知っている。だからこそコークス博士は養女である彼女に並々ならぬ愛情を注いでいた。それはまた、エクシアも同じ気持ちでであった。

「ありがとうございます。コークス博士」

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 二人は、すっかり温くなってしまったコーヒーを煎れ直すと思い出話に花を咲かせていた。

「ところでエクシアがELSを手懐けられるのは、ELSと『対話』に成功して自らも『ELSと融合した彼』からコツを教わったのかい?」

「いえ、コツとかそういう事ではありません。何故かELSは私に懐いてくれるんです」

「ふーん。そうなると『誰か』がエクシアを好きなんだろうね。だからELSも好きなんだろうね」

「そうなりますね。え? あ、それは。つまり、彼が? あれれれ?」

 エクシアはそこで言葉を濁してしまったのだが、今日何度目かの赤面であったが一番真っ赤だ。

「フフフ。これでエクシアの秘密をまた一つゲット出来たわ」

「……博士の意地悪」

 その様子にコークス博士は自然と笑みがこぼれた。

 

 ELSを手懐け地球出身という女性エクシア。彼女は果たして何者なのだろうか。

 コークス博士がエクシアとELSの破片を『回収』したのは今から16年前のことである。

 爆発により燃えさかる工場の中、破壊されつくした機械類と数多くの死体の山をかき分けて救い上げた、たった一つの小さな生命。それが今の彼女である。

 あの時、赤ん坊であった彼女の小さな手に握られていたのが不思議な金属片、それがELSだった。

 赤ん坊はあまりにも規格外だったため『廃棄処分』扱いになる所だったが、コークス博士は書類を改竄、名前を変えて密かに養女として育てあげたのが、((エクスシア|エクシア))である。

 ある日、幼いエクシアから自身の出生の秘密を聞いたときには助手のバラッティ共々耳を疑った。

 だが、16年前に爆発現場で恐るべし光景を目撃したコークス博士は二つ返事でその話を信じてくれたのだ。

 こうして成長したエクシアは星団中に散らばったELSを回収するため国々を渡り歩く事になる。

 全ては故郷の星『地球』へ帰るためなのだが、コークス博士は今のエクシアとのやりとりで彼女の原動力の正体について気がつき始めていた。

「コークス博士、これからの事ですが」

 何としても『彼』の話題から切り替えたいエクシアとしては今後の予定へと話題を変えた。

「そうだった。ELSの回収は急ぐ必要があるね」

 一転して表情が曇ってしまったコークス博士にエクシアは不安を感じた。

「何かあったんですか?」

「いや、すぐに直接どうこうというわけではないが、最近きな臭くなっているからね。今は私達とエクシアだけの秘密だけど、誰かがELSを回収して解析しないとも限らない。このジョーカー太陽星団には、色々と『面倒な連中|・・・・・』が居るからね」

「面倒な連中……ですか」

 エクシアは首を傾げる振りをしてみせたが、コークス博士が正体を明かさなくとも、どうも厄介な連中がこの世界にも巣くっている事は理解していた。

 机の電子錠のかけられた引き出しから、一冊のファイルと書類の束を取り出すのだが、コークス博士は一瞬躊躇った。

「確度の高い情報なんだが……」

 エクシアを見つめる博士の表情は険しい。

「今回は危険な場所なのですね」

 コークス博士は渋々エクシアに資料を手渡すと、すぐにファイルを捲り現地の情勢を確認しはじめた。

「出来れば一人で行かせたくないんだ。だが、こんなご時世でね。何人か知り合いの騎士達にあたってみたんだが、本国で待機中だったり動けない奴ばかりで駄目だった」

「コークス博士、その心遣いだけで結構ですよ」

 エクシアも現地の情報に目を通すのだが、非常に治安が悪い場所のようなのか、険しい表情だった。

「二週間、いや、せめて一週間待てないか? そうすれば暇そうにしている騎士の一人ぐらいは見つけられると思う」

「ありがとうございます。でも……」

 礼を述べるエクシアであったが、その心は決まっていた。

 

