とある 7月28日
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とある 7月28日

 

「春上さんか枝先さんに服、借りておけば良かったかな……」

 7月28日(晴れ)午前10時20分。第七学区某ショッピングモール内の1階化粧室で鏡を見ながら身だしなみをチェックしていると自然とため息が漏れ出てしまっていた。鏡に映る私は常盤台の制服を着ているのだから。

 ちなみに言えば私は常盤台の制服が嫌いではない。動き易いしデザインも洗練されていると思う。

 けれど、世の中に万能の産物なんてあり得ない。これからの私の行動の趣旨に則してみればこの服は相応しくない。もっと言えば、インパクトに欠けてしまうのだ。毎度見慣れた服装ではアイツの心に響かない。

 更に言えば、この制服を着て歩いていると自然と通行人の目を引いてしまう。私が御坂美琴だと知らない人でも、これが常盤台中学の制服であることは知っている。

 常盤台の制服着用とは衆人環視されながら歩くようなものなのだ。これからの行動が監視付きだなんて絶対耐えられない。可能な限り2人きりで静かに過ごしたい。

「よしっ、決めたわ。最初に服を買おう」

 今日最初の目的地が決まる。幸いにしてここはショッピングモール内部。服を揃えるのに事欠かない。

 どうせエスコート先なんて考えてないだろうアイツは文句を言わないだろう。

 ちょっと気分をスッキリさせながら化粧室を出る。

 約束の待ち合わせ時間は10時半。5分前集合でショッピングモール入り口に到着。

 不幸塗れのアイツは果たしてどれだけ遅れて到着するだろう?

 

「よっ」

 背後から、聞き慣れた男の声でごく軽い調子に挨拶されてしまった。

「えっ?」

 そんなはずないと思いながら振り返る。

「嘘……っ」

 いつだって不幸だったり人助けに出向いたりで約束時間通りに来たことがない上条当麻が立っていたのだから。

「何でアンタがここにいるのよ? まだ、集合時間前なのよ」

 眼前の光景が信じられなかった。確かに当麻が立っているんだけど、科学か魔術に騙されているんじゃないかって自分を疑ってしまう。

「5分前集合は社会の基本だろ」

「アンタ、その基本を守ったことが全然ないじゃない……」

 何でもない風に答える当麻にますます疑問を抱いてしまう。

 でも、この胸の高鳴りは、抑えきれないこの胸の高まりは、コイツが本物であることを無意識に指し示している。女の勘ってヤツだけど、下手な能力よりは信用できる。

「今日は大切な日だからな。遅れないように気を付けるってもんさ」

 爽やかに笑ってみせる当麻が眩しくて。私は心はそれだけでいっぱいになってしまう。

「なによ……爽やかに決めちゃってさ」

 私の目に当麻はいつも以上に輝いて見えている。それを素直に認めるのが悔しいはずなのに、今日は何故かその意地っ張りが出て来ない。素直にアイツのことを格好いいって思ってしまう。

「アンタ……その格好」

 そして今になって気付く。

 いつも制服かTシャツかボロコートでお洒落なんかしたことないのに、今日は海外有名メーカーのポロシャツを着ている。夏を意識したコバルトブルーの服をコイツが着ているのを初めて見た。下もアイロン掛けがきちんと施された深緑系のスラックス。制服のズボンばかりを極めていたのにどういう心境の変化なのか?

「ああ。これは土御門に借りたんだ」

「どうして?」

「御坂とのせっかくの初デートだからな。俺だって身だしなみに少しは気を使うさ」

「…………そ、そうなんだ。ありがと」

 当麻が私のためにお洒落に気を使ってくれたのがとても嬉しい。

 そして、そのことに対して素直に感謝の言葉が口から出たのは自分でも意外過ぎた。

 いつもなら意地っ張りな私は憎まれ口の一つも叩いてしまうところなのに。

 自分が自分でないみたいだった。そして、初デートにおいて素直に振る舞えるというのは私にとってはとても大きなアドバンテージに感じられた。

「自分が自分でないのなら……いいよね? もっと、頑張っちゃっても」

 心臓をこれ以上ないぐらいにドキドキさせながら息を呑む。そして、私は当麻の右腕に抱きついた。

「みっ、御坂っ!?」

 私の突然の行動に当麻は目を白黒させて驚いている。やっぱり私は当麻に一泡吹かせてやりたいという子どもじみた願望を捨てきれないらしい。そして、誰よりも当麻の側にいたいという願望も捨てられないらしい。

「いいでしょ。今日はデートなんだから」

 当麻の腕へと全身を更に密着させる。こうしたい気分だった。だから、その衝動に素直に従ってみせた。

「デートだもんな。まっ、いっか」

 当麻も普段みたいに硬派がどうとかつまらない意地を張らなかった。

 私も当麻も今日は何だか違う人物みたいになっている。

 でも、それが良かった。頑なに意地を張っていても良いことなんて何もないんだから。

「じゃあ、映画見に行かないか? この近くの劇場で評判の恋愛映画が上映してるんだ」

「恋愛映画も好きだけど……先にお洋服、買いたいな。この制服姿だと目立つんだもん」

「そうだな。まずはお姫さまに最高のコーディネートを施すことからデートを始めるか」

 臆面もなく私のことをお姫さまと呼ぶ当麻は普段とどこか違う。

 でも、そんな違いは私が感じている嬉しさの前に些細な問題とか映らなくなってしまうのだった。

 

 

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「このミニワンピ、プレゼントしてくれてありがとう」

 腕時計の針が正午を差し、外は暑さを増しているに違いない時間帯。私と当麻は向い合ってショッピングモール8階にある中華レストランの窓際のテーブルに座っていた。

 襟元にフリルが上品に施された清楚な感じの水色のミニワンピースを当麻に買ってもらいそのまま着ている。青にしたのは今日の当麻の服装とお揃いを意識したからだった。

「御坂には常日頃から世話になってるんだしよ。いいってことさ」

 何でもないと笑ってみせる当麻。

 服をプレゼントされた際にブラックカードで決済を済ませた時にはさすがに私も驚いた。今日のデートにあたって、スポンサーなる人物が仕事の報酬に貸してくれたらしい。利用額無制限のカードをポンっと貸し出すってどんな相手なんだか。そして、どんな仕事をこなしたんだか。やっぱり、いつもの当麻じゃない。そこがどうにも気になって仕方ない。

「けど、俺も驚いたぜ」

「何に?」

「御坂がキャラモノとかお子さま趣味の服じゃないものを選んだから」

 当麻は楽しそうに笑った。

「私だってもう15歳なんだから、キャラモノの服とか卒業するわよ」

 プクッと頬を膨らませて抗議する。

「ついこの間だって、ゲコ太のぬいぐるみをウィンドウ越しに凝視してたじゃないか」

 恥ずかしい所を目撃されてしまったらしい。でも、あの時と今じゃ状況が違う。

「今日はデートなんだから、ゲコ太よりアンタの方が大事に決まってるじゃない。恥ずかしいこと言わせないでよ」

 普段だったら恥ずかしくてゲコ太趣味を馬鹿にされたことに憤りながら誤魔化していた。でも今日は優先順位を間違えないでいられる。当麻が一番なんだって心が定まってる。

「今日の御坂はいつになく素直だな」

 ちょっと挑発的にも聞こえる当麻の感想。確かに、今までの私は当麻に対して素直じゃなかった。それは恥ずかしかったから。そして、当麻に高く評価されたいのに、それが空回りばかりしていたから。素直になりたいのに素直になれなかった。

