騎士協奏曲:言葉 T駆り出される者たち
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 序章

 

 

「い……イリル=ファラスト選手っ。な、なんと優勝候補であったデルガス選手を抜きんでた実力で、優勝を勝ち取りました!」

 

 

 

 少したどたどしさが感じられる司会の言葉が発せられ、何処からか喇叭(らっぱ)の音が耳を劈くように聞こえてくる。剣闘大会ではありがちな、日常茶飯事と言ってもいいほど当たり前の事だ。ただ、何時もと違うのは優勝者として祀り上げられる人物だけ。

 

 

 

 ラッパの音が聞こえ、少し大きめの音楽隊が何処からとも無く、白いドームの中心部を目指して楽器を鳴らしながら歩いてくる。それを見て、

 

「い、よっしゃぁ!」

 

 飛び跳ねながら声を発した優勝者。飛び跳ねるたびにその黒髪が騒ぐ。浅縹色の目は、笑うたびに目蓋に隠される。

 

 その姿は何処から見ても、普通よりも痩せているだけの十五にも満たないただの少年。その横で倒れているのは優勝候補であった、筋肉がびっしりとついた三十代男性の現役騎士、デルガス総隊長。比べれば一目瞭然で、確実に総隊長のほうが強く見える。だが、それは見える≠セけで、実際は少年のほうが強かった。

 

 

 

 未だ幼児のようにはしゃぐ少年。その戦いの結果に呆気に取られていた観客たちもすでに立ち直っているようで、まだ幼き優勝者に歓声を挙げる。

 

 彼がこの大会に出場したのは今回をあわせてたったの二回。去年の大会は二位を勝ち取っていた。大会主催者は『新しい風を吹かす者たち』と、彼らの事を言った。

 

 

 

 彼ら、と言うことは、彼一人の事では無くて。

 

「イリルぅ、良かったね? ゆうしょー出来て。うん、本当によかったねえ」

 

 ドームの隅から出てきた栗色の髪を持つ少年が訛った言葉を発する、恐らく同い年であろうが身長の差が頭一個分はある少年が、彼にタオルを差し出す。そのタオルを差し出した少年に向かって、イリルと呼ばれた彼は、

 

「んあー? クリスナだって一応三位だろ。良かったのはお前も一緒」

 

「だけども君は一回目のちょーせんで二位だったでしょぉ。ぼくは今回の一回目のちょーせん、三位だからイリルに負けたもーん。だからおめでたくないよー」

 

 

 

 そう言って頬をむくれる少年を見て、「まあ、いいじゃねーか。お前は俺に敵わないってこと、良く分かっただろ?」にこっと笑って頭をぐしゃぐしゃと撫でる。嫌がる彼のことなど知ったことじゃないと、言わんばかりに。

 

「うー。イリルばっか、ずるー! ぼくは好きでこんなちっちゃい訳じゃないのにーっ」

 

 撫でられた彼が、ぎゃいぎゃいと騒ぎたてる。だが、それもイリルは笑顔で返した。

 

 

 

 ――だがそれ以来、彼らが大会という表舞台に名を轟かせることは無かった。

 

 一人は現在も騎士をしており、策士として名を轟かせていた。だがもう一人のほうは既に退役し、騎士の中で行方を知っているものは居ない。残った一人に問いかけても、「さあ? どっかで元気にやってるさ」の一点張り。何か知っているのか知らないのか、それすらも分からない。

 

 彼らは大会の記憶の中に残ってはいたが、存在を気にする者は既に居なくなっていた。

 

 

 

 

 それから三年と四ヶ月。剣闘大会は戦争という名の舞台で繰り広げられることになる。

 

 戦争の原因は、ただ一つの願いが理由で。

 

 

 

 

 

 どうして伝わらないのかと君が謂う。

 

 

 

 言葉にしなきゃどうしようもないと彼は云う。

 

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 T 駆り出される者たち-1

 

 

 

 どたどたと、だだっ広い廊下を駆け抜ける若者の姿があった。「こらっ。廊下を走るな!」と、かなり低級な注意を受けても彼の足は止まらない。むしろ速くなっている。

 

 

 

 一つの扉の前で彼は急に足を止めた。いきなりの事で床がききぃーっと鳴り、彼の一つに束ねられた長い黒髪は暴れるのを、薄茶の制服はなびくのを止めた。そして彼はノックも無しに勢いよく扉を大きく開け、其処に居るはずあろう人物に向かって、

 

 

 

「おいっ。これから隣国と戦争になるって本当か!」

 

 

 

 叫んだともとれるが、違う。彼は怒鳴った。中に居た二十代中ごろといった感じの人物は面倒くさそうに顔を上げ、

 

「なんだ、うるさい。扉を開けるときはノックぐらいしろと、言っただろうが」

 

 

 

 明らかに不機嫌だった。青墨色の髪は整っていたが、その碧の眼は細められている。だが、その苛立ちは先程のことだけでは無い様子だった。

 

 

 

「だから訊いてるだろうがっ。スール国との戦争は、マジであるのかって!」

 

 

 

 こちらの事など、まるで聞いてはいないので彼は反論を諦めた。溜め息を一つ吐いて答える。

 

 

 

「ああ、そうみたいだな。……全く、面倒なことだ」

 

 

 

 戦争となれば騎士である自分等は確実に駆り出されることは間違いないし、下手すれば一般人も出兵しなければいけない場合もあるのだ。国民を守りたいが為に騎士になったというのに、危険に向かわせるのは心許ない。彼らは自分の家庭を守らねばならないのに。

 

 

 それに此方のシェスティ国側としては戦力の違いがある。今、城に居るのは見習い騎士と、国務官や王佐や国王などの戦力外の人物、そして参謀総長のケシスと目の前に居る策士、イリル。

 

 

 

「お前――三年前の大会、優勝したんだって?」

 

 

 

 いきなり話題を変えるのは悪かったのか、相手は呆けた表情を浮かべていた。だが直ぐに話に追いついたのか、平然な顔に戻っている。

 

 

 

「え、大会の時? ……半分寝てたよ。マジで」

 

 

 

 嘘ではないようで、飄々とした顔で言った。それに相手は動揺を隠せない。「お前っ、寝てたって、大会の本番だぞ! 寝ていていいのかよっ」目を見開いて机につっぷつ。そんなことお構いないようにイリルは続けた。

 

 

 

「いいだろ。一応優勝したら良いんだから、その他は自由でも」

 

 何処か間違っている反論。すでに相手をする気も起こらないと、彼は話を少しずらす。

 

 

 

