恋姫†無双 八咫烏と恋姫 3話 紀州人、曹操の瞳に見出ださんとするのこと |
恋姫†無双 〜孫市伝〜
「くすぐったいよ・・・アニキ」
冀州勃海の昼である。その地にある城の一室で猪々子の笑い声が聞こえる、ときおり色気交じりの声が部屋の外に漏れるのである。それを戸を隔てて聞き耳立てる女がいた。斗詩だ。
少し前、猪々子の部屋に入って行く孫市を見かけたので、当然気になる斗詩は外から中の気配を探っていると猪々子の色っぽい声が漏れてきたのだ。自分だけでなく、猪々子にも手を出したのか。もしかすると麗羽様も、と斗詩は考えて止めねば、と考えるよりも身体が動いた。戸を蹴破って寝台の方へ向かうと孫市が猪々子の身体を按摩していた。
「孫市さん何してるんですか!!」
孫市は、くるりと斗詩を一瞥して一言。
「こやつの顔を見よ」
と、猪々子の顔を指差す。斗詩は彼女の顔を覗きこんだ。もろはだ脱いだ猪々子の顔はとろけるように綻んでいる。こんな顔だったか、と斗詩が思うほどだった。それほど顔の人相が変わっていたのである。
「先日のぬしもこやつと同じ顔をしておったぞ」
先日のことを思い出すと斗詩の顔は真赤になる。孫市はその傍を引っ掻くような下品な笑いを漏らしながら通り過ぎ、何事も無かったように部屋から出て行った。斗詩は孫市にも頭に来ていたが、こうも幸せそうな顔をして寝ている猪々子にも頭に来ていた。
「猪々子!!」
猪々子の耳元で怒号を発すると、彼女は飛び起きて斗詩の姿を見ると胸元を隠すより顔を隠して狼狽していた。
「うわ斗詩!? 何でいるんだ!? アニキは!?」
既に孫市は城を抜け出して町に繰り出そうとしていた。門を潜り抜けると門番の兵に止められた。
「鈴木殿」
「なんじゃい」
「袁紹様がお呼びです」
麗羽が孫市を呼び出す際には毎度門番に託けをしていた。放浪癖のある孫市でも必ず門を通るからである、一度城から出てしまえば帰ってくるまで見つけられないからこの仕事は門の見張りより重要になっていた。
「心得た」
今は麗羽の客将であるのだ。さすがの孫市も呼び出しがあれば必ず従った。向かう途中で馬超に会ったが早足で逃げられた。
まだ嫌うか、自分が悪いから文句は言えないのだが、もうそろそろ許してほしいものだ。
孫市が向かったのは評定で使われる部屋である、孫市が仕えてから何度か行われているが呼ばれたことは一度もない。それがなぜ呼ばれたのだろうか、疑問に思うが内政関係ではないことはわかる。
評定の間に大きな身体をぐぐっ、と畳んで入ると武官文官共々、孫市の見知らぬ顔も何人か居る。
「孫市さんも来ましたことですので、始めましょう」
孫市は空いていた端の席に座ると評定が始まった。話を聞くと、どうやら先日の山賊のことだ。退治でもするのだろう、そう頭の隅で思っているとどうやら違うようである。退治することは退治するのだが別の軍がやるらしい。
「昨日、曹操さんから文が届きましたわ」
斗詩がその文を読み始めた。それによるとその曹操の軍が朝命で賊退治を命じられたのだが、ここの南の山まで逃げてきたのだという。町の外に暫くの間滞在する許可と食糧などを分けてくれとのことだ。
「・・・曹操」
その名前を、孫市は何処かで聞いたことがある気がした。
孫市は書という物を読まない、字も達筆な者が書いた字は読めなくなるほど文学には疎い。知識を得るとすれば誰かからの口授であった。曹操という名も誰かから聞いたことがある、と孫市はおぼろげな記憶を手繰り寄せるが名前以外が浮かばなかった。
賊の規模は五百人とのこと、孫市にとっては久しぶりの戦さであった。当然我々の軍も出陣するのだろうと思ったが、兵は出さないと麗羽や文官たちが言うである。どうやら麗羽と曹操とやらは不仲らしいのが言動から取れる。だからといって見ているのは如何なものか、孫市が立ち上がって提案すると馬超も賛同してくれた。
