丁様のおはなし
説明
蝉の声が五月蝿い昼下がり。

鬼灯は、富士山の見える山奥をぶらぶらとしていた。
巷はお盆である。最近の暑さで現世も色々とてんやわんや、地獄でやるべき業務もうんと増えてしまい、現世視察が今日まで延びに延びてしまった。夕方には帰って大仕事をせねばならない。
「…嫌になるほど、いい天気ですね」

ふぅ、と息をついた。青空。道に沿って鬱蒼と茂る木々が、足もとに深い影を落とす。横道にそれて、ゆっくり山へ登った。

なぜだか鬼灯にとって、抜けるような青空は心を変にざわつかせる。

鬱蒼とした森に入ると安心する。普段地獄に空がないせいか。やはりいつもの環境に近い方が合うよう。
とんだワーカホリックだ。

しばらくして現れた、「休憩所」と書かれた山小屋。古びた引き戸を開けて、優しそうなおばあさんがひとり登山客を見送っていた。

「すみません、水、頂けませんか」
声をかけると、一旦姿が見えなくなり、慣れた手つきで「はい、はい」とにこにこしながらコップに水を汲んで、ほいと手渡した。
「学生さん?東京から来たの?」
やはり登山客には見えないらしい。水を飲みながら「ええ、まぁ」と言った。

ふと見ると、おばあさんの手に花束と手桶が握られている。
「仏花ですか」
「ええそう。うちの主人がお墓にいるからね。ほんとはお盆の初めにやっときたかったんだけどねぇ、なぜだかお客さんが多くて、忙しくて」
「手伝いましょうか?水桶は私が持ちます」
「あ、そう?悪いわねぇ、ありがとう」
おばあさんと並んで、森の中に続く一本道を歩いた。刻々と空気が冷え、暗くなる。蝉の声が木霊す。

暫くして林の向こうに明るく開けた場所が見えた。墓石や卒塔婆が並ぶ。
墓場だ。
お供えの大きな牡丹餅を烏が突っついている。

「ちょっと待って、チョウサマにお参りしていくから。学生さんも拝んでってくださいな」

背中を押して促されるまま立った。
並んだ墓石の隣にある、白い岩でできた小さな石像の前だった。
「これがチョウサマ、よ」

 一瞬、目を疑った。
「これって…」

僅か5〜7歳くらいの少年の姿の石像。
うつむいた端正な顔は、小さく微笑んで目を閉じ、手を胸の前で合わせて立っている。榊の葉と細い注連縄の髪飾りが重たげに、長く伸びて左右に分けられた前髪にかかっている。そして、首にかけられた勾玉の首飾りの下には、死装束である、右前の襟の服を纏っていた。

思わず、よろっと後ろに下がった。
「どうしたの?」
何も言えぬまま、隣にある立札に目を走らせる。朽ちかけた札の文字はほとんど読み取れないが、最初に「丁様」と書かれていることだけ、わかった。
「丁様はね、この村の守り神なの。今はもう、この辺の人しかお参りには来ないのよ、寂しいわ。ここには丁様のいわれも書いてあったんだけど、もうほとんど読めないわ」

「…どんなものですか、その…いわれとは」
やっとのことで言葉を絞り出した。

「この辺りには、古い言い伝えがあるの。

昔、この辺りには小さな村があって、細々と田んぼを作って暮らしていた。
ところがあるとき村が飢饉に襲われて、雨がずっと降らず、田んぼも畑も干上がってしまった。
困った村人たちは話し合い、雨乞いの生贄を出そうということになってね。
ところがどの家も娘を出したがらなくて、代わりに白羽の矢が立ったのが、小さな召使いの男の子だったの」

ぐらりと、心が揺れた。それは、それは、まさに――
――私だ。

「その子は、召使いという意味の『丁』と呼ばれていた。身寄りがなく、よその村からやって来たみなしごだった、その理由だけで生贄にされ、最後には村人への恨み言を遺して亡くなった。
その後、村が大雨になって洪水が起こり、みんな流されてしまった。ところが、丁に目をかけていた2人の召使いだけが、夢枕に立った神様のお告げのお陰で避難でき、助かったので、その子が助けてくれたに違いないと、『丁様』として祀った、と言われているのよ」

言葉が出ない。
恨みによって鬼に成り果てた自分が、知らない所で神として勝手に祀られていたなど、知って動揺しないわけがなかった。

もう一度、像を見やる。

顔立ちにはやはり作り手の手癖が現れるから顔は似ていない。
しかし出で立ちは、生贄にされた時の自分そのものだ。

あの時自分は、あんな安らかな顔をしていただろうか。

やっと思い出した。果てしない青空が嫌いな理由。自分が死ぬその間際に見ていた色。

一口でコロッとは死ねなかった。祭壇の上で毒杯を仰ぎ、内臓を全て吐き出しそうな苦痛でも死ねなかった。動けぬまま天を虚ろに見つめ続け、3日かかって餓死した。そして恨みの感情から鬼火を呼びよせ鬼となり、黄泉へ渡ったのだ。

思わず顔を上げた。高い空の陽は西に傾いていた。

「どうしたの」
おばあさんが心配そうに覗き込んだ。うつむいたが、動けなかった。
「…泣いてるの?」
言われてから気づいた。頬を一筋、水滴が流れ伝って落ちていた。

今まで、物心ついてから、泣いたことなど一度もないというのに。
恐る恐る指で拭った涙は思ったより熱かった。

「綺麗な顔が台無しよ…学生さん、丁様によく似ているわ」
おばあさんはハンカチを探している。唇を噛みしめて、ただ首を横に振った。
「…私はそんな、綺麗な存在ではありません」
日暮らしの静かな声が、僅かの沈黙の間に響く。

「…どうしましょう、置いて来てしまったみたいだわ」
「…何をです。ハンカチをですか」
「いいえ、わたしを」
おばあさんは自分を指さして困ったように笑った。その姿は少し透けている。
ここのところずっと暑くて、今日も小屋にこもっていたからかも、とおばあさんは笑う。
「…そうですか」
悟った。そして、今なら話しても憚られないと。

被っていた帽子を取り払った。黒い髪がばらばらと細く風になびく。紅い夕陽がくっきりと横顔に影を落としている。
おばあさんは当然驚いていた。
「まぁ、貴方、それは…」

「私は、地獄から来た鬼です。かつてここで、身勝手な村人に生贄にされ、怨みで鬼に成り果てた」

「だから、神と呼ばれる資格など微塵も無いのです」

おばあさんの手がそっと触れた。ごつごつ、角ばった、けれど温かい手。
「そんなことないわ。とっても綺麗よ」
夜空には星が零れはじめる。

堰を切ったように、色々なことを話した。
他人だから話せるというのは多分こういう事なのだろう。

生きている間の辛かったできごと。死ぬ前の苦しみ。地獄に来てたくさんの仲間に恵まれたこと。地獄の一員として昼夜働く充実した生活を送っていること。何より、今誰よりも慕っている人に、素敵な名前をもらったこと。
ゆっくり頭をなでて、よかったねとうなずいて、もう一人息子ができたみたい、と嬉しそうに笑った。

陽はすっかり傾いた。
もう一度、丁様の像に手を合わせた。涙はこれで最後にしよう。
「帰ったら獄卒の皆と仕事をせねばなりません」
「盂蘭盆だものねぇ。落ち着いたらあの世の裁判で、あなたの仕事ぶり、見れるかしら」
「さぁ、どうでしょう…では、逝きますか」

小さな神様は、2人を見送った。「よかったね」と呟いて、踵を返す。
日暮らしの合唱は終わりなく続いていた。
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