「そうね。今までの私はアンタに素直に振る舞えなかったのよ」

「じゃあ、今日は何で素直になってくれたんだ?」

「…………そりゃあ、今日がアンタとの初デートだからでしょ。意地張るの止めるわよ」

 自分で話していてスゴく恥ずかしくなった。でも、ここで天邪鬼な態度を取ろうという気持ちは一切湧き上がってこない。本当に不思議な心理状態。

「俺のために、ありがとな」

「人生初めてのデートを楽しいものにしたいって思うのは当然のことでしょ。だから、アンタのためだけじゃなくて自分のためでもあるのよ」

 いつもなら当麻相手に絶対に出てこない台詞がポンポンと口から出て行く。でも、悪い気分じゃない。

 今日の私は、いつもと違っていてそれに違和感がないわけじゃないけど。でも、それが嫌じゃない。スゴく気分がいい。当麻相手に意地を張らなくなるだけでこんなにも心が晴れ晴れとするなんて知らなかった。

「丁度注文が来たみたいだな。冷めない内に食べちゃおうぜ」

「うん」

 当麻も今日は意地や見栄を張らない。ごく自然に私を引っ張ってくれる。喜ばそうとしてくれる。

 いつも当麻がこうだったら……私はもう、幸せ過ぎて何も考えられなくなってしまうに違いない。現に今も、私は幸せの只中にいるのだから。

 でも、だからこそ何かがおかしい。それも同時に感じずにはいられなかった。

 

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 食事が済んで2人で街を歩く。当麻の右腕に頭を寄せながらゆっくりと。

 当麻が下調べしてくれた映画をせっかくなので見ていこうという流れになっていた。

 夏休み中ということもあって、平日の昼間なのに街は多くの学生で賑わいを見せている。

「暑くないか?」

 隣を歩く当麻が私の体調を気にしてくれる。

「ちょっと暑いかしらね」

 素直に答える。さっき、街頭の巨大モニターに映し出されたニュースでは、現在の学園都市の気温が34度であることを告げていた。コンクリートに囲まれたこの路上はもっと暑いに違いなかった。

 おまけに私と当麻は腕を組んで体を密着させている。より暑いのは仕方がない。

「じゃあ……」

 言外に当麻が組んでいる腕を解こうとしているのが読み取れた。

「ダメっ!」

 私はより一層強い力を両腕に込めて当麻の体に密着する。

「せっかくの初デートなんだから、今日は1日こうやって腕を組んだままにするの」

 普段の意地っ張りな私だったら考えられない、自分の望みに忠実な言葉がまた口から出た。抱きついて離れないという行動自体も普段の私では考えられないことだった。

「でも、暑いんじゃ?」

 当麻は私の行動が予想外だったらしく表情に戸惑いが出ている。

「暑くてもいいの。アンタと一緒にいられる方が私にとっては大事なんだから」

「そっ、そうか」

 当麻の頬が赤く染まった。

「心頭滅却すれば火もまた涼し。映画館までもうすぐなんだからこのまま行くわよ」

「おっ、おう」

 ちょっと汗ばんだ彼の体温を全身に感じながら、私と当麻は真夏の街を歩いて行く。

 ロマンチックさは十分ではないかもしれないけど、私は15歳2ヶ月にして初めて訪れた初恋の少年とのデートを満喫している。

 ほんと、こんな体験ができるなんて自分じゃないみたい。

 

 

 私たちはほどなく映画館に到着した。

「丁度これから上映みたいだな」

 当麻は映画の上映時間を確かめている。私はというと、いつになく落ち着かない。映画館なんて慣れた場所のはずなのに、当麻と2人で来ていると思うとソワソワが止まらない。

 落ち着こうと思って周囲を眺める。映画館の入り口はカップルの姿が至る所で目に入ってきた。それで改めて気が付いた。

 映画館という場所がデートスポットの定番であることを。私に当麻とのデートをより強く意識させる場所であることを。

 わかってしまえば簡単だった。私は如何にも彼とデート中ですとアピールできる空間に当麻と2人でいることで舞い上がっているのだ。

 舞い上がっている自分を当麻には知られたくなかった。でも、恥ずかしがって当麻とあからさまに距離を取ろうとするのはもっと嫌だった。くすぐったいジレンマが私を身悶えさせる。

「…………アンタはさ、私と2人で映画館に来たことにドキドキしないの?」

 困った私は当麻に助け舟を出してもらうことにした。というか、私の気持ちを共感して代弁して欲しい欲求に駆られた。

「俺は今日、御坂と会った時からずっとドキドキしっ放しなんだが」

 自称硬派な高校生の当麻だったら絶対に言わない台詞がポンっと飛び出す。

 私にドキッとしてくれるのを認めてくれるのはスゴく嬉しい。

 でも、私が今聞きたいのはこの映画館でどうかということ。

 ショッピングモールの中にいた時とも、街中を歩いた時とも今は違う心境なのだから。当麻にもそれを共有して欲しい。

「この映画館で特にドキドキっていうのはないの?」

 おねだりで共感を迫る。

「いや、だから俺は最初っからドキドキして…………映画館に来てから、胸の高鳴りが大きくなった。うん、ドキドキがスッゲェドキドキに変わってる」

「言い方が、わざとらしいっての」

 大げさに唇をすぼませながら抗議の声を上げる。

 きっと当麻は外を歩いていた時と今とでそんなに大きな心理的な変化はないんだと思う。

 でも、私の気持ちを汲み取ってくれた。私に合わせてくれた。

 そんなこと、今までの当麻だったらあり得ない。

 その気遣いがとても嬉しい。

「でも、私の気持ちを汲んでくれて本当に、嬉しいわよ」

 当麻の肩に頭を預ける。キスしちゃいたい衝動が湧き上がったけど、今はグッと我慢する。もっとロマンチックな場面に取っておきたかった。

 今日の当麻なら、ううん、素直になっている私たちならキスのチャンスはまた訪れる。それを私は確信していた。

 

 

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『最後に一つよろしいでしょうか?』

『何だ?』

主人公の大学生の男を呼び止めたヒロインの高校生少女は頬を微かに赤らめさせる。

そして小さな声で恥ずかしそうに話を切り出した。

『今のわたしたちの関係って、桐乃を挟んだものじゃないじゃないですか』

『そうだな』

『だからですね…………いつまでも、お兄さんという言い方もおかしいと思うんです』

 少女が顔を真っ赤にして手をもじもじさせながら上目遣いに男を見つめ込む。少女は勇気を振り絞って男と新しい関係を築くための最初の1歩を踏み出した。

『それでですね。これからは…………京介さん。と、お呼びしてよろしいでしょうか?』

期待と不安の入り混じった視線。不安は声に反映されている。館内は少女の緊張を反映して張り詰めた空気が流れる。

『もちろん、構わないぞ』

 男は優しく微笑みながら大きく頷いてみせた。館内のあちこちから安堵の息が漏れ出るのが聞こえた。例えば、私の口からも。

『それじゃあ…………京介さん』

 少女の表情がパッと華やいだ。本当に綺麗な笑顔。同性の私も思わずその笑顔の魅力に引き込まれてしまう。

『おっ、おおっ』

 少女に微笑まれた男が思わずどもってしまうのも無理ないと思った。それぐらい、彼女の笑顔は眩しかった。

『学校に、行ってきますね』

 男に一礼して優雅に去っていく少女。

 少女と男の紆余曲折を経た3度めの恋は今始まりを告げたばかりだった。

 

 

 

「恋愛映画ってちゃんと見たの初めてだけど……かっな〜り小っ恥ずかしいもんだな。赤面が止まらないぞ」

 上映が終わり館内から出た当麻の顔は赤く染まり上がっていた。ラブロマンス映画初心者には刺激が強過ぎたらしい。

「そのこそばゆさがいいのよ。アンタも勉強になったわね」

 当麻には恋愛映画に慣れてもらわないと困る。だって、私はこの手の映画が大好きなのだから。次に2人で映画を見に来る時も恋愛映画を見たいから。

「でさ、映画見ながら俺、思ったんだ」

「何を?」

 当麻は赤い顔のまま私の顔をちらちらと見る。一体、何?