「曹操さんには駐屯する場所も食料も貸すのですよ。それ以上のことをする義理もございませんわ」
「そうじゃが・・・」
孫市はただ戦いたいだけであった。馬超もそうであろう。
「麗羽様。相手は賊ですが我らの領土を侵しているのですよ。徹底的に叩き潰すべきです」
「斗詩の言う通りっすよ麗羽様。ここはアニキたちに曹操を手伝わせるといいと思います」
「ふむ、そうですわね」
二人だけでも兵を出したことになる。賊退治に袁紹も協力したと曹操も朝廷に報告することになるのだ。他の将たちも孫市と馬超の腕は評価していたので大した不安もなく、了承したくれた。
「なら、ここであの貧乳小娘に孫市さんと馬超さんの力を見せつけて驚かせてあげましょう。あの鉄砲とやらで曹操さんの腰を抜かせてあげなさい、孫市さん」
「任せておれ、のう馬超」
「私だけで十分だって。足を引っ張るなよ」
町の外に曹操の軍が陣を構える場を提供し、兵糧を提供する。そして孫市と馬超を手助けとして曹操の元に送る。それで評定は終わった。曹操は明日到着とのこと、孫市は明日のことを話し合おうと馬超を昼飯に誘ったが断られた。しかし奢ってやると言うと付いてきた。店は最近見つけた肉の旨い店である、ここの働いている娘が目当てで来たのだがそれ以来はまってしまったのだ。
「ここの肉は旨いぞ」
食えるだけ食わせてやる、そう言っていたので馬超は次々と注文するのだ。このおなごは遠慮というものを知らんようじゃ、孫市でも思う。
「お主、初陣済ませたかのう?」
「ああ、昔父ちゃんと山賊を退治したんだ」
「ほう、父上とな。じゃが此度は曹操とやらの指揮下じゃ。勝手は違うがいくさ上手と聞いておる、下手をせんかぎり安心じゃろ」
孫市は肉まんをかじり、肉の入った汁も飲む。そしてぷはっと、なんとも幸せそうな息をつく。馬超は気楽な男だと心底思う、自分も剛胆と言われるがこの男は胆が据わっているというよりもこれが日常の一環といった佇まいだ。
「なんじゃ馬超? 曹操とやらが信用できんか?」
「いや、そうじゃなくてさ・・・」
「お前は武者修行をしとるんじゃろ」
「まあ・・・」
「自分の親だけが優れた将ではないからのう、様々な諸侯を見て父の役に立たせれば良い孝行なるじゃろ」
「うーん、そうだよな。父ちゃんにも同じこと言われたし」
「じゃから曹操の采配ぶりをよく観察することじゃ。おい娘、酒じゃ」
孫市は近くにいた店の娘に声をかけた。
「おいおい昼間から」
「飲んだ内に入らんわい、ここの酒は」
城に戻ったのは夕暮れであった。
知らぬ者が見れば孫市の妹に見えかねない馬超に肩を借りて歩く大男は酷く滑稽な光景であったであろう。
千鳥足で歩く孫市が危なっかしいので肩を貸した馬超だが孫市の巨体があっちに傾き、こっちに傾いて何度も倒れそうになる。孫市は馬超の耳元で息を吐くような声で、いくさはまだか、と言うのである。これが何度もむずがゆいが孫市を支えているので耳を防げない。
「鈴木、止めてくれよ」
「いくさじゃ〜」
城に着いたら門前に捨てておいてやろう、と馬超は決めた。むずむずするのを耐え、孫市を引き摺るように連れて行く。孫市は馬超の耳を舐めてしまいそうなほど顔を近づけている。
「・・・重いって」
孫市が酒好きなのはよく知られたことであった。
高価な酒を飲んでも孫市は、堺で飲んだ葡萄酒が一番、と酒にはうるさい。さらに一度飲むと止まらないので酔い潰れた孫市を寝台に運ぶのは兵士たちの仕事になっていた。もうこのまま放置していこうかと馬超が思い始めたころ門のあと少しの所まで来ていた。ほっと一息ついて立ち止まると孫市が馬超に覆いかぶさった。