 翌朝、足早にエクシアはコークス博士のラボを後にした。

 不本意ながら助手のバラッティと共に見送ったコークス博士であったが、すぐにあらためてコネのある騎士達に連絡を取ってみたのだが、どれも結果は芳しくなかった。

「やっぱり、朝は引き留めるべきだったかね」

「でもエクシアの事だから何が何でも探しに行くと思います」

 打ち拉がれたように机に突っ伏した主人の様を見かねたのか、助手のバラッティが慰めるように声をかけた。

「愛する人の元へ一日でも早く帰りたい気持ちは、女として理解できるけど無茶だけはしないでくれよ」

「まったくです」

「ところでエクシアの潜入プランは? 足取りは?」

「はい。いつもの方法で現地入りするようです。((残念ながら|・・・・・))空きがあったようです」

「引き続きトレースは続けておくれ」

「はい」

 コークス博士は机から立ち上がると、部屋に飾られているいくつもの写真の中から、エクシアの写真を手に取った。

 それは幼少のエクシアがコークス博士や、何人かのファティマ達と一緒に写っているものだった。その中には自分が手がけたファティマや、師匠であるクローム・バランシェのファティマも含まれていた。

「……イエッタ」

「博士、どうしました?」

「いや、なんでもない」

 コークス博士はすぐに頭に浮かんだプランを破棄することにした。

「(駄目だ。ファティマでも人間でもない彼女の保護のためだけにバビロン王に頼るわけにはいかない。それにA.K.Dも((今は|・・))動けないはずだ)」

 バラッティは写真を凝視したまま何事か思案に耽っているコークス博士に自分の意見を述べるべきか悩んでいたのだが、それに気がつかない博士ではない。

「どうしたんだいバラッティ? 今は妙案が欲しい。何でも言ってくれ」

「いえ、残念ながら妙案ではないのですが」

 エクシアの写真を元の場所に戻すと再び机に戻り、バラッティと向き合った。

「コークス博士、私はファティマといえども男性型ですから、本当のところ、所謂、女性の気持ちは良くわかりません」

 何も言わず博士は小さく頷く。

「私はダムゲートコントロールは施されている身ですが、一応男性の立場からというか、個人的な意見を述べさせて頂きたいのですが」

「ほう。良いよ」

 バラッティは助手として意見をすることは普通にあるが、『男性』という部分を強調して話をしてきたのは、珍しいことだった。

「エクシアが私達に話してくれた『ELSと対話をしたという男性』についてです」

「今時珍しい堅物というあの男か。今にして思えば惚気話だったわけだが、彼がどうした?」

「まぁ、確かに我々も惚気話に付き合わされましたが、おかげでこの男性の考えていることが分析できました」

「……もしかして」

 コークス博士は目を細めた。バラッティが何を言わんとしているのか読めてきたからだ。

「そのもしかして、です。私がエクシアを遠い宇宙に失った『彼』の立場だったら、という事です」

「なるほど!」

 コークス博士は思わず膝を打った。バラッティは長年連れ添った助手ということもあり以心伝心ということもあるが『彼』というキーワードで全てを理解できた。

「ELSと対話をするために遙か彼方の宇宙まで乗り込む男が、何もしないでただひたすら女の帰りを待つわけはない。そう言いたいのだな?」

「はい、そのとおりです」

「しまった。この話を昨日伝えていれば少しは出発を遅らせることが出来たかも知れないね。それにしても迂闊だった」

 コークス博士は悔しかった。

 確かにエクシアの足止めをするための時間稼ぎの材料としては有効だったかもしれない。しかし、それ以上に大きなミスをしていたかもしれないのだ。

「とは言え、博士はどう思われますか?」

「来るね。間違いなく」

「は? ああ、なるほど」

 バラッティが自分の主人が間髪入れず断言した理由を察した。

 通常の思考であれば、どこの宇宙にあるのか、本当にあるのかわからない世界から、女一人を救うために男が乗り込んでくるわけがないと考えてしまうだろう。だが、コークス博士と助手のバラッティは違っていた。特にコークス博士としては16年前、((有機コンピューター|ファティマ))((生産工場|ファクトリー))テロ事件現場で遭遇した光景が目に焼き付いて離れなかった。