「主人公とヒロインはさ互いのことを名前で呼び合ってたじゃん。京介さん、あやせって」

「そうね」

 そこまで言われてピンときた。けれど、ここは当麻にそのまま話してもらうことにする。

「俺たちの呼び合い方って変だと思うんだ。仮にもデートしているのに御坂、アンタって呼び方は良くないだろ?」

 当麻の言わんとしていることを理解して全身が熱を帯びる。

「じゃあ、何て呼ぶの?」

 最後のトスを放つ。

 きっと今日の当麻なら受け取ってくれる。

 期待に胸が膨らむ。そして、望み通りの瞬間が訪れた。

「そうだな………………美琴って呼んでいいか?」

 美琴。当麻の口からこの1年間ずっと呼んで欲しかった私の呼び名が遂に発せられた。

「あっ、あれ…………?」

 急に視界が曇った。映画館内なのに雨が目に入った?

「おっ、おいっ? 美琴? 一体、どうしたんだよ?」

 慌てた当麻に正面から抱きしめられる。

 当麻に美琴って言われる度に視界が曇っていく。

 それでようやく気が付いた。

私、泣いているんだって。

この涙のせいで前がよく見えないんだって。

「大丈夫だから。少し、このままでいて」

 恋愛映画の上映後なので泣いている女の子は他にもいた。だから私の存在はそこまで目立つわけじゃない。

 人前で抱きしめられるのは恥ずかしい。けれど、周りもカップルだらけなのでやっぱりそんなに目立たない。

 木を隠すには森の中という慣用句じゃないけれど、愛し合う人たちに囲まれていることに今はホッとしている。

「美琴が落ち着くまでこのままでいるよ。それに、こんな可愛い子を抱きしめられて俺もラッキーだしな」

 私を気遣ってくれる当麻が嬉しくて、やっぱり幸せ過ぎて涙が止まらない。

 当麻はきっと私が何で泣いているのか理解していない。

 名前を呼んでもらえて嬉しいからなんて恥ずかしくて言えない。でも、私が幸せに浸っていることに気が付いて欲しくて。

「ありがとうね………………当麻」

 心の中でしか呼べなかった彼の名前を告げる。

「………………あれっ?」

 私を抱きしめる当麻から戸惑いの声が上がる。

「俺の、視界も、急に曇ってきやがったぞ……何でだ?」

 ……当麻も私と同じらしい。なら、何で視界が曇ったのか。何で泣いているのか自覚してもらおうと思う。

「当麻……当麻、当麻、当麻……」

「…………美琴に名前で呼んでもらう度に視界がどんどん曇っていきやがる。なんだ。これ、そういうことなのかよ」

 私の頭のてっぺんに大粒の水が流れ落ちてくる。当麻の涙に違いなかった。

「美琴に名前で呼んでもらうだけで泣いちまうなんて……ほんと、俺らしくねえな」

「デート中なんだから、硬派なんて気取らなくていいのよ」

 泣き終えた私と当麻が映画館を出たのは20分後のことだった。

 

 

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 映画館を出た私たちは互いにとても恥ずかしくてジッとしていられない状態が続いていた。どこかに立ち寄るでもなく街中を歩き回り、気が付けば空が茜色に変わっていた。

 さすがに歩き疲れたのでベンチに座り休むことにした。この時偶然にいつもの公園の側を私たちは通り掛かっていた。特に申し合わせるわけでもなく自然と中へと足が向かった。

 今日は暑過ぎたからか公園内に人の姿はほとんどなかった。空いているベンチを見つけるのは難しいことじゃなかった。

 当麻と2人、並んで座る。当麻はハンカチを私のために敷いてくれた。ちょっとキザ過ぎるかなと思わなくもなかったけど素直に好意を受け取った。恋愛モノ大好きな私はベタな行動も大好きだったから。

「随分、歩いたな」

「そうね」

 夏の暑い盛りのコンクリートの上をかれこれ2時間以上は歩き続けたと思う。普通に考えたら相当変な話。

 でも、それが変だと思えないぐらいに私も当麻も舞い上がっていて。だから、涼しい所で休もうという当然の発想がなかなか出てこなかった。

「俺、ちょっと飲み物買ってくるよ」

「あっ、うん」

 2時間以上掴みっ放しだった当麻の腕が離れていく。それを残念に思うのだけど、一方で腕と胸に涼を感じる。この暑い中、腕を組みながら歩くという行為自体が熱中症を引き起こしかねないものだった。そんな可能性に思いも寄らないほどに私はこの初デートに緊張し、かつ喜んでいたのだ。

「あっ……そこの自販機は」

 お札を吸い込んでしまうことで有名な自販機へと当麻は近付いていた。

「故障ばっかり起こすんでここの自販機、新しくなったんだよ」

 よく見れば私が知っているのと形がちょっと変わっていた。そして隣の自販機より明らかに真新しい。どうやら本当に前の機種と取り替えられたらしい。

 不良自販機が撤去される。良いことのはずなのに、何だかちょっと寂しい気持ちが胸の中を駆け巡っていく。

「美琴はお茶でいいか?」

「うん。お願い」

 新しい自販機はご作動を起こすこともなく2本の缶を出した。そんな当たり前のことで、私が蹴り飛ばしていたあの自販機がもうなくなってしまったことを教えてくれた。

「ほら、十八茶」

「ありがと」

 当麻から缶を受け取りながらも私はずっと自販機の方を見ていた。

「自販機が変わっちゃったこと。やっぱり気になるよな?」

 当麻は缶のタブを開けながら私と同じ方向へ目を向けた。

「…………ちょっとだけ」

 何て答えるべきなのかわからずに、イエスともノーとも取れる答えを返す。

「実は俺も、あの自販機がなくなってしまった時にしばらく気分が落ち込んでたんだ」

「えっ? そうなの?」

 意外な話だった。当麻にとってあの自販機は不幸の源の一つでしかないはずなのに。

「あの自販機には嫌な思い出がいっぱいあるんだけどな。でも、それでもなくなってしまうと……俺の一部が切り取られてしまったみたいな。そんな気分になったんだ」

 当麻の顔には哀の色が濃く漂っていた。その表情は、当麻が受けた喪失感が私より大きいものであることを推測させた。

「美琴も知っての通りさ……俺って記憶喪失になって、それまでの思い出全部チャラにしちまってんだよな。1年前の丁度今日に」

「………………うん」

 返事するのが重かった。

 当麻の記憶喪失のことは偶然から知ってしまった。そして、後に本人の口から教えてもらった。

 当麻には去年の今日7月28日から、今年の今日までの1年間分の記憶しか存在しないのだ。

 それがどんなものであるのか記憶喪失に掛かったことがない私にはわからない。想像だけなら何度もしたことあるけれど、やっぱりよくわからない。

 それは、記憶喪失を経験した者でないとわからない領域なのだと思う。同じ体験をすることでしか当麻と同じ世界は見えないのだ。

 当麻は私の隣にいる。いてくれる。でも、私にはわからない地平の彼方にいる。それも理解しないといけない。

 上条当麻の隣にいるとは、そういう相反するものを受け入れることを意味する。

「1年分の記憶しかないからさ……思い出の場所ってあんまりないんだよな。しかも、命を賭けた戦いとかそういう血生臭いのと関係ない日常の思い出の場所って」

 記憶を失ってからの当麻のこの1年は、特に前半は戦いの連続だった。私も命を救ってもらったことがある。当麻はいつ死んでもおかしくない戦場を右腕1本で何度も何度も潜り抜けてきた。