「鈴木!?」
顔の赤い孫市が馬超の顔を見詰める、その眼は好色な眼差しじゃない。少年のような清らかさがある。
「凛々しい眉じゃ」
馬超の太い眉を指でなぞる。
「こ、こんな所で・・・!」
馬超は歯を食いしばって目を強く閉じた。こんな所でこんな男に、門番の兵が事態を察知して助けに入るが孫市は馬超の上からびくともしない。
「鈴木殿、このような場所では!!」
「馬超殿が困っています!」
「見世物ではないぞ〜」
「なんて力だ。助けを呼んで来い!」
門前で一悶着起きた翌日、曹の字が書かれた旗を立てる天幕が町の外に幾つも貼られていた。孫市は頬にできた引っ掻き傷を撫でながら昨日何があったのか思い出せなかった。
今朝、馬超と顔を会わせると問答無用で引っ掻かれたのだ。自分が一体何をしたのだろうか、斗詩にそれとなく聞いてみると同じ頬を平手打ちされた。町を囲う壁から身を乗り出して孫市は曹操軍を眺めていた。官軍に従順しているらしいが兵の装備も質も高そうだ。
「あら孫市さん。ここにいらしたの」
「おお、お主らも見に来たのか」
麗羽の後ろに猪々子、斗詩、馬超と近衛兵が数人いる。孫市は零れるような笑顔を浮かべながら手を振って彼女らを迎えた。
「孫市さんと馬超さんはこれを持って曹操さんの所へ行ってもらいますわ」
麗羽はそう言って、丸めた紙と折り畳んだ文を孫市に渡した。これは何だ、と視線を送りながら受け取る。
「それはあの山一帯の地形を記した地図と、貴方たちを無事に返すようにと念を込めた文ですわ」
「ほう、わしの為を思おてか」
麗羽をからかう様に笑うと馬超を掻っ攫うように担ぎ上げた。
「ちょっと孫市さん。何処に行くのですか?」
「曹操とやらの顔を拝んでくる」
「なんで私まで、出陣するまでまだだぞ。てか降ろせよ!!」
肩に担いだ馬超の尻を、ぱん、と叩いて黙らせると駿馬のように走り去ってしまった。防壁から降りると孫市は馬超を担いだまま曹操の陣中に忍び込んだ。これでいて意外と隠密行動は得意なのである、曹操は麗羽の口振りから貧乳の小娘と分かっていたのでそれらしき人物が居ればすぐに見つかるだろう。
「見えんぞ、見えんぞ」
あの一際大きな天幕だろうか、物資の入った木箱の陰に隠れて様子を伺っていると堪りかねた馬超が孫市に話しかけた。
「なんでコソコソしてるんだよ。堂々と行けばいいだろ」
孫市は、黙れと言うように馬超の尻を撫でた。そして、おなごに夜這いをかけているようで面白いと言うのである。この変態、と馬超が顔を真赤にして言うのも無理はない。だが、いかんせん真赤な羽織と真白な革袴の巨体は目立ってしまう。すぐに出陣準備をしていた兵たちに見つかると馬超共々にひっ捕らえられた。その時の孫市の顔は酷く上機嫌であった。もしかしてわざと捕まったのではないだろうか、当然のように縄にかけられ、曹操の天幕に連れていかれる。
気の強そうな女性と、落ち着きのある女性が二人の膝を付かせた。姉者、と落ち着きのある女性が言うので二人は姉妹なのだろう。孫市は姉の方を食い入るように見ていた。
「華琳様。曲者が紛れ込んでいました」
孫市の見上げた先に金髪の少女が座に腰かけていた。この地の王はみな金髪なのか、とくだらないことを思ってしまった。それよりも本当にこの小娘が軍を率いているのかと思う方が強かった。この地は男よりも女の方が優れているのだろう。麗羽の仕えた最初のころはやや驚いていたが今となってはもう当たり前になっていた。それに、この孫市が彼女の名を知っているのだ。
華琳とは曹操の真名なのだろう、隣の馬超が孫市を睨んでいるが無視して曹操に話しかけた。