 最終的にはテロ事件として片付けられたが、本当の詳細についてはバラッティにすら話をしていなかったのだ。

 ((唯一の生存者|・・・・・))であるコークス博士は事件調査の拘束を解かれると、すぐに自宅に逃げ帰るように戻ってきた。その時に博士が連れてきたのがエクシアである。

 

「あの夜。私とエクスシアは死を覚悟した。サタン達のライフルで私達は蒸発していたはずだ」

 コークス博士は目を閉じると、あの夜の光景を思い出す。

-5ページ-

 サタンは六本の指で保持するライフル銃のトリガーに指をかけた。

「し、師匠」

 コークス博士は((終焉|最後))の言葉を身体の奥底から絞り出すように発したところで意識は終わっていた。

 

 

「……痛、やめて、私の眼鏡を引っ張るのは!?」

 何者かが眼鏡や髪の毛を引っ張っているらしい。ついにチクチクした痛みに耐えきれず目を覚ました。

「ちょっと、痛いでしょ!」

 ガバッと顔をあげてみると、赤ん坊が髪の毛を引っ張っているところだった。

 俯せに倒れていたらしい。服も煤と埃だらけだ。

「だぁだぁ」

「痛いからやめなさい」

「だぁだぁ」

「いい加減にしないと怒るわよ!」

 赤ん坊の手を振り払うと、向き直って叱りつけた。

「寝ている人の髪の毛や眼鏡を引っ張ってはいけません。良いですか?」

 赤ん坊は一瞬キョトンとしたが、泣きもせずに反対にニコニコしだした。

「わかってくれたのかしら? それなら良いけど……うん?」

 ここで冷静に自分たちの置かれている状況を整理した。

「あの夜、((生体コンピューター生産工場|ファティマファクトリー))に赴いて、この子を預かることになった矢先、化け物に襲われて工場は火災に包まれて、それで……」

 コークス博士は赤ん坊を抱きかかえると、恐る恐る辺りを見回す。

 火事はすでに鎮火していたが、幼体から成体までの((生体コンピューター|ファティマ))達の亡骸や焼死体が瓦礫と一緒に埋まっていた。工場の従業員も同様だった。化け物の迎撃に勇敢にも出撃したMHやドーリーも今は見る影もない。