 そんな、いつも傷だらけの当麻にとって平和・日常を演出してくれる空間がどれだけ大事なものであるかは想像に難くない。言い換えれば、あの自販機は……。

「あの自販機ってさ、不幸な目にも散々遭ったけど、俺にとっては平和な日常の象徴でもあったんだよな。御坂や白井と馬鹿やったり。クラスメイトたちとここでダラダラ過ごしたりって。だからさ、なくなると俺の一部が消えちゃったみたいで……なんか辛いんだ」

 思った通りだった。

 私は当麻の肩に首を傾けて頭を乗せた。

「美琴?」

「じゃあさ。今日からここが平和な日常の象徴になればいいじゃない……」

 私たちが座っているベンチを2度3度手で叩く。

「ここを私と当麻の思い出の場所にするの」

 喋りながら別のことを考えている。より正確に言えば、心を集中させ覚悟を決めていた。

 ここを私と当麻の思い出の場所にするための覚悟を。

「ここで美琴と一緒に座ることが日常になっていけば思い出の場所になっていくもんな」

「私の言っている意味は……もっと、過激よ」

「えっ?」

 覚悟完了したら後は早かった。

 当麻の肩から頭を離す。半腰の姿勢を取りながら当麻の正面に回り込む。私と当麻の目線が丁度同じ高さに合う。

 後は、当麻に向かって距離が0になるまで近付くだけだった。

 今日の私はそれを躊躇しなかった。

 ただただ当麻を幸せにしてあげたい。当麻と幸せになりたい。

 その思いでいっぱいだった。

 事態を理解しておらず呆然と動かないでいる当麻と私の唇が重なる。

 キス、と呼ばれる愛情表現。

 恋愛映画における最もポピュラーな愛情の伝達手段。

 それを今日、私は生まれて初めて行った。

 生まれて初めて大好きになった男性に対して。

 私は、上条当麻とキスをした。

「…………美琴?」

「目、瞑ってよ。マナーでしょ」

 自分も目を閉じながら再び唇を強く押し付ける。

 女の子からキスするのは私の主義に反する。

 そもそも、当麻の許可を取っていない。

 好きだって告白さえもしていない。

 ポリシーに反するフライングだらけのキス。

 でも、今日の私はそのキスをするのに躊躇いがなかった。

 いつもの天邪鬼は欠片も尻尾を見せなかった。

 当麻が好きだから。当麻に幸せになって欲しいから。私が当麻を幸せにしてあげたいから。

 そんな気持ちだけが湧き上がって、キスを実行していた。

 

 

 

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 長い長いキスを終えてゆっくりと唇を離す。

「…………これでもう、このベンチは当麻にとって思い出の場所になったでしょ?」

 首まで真っ赤になっている当麻に確認してみる。

 キスの決定打となった動機を。

「確かに、一生忘れられない思い出になった、よ」

 限界まで赤くなっているはずの当麻の顔が更に赤くなった。

「今日の美琴は、いつになく大胆だな」

「うん。自分が自分でないみたいに素直になれる。当麻に気持ちをぶつけられるんだ」

 何で今日に限ってこんなに勇気が出せるのか自分でもよくわからない。でも、そのおかげで当麻との関係を劇的に進めることができたのは間違いない。

「私の天邪鬼の部分だけ綺麗に記憶喪失しちゃったのかも」

「そんな都合の良い記憶喪失あるのかよ?」

「当麻だって、日常生活には何の支障もきたさないぐらい色々覚えているのに、人間に関するデータだけ綺麗さっぱり消えちゃったっていう漫画みたいな記憶喪失に掛かったじゃないのよ」

 当麻のようなケースを全生活史健忘というらしい。ただ、この自分のことを全部忘れてしまう健忘は過度の精神的ストレスからくるものを狭義には指すらしい。当麻のように頭部の物理的損傷が原因だと、事態はより複雜であるらしい。

 私が当麻が記憶喪失だと気付かなかったのは、ひとえに彼がごく普通に生活を続けているように見えたから。記憶喪失者と見るにはあまりにも健常者過ぎた。

 夏休み前の私は当麻の名前さえよく知らないまま追い回していた。だから、当麻の内面が変化していたことに気付けなかった。

「確かに俺の記憶喪失は漫画みたいなケースだからな。他にも漫画的な事例があってもおかしくはない。美琴の推測も馬鹿にできねえな」

「そういうこと」

 自分が記憶喪失だなんて保証は全くない。というか、普通に考えて記憶喪失なわけがない。体の調子が良かったりでポジティブシンキングに傾いているだけなんだと思う。

 けれど、その偶然の積極性は、私に大変な幸福をもたらしてくれた。

 好きな人との初キスという幸せを。まだ、告白もしていないけれど。

 うん? 

まだ、告白もしていない?

 これってつまり、私の方から一方的にキスをしてしまっただけ。私と当麻はまだ恋人同士になってないってことを示すものなんじゃ?

「急に黙っちゃって、どうしたんだ?」

「…………告白は、男の人からして欲しい」

 小声で欲求を伝える。

「声が小さ過ぎてよく聞こえなかったんだが?」

「告白は当麻の方からして欲しいって言ったのっ!」

 今度は最大級の大声で伝えてみた。

「私……今日はいっぱい頑張ったもん。だから、最後は当麻に格好良いところを見せて欲しいんだもん」

 声に急に力がなくなる。

 口に出してみるとスゴく恥ずかしい要望だった。

 素直になり過ぎている私は、どこか歯止めが効かなくなっている。

 当麻への欲求が尽きない。

「そうだな。硬派とかつまらないことを言ってないで、俺がちゃんと男を見せないとな」

 当麻は大きく息を吸い込むと私の両肩を掴んだ。

「俺は、ずっと前から美琴のことが……」

 いよいよ告白されるというその瞬間だった。

 

『なら、望み通りに御坂さんを記憶喪失にしてあげるんだゾ♪』

 