「こりゃ曹操」
「無礼者! 曹操様と呼ばぬか!」
姉の方がそう喚くと、孫市の首に幅広の剣を近づける。
「止めなさい春蘭。この者たちは恐らく袁紹が文に認めていた助っ人ね」
「この曲者がですか!?」
「見たところ二人とも腕が立ちそうね。あの女にしては良い部下を得たわね」
「おう、そうじゃ。われらはお主らの手助けをしにきたのじゃ。わしの懐に地図と文が入っておる」
春蘭、名は夏候惇というこの女性は曹操の部下一の猛将である。もし孫市らが麗羽の客将でなかったら即刻首を跳ねていただろう。夏候惇は孫市の胸元に手を突っ込み、目当ての物を取り出して曹操に手渡す。畳まれた文を器用に開き、曹操は読み始めた。孫市はその指の動き、文字を追う眼のを動きを観察する。
「へえ、そこの貴女。あの馬騰の娘なの」
「知っているのか」
「ええ。何度か会ったこともあるし、武勇も聞いているわ」
馬超は単純に父を褒められて喜んだ表情をしていた。そして曹操は孫市の方に眼を向ける。
「で、貴方が鈴木・・・重秀と」
曹操は何とも変わった名前だなと思った。
「そうじゃ」
「腕は立つってことだけど、いまいち信用できないわね。ここに書いていることは本当?」
文には山賊百人相手に大立ち回りしたと、少し脚色して書かれていた。
「なかなか」
と、紀州訛りで孫市は答える。
「はあ、縄を解きなさい」
「はっ!」
曹操の命で夏候惇が孫市の縄を解き、妹の夏侯淵が馬超の縄を解いた。馬超は敬意を持って膝を付くが、孫市は大あぐらをかいて曹操を見上げる。曹操は孫市の眼を見て名乗ってもらいたいのかと思い、ゆっくりとした口調で応えた。
「私は曹操、字は孟徳よ」
曹操が名を名乗ると孫市は確信したように目を見開いた。
「わしはわれの名を知っておった。何でか知らぬがな」
孫市は曹操に向かってそう話し始めた。
言葉使いもさるところ、自分の主をわれ、と呼ばれて頭に来ない者はいないだろう、夏候惇と夏侯淵が背後から押さえつけようとするが曹操が手で止めた。続きを聞きたいのだろう。孫市も二人の動きを察知し、閉じていた口を開いた。
「このわしが名を知っているのだ。当然お主、いくさもめっぽう強いのであろう」
「ふふ。特等席で見せてあげるわ」
「楽しみじゃ」
「秋蘭。二人を一旦帰しなさい、武器も持ってきていないようだし」
「了解しました。鈴木殿、馬超殿。お立を、陣の外に案内します」
馬超が立ち上がり、次いで孫市が腰を上げた。曹操に白い歯を見せてくるり、と羽織を揺らして天幕を出ようとした所を曹操が止めた。
「待ちなさい鈴木」
孫市は振り返ろうとするが、そのままで、と言われたので孫市はただ立ち止まった。背の八咫烏が曹操を見詰める。
「その絵は・・・?」
「よう聞いた!」
孫市は飛び上がって曹操の方を振り返り懐から鉄扇を取り出すと、ばっ、と広げた。中心に赤い丸があるのが印象的の鉄扇だ。それを振り回し、まるで狂ったように踊りだしたのだ。そして歌を混ぜ始める。
「紀州雑賀の八咫烏。雑賀率いていくさ出れば、どんないくさも負けわせぬ。半時あれば城落とし、半日あれば国落とす。武辺者にはござあれど、添うて寝れば天下一雑賀孫市!!」
「・・・つまり?」
曹操の冷たい視線が孫市を貫いた。こりゃ怒らせたか、と頭をよぎったが飄々とした態度を変えようとしない。馬超が事態を察知して助け舟を出した。
「曹操殿。こいつは鴉に育てられたんで少し頭が可笑しいんです!」
「鴉が親ですって、ふふ。私としたことが、この男が例の八咫烏と思ってしまったわ」
「はいはい、ではこれで」
と、馬超が孫市を引き摺って天幕から逃げるように出て行った。夏侯姉妹も出口まで見届けるために後を追った。曹操は孫市の顔を思い浮かべながら、背後にいた軍師の荀ケに、真名の桂花と声をかけた。