「……一応でも優勝者だ。この戦争、お前が策を練ることになるだろうし、実際に行く羽目になるだろう」

 

 

 

 その言葉を聞いても動揺することなく、イリルはそれを聞き流す感じでいた。ちょっと経ってからイリルは口を開き、それくらい騎士になる時に覚悟してるから大丈夫だって、と言う。それも、笑って。

 

 

 

「だけど心配なのはこっちの戦力かな。遠征とか行ってて全然こっちに戦力残ってないだろ? 呼び戻してるそうだけど戦争が始まるまでに帰れるかどうかだし、それに――」

 言葉は最後まで紡がれなかった。相手が口を開いた訳でもなく、唐突に口を閉ざした。大体は予想できる事だが。

 

 

 

「クリスナ、か。城に居る騎士らの中でもお前と対等に戦いあえた奴だったな。今は確か退役して、それで」

 

 

 

 分からなかった。彼は退役して、それで、何処へ行ったのか。――分からなくて、知らない。他の騎士も大して気にしてなど居なく、こんなことで悩むなんて考えても無かった事が分かる。

 

 

 結局、どうでも良かったのだと。辞めた騎士など、騎士では無いから、戦争で駆り出すことも無いだろうと思っている。そうだというのに、このような時に必要になるなど。一般人≠捲き込まないと、思っていたはずであった。こんな事言っても、今更遅いことも分かってた。その証拠に、彼はもう――。

 

 そんな考えを読んだのか、イリルはぽつりと彼に向かって呟いた。

 

 

 

「クリスナは、故郷に戻ってるよ。母親が病気になって倒れたからって」

 

 

 何処か子供っぽくて、投げやりな言葉。らしくない言い方で、彼も出来るだけ普通の家庭を壊したくはないのだろう。

 

「クリスナは無理に呼び戻さない方がいいよ。あっちの意思で決めさせてあげてよ」ちょっと苦し紛れの表情で、目線は合わなかった。彼は誰よりもクリスナの事を分かっていて、彼の事を心配して言っているのだろう。ならば強制的には呼び戻さないのが一番なのだが。

 

 

 

「その件……。もう既に、居場所を探していた上が話を付けてきていてな。どうやら」

 

 

 

 背後で大きな音がした。そして、

 

「ひさしぶりぃー。元気してたぁ? イリルぅ」

 

 懐かしい、声がした。

 

 

 

「クリスナ?」

 

 そうイリルが言うと突然クリスナと呼ばれた青年は頭一個分も身長の違う目の前の友人を蒼の瞳で見上げながら抱きつく。お前らはそんなに大きな音を立てて扉を開けるのが好きなのかと、声が漏れて聞こえたが、二人はそれを無視する。

 

 

 

「遠路はるばるやって来たよぉ。最近出来た、リニア? を利用して大体じゅうに時間くらいかなぁ」

 

 微妙なところが平仮名発音で少々聞き取りにくいが、なんとか理解は出来た。だが、ここまで平仮名発音をしていると、わざとでは無いかと思い始めるほどである。

 

 

 

 突然の友人の襲来に、驚きを隠せないイリルは横目で、今まで話しをしていた相手に説明しろと、目で訴えかける。

 

「クリスナ=グラフィ。いきなり現れ」

 

 そう言い掛けるが、

 

「あ、ケシス参謀そうちょーだ。お久しぶりですねぇ」

 

 にこにこと笑顔を振りまきながら相手、ケシスに挨拶をかける。言葉を遮られたケシスは額に青筋を見せていた。だが異常なくらい鈍感なクリスナは気付くことなど無く、あははーと笑っている。

 

 

 

 ぷち。

 

 

 可愛らしい音がした。だが、絶対に可愛くないものの音。

 

「お前ら、いい加減に人の話を聞け! 出来ないのなら帰れっ」

 

 この位で収まるのならまだいいほうであった。クリスナはまだ気が付かないようで、きゃいきゃいと騒いでいる。

 

 

 

 ぶち。第二段階とつにゅう。

 

 

 

「てめぇら、とっとと出てけ! 気が散んだよ!」

 

 半ば強制的にぽいっと扉の外に放り出される。さすがのクリスナもこの事にはぽかんと口を開けてイリルを見て訊く。「きれたの? ケシス参謀そうちょ」最後の『う』も無く、かといって伸ばしてなどいなくて、未完成な形の言葉で訊いてくる。

 

 

 

 当たり前だろ、そう言う気も失せて何も言わずにいたら長い沈黙が二人を包んだ。こんな状況でも、気まずい雰囲気ではないと感じたイリルは、妙に笑った。それを見ていたクリスナは安心したように微笑んだ。そして二人は思った、『この人が友人だから楽なんだ。そうに決まってる』と。

 

 

 

 ふと思い出したように、イリルがクリスナに視線を向ける。

 

「なあ、なんで城にいるんだ。母さんが病気だから帰ったんだろ」

 

 尋ねられた本人もぽけぇとした顔で此方を見て瞬く。「うにゅ、きーてないの?」

 

 

 

 訊いて答えられる前に遮られたような気がしたが、イリルはこれ以上話をうやむやにしたくなかったため、黙っていた。

 

「ま、いーや。えっとね、こくおう様直々にごめいれーがあってね、きゅーきょ戻ってきたの」

 

 平仮名読み率が高くなっていた。そのため、『ご命令』の部分が少々聞きにくい。

 

 

 

「命令? 国王直々の」

 

 なんだが腑に落ちない様子で、イリルは考える。国王がわざわざ、もう退役した騎士の下へと命令を出すのは極めて珍しい(今まで無かった)。

 

「あ、期限付きでぇ、もっかい騎士になるはめになったの。ちなみに期限はせんそーが終わるまでだよ」

 

 クリスナは顎に指を付けて、ぽわんとした表情で付け足した。少し首を傾げている。

 

 いくら戦力が不足しているからってこれは酷いんじゃないか。クリスナは言うことを素直に聞いてなんでもこなしているが確かに人間だ。母親を一人置いてこちらへ来るように、なんて自分勝手な命令に付き合わされるなど迷惑な話だ。

 

 クリスナにとっても、母親にとっても。……母親?