 何の脈絡もなく牛乳女の笑みが脳裏に思い浮かんだ。

「ちょっ!? ちょっと、待ってっ!」

 次の瞬間、私は全力で当麻の腕を払いのけていた。

 何でそんな行動に出たのか自分でもわからない。 

 後10秒もすれば私は人生で最良の刻を迎えられたはずなのに。

 でも、アイツの顔が浮かんでしまった以上、このまま告白という展開に進んでしまうことに抵抗があった。

「どうしたんだ?」

「その……明日に、してくれないかしら?」

 慌てて口から発せられた言葉は自分でも予想外のものだった。

「へっ?」

 当麻が驚きのあまり口を半開きにしてポカンとしている。

「ちょっと気になることがあるの。だからさっきの言葉の続きは明日、聞かせて欲しいの……」

 口からでまかせで勝手に次の約束を決めて行ってしまう。今告白された方が絶対にいいはずなのに。

「気になることって?」

「今はまだ確信が持てないの。だから、言えないの……ごめんなさい」

 自分でも本当に何を言っているのかわからない。これじゃあ当麻に気分を害してくださいと言っているのと変わらない。

「美琴に危険を及ぼす類の話じゃないんだな?」

 私は失礼な態度を取っている。なのに、当麻は第一に私の心配をしてくれた。そういう人だから私は彼を好きになったのだ。こういうところ、粗野だけど立派なナイトさまなのだ。

「私の体に害を及ぼすようなものじゃないのは確かよ」

 食蜂はそもそも物理攻撃手段を有さない。それに、もし本気で私を潰す気なら幾らでもエグい手を使えるはず。牛乳女のメンタルアウトとはそういう能力だから。

 それに、脳裏に思い浮かんだ食蜂に敵意や悪意は感じられなかった。イタズラ心は見て取れたのだけど。

 一瞬浮かんだだけのイメージを元にあれこれ詮索するなんて馬鹿げていると自分でも思う。でも、今は自分の直感を信じようと思った。

 それに、食蜂が関わっていると考えた方が色々と説明しやすいことが多いのだ。この状況は……。

「何だかわかんねえが……美琴に害がないってんなら、とりあえずそれでいいや」

 当麻は大きく息を吐き出した。

「じゃあ、明日……今と同じ午後6時にこの場所に来てくれるか?」

「…………はい。よろしくお願いします」

 当麻は私の我がままを受け入れてくれた。それに深く安堵する。

 それから制服に着替え直して寮の前まで送ってもらって別れた。

 私の生まれて初めてのデートは、当麻との仲を親密にするという意味で大成功だった。けれど、不可解な点に気が付いてしまい、後味の少々良くないものになってしまった。

 

 

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「ただいま〜」

 自室に戻ってルームメイトに挨拶を告げる。当麻と別れた途端にエネルギーが尽きた。

「お姉さま。随分とお疲れのようですが、どこに行ってらしたのですか?」

 黒子は机でジャッジメントの資料を整理しながら、私へと振り返る。夏休みといえどもジャッジメントの仕事に休みはない。

 黒子の正義感の強さには感服するけれど、ボランティアに街の治安担当させようというこの都市は発想がそもそもおかしい。暗部を見てからだと表のおかしさもよく見える。

「映画館と公園」

 ベッドに座りながら答える。買ってもらった服は後でこっそりクリーニングに出すためにとりあえずベッドの脇へ。

「おひとりで映画ですの? それはちょっと15歳の乙女の夏の青春としてどうかと思いますわ」

 憐れむような黒子の物言いにカチンときた。

「独りじゃないわよ。当麻とデートしてきたんだからっ!」

 秘密にしなきゃいけないことをつい口走ってしまった。今日の私は当麻関連で抑えが効かないほどに素直過ぎる。

「お姉さまが……上条さんと……デート?」

 黒子は眉をしかめて難しい表情を浮かべている。というかこの顔、私の言葉を信じてない。全然信じてない時の顔だ。

「信じてないのね?」

「ツンデレ・オブ・ザ・イヤーを連続受賞のお姉さまがデートの誘いをするなんて。まして、実際にデートするなどあり得ませんわ」

 黒子の言っていることは普段であれば間違っていない。ムカつくけど。

 でも、私は今日当麻と本当にデートしてきたのだ。

「本当にデートしたんだからっ! お洋服だって買ってもらったし」

 私は当麻に買ってもらったミニワンピを黒子に広げてみせた。

「このワンピースは確かにお姉さまの趣味とは少し違いますね。男に媚びた。そんな印象を受けます」

 黒子がいやに的確な観察眼を披露する。

「クッ。デートで着るんだから、デート相手に喜んでもらえる服を選ぶのは当然のことでしょ」

「なるほど。この服を選ぶのに際して男の介入があったことはわたくしも認めましょう。しかし、ですわよ」

 ジャッジメントの鋭い捜査眼が私へと向けられる。

「この服を買ってもらった。お姉さまは確かにそうおっしゃいましたよね?」

「そ、そうよ。当麻がプレゼントしてくれたんだから」

「この服、輸入ブランドもので結構な値段がするはずです。そんな高価なものを、万年金欠で生活苦に喘いでいる上条さんがプレゼントするとはちょっと考えにくいのですが」

 黒子の瞳は完璧に私の話を信じていない。自分で買ったんだろとその瞳が語っている。

「当麻が仕事の報酬だって、ブラックカードで決済してくれたんだから」

「上条さんがブラックカード? 語るに落ちましたね、お姉さま」

 黒子の瞳が完璧に私を馬鹿にするものに変わってしまった。

「金欠で無職高校生の上条さんがクレジットカードの査定に通るわけがありませんの。ましてや一番等級が高いブラックカードで決済したとか。お姉さまは暑さで正常な判断力を失っておられたのですね」

「自分でも話していておかしいとは思うけど……事実なのよっ!」

 そう言えば、結局当麻に報酬を支払ったブラックカードの持ち主って一体誰だったんだろう?

 カードの名義を見ておけば良かった。

「まあ、とにかくこれでお姉さまは熱中症対策を怠って変な妄想を見ていたことがハッキリしましたわね」

「本当なんだからっ! さっき、当麻とキスだってしたんだからぁ〜〜っ! ……あっ」

 乙女の最重要機密を喋ってしまった。

 からかわれると恥ずかしいから黙っていようと思ったのに。

 何で今日の私はこんなに正直に当麻関連を口にしちゃうのよぉ。

「お姉さまが乙女チックノンストップなのは理解しました。エア上条さんとのキスも済まされたのですね。はいはいわかりました」

 欠片も信じてない。まあ、これまでの流れからわかっていたけれど。

「ですが上条さんとデートして服をプレゼントされてキスしたなどと、軽々しく他の方に言いふらしてはダメですわよ。病院を紹介されかねませんわ」

「…………全部事実なのに」

 私の言葉は全くの無力。

「今日、7月28日は私にとってファーストキス記念日だって言うのに、世間が私に暗雲を垂れ込めようとするぅ」

 当麻が記憶を失った日。そして、私との愛を創造した日。7月28日は私と当麻にとってかけがいのない大切な日なのだ。

「今日が7月28日? お姉さま、ついに日付感覚さえもなくなってしまったのですか?」

「えっ?」

 私には黒子が何を言っているのかわからなかった。

「だって今日は7月28日でしょ?」

 昨日は7月27日日曜日。朝にワンセグ機能を使ってアニメ・ゲコ太の大冒険を視聴したのをハッキリと覚えている。だから今日は7月28日で間違いないはず。

「今日は7月29日火曜日ですわよ」

「ふえっ!?」

 寝耳に水な情報だった。

「えっ? 今日、28日じゃ……」

「今日は29日。28日は昨日ですわ」

 黒子は端末を開いてライブニュースを流した。そのニュースでは確かに7月29日と述べている。黒子がこんな手の込んだイタズラをするとは思えないから、今日は29日で間違いなさそうだった。