「なんでしょう華琳様」
「ねえ、桂花。あの男どう思う?」
その言葉に荀ケは表情も変えずに答えた。
「ただの狂人かと。八咫烏と名乗る者は今や大陸全土におります。あの狂人もその一人かと」
「でも、流星がこの地に落ちたって噂があるわ」
「大方、袁紹が流した嘘でしょう。我が軍には八咫烏がいると。今回もその宣伝目的て我らに力を貸したのでしょう」
「まあ、いいわ。これがここ一帯の地図よ。今回は貴女に策を一任するわ」
荀ケは差し出された地図を受け取り、長机に広げた。
城に戻った孫市は自室でくつろいでいた。城に戻った直後は馬超に散々に言われたが軽く受け流して、出陣までのんびりしろと部屋に連れて来たのだ。だが、なぜか猪々子と斗詩もいる。
「アニキ。曹操はどうだった?」
「どうとか? うむ、あれはまだ餓鬼じゃ」
「そうですわ。孫市さんも私と同様に人を見る目がありますわね」
「麗羽様来てたんですか」
「おーほっほっほっほ! 暇でしたの」
いつの間にか部屋に入ってきた麗羽がいつものように高く笑った。孫市は麗羽の方を一瞥してから窓の外を見上げる。そろそろ陽が一番高い所に来るのを眺めながら曹操の顔を思い返していた。孫市はあの曹操に思う所があった。曹操の只事ではないような光を瞳に宿した者を他に知っている。
「信長じゃな・・・」
友人ではないが旧友を懐かしむように名を呟いた。あの小娘に信長の姿を垣間見たのだ。
この孫市はおなごを見る眼は衰えていないようじゃな。曹操に比べれば、ここのおなごはみな駄女にしか見えんわ。あの、世の先を見据えた瞳は、まさに天下を得るに値するおなごじゃわ。孫市はそう感じた。
「孫市さん、どうかしました?」
斗詩はいつになく静かな孫市を不思議に思った。
「いや、斗詩。気にすることじゃない」
適当に誤魔化して、馬超にもうそろそろ行こうと伝える。
「猪々子。わしの馬が何処か行かんかちゃんと見ておれよ」
「任せろってアニキ」
腰に剣を携え、大身の朱槍を右肩に担ぎ、鉄砲は三挺の内で、手近にあった一挺をもしもの為に左肩に担いだ。
何も鉄砲だけが孫市ではない、槍も刀の芸も心得ている戦さの専門家、熟練者である。金さえきちんと払ってもらえるならば日本全国どこへでも行った。もう何度出たか覚えていない程だ。小さな戦さから天下を分ける大戦さまで、落とした城は手足の指では数えられない。そもそも賊相手などに鉄砲を使うまでもないのだ。
「おい、馬超。背の八咫烏に付いてこい」
「お前の助けなんていらないよ」
「天邪鬼なおなごじゃ」
「どういう意味だよそれ?」
「・・・今度は漏らすなよ」
「ッ!! 馬鹿にしてるのか!?」
孫市は破顔するのを堪えながら麗羽たちに、手柄を立ててくる、と言って出て行った。
曹操の陣に着くと既に出陣準備が整っているのである。遅刻だが慌てずに飄々と、孫市は並んでいる兵たちの前を過ぎていく。
一見するだけで良く訓練されていると分かる。これを率いる将もなかなかなのであろう。兵たちの前の曹操、夏侯姉妹が孫市を睨んでいる。馬超はその大きな背に隠れて気づいていない。
「いやいや、遅れたようじゃな」
「大丈夫よ。貴方たちに私の兵を見せてあげようと思ったのよ」
曹操が自慢げにそう言った。
「ほうほう」
黒く統一された鎧を見ると気押されそうになる。これは戦場では出会いたくないと正直に感想を述べると、曹操は当然だと返した。馬超も居並ぶ兵を見てうずうずしている、馬超は戦いたいだけかもしれないが胆が据わっているのでよしとしよう。
「策はどうじゃ?」
「ええ。相手は山賊、簡単に術中にはまるはずよ。二人には夏候惇の部隊に入ってちょうだい」