 

 

 

「そういやクリスナ、お前の母親、どうしたんだ?」

 

 病状やその原因、その他全部聞いたことが無い。一方的に『母さんがびょーきで寝込んでいるから騎士やめて家かえる』そう言って勝手に行ってしまった。聞いたのは理由と居場所と騎士を辞めるということだけ。

 

「うん。だからびょーきだって」

 

 くわしく言わないという事は、言いたく無いのだろう。

 

「……一人にして、大丈夫なのか」

 

 

 

 人は誰だって、独りぼっちは寂しい。不安に苛まれる。だから一人じゃないように仲間を探そうとする。その問いかけにクリスナは一瞬、表情を失った。だが直ぐに笑顔をつくる。

 

「あはは。――母さん、しんじゃった。ちょっと前に、そのびょーきで」

 

 顔に作り上げられた表情は確かに笑ってはいたけど、だんだん哀しさが混じっていって、本当は最初から笑ってなどいなかったんじゃないかと思う。最後の方では顔を下に向けて嗚咽が微かに聞こえてきた。今は廊下に放り出されていて、通りかかる他の騎士たちに怪訝な目で見られていたがクリスナは泣くのを止めなかった。勿論こちらも止める気なんて更々無かったが。悲しいときに泣けるのはいいことだ。世の中では辛くても泣かないように、強く居ようと変に頑張っている人もいるから。そう、誰とて例外は居ない。

 

 

 

「クリスナ、行こう? もう、行こう」

 

 そろそろ潮時かと思い、思い切って声を掛けてみる。クリスナの涙もだいぶ収まったようだった。

 

「……」

 

 声を出さず、こくりと頷いて返事をした。立ち上がって歩き出すとそれに付いて来て服の裾を掴んできた。まあ、どうでもいいか。

 

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 T 駆り出される者たち-2

 

 

 

 

「おーさまに僕が着いたこと、ほうこくして無いから、行っていい?」

 

 

 突如、クリスナは頭を傾げて訊いてくる。涙も収まってきたようだ。国王には一応報告するべきだろう、呼んだのは王達であるようだし。

 

 別に怒っているわけじゃない。胸の何処かで沸々と怒りに似た何かが湧き上がっているのは否定しないが。

 

 

「ほら、着いたぞ」

 

 イリルは抑揚の無い声で言う。その態度にさすがのクリスナも面食らって顔を見返してくる。

 

「ほへっ?」

 

 その反応にイリルは目を細めた。不機嫌なわけではないが上機嫌なわけでも無いのは確かだ。――どちらかと言うと不機嫌な方だ。

 

「うゆ……。イリル、ふ機嫌ー」

 

 クリスナはイリルの顔を見て言い放った。さきほど、自己嫌悪に至っていたイリルにとってその言葉は追い討ちをかけられている事になる。

 

 

「……」

 

 

 変に沈黙した。いや、妙にか。

 

「イリル? え。ちょ、待ってよ。ぼくが居づらいんだけどぉ!」

 

 少々、論点がずれた反応。心配するのは自分の事だけ。

 

「って、何を心の中で口走ってるんだ俺ー!?」

 

 ようやく立ち直った様子。明らかに変な立ち直り方だが、そこは置いておこう(クリスナの鈍さは天下一品ものだからこれ位気にしない)。気にするのはせいぜい見習い騎士たちや参謀総長であるケシスくらいだろう。

 

 

(陛下は、……気にしないか)

 

 

 ふとそんな事を思った。こう考えると、陛下に会うのが少しずつ嫌になってきて、クリスナ一人で行かせようかとイリルは考え込んだ。だがしばらく考えて、止めておくか、と答えを出した。

 

 じっ、と立っていても何も変わらないのでイリルは扉のノブに手をかけた。だが次の瞬間、

 

 ごんっ。

 

「痛! おいっ、誰だ! いきなり扉開けやがったのは!」

 

 扉の角が、イリルの額に直撃した。

 

「おおっ。悪い、悪い。ん。クリスナ、もう着いたのかっ」 

 

 扉の向こうの人物はイリルを避けてクリスナの元へ近づき、その頭をぐしゃぐしゃにする。

 

 

「こ、こくおう様ぁ! 止めてくださいよぉっ」

 

 クリスナは精一杯、抵抗する。だがそんなのお構い無しに相手はその手を止めない。

 

「陛下っ。玉座を御離れになって、何処へ行くのですか!」

 

 クリスナは相手を国王様と呼び、イリルは目の前の相手を陛下と呼んだ。しかもイリルは敬語になっている。

 

 

「はは。何処へって、ちょっと城下へお忍びに行」

 

「――駄目ですよ、陛下! 城から陛下が消えてしまっては大騒ぎになりますっ。考え直して玉座に御戻り下さい!」

 

 言い切る暇も与えずイリルは言う。

 

「別に良いだろ? 秘密にしておけばよぉ」

 

 そう、のんびりとした物言いで陛下は返してくる。イリルは思考の何処かがくらり、としたのを感じた。

 

 

 ――だから嫌なんだ……。陛下に会うのは。

 

 目で訴えかける。だか、それを見ても陛下はにこにこと笑顔を見せているだけだ。……今直ぐここから逃げ出していいだろうか、イリルは本格的に思い始めた。捜索に出されるのは何時も騎士である自分等だ。

 

 

「へーか、へーか。ぼく着いたけど何処に居ればいい?」

 

 きゃんきゃんと鳴きながら駆け寄る子犬――を連想してしまう光景。まあ精神年齢が幼いから仕方ない。

 

「んー? 取りあえず前とは違うが部屋が残ってるから、そこに荷物置いて、そこら辺ぶらついてていいぞー」

 

「そんな適当でいいんですか、陛下……」

 

 にかっ、と笑って陛下は、

 

「息子の親友だろっ。それくらい割り切れよな!」

 

 なんだか、とてつもなく戦争の事が心配になってきた。ティスが居る限り、なんとか国は持つだろうけれど。

 

 ティスは陛下のご子息であられる。早くに亡くなった王妃様に似て経済によく感心を持ち、国を支えている。こういっては失礼だが、陛下とはとてもじゃないが似つかない。

 

 

「父様! また玉座から離れようとしましたねっ。いい加減にしてください、もうすぐ戦争が始まるというのですよ!」

 

 

 つかつかと、廊下向こうから音がした、声からしてティスだろう。もしかしたら弟君の真似っこかもしれないが。

 

「父様が玉座から離れる度に此方は大混乱なのです。お蔭でイリルたちを捜索に出さなければいけないのですよ。騎士達の事も考えてくださいっ!」

 

 そう。彼は騎士達を、イリルを誰よりも想っている。イリルのことは親友だからでもあるが。だから騎士達の信頼も全て殿下に向けられている。――国王には悪いが。

 

「っと、イリル!? ……久しぶりじゃないか、しばらくの間会っていなかったもので寂しかったぞっ」

 