「えっ? でも、私、昨日の記憶が……」

 私にとって昨日の記憶とは日曜日の記憶を意味する。すなわち、月曜日の記憶がない。

「お姉さまは昨日、上条さんのお宅を訪問されたではありませんの。下着まで新品を履いていく無駄極まる気合の入れようで」

「えっ? 私が当麻の部屋に行ったの?」

 それこそ全然記憶にない情報だった。いや、そもそも昨日起きてから寝るまでの24時間の記憶が一切ない。

「大層浮かれていたじゃありませんの。わたくしが過度な期待は絶望を生むだけと諌めたのに全然お聞きにならなくて。結局、わたくしの言った通りの結果になったようですが」

「…………何で当麻の部屋に行ったなんて重大イベントの記録が全くないのよ」

 仮に私が当麻の部屋に入ってから出るまで休みなくテンパっていたと仮定しよう。その場合、緊張感のあまり当麻の部屋での会話などは一切覚えていない可能性がある。

 でも、そうだとしても行く前と行った後のことは覚えているはずだ。少なくとも出掛ける前に私は黒子と会話している。それすら欠片も思い出せないのはおかしい。

 そして、気になることは他にもある。

 27日、日曜日の時点で私は当麻の部屋に行く約束を取り付けた覚えはない。

「そのさ。昨日私が当麻の部屋に行った時って……何か慌ててなかった?」

「そう言えば……上条さんか誰かから急に電話が掛かってきて、それから5分で下着を含めて全部着替えて猛ダッシュで部屋を出て行かれましたね」

「電話?」

 携帯を取り出して着信履歴を見る。

「…………全部削除済みとはね」

 単純にして効果的な妨害工作が仕掛けられていた。でもこれで、何者かが昨日の私の行動に干渉し、1日分の記憶を消したことがハッキリした。

「やっぱり、あの牛乳女の仕業ね」

 学園都市広しといえども、レベル5第3位の私の記憶を1日だけ綺麗に消すなんて芸当ができるのは1人しかいない。

 そう考えると、当麻に告白される直前に食蜂の顔が思い浮かんだのも納得できてしまう。私の記憶を奪った犯人の顔だったのだ。

「当麻も今日が7月28日だと思っていたみたいだし……何で食蜂は私たち2人分の記憶を1日だけ消すなんて真似をしたの?」

 犯人がわかってもその狙いがわからない。理解不能なことが多過ぎる。

「お姉さまはさっきから何をブツブツ独り言を並べていますの?」

 黒子はさっきから失礼な視線で私をジロジロ見ている。

「シャワーをお浴びになって頭を冷やされてからの方が良い考えも浮かぶのではありませんの? 例えば、エア上条さんの存在が消えてくれるとか」

「エア上条じゃねえ。本物だっての。でも、シャワー浴びるのはいい考えね」

 ずっと外にいて体が熱いのは事実。私に何が起きているのか整理したくもあった。それにあたり、入浴は最適な解決法に違いなかった。

「本当に……当麻とキス、したんだから」

 事実なのに負け犬の遠吠えと化した台詞を吐きながら私は浴室へと向かったのだった。

 

 

 

-8ページ-

 

「はぁ〜い♪ 御・坂・さ・ん♪ 寝覚めの調子力は如何かしらぁ?」

 目が覚めたら黒い下着姿の牛乳女に牛乗りならぬ馬乗り状態にされていた。私の頬は馬鹿運痴の牛乳により過度の圧迫を受けている。これ以下の最悪な目覚めもそうはあるまい。

「何でアンタがここにいるのよ?」

「御坂さんを夜這いしに?」

「押し掛けてきたのはアンタの方なのに、疑問形で喋んな」

 ちなみにこの女、その全く無意味な脂肪の塊を私の顔に押し付けたまま喋っている。殺したい。今すぐ超電磁砲を放ってしまいたい。いっそ、消してしまおうか?

「怒っちゃダメなんだゾ♪」

「じゃあ、降りろ。今すぐ。死にたくなければ」

「去年と比べてカップが3つ上がった胸が重いせいで……動けないんだゾ♪」

「へぇ〜。カップって1年経つと変更するものだったのね。知らなかったわ」

 こちとら中1の時のブラが今でも使えるっての。

「みっ、御坂、さん?」

 牛が急に全身を震わせ始めた。でも、もう関係ない。

「もう降りなくていいわ。むしろ降りんな」

 この牛乳女は私を怒らせた。学園都市最強の精神系能力者かなんだか知らないけど……物理戦においてはこの学園都市で最弱の部類。小学生にだって勝てない雑魚。

「レール……」

「お友達を問答無用で抹殺するのはどうかしてるわよぉっ!?」

 食蜂は転がるようにして私の上から飛び退いた。

「チッ! 死ねば良かったのに」

「本気で舌打ち力するの止めてよぉ」

「チッ! 死ねば良かったのに」

「2度繰り返さないでぇっ!」

 半泣きする牛乳を無視して上半身を起こし自分の状態をチェックする。

 特に異常は見当たらない。もっとも、食蜂の能力は物理的な痕跡を残さないので何かされていてもわからないのだけど。

「黒子は、どうしたの?」

 室内に黒子の姿がない。私に狼藉を働こうとする者があれば真っ先に動くあの子が。

「白井さんなら朝から熱心にパトロールに出掛けてもらってるわぁ」

「犯行を隠す気もないってか」

 食蜂は“人払い”したことを認めた。

「で、何の用?」

 制服に着替え直した女王さまに尋ねる。

「用があるのは御坂さんの方でしょ」

「はぁ?」

 牛乳は胸に栄養が行き過ぎて頭がすっからかんになってしまったらしい。

 私がこの女を朝から呼びつけるはずなんてないのに。

「一昨日の御坂さんが、今朝ここまで来るように私を呼び出し力したんだゾ♪」

「一昨日の私……」

 一昨日、つまり28日。要するに記憶がない日の私が食蜂を呼び付けた。

 単なるデマカセかも知れないけど……あり得ない話ではなかった。いや、十分に考えられた。

 