確かあの赤い服の方じゃったな、そう思いながら夏候惇を見る孫市のことを夏候惇はまだ睨んでいた。夏候惇は孫市のような男が嫌いである、どうせ戦さの腕も大したことないのであろうと高を括っていた。それを知ってか知らずか孫市は夏候惇に気軽に話しかけた。
「お主のようなおなごの下で戦えて光栄じゃ」
「ふん。部隊の足を引っ張るなよ」
「怖い顔じゃ」
と、言いかけるが喉の奥に返した。その表情があまりに険しいため、どんな冗談を言っても愛想笑いで済みそうになかった。夏候惇は孫市に突進するかのように傍を通ると妹の夏侯淵と共に、兵に最終確認の説明を始めた。孫市と馬超も兵の列に並んで話を聞いた。
孫市は真剣に聞くといった訳ではなく、鉄砲に弾を詰めながら聞こえる声を耳に入れるといった風である。馬超も大雑把には理解したようだ。戦さの流れは西から夏候惇率いる部隊が山に果敢に突入し、東へと追い立て伏兵の夏侯淵の部隊と挟み撃ちにして殲滅するものである。曹操軍が出陣する中、孫市は火縄を手首に巻いていた。
「おい、皆もう行ってるぞ!」
「んにゃ」
馬超の声で孫市はやっと動き出した。曹操の兵とは半町ほど離れているが、あっという間に追いついて何事も無かったように隣の兵と話し始めるのであった。
戦さは結果からいえば曹操は完勝し、その勝利には孫市と馬超の貢献も目を見張るものがあった。
そもそも、孫市が高々一兵というのはあまりにも役不足であった。彼は紀州の鉄砲三千挺を軸に、一万程度の兵なら自由自在に操る才を持っている。まず孫市は近くの兵十人ばかしを言葉巧みに自分の指揮下にいれてしまったのだ。その中に馬超の姿もあった。
本隊と勝手に離れ、獣道を通って逃げて来る山賊を木の上で待ったのだが、肝心の山賊が来ても無視して通り過ぎるのを見ていた。次第に数が増えていき、山賊の頭らしき人物を見極めると跳び下り、混乱している内に討ち取った。この奇襲だけで半数も討ち取ることに成功していた。その後の夏侯淵との挟撃も成功する。ここでも孫市と馬超は散々に暴れ回り、見下していた夏候惇を見返すことに成功した。だが、山賊たちが根城にしていた洞窟に行くとまだ何人か残っていたのだ。その内の一人が攫ってきた村娘を人質に取ってしまい、思った以上に長引いてしまった。ここで孫市は曹操軍の度肝を抜いた。
「わしに任せい」
孫市は夏候惇の制止も聞かずに人質を取る山賊に近づく、興奮して人質を刺す勢いで山賊は喚き散らすのだが、孫市は持っていた鉄砲に火縄をつけて、山賊の武器を持っていた方の腕を吹き飛ばしたのだ。そのさい轟音が轟き、発射の衝撃で孫市の右足が地に沈んだ。
「どうじゃ」
腕が吹き飛んだ痛みで転がり回る山賊に剣で止めをさして、村娘を見事に助けることに成功した。孫市はそのまま夏候惇の隊や曹操の陣にも戻らずに村娘を攫われてきた村まで送り届けたのだった。
今戻った、と言って帰って来たのは翌日のことであった。首元に何かに吸われたような赤い跡があったがみな触れなかった。
「孫市さん。昨日突然居なくなったと聞いたから心配しましたわ」
「麗羽様が人の心配するなんて、明日は地震すか!?」
「こ、これは孫市さんのような将に出奔されては、私の名誉に傷付くからですわ」
「人を褒めることは初めてじゃないですか?」
「斗詩さん。それでは私がまるで人を見下す自惚れ者ではございませんか」
「その通りですよ」
やはりここのおなごはそこらの駄女よりも良い、しかし曹操を見てその考えも変わっていた。まだ小娘だが将来性は十分にあるだろう、斯様なような者がこの地にはまだまだおるのかと思うと孫市は無性に旅に出たくなった。その背に馬超が話しかける。
「なあ。鈴木」