 そして自分の両腕に抱かれている赤ん坊だ。先ほどまで脈拍が弱く瀕死の状態だった、ハズなのだ。今は力強く脈を打っており、表情豊かに愛想を振りまいて居るではないか。

「そいえば((悪魔達|サタン))は!? 奴らはどこにいった?」

 工場を襲撃したと思われる悪魔達を探したが、周囲にはいない。

「一体、どうしたというのだ? あ、」

 ここで大事な事にはじめて気がついたのだ。腕時計を見るとまだ深夜だったのだ。

「でも、この明かりは……」

 背筋が凍る思いだった。やはり自分たちは死んでしまったのか? ここはあの世なのか? と思った時、上空から光の粉がキラキラと降ってきたのだ。

「……この光の粒子は?」

 コークス博士の両腕に抱かれた赤ん坊がキャッキャッ、キャッキャッと一生懸命、光の粒子を掴もうと騒ぎ出した。

「ちょ、ちょっと暴れたら危ないでしょ! 少し、大人しくしなさい」

 コークス博士が無邪気に手をブンブンと振り回す赤ん坊の手を握ったとき、ある違和感を覚えたのその時だ。

 しかし、今は上空から降り注がれる光の粒子が最優先である。博士はゆっくりと空を見上げると息を呑んだ。

 翡翠色に輝く光の翼を広げた巨人がそこにいたからだ。

「……て、天使!?」

 博士は眩しすぎて目を細めながら見上げるが全体像が把握できない。それが余計に巨人に神秘性を与える結果になった。

「貴方が私達を救ってくれたのかい? あの悪魔達はどこに!?」

 聞きたいことは沢山あった。しかし、天使は何も応えようとしない。

 反対に天使はゆっくりと周囲を見回すように旋回しながら上昇を始めたのだ。

「ま、まって!」

 だが、博士の声は天使には届かなかった。翡翠色の光の翼を一際大きく広げると一気に夜空を駆け上がっていったのだ。

「……な、なんだったの!?」

 困惑するコークス博士と対照的に赤ん坊は夜空に向かって何度も手を振っていたが、博士がそれに気がつくのは大分後になってからの事である。

 光の矢と化した天使は闇夜に消えていき、取り残されたコークス博士と赤ん坊は再び夜の闇に飲み込まれてしまった。

 

「……リ…………はか……」

「……コ……博士」

「……ズム・コークス博士」

「プリズム・コークス博士!」

 何度目かの呼びかけに彼女の意識が再び覚醒をはじめる。

「……だ、だれ!?」

「プリズム・コークス博士、しっかりして下さい」

「君は誰だ?」

「ご安心下さい。我々は((連邦公安騎士団|S.P.I))です」

 コークス博士が瓦礫の山から救出されたのは翌朝のことであった。工場火災の一報がもたらされたのは早朝の事だったが、大統領令で連邦公安騎士団S.P.Iとレスキュー部隊が押っ取り刀で駆けつけてくれたのだ。

 救出されたコークス博士は右足を捻挫こそすれ比較的軽傷だったが精神的にはボロボロだった。

「この手に抱いていたはずの赤ん坊も、あの天使もすべて幻だったというの……」

 コークス博士の下にさらに悪い知らせが入ったのは仮設テントでの治療の最中だった。博士を救助した近くから赤ん坊を発見したという報告が入ったのだ。

 S.P.Iの制止を他所に、右足を引き摺りながらも現場に赴いたコークス博士は危篤状態の赤ん坊と再会した。

 赤ん坊は自分の白衣に包まれた状態であった。白衣は汚れこそしていたがどこも破れていないようだ。

「コークス博士、残念ですが……」

 レスキュー隊員は力なく首を横に振る。

「どうしてこんな事に……」

 コークス博士はレスキュー隊員から赤ん坊を譲り受けると優しく抱きかかえた。外傷こそなかったものの、手渡されたときはすでに心肺停止状態であった。ハンケチで汚れた顔を拭いてやるが、よく見ると赤ん坊は苦しそうな表情ではなく笑顔のままだった。

 その場に居た全員がいたたまれない気持ちになったのは言うまでもない。コークス博士は優しく赤ん坊を抱きしめた。その時だ。全身に稲妻のような衝撃が走ったのは!

「……そうか、君は、そういう事だったんだね」

 赤ん坊を抱きかかえたまま、遂にその場でうずくまるように泣き崩れてしまった。

「……コークス博士」

 

 工場火災は類を見ない凶悪なテロ事件として取り扱われた。

 その後のS.P.Iの調査により、テログループは戦闘艦による衛星軌道上からのバスター砲による地上攻撃を行っていた事が判明。だが、なんらかの原因で上空でバスター光弾が暴発。これにより工場そのものの消滅は免れたものの火災が発生した。

 次に砲撃作戦に失敗したテログループは((MH|・・))を地上に送り込み破壊活動を実施。

 だが、テログループの組織や犯行目的はもとより、使用した艦船及びMHについての種類及び機種について証拠を見つけることは出来なかった。

 勇敢にもたった一騎で立ち向かいながらも殉職したMHイザットの騎士とそのパートナーは星団史に名を残した。

 コークス博士は((危篤状態|・・・・))であった生体コンピューターを当初の予定通り集中治療のため自宅ラボに連れ帰ったのだが、やはり残念ながら手の施しようがなかった、と報告している。

 

 公式には記録されていないがコークス博士が((エクシア|・・・・))という赤ん坊を養女したのは丁度その頃だった。

-6ページ-

 再びコークス博士の意識は自宅のラボに戻ってきた。

 エクスシアを連れてきたばかりの頃は、我が師匠が生きていればきっと相談にのってくれただろう、と考えたりもしたものだが、今では((エクシア|・・・・))の相談相手はこのジョーカー太陽星団で自分しか務まらないと自負していた。