 殿下は先程のゆっくりとした歩調から速くなる。状況が理解できないのか、クリスナは陛下が「息子の〜」のくだりの処からほけぇ、とした顔つきでつっ立ったままだ。

 

「……お前が、クリスナ=グラフィ――か? 私はティスウィンリーク=S=シェスティア・ルーラスカだ。宜しく頼む」

 

 長ったらしくて、とてつもなく覚えにくい名前をティスウィンリーク、ティスは申した。

 

「え、あっ。クリスナ=グラフィですぅ、でんかぁ」

 

 たとえ国を支える殿下の前でも訛るものは訛る、そんな性格で一つ年下の、十五歳の殿下よりもすこし小さいクリスナ。平仮名発音はわざとでも無ければ故意でもなかったようだ。

 

「……クリスナ」

 

 なんでお前はそうなのだと、言葉は続かなかった。

 

「あ、イリルぅ。なんで殿下にタメ口、だっけ? なわけぇ?」

 

 多分クリスナの凄いところは毎回、訛るところが違うところかと思う。さっきまで『殿下』が平仮名発音だったくせに、なんで今度は――。そうぶつぶつ考えていると怪しまれるので仕方ない、渋々ながらも答える。

 

「ティスと俺は友人≠ネんだよ。勿論、あっちが持ちかけてきたからな」

 

 自分から友人話を持ちかけたなんて変な思い込みは嫌だから否定しておく。あっちが勝手に友人と決め込んだんだ。

 

「ふへぇ」

 

 クリスナの、感心したのかそれとも呆気に取られているのかよく判らない返事が返る。何時も通りだから別に気にはしない。だがクリスナの場合――、

 

「でんか、でんかぁ。ぼくもお友達にいれてくれませんか?」

 

 こんな展開になる。で、相手も相手だから、

 

「いいぞ。宜しくな、クリスナ」

 

「はいー」

 

 大体、予想通り。ティスは友人が増えたから嬉しそうだけども。ここまで来ると陛下も――、……あれ。

 

 イリルの思考は唐突に、ぷつりと切れた。

 

「ティス……、陛下がいないぞ……」

 

 陛下という言葉にティスは素早く反応する。そして辺りを見回してから、

 

「くそっ、逃がした!」

 

 悪態を吐いた。公での気品溢れる将来有望な王子の姿など、欠片も無く。

 

「すまない、父様を探しに行くから詳しい事はあとでだ。慌ただしくてすまない」

 

 ティスは駆け出した。城下町から城に繋がる通り側の出口に向かって。

 

 取り残された二人は、しばらくの間その場で動かなかった。

 

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「……ここ、だったか?」

 

「多分そうだったはずだけどねぇ」

 

 目の前に在るのは扉、妙にでかいような気がする扉。――いや、確実に普通より異常に大きい。

 

「うん。へや、違うかもしれないねー」

 

 表面上だけ、笑顔を浮かべるクリスナ。絶対内心、焦っている筈だ。でなきゃこんな乾いた笑みを浮かべて数十秒間も立っているはずが無い。

 

 どうしようかどうしようか。このまま引き返すか? だが帰ったところで陛下もティスも居ないわけで。結局、選択肢なんて存在しなかったのかもしれない。

 

 イリルはノブに手をかけた。そしてゆっくり扉を開く。

 

「……うん。やっぱり、――ここ何処の世界ですか?」

 

 目の前いっぱいに広がる部屋。有り得ない位、豪華。

 

 

 ばたん。

 

 

 イリルは扉を閉めた。それも力一杯。

 

「ふう。――で、これからどうするよ」

 

 部屋の事などすっかり忘れてしまったかの様に、イリルは爽やかな笑顔で振り向いた。

 

「城の中の探索しようかなぁ? 取りあえずぅ、荷物は置いとかないと流石にヤバイから、この部屋に放り込んじゃえ」

 

 また扉を開いて荷物を入れた後、クリスナは物凄い速さで扉を閉めた。荷物を置いてしまえば、入っても入らなくても同じことと言う事に、クリスナは気付かなかった。

 

 勿論、イリルも。気付いてはいたが、言う気は無かった。

 

 この城の中は広い。最近、改築して部屋数や食堂が増えたり広くなったりした。

 

 ――本来、城という物はその人の財産や権力の見せしめであるから、大きければ大きいほどその人の権力などは強い、と言うことになる。

 

 どの城でもこれだけは共通していて、王族となれば無論、権力は見せしめなければならない。下手に小ぢんまりしていても、その王族は力が弱いと見られ、国民が反乱を起こす危険性が高くなるからだ。

 

 

 つまり、王城は何においても立派で大きくなければならないのだ。

 

 この城も、例外では無い。これでもか、と言うほど、とにかく無駄に広い。他の国々と比べても、五本の指には入る。

 

 どう考えても、一日中で回るのは無理なのだ。

 

「……で。これを差し置いて、何処へ行くんだ?」

 

「――。改ちくした、って言ったから、まあ適当にぃ。……探索?」

 

「で、この有様か」

 

 イリルは辺りを見回した。見たことの無い灰色の壁に囲まれた、光など通さないが、かろうじでなんとか見える多分、通路らしき場所。そこに、二人は立っていた。

 

 長年、城に勤めているイリルでも見たことの無い場所。勿論、そこまでこの城に勤めていなかった(クリスナは半月しか勤めていない)クリスナがこの場所を知っているはずが無く。

 

 文字通り、二人は迷子なのだ。既に、もう少し前からか。

 

「と言うかむしろお前はさ、戦争の為にわざわざ呼び出されたんだよな。……探索するために来たんじゃないんだよな」

 

 イリルはぼそりと、クリスナに聞こえるように呟いた。クリスナは、それに答えない。

 

 答える、答えない以前に、そこに居なかった。

 

 一拍遅れて、イリルは居ない事に気がついて、驚いた。クリスナの姿は、前方遥か遠くに見えた。愉快に、彼は此方を向いておーい、とでも呼ぶように手を振りつつも空いた手で、おいでおいでと手を小さく振った。

 

 少し溜め息を吐いた。それからイリルは、その指示に従って前へ駆け出した。

 

 

「ねえねえ、あれ何かな?」

 

 クリスナの元へ着くと、何処かへ指を指していきなりそう尋ねられた。指さされた方を見ると、そこには大きな十字架があった。様々な宝石があしらわれた十字架、丁度全ての線が交わるべき部分には、紅く大きな宝石が飾られてある。

 

 どうやら、誰かの墓のようだ。それも、かなりの権力と経済力があった誰かの。

 