「…………一昨日の私に何があったの?」

 心理戦でコイツに勝つことはできない。だったら、正面から聞くしかない。

「とりあえずそのコインを下ろしてくれたら、喋れる範囲力で喋るから……」

 ……無意識に物理力を準備していたらしい。抵抗してくれれば良かったのに。チッ。

 私は仕方なくコインを手放した。チッ。

「……御坂さんって、たまに正義のヒロインからかけ離れることがあるわよね」

「で、何があったの?」

 小話を私に無視された食蜂は大きなため息を吐き出した。

「御坂さんが記憶喪失になりたいって願ったからぁ28日の記憶力を全部消したのよぉ」

「…………ああ、やっぱり」

 思った通りだった。犯人は食蜂。でも、謎はまだ多く残っている。

「何で私は記憶喪失になることを願ったの?」

「それを教えちゃったら、御坂さんが記憶喪失になった意味力がないんだゾ」

 サバサバした口調での返答。こういう時の食蜂は答えを教える気がないのはよく知っている。

「まあ、そうよね」

 そして私は食蜂の答えに納得していた。

 半端な覚悟であれば私がこの危険女に記憶を操作するように頼むはずがないのだから。当麻の記憶を弄らせなかったのだってそれが理由なのだし。

 つまり、私が記憶喪失を願った理由を確かめる方法は失われていると見て間違いない。となると、他に残る疑問点は……。

「アンタは昨日、私の記憶を消した以外に何をしたの?」

 引っ掛かるのは当麻の言動。当麻は昨日を28日だと認識していた。つまり、私と同じ思い込みをしていたのだ。それが意味するものは……。

「上条さんとインデックスちゃんの28日の記憶も消したわねぇ」

「何故?」

 どうせまた答えないに違いないと思った。

「御坂さんの記憶消去をより完璧にするためよぉ」

「無理矢理消したの?」

「まっさかぁ〜」

 食蜂は両手を横に広げた。

「もちろん同意の上よぉ。そうじゃなきゃ、御坂さんにも上条さんにも私の力が効かないじゃないの。インデックスちゃんだって私よりパワー上なモードがあるしぃ」

「…………まあ、そうよね」

 当麻とシスター、そして食蜂は私が1日分の記憶を消すことについて合意していた。何故そんな合意が成立したのか全く見当もつかない。

 下手な考え休むに似たり。幾ら考えてもわかりそうになかった。

「他にもアンタは何か面倒なことをしたわよね? 例えば、私たちの性格を弄ったとか」

 憶測以上の正解に至れそうにない問いはとりあえず置いておいておく。残りの疑問を解消しに掛かる方が先立った。

 食蜂が一昨日の記憶を消しただけなら、昨日のデートには色々と不自然な点が多くなる。私も当麻も自分ではないみたいな振る舞い方をしていたのだし。

「それも教えられる範囲力を超えてるから言えないけどぉ〜御坂さんの方がよくわかっているんじゃないのぉ」

 牛乳をわざと揺らしながら悪い笑みを浮かべる食蜂。正解を教える気はないらしい。けど、正解を言っているに等しかった。

「私からは……ツンデレを、当麻からは硬派男子高校生という思い込みを抜いたんじゃないの?」

 ツンデレって自分で口に出すのは恥ずかし過ぎる。しかも自分がツンデレだと認めるのは更にキツい。この女はとことん私を精神的に苦しめてくれる。

「さぁ〜あ〜?」

 食蜂はムカつく笑みを浮かべるばかりでハイともイイエとも言わない。

「親友の恋を応援するためのぉサービスなんだゾ♪」

 結局否定しないところを見ると、正解で間違いなさそうだった。

「って、誰と誰が親友なのよっ!」

 謎は解けたけどやたら腹立たしかった。ついでに言えば、当麻に懸想しているはずのコイツが私の応援とか絶対にあり得ない。一体、何がどうなっているのやら?

「他には? まだ、何かしているでしょ」

「さ〜あ〜? 何のことかしらぁ〜?」

 すっとぼける牛乳。こちらから具体的に問い詰めていくしかなさそうだった。

「昨日のデート。アレ、アンタの差し金よね?」

 27日まで私は当麻とデートの約束を取り付けていない。にも関わらず、私は昨日起きてから何の迷いもなく待ち合わせ場所のショッピングモールに足を運んだ。

 ということは28日に記憶を失ってもなお、当麻とのデートの約束だけは覚えていたことになる。そんな器用な真似、この牛以外にできるはずがない。

「禁則事項なのでぇお答え力できないんだゾ♪ まっ、論理的に考えれば、1つしか答えはないけどぉ」

 正解らしい。今回もまた理由は教えてくれないのだけど。

「じゃあ、当麻が昨日持っていたブラックカード。あれ、アンタのよね?」

「ええ、そうよぉ」

 今度はあっさり認めた。話していい境界線がどこなのかよくわからない。

「当麻は仕事の報酬に借りたって言っていたけど、アンタは当麻に何をさせたの?」

 ギロッと睨みつける。けれど、私の眼力はこの心理戦専門には通じない。

「上条さんにはぁ私の選んだ服を着てもらっただけよぉ。もっともぉ上条さんはぁ土御門さんから借りた服だと思ってもらってるんだけどぉ」

「あれはアンタの差し金か……」

 小さく舌打ちが漏れ出る。土御門さんの名前が当麻の口から出たことでつい油断してしまっていた。あの服を仕込んだのがこの牛乳だったとなると、色んな意味でヤバい。

「で、あの服にはどんな恐ろしい細工が仕込まれていたっていうの?」

「恐ろしい細工だなんて人聞きが悪いわぁ。単に学園都市の最新技術搭載の録音機とカメラを襟の部分に仕込んだだけなんだゾ♪」

 キャハッと馬鹿っぽく笑ってみせる食蜂。まあ、実際コイツは馬鹿なのだけど。でも、今に限って言えば馬鹿なのは私だった。

「御坂さんはぁ自分が思っている以上に緊張力したり舞い上がり力したりしていてぇ〜隠しカメラの存在に気がつかないという初歩的な過ちをおかしたんだゾ」

 最上級の微笑みを向けてくれやがる食蜂。昨日の当麻との会話を全部集められている。いや、それどころかキスシーンさえも。

 それが意味するものを考えると、私は既に詰んでしまっているのを認めざるを得ない。

「個人力で楽しむだけだからぁ〜親友の御坂さんを脅したりなんかしないんだゾ♪」

「その言い方が十分脅してるっての」

 何はともあれ根掘り葉掘り暴力を含めて聞き出すのは難しいらしい。なら、質問を限定してどうしても聞きたいことに焦点を絞ろう。

 

「後、2つだけ質問いいかしら?」

「聞くだけならどうぞぉ〜♪」

 相変わらずムカつく態度。でも、ここで怒っては何にもならない。問うべきことを問わねば。

「アンタは今ここに、何をしに来たの?」

「ふっふ〜♪」

 食蜂はいつものニヤケ顔ムカつきスマイルで微笑むと人差し指を伸ばして私の額にそっと触れた。あまりにも自然に指で突いてくるので私は一瞬呆気に取られていた。

「しまったあっ!?」

 食蜂の能力発動を警戒するのが遅すぎた。コイツは普段リモコンを弄っているが、実際には予備動作なしで能力を発動できる。私に何か仕掛けてきたのだ。

 横回転しながら距離を取る。壁際まで下がったところで牛乳女を睨む。

「私には電磁バリアがあるんだから、アンタが私に何かしようとしたってそう簡単には上手くいかないわよ」

「電磁バリアは発動したの?」

「えっ?」

 食蜂の言うとおり電磁バリアは発動していない。すなわち、食蜂は何も仕掛けなかったのか? 

それとも、電磁バリアを擦り抜けて能力を発動させる術を身に付けたのか?