 16年前のあの夜。天使が私達が救ってくれたのは間違いない。エクスシアを助けることが天使の目的であれば私は託されたのだ、とコークス博士は当時を振り返りながら実感していた。

 エクスシアがレスキュー隊により発見された時は確かに危篤状態であった。だが、レスキュー隊員からコークス博士に手渡された瞬間、博士は両腕に違和感を感じていたのだ。

「あの時、エクスシアは仮死状態だった。私の両腕に来た瞬間、再び力強い生命の鼓動が聞こえたんだ」

 今でも両腕にはあの時の感覚が残っていた。

 

「バラッティ。そうなると問題は『彼』が何時来るか? だが、そう遠くはない気がするよ。いや、もう来ているかも知れない」

「博士、それは女の勘ですか?」

「何だ、わかっているじゃないか」

 コークス博士は立ち上がるとバラッティの肩を軽く叩くと再びエクシアの写真を手に取った。

「エクスシア、どうかマリナに力を貸してあげておくれ。お前達は二人で一人なんだからね」

-7ページ-

 エクシアがコークス博士のラボから出発して三週間が経過していた。

 

「先生、さようなら〜」

「はい、さようなら。ディグには気をつけるのよ」

「は〜い」

「明日から連休だからといって寝坊は駄目よ」

「先生、母ちゃんと同じ事言わなくてもいいやん」

 その女性教師は下校する子供達一人一人に教室の出口で声をかけていた。

 教室も小さいこともあり子供の人数はそう多くはないが、教師は気を配りながら声がけしていた。

「お休みの間は先生は彼氏とデートなの?」

「残念。彼氏は居りません」

「先生、それなら俺が」

「そうね。大人になってからご応募下さい」

「それまで待ってくれるの!?」

「馬鹿じゃないの。イスマイール先生みたいな美人が売れ残っているわけないでしょう!? さっさと帰るわよ」

 気の強い女の子に件の男の子が耳を引っ張られながら連れて行かれたのが最後だった。

「ふぅ。今日も無事に終わったわね」

 教壇に戻ると出席簿を手に取った。

 彼女はそのまま教室の窓側に立つと下校する子供達に目を向けると誰にも聞き取れないような小さな声で何かを呟く。彼女の左手首のブレスレットだけがそんな彼女の秘められた思いを静かに受け止めていたのだった。

-8ページ-

後書き

最後まで読んで頂きまして、誠にありがとうございました。

今回は地球年齢で10代後半の容姿のマリナ様は、なんと廃棄処分扱いだった!?というお話しでした。

最終ページは第11話の続きになります。

コークス博士がサラッとばらしていますがエクスシア=エクシアは紛れもなくマリナ様です。

ドアを蹴破ったり騎士相手に手刀の一撃必殺と随分とアグレッシブになったマリナ様。その辺りの秘密もサラッとコークス博士が説明していますが、きっとどこかで詳しい話を聞かせてくれるでしょう。

 

 マリナ様はどうやら小学校の臨時教師か何かの設定で潜り込んでいる模様です。マリナ先生は小学校低学年を受け持っているようですが、FSSのジョーカー太陽星団と地球時間では時間の流れが大きく異なります。

 ジョーカー太陽星団では90歳でだいたい地球人の20歳なのです。そのため学校教育も小学校16年、中学校8年、高校8年、大学10年と非常に長いようです……。

 

マリナ様も無事再登場しましたし連載も長引いていますので、一旦ここで登場人物を整理します。

 

・ログナー

 とある密命により暗躍する騎士。ジョーカー太陽星団や地球、様々な世界に登場するが、魂はすべて同じである。

 エクスシアと同じくアイエッタ姫の全能細胞から生み出された「作られし者」の一人。

 サタンを退ける事が宿命となっている。

 毒舌家ではあるが実は意外に優しく刹那とマリナの行く末を案じている。

 当作品でも最強の騎士。MHが束になっても勝てません。相手がL.E.D.でも結果は同じ。苦労人一人目。

 