 そう言う前に背後から、小さな音がした。

 

 無条件反射で、イリルはクリスナの口を防いで物陰に隠れた。その行動に、クリスナは驚く。そして、なにぃ、とイリルに尋ねた。

 

 イリルは真剣な顔をして、答えなかった。ただ、通路の奥を一点張りで見続けている。――ふと、人影が現れた。その影は小柄で、イリルよりも小さく、クリスナと比べても少しだけ小さい。

 

 その人影は、イリルたちの気配に気付いたのか、すぐに去って行ってしまった。

 

 

「あれは、……誰だ?」

 

 

 イリルとクリスナは、物陰から姿を出した。イリルは最初こそ疑問を口走ったが、

 

「――まあいいか。クリスナ、帰るぞ」

 

 直ぐに切り替えた。先程の人影の気配を辿れば、出口が分かるはず。そう思って、イリルは歩き出した。

 

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 T 駆り出される者たち-3

 

 

 

 

 ――案外、深くに潜り込んでいたようだ。何時まで経っても、知っているような所には辿り着かない。少しずつ、歩いていくたびに明るくなっていくので、道はあっているはずだが。

 

 

「あっれー。イリルじゃない? こんな所に何か用でもあったの?」

 

 正面に、人が現れた。十四歳にしては少し高い声の質と、はっちゃけた口調から、

 

「……シェウリ様こそ、何故こちらに」

 

 

 

 シェウリディス=F=シェスティア・ルーラスカ。ティスの半分だけ血の繋がった、この国の第二王子。ティスと半分しか血が繋がっていないのは、シェウリが側妃の子だからだ(ティスは正妃の子である)。但し、この国では第一王子以外は王子として認められていないため、殿下呼ばわりでは無く、様付けになる。

 

 

 

 小さな主君を見て、クリスナはきょとん、としている。対するシェウリは、

 

「あ、君が噂に聞くクリスナ=グラフィ? よろしくね。……にしても可愛いー」

 

 そう言いながら、自分より少し背の高いクリスナの頭をよしよし、と撫でる。撫でられている方も満更でも無いようなので、取りあえず放置するかとイリルは思った。

 

 取りあえず、聞きたい事だけを尋ねる。

 

 

 

「シェウリ様。こちらはどのような意図で造られたのでしょう。あと、出口はどちらにあるのでしょうか」

 

 年下といえども、しきたりの所為で王子と認められていない人といえど。地位としては第二王子なのだ。それなりに敬意を払わなくてはならない。――何故か本人からは、敬語じゃなくて普通に接して欲しい、と言われている彼だったが。

 

 よしよし、と撫でながら、シェウリは答える。

 

「ここ? どのような意図、は国家秘密で言えないけどさ。まあ一介の騎士が気軽に来ていいところでは無いよ。あと、出口はこの道をずっと真っ直ぐ行ってその後に左ね」

 

 にっ、と悪戯っこの様にシェウリは口を吊り上げる。まるで子供のような仕草だが、女性(女官など)を前にすると百八十度、人ががらりと変わる。つまり目の前の王子は、幼いながらも完璧な女たらしなのだ。

 

 

 

 普通に接してくれていいのに、とシェウリは呟いた。お言葉だが、普通は一介の騎士は王子にそのように接するものでは無い。

 

「そうですか……。有難うございます。それでは、失礼致しました」

 

 イリルは、未だ撫でられ続けているクリスナの首根っこを引っ掴んで、そのまま教えられたとおりに歩き出した。しばらくの間、クリスナは引きずられるようにして歩いていたが、大勢を立て直し、自分で歩き出した。

 

 

 

「信頼されてるなぁ、イリル」

 

 ぼそりと呟いた。なんか言ったか、とイリルは尋ねたが、なんでも無いと答えて会話は途切れる。

 

 そして、第二王子だけがその場に取り残された。

 

「いいな、お兄ちゃんは。イリルを持ってて」

 

 呆然と虚空を見つめながらシェウリは言った。

 

 そして、幼い主君は彼らと正反対の方向、建物の奥へと向かって歩き出した。

 

「……だけどね。結局、最後に求められるのは、力だけなんだよ」

 

 くすりと不気味な笑顔を浮かべた。その顔に、もはや先程まで愉快で楽しそうな第二王子の陰など何処にも無い。

 

 

 

 ただ、悪魔に魅入られたかのように笑う、愚か者の姿がそこに在った。

 

 

 

 

 

「っ……。また逃げられた。一体、何処から出入りしているんだか」

 

 第一王子、ティスウィンリーク。愛称ティスは本日何度目かの溜め息を吐いた。実の父親であるグラドフィース陛下を探して、城下町に下りたティスは、城門が遥か遠く見える市の一角にまで足を運んでいた。市の一角といえども、ティスの居る場所は比較的に治安が悪い。実際に足を運んでみると、このままでは麻薬の市場になりかねない状態だ。

 

 

 

 ティスウィンリーク殿下はこの国と国民を誰よりも想う、国民にとって良き後継だ。そんな彼が、このような現状があるという事実を知っておいて、放っておこうなどと考えるはずもなく、どうにか出来ないものかと頭を捻らせていた。この国は金銭に関しては豊富だ。元老院を納得させれば、このような場所でさえ、その手に掛かればたちまち盛んになるだろう。

 

 だが、問題なのはその事を妬みかねない他の街の長だ。一箇所に大金の投資を行えば、何故そこだけ、と反乱が起きる。このような時は大抵、街同士が協力して王家に苦情を言いつけるものだ。それに、その時の街人の団結は恐ろしいものだ。

 

 これから戦争が始まるというのに、この様な事で信頼を失い、戦力を失うのはとても痛い。

 

 唸り声を上げながら、ティスはその場で足を止めたまま動かなくなる。

 

 

 

 

 ――誰よりも国を愛し、国民から、騎士から敬愛される第一王子を、酷く嫌っている人が居た。だが、第一王子に冷たくされてきたわけではない。むしろ愛されていた。

 

 それでも大きくなっていったのは、とても深く、真っ黒な嫉妬。そして嫉み。

 

 深い嫉妬が不幸を呼び、その不幸が災厄を呼び寄せる。そして、いずれ自滅の道を辿る。

 

 それを、知っていたはずなのに。

 

 

-6ページ-

 

 

「……やっと、出られ、た」

 

 イリルは膝に手をつき、前かがみになって深く息を吐いた。後ろで歩いていたはずのクリスナは、壁によれ掛かって顔を下に向けながらしゃがみ込んでいる。息はきれぎれだ。

 