 判断できない。目の前の女がイタズラ大好きで性根のひん曲がった牛なのでなおさらわからない。

「御坂さんはE.T.って映画知ってるぅ?」

「知ってるわよ」

 1982年に公開された監督スピルバーグのハリウッド映画。E.T.と名付けられた宇宙人とエリオット少年の友情物語。E.T.と共に少年が自転車で空を飛ぶシーンは特に有名。

「指と指を合わせてつーんとするのは友情の証、なんだゾ♪」

「アンタがつんしたのは私のおでこでしょうが」

「キャハ♪」

 ……この馬鹿女、単に話をはぐらかしに掛かっていただけだった。

 結局、食蜂が私に何をしたのかはわからない。いや、そもそも寝込みを襲ってきたのだし、私が起きる前に何かされている可能性もある。肝心な部分は全て霧の中なのだ。

「じゃあ、最後の質問よ」

「どうぞどうぞぉ♪」

 これまでの経緯上、一昨日の私関連の情報は大事な所ではぐらかされる。なら、後答えてくれそうで私の知りたいことはといえば……。

「この1件ってアンタに得はあるの?」

 食蜂の表情が引き締まった。常盤台の女王と呼ばれる圧倒的なプレッシャーを与える冷酷な表情に。

「アンタがさ、色々動いてくれたおかげで、私は、当麻とキスできたんだし。その、これからもっと関係を進展させていく覚悟と勇気が出たんだけど……それって、食蜂にとってはマイナスでしかないんじゃないの?」

 私と食蜂は敵同士であると同時に恋のライバルという関係でもある。そのライバルを応援することは自分の恋を放棄するに等しい。何故そんな真似を? 

「御坂さんも知っての通り、私は得になることしか動かないの。今回も例外ではないわ」

「でも……」

「私は御坂さんみたいに恋愛脳に染まりきっているわけではないから。色んな損得があるのよ。上条さんへのラブだけで判断しないで欲しいんだゾ♪」

「…………恋愛脳で悪かったわね」

 恥ずかしさで全身が沸騰する。この1年間当麻のことばっかり考えて、他の事情は気にしないできたことは事実だった。多分、レベル5の中で恋愛ばっかりで頭を満たしているのは私だけに違いない。

 でも、それが私なんだから仕方ないじゃないの。私は、この初恋に全力を捧げる。そう決めた。

 一方私と違う生き方を決めた牛が目の前にいる。

「それに私の力をもってすれば上条さんの愛人になるのなんてわけないもの」

「何故そこで自分の胸を揉む?」

 この牛、能力じゃなくて肉弾戦で当麻を寝取るつもりなのか? 

 何かそんな気がする。いや、きっとそのつもりだ。

「子どもの認知さえしてくれれば、籍は御坂さんが入れてくれて構わないんだゾ♪」

「アンタに譲る当麻は1mmたりともないっての」

 私と食蜂の戦いはこれからも続く。それも、決して気を抜けない戦いが。けれど、現状食蜂には何か他にやらないといけないことがあるので1歩退いた。そんな感じがする。

「上条さん関係でこれ以上変数が増えると管理がややこしくなるから……御坂さんがぁしっかり力で捕まえておくのよぉ」

「言われなくてもわかってるっての!」

「うん、よろしいんだゾ♪」

 食蜂は勝手に寝こみを襲って言いたい放題言ってくれると、鼻歌交じりに去っていった。

 

 この時の私は知らないでいた。

 食蜂が既に学校を辞めていて、私の前から姿を消そうとしていたことを。

 7月28日に何が起きたのか、確かめる手段を永遠に失ったことを。

 

 

 

-9ページ-

 

「来てくれたんだな、美琴」

「元々私が呼んだんだから当然でしょ」

 午後6時。私は昨日約束を交わしたベンチの前へとやってきていた。目の前には当麻が腰掛けている。お洒落の欠片も見えない制服姿で。

「その格好……」

「昼間、操祈ちゃんが家にやって来てな。色々聞かされたんでちょっとな」

 暗に盗聴器が仕込まれた衣服を着るのを避けたと述べている。当麻の配慮は嬉しい。けれど、私が気にしたのは他のことだった。

「あの女、舌の根も乾かない内に当麻の家に上がり込むとはね……」

 昼間ずっと室内で悶々としていた私とは対照的なフットワークの軽さだった。

「まっ、まあ、操祈ちゃんは親切で色々教えてくれたんだし怒るなよ」

「どうだか?」

 食蜂の行動原理は私にはよくわからない。その意図も読み取れない。引っ張り回される身には一番厄介なのだ。

「なんか俺たち、操祈ちゃんに色々施されたみたいだな」

「そのようね」

 2人揃って1日分の記憶を抜かれた。1日日付を間違えた状態でのデートは今思い返すと結構マヌケに思える。

「硬派高校生の看板下ろしただけでこんなにも美琴にメロメロになっちまったってのは自分でも意外だがな」

「アンタは元から私にゾッコンだったのよ。それを中学生との恋愛はダメだの勝手に壁を作って自分自身の気持ちと向き合おうとしなかっただけよ」

 私なりに当麻の心境を説明してみせる。当麻が昨日、あんなにも積極的になってくれたのは、以前から私を気に掛けてくれていたからだって。硬派の壁が崩壊したことで自分の気持ちと向き合ってくれたんだって。

「そういう美琴こそ、前から俺のことが好きだったんだろ? ツンデレなくした途端に好意を素直にぶつけてくれたもんな」

 当麻もおちゃらけた口調ながらも反撃に出てきた。

 

「うん、そうよ。私は前からずっと当麻のことが大好き。大大大好きよ」

 

 当麻から言わせようと思っていた愛の告白の言葉。それが、私の口の方から先に発せられた。

「当麻に先に言わせようと思ってたのに……ちょっと、残念」

 けど、口で言うほど残念な気分にはなっていなかった。男から告白という手順にこだわるよりも、好きという想いを当麻に伝えることができた幸福感の方が優っている。

 どうやら食蜂は私からツンデレ分を取り去ったままらしい。それとも、ツンはもう発動する必要がなくなったので素直に想いを口にできるのか。真相はわからないけれど、何にせよ悪い気分じゃない。

「先に言われちゃったけどさ……俺、改めて言うよ」

 当麻が立ち上がり私の両肩を掴む。昨日と同じ姿勢。

 

「俺は美琴のことが好きだ。恋人として付き合って欲しい」

 

 硬派な男子高校生を気取っていたはずの当麻からとても素直な告白の言葉が届いた。

 私の視界が瞬く間に曇っていく。昨日、初めて名前で呼んでもらった時と同じだった。

「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」

 涙を必死に拭いながら当麻の提案を快諾する。

「じゃあ、誓いの印……いいかな?」

 何も言わずに小さく頷いて返す。

 当麻との2度目のキスはそれから間もなく訪れた。

 初めてのキスよりも安心できる優しいキスだった。

 

「結局、一昨日何があったんだろうな?」

「わからない。けど……」

 キスが終わった当麻を今度は私が正面から抱きしめる。

「記憶喪失ってそういうものだから仕方ないでしょ」

 ガッチリとホールドして当麻を逃がさない。

「私たちのこれからの日常は、ポッカリと空いた記憶の空白と共にあるの。もしかすると28日は今後ずっと私たちを追い掛けてくるかもしれない」

 7月28日の私たちの行動によって新たな問題が今後生じる可能性は馬鹿にできない。

 覚えがないことに対処しなければならない。それはきっと精神的にも辛いことなのだと思う。でも、それでも大丈夫なんだって私は言いたい。だって……。

「だから、よろしくお願いするわね。記憶喪失の先輩♪」

 ほんの少しだけど、当麻が見ている世界に近付けた。そんな気がした。

「記憶喪失に感謝しなくちゃ、だわ」

 私は記憶喪失を通じて当麻に感謝と愛情を伝えることができたのだった。

 

 

 

 了

 

 

 

【テーマ2】 『上条さんに記憶喪失で感謝の気持ちを伝える御坂美琴と食蜂操祈』

 

 

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上琴作品でpixivの企画に乗っかったもの
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とある科学の超電磁砲 とある魔術の禁書目録 御坂美琴 

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