「なんじゃい、気味悪い」
いつもと違う態度に孫市は少し引いた。
「昨日のお前の戦いぶりとか、夏候惇ってやつの凄さを見たらさ。私もまだまだだと思って・・・」
「・・・何を言うか、われも十分じゃぞ」
その言葉に馬超は素直に喜ぶがそれでも自分はまだまだ弱いと言い張る。この娘の望む高みは、孫市が考える高さより遥かに高いものであった。その言葉に孫市は馬超が天下に名を連ねる武将になると確信した。
「だから・・・。その、わ、私と一緒に旅に出てくれない・・か?」
「む?」
薄々感づいてはいた。孫市はいつになく真剣な顔で首を横に振った。馬超が訳を訊こうと開こうとした口を孫市は閉ざした。その行為に馬超の顔は真赤に変色し、隣でその光景を見ている麗羽たちも総じて真赤になった。言葉を遮った唇を離すと孫市は馬超に優しげに語った。
「武を志しているのなら色事は邪魔じゃ。それに誰かと旅をするのは性に合わんのでのう」
こう言われ、馬超は何も言えなくなってしまった。そこに急を急いでいたのか、一人の兵士が駆けて来る。
「麗羽様!」
「聞こえてますわ」
「曹操殿やその将たちの皆様が鈴木殿に御目通りを願っております」
「あら、孫市さんに?」
「麗羽」
孫市はそれを聞くと麗羽に別れを告げた。あまりにも突然だったため、何を言われたのかさえ理解できていなかったが、孫市の馬が風呂敷を銜えてやって来ると漸く理解できたのか麗羽の口から烈火の如く言葉が飛び出す。孫市は一つ一つ聞くと自分の考えを述べた。
「どうもなにも、わしは客将じゃ。ずっと居ると思っておったのか? 駄馬が気を利かせて鉄砲を持ってきたわい」
孫市は馬の首を撫でて顔に愛でるように唇を付けた。不思議な馬である、孫市とよく性格が似ているのだろう。今朝から見かけなくなっていたのだ。
「のう馬超、最後に真名を教えてはくれぬか」
「あ、え・・・」
馬超は混乱しており、声が絶え絶えだ。
「もう会えるか分からんが、われはこの天下に名を轟かせることになろう。その時に、わしはあの者と真名を交換し合った仲であると自慢したいのじゃ」
「馬鹿!」
「口付けしたのは謝る、お主のことが愛おしくなってな」
「馬鹿! 馬鹿!!」
「すまぬ、許せ」
「馬鹿馬鹿! 初めてだったんだぞ! それをお前みたいなやつに奪われるなんて!!」
「はっはっは、よい勉強になったであろう」
さらに馬超は孫市に馬鹿やアホと連呼する。
最後の最後でまた機嫌を悪くさせてしまったのか、そう思う孫市であったが小さく言った馬超の言葉に耳を傾けた。
「いまなんと?」
ちゃんと聞こえているのに訊かんでもよいものを、自分もつくづく意地が悪いと孫市は実感する。馬超は怒りながら言った。
「私の真名は翠だ!! 次会ったときはお前が泣いて謝るぐらい強くなっててやるからなあ!!」
その言葉に孫市の顔は、満月から零れ落ちたような笑顔になった。孫市は麗羽、猪々子、斗詩にそれぞれ礼を丁寧に言うと孫市は馬を連れて城から飛び出していった。
さて何処に行こうか。孫市の胸が高鳴る。
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天下一の色男にて戦国最大の鉄砲集団、紀州雑賀衆を率いる雑賀孫市は無類の女好きにして鉄砲の達人。彼は八咫烏の神孫と称して戦国の世を駆け抜けた末に鉄砲を置いたが、由緒正しき勝利の神を欲する世界が彼に第二の人生を歩ませた。 作者自身、自分の作品を良くしたいと思っておりますので厳しい感想お待ちしております。 Arcadia、小説家になろうでも投稿しています。 |
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