 

 

 あれから、彼らはシェウリの案内どうりに歩いていった。真っ直ぐの道は途轍もなく長く、左へ曲がったら、なぜ階段にしないんだと訊きたくなるほど急激な坂であった。下るにあたっては楽そうだが、上りはかなり辛い。シェウリ様はちゃんと帰って来られるだろうかと、イリルは本気で心配になった。

 

 

 

「い、リル。もう、散さく。止め……。あの部、屋に、もどる」

 

 下に向けていた顔を上げて、クリスナは言った。瞳はほんのり赤く、目じりに涙が溜まっている。クリスナにそう言われようが言われまいが、イリルは無理矢理にでも散策地獄から抜け出す気満々だったため、依存は無い。

 

 この事で、二人は下手に城に潜ると痛い目に遭う事を心から痛感した。

 

 今まで、ここで迷った騎士の数が三桁に到達している事を、彼らが知る事は無い。それほどの数の騎士が、迷い込んだ時点でどうにかするべきだと思うが。

 

 彼らはゆっくりと、それでもしっかり、歩みを進めていった。

 

 

 

 それから五分後。

 

「……随分と疲れているようだが、何処で何をしていた?」

 

 庭から渡り廊下に入った彼らの後ろから歩いてきていたケシス総長が、ぜえぜえと息を吐いているイリル達を見て、尋ねた。イリルは尋ねられたが、答えない。むしろ答えられなかった。

 

『探索途中に城の進入不可領域に入ってしまって、帰路の坂がとても、きつかったんです』などと答えれば、お叱りがくることは、まず間違いない。ケシス総長の叱責は五時間以上にも及ぶと、そこいらの騎士団では知らない人などいないと言うくらい有名だ。この様なところで時間をロスするのはご免である。いや、なんにも予定も用も無いが。

 

 

 

「――えっ、とねぇ。ひがしの、入っ、ちゃ……いけな、いとこ、で。迷ってた――ぁ」

 

 その質問に、クリスナは返した。何も答えなかったイリルは、馬鹿っ、とでも言うかのようにクリスナを睨む。

 

 クリスナの答えにケシスは微妙な顔をしていたが、少ししてから、そうか、と一言だけ言って通り過ぎる。いつもなら叱責が待っているはずだというのに、イリルは驚愕する。ケシス総長の背中を、丸くした目で見ながら、ぽかんとしていた。

 

 

 ケシス総長もまた、あの建物で迷った一人だとは、彼らは知るよしも無かったのであった。

 

 

「……何なんだ? おかしすぎる」

 

 いつの間にか息を整えていたイリルは、ケシス総長の変動に言葉を発して未だ驚いていた。クリスナもようやく息を整えて、イリルの言葉に返答する。

 

「まあ、ケシス総長もーかわったんじゃない?」

 

 珍しくクリスナが天然ボケのような発言をしなかった事に、またもイリルは驚いた。彼の心の中でのクリスナの扱いが酷いように思えるが、これには大体の騎士も思っていることなどで、イリルにとってはそこまで酷い扱いでは無いのである。――勿論クリスナにしても、どのような扱い、どのように思われているのかを、よく知っているため文句は無い。

 

 あるとすれば、ほんの一部の者が思い込んでいる『足手まとい、弱小伝説』くらいのことだろう。ただし、思い込んでいるのはクリスナが退役した後に入ってきた、ホゼア大尉とその部下達がほとんどだ。

 

 

 

 これからどうするかと、イリルが頭をかしげていたその時。

 

「おっ、イっリルぅ! 俺が元気に報告しに来たぞぉーっ!」

 

 背後から聞こえた暢気な声に、イリルは硬直した。絶対に紛れもない、間違いようの無い、そして今最も会いたくない人物の声だ。

 

 恐る恐る、イリルは背後を振り返る。そして予想通りの人物がそこに立っていたことに、意識が何処かへ行くのを必死で引き止めて、訊いた。

 

 

 

「陛下……、城下へ降りているのでは無かったのですか……。ティスは城下へ下りていってしまわれましたよ――?」

 

「いやいや。息子もたまには城下に下りてみては、と思ってなぁ。ちょぉーっと誘ってみたわけよ」

 

 絶対に、誘い方が間違っている。

 

 ティスは勧められて、その意見をすぐに『間違っている』などと決め付けないで、自分の意見に取り入れる。勿論そんな面倒な事をせずとも、城下へ下りてみてはと、誘いさえすれば、すぐには無理だがいずれ実行するような子なのだ。その意見を言ったのが父親であれば、なおさら。

 

 

 

 ぼそりと、陛下は何かを呟いたような気がしたが、聞き取れなかった。さほど重要な事では無いようなので、問い詰めはしない。

 

 ティスの事も、もちろん心配だが、一番気になるのはこんな暢気な事ではなく。

 

「――先程、ケシス参謀総長がここを、陛下と同じ方向から来て、通りました。あちらの方向には東側の城下に通じる出入り口と、会議室しか無かったかと思いますが。……陛下がおっしゃっていた報告と、何か関係がおありでしょうか?」

 

 何処か確信した声音で、イリルは国王を問い詰めた。問われた国王はぺろりと、悪戯っこの様に舌を出した。さっすが天才策士サマ、と一言言って、穏やかだった表情をきびしい表情へ変える。

 

 

 

「戦争が始まる前の、前夜祭ってのか、お国とお国同士の会議が明後日あるんだとよ。さっきの会議にはお前らも呼ぼうと思ったんだがな、見当たらなくてよ。さっきの会議の内容は、その事についてだ。――予定されている明後日の国家会議の七日後に、……戦争だ」

 

 

 背筋が凍りつく音が聞こえた気がした。

 

 

-7ページ-

 

T 駆り出される者たち-4

 

 

 

 宣言された内容を理解し、反芻し、彼は選別した言葉を紡ぐ。

 

 

 

「……それで」

 

 イリルは話を急かす。戦争と聞けば、さすがに黙っていられない。クリスナはだんまりとして何も口に出さないが、その表情から窺えるに、明らかに焦っていた。

 

 彼らとて、好きで戦争をする訳ではない。人と殺し合いたいが為に、騎士になったわけじゃない。戦いは、出来れば避けたいのだ。

 

 グラドフィース国王陛下は、話を続ける。

 

「その会議にはティスもシェウリも出席することになっているんだ。オレは忙しくて顔を出せねえから、殆どあいつ等に任せる事になっちまう。……だがなぁ。このオレが、んな危険な場所に大事な跡継ぎであり、息子を盾無しで行かせると思うかぁ?」

 

「思いますが」

 

 

 

 間髪入れない、イリルの素早い返事。それに、国王は押し黙った。あと、とイリルは呟いた後、ぺらぺらと言葉を並べ始める。

 

「それに、殆ど任せる事になる、とおっしゃいましたが、私の記憶違いでさえなければ年がら年中、二十四時間、殆どティスに任されていませんか? 本来は陛下が処理するべき書類も、ティスが片付けていますし」

 

 意を突いている言葉に、もはや返す言葉も無い。しばらく、クリスナも呆然としながらその言葉を、何だかどんどん愚痴に変わっていく言葉を聞いていた。だが、少しして、クリスナはイリルの薄茶の制服の裾を引っ張った。

 

 何だ、とイリルは頭一つ分下を見下ろした。

 

 

 

「イリルぅ。愚痴るのはいいけど、へーかの報告、ちゃんと聞いてからにしよーよ。陛下、あそこでいじけてるよ?」

 

 びしっ、とクリスナが指差した先には(仮にも国王に指差しはどうかと思うが)、まるで子供の如く、のの字を壁に書いて小さく縮こまっているグラドフィース国王陛下の姿。いい歳した、子持ちの大人が何をやっているのだか。

 

 

 

 仕方がない、流すか。

 

 

 

「陛下。それで、どうしました?」

 

 何事も無かったかの様に、声音を変えずにイリルは国王陛下に言葉を投げ掛ける。

 

 その声にぴくりと反応して、子犬の瞳のような視線を、ちらちら様子を窺いながら向けてくる。十代中盤頃くらいの平民の女性がその動作をしていれば話は別だが、仮にも一国を背負う国王で、いい歳した子持ちの大人がそのような動作をすると、見ている方が泣きたくなる。――いや、色んな意味で。

 

 

 

 

「……その様な目を、此方に向けないでいただけませんか」

 

 声を投げ掛けてしばらくして、国王陛下が口を開いた。

 

「だから、イリル達に任せようとしただけだもん」

 

 虫唾が奔る。もしくは、悪寒。

 

 一国を背負う国王――略、の言動がこうだと、本当に寒気がする。寒気がするというより、気分や心持ちが大変悪くなってしまう。

 

 血の気が引いたことを、イリルは自分の事ながらも気付いた。気を抜くと、かくかくと音を鳴らしつつも震えてしまいそうになる。精神状態は、とても悪い。――ああ、そろそろ本格的にやばい。微かに動いていた思考の一部が、そう悟った。

 

 その様子を側から見ていたクリスナは、真っ青な顔をしているイリルを見かねて、国王陛下に声をかけた。

 

 

 

「へーか。気持ち悪いからやめてよぉ」

 

「気持ちわるっ――!?」

 

 

 

 さすがの国王陛下もクリスナの言動に驚愕。それと同時に、年齢に合わない子供のような言動も無くなった。虫唾も悪寒も鳥肌も、ようやく治まり始める。とことん嫌な感覚続きで、身体が麻痺してきそうな勢いだった。

 

 クリスナがグラドフィースに蹴りを入れる。仮にも、忠誠を誓うべき国王陛下に、断然自身の子供の方がどれだけ王に向いていても一応、一国を背負う王に蹴りを入れた。忠誠を重んじる騎士ならば、真っ青になって倒れそうな行動であっても、イリルは平然とした顔で見ている。平然と言うよりも、ざまあみろとでも言うかのように笑っていた。

 

 

 

 対して、蹴られたグラドフィース国王陛下は、座り込んでいてもそこまで距離が離れていないクリスナの顔を、呆気にとられた表情で見上げていた。

 

 

 

「忠誠ってのは、案外薄っぺらいもんだなぁ……」

 

「ううん。だってぼくは、期限付きの騎士だもん。いちいち、ちゅうせーなんて誓ってられないものぉ」

 

 きゃはっ、とでも言うようにクリスナは笑った。明るくて、眩しいくらいの笑顔。

 

「まあ、確かに。期限付きじゃあほとんど客員剣士も同じだしな、それは同意できる」

 

 会話に割り込んだ。無意味で、あっても無くてもどうでも良いような会話に、イリルは割り込む。そして、無駄なものを引き裂いて、話の核へもつれ込ませる。それが。

 

 

 

「ところで陛下。私達に任せる、と仰りましたが、そのお話を詳しく伺えませんでしょうか?」

 

 クリスナの少し鋭い蹴りを喰らって尻餅をついた国王陛下が立ち上がってから、イリルは尋ねた。拍子抜けした様子を、陛下はしない。大体、流れも展開も予想できたのだろう。何時だってそうであったから、多分、質問をしても返ってくる言葉も同じ。

 

 もう既に、今からでも一週間前でも無くて、何年も前から、ボロは出ているというのに彼は敬語を使い続ける。――理由は知らない、誰も。

 

 彼自身ですら、きっと。

 

「あー。そのスール国との会議での王子の護衛に、話し合った結果、お前らの名前が上がったんだよ。理由は簡単、『騎士になってからそこそこ位しか経ってないし、実力もある。そして何より、あまり外に顔が知れていない』だ。ちなみに拒否権なし。明日の朝早くにだから今日の夜くらいに出発するぞ。準備は各自して置けよー」

 

 

 

 言いたい事だけ言って、そのままイリル達の横を通り抜けて国王陛下は去っていく。話しの展開の速さに少しの間、頭が回らなかったイリル達は、少ししてようやく用件を理解した。

 

 ようするに、無理矢理ティス達の護衛に付けられた、と言うこと。

 

 

 

 彼は前に、同じような仕事を任された事があった。その時はまだ引き篭もりがちであったティスの顔も、名前すら知らなかったほど前の話だ。当たり前にティスと彼は友人では無かった。弟のシェウリは女たらしで有名で、尚且つ、行動範囲が恐ろしく広いため、城に勤める者なら誰だって顔を合わせるほどであったが。

 

 但し、その時はティス一人の護衛で、彼も一人での護衛だったため、今とは状況が違う。

 

 

「記念すべき初仕事が、ティス殿下たちの護衛になったねぇ。シェウリ様ともお友達になれたらいいな」

 

 

 

 暢気な友人の横で、彼は頭を抱えるのであった。

 

 

 

 しばらくしてから頭を回転させ、もう一人の友人の事について考え始める。

 

「迎えに行ったほうが、いいよな……。場所によってはかなり危険なところも在るし、ティスに何かあったら困る。まあ、誘拐とかは無いと思うが――」

 

「ティス殿下、意外と人なみには剣扱えるって、貴族の間ではゆうめーらしいからねぇ。……まあ、今回は剣、持ってないと思うけど」

 

 横からクリスナが意見した。ティスの実力などの情報は、何処から洩れているのだろうと、イリルは思う。

 

 

 

「それなら、もう帰ってきたから大丈夫だ。イリル、仕事がないからと言っても、気を抜くな。だから、私のような未熟者でも背後に立ててしまうのだぞ?」

 

 後からの不意打ち。少し面食らったイリルは、声の聞こえた、顔よりも少し下を振り返る。

 

 金の髪に、整った顔とそれを彩るかのような翡翠の眼。本来は真っ白なはずの着衣は、所々、泥や砂で汚れてしまっている。その眼は少し、睨んでいるかのように細められていた。

 

「私は父様に用があるから直ぐに部屋に赴く。イリル、分かったな?」

 

 城に居る間も仕事の一種だろうと、言葉を付け足し、ティスはそのまま歩き出そうとする。

 

 それをイリルは、言葉で引き止めた。

 

「分かりましたが、――泥を被ったままで行くつもりですか? 一度部屋に戻られる事をお勧めいたしますよ」

 

 少し沈黙の間。

 

「……訂正する。着替えてから赴く。――これで、いいよな?」

 

 

 

 一度確認してから、ティスは止めていた足を再び動かす。その進む先は、国王陛下の通っていった廊下。基本的に将来を約束されている王族の部屋は一箇所にほとんど集められているため、否応無しに同じ道を通る事になる。

 

 ただし、第二であるシェウリは王族としては認められるが王子としては認められていない。つまり、将来を約束されていない王族、として東の離れで十数人程度の数の召し使いと、侍女とで生活をしている。

 

 シェウリが男児であったこそこのような扱いをされている訳で、もしも女児であった場合、生まれた後すぐにでも中流層あたりの家に養子として引き取られていく。

 

 男児の、しかも長男のみしか認めない国家、と言うわけだ。

 

 

 

 思えば、王子と認められているのと認められていないのとでは、生活が大きく違うのだな、と改めてイリルは感じた。

 

 うん、うんと頷きながらイリルは考え事を始める。

 

 

 

「……――あっ! クリスナ、食堂の小母さんが用があるから仕事にきりがついたら来てくれ、って言われてるんだ! 俺、行かないと」

 

 昨日言われた言葉を、イリルは思い出す。なんでも、食材を運ぶのを手伝って欲しいとの事だった。

 

 日々、何時もお世話になっている人だから出来るだけ早く仕事を終わらせて行くつもりで、だから仕事も早く切り上げた。だけども戦争との朗報を受けて参謀総長の元へ行き、それからずっとクリスナと行動を共にしていた。

 

 おかげで、忘れていたのだ。

 

「うん。じゃあ行ってらっしゃい。ぼくは部屋に戻って、荷物のせいりしてるからぁ」

 

 クリスナがそう言って笑いながら手を振った後、行ってくる、とイリルは駆け出した。

 

 

 

-8ページ-

 

 

 イリルの後姿が米粒程度になり、クリスナ振っていた手を下ろして、無表情に変わる。今までの子供っぽさが一気に抜け落ちてゆく。

 

 

 

「これはこれは、クリスナ=グラフィ殿では無いか。もう戻ってこられたのか。……二度と戻ってこなければよかったのだが」

 

 背後から声を掛けられる。低めの声音と、嫌味。思い当たった人物を想像して、心中渋い顔をしながら、クリスナはゆっくりと後ろを振り返る。

 

 

 

「――ホゼア大尉どの。お久しぶりですねぇ?」

 

 

 

 ホゼア大尉は、クリスナの事を好いていない。

 

 周りはその事をよく知っているためあまり顔を合わせないように、と努力をしているが、絶対に鉢合わせにならないとは限らないため、度々このような事が起きる。ホゼアは愉快そうに嫌味を言うが、対してクリスナはあまり言葉を発しないし、嫌味に反応する事など無い。

 

 

 

「――看取ったそうで。姉の、貴方の義母の最期を、フィアリアの最期を、フォルトパーソン公爵夫人の最期を。……いつまで本当の身分を隠して、イリル殿の傍に居るつもりです?」

 

「……あんたなんかに、イリルの名前を呼ぶ資格なんて無いよ、下種。フィアリア様の名前も、姉弟といえどお前が呼んでいい名前なんかじゃない」

 

 

 

 クリスナの口調が変わる。ふざけた様な訛りも無くなり、ちゃんとした発音で話す。

 

 腰につけた剣の柄に手をそえつつも、ホゼアの顔を睨みつけた後、クリスナはもう一度ホゼアを一瞥してから顔を背けた。その様子を見てから、ホゼアはにやにや笑いつつもクリスナに話しかける。

 

「下種? 十戒も守れない、騎士の片隅にも置けない貴方には言われたくないな。イリル殿に何も打ち明けず、のうのうと生きている。――でなければ、誰が放火の大罪を犯した親の子供と共にいるものか」

 

 その言葉を聞いて、クリスナは物凄い形相で振り返る。舌打ちをしてから、溢れんばかりの怒号を轟かせた。

 

 

 

「お前にイリルの何が分かるッ!? お前は何時もねちねちと、嫌味を言い募るだけじゃないか! ――知らないから、何にも知らないからそう言えるんだ、お前は! イリルの事も、全部知らないから、そう言えるんだ!」

 

 

 

 ホゼアは顔をしかめる。何を言ってるのか、とでも言わんばかりの顔で、ぜえぜえと息を吐いたクリスナを見下ろす。

 

 反論も無く、しかめっ面のままホゼアはその場を立ち去った。一人残されたクリスナは、顔を上げて上を見上げた。

 

 そして、一言。

 

 

 

「知らないのは、ぼくも一緒だけど、さ。それでも――」

 

 彼はしばらく、顔を上げたまま目を瞑りながら、その場に止まっていた。

 

 

 

 後ろの角で、相手から姿が見えない方の壁に、彼は目を瞑りながら背を預けていた。

 

 先程までの会話も、怒号も、彼の耳に届いていた。

 

 

 

 相手が目を顔を上げながら目を瞑っている間に、彼はもたれていた壁から離れた。陰りを帯びた金髪が少し揺らいで、瞳が少しだけ開眼する。

 

 彼は何も言わずに、その場を立ち去った。

 

 

説明
『騎士協奏曲:言葉 T』のまとめです。
一気に読んでしまいたい、と言う方はこちらからどうぞ。
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