・エクスシア

 ログナー同様、アイエッタ姫の全能細胞から生み出された「作られし者」の一人。

 ただし、DNAの突然変異により女性として生まれてしまった。

 ログナー同様、サタンを退ける事が宿命となっている。

 本来の戦闘能力はログナーと同等であるが、ドウターチップによる恩恵を受けていないため『魂の転生』を行うしか命をつなぎ止める方法がない。

 そのため転生先の時代と人間の基礎能力に影響されるため騎士本来の力を発揮する事が出来るかはその時々による。

 サタンと戦う事が出来る騎士を見いだす能力や、もしくは当代の自分の能力と引き替えにサタンを駆逐する騎士を文字通り『生み出す』能力を持っている。

 騎士を任命する前に、男性と契りを結ぶとその力を失ってしまい、最悪の場合、サタン達にその世界は蹂躙されてしまう事になる。 ELSと同化した刹那をサタンと戦える騎士として見いだしたが、刹那の地球への帰還が意図的に遅らされた事により転生先であったマリナの寿命が先に尽きるかに見えた。しかし、マリナの魂と一緒にジョーカー太陽星団へと転生することになってしまった。

 

・イエッタ

 ログナーの奥さん。ソーニャ・カーリンは地球上で活動するためのコードネーム。

 一緒にMHに乗り込んだり、営業部長やったり、大尉だったり多忙な人。

 苦労人二人目。

 

・ラキシス

 クローム・バランシェ博士の44体目のファティマ。

 正確には祇妃・ラキシス・ファナティック・バランス・天照・グリエス。

 ラキシスはMH ナイト・オブ・ゴールドと共に宇宙を旅していたが、地球でイオリア・シュヘンベルグに出会ったことで歴史が大きく変わってしまった。サタンに命を狙われている。

 

・ワルツ・エンデ・バビロン5世

 とある事情で死んでしまったがドウター・チップにより復活した3人目のファルク・ユーゲントリッヒ・ログナー。

 エレーナの上司。

 

・エレーナ・クニャジコーワ

 バビロン王国騎士団所属の女性騎士。密偵や潜入工作を担当するが上司がログナーのため苦労させられている。

 ミス宇宙軍とミスA.K.D.に選ばれるほどの美人さんです。

 

・ミレイナ・ヴァスティ

 新鋭MHマイト。見た目は160歳位なのだが、お歳はすでに240歳を超えているらしい。語尾の「ですぅ」は相変わらず。

 彼女の開発したMHはラキシス・ガード用MHと採用され、後に天照帝から型式認定されている。

 

・お嬢様

 ログナーとイエッタのボス。刹那とティエリアのみならずELSダブルオークアンタもその正体を知っているらしい?

 

・カーレル・クリサリス&ティータ

 ログナーとイエッタの真のボスである天照帝により送り込まれた苦労人達。現在はスメラギさんとカティ、シーリンのお茶仲間。

 

・スペクター&ポーター

 ミラージュ騎士団右翼大隊No.8。空中宮殿お抱えの道化師。実はジョーカー太陽星団の創造神。刹那やログナー達を面白可笑しく観察している。ジョーカー太陽星団でのラキシスの遊び仲間その1。

 

・カマル・マジリフ

 バビロン王国騎士団所属の見習い騎士。パートナーのファティマがいないため半人前扱いされている。

 剣技についてはログナー、対MH戦についてはカーレル&ティータ直伝という((英才|スパルタ))教育を受けている。しかし、今の彼の立場はラキシスの遊び仲間その2であった。

 

・エクシア・C・イスマイール

 プリズム・コークス博士の養女であり、教員免許を持つ現役女性教師。ある目的のため僻地の小学校に臨時教諭として潜入している。

 

不定期ですが次回もよろしくお願いします。

説明
 16年前発生した工場火災。偶然にも現場に居合わせたプリズム・コークス博士はその火災の最中、一体の廃棄物を回収